ファインダーの向こうへ
合唱。
とある地方に滞在中、大学時代の恩師が倒れた旨、連絡頂きました。
広島市は幸いにして近かったので、久しぶりに思い出の地を踏みました。
八月六日、午前八時十五分。
横川駅に着いた時、突如、サイレンが鳴りました。
少しでも広島に関わりがある人間なら分かります。
私は周囲の人に倣って黙祷します。
恩師が被爆したときは小学一年の時と聞いてました。
講義の時、よく被爆前の広島の話を聞き、論文のテーマにしたこともあります。
思わず、目頭が熱くなりました。
この話は、世に出さないつもりでした。
親しい方には配信させて頂きましたが、申し訳ないです。
今回、皆様に読んでいただきたく思いました。
内容の半分は恩師の体験談です。
当日、閃光が走る前まで、母親は幼い妹を背負って、食器を洗っていたそうですが、閃光後、家は吹き飛ばされ、母親も妹もそれっきりだということでした。
読んで頂けたら嬉しいです。
※※ ファインダーの向こうへ ※※
私は、しがない風景カメラマンである。
昨今、デジカメも含め、画素の進化は著しい中、私のこだわりはフィルムである。
しかし今日、首から下げている私の相棒『ライカⅢaクローム+エルマー』はビジネスだけの意味を持たなかった。
私は原爆ドーム前でファインダーを覗いているときだった。
「ふーん……。あなたが相原さんね」
突如、背後から声を掛けられて、思わず身を引いた。見れば多分高校生くらいだろう、濃紺のジャンパースカートに薄青色のブラウスの少女が立っていた。
栗色の髪を耳元で切り揃え、利発そうな大きな瞳が、私を好奇心いっぱいに見つめていた。
「本当にいるだなんて、驚いたわ。てっきりファンタジーだと思ってたのに」
私は少なからず狼狽した。突然、美少女に声を掛けられたのだ。三十前の独身には刺激が大きすぎる。だが、そんな乱心ぶりも気にせず、少女は続ける。
「あ、気にしないで。これ、学校の制服だし。そもそも、頼まれごとだからお洒落して会う必要もないしね」
無邪気に笑う少女に反して、私は憮然とした。しかし、私の態度に少女は少々機嫌を害したらしい。白い頬を膨らませ、眉を寄せる。
「意味もなく、初対面の人に声を掛けませんッ! あたしだって結構緊張してるんですよ? これを見て思うことはありますか?」
少女は二枚の写真を私に渡す。印画紙が茶色に変色し、端は切れてボロボロになっていた。
私は、その写真を見て大きく嘆息した。目の前の少女をまじまじ見れば、確かにあの人の面影がある。そして、すべて理解した。
「……あ、あの」
十歳以上も年下の少女に対し、狼狽えながら言葉が見つからない。が、先に少女は言った。
「あたし、唐原花蓮。ここで話すのはなんだし、お城へ行こうよ」
広島城。別名『鯉城』とも呼ばれるお城は典型的な平城だ。
私は花蓮とともに、二の丸の橋を渡り、御殿跡、もしくは陸軍第五師団司令部跡を横切る。左側に護国神社を眺めながら、私と花蓮は本丸下のベンチへ腰かけた。
「……君は、その、信じるのかい?」
私の喉の奥からひねり出すような声に、花蓮は明るく笑う。
「ぜんぜんッ!! これっぽっちも信じてないよ。この写真だって、おばあちゃんの嘘だと思ってた。でも、相原さんがここにいたってことは、偶然じゃないよね?」
そうだ、昭和二十年代にあるはずもない、平成の渋谷駅前のスクランブル交差点の写真。奥には有名なレンタルビデオ屋のビルが映っている。そして、これは私が撮った写真だ。
花蓮はおもむろにカバンから、年季の入った『ライカ』を取り出した。
「これ、もう使えないけど、おばあちゃんがずっと大事に取ってたらしいよ」
私は、それを受け取り、製造番号を見る。今、私が首から下げている『ライカ』と同じだった。花蓮も横から覗きながら、「へえー」と感心している。
「同じ製造番号ってあるんだァ」
「それは、絶対にありえないッ!」
私は即座に否定する。そして、私もカバンから一つのファイルを取り出し、花蓮に渡した。
それを開いた花蓮は驚愕な表情を見せる。私は未だに判明できない珍事を話さざるを得なくなったのだ。
あれは、だいたい一週間前。渋谷駅前の再開発にともない、日々変わっていく姿を写真に収めようと、桜丘町から鶯谷町、猿楽町まで足を延ばし、恵比寿まで行った時の写真を現像していたときだった。
とった記憶もない、街並みが次々を浮かび上がる。しかも、どこの街並みかも、さっぱり分からない。最後に浮かび上がった写真はセーラー服の少女だった。活発そうな少女が写真の中で、にっこり笑って、こっちを見ている。
私はすっかり、その子の虜になってしまった。
そんな出来事から二日後。代々木から初台までの風景の写真を現像しているときだった。やはり、撮ったはずの絵ではなく、見知らぬ街の風景だった。しかし、最後に一枚の手紙が映し出された。
『わたしは、三枝舞姫といいます。なぜか私の撮った写真ではないのです。不思議な街の写真です。もし、これを撮った方が見たら、御返事ください』
私は、まず我が目を疑った。そして、何度も読み返した。だが間違いなく、そう書かれている。ここで、私はありえないはずだと頭では理解していながらも、他人が撮った絵が、自分のネガに転移しているのだと合点した。
そんな思いに至ったのも、どこかで写真の少女に逢えるかもしれないという非現実な思いがあったのだろう、私は手紙を書いてシャッターを切った。
それから不思議な文通が始まった。風景カメラマンが風景も撮らずに手紙を撮るという、珍妙な日が続いた。そして彼女はどうやら広島の人だという事が分かった。文通が続く中で、私は完全に魅かれてしまっていた。
私は勇気を振り絞って『ぜひ広島に行きます。なにか目印になる場所の写真をください』という内容の手紙を撮った。もしかしたらこれで、嫌われるかもしれない。いや、そもそも好意以前に向こうも単なる気まぐれで続けているだけなのかもしれない。私は少なからず自己嫌悪に陥った。
が、返事は色よかった。『ぜひ、いらしてください。産業奨励館で会いましょう』
私は年甲斐もなく喜び、場所をインターネットで検索する。しかし、その場所へは決して行けない事実に慄いた。
今まで、現像した彼女の写真を徹底的に調べた。最後に撮った写真には明らかに暦が写っていたのだ。
『昭和二十年八月四日』
私は悶え、苦しんだ。どうしたら、何をしたら……。私はこの先起きる出来事を知っている。
しかし、手段は一択だ。
私のいる戦後の世界。八月六日に起きる不幸。そして出来るだけ遠くに逃げること。遠くに逃げれないのなら、閃光を避けることができる、市内の反対側になる比治山、もしくは金剛山に逃げること。持てる情報の全てを書いてシャッターを切り続けた。
そして最後に、
『私は、貴方に逢いたい。だから絶対死なないで。生きてほしい。
令和〇年八月六日に逢いましょう。産業奨励館で待ってます』
しかし、その後、手紙は一切現像されなかった。カメラも撮ったままの絵だった。
「花蓮ちゃん……だっけ。普通は、こんな話信じないよね」
花蓮は大きく伸びをしながら言う。
「まあ、普通は、ね。でも……」
花蓮は私に古くくたびれたお守りを渡した。眼で開けろと促す。
開けてみると、最後に送った私の手紙の印画紙が折られて入っていた。
「たまたま、被爆を逃れたおばあちゃんが、ね。ずぅーと肌身離さず持ってたみたいでェ、今回あたしに託されたってわけ」
花蓮は立ち上がりくるくる回りながら微笑む。しかし、私はその微笑みを違った解釈として受け取り項垂れた。
「そっか、舞姫ちゃんは、もう……」
キョトンとする花蓮。そして私の意図に気づくと、満面の笑みで笑い出した。
「そーいうことを気にしたのねッ! 安心して、おばあちゃんは、まだピンピンしてるよ」
花蓮は私の手を取り、走り出す。
「ふふふ。悪いけど、少し試してた。あたしも相原さんのこと気に入ったわ。だから、おばあちゃんのところへ連れて行ってあげる」
すでに日が傾き、天守の長い影に別れを告げる間もなく、私は花蓮とともにお城を後にするのだった。
原爆の恐怖と、投下後の数十年に渡る不条理な生活。
戦後生まれの私が題材として描くことは大変憚れます。
しかし、記録や史実の是非ではなく、当時の記憶や人々を忘れたくない、そして忘れないでほしい……そんな思いで書きました。
この作品は『歴めろ。』の本編に番外編として掲載していましたが、本編再開に伴いまして短編といたしました次第です。