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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第二幕・憎き再会と不思議な赤い糸~
8/34

WELCOME!歓迎と祭の都へ

【1】

真昼の太陽がサンサシティ上空をジリジリと照らす。

地上は気温がそれなりに上がって熱いが人々は休まずに路上を歩いている。

明後日からこの街では大きなイベントを控えており、その余波でいつも以上に人が集まっていた。

―時の踊り子エルザ・フィーニーの舞踊公演。

一目見ようと追っかけのファンもゾロゾロ集結していた。


しかしそれとは裏腹に彼女が宿泊しているホテルでは異様な雰囲気になっていた。

肝心の主役がリハーサルを放棄して行方不明になっていたのだ。

主催者はパニックになり、ホテルを始め街中を大捜索したが見つからない。

「もうこうなったら警察呼ぶしか…。」

「馬鹿!警察呼んだら公演がパーになるだろ!金も貰えないんだぞ!」

取り締まりを務めるイベント会社の社長が叫ぶように怒鳴る。


エルザの公演チケットは高額でその分自分らのギャラとして払われてくる。

だが最近はミステシアの奇襲が原因で客が集まらなくなり、チケットも完売しなくなっているので報酬も激減していたからだ。

このまま中止になったら大赤字になってしまう。

若い社員がしどろもどろになっていたらホテルの正面玄関から誰か走ってきた。

「オ~イ、エルザが戻ってきたぞ!」

「何!?本当か!?」


後に続くようにハンチングを被った銀髪の美女がスタスタと何事も無かったかのように歩いてくる。

「おいフィーニー!何処ほっつき歩いてたんだ!」

「そうだぞ!俺ら引っ掻き回しやがって!」

社長と社長の腰巾着らしき数人が説教してくる。

でもエルザはフン、と鼻を鳴らすだけだ。

「気分転換に散歩に行ってただけよ。」

「だからってリハーサルあるの忘れてたのかお前!?いい加減にしやがれ!」


豪華なソファーから勢い良く立ち上がった社長がドスドスと前に出る。

そしてほっそりした腕を掴んだ。

「フィーニー、フリーだからって自由になんでも出来ると思ってるのか~?」

「…。」

「所詮お前はウチの宣伝材料程度なんだよ。当然お前へのギャラはゼロだ。」

流石にそれは言い過ぎだと数人が止めようとするが社長の威圧に何も言えない。

「おっと、逃げるなんて考えない事だな。お前は明日から監視下に入れるからな、もうバッくれるのは諦めるんだな。」


短い説教を受けてエルザはやっと自分の部屋に戻れた。

クローゼットを開けると明日から着る舞台用のドレスが吊るされていた。

踊り子を始めた時に買って以来、ドレスはこの一着のみ使っている。

《ええい気にしちゃ負けだ。見返してやれば良いだけの話だもの。》

主催者はこんな古着を着るなと言うが自分はこれしか身に纏えないと頑固として譲らない。

古くても着れば自分は魅惑の女性に化けられるのだから。


準備を済ませると1人では大きすぎるクイーンサイズのベッドにジャケットと帽子を投げ捨て、冷蔵庫からレモネードのペットボトルを取り出す。

2リットルのボトルをコップに開けずにラッパ飲みしてふと考えた。

《そうだ、渡すの忘れてたな。》

ドレッサーに放り出された自分の舞台のチケット。

数えたら5枚程ある。

しかも最も料金の高い最前列席だ。

《後で抜け出して探してみるか…。》


どうせ売れないからゴミ箱に捨てようと思ってたのでチャンスだとエルザはチケットを鷲掴みにする。

あの3人にプレゼントしてあげようと。

それまでは大人しくしてようとベッドにダイブしてそのまま眠ってしまった。



【2】

一方、エルザを送り届けたケビンらは料金がそこそこのホテルに宿を取っていた。

ジャッキーが稼ぎにいくと提案したが少しでも節約しといた方が良いとケビンに止められた。

「旦那、お姉ちゃん今頃説教されてるかな?」

「かもな。リハーサルなんてうっかり忘れてた程度の問題じゃないしな。」


部屋のテーブルには街の屋台で購入したフライドチキンの袋が転がっている。

既にチキンを1ダース中3個平らげてケビンはソファーにもたれ掛かる。

口回りの油をナプキンで拭きながらその視線は相棒の足元、赤いコートの裾を掴んで窓の景色を眺める少女を凝視している。

街に到着してから何故かマナは自分を避けているように見えたからだ。

「ジャッキー、夕飯どうする?折角だし何処か食べに行くか?」


何か美味しい物でも奢れば機嫌も良くなるだろうとケビンは提案する。

「俺様は構わないよ。姫は?」

小柄な頭を叩くとマナは泣きそうになって俯く。

「姫…?」

聞こえていないのか、マナは床をジッと見続ける。

「ひーめー!」

横からの大声にマナはわわわと慌てる。

その拍子に手に握っていた物が床に落ちた。

兎の刺繍が縫われたシルクのハンカチ。

街に到着してエルザが別れ際にプレゼントしてくれたものだ。

「どうしたんだよ姫?さっきからボーッとして。」

「え?あ、あのね…。」


しどろもどろにハンカチを拾おうとしたらケビンがいつの間にかしゃがんで目当ての物を渡してくれた。

「なぁマナ、俺何か悪い事したか?」

新しい質問にマナは表情が暗くなる。

「旦那?」

「お前ホテル入る前から俺に一切口聞いてないだろ。なんかやったなら謝るからさ、話してくれないか?」

ケビンは怒らずに優しく促す。

するとマナも気が緩められたのか、ポツリと呟いた。

「ケビン…あのね…。」

「うん。」

「…ケビンがママと話してる時ね…マナ凄く羨ましかったの。やっぱりママみたいな奇麗な人が好きなのかなって…。」


握っていたハンカチがグシャリとしわくちゃになる。

まだ会って間もないのにマナは何故か寂しさを募らせていた。

―自分よりエルザはずっと美人で、優しくて、なにより自分より強い。

それなら惚れるのも無理はないと感じていた。

「マナは小さいし…綺麗じゃないし…弱いし…だからママといる方が楽しいのかなって…。」

ハンカチを握る手が震え、鼻の奥や目元が熱くなって潤んでくる。

端から見ればなんともくだらない…馬鹿みたいな言い訳にしか聞こえないだろう。

そんな理由で寂しくなるなんて餓鬼っぽいと嘲笑われるとまで思っていた。


胸がモヤモヤしてどう表現したら良いのか分からない。

次に言う言葉が浮かばなくて迷っていた時だ。

「なぁ姫…。」

今まで無言を貫いていたジャッキーがマナを背後から抱き締める。

「もしかして…旦那に嫉妬してたのか?」

「しっと…?」

「ママに旦那を一人占めされてヤキモチ焼いてたんだろ?ん?」

マシュマロみたいな頬を突くとマナは真っ赤になってそっぽを向いた。

「その様子だと本当みたいだな。」

「マジ?お前エルザに嫉妬してたの?」

マナは何も答えない。

自分が勝手にエルザに対抗心をむき出しにしてたなんて飽きられるだけだと。


しかし両側を挟むイケメン2人はプフッと吹き出して笑った。

「なんだよ~おい、お前可愛いなぁ~!」

「姫に嫉妬されるなんて旦那も幸せ者じゃん、俺様にもヤキモチ焼いて欲しいぜ~!」

予想とは裏腹に2人は笑いながらマナをギュウギュウと抱き締める。

「むぎゅう…く、苦しいって…。」

マナが悲鳴を上げると少し力を緩めてケビンは頭を撫でる。

「ゴメンな、お前が寂しいだなんて気付かなくてさ。俺も見惚れてばっかで悪かったよ。」



【3】

満面の笑みを浮かべるケビンに対してマナは泣きそうな顔で呟く。

「…ケビン怒らないの?」

「おいおい、悪い事じゃないだろ。寧ろ嬉しいんだよ。それだけお前が俺を好きだってな。」

ハンカチを持つ小さな手を2回りも大きな掌が包む。

「確かにエルザは良い奴だよ。俺も惚れてしまう程にな。でもそれと同じ位に俺はマナの事も好きなんだ。」

「…本当…?」

「本気だ。お前といると気持ちが落ち着くんだ。それでどんなに辛くても…頑張ろうって奮い立たせられるんだ。」


笑いながらも真剣な瞳を見据えてマナの視界が潤む。

―自分は見捨てられて無かった。

ケビンは自分を求めていると。

「それに約束したろ?何があってもお前を守るって。お前のお父さんとお母さん…絶対に見つけてやるってさ。だからマナは…今までと同じで俺の側に居てくれ。それで充分だからな。」

サラサラの髪の毛を大きな手が何度も撫でる。

驚く程に熱くて…優しい手付きにマナの目元に雫が溜まってくる。

「…グスン…ごめんなさい…。」


それが我慢の限界だった。

心臓に刺さった針が抜けて空気が抜けるように涙が溢れてくる。

見かねたジャッキーがよしよしと頭を撫でて慰めている。

「憎いねぇ旦那、自分より20も年下の子供泣かせるなんてさ。」

「変な事言うな馬鹿。」

返答しながらもケビンの表情は少し心残りがある。

マナが自分に嫉妬するなど初めてだ。

同じ位に自分もあの美女の虜になりそうだと。

「でも俺様も姫と同じ気持ちだな。お姉ちゃんと2人でいる時の旦那ってなんかヘタレっぽいっていうか…少し意気地が無いように見えるんだ。そんなに魅力的なのか?」


嘘、と言えばそうではない。

実際自分は本当に惚れてしまいそうだ。

その証拠にとケビンはペンダントをシャツの内側から引っ張る。

「…馬鹿馬鹿しいかも知れないけどな…マリアと面影が似てるんだよアイツ。」

その一言に相棒は思わずケビンを2度見する。

初めて聞く名前だがそれが誰なのかは直ぐに察しが付いた。

「マリアって…死んだ奥さんか?」

ギュウウと握る力の強さでそうだと確信出来る。

「まさか彼女と姉妹…って事無いよな?」

「…それならあの時点で分かってた筈だ。でもマリアも少し意地っぱりな所あったから余計に似てるんだよ。」


目を閉じると脳内にマリアの笑顔が浮かんでくる。

―優しくて上品で夫思いな妻。

自分の生きる糧でもあった大切な人。


―あの日、満身創痍になりながらもマリアは自分に手を伸ばしていた。

その手を自分は結局握れなかった。

それが今も心に残っている。

「俺は女に興味を持てなくなったんだ。付き合ってもやっぱりマリアと見比べると思ってさ。でもエルザはなんだか…マリアと似てて放っておけなくてよ。」

「それで戸惑った訳か。アンタ本当に女には弱いんだな。」

茶化すような答えたがケビンは腹が立たないのを感じた。

これはジャッキー成りの励ましだと。

「でも俺様も旦那の立場だったら見過ごせないな。女は兎と同じで寂しいと死んじゃうからな。」

「…なんだその例えは?」


だからこのハンカチを持っているのかと言う位の言葉に既にケビンは飽きれ半分で答えていた。

「おっと、宣言しとくけど横取りするような真似はしないからな。向こうも旦那が好きなら…自然と手を引くスタンスなんでね。」

「そうか、案外紳士だなお前って。」

変な慰めと励ましだがケビンは嬉しかった。

今まで何も持たずに生きてきた自分に自然に寄り添う存在。

その心地よさがこんなにも素敵だなんて思わなかったからだ。

「…ねぇ旦那。」

「ん?」

「俺彼女の事見過ごせ無いよ。だから背中押してあげたいんだ。旦那もそうするよね。」


当然だとばかりにケビンは頷く。

寂しそうに人を見るあの目は自分も気になっているからだ。

「なら決まりだな。次にもし会えたら言ってあげな。俺らで良ければ力になるって。」

果たしてそんな都合良く物事が進むだろうか。

そんな心配をしながらケビンはチラリと下を見る。

マナはまだジャッキーの腰回りにしがみついてぐずっており、よしよしと慰められていた。

《嫉妬してたなんて聞いたら多分アイツも笑う筈だ。それだけ好かれてるって気持ちをぶつけてやらないとな。》

人知れず心に誓いながら眩しい光を遮断するようにカーテンを閉じていった。



【4】

お昼を少し過ぎた頃。

ホテルがチェックインのピークを迎え、路上を歩く観光客が減っていく時間帯にエルザはホテルを抜け出していた。

勿論正体がバレないように変装してだ。

上着のポケットにはケビン達に渡すと決めた舞台公演のチケットが入っている。

キョロキョロと辺りを見ながらエルザは路地裏に入っていく。


3人が宿泊しているホテルの場所や名前が分からないので取り合えず手探りで捜索するしかなかった。

それに外に出ている可能性もあるので運が良いなら会えるかもしれないとも。

路地裏は昼でも薄暗く、生ゴミを漁る野良猫が数匹走って逃げる。

観光地でも治安が悪いのがハッキリしていた。

《なんだかジメジメするな…それに変な臭いもするし。》


ジャリジャリとパンプスの靴底でガラス瓶の破片を踏みながらエルザはゆっくりと路地を歩く。

するとドンッと何かぶつかった。

「あ、ごめんなさい…」

「オォ!痛いだろうがボケ!」

ヨレヨレの服装と帽子の中年男が担架を切ってきた。

半開きの口からは微かにアルコールの臭いがする。

《やぁねぇ…こんな昼間から酔っ払って。》

「何処見て歩いてンだテメー!舐めてんのかぁ!」


男は普通の酔っ払いでは無さそうだ。

多少の恐怖感を抱きながらエルザは立ち去ろうとする。

「私は断じて普通よ。昼間からお酒なんて飲むソッチこそ舐めてるんじゃないの?」

「ンだとテメー!女だからっていい気になりやがって!」

酔っ払いは手にしていたビール瓶を側のゴミ箱に押し付けて叩き割った。

半分の長さになった瓶は花弁のように割れた箇所が尖った鋭利な武器になる。

「どうやら口で言っても分からないようね。上等じゃないの。」


―相手はあくまでも一般人。

怪我を負わせたくないが仕方無い。

腰を屈めて武器を取り出そうとしたエルザは直ぐに異変に気付く。

《あ、あれ?》

腰のホルスターはカバーが閉じているだけで中身がカラッポだ。

《ヤッバ!そういえば部屋に置きっぱなしだったんだ!》

そう、舞台道具の鉄扇をドレッサーの上に置いて外出していたのだ。

この街は人混みが多いからチンピラに絡まれたりはしないだろうという気持ちが仇になってしまった。


そうしている隙に酔っ払いが飛び掛かってきた。

その拍子に被ってたハンチング帽が地面にバウンドする。

「ヘッヘ、良い体してんな。」

片方の手が首を締め、反対の手が凶器を構える。

「ウゥ、ググ…。」

エルザは振り払おうとするが握力の強さに白旗を上げる。

躍りで足腰は人並み鍛えられているが腕力はか弱い女性と大差無かった。

「うぎゃぎゃ!これでも喰らえ!」



【5】

猿のような笑いを立てながらガラスの凶器が自分の顔面目掛けて振り落とされる。

…と思っていた。

しかし現実とは裏腹に酔っ払いの手をその背後から誰かが掴んでいた。

「そこまでにしなオッサン。今のは完全に婦女暴行だぜ。」

「あぁ!?」


邪魔をするなと振り返った酔っ払いは2秒で泡を吹いて倒れた。

青年の背後―翼を広げた不死鳥を見て悶絶したからだ。

その隙にケビンはエルザの手を取って立ち上がらせる。

「大丈夫か?」

「えぇ、ありがとう…。」

握られた手は天日干しした布団のように温かい。

さっきまで感じてた恐怖が抜けるようだ。

「一旦出るぞ。また絡まれると大変だからな。」


2人は急ぎ足で路地裏から大通りへと出た。

自分が入ってきた横道の前にはマナとジャッキーが立っていた。

「よぉ旦那、早かったな。」

「…ちょっと威嚇したら簡単にノックアウトしたよ。あんなチンケな男は焼き払っても畑の肥料にすらならないからな。」

人が決して通らない道を改めて見てエルザはケビンに尋ねた。

「…なんでここにいるって分かったの?」

「この路地の前で微かだが香水の香りがしたんだ。お前がマナに預けたハンカチも同じ香りがしたからまさかと思ってな。」


え?と思いながらエルザは自分の腕に鼻を近付ける。

ホテルを出る前にシャワーを浴びてその後香水は付けてないのに…。

恐ろしい嗅覚だと背筋が震えた。

「それで…こんな物騒な所に何の用だ?」

「…。」

「ただの散歩ってレベルでも無いだろ?何しに来た?」

見上げた先にある赤い瞳は暗くて恐い。

観念したようにエルザは拾ったハンチングを胸の前で握る。

「…逃げてきたの。」


出されたのはなんとも単純な答え。

そのか細い声を聞き取ってケビンは納得する。

リハーサルをサボったのもこの心情を表す為だと。

「…私さ、アンタらが想像するような人生送ってないの。華やかできらびやかで…欲しい物は何でも手に入れられる奴だって思ってるでしょ?でも違うの。」

その場の空気がシーンと静まり返る。

地面にしゃがんだエルザにマナはそっとハンカチを返却する。

「私が踊り子やってるのは金稼ぎの為じゃないよ。ミステシアの存在があるからなの。いつ命を奪われるか分からない、そう感じて暮らす人達を励ましたいと思ったからなの。」


今まで貯め込んでた悔しさが滲み出てきてハンカチで涙を拭う。

「最初は上手くいってたんだよ結構。何も貰えなくても自分が成長出来るって思いで頑張ったんだよ。でも金にしか目が無い連中にどんどん付き纏われて…今じゃその日暮らしの客寄せパンダになってるって訳なんさ。」

込み上げる物がパンパンに膨れているのか、口元を押さえて嗚咽を我慢する姿は痛々しくも見えた。

「…馬鹿だよね。今やってる事全部辞めればこんなに苦しい思いしなくても済むのにさ。ホントに私って…爪弾きそのままの人間なんだね。」


ハンカチを握ってエルザは目を真っ赤にさせて顔を上げた。

本当は伝えたくなかった事実を洗い浚い言ってかなり落ち込んでいる。

フリーでこれだけ稼げるのは必ず裏があると誰もが思う。

でもその誰もが美貌と魅力しかない自分を金で買収したイベント主催者の秘策だとは知らなかった。

「…仕事を断ればギャラが無いから食事もロクに食べれないし…宿だって泊まれないの。それでも自分の夢を捨てれないから…従うしかないの。」

「夢…。」

「…うん夢。スラムとかそういう貧しい場所で舞踊会するのが私の夢なの。それでそこに暮らす人達に生きる希望が芽生えたらって…。」


話を区切るとエルザは言いっきた感を見せるように顔を伏せる。

ここまで話すと嘘も混じってるのでは無いかと疑うがケビンはそうではないと確信出来る。

彼女は真剣に自分の職種を全うしてると。

するとふっ切ったようにエルザは腰を上げた。

「何処行く気だ?」

「潔く戻るわ。もう…一生自由になれる事なんてないから。」

左手が自然とポケットに入る。

その中には3枚の紙切れがあった。

でも渡す勇気は沸かず、逆にもう渡す必要はないと無意識に自覚していた。


化けの皮が剥がれた自分の素顔を見せたのだ。

嘘付き女、卑怯者、裏切り者、と捲し立てられる。

そうなる前にここから立ち去ろうと決めていた。

深く帽子を被ってエルザはケビンに背中を見せた。

「…嘘言ってごめんね。でも貴方達に出会えて本当の事も言えてちょっとスッキリしたよ。ありがとう…。」

帽子のつばを引き下げながらエルザの顔が後ろに向かれる。

「…さよなら。貴方に優しくしてもらった事忘れないから。」



【6】

たった一瞬見せたその顔をケビンは見過ごせなかった。

銀髪と同じ位透き通った淡いエメラルドの瞳。

その目が磨かれたように潤っていたのを。

「エルザ!」

逃がさないとばかりにケビンは銀髪の美女を背後から抱き締めた。

「な、なにす…!」

「逃げんなよ馬鹿!自由になりたいなら泣き叫べよ!今戻るなんて自分の夢を捨てるのと同じなんだぞ!」


太い腕が自分の胴体を締め付ける。

かなりの激痛だがあの酔っ払いと違って嫌な気分は感じられない。

それにとても…心地良かった。

「なんで…?私貴方を騙してたのよ!?私は大嘘吐きの卑怯者なのよ!?それなのになんで庇うのよ!?なんで疑わないの!?」

次々と罵声を飛ばすもそれとは裏腹に希望の光が見れたような気がしていた。

―この男は普通ではない。

自分を拝める事も罵倒する事も無い。

寧ろ自分に救いの手を差し伸べていると。

「なんで…なんでなの…よ…。」


革のグローブが頬に張り付いてヒンヤリと冷たい。

その指が溢れる涙を優しく拭いてくれていた。

優しい感触にエルザが顔を向けたまさにその時であった。

「…!!」

録画が停止したようにピタリと2人の動きが止まる。

向けられた2つの唇が…ピッタリとくっ付いていたのだ。

「うわぁ…ってあぁジャック~!」

昔見た絵本と同じラストシーンに感動するマナ。

でもその視界がジャッキーの手で遮られてしまった。

「ダ~メ、姫が見るにはあと10年早いの。」


そう注意するジャッキーの頬も薄ら赤い。

自分はキス所か彼女を作った事など一度も無い。

いつかは自分もこんな場面を体験したいと願っていたが…先を越されたみたいで少々悔しかった。

カサカサと風が2人の足元のゴミを飛ばす音だけが空しく響く。

「…ぷはぁ…。」

ようやく唇が解放されてエルザは口周りの涎をハンカチで拭う。

「な、何考えてるのよ!い、いきなりその…告白もしてない内に…キ、キスす、するなんて…。」

「ウルセーな、女黙らすにはこれが一番手っ取り早いんだよ…。」


興奮するエルザを咎めるケビンも正直驚いていた。

―自分の意識とは裏腹に起こしてしまった行為を。

女性とのキスなんてマリアにしかやった事無い。

それ以外の女性は皆けばくて同一人物にしか見えていない。

もしマリアが生きててこの場面を見られたら…包丁一本さらしに巻いて追いかけ回されてたろう。

「どうして…?どうしてそこまで私を…」

「…お前、本当はこんな生活したくないのに素顔を暴かれるのを恐れてるだろ。それがハッキリ顔に出てるんだよ。」


それより体から離れてほしいという訴えを忘れてエルザは硬い胸元に耳を当てる。

ドクンドクンという血液の温度が鼓膜に響く。

「いつまでも偽物を演じているといつしか本当の自分を見失うんだ。そうなると周りは良くても自分にとっては何の幸せにもならなくなるんだ。」

―人並みの生活を求めて自分は偽りの仮面を被っていた。

でも気付いた時から仮面を外す事は出来なくなっていた。

誰かに見られるのが怖かった。

幸せが逃げるのを恐れていたのだ。

「お前がどんなに苦労してたのかなんて丸見えだ。それでも今の生活が良いなら行ってもいいさ。でもそれなら…俺は潔く消えるけどな。」


背筋がゾクゾクする。

エルザは今まで感じた事の無い寂しさを募らせていた。

それは自分にとって大切な人間が遠ざかるような…冷たい寂しさだ。

「嫌…そんなの嫌…。」

白くて細い指がオレンジのワイシャツを握り締める。

―逃がさない、自分の隣にいてほしい。

言葉にしなくても必死なのはケビンにも伝わっていた。

「お願いケビン…罪滅ぼしならなんでもやるから…だから…お願い…。」

―自分の隣にいて。

―自分の手を握って。


最後まで告げようとしたその言葉はどうしても口に出せなかった。

それを言えば目の前に立つ存在がもっと遠くに行ってしまうと思ったから。

だから心の中で暗示を掛ける程度に収めようと…そう考えていた。

「…アホ。隠すのがヘタクソなんだよお前は。」

必死にシャツを握る手が乱暴に握られる。

思わず上を見れば…視線の先には赤い瞳があった。

その瞳は自分の緑色の瞳と重なって不思議な光を放っていた。

エルザの目の前はその不思議な光に飲み込まれて…チカチカしながら…暗くなっていった…。



【7】

―気が付くとそこは音の無い暗闇だった。

いや、夢を見ている訳では無い。

目の前が真っ暗で何も見えないからだ。

何故か寝苦しくて…瞼が重しを乗せているみたいで開かない。

それでも頭の回線を少しずつ繋いでいきながらなんとか目を開けようとした。

それが脳に届いたのか、徐々に眠気が薄れて目の前が見えてきた。

ボンヤリと見えるのは白い光と黒い人間みたいな影。

自分を覗き込んでるようにも見えて目の焦点を研ぎ澄ませる。


頭の後ろやお尻がゴワゴワしてやっと感じる。

自分が布団に寝かされていると。

瞼に開けと電気信号を送ってゆっくり目を開くと柔らかい香りがした。

「…ママ?」

頬に冷たくて小さな手が触れてきてエルザは顔を向ける。

晴れてきた視界の前には自分に命を救われた少女がいた。

「マナちゃん…ここは?」

「俺らの部屋だ。かなり疲れて爆睡してたみたいだな。」

ギシギシと体を軋ませながら起きるとコーヒーの香りが鼻に付く。

「ひとまずこれ飲んで落ち着きな。」


湯気がゆっくり上るマグカップを渡すのは自分の唇を奪った男だ。

それを受け止めて啜ると舌先がピリッと熱く感じた。

「ケビン…私…どうして?」

「覚えてねぇか?お前俺の顔見て気絶したんだよ。だから運んだんだ。」

辺りを確認すると確かにそこは自分が宿泊しているのとは違うホテルだ。

高級感は皆無だが他に音や声がしないので少し安心出来そうな空間だ。

「…ごめんなさい。余計な事しちゃって。」

「謝るなよ。お前色々抱え込み過ぎてるみたいだし…もっとリラックスしろって。」


ふと見るとベッド脇に置かれた椅子に自分のジャケットと帽子が畳んで乗せてある。

シャツ1枚で剥き出しの腕を擦ったら肌寒く感じてまたコーヒーを啜る。

「よ、お姉ちゃん。お目覚め?」

やっと安堵の域に付いていたら部屋の扉が開いてガサガサとビニール袋を弄る音がした。

「よぉ。フラっと出掛けて何買ってきたんだお前?」

「怒るなよぉ旦那。これ数量限定のクッキーシューなんだぜ。俺様トイレ行くのも我慢して並んでたんだぞ。」

テーブルの上にビニール袋を置くとマナが一番に飛び付いて袋を開ける。

中には白を基調とした厚紙の箱が入っていた。

「お姉ちゃん甘いの好き?」

「えぇ。寧ろ今は凄く甘ったるい物が欲しい気分なの。」


箱の繋ぎ目を外して蓋を開けると焦げ茶色の皮に包まれたシュークリームが4個均等に並べてある。

エルザは飛び付くようにシュークリームを1個持ち上げてかぶりついた。

ザクザクしたクッキーの皮と中のクリームが溶け合って口の中は甘い洪水になる。

片側の手でハンカチを持って口回りを拭きながら塊を飲み込んで息を吐いた。

「…ヤッバ、これ美味し過ぎる。」

「美味し過ぎるって…普通のシュークリームだぞコレ?」

ケビンも食べるがそんなに特別な味では無いので首を傾げてしまう。

「ニブちんだね旦那ぁ~。これ1箱1500円もしたんだよ。どう考えても高級品じゃん。それとも舌が熱すぎて味覚無いの?」


ゲラゲラ笑われてケビンはシュークリームを握り潰そうと思ったが食べ物を粗末には出来ないのでそこは堪える。

凄まじい勢いでシュークリームを平らげた踊り子はハンカチで口を覆って目を閉じていた。

「はぁぁ…生き返るわ。」

「そう?女の子って甘い物食う時が一番幸せだって聞いてたけどホントなんだな。」

ジャッキーが褒められて嬉しいと言わんばかりにアピールし、エルザは笑いながらマナの頬にハンカチを当てる。

「へぇ~。アンタって女の子の心情とか読むの上手いんだね。見直したよ。」

「いえいえ滅相なぁ~。お姉ちゃんに言われるのは勿体無いってぇ~。」


参っちゃうなぁとヘラヘラする相棒にケビンは引き気味になりながらシュークリームを頬張る。

甘いクリームが…やけに苦くてしょっぱく感じていた。

「…でも不思議ね。アンタ達といると悩みとか全然感じないの。アンタらには何か…他の人には無い物があるかもね…ホントに。」

窓の向こうから太陽を見ながらエルザは寂しそうに呟く。

少し間を置きつつ…何かを決めたように振り向いた。

「…ねぇ、この後予定ある?」

「え?」

「この後ってか…今夜付き合える?もしだったら一緒にどっかご飯食べに行かない?」


男2人に見つめられるとエメラルドの目が一段と光っていた。

「マジ?そんな事して大丈夫か?ホテル戻らないとマズいんじゃ…。」

「心配しないで。アタシなんか食事なんて適当にルームサービスで頼めって言われてるの。自腹でね。それだったら誰かと食べる方が楽しいから…。」

溜めていた気持ちを伝えるとケビンが用意してくれたコーヒーで口の中を潤す。

クリームの甘い味が一気に流されて喉に吸い込まれていく。

「俺様は構わないよ。旦那は?」

「…同じだ。」


ぶっきらぼうに答えられるがエルザは安心して笑う。

「そ、なら良かった。あと私財布無いからお代はソッチ持ちね。」

「ヘイヘイ、了解しやしたよ。」

余計な頼みをされるが満更悪くないとケビンはシュー生地の残りを一気に食べ尽くす。

気持ちが落ち着いたのか…今度は甘く感じていた。



【8】

太陽が沈み、美しい月が観光の都を怪しく照らす。

夜になっても人の波が消えないのもサンサシティの見所だ。

飲食店は夕食時のピークを迎えてどこも行列が出来ている。

それは大通りではなく裏道に隠れた魅惑の店にも手が伸ばされていた。

その一端にバーを連想した小さな洒落たレストランがある。

中にはカウンター席の他にテーブル席が四箇所あり、その内の一箇所が埋まっている。

それ以外の客の姿は見えず、ほぼ貸し切りに近い状態になっていた。


カウンター越しからジュージューと肉の焼ける匂いと煙が店内に広がる。

店内に設置されたステレオからは昔ながらのジャズが流れて心が落ち着くようだ。

コック服姿の店主はヒョイヒョイと出来上がった料理を皿に盛って客の元へ運ぶ。

「はいよ、チーズ乗せバーグお待ち。」

鉄板で焼かれた肉厚のハンバーグの上でチーズが水みたいに広がって皿に零れる。

肉とチーズの匂いが混ざって唾液を溢れさせる香りがたまらなかった。

「よっしゃ頂きま~す!」

待ちくたびれた銀髪の美女はフォークを豪快にハンバーグに突き刺す。

女性の一口にしてはかなり大きな一口を頬張る姿勢にイケメン2人は少し引いていた。

「お前そんなの良く食えるな…。」

「結構モデルとかダンサーって体力使うのよ。その分栄養付けるの。」


おいひぃ~と感激する姿は可愛いが食べる姿は少し異常だ。

他の客がいなくて助かったがそうでなかったらドン引きしてただろう。

自分の注文したミートソースパスタとエルザのハンバーグを比べながらケビンはワインを口に含む。

「アンタこそ男ならもっと食べなさいよ。小食女子みたいな真似しないでさ。」

「ヘ~イヘイ。」

受け流す形で忠告されてパスタをフォークで巻きながら溜め息を付く。

「旦那…俺様この人舐めてたよ。これからはお姉ちゃんじゃなくて“姐さん”って呼ぶ事にする。」

「だな。お前にしちゃ良い名前のセンスだ。」


ジャッキーはこの女性には高い敬意が必要だと決めるとテーブル脇のワゴンに手を伸ばす。

その先にある氷入りの寸胴で冷やされたワインのボトルを掴むと3人分のグラスに中身を注いだ。

「あの…姐さん…飲みます?」

「ん?なんでアンタ緊張してるの?」

「…こりゃ前途多難だな。」

スススと出されたワイングラスを不思議そうに持ちながらもエルザは直ぐに口を付けた。

食べっぷりとは反対に飲み方は上品である。

「ぷはぁ~生き返る~。お酒なんて久し振りに飲んだから。」

「そりゃ良かったな。高いラベル頼んで正解だってよジャッキー。」

「…は、はは…そう。」


アルコールも入ってエルザは上機嫌になり、自分のハンバーグを食べ進む。

だが半分まで食べ終わった頃にマナが自分の皿を覗いていると気付くと残りを小さく切り分けてマナの皿に乗せた。

「どうぞ。食べて良いよ。」

「わぁ、ありがとうママ。」

その言葉にあっ、と向こうは顔が真っ赤になる。

どうやらまだこの呼び名に慣れないようだ。

「…ママどうしたの?」

エルザは赤面して何も言えない。

でもそれを見てマナは自分の言葉に警鐘を鳴らしていた。

目の前の踊り子は自分の母親ではない。

にも関わらず自分は好き勝手にママと呼んでいる。

失礼にも程があった。

「…ごめんなさい。やっぱりママって呼ばれるの嫌なんだよね…。」


急に暗くなった様子にエルザは慌てて振り向く。

こんな些細な理由で子供をガッカリさせるのは自分のプライドが許さないからだ。

「そんな事無いわ。マナちゃんは私がお母さんに似てるからそう呼んでいるんでしょ?その位で怒ったりしないから。」

前髪を横に流す白い手をマナは無意識に握る。

自分の母親の手もこれみたいに温かいのかなと思いながら。

「寂しかったらお母さんみたいに思っててくれても良いの。その方が私も少し落ち着くから。ね?」

歌うように伝えるとマナは大きな手を一層強く握る。

「…ママ。」

「なぁに?」

「ギュウギュウ…やって。」


唐突なお題にエルザは一瞬怯むも悩む素振りをしながら笑顔を見せる。

「ダーメ。ここだとお店の人が困るから後でしてあげる。」

ウフフと笑う横顔を見てジャッキーが突然噎せた。

どうやら飲んでいたワインが気管に入ったようだ。

「何してんだお前?あとここで吐くなよ。」

一応背中だけ擦るとジャッキーはゴホゴホ喧しく言いながらトイレへと向かった。

「…あれ大丈夫?」

「気にするな。アイツ女と遊ぶのに慣れてないだけだ。」

世話が焼けると優雅にワインを飲んで呟きながらケビンはふと何かを見つめる。

エルザが上着のポケットに手を入れて神妙に漁っているからだ。

「なんだ?忘れ物でもしたのか?」

「違うわよ。渡したいモノがあってさ…。」


ブツブツ言いながら上着を引っ掻き回していたらジャッキーがトイレから戻ってきた。

そのタイミングであったあったと言いながらエルザは目当ての物を取り出す。

「おいコレって…。」

「色々世話になったお礼。プラス売れ残ったからあげるよ。」

テーブルの空いたスペースに乗せたのは自分が公演する舞台のチケット。

客席はよりによって最前列。

料金も一番高い値段だ。

「良いのかよ姐さん?俺らあんま余裕無いんだけど。」

「お金ならいらないよ。このまま取っといても何れはゴミになるから貰って。」


ケビンは遠慮がちになりながらもじゃあと受け取る。

この場面で拒否するのは一番迷惑だと分かっているからだ。

「悪いな。譲って貰えて。」

「構わないわ。私が出来るのはこれ位だし…。」

肩の荷が降りたように俯くエルザに3人の視線が注がれる。

「どうした?気分悪いのか?」

「そうじゃないの。その…あのね…。」

中々言葉が出ないのを心配してジャッキーが追加のお冷やを奢り、それを飲んで口を開く。

「ケビン達さ…これからどうするの?」

「取り敢えずお前の晴れ姿見たらこの街を出る。俺らはミステシアに因縁付けられてるからな。」


その言葉は満更嘘では無い。

ブルローズの一件で自分等がお尋ね者っぽい扱いにされているのは明白になっているからだ。

だったら襲撃を回避する意味でも直ぐにここを立ち去る必要があった。

「…そう、ならお願い聞いてくれる?」

胸がウズウズするのか、シャツの胸元を握ってエルザは小さく言う。

「明日…朝から舞台のリハーサルあって…でもそれ終われば好きに時間取れるの。だから…買い物付き合ってほしいって…思って…。」

ポツリポツリと呟く顔は泣きそうな程に寂しく感じる。

そこでジャッキーはケビンに振り向いた。

「…だってよ旦那。どうする?」



【9】

カラカラとお冷やの氷が溶けて崩れる音にケビンは溜め息を付く。

エルザは男を騙すして逆手に取る人間ではない。

それに女性からの頼みを断れないのは自分の弱点でもあるのだ。

「分かったよ。だからそんな顔するなって。こっちが不安になるだろ。」

その一言にエルザの表情がパッと明るくなる。

「それと頼み事するにも遠慮とかするな。何かやりたいなら言え。それを拒む程俺も大人じゃなねぇから。」


上から目線に聞こえるがそれがケビンなりの優しさなのをマナとジャッキーは知っている。

少しでもエルザを元気にさせて前向きにさせようとする配慮なのもお見通しだ。

「分かったわ。じゃあ明日…“タイヨウ”ってデパートがこの街にあるけどそこで待ち合わせましょう。昼頃には来れると思うから。」

「勿論さ。」

「それならもうそろそろ帰らないとな。旦那もかなり酔っ払ってるしさ。」

3本目のワインを飲み干した所でジャッキーは相棒の顔が真っ赤になっているのを気遣った。

あまり飲み過ぎて翌日寝坊するのも困るからだ。

「俺勘定するから外で待っててくれ。」

「待てよジャッキー、たまには俺が払うよ。」


コートと同じ紅色の札入れを見せたジャッキーにケビンはここぞとばかりに黒革の財物を取り出す。

「いつもお前に支払いさせても悪いしな。」

「そんな事無いさ。相棒を思い思われる行為はコンビとして当然だろ?俺様の懐は金の鳴る木なんだぜ。」

レジの店員がにこやかに待ってくれている眼前で2人の男は俺が、いや俺様がと揉み合うばかりだ。

こんなんではいつまで経っても店から出られないだろう。

エルザは痺れを切らしてイケメン達の肩を叩いた。

「ハイハイそこまでにして。もう2人で出し合った方が早いんじゃ無いの?」

「「あっ。」」


ここで2人の声が揃った。

そんな効率良い方法を何故思い付かなかったのが逆に不思議だった。

「ちょっと頭捻れば直ぐに済む話でしょ。」

「ま…まぁな。」

「てか姐さん案外鋭いんだな…。」

結局助言通りに男2人は互いに代金を出し合った。

店の外に出ると空には金色の満月が浮かんでいる。

「綺麗な月ね。」

「そうだな。この様子だと明日は晴れそうだな。」

その声にエルザはクスリと笑う。

「あら?天気を気にする男も珍しいわね。」

「だって雨降ったら嫌だろ。足元グチャグチャになるし。女の敵だしな。」


皮肉混じりな言葉でも今のエルザには面白可笑しく聞こえた。

悩みを抱える自分を慰めてくれるようにも聞こえたからだ。

店から暫く歩くと橋を渡り、やがて左右に道が別れる一本道へと付いた。

ここから其々のホテルへと向かう。

「じゃあ今日はありがとうね。楽しかったわ。」

「おう。俺様も楽しかったぜ。」

もう恋人気取りな相棒を咎めながらケビンはエルザの髪の毛を撫でる。

「明日はバッくれるなよ。」

「ハイハイ、アンタも寝坊しないでね。」


端から見たら2人の会話はおしどり夫婦そのままだ。

これで互いに自覚していればもっと発展しているだろう。

エルザは最後にケビンと手を繋ぐマナと目線を合わせた。

「じゃあねマナちゃん、明日待ってるからね。」

でもマナは泣きそうになって下を向いてしまう。

「…どうしたの?」

「…や。」

急にマナの瞳が潤んで繋がれていない方の手で瞼を擦った。

「やだぁ…ママと一緒に居たいよぉ…。」


自分も連れてってとばかりにマナは泣きながら叫ぶ。

離れたくない気持ちはエルザも募っていた。

でも連れて帰れば誘拐だの隠し子だのと大騒ぎになってしまう。

ここは我慢するしかなかった。

「心配しないで。明日また会いに行くから。」

マナと目線が合うようにしゃがむとプニプニと頬を揉んで笑いながら話す。

少しでも彼女の寂しさを取り除くように。

「ママもマナちゃんと居られなくて寂しいの。だから良い子にしてね。出来る?」

泣きながらもコクンと頷く様子に踊り子は両手を前に差し出した。

「おいで、ママがおまじない掛けてあげる。」


ニコニコ笑いなからおいでと催促するとマナは自然とエルザに近寄って優しく抱き締められた。

「大丈夫よ…ママはいつも貴方の隣にいるからね。だから泣かないで。」

子守唄を歌うように囁くエルザに抱かれてマナは不思議な気持ちになっていた。

太陽みたいに暖かくて優しい感触。

それはずっと欲しかった…母親の温もりだ。

マナは親に抱かれた事も名前を呼ばれた事も無い。

忘れられた記憶の彼方にいる実の母親を想像しながら…心地よい空気に包まれていた。

「…マ…マ。」


頭に何か当たった気がする。

自分より大きくて綺麗な白い手。

その手がマナの後ろ頭を愛でるように撫でていた。

「…ママ…ひっく…ママ…。」

マナは心の中で何かが緩んだのか…溜めていた物を溢れ出すように泣いていた。

本当の肉親を思い出したのか?

それとも親の愛情を感じて感激してるのか?

分からないが…マナの中で何かが芽生えようとしているのは確実だ。

「…エルザ、そのまま抱いててくれ。」

見守っていたケビンはジャッキーに合図してマナの空いている背中と頭の上に手を乗せた。

「アンタ達甘やかすの好きだね。」

「違えよ。こうしないとマナがお前から離れないだけだ。」

「あと姐さんも一緒にお持ち帰りするのはちと厳しいからな。」


マナの甘え癖を把握している男達は引き剥がすのを全面にして撫でるのを止めない。

マナの目は3人の大人に見守られながらウトウトし始め、エルザは落とさないようにマナの体を持ち上げてケビンに譲る。

「じゃあ…私行くね。マナちゃんに宜しく伝えて。」

「分かったよ。気を付けてな。」

「ほんじゃお休み~。」

エルザは律儀に頭を下げてその場を離れ、数歩進んだら振り向いてお休みなさいと告げる。

そして自分のホテルがある反対の道へと歩いていってその姿を消えていった。

雲に隠れる事無く浮かぶ月の光は静かに街を覆う。

それはまるで…嵐の前の静けさのようにも見えていた…。

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