結ばれる友情!黄金コンビここに誕生
【1】
寝苦しい夜が明け、日の光が窓から入り込む。
エアコンの風が適度に吹き荒れる部屋でケビンは夢から覚めようとしていた。
筋肉が蝕まれるのを感じつつ身を起こして自分の隣に視線を落とす。
そこには自分より何回りも小柄な少女が顔をこちらに向けて眠っていた。
スースーという寝息が聞こえ、片手が自分を求めるように伸ばされている。
《何処にも行くなってか?心配されなくても分かってるよ。》
可愛い寝相に微笑みながらベッドの反対を向いてケビンは違和感を感じた。
部屋の中が妙に広い。
自分達2人しかいないと肌で感じられた。
「…ジャッキー?」
マナが起きないようにベッドから降りるとケビンはソファーを確認した。
革張りのソファーの上には厚手の毛布が畳んで置かれてある。
この部屋のベッドは1台のみ、でもキングサイズなので3人でも楽々寝られるタイプの物だ。
しかしジャッキーは「広々としてる方が姫も寝やすくなる」と言って自分はソファーで寝起きしていた。
そのソファーを見たがもぬけの殻、コート掛けに吊るしてあった上着と帽子も無い。
本当に居なかった。
更に見回していたらケビンは何かを見つけたのか、ソファーの真横に放置された配膳ワゴンまで向かう。
積み上げた皿とクロッシュの間にメモが残されてた。
風で飛ばないように四つ折りにし、スロット用のコインを文鎮代わりにする気配りまでされてる。
コインを退けてメモを開くとボールペンで本人とは思えない丁寧な文章が書かれている。
《旦那へ。
突然書き置きなんかして悪い。店の方で少しトラブルが起きたから様子見てくる。心配しなくても夜には戻ってくる。それよりも姫の傍から離れないでなるべく隣にいてやれ。俺様なら大丈夫だから。信じてくれ。》
一方的に主張するような文面にケビンはやれやれとメモを持ってベッドに腰掛ける。
自分をお払い箱にでもするような言葉になんだか気分が悪くなってきた。
「アイツ…。」
このイライラをどうすればいいか迷うも折角の助言を無駄には出来ずとケビンはメモを閉じた。
取り敢えず朝シャンでもして気持ちを切り替えようとしたら後ろから泣き声がした。
「…マナ?」
振り向くと横になった姿勢で泣きべそを掻くマナがいてケビンはそっと抱き締めた。
「どうした?恐い夢見たか?」
安心させるように囁くとマナは泣きながら目元を擦った。
「…。」
「ん?」
「ジャックが…ジャックが死んじゃうよ…。」
充血した水晶の瞳が訴えた。
それを聞いたケビンは心臓の鼓動が早くなるのを感じ、後ろ頭に添えた手に力を込める。
「大丈夫だよマナ。ジャッキーは絶対戻ってくるからな。」
背中を擦りながら慰めていたら部屋の扉が控えめにノックされた。
「すいません~開けてもらって宜しいでしょうか?」
ケビンは一息付くとマナから離れて扉を開けた。
廊下には黒スーツのホテルマンがいておはようございますとお辞儀する。
「朝早くにすいません、ワゴンの方下げさせて貰いますので。」
「あぁ、アレか。」
こんなご丁寧なルームサービスを悪用してると思ってケビンは少しばかり羨ましかった。
そして今しか聞けないと考えて退室間近のホテルマンを引き留めた。
「なぁ、ジャッキー見なかったか?」
「ウェルパ様ですか?あの人なら朝早くにホテルを出られまして…」
「何時頃だ?見たのか?」
ネクタイを引っ張りながら脅すとホテルマンは怯えずにえ~と、と言いながら横を向く。
「自分は当直と交代に入りに行こうとした時ですので…6時過ぎですね。でもなんか険しい顔してて…声掛けられなかったんです。」
ケビンは直ぐにベッドの上にある時計を確認する。
現在の時刻は朝の7時半。
ジャッキーが本当にホテルを出たなら既に1時間が経過している。
「あの…ウェルパ様に何か?」
自分の事を気遣ってるのか、小声で質問する従業員にケビンは振り向く。
「…心配ねぇよ。俺が探してくるからアンタは自分の仕事に戻ってくれ。」
「あ、ありがとうございます…。」
ガラガラとキャスターの引き摺る音が外に消えてケビンは溜め息を付いた。
「あの野郎…手間掛けさせやがって。」
ムカムカが収まらないのを意識しつつ、コート掛けに吊るしたワイシャツとブレザーを鷲掴みにする。
するとマナが起き上がりベッドの上でしゃがみながらコッチを見ているのを悟った。
「マナ、少し急用出来たから出掛けるぞ。着替えな。」
「…。」
「…どうした?」
寝癖の付いた黒髪の奥の目が潤み、誤魔化すように寝間着の袖で隠す。
「…ジャック何処行ったの?」
「分からねぇ。探すしかねぇだろ。」
普通の人間なら書き置きの通りに大人しく待つと判断するだろう。
でもケビンは違った。
自分から探して説教しようとまで既に考えていた。
《…ったく世話の掛ける奴だ。》
ブレザーの袖に腕を通しながらケビンは窓の景色を睨む。
外は快晴だが…心のモヤモヤが晴れる事は無かった。
【2】
ホテルのフロントがチェックアウトの準備に勤しむ頃、ケビンはマナを連れてホテルの外に出ていた。
従業員に聞いた所、ジャッキーが出掛けるのを数人が目撃していた。
行き先は分からないと返答されたがケビンには心当たりがあった。
ジャッキーが出入りする場所は絞れば限られていると。
その勘を信じてケビンは根城とも言うべきカジノ…《フォーチュン》に足を運んだ。
「よう、兄ちゃん。こんな朝からどうした?悪いが今は改装工事で休業してんだ。」
顔見知りのスカジャン男が現れ、ケビンは例の書き置きを見せた。
「ジャッキー来てないか?ちょっと話がしたいんだけど。」
「え?あ、その…。」
メモを見た男は急に不安な顔になり、ケビンは見逃さずに中に入ろうとした。
「ちょ兄ちゃん待てって!」
「おいジャッキー!居るんならさっさと出てこい!このフラグ野郎が!」
唐突な怒鳴り声に中の人間全員が震え上がり、出迎えの男が慌てて押さえ付ける。
「兄ちゃん落ち着け!ちゃんと話してやっから!」
男は肩で息をしながらケビンを向かい合わせ、深刻な顔で口を開いた。
「ジャッキーなら…もう居ないよ。一仕事あるからって出掛けたんだ。」
「…何処だ?」
「…アジトだよ。ブルローズの。」
段々小さくなっていったその声にマナが怯え、ケビンは頭を支えて自分に密着させる。
「…なんでそんな所に?残党狩りか?」
男は足元を見て俯き、少し間を置いて口を開く。
「…実は…兄ちゃんらが戻ってきてから店の辺りでスーツの男が彷徨くようになったんだ。それも1人じゃない。何人も見かけたんだ。」
店の入り口が開けられ、中の人間も続々と外に出てくる。
「連中…最初こそはなんかヒソヒソしながら俺らの姿を見て去っていくだけだった。でも一昨日あたりから急に拳銃撃ったり石投げ込んだりするようになってな。流石にヤバくなって…それでジャッキーにも教えようと手紙をホテルに届けたんだ。」
「手紙…あれがそうだったのか。」
昨夜、ホテルマンが夜食と一緒に届けてくれたメモ。
ジャッキーはゴミだと言って隠してたがそれなら辻褄が合った。
「で…ジャッキーに話したら連中…アジト潰されて金まで奪われて躍起立ってる筈だって言われて。だから俺が話付けてくるって…店の金持って…。」
「店の金…?あの金まだ残ってたのか?」
アジトの金庫に保管されていた大量の現金。
自分は持ち出しただけで後の管理がどうなってたかは知らない。
てっきり使い果たしたと思っていた。
「大半は工事費用にしたんだけどまだ余裕があって…それでウチみたいな遊技場がある場所に戻そうって事で寄付したんだよ。匿名でな。どれもジャッキーが考えてくれたんだ。」
「フッ…アイツらしい。」
如何にも彼がやりそうな事だと感心していたら男はまた顔を暗くさせた。
「だけど無茶だ。金でどうこうなる程マフィアの連中は甘くない。でも俺らにはマトモな武器が無いから…金で解決するしか無いって。」
そこまで聞くとケビンも同情せざるを得ないと判断出来た。
金なんか出さなくてもぶちのめせば済むのに…しなかったのは自分の行動で店に危害が及ぶと思ったのだろう。
「…連中はあのアジトに屯してるのか?主犯格みたいな奴は?」
「いるぜ。“サディペラーのルーク”。ブルローズのNo.2の立場にいる手強い男だ。」
ケビンはアジトでの激戦を振り返る。
あそこで迎え撃ったのはボスのワンダと子分が大勢。
そのルークという男にはまだ会っていなかった。
「俺とジャッキーがアジト潰した時にはそんな奴見なかったぞ。」
「あぁ。実はあの時、ルークは海外にいたんだ。外国の裏カジノで儲け尽くしてくるってな。」
そうなればどんな現実を見たのかは予想出来る。
組織への献上金を手土産に帰ったら家は無くなり、親分も子分も全滅していた。
普通で居られる筈など無かった。
「ルークはボスをとても慕っていた。ボスからも一目置かれてたんだ。それだけ…復讐の為なら何でもする男なんだ…アイツは。」
「…成程な。それだけ敵に回すと厄介な男って訳か。」
ケビンはそこで一区切り付けるようにマナの背中に手を添え、差し出すように前進させた。
「すまねぇオッサン。少し出掛けてくるから…戻るまでこの子預かってくれねぇか?」
マナと男の顔が同時に驚きに変わる。
「え?出掛けるって…兄ちゃん…。」
「心配するな。俺もジャッキーも絶対に生きて帰ってくる。そっちに賭けてくれりゃこんなに頼もしい事は無いからな。」
じゃあなと立ち去ろうとしたら急に足が前に出なくなった。
見下ろすとマナが抱き付いていた。
「ケビン嫌だぁ…マナも一緒がいい…。」
顔をグリグリさせてくるマナの頭に手が乗せられる。
「駄目だ。危ないからお前は待ってろ。」
こればっかりは流石のケビンでも許せなかった。
何より自分にはマナを守れなかった前科がある。
同じミスはしたくないのが本音だ。
「マナ、お願いだから待っててくれるか?絶対に戻るから。」
「…ぜったい?ホント?」
自分の目に潤んだ大きな瞳が映る。
微かにピンク色にも見えるその瞳を納めるケビンは目を閉じてしゃがんだ。
「俺が今まで約束破った事あるか?」
マナは無言で首を振り、優しく髪の毛を撫でられる。
「だろ?だから良い子にしててくれよ。」
ウンと頷くと泣きそうになってたので背中に両手を回して引き寄せた。
「絶対帰るからな。ジャッキーと二人でな。」
「絶対…絶対だよ…。」
「あぁ。分かってる。」
後ろの人間も泣きながら見守ってたのでケビンは険しい顔になると頭を下げた。
「じゃあ…お願いします。」
「あぁ任せろ!兄ちゃんも死ぬんじゃねぇぞ!」
男は泣きながら自分の肩を揺さぶり、ケビンは振り払うようにその場から走った。
アジトの居場所は頭の片隅に記憶してある。
迷う事は無いと自分の勘を信じて彼は急いだ。
一番…失ってはいけない人間の居る場所へと。
【3】
街を抜け、深い森を切り開いた一等地がある。
その土地には森には相応しくない大きな屋敷が建てられていた。
こじ開けられた入り口には黄色いテープが張り巡らせている。
でもそのテープは真ん中から寸断され、切れ端がブラブラと揺れている。
既に警察の捜索が終わり、無人と化した屋敷。
寸断されたテープはその無人の屋敷に人が出入りしているのを表現していた。
割れた窓から射し込む日光が埃まみれの廊下を明るく照らし、ガラスの破片や散らばったゴミが無残に捨てられているのを写す。
誰もいない筈だと思う屋敷の奥からはコツコツと靴音が聞こえた。
電源の切れた真っ黒いディスプレイが配置されたモニタールーム。
何も映らない画面を眺める人影があった。
革張り椅子に腰掛け、持参したワインをグラスに注ぐ。
八分目まで赤い液体が入ったグラスを持とうとしたら部屋のドアが開いた。
「た、大変です!カシラ!」
グラスのワインがチャプリと波打つ。
「…なんだ?」
「ウェルパがココに来て…カシラと話がしたいって…!」
その下っ端はハァハァと息切れしている。
危険を察したのか、それとも部屋の男にこの場から逃げるように伝えたいのか。
それは分からなかった。
「構わん。通してやれ。」
「えっ!?でもカシラぁ!?」
どうしてと続けようとした男はゴフッと呻いて前のめりに倒れた。
椅子の男は部下には目もくれず、手元のワインを一口飲んだ。
倒れた部下の背後、そこには一番会いたくない男が立っていた。
「ご無沙汰してますねカシラ、会いに来ましたよ。」
雷気の切れた部屋をライターの火が小さなランプになって照らす。
ライターの火の向こうには静かにほくそ笑む帽子の男がいた。
自分の目の前にいる人間はワインを飲み干して目を閉じる。
よく見ると右の瞼には斜め上から切られた傷痕があった。
「…お前知ってるか?人間って奴は虫の居所が悪いと酒を不味いって感じるんだ。」
グラスを置き、男は足を組んだ。
「へぇ~、じゃあ今日の酒は一段とクソ不味いって事ですか?」
「あぁ、お前のせいでな。」
喜べない褒め言葉を聞かされたジャッキーは顔を変えないで足を進めた。
そして手にしたアタッシュケースを間近に置き、蓋を開けた。
中身を確認したルークは組んだ手の指を曲げる。
「テメー…どういうつもりだ?」
ケースに入っていたのは札束が3個と膨らんだ小さな巾着袋。
この僅かな金をジャッキーは大事に運んできたのだ。
「どういうつもりって…見て分からねぇのか?アンタらのボスから巻き上げた金だよ。」
「…。」
「カシラが無一文で手引かないのは承知の沙汰だ。だからこうして土産代わりに返しに来たんだよ。理解したならそれ持ってこの街から出ていきな。」
ライターの火が消え、煙の臭いが部屋の奥に流れていく。
それを払いながらルークは組んでいた足を床に重く落とす。
「こんなはした金で手を引け?この街から去ってほしいだと?舐めてのんかテメーは!」
蹴るように椅子から立ち上がり、ジャッキーの襟が掴まれた。
反対の手は上着のポケットに突っ込まれている。
「テメーのようなガキがこんな真似してタダで済むと思ってんのか?あ?」
ゆっくりとポケットから拳銃を取り出し、額に銃口が当たる。
ジャッキーは表情を変えずにルークを見つめるだけだ。
「お前…俺がここに帰ってきてどんな事考えてたか知らねぇだろ?」
「…。」
「親父も馬鹿達もパクられて…金も全部無くなって…俺がどんだけ絶望したか理解してねぇだろ?」
ルークの指は拳銃の引き金に掛けられている。
何かあれば直ぐに撃つのが明確になっていた。
「俺はなジャック…今猛烈に虫の居所が悪くてよ。テメーを殺さねぇと気が済まねぇんだ。」
ネチネチと這いつくばるような小言を言われてジャッキーは観念する処かそっぽを向くばかりだ。
彼の耳はこの部屋に人が入る気配を察知して聴覚をそっちに集中させていた。
「ハッ、安心しろ。お前の亡骸はバラバラにして街中に降らしてやるさ。二度と俺らに反抗しない為の見せしめとしてな。」
【4】
銃の引き金が段々絞られていくのが見えていないのか、ジャッキーは怯えもせずにルークに笑っていた。
そして死に様を見届けようとモニタールームにはバタバタと下っ端が集まっていた。
彼らはルークの護衛で共に渡米しており、襲撃から免れていた残党達だ。
「カシラ!一思いに脳ミソぶっ飛ばしてくださいよ!」
「そうですよ!骨も歯もミンチにしないと納得いきませんって!」
のっけから恐ろしいワードを連発する子分に静かにしろと怒鳴り、銃口を額から離す。
引き金に指は掛けたまま、その状態でズドンッと鈍い音がした。
「ぐっ!」
瞬間、ジャッキーがその場で崩れ落ちた。
右膝が流血して手で押さえながらだ。
「お前を直ぐに殺すのは勿体ねぇ。手足落としてから楽にしてやるよ。」
本気で言うとは思えないルークの台詞にジャッキーは息苦しくなりながら立とうとする。
「…そうだったな。お前は口で言った所で聞かない行儀の悪いガキだ。なら次はもっと痛がるように加減してやる。」
感情の消えた冷たい声で2発目を撃とうとした時。
「ほげっ!」
「ひでぶっ!」
漫画の悪役が言いそうな台詞を吐きながら下っ端が倒れた。
「おいどうした!?」
「誰かいるのか!?出てきやがれ!」
一斉に武器を取り出して出向かう姿勢を取る下っ端達。
その間をすり抜けるように黒い人影が通過していく。
一切音を立てずに辿り着いた影。
シュボッと小さな物音がしてその場だけボンヤリ明るくなった。
「おいおい、こんな暗い部屋で公開処刑するか?ならもっと人目に付く場所でやるのが普通だろ?」
掌に灯された蝋燭みたいな炎。
それを浮かべるのはジャッキーと同じ若い男。
彼が笑った途端、背後にいる下っ端達は呻き声を上げてバタバタと倒れていった。
「貴様は…。」
「あぁ。アンタの親分を上手に焼いた男さ。」
煽るような一言にルークは拳銃を侵入者に向ける。
「そうか…親父を始末したのはテメーか。」
ジャリッと引きずる音がし、ルークは片足をジャッキーの背中に乗せる。
「これ以上好き勝手して許されると思わない事だな。お前を先に撃ち殺すのも華やかな余興になる。そしたらコイツもじっくり始末してやるさ。」
グリグリと背中を踏みつけられてジャッキーは痛みに耐えられず呻く。
それを見下ろしながらケビンもいつの間にか頂戴した拳銃をルークに向けた。
「止めとけ。そいつは手足もいで脳ミソ撃ち抜いても死なねぇよ。首だけになっても噛み付いてくる…往生際の悪い龍だからな。」
ケビンは銃口を向けたままゆっくりと前進する。
ルークは先に進ませまいと彼の足元に1発を放った。
「黙れ。それ以上進むなら容赦はしない。」
「そ。ならそこから撃てよ。ホラ。」
ケビンは抵抗しないのを見せるようにガチャンと拳銃を床に投げ捨てた。
更に降参のつもりで両手を上げる。
「貴様…何の真似だ?」
「何?俺がここまで頼んでるのに分からねぇの?それともジャッキーは撃てて俺は撃てないつもりか?」
ルークの手がピキピキと鳴り、ジャッキーはその音を聞いて上半身を起こそうとした。
「旦那…よせ…逃げろ…。」
しかし高価な革靴に背中を踏まれてまた床にひれ伏された。
「ガキが…調子に乗るんじゃねぇ!」
バキュンと今までで一番耳が痛くなる銃声が響いた。
ケビンの髪の毛が風圧で舞い上がり、直ぐに下に降ろされる。
着ているブレザーの胸ポケットからは小さくて細い煙が昇っていた。
「…な…何…?」
ルークはワナワナして拳銃を落とした。
自分は確かに心臓目掛けて弾を撃った。
それなのに目の前の男は何もなかったようにケロっとしてるのだ。
「お前…化け物か?」
数歩後退する男を目前にケビンは胸ポケットから何かを取り出した。
「よく刑事ドラマであるよな。胸ポケットにお守り袋や麻雀牌入れてそこに弾丸が当たるのってさ。」
見てくれよとばかりに取り出したのは銃弾が当たってグニャリとひしゃげたコインだ。
それはジャッキーが書き置きと一緒に残していた物だった。
「テ、テメー!」
ふざけた真似をと再度発砲する構えを取った瞬間、ケビンは一歩先に走ってルークを殴り飛ばした。
衝撃で壁を貫通し、壁から壁へと大きな穴が開いた。
だがケビンは追い掛けずに床に倒れたままの相棒を起こす。
「よぉ、生きてるか?」
上半身を起こすとジャッキーはケビンに持たれるように寄り添った。
「旦那…ズルいよ…俺マジで駄目かと思ったんだぞ…。」
「だろうな。俺も一か八かに賭けて仕込んだけど…本当に生き延びるなんてな。我ながら驚いたよ。」
壊れていない壁にジャッキーを寄り掛からせ、血で赤く染まった右膝に手を添える。
「痛むか?」
「…痛いに決まってるだろ?生身の皮膚に鉛玉ブチ込まれて…平気なのが可笑しいんだよ。」
ジャッキーは思い通りに動かない自分の足を見てフッと笑う。
「情けねぇな俺って。こんな無様な姿は旦那には見せたくなかったのに…。」
「だろうな…。お前なら何かやらかしてるって想像してた俺の方が正解だったよ。」
膝を押さえていた手にひしゃげたコインが握られる。
「…旦那、怒ってるよね?」
「…。」
「ゴメン、俺が悪かったよ。でもこれ以上変な厄介事に巻き込みたくないって…それで…。」
何も言わないケビンにジャッキーは帽子を被って目を隠す。
「俺様の事…見損なったろ?でも良いんだ。俺…こうなった以上はアンタに捨てられるって分かるから。だから悔いは無いよ。この体をゴミみたいにバラバラにしてもさ。」
段々と震えてきている自分の声に怯えていたら額に小さな衝撃が走った。
「…馬鹿野郎。誰がゴミにしてくれって言ったんだ?お前みたいな奴は土に埋めても畑の肥料にすらならねぇだろ。」
【5】
目を開くと直ぐ間近にケビンの赤色の瞳が見えた。
さっきの衝撃は自分と彼の額がぶつかった音だった。
「旦那…どうして?」
「どうもこうもねぇ。お前…人に死ぬなよとか言ってる癖して自分は無茶ばっかしてるだろ。そんな水臭い真似するのは…俺が許さねぇ。」
凜とした言葉の裏をジャッキーは知っている。
マナが攫われた時に…自分がこの男に掛けた言葉がそっくり返ってきているのを。
ここにきてジャッキーはケビンが怒っている理由が読めた。
自分の行動を咎めているのではない。
彼を心配するあまりに死に損ない真似をしている自分に対して怒っているんだと。
「俺はなジャッキー、お前に先に死なれたら困るんだよ。なんでだか分かるか?そんな真似したら俺を助ける意味が無くなるからだよ。」
「…。」
「俺を守ろうとしてお前が死んだら…俺が何の為に救われたかが無駄になるんだ。俺を大切にしてくれるのは嬉しいけど…そんな身勝手な真似はしないでほしいんだ。」
ケビンは冷たい目をしてジャッキーの膝の傷に指を入れた。
「…ちょっと我慢しろよ。」
「へ…?おぅぐ!」
蛙が潰れたような悲鳴が響く。
それもその筈だがケビンは膝の傷に指を入れて弾丸を取り出していた。
「イッテーなおい…。」
皮膚をくり抜かれそうな感覚にジャッキーが浸る側でケビンは血に塗れた弾丸を床に置く。
「勝手に生き急ぐんじゃねぇよ。お前が死にに行くなら俺も一緒に行く。それが俺達のやり方じゃないのか?」
「俺達の…やり方…。」
出血が持続して感覚が薄れた右足をケビンは優しく撫でる。
その手付きが繊細で…本当に優しくて…ジャッキーは瞼の奥が熱くなった。
「お前は俺の影になる男だろ?人間は死ぬと影も形も無くなる。俺が死ぬって事は…お前も俺と運命を共にするって意味じゃねぇのか?そうするって誓ったんじゃねぇのか?先に影のお前が消えたら…俺は自然と光を浴びて消えるんだ。でもそうしたら二度とお前に会う事は無いんだ。お前はそれでもいいのか?」
ズバズバと切り捨てるような台詞がジャッキーの心に刃物みたいに突き刺さってくる。
自分が考えていた持論を更に展開させるような口振り。
ジャッキーは一言も介入出来ずにただケビンの言葉を聞いていた。
「…どうなんだお前は?俺が言ってる事が間違ってるなら好き放題言えよ。他人にネチネチされるのは慣れてるんだ。」
血が滲み続ける傷口にハンカチが当てられ、ぐるぐる巻きにされて先っぽをキツく結ばれる。
筋肉も圧迫されるがそれ程痛みは無い。
雑な応急処置だがケビンにとって精一杯の行いなのは自分でも分かる。
「…れは。」
「うん。」
「俺は…旦那の言ってる事が間違いなんて思えねぇよ。俺に何かあったら旦那が小さくなるって…そんなのは分かってるんだ。」
喉の奥から振り絞るようにジャッキーは深呼吸し、ケビンの方を見た。
「旦那の影になるってのも…アンタの力になりたいんだ。旦那…1人にしとくと直ぐに風に飛ばされて消えそうに見える位痛々しいって…。変な例えだけど俺マジなんだよ。俺はアンタの分身みたいな人間になりたいんだ。」
風に飛ばされるなどタンポポの綿毛みたいな例えなのは可笑しいがケビンは口は出さずに次を待つ。
「旦那は俺に命をくれた。進むべき道を教えてくれた。俺はその借りを返したいんだ。どんな形でも良いから…アンタの役に立って死にたいんだ。それが今の俺の夢なんだよ…旦那。」
ジャッキーはゆっくりとコインを握る手を持ち上げる。
それをケビンもしっかりと自分の手で収めた。
「旦那…俺アンタと一緒じゃなきゃ駄目なんだ。だからさ…アンタの隣にいさせてよ。俺…もう旦那の顔見えないと寂しいんだ…。」
大人の癖に泣くのはみっともないと感じながらも涙が出そうな気がして必死に叫ぶ。
ケビンはそんな相棒の首に両手を回してしっかりと支えた。
「無理すんなよ馬鹿。俺だってお前が何よりも必要になってるんだ。だからそんなので自分責めるのは程々にしろよ。」
迷子をあやすようによしよしとジャッキーの頭をケビンは撫でる。
日頃からマナにしてやってるそれは自分にも優しいとジャッキーは肌で感じていた。
《旦那…本当にゴメン…ゴメン…な…。》
それからジャッキーは…大人になって初めて泣いていた。
ケビンの手が自分から離れるまでずっと。
やがて首の後ろがズシリと重くなり、頬を両手で挟まれた。
「ジャッキー…まだ俺らにはやる事があるの忘れてないよな?」
「あぁ…当たり前だろ。」
自分達のやる事。
それはただ1人の男をぶちのめす事だ。
「早く行こうぜ。遅くなるとマナにピーピー泣かれちまうからな。」
「ほう、そりゃあ一大事だな。」
【6】
マナの名前を出すと効果は覿面であり、倒れた下っ端を踏み越えて2人は外に出た。
でも街には引き返さず、屋敷の裏側へと回る。
すると裏口の横の壁が大きく壊れて穴が開いていた。
穴の近くには破片が散乱し、その奥から先は随分遠いようで見えない。
「あの野郎…何処行きやがった?」
「まだ遠くには行ってない筈だぜ。証拠に下…見てみろ。」
瓦礫の前の草むらが所々赤くなっている。
血の痕は一直線上に屋敷の外れにある森へと延びていた。
「たとえ姿は隠せてもこの血痕は延々と消える事は無い。本人は木を隠すなら森の中だと信じてやったつもりだろうが…逆効果って訳だ。」
出口の見えない森を見つめてケビンは険しい目付きになる。
コソコソ隠れてやり過ごそうとするのは自分が一番嫌いな手口だからだ。
「でもよ旦那、カシラが大人しくかくれんぼしてると思ったら俺は違うと思う。」
「…理由は?」
「聞いてるかもしれないけど…今のカシラは俺らの首を土産にする事で頭が一杯なんだ。その為なら何だってするんだよ。堅気を巻き込んでもな。」
堅気を巻き込む。
付け加えとも聞こえるその言葉にケビンが反応する。
「それって…」
「なぁ旦那。今更だけど姫は?何処に預けてきた?」
ジャッキーの目が青くなってるのを見てケビンは嫌な予感を抱く。
海のように綺麗で…それでいて冷たい氷みたいな瞳が微かに揺れている。
「…大方の話はあのスカジャン着たオッサンから聞いてる。だからそこに…。」
―マズい。
自分の中に警告が走った。
自分等に敵わぬと知って最も卑怯な手段に出たと。
「…走れるか?」
「心配するなよ。カシラやボスに仕打ちされるのは慣れてるから。」
念の為に膝のハンカチを見るが血が滲んでいる様子は無い。
それでも無理させるのは禁句だともう一度結び直す。
「行こうぜ旦那。」
「あぁ。」
2人が走り始めた頃、森の奥では男がポタポタと血を流しながら隠れようと歩いている。
「カシラ!無事ですか?」
別行動を取っていた子分がルークに気付いて駆け寄る。
「お怪我は?」
「気にするな。鼻の骨が折れただけだ。」
確かに精悍な鼻が変形して血塗れになっている。
それでも他人から見れば痛々しかった。
「そっちはどうだ?」
「成功ですよ。まんまと引っ掛かりましたから。」
そう教えられて案内されたのは木がバッサリと刈られて開いた広い空間。
そこに大柄な男が数人に囲まれて倒れていた。
「どうだ気分は?降参する気になったか?」
倒れているのはフォーチュンでケビンを見送ったスカジャンの男。
囲まれて何発も蹴りを入れられ、痛々しい姿でもがいている。
「テメーら…束で痛め付けるのは卑怯だと思わねぇのか!」
「結構さヤコブ。俺らは元々卑怯者の集まりだろ?それの何が悪いんだ?」
ルークはかつての用心棒の無様な姿を笑い、足で腹回りを蹴る。
衝撃で喀血し、血が飛び散った。
靴で地面の血痕を擦りながら輪の外にいる別の子分が誰かを連れてきた。
「カシラ、土産です。」
引っ張ってきたのはこの場には相応しくない子供だ。
背中に回した両手と上半身を荒縄で縛られ、口にはガムテープが貼られ、目は怯えきって涙で潤んでいた。
「コイツか?親父に差し出したガキは?」
「そうです。ウェルパの野郎…ボスの見せしめを邪魔したんですよ。」
ルークはマナの目の前でしゃがみ、顎を持ち上げる。
「確かにコイツは上玉だな。外に出払えばそれなりの価値になるだろう。」
海外には新鮮な臓器や子供を欲する輩が沢山いる。
それに貢献して大金を得れば組織を持ち直すのも簡単な話だ。
「もうすぐジャックがここに来る。俺らは一足先に引き上げるぞ。」
「そうですね。さっさと連れていきましょうよ。」
部下の急かす声にマナの襟が掴まれる。
「や、止めろ!その子は関係無いだろ!」
痣だらけの手が伸ばされる。
そうはさせまいと上からまた重い蹴りが落とされた。
「よしお前ら、ずらかるぞ。」
瞬く間に小さな体は荷物そのままに肩に担がれる。
それでもマナは諦めておらず、両足をブンブン振って下ろせと要求してきた。
「チッ、大人しくしとけば何もしねぇのによ。」
ルークはその抵抗に神経を逆撫でされたか、背負ったばかりの荷物を乱暴に振り落とした。
「おい、ブツ貸せ。」
「はい。」
隣に立つ子分が慣れた手付きで懐を探る。
そこから取り出したのは蓋が半透明になったケースだ。
中には如何にも怪しげな注射器が入っている。
ルークは注射器を取り出すとこれ見よがしにマナにチラつかせた。
見た瞬間にマナは背後に悪寒が走り、仰向けに倒れた姿勢で後ずさろうとした。
医者以外で注射器を持ち歩くのが普通で無いのは幼い自分でも分かる。
そこから生じる恐怖がどんなに大きいのかも。
「フーッ…フーッ…!」
細い針の先端が首筋に触れてきてマナは息を振り絞った。
心臓に針を刺されそうな感覚がして全身の体温が一気に下がる。
「安心しろ。打っても死ぬ薬じゃねぇ。少しおねんねしてもらうだけだ。」
太い親指が注射器のピストンをゆっくりと押し始める。
全身に悪寒が走って目の前が真っ暗になる…そう思われた時だ。
「待てルーク!止めろ!」
【7】
ピストンを押す指が不意に止まる。
なんだと見れば木の枝がガサガサと大きく揺れて2人の若者が飛び出してきた。
「テメーら…。」
ルークの視線の下でマナは目の前の男を見つめていた。
嬉しさと恐怖が入り混じってどう反応して良いのか分からずに…。
「ジャッキーよせ!コイツらはお前を」
「黙ってろボケッ!」
ヤコブは忠告も空しく蹴飛ばされて横に倒れる。
それを見下ろすと同じ服装の人間が続々と前に出てきた。
「こんな所まで追い掛けてくるとは…テメーの馬鹿馬鹿しさにも反吐が出るな。」
ルークは立ち上がると注射器を投げ捨て、マナの胸の辺りに左足を乗せた。
そのまま足をグリグリさせ、マナは骨が折れそうな痛みと圧迫感に目を閉じて真横を向く。
「ヘッ、馬鹿馬鹿しいで結構だぜ。アンタの顔面をグッチャグチャに出来るならな。」
ジャッキーは不利な状況だと読みながらも勝機を信じてるのか、手に持っていた物を放り投げた。
それはルークに“手切れ金”として見せていた札束の入ったケースだ。
「…何の真似だ?」
「俺なりの誠意さ。その子はアンタが買うには勿体無い上玉でな。だから俺が買い取ってやるよ。」
静かに、自慢気に話ながらジャッキーは隠していた拳銃を取り出す。
スローモーションのように安全装置を外す音がして更に笑った。
「…アンタはやりすぎだよ。一番手出しちゃいけない物を奪ったんだから。だから覚悟は出来てるよね?」
端から見ればジャッキーが有利な立場になり、その場所でスーツの男達は互いを見返す。
両者が一歩も動かずにいる空気の中、ルークは新しい葉巻を取り出して火を付けた。
目を逸らすように煙を吐いて…顔を戻してきた。
「…ジャック…お前はやっぱり正真正銘の馬鹿だな。」
下方から苦しい呻き声が聞こえ、ボスッと何かが蹴られる音もした。
「お前は人を見る目がなさ過ぎんだよ。お前の目はゴミだ。だからこんな汚れたガキが綺麗だって見えちまう。そりゃあ気持ち悪い人間だって証拠だ。」
クックックッと不気味な笑い声が聞こえ、葉巻がゆっくりと滑り落ちる。
落ちた場所はマナの顔の真横ギリギリの地点。
あと数ミリずれてたら顔に直撃していただろうという位置だ。
「テメーには呆れたぜ。まぁそれも仕方ねぇか。気持ち悪い人間は気持ち悪い人間しか愛せねぇ…って事を証明してんだからな。」
背後を振り向きながらなぁ!っと叫ぶと周りの部下も一斉に笑い出した。
それを聞いて拳銃を握る手が震え、ケビンが咄嗟にジャッキーの手を包む。
包みながらケビンは人差し指を唇に当てて声を出すなと命じ、オイと叫んだ。
「アンタ中々見る目あるみたいだな。その子が気持ち悪いだなんて見抜くとは大した野郎だ。」
「ほう。ならテメーも同じ事考えてた訳か?こりゃ奇遇だな!」
笑い声が更に大きくなり、ジャッキーは信じられない顔で相棒を見る。
「旦那…アンタ何を」
「黙っとけ。」
聞こえないように小声で制止させ、そのまま前に出てアタッシュケースを持ち上げた。
「で?この金欲しく無いのか?なら俺が頂くけど。」
「あぁくれてやるよ。テメーも汚れたガキと綺麗な金だったら綺麗な方を選ぶだろうしな。」
ケースを拾ってケビンは真下を眺める。
乾いた土の上に白い布地がみっともなく広がっているのが見えた。
耳を澄ますとフーフーっと言った荒い呼吸が聞こえ、小石を掻き分ける音もした。
ケースのグリップを握る手に力が込められ、ケビンは何を考えたのか、ケースを空高く放り投げた。
全員の視線がその方向に向けられる中、ジャッキーはケビンの目線が自分に当てられてると感じ、思わず見つめあった。
言葉を交わさなくても自分には分かった。
―咄嗟の合図だと。
そしてケースの影が頭上に接近したその瞬間、ケビンはその場で飛び上がりボールのようにジュラルミンの塊を蹴った。
「ぶほっ!」
ケースは見事にルークの顔面に命中、それに呼応するようにマナの体から革靴が離れた。
その一瞬を逃さずに未だに拳銃を握る手を狙ってケビンの親指がパキンッと鳴り響いた。
「カシラ!」
「野郎…嵌めやがったな!」
ルークの手から銃が滑り落ちると同時に大量の血が溢れ、それと同時にジャッキーが駆け出してマナを抱え上げた。
ルークの部下がすかさず援護しようとしたがジャッキーは持っていた拳銃で一網打尽にした。
「はぅあ…クソッ…!」
血塗れになった手を押さえてルークは膝を付き、背後に冷たい銃口が向けられる。
「だから言ったじゃん。覚悟は出来てるよねって。」
ボロボロにされていたヤコブも自力で起き上がり、近くに生えている木に両手を付けて立ち尽くしていた。
―自分には何がどう見えてるのか分からなかった。
1つだけ言えるのは…ケビンとジャッキーが無言で見事な連携プレーを成し遂げていた事だけだ。
多くの同じ服の人間が倒れている前でルークは手の止血も無しに動けずにいた。
「ジャッキー止めろ!撃つな!」
背後から呼ばれた当人は面倒臭そうに振り返る。
「何だよヤッさん、見逃せってか?」
「あぁ。ソイツら全員警察に引き渡さなきゃならねぇ。だから堪えてくれ。」
そこまで言われれば仕方無いとジャッキーは拳銃を下ろす。
足音が迫ってきてその流れでヤコブもゆっくりと近くまで迫った。
「だとよカシラ、分かったらさっさと立ってくれねぇか?」
ジャッキーは拳銃を握ったままルークに叫ぶ。
呼ばれた男は歯を食い縛るような顔で振り向いた。
「ジャック…テメー分かってるのか?俺達の組織はミステシアの粗末な兵隊だ。俺をパクればお前は命狙われる立場になるんだぜ。」
振り絞るような重い言葉にジャッキーは黙った。
「お前らはとんでもねぇ奴らに喧嘩売ったんだよ。精々死なないように生き延びるんだな…。」
【8】
死を予告するような不気味な宣言をしてルークは怪しげに笑う。
それを聞いてジャッキーは近くの木に目掛けて銃弾を放った。
シュウウウと音を立てながら煙が上る大木を見向きせずに銃口を本人に見せつける。
「わざわざアンタに言われなくても分かってるよ。なんなら戦車の10台は軽く連れてくるんだな。まとめてスクラップにしてやっから。」
引き下がる気はしないと堂々と告げると拳銃をヤコブに差し出した。
「…ヤッさん。このクズ連れて先に帰っててくれ。」
「えっ?先にって…。」
戸惑いながら見るとその男は冷たい青色の瞳で睨んでいた。
「心配しなくても俺らも直ぐに戻る。今は…この子と話がしたいんだ。」
そこで我に返るとジャッキーの腕の中には小さな子供がいる。
ヤコブはあっ、と呟いて頭を下げてきた。
「すまねぇジャッキー。でもお嬢ちゃんは約束破った訳じゃないんだ。だから責めないでやってくれ。」
無言で頷くのを確認するとヤコブはルークを無理矢理立たせて背中に銃口を当てる。
「ホラ歩け。変な真似したら容赦しないぞ。」
睨まれても怯まずに2人はケビン達がやってきた道へと歩き出した。
足音が遠くなるのを見届けてジャッキーはフーッと息を吐く。
「どうした?」
「…なんか肩の力抜けてよ。やるせないってか…胸がムズムズするんだ。」
全身に何か詰まってモヤモヤしてるとぼやきながらジャッキーは草地が整った場所にマナを座らせた。
背後にある木の側面に背中を付けると真正面に腰を下ろしてマナの顔を拝見する。
「姫、ちょっと良い?」
「…ん…っ。」
強張った指が首筋に触れてきてマナは顔を逸らそうとする。
ジャッキーは注射針を当てられた箇所を指でなぞりながら目を泳がせていた。
「…大丈夫。どこも怪我してないよ。」
「だろうな。あと一歩遅かったら確実にアウトだったな。」
思わずルークが立ってた場所を見るとマナに打とうとしていた注射器が転がっている。
ケビンは手に取ると日光に当てて透かすように上に持ち上げる。
透明なプラスチック容器の中にはやはり液体が入っていた。
「麻薬も扱ってたのか?」
「多少はね。海外で栽培されたのを輸入して堅気に売り飛ばしてた。結構儲かってたみたい。」
自分は賭場での稼ぎしか知らず、麻薬云々は人伝に聞いていた程度だ。
それでもジャッキーは無性に怒りを覚えたのを忘れていなかった。
「コレも証拠品には必要な物だ。帰ったらオッサンに渡すけど良いか?」
「好きにして。俺は見たく無いから。」
注射器を見たく無いとワザと振り向かずにジャッキーはマナの体を括っていた荒縄の結び目を前に四苦八苦していた。
「あの野郎…こんなギリギリに締めたら痕が残っちまうってのに。」
手の施しが無駄だと判断したのか、ジャッキーは結び目の近くに圧を掛けてブチリと引き千切った。
緩んだ縄が足元に落ちると口のガムテープも外して少し赤くなった口元にハンカチを当てた。
「よし良いよ姫。泣かずに待ってて偉かったね。」
口周りのベタベタした箇所を拭うとマナの脇の下を両手で挟んで持ち上げた。
目と目が合い、怯えきった水晶の瞳が潤んでるのを見てジャッキーはそのまま抱いてあげる。
マナは何か言いたくなったがあうあうと喘ぎみたいな声しか出ず、後ろ頭をポスポスされた。
「無理して喋らなくても良いよ。姫の言いたい事…俺には全部分かるからな。」
少し雑だが優しい手付きにマナは堪えていた物が弾けたのか、暫くしてグスングスンと啜り泣く声が響いた。
その声を聞いたジャッキーは優しく笑いながら耳元に囁く。
「良い子だな姫。本当は滅茶苦茶恐かったのに我慢するなんて大したモンだよ。だからその分滅茶苦茶泣きな。俺は泣いている姫をよしよしするのが凄く幸せなんだ。」
話す度に溢れる息が耳に掛かるのでマナはビクビクッと反応し、それでいてジャッキーから離れようとしなかった。
怯える背中を撫でていたらザッザッと掻き分ける音がしてケビンが隣に座る。
「あ、旦那。代わった方が良い?」
「いやそのまま抱いてろ。後で涙枯れる位ムギュムギュするから。」
ジャッキーの両手が背中に回り、必然的に無防備になった頭部にケビンの手が乗る。
それだけでもマナはしゃくりあげながら更に激しく泣いた。
「…旦那、俺今夜は姫と一緒に寝たいけど良いよね?」
「好きにしろ。ただしセクハラはナシだ。」
一応忠告しておいてケビンは自分の上着を脱ぐとマナに羽織らせた。
上着の下には少しよれたオレンジのワイシャツを着込んでいる。
「旦那寒くない?」
「平気だよ。お前も小姑みたいにしつこいって。」
ほれほれほれと遊ぶようにマナをあやす相棒に告げ口してケビンは木漏れ日の間から空を見る。
隙間から見えるのはジャッキーの目より少し淡い青色の空。
こうして見ると青色が如何に澄んで落ち着かせてくれるのかが目に見えていた。
荒んだ自分もあの色の目をした人間に救われている。
そんなのを考えていたら左手に圧迫感が走った。
「…抱え込むなよ。」
「え?」
「姫がこんな目に遭ったのは自分のせいだって思ってるだろ?でも違うよ。姫はちゃんと待っていた所を無理矢理連れてこられたんだ。旦那には何も責任ないだろ。」
自然とケビンの左手をジャッキーは自分の右手で握って包んでいた。
その顔を写すのは青空よりもっと濃い…深海をイメージさせる深い青色の瞳だ。
「それにずっと俯いてれば姫だって心配するだろ。だからそんな顔するのは程々にしとけ。どうしても元気出せないなら俺が慰めてやる。」
少し怒っていそうな気迫を感じてケビンは悪いと俯く。
そしたらジャッキーは解いた右手を自分の頭に乗せてきた。
「…これは借りにしといて充分だからな。俺様もアンタに返すのが山積みになってるから。」
手が右腕ごと首の後ろに乗せられ、ポンポンと肩を叩かれる。
それを眺めていたケビンはツボに嵌まったのか、プフっと吹き出した。
そこからはあっという間でケビンはプハハハと控え目に爆笑していたのだ。
「笑うんじゃねぇよ旦那。何が面白いんだ?」
「悪ぃ悪ぃ。お前そんな事言うキャラじゃねぇから遂…な。」
笑い過ぎて涙まで出たらしく、袖で目元を拭ったら肩の生地が掴まれた。
「…どうした?」
「いや、旦那の笑ってる顔見れて嬉しいんだ。アンタいつもムッツリしてて…笑ってる所なんて滅多にないから。うん。嬉しいよマジで。」
安心したような顔で言われてケビンは一瞬固まりそうになった。
自分が笑顔になってるだけで嬉しいと感じるなど始めてたからだ。
返答に迷っていたらマナが呻きながらゴソゴソしてきてジャッキーが背中を撫でる。
「分かったよ姫。もう帰ろうな。帰ったらお風呂入って温かいの飲んでゆっくり休もうな。」
優しく語りかけながらジャッキーは相棒に振り向く。
「行こうぜ旦那。」
「あぁ。」
2人一緒に立ち上がり、走ってきた場所をゆっくりと歩き出す。
ジャッキーの両手はマナの体をしっかりと抱え、ケビンは彼の左肩に手を乗せて持たれるように歩く。
2人は一切会話は交わさずに街へ向かって歩いて行った。
ふと見上げれば澄んだ青空に浮かぶ太陽が地上を覆うように見守っている。
その空は今の2人のように青色と赤色が控え目に織り混ざり…一体化していた。
【9】
嵐のような昼間から一変した深夜。
虫の声と梟の声が静かに響く街は夜になってもポツリポツリと明かりが灯っている。
そんな人気が静まった通りに降り立つ人影があった。
影はホテルの入り口を出ると建物の横路地に入る。
そこには磨かれた紅色と青色の単車が寄り添うに停まっていた。
その人物は迷いもせずに単車のエンジンを作動させた。
夜が更けた通りに火花が散る音が響いて豪快なエンジン音がこだましてくる。
エンジンが動いたのを確認したらメーターガラスの埃を拭う。
暫く乗ってないがバッテリーが上がってないのを見れて少し安心した。
「…兄ちゃん。」
誰も出歩いていない筈なのに声がした。
でも聞き慣れた声なので振り返ると中年の男がそこに立っている。
「オッサン…こんな夜中にどうした?」
「兄ちゃん達が夜明け前に出るって聞いてさ…その…世話になったから見送ろうと思ってさ。」
ヤコブは誤魔化しそうに頭を掻いている。
スカジャンの袖から出る腕は包帯で覆われて痛々しかった。
「そんな、世話になったのは俺らの方だよ。色々トラブル引き起こして悪かったな。」
声が通りやすいようにエンジンを一旦切るとスッと何か差し出された。
「まぁ飲んでくれよ。景気付けだと思って。」
受け取った缶コーヒーは購入したてでまだ熱を帯びている。
それが夜風で冷えた手に滲んできた。
「それに後始末頼んでゴメンな。ルークはどうなったんだ?」
「詳しく聞いてないけど多分留置場送りだな。ブルローズはもう解散したも同然だし。」
プシュっと自分のコーヒーを開けて飲みながら男は続ける。
「まぁでも一件落着したのは確かだ。今度からは客を脅さずに全うな商売が出来るからな。」
全うな商売がカジノの立て直しなのはケビンも理解している。
それを聞いてケビンはスチール缶を握り締めた。
「…アイツは。」
「ん?」
「ジャッキーの奴、俺に付いて行きたいって聞いた時にアンタ後押ししたんだろ。これからは自由にしていいって。なんでそこまでしてアイツの事心配するんだ?普通なら店の事とか心配で引き止めるのが正しいと俺思うけど…。」
唐突な疑問をぶつけられて男はウ~ンと唸るような声を出す。
でも直ぐに口元が緩んで笑った。
「…本人に内緒にするってなら教えてやるよ。俺はアイツを世話してきたんだ。言わば親代わりみたいなモンなんだよ。」
ヤコブは笑うのを止めて俯き加減になる。
「ジャッキーは…あのお嬢ちゃんと同じ孤児なんだ。子供の頃に裏で人身売買されて…誰も買い手がいないからって仕方なしにウチのボスに買われたんだ。」
「…。」
「その時の俺はパシリとして使われてて…それで手に負えないからどうにかしろってルークに押し付けられたんだ。初めて会った時のアイツはそれこそ野良犬みたいな扱いされててな…涙が止まらなかったよ。」
熱が籠って重くなった瞼を押さえながらヤコブは鼻を啜る仕草を見せた。
ケビンは缶の穴から見える黒い液体に目を落として耳だけ研ぎ澄ませていた。
「ジャッキーはとにかく自由になりたいって躍起になってたよ。ボスやカシラに散々痛め付けられても弱音を吐くなんて一度もしてこなかった。いつしか俺はアイツの夢を一緒に叶えてあげようって思って…見守る立場になった訳だ。」
そこで話を区切るとヤコブはコーヒーを飲み干して缶を足元に置いた。
「兄ちゃんといる時のジャッキーの顔、笑顔だったろ?アイツは親もそうだけど友達すら持てずに生きてきたからな。だから凄く嬉しいんだよ。兄ちゃんに会えて自分の居場所を持てたって。それで決めたんだ。アイツが笑える場所を奪うのは納得いかねぇって。それなら好きなようにさせてやるべきだってな。」
その時、不意に風が吹いた。
風は空を覆う分厚い雲を移動させて満月が顔を出す。
黄金色の光が夜の街…2人の男が佇む一箇所を静かに照らしていた。
灰色の地面に映る影の1つが縮こまり地面に頭を付ける。
「…兄、いやケビンさん。これが最後の頼みだと思って聞いてくれ。ジャッキーを…アイツを守ってくれないか?」
ジリジリと指が這う音がしてヤコブは手をはち切れそうに動かす。
「アイツは何でもかんでも1人で抱え込む奴なんだ。今まで信頼できる人間に会えなくて…ずっと壁の隅でしゃがみ込んで生きてきた男なんだ。でもアイツには伸ばせる才能がある、やれる事があるんだ。だからそれをケビンさんに預けたいんだ。アイツが胸張って男だって証明出来るように…ケビンさんに見て貰いたいんだ。お願いだ。」
懇願しようと上げてきた瞳をケビンは静かに見守る。
その瞳はかつての自分も抱えていた…子を思う親の瞳だった。
それも曇りが一切無い真っ直ぐで純真な瞳だ。
月が動いて土下座する影も後退しながらケビンはそっと右足を前に出す。
「…嘘言ってないのは見て取れる。でも万が一って事も有り得なくは無いんだ。それでも良いか?」
地面に涙の雫を落としながら男は首を振る。
「勿論さ。アイツが幸せになれるんなら俺はもう何もいらねぇよ。それがケビンさんの役に立って死んでも…だ。」
【11】
風がまた靡いて雲が月を隠す。
半分になった月明かりの下でケビンは小さく笑った。
「…愛されてるな。」
「え?」
「自分を心配してくれる人間がいるって意味だよ。そういう奴は色んな人間に好かれるんだ。だから前を向いて歩けるんだ。他人の力が無くてもな。」
目線を合わせるようにケビンは腰を下ろす。
「それだけ周りから愛される奴を見殺しにする程俺も落ちぶれてないさ。だからその頼み…引き受けてやるよ。」
答えを聞いたヤコブはありがとうを連呼しながら泣き叫んだ。
ケビンは慰めながらハンカチを取り出してそっと握らせる。
「俺なら平気だからオッサンも戻ってくれ。ジャッキーには俺から伝えておくから。」
「あぁ分かったよ。道中気を付けてな。またここに遊びに来てくれたら精一杯もてなしてやるから。」
ヤコブはふらつきながらも立ち上がり、一礼すると走り去った。
ケビンは後ろ姿を見送ると空を見上げた。
半分になった満月が雲の隙間から輝いている。
壁に隠れて人混みを見つめるような自分みたいで…ケビンはその場で座った。
月も星も綺麗なのに感動は湧いてこない。
渡されたコーヒーは既に温くなって冷たくなっている。
それを飲み干して肩を落とした。
心の奥にポッカリと大きな穴が開いて風が抜けるように吹き抜けていく。
悲しいのに涙すら出てこなくて…寂しくて…恐い。
そう考えていた時だ。
「旦那。」
耳に何度も聞こえてきたその声に振り向くと自分が話題にしていた男がいた。
「…どうした?」
「トイレ行こうとしたら居なくてさ。探しに来たんだけど…ごめん、迷惑だったか?」
ケビンは何も答えない。
でもジャッキーは当たり前のようにその隣に座ってきた。
「マナは?」
「寝てるよ。まだ暗いから朝日が昇るか昇らないか位で良いだろ?出発するの。」
自分はどちらでも構わない、そんな単純明快な答えすらも告げずにいたら肩に腕が回された。
「なんだよ?」
「俺様さ…今猛烈に寒気がすんだよ。だから旦那にくっつかせてくれ。」
「あ?いい歳して風邪引いたのか?なんなら部屋戻れよ、気色悪いって。」
寒気がする割には体調が悪そうな様子は伝わらず、ジャッキーは頭を密着させるように押してきた。
「そんな事言うけどさ…本当は旦那だって寂しいんだろ?なんか隕石落ちたみたいなデッカい穴が開いて寒いんだろ?」
心臓がギクッとし、咄嗟にジャッキーを見る。
「だから俺様が旦那を温めてやるよ。その胸の穴に水パンパンに入れて栓してやるから。そしたら寒く無くなるだろ?」
両肩をガシッと掴まれ、ケビンは無理矢理横に振り向かせられる。
「ほらぁ、やっぱ泣いてたじゃんかよ。寂しいんなら俺様の事呼べって約束だろ?初っ端から破るなよ馬鹿。」
ジャッキーを真正面にしてケビンは俯いた。
自然と閉じられた瞳からは指摘された通りに涙が溢れてくる。
肩を掴む手は確かに痛いが…同じ位に温かくて心地好かった。
「旦那が俺の事慰めてくれたから…その逆をするのは俺にしか出来ない務めだ。だから泣くの我慢するのだけは止めろ。もし泣きたくなったら直ぐに俺を呼ぶんだな。」
ボスっと音がしてケビンの鼻先にシャツの布地が当たる。
ジャッキーがケビンの仕草を真似て後ろ頭と背中に手を置いて引き寄せてるからだ。
「大体アンタも色々背負い過ぎなんだよ。だから俺にもその荷物背負わせてくれ。俺様と旦那は主と影…2人で1人なんだから。」
ジャッキーはそこまで言うと目を閉じて何も言わなかった。
月に照らされる2人の影は…人から姿を変えていく。
1つは大きな翼を広げた鳥に。
もう1つは鋭い牙と爪をちらつかせる龍に。
2匹の獣はお互いを見つめて吠えていた。
それはずっと探していた物を見つけて…歓喜を分かち合うようにも見えていた。
鳥と龍は一緒に空を見る。
輝く月を…2人で一緒に。
何があっても迷わない、何が起きても裏切らない。
そう誓いながら…いつまでも…月を見ていた。