新たな絆!よろしくだぜ相棒!
【1】
エボルブテラーの目玉であるカジノ。
そこへ行くまでの道程にはデパートやホテル、レストランが軒を連ねて観光客をもてなしている。
どれもランクの高い店ばかりで財布が空っぽになるのも珍しくないとの噂。
その中にジャッキーが宿代わりに使っているホテルがあった。
それも最上階、1泊20万円のスイートルームを安アパート感覚で利用しているのだ。
1人で泊まるには広過ぎるのレベルを超えたスイートルーム。
ピカピカのトイレに大理石のバスルーム、大きなベットにクローゼット、テレビに大型冷蔵庫、当人が一度も使用していない新品同然のコンロが備えられたキッチンスペース。
初めて出会った人間誰もがあんぐりとなる生活振りだ。
だが何故こんな部屋に住み着いてるのか、理由を問う者は恐れて一切存在していない。
勿論ケビンもその1人に含まれようとしていた。
「…なんかさ、どこからツッコめばいいのか正直分からん。」
「まま、細かい事は気にしないでさ。ホラ飲んで飲んで。」
綿菓子のようなフカフカのソファーに腰掛けてジャッキーは飲み物を注ぐ。
ケビンは無言でコップに溜まる透明な液体を凝視していた。
「アレ?もしかしてサイダーよりコーラの方が好みか?生憎切らしてるんだ。」
「構わねぇよ。たまには良いし。」
一口飲むと砂糖の含まれないスッキリした味わいと一緒に口の中で泡が弾ける。
「おいジャッキー、もっと気遣ってやれ。本人混乱してるだろ。」
「だって余所のホテル泊まると変な奴来るだろ。ここは限定の客しか入られないから隠れ蓑にはうってつけなんだ。」
部屋を訪れている40代位の男が聴診器を片付ける。
彼はジャッキーの顔馴染みの医者であり、ホテルの支配人から連絡を貰ってマナの往診を引き受けてくれていた。
マナは自分の体の倍もあるシングルベットに寝かされている。
未だに熱は引かず、サイドチェストには水の張った洗面器とタオルが置かれている。
「それより先生、容体は?」
「安心しなさい。疲労が溜まってるだけだ。2~3日安静にしてれば熱も直ぐに下がるだろう。」
「そうか…。」
とりあえず病の類ではないと知ってケビンはホッとした。
高熱も弱った体を守る為の防御反応であって命に別状は無いと説明しながら医者は往診カバンの口を閉じて椅子から立ち上がる。
「とにかくお嬢さんの熱が下がるまではここに滞在しなさい。無理に動くと逆に症状が悪化してしまうからね。」
「分かってます。本当に…迷惑掛けてすいません。」
ケビンは済まなそうな表情で医者に頭を下げる。
「おいおいそんな固くならないでくれ。ジャッキーなんか部屋代の他に私の治療費もツケで貯めてるからそっちの方が尚更迷惑なんだ。なぁジャッキー?」
横目で睨むと本人はヤバイと言った表情が丸出しになる。
それ以上は追及せずにそれではと医者は部屋を後にした。
「お前…結構苦労してるんだな。」
「それは言うな…。」
ジャッキーは顔を逸らすも恥ずかしさで耳が真っ赤になっている。
ケビンはそれを確認するとさっきまで医者が座っていた椅子に腰を移す。
洗面器の中に手を入れるとタオルを絞ってマナの額に乗せた。
頬は真っ赤で額からは汗が滴り落ちている。
「どうだ?気持ち良いか?」
掛け布団に乗せられた小さな左手を無意識に握り締める。
すると小さくて細い指が微かに動いた。
「ケ…ビン…?」
「あぁ。俺だ。分かるか?」
唸りながらマナはゆっくりと目を開ける。
熱のせいで視界は朦朧としており、握られた手がとにかく熱い。
「まだ無理するな。40度も発熱してたんだ。大人しく寝てろよ。」
そう言って握った手を放そうとしたらマナがギュッと握り返してきた。
「いや…ケビン…行かないで…。」
ギュウギュウと小さいながらも馬鹿力で離そうとしない。
「いやだぁ…行っちゃやだ…。」
【2】
無理に引き止めようとばかりに起き上ろうとするマナをケビンは必至で制止させる。
その拍子に額に乗せたタオルが枕元に落ちた。
「分かった分かった。だから無理に起きるなって。」
エスコートするように握られた手首の痕を眺めながら背中を擦る。
「とにかくまだ寝てろ。俺何処にも行かないからな。」
「う…ん…。」
安心したように倒れ込むマナをもう一度横にして布団を掛け直す。
すると横から手が伸びてタオルをもぎ取る。
「大変だな、ちっちゃい子供抱えるのってさ。」
いつの間にかジャッキーが背後に立ってタオルを洗面器に浸している。
「結構気使うだろ?普通なら我慢出来なくて放り出してるな。」
「…まぁな。でも俺はそうは思わないんだ。」
固く絞られたタオルを受け取ると静かに額に乗せる。
「それは…仲間としてか?」
「いや、それだけじゃない。」
ケビンは俯きながらコートのポケットから指輪を取り出す。
マナが大事にしているたった1つの宝物だ。
「マナの奴…手放された時からコレを持っているんだ。それで自分の親が今も何処かで生きているんじゃないかって信じてるんだ。」
「成る程、だから旦那にくっ付いている訳か。付いていけば見つかると。」
「それもある。でも実はもう1つ理由があるんだ。」
本人を起こさないように指輪を左手の薬指に嵌める。
傷や曇りが一切ないピンクの宝石が天井の明かりに照らされてキラキラ輝く。
「この子…親の名前も顔も一切知らないまま生きてきたんだ。だから人1倍親の愛に飢えてるんだよ。この位の年頃ならまだ甘えても苦にならねぇのにそれすらも出来ないし…それで1人になるのを恐れてるんだ。」
「旦那…。」
ジャッキーはケビンの一言一言がまるで自分に言い聞かせているように聞こえていた。
それはまるで…家庭を授かった父親のようにも見えた。
衝動的に胸がドキドキし、ジャッキーは自分の分のジュースをイッキ飲みした。
「ねぇ旦那…。」
嫌われるだろうか。
その気持ちも抱きつつ、ジャッキーはそれでも聞きたいと口を開く。
「旦那って…家族いるのか?」
新しいタオルを濡らしてマナの顔や手を拭いていたケビンの動きが止まる。
「ゴメン。本当はこんな事聞きたくないけどさ…子供の扱いってか…姫と話してる時の旦那…父親っぽく見えてさ。」
どうなんだと言えばケビンはタオルを洗面器の水に浸して絞り上げる。
そこでタオルを置くとシャツの第一ボタンを緩めて何かを引っ張り出した。
チャリチャリと音を立てて見せてきたのは金色と銀色の鎖。
その先には丸い金色ペンダントらしき物とマナのとは対象のシンプルな装飾の銀色の指輪が吊るされている。
ケビンは金のペンダントを首から外すとジャッキーに渡した。
「開けてみろ…。」
言われるがままに蓋を開けるとそこには1枚の古い写真が入っている。
ショートヘアの若い女性が丸っこい瞳をした赤ん坊を抱っこして笑顔で写っている写真だ。
色褪せて茶色くなってるが大事に保管されてるのが丸分かりになっている。
「この人は…?」
「…俺の女房と息子だ。でももう5年前に死んでる。」
「えっ?死んでるって…?」
―予想外の答えにジャッキーは戸惑った。
てっきり家で旦那の帰りを待っていると思ってたばかりにまさかと疑う。
「5年前…俺の暮らしていた町にミステシアの連中が攻め込んできたんだ。俺は必至で抵抗したけど歯が立たなくて…町は一気に廃墟になっちまった。」
「…。」
「そして奴らを束ねていた男が…目の前で女房と息子の首を撥ねたんだ。俺は目の前が真っ暗になって…気が付いたらこのお守りを握って逃げ出していた。その後俺は自分を悔み続けた。何故あの場で逃げたのか?なんで自分に力が無かったのかと…。」
ケビンは壊れ物を扱うように指輪を握り締める。
指先程の小さなダイヤが飾られ、裏側には〔KEBIN to MARIA〕と二人の人間の名前が彫られている。
貯めるに貯めた貯金を叩いて注文したオーダーメイドだ。
「息子に至ってはまだ3歳だった。これから色々楽しい事が待ってた筈なのに…全部無くなってしまった。俺は…たった1人の我が子ですら…守ってやれなかった…。」
「…それで姫に寄り添ってたのか。息子さんと同じ目に会わせない為にと。」
良く良く振り返るとマナといる時の彼は優しい顔ばかりしていた。
出会って浅いにしては彼女への接し方もかなり違う。
まるでマナが…自分の子供じゃないかと思う程傍らに置いていたのだ。
「こんな事言うと悪いけどさ…俺の子供もマナと同じ甘えん坊でやんちゃ盛りだったんだ。だからマナが抱き着いてくると…生まれ変わりって言う位嬉しくてさ…だから余計に手離せなくなってるんだ。」
いつしかケビンは白目を充血させていた。
あの時の辛い光景を思い出して込み上げる物があるかのように。
現に今もあの日の夢を見て魘されるのも度々起きている。
自分にとって…二度と消される事の無い負の遺産として。
「俺はあれから…誰かを失うのが恐くなった。自分の不甲斐なさで死なせたりでもしたらって…そう考えると…1人の方が気楽になっていたんだ。」
「でも姫と出会って…価値観が変わった。」
「あぁ。この子は無意識に俺を求めている。それで見過ごせないんだ。何があっても…守ってあげたいってな。」
【3】
ジンワリと熱くなった指輪を戻しながらケビンはマナの髪の毛を優しく撫でる。
熱は大分引いたらしく、頬や額の赤みは治まってスースーと可愛い寝息が聞こえた。
「悪かったな。つまらない昔話聞かして。」
「全然。てか姫には話してないのか?」
「あぁ。でも何れ教えるつもりだ。マナならきっと、いや必ず受け入れてくれるからな。」
そっと椅子にもたれるケビンにジャッキーはペンダントを渡した。
するとぐぐぅぅと遠慮がちな腹の音が聞こえた。
「…お前空気読めよ。大事な話の後だってのに。」
「仕方無いじゃん。そう言う旦那だって腹ペコじゃねぇの?」
自分はそうでもないが壁の時計を見ると時刻は夕方の6時半を過ぎ、窓から射し込む夕焼けも薄れていた。
「おいおいもうこんな時間か。」
考えてみれば昨日、マナと出会った時も宿に入ったのは夕方の頃だ。
なんだか時間が早く進んでる気がしてならない。
「とりあえずルームサービス頼むよ。レストランもあるけど姫がこの状態だと外行かれないだろ?宿代と合わせて俺様が支払うからさ。」
自分のペースでジャッキーは内線電話の受話器を持ち上げると番号の表を見ながらボタンを押す。
プルル、プルル、と2回コール音がした。
『はい、フロントです。』
「ウェルパだ。夕飯部屋に運んでくれないか?」
『かしこまりました。ご注文は如何なさいましょう?』
その場で一旦保留にするとジャッキーはケビンを手招きしてメニューを眺める。
和・洋・中にドリンクにデザート、酒類も豊富だ。
「俺は軽くパスタにしとくよ。」
「じゃ俺様はチーズリゾットと…それと折角だから一杯飲まないか?俺様と旦那のコンビ結成祝いで。」
「お前…結構トントン拍子だな。俺は構わねぇよ。」
「了解。」
ジャッキーは笑いながら保留ボタンを解除する。
「もしもし?カルボナーラとチーズリゾット、それと白ワインの甘口をボトルで1本とオレンジジュースをピッチャーで頼む。」
『ハイ。グラスはいくつお持ちしましょうか?』
「3つだ。それとさ、病人いるんだけどお粥とか雑炊って作って貰えないか?」
『そうですね…厨房の方に連絡してみます。お時間空けても宜しいですか?』
「大丈夫だ。確認取れたらリダイアルしてくれ。部屋番号は1058だ。じゃあな。」
ガチャンと受話器を置くと立ち上がり、コートと帽子を取ってフックに引っ掛けた。
「本当に色々済まないな。」
「何言ってるの。俺様はアンタの相棒になるって決めたんだ。もっと頼っても良いんだぜ?」
何気無しに肩を叩かれてケビンは愛想笑いを浮かべる。
「なんかお前ってさ、打ち出の小槌みたいだな。1回振ると金も幸せも振り撒いてくれる気がするんだ。」
「何その例え?俺様は金は撒くけど幸せまでは撒かれねぇよ?」
ケビンは知らず知らずの内に笑っている自分に驚いた。
5年前のあの日から自分は1人になる道を選び、仲間なんか持たなかった。
いや、持たないと心のどこかで誓ったのだ。
失う位なら1人の方がマシだと信じてた。
それが会ったばかりの他人とこんなにも打ち解けられるなんてと…素直に驚いていた。
「でも…本当にありがとな。」
「えっ?」
「俺1人じゃマナを助けられても…あのハゲ頭を倒す事は出来なかった。寧ろ揃ってあの世行きになってたかもしれないんだ。」
するとジャッキーは冗談寄せと返してきた。
「礼を言うのは俺様の方だ。旦那が来なかったら…俺はマフィアから足を洗えなかった。アンタは俺に新しい人生をくれたんだ。」
「ジャッキー…。」
ケビンが目を丸くする前でジャッキーは握り拳を差し出した。
「前言ってたよな?姫は自分にとって光みたいに…進む道を照らしてくれる存在だって。そして光を浴びれば浴びる程…自分の足元には濃い影が産まれてくるって知ってるか?」
―光と影。
前進しようとする自分の足元を渦巻く禍々しい物。
何の事なんだと考えていたらジャッキーは目を閉じて拳を開いた。
「姫が旦那の光なら…俺様は旦那の影になる。どんな時でもアンタを支えて道踏み外さないように見守ってやるよ。」
ジャッキーの手がケビンの手を掴んで優しく握ってくる。
それを見てケビンも薄く笑った。
「じゃあ俺もお前の影みたいになっていいのか?」
「奇遇だね。旦那ならそう言うって俺思ってた。」
2人は握られた手を離し、拳に変えて互いに鳴らす。
ジワジワと伝わる波動にお互いに笑みが浮かんでいた。
「これから宜しくな、相棒。」
「そりゃコッチの台詞だと思うけどな、相棒。」
同じ事を伝え、同じタイミングで笑う2人の男。
水と油ならぬ、火と水のコンビが誕生した瞬間でもあった。
【4】
―あれからどれ位経ったのか。
自分の体より大きなベッドの中でマナは眠りから覚めようとしていた。
額がヒンヤリと冷たく、頭痛やダルいのも少し軽くなった気がしていた。
「う、う~ん…。」
瞼をこじ開けようとしたら天井に光が見えた。
カッと閃光が差して目がチカチカし、マナは寝間着の袖で目を覆う。
眩しさを訴えながら何度か瞬きすると目眩が落ち着いてゴソゴソと起き上がる。
起きた拍子に枕元に落ちたタオルを手にしてとりあえず部屋の中を見てみた。
自分がいる部屋は所詮カタログでしか見れない豪華なスイートルーム。
でも広い部屋の中は無人だ。
物音もしないし人の気配もない。
《ケビン…ジャック…居ないの?》
無意識に手首の痕が蕁麻疹みたいに痒くなって熱が籠もってくる。
その痣を隠すようにベッドから降りて目の前のソファーに近寄ると背もたれの所に黒い布みたいなのが掛かっていた。
見ると胸元に小さなポケットが付いたスーツのブレザーだ。
手に取って思わず臭いを確認したら少し焦げ臭い。
ケビンの上着に違いなかった。
でもこの服の持ち主は何処にも居ない。
なんだか急に不安になってきた。
《ケビン…何処行っちゃったの…。》
自分がまだ目を覚まさないと見てジャッキーと一緒に外に出てるのだろうか。
上着を両手に抱えてマナは部屋の中をウロウロした。
聞こえてくるのはペタペタという自分の足音だけ。
誰も自分を呼んだり誰かが部屋に入る音は一切してこない。
不安が募りに募り、マナは扉や窓に近寄ったり遠ざかったりを繰り返してみた。
カチカチと時計の音だけが足音を掻き消すように響いてとても空しい。
それすらも聞きたくないと焦ったマナは何も置かれてない平坦な床の上で転けた。
誰にも受け止められず…立ち上がらせる事も無い。
子供1人が使うにはあまりにも広過ぎる部屋が…出口の無いトンネルみたいに寂しくて…恐くなってきた。
マナは無意識に熱冷ましのタオルと上着を一緒に握って顔を埋めた。
「…ヒック…うわぁぁぁぁぁん…。」
堪える糸が切れてマナは泣き出していた。
転んだのが痛いのでは無い。
ひとりぼっちになのが恐いからだ。
誰にも見て貰えないのが…我慢出来ずに…溢れてしまっていた。
誰もいない部屋に悲痛な声が広がる中、キッチンとリビングの間の扉が開いた。
でもマナは無我夢中で泣いているので扉が開く音が届いてなかった。
あうあうと言葉にならない喘ぎを漏らしていたら体が宙に浮いた気がした。
やがて泣く声も疲れてゲホゲホと咽せてしまい、優しく背中を叩かれた。
間を置かぬ内に柔らかい布か何かの上に寝かされてそこでマナは錯覚した。
自分の目の前に人がいると。
目を開けようとしたら冷たい額に何か当たった。
「…熱は下がってるみたいだな。」
その声と一緒に握っていたタオルと上着を優しく没収され、代わりに冷たい物が握られた。
「飲みな。あんまり泣くと干からびてお婆ちゃんみたいになっちゃうぞ。」
意地悪そうな声が聞こえて見上げると濡れた黒い前髪が霞んで見えた。
よっこいしょと頑張って起き上がるとケビンが上半身裸でベッドの横にしゃがんでいた。
首にはタオルを巻き、体からは湯気が昇っている。
どうやらさっき開いた扉の奥はバスルームになっており、マナが寝ている間に風呂に浸かっていたようだ。
姿を見るなやマナはまたワーワー泣き出してしまい、ケビンは慰めるように頭を撫でる。
「どうした?」
「だって…起きたらケビンもジャックもいなかったの。だから…」
―見捨てられたと思った。
足手まといにはならない約束も破ってしまった。
それに愛想を尽かして自分を置き去りにしたんじゃないかと…考えてしまった。
そうシクシクと啜り泣いていたら唇に何か当たった。
「…んっ。」
急に呼吸が苦しくなり、訴えようとしたらプハァと解放された。
「大丈夫だよマナ。何があっても手放さないって約束したろ?」
少し涎塗れになった口元をタオルで拭かれてマナはケビンを見つめた。
大きな瞳は涙が貯まって水晶玉みたいに輝きを放っている。
「寂しかったら思いっきり甘えろ。お前を慰めるのは苦にならないんだ。」
「ケビン…」
「ホラ、おいで。」
泣きじゃくるマナを抱いてケビンはベランダに出る扉の前に立つ。
「見てみろよ。ここ最上階だから星がクッキリ見えるぞ。」
確かに塵や雲の無い夜空には満月が浮かび、無数の星が散りばめられている。
本当ならベランダに出て星空観察といきたいが夜は気温が下がって寒く、熱がぶり返す恐れもあった。
今は仕方無いが体調が安定したら見に行こうとケビンは心に決めた。
マナはやっと気持ちが落ち着き始め、抱かれた姿勢でコップの水を飲んでいた。
細身ながらも胸と腹の筋肉が鍛えられた体はシャワーの熱が残っててほんのり温かい。
―自分も産まれた頃はこんな風に両親に抱かれていたのか。
そんな事を思いながらマナは空になったコップを抱えて顔を埋めていた。
ふと背後からコンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します。ルームサービスのお料理をお持ち致しました。」
この姿では流石にマズイのでケビンはマナを下ろすと寝巻き用のシャツを身に付けて入り口に向かう。
ホテルのドアはオートロックで外から入るにはカードキーが必要だ。
内側のドアノブを捻るとチェーンはしておらず、簡単に扉が開いた。
フロント係の若い男が料理を乗せたワゴンを部屋に入れる。
「お飲み物は下にありますのでごゆっくりどうぞ。食器はワゴンに乗せて部屋の前に置いといて結構です。」
「ありがとな。大変だろ?こんな重いの運んできて。」
「いえいえ、ウェルパ様のご友人ならお安い御用ですよ。料金はチェックアウトの際にお支払ってください。それでは。」
【5】
丁寧な物腰で去る男を見送るとケビンは料理と一緒に運ばれた領収書を確認する。
食事だけで自分の宿泊代3日分相当の金額に値していた。
「あの野郎…ぼったくりホテルに誘いやがって。」
「おいおいぼったくりは無いでしょ旦那。ここよりグレードの高いホテルなんか裏道に密集してるぜ。」
声がして振り向くといつの間にかジャッキーが部屋に戻ってきた。
両手には何故かアタッシュケースを抱えている。
「まさかお前…また一勝負してきたのか?」
「ピンポーン。因みに右がスロットで左がカードとルーレットだ。」
ドヤ顔でケースを見せる男をケビンは白目で見守る。
対してケビンはそれ以上追求しても煩いだけだと判断すると未だに乾いていない髪の毛をタオルで拭く。
「姫様~、た~だいま~!」
上機嫌なジャッキーはマナの姿が視界に入ると直ぐに駆け寄って抱き上げた。
「あれれ?姫のおめめ、兎さんみたいに真っ赤だよ?痒いの?」
充血した瞳に自分を写してジャッキーは首を傾げる。
突然のタッチにマナは驚くも直ぐに頭の回線が繋がったらしく、唇がワナワナした。
「…ック。」
「ん?」
「ジャック…ずびっ…グスン…ふぇぇぇん…。」
―マナはもう自分でもどうしていいか正直分からなかった。
言葉より先に寂しさがフツフツと募って気が付いたらジャッキーの首に腕を回していた。
さっき一頻り泣いて枯れた筈の涙をポロポロ溢しながら。
「ハハッ、どうしたの姫?いつにも増して甘えん坊さんだなぁ。」
少し寝癖で乱れたセミロングにジャッキーの手が触れてくる。
その手が自分の髪を愛おしげに撫でる感覚も。
「…ジャック…グスン…い…る…?」
「ハイハイ姫様、ちゃんと居ますよ~。」
背中を支える方の手がポンポンとリズミカルに一点を叩く。
「もしかしてさ姫、旦那や俺様が居ないから寂しがってたの?怖かったの?」
帽子をテーブルの上に投げて声を和らげるとマナは泣きながらウンと返事をする。
するとジャッキーはパァァと明るくなってマナの首筋に顎を乗せた。
「うわぁ姫~!俺様チョ~嬉しいよ~!俺様も姫がおっきしないから寂しくて…アダッ!」
喜びに浸っていた束の間、後頭部に衝撃が走りボフッと何かが床に落ちる。
見るとベッドの枕がジャッキーの踵付近に無造作に捨てられていた。
「旦那~酷いよ~!」
「だったら汚いモノ見せるな。」
「汚いってもっと酷いよ~!旦那の意地悪~!鬼~!悪魔~!ロリコン~!」
対して痛くもないのに激痛が走るような仕草をしてジャッキーは抗議する。
ケビンはスルーしていたが間を置いてブチッと何かが切れる音を出してジャッキーに掴み掛かった。
「テメー!誰がロリコンだ!」
「だってそうじゃん!隙あらば姫の事抱くし!添い寝するし!手握るし!チューもするし!アレやコレもするし!」
「お前と一緒にすんな!あとアレやコレもってなんだよ!誤解されるだろ!」
ギャーギャー騒ぐイケメンに挟まれてマナはどうしたらいいのか戸惑うばかりだ。
だがヒートアップしそうな所でジャッキーの腹の虫が盛大に鳴り響いた。
「…お前なぁ。」
「ア、アハハ…ゴメンちゃい。」
さっきまでの怒りは吸っとんで笑って誤魔化す男にケビンは溜め息すら付けずに肩を落とす。
「まぁお前と喧嘩してもキリが無いしな。取り合えず飯にしようぜ。」
雰囲気を一変しようとケビンはワゴンに乗せられた白ワインのボトルを手にする。
氷水のバケツで冷やされていて常に高温を帯びた自分の手を簡単に冷やしてしまいそうだ。
「旦那、俺様に注がせてくれ。ここで仕入れてるワインは皆年代物なんだ。」
「そうか。じゃあ一杯頂くかな。」
キュポンと木製のコルクが抜かれ、グラスに液体が注がれる。
少し黄色っぽい白色の液体がシュワシュワブクブクと音を立てつつ蛍光灯の下で輝く。
大衆酒場には絶対に置かれない高級感覚満載なオーラが漂っていた。
「…因みに聞くけどいくらするんだコレ?」
「そうだねぇ…普通に買うとなったら15万かな。」
庶民の稼ぎでは手が出せない値段のワインボトルを容赦なく空にする様は感覚のズレた金持ちと大差無い。
ケビンもとやかく口出しするのは止めてグラスを持ち上げた。
ジャッキーも自分用のグラスにワインを注ぐとソレをケビンに向けて微笑む。
「じゃあ改めて…。」
乾杯とは言わずに2人はチン、とグラス同士をぶつける。
1口飲むと甘くてスッキリした味わいが広がる。
「…中々だな。」
「だろ?俺も誰かと晩酌するなんて初めてなんだ。ささ、もっと飲んでみろよ。」
2人で飲み会モードに入っている傍でマナはワインボトルを食い入るように見ている。
エメラルドのビンの中で透明な液体がシュワシュワと小さな泡を立てていた。
「駄目だよ姫。まだ飲むにはずっと早いんだから。」
飲みたそうな顔をしているのに気付いたジャッキーがボトルを持ち上げる。
代わりにオレンジジュースのピッチャーを目の前に置いた。
ジュースをグラスに注いで渡すと発熱で喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。
「なぁ旦那、姫元気そうに見えるけどまだ出ないのか?」
「…出発して直ぐにぶり返すと悪いしな。完全に下がったら行くよ。」
ここは素直に医者のアドバイスを受け入れるとケビンは決め、ワインを喉に流し込んだ。
「旦那~、はいアーンして。」
飲んだワインが逆流しそうな悪寒が走る。
ジャッキーが知らぬ間にリゾットをスプーンで掬って食べさせようとしているのだ。
「お前蹴飛ばされたいのか…。」
「なんだよ旦那、連れないなぁ。」
【6】
もしやワイン一杯で酔ったのかと疑うが様子を見る限りではそんな素振りは見えない。
でもケタケタ笑いながらスプーンを揺らしているので結構不気味だ。
「面倒臭ぇな。ちょっとおいで。」
事態を回避しようとケビンはマナを手招きして自分の膝の上に座らせた。
するとマナは目の前のスプーン目掛けて自分から食らい付いた。
「あ、姫ってばぁ~、駄目だよ。」
ポンッと軽く頭を叩くが本気で怒っていないのはマナにも分かった。
そんなんでジャッキーをあしらいながら食事を進めていたらいつの間にか夜の10時近くまで時間が経過していった。
ボトルのワインも全部飲み干され、ジャッキーは空になった食器とワインボトルをワゴンに戻す。
「ゴメン、先寝て良いか?なんか滅茶苦茶疲れてさ。」
そう言ってケビンは空いたソファーに横になった。
マナの看病と昼間の戦闘の疲れのダブルパンチで心身共にかなり疲弊しているようだ。
「いいよ旦那。俺も風呂入ったらもう寝るからさ。お休み~。」
許可を貰うとケビンは布団を掛けるのも忘れて寝入ってしまった。
ジャッキーは呆れながらクローゼットからブランケットを引っ張り出して掛けてあげた。
「姫も寝ときな。疲れたろ?」
コートを脱いでハンガーに吊しながら振り向くとベッドで体育座りしているマナはどこか浮かない表情をしている。
「どうした?」
「ジャックは…これからどうするの?」
「え?どうするって?」
ジャッキーは内容が読み込めず、マナの正面でしゃがんで話を聞いてみた。
―この街を脅かす脅威は倒した。
―なら自分とケビンはもう滞在する理由は無い。
―でもジャッキーはここに残って店の人を束ねる役割がある筈だと。
「…あぁ…それなんだけどさ。」
重い腰を上げながらジャッキーは口を開く。
「俺はここには残らないよ。姫達と一緒に旅するって決めたんだ。」
「え?」
予想外の答えが飛んできてマナは驚く。
そのまま固まっていたらジャッキーの手が頭に乗った。
「店の事は確かに心配してるさ。でもミステシアを野放しにしてたら今度は世界全体が丸ごと奴らに買われてしまう、そう考えたら呑気に遊んでる暇じゃねぇって思ったんだ。」
それによ、とまた姿勢を屈めてマナを抱き締めた。
「旦那…誰かが見張ってないと直ぐに死んじまいそうだからな…だから俺があの人を支えていくって決めたんだ。」
「ジャック…。」
冷たい手が頬に触れてくる。
でも触れられた部分はジンワリと熱を帯びていた。
「じゃあ…一緒に来てくれるんだね。」
マナは頬を撫でるジャッキーの手に自分の手を重ねた。
「ん?やっぱ旦那と2人きりの方が良いか?」
「ううん、そんな訳無いよ。」
まだ何か言いたそうに重ねていない反対の手が服の胸元を握る。
「マナね、嬉しいの。ジャックと一緒だと。」
「へへっ、そうか。俺様も姫と一緒だと滅茶苦茶嬉しいぜぇ~!」
ありがとうなと頬擦りしてジャッキーは腰を上げる。
「じゃあ俺シャワー浴びてくるからな。姫も病み上がりだからそろそろ寝ないと駄目だぞ。」
マナがウンと頷くのを確認するとジャッキーはバスルームへと向かい、扉がゆっくり閉まった。
マナはそっとベッドから下りるとソファーで熟睡するケビンの近くまで寄った。
横になったせいか、前髪が斜めに崩れて目元が隠れている。
耳を済ますと寝息が聞こえてきて安らかな雰囲気だ。
投げ出された左手をそっと持ち上げると薬指に指輪がはめられているのに気付いた。
出会った日は手袋をしていて分からなかったが間違い無く本物の指輪だ。
「……。」
自分と同じで大事な人からの贈り物か、その左手を包んでマナは目を閉じる。
自分にもケビンの心の内を理解出来るだろうか…そんな事をふと考えるのだった。
【7】
満月の光は明かりの消えたホテルを静かに照らす。
風の音が窓の隙間から聞こえてサッシが振動するが室内の人間は触れずに熟睡している。
壁時計の針の音が規則的に聞こえる暗闇の中でジャッキーは寝苦しさを訴える。
「…う。」
眉が吊り上がってピクピクし、半分程瞼を薄く開ける。
全身に疲れが巡って重い。
それに喉も乾燥して不快だ。
「…ッ。」
舌打ちらしくない舌打ちをしてジャッキーは布団を捲った。
今の服装は寝巻き用の黒のタンクトップとスウエットの下。
ベッドから出るとカーペットの敷かれた床に素足の裏が触れてモフモフする。
それも意に返さずに浴室と隣接する洗面所へと向かうとそこで足を止める。
暗闇に紛れて小さな音、いや声を彼は聞き取っていた。
夜風に似た声、空気が闇に堕ちていきそうな声が。
洗面所とトイレの間の廊下、そこに答えはあった。
「…姫?いるのか?」
電気を付けなくても微かなシルエットだけでジャッキーはそこに誰がいるのかを把握する。
「…フゥ…ゥ…。」
ついさっきまで自分の真横で寝ていた少女は廊下の片隅で座って肩を震わせている。
ヒューヒューと空気が通気口を抜けるような声もしてジャッキーの目が覚める。
「姫、おい姫!」
明らかに普通ではない声にジャッキーはマナの正面に膝を付くと肩に手を乗せた。
そして驚く。
手から伝わる体温が氷みたいに冷たくなってるのを。
直ぐに額に手を当てるが発熱の兆候は感じられない。
それでも顔は真っ青で汗が滲み、目は瞳孔が開いてる風に見えた。
《寒さによる凍えとかじゃねぇ。この息苦しさ…この目の見開きぶり、まさかフラッシュバックか?》
それはジャッキーも知り、尚且つ自分も一度体感した覚えのある症状だ。
脳の奥にこびりついた嫌な記憶があるキッカケで蘇る苦しみ。
口では簡単に言えるがその苦痛は尋常では無い。
ジャッキーには何が原因なのかは特定出来る。
見知らぬマフィアの人間に捕らえられ、首に爆弾を取り付けられた事が。
《無理もねぇ…あんないつ死ぬかも分からない事されたんじゃな。》
ましてや幼い彼女にとっては大人以上に恐怖しただろうに。
忘れようにも忘れられないのだ。
「…姫。」
どう励まして良いのかなんて自分にも分からない。
それでも目の前で闇に打ち震える人間をジャッキーは見たくなかった。
「姫…聞こえる?」
胸の前で固く握られた小さな手を自分の手で包む。
「…ジャ…」
「そう、俺だ。息吐けるか?ゆっくりで良いから。」
優しい声が耳から脳に送られ、ハァ~と空気の通り道が広がる音がする。
「良いよ姫。そのままリラックスして、とにかく俺の顔を思い浮かべてくれ。」
気持ちを落ち着かせるようにマナの手をジャッキーは優しく包んで撫でる。
その温もりがあまりにも優しくて…マナの中で凍り付いていた何かが溶け出してくる。
「…あ…あぅ…。」
「大丈夫?涙出そうか?」
片手がマナの前髪を横に流し、汗ばんだ額にキスを送る。
さっきまで光を失くしていた水晶の瞳は潤んで目尻には雫が貯まっていた。
「大丈夫だよ姫、とにかく泣きな。俺ずっとここにいるから。」
ジャッキーは目を閉じると再度マナの手を自分の両手で握り、額を接触させる。
「…ひゃ…っ…ふ…。」
呂律の回らない声で必死に絞り出した一言。
でもジャッキーには何を言ってるのか分かる。
マナがその瞳で自分を見つけてくれたと。
「…ふぅ…ふっぐ…ヒッ…。」
奥歯をギリギリ締める音と同時に白い頬に透明な筋が流れる。
そのまま脱力した小柄な体をジャッキーは優しく全身で受け止めた。
「よ~しよし、良い子だな姫。偉いね。」
マナの顔を自分の胸元にピッタリくっ付けて後頭部をポスポス叩くと服の布地が水を吸って重くなるのを感じた。
それすらも愛おしいとジャッキーは優しく笑う。
「ゴメンな姫。さっき寝る時にハグしてやれば良かったな。」
大丈夫、大丈夫だからと訴えると鼻を啜る音が静かに響く。
マナは誰もいない暗闇が大の苦手だ。
その中で自分を見つけたジャッキーの存在はそれこそ一筋の光だった。
「まだ夜中だからもう少し寝ような。今度こそギュッってしてあげるから。」
自分にすがり付くマナを抱き上げてジャッキーは部屋へと戻る。
するとキッチンスペースの一角で明かりが灯っているのを確認した。
「…よう。」
「あ、悪いね旦那。寝れないの?」
「そうだな、どっかのお姫様の悲鳴が聞こえたもんでな。」
見れば先に熟睡していたケビンがシンクの前に立って水を飲んでいる。
ジャッキーの姿を見て振り向いたら手にしたプラスチックのコップを両手で包む。
「様子は?」
「うん…頭の中真っ白になってるっぽい。」
「…そうか。」
シンクの金網にコップを伏せると傍に駆け寄ってマナの後頭部に触れる。
シャンプーして艶々の黒髪は汗で少し濡れていた。
「どうする?もう1回風呂入らせようか?」
「いや、今暗い所連れ出してもパニックになるだけだ。待ってろ。」
ケビンはシンクの近くにあったハンドタオルを水で湿らせ、自身の手の熱で蒸すとそのタオルをマナの頬に当てた。
顔の汗を一通り拭うとシャツの背中に手を滑り込ませる。
「相当濡れてるな…。」
「」
「
「」
「」
【】
それからケビンは3日間の滞在を決めた。
マナはもう熱も下がったからと訴えるも万が一の事を考慮して出発を遅らせていた。
その間に街に出て必要な物を買い揃え、ホテルに戻ったらなるべくマナの傍らにいるようにした。
一方でジャッキーは連日休業状態のカジノに足を運んでいた。
マフィアによる運営権が無くなり、今度は自分達の手で店を新しくしたいと常連らから要望があり、心機一転と改装工事に取り掛かっていた。
勿論、屋敷から運んできた現金の大半を工事費用に当ててだ。
ジャッキーはカジノを建設した業者に連絡を取り、直ぐに改装工事は始まった。
そんな中、休憩時間を見計らってジャッキーは客達に自分もケビンに同行する旨を伝えていた。
「そうか、やっぱり行くのか…。」
「皆の気持ちは分かる。でも俺はもう決めたんだ。これ以上旦那1人に無理させたくないし。」
客達の意見は半分に分かれていた。
素直に自分の旅立ちを見届ける者とここに残ってほしいと反対する者にだ。
「俺達どんな風にしたらいいのか分からんし…。」
「今まで通りにやったらいいんじゃないか?」
「でもそれで売り上げ減ったらどうするんだ?」
ザワザワと騒ぐ空気にジャッキーも表情が固くなる。
予想はしていたが簡単に了承を得るのは困難なようだ。
その時だ。
「なぁ皆、これ以上ジャッキーに頼るのも止めないか?」
声を上げたのはスカジャンを着た大柄な男。
彼はケビンが初めて店を訪れた際に自分と彼を会わせてくれた人物だった。
「運営のやり方なんかまた1から勉強すればいいだけの話だろ。それよりも俺はジャッキーを自由にさせたいと思うんだ。あの兄ちゃんと一緒にいる時のジャッキー…凄く嬉しそうな顔しててさ。もしここに残ってもあんな風に笑う事なんか無いだろうってな。」
反対派の人間達は揃って無言になる。
賛成派の人間達も確かになと口を揃えた。
「だからさジャッキー、店の事は俺らに任せて貰えないか?前みたいに上手くいかなくてもお客が笑って勝負出来る場所になればそれでいいんだろう?」
「…。」
「ジャッキー言ってたよな。勝っても負けても楽しいと感じれるギャンブルがしたいって。ならその望みを俺らの手で実現させようと思うんだ。この街に戻ってきたら…そんな理想の店になれるように頑張るからさ。だから行ってくれ。」
この言葉に遂に数人が立ち上がる。
「そうだな、俺も賛成だ。」
「ジャッキー大丈夫だって。俺らでこの店守るからさ。だからジャッキーは世界を守ってきてくれよ。」
頑なになっていた反対派の人間も徐々に腰を上げる。
「そうだよな、ミステシアに好き放題にされたら店どころじゃないよな。」
「だな。一番肝心な所を忘れてたよ。」
「世界が滅んだらそんなのもパーになっちまうんだ。だったら行かせるべきだな。」
あちこちから自分の背中を押してくれる声が飛び交い、ジャッキーは驚くばかりだ。
「皆…。」
「お願いだジャッキー。俺達の分まで世界を平和にしてくれ。それで…必ず戻ってこいよ。」
気持ちを押さえられずに泣き出す者まで出始め、ジャッキーは拳を握り締める。
「分かったよ皆。その気持ちは確かに受け取ったぜ。俺様暫く留守にするけど…代わりに街を頼むぞ。」
「上等だ。これ以上ミステシアにヘコヘコ頭下げるなんざ御免だ。俺達の維持を見せてやるぞ!」
オォーッと一丸になる仲間を見届けてジャッキーは外に出た。
作業に入る人間も行ってこいよ、元気でな、と声を掛けてくれる。
「すっかりモテモテだなお前。」
「えっ!?だ、旦那?」
思わず振り向くとケビンがいつの間にか立っていた。
おまけに手慣れた様子でマナを抱っこしてだ。
「どうしてここに?」
「いやぁ天気良いしさ、気分転換に散歩してたんだよ。マナもずっとホテルに籠ってるから連れ出したら暖かくて寝ちまったんだ。」
キョロキョロと見回すと見知れた客達がどうもと頭を下げる。
「で、話は付いたのか?」
「まぁな。明日から自由の身になれるんだ。」
名残惜しそうに店の入り口を見つめるその横顔は何処か寂しそうだ。
「旦那、出るの明日にしてくれないか?今夜で荷物纏めるからさ。」
「好きにしろ。俺はいつでも構わねぇよ。」
作業の邪魔になると思い、2人は場所を移して大通りの端のベンチに腰を下ろしていた。
カジノに入れないせいかいつもより人混みは少なく、静かだ。
「姫…大丈夫そうか?」
「今朝熱測ったら下がりきってた。後はお前の判断次第で出ようと考えてたんだ。」
起こさないように静かに頭を撫でるとツインテールが風に揺れた。
同時に男のシャツを握る手に力が入り、甲に細い血管が浮かぶ。
小さいのに凄い握力だなとジャッキーは心の中で呟くとツインテールの毛先を弄った。
雲1つない空には太陽が顔を出していてシャツの背中が汗ばむ程の熱が籠ってくる。
「こうして見ると姫…本当に旦那の事が大好きなんだな。こんなちっこい手でギュウギュウに掴んで…絶対に手放したくないばかりにさ。」
「何だよそれ?嫉妬か?」
「少しある。自分だけのモノだって自慢してるみたいでさ。」
―誰にも触れさせず、渡したくない。
その小さな欲望が心の片隅にありそうだ。
「…ねぇ旦那?」
「ん?」
「ここ出たら…何処に行くんだ?行く宛てとかあるのか?」
【8】
ストレートな質問を振られてケビンは直ぐには答えられなかった。
自分が旅をしている目的はあくまで“復讐の為”だ。
でもそれは行き先が定まらない旅であるのも意味していた。
だからジャッキーの言葉が余計なお節介だと心の片隅で感じ取れてしまっていた。
「…分からない。」
「え?」
「俺は自分で何やればいいのかも分からないんだ…。今まで…ずっと…。」
段々と小さくなる自分の声が空しくてマナの肩に鼻先を埋めた。
自分はずっと1人だった。
家族を失ったあの日から今日まですっとだ。
もう誰も失いたくない。
その気持ちがモクモクと積もって…段々と孤独が楽しく思えるようにまでなっていた。
そしてその気持ちすら…今揺らいでいるのだ。
マナとジャッキー、2人の存在が自分の中に大きく響いているせいだ。
この数日の間に自分は“仲間”という存在を手にしていた。
決して持ちたくないと誓っていた禁断の物を。
だからいざ手にしてみても…2人の為にしてやれる事が一切無い現実を思い知らされていた。
俯いて呆然としていたらワシャワシャと髪の毛を撫でられた。
「そんな深刻に考えるなよ旦那。もっと肩の力抜けって。」
顔を上げて横を見るとジャッキーは困る処か逆に笑っていた。
「何やればいいか分からないって?何も無いなら見つければ済む話だろ?自分が今何をしたいのか思い出してさ、それを叶えていけばいいんじゃねぇのか?」
自分とは反対にポジティブな意見を述べる相棒の姿にケビンは掛ける言葉が見つからない。
「ジャッキー…お前。」
「まぁ急に言われても直ぐには見つからないだろうしさ。なら1回気分転換して考え直したらどう?丁度旦那に見せたい物もあるしさ。」
トントン拍子に告げるとジャッキーはコートの懐から筒状に丸めた紙を取り出した。
膝の上で広げるとそれはイベント公演のポスターだ。
「今朝の朝刊と一緒に折り込みで入ってた。見てみな。」
ポスターに印刷されてるのは腰まで長い銀髪の美女。
ノースリーブのドレスにふくよかな胸元と男を一気に落としそうな美貌とルックスだ。
ポスターの上部にはポップの文字で《さすらいの女神様 エルザ・フィーニーの旋風舞踊公演》と印刷され、場所や日時やチケット代が細かく明記されている。
「エルザ・フィーニーって…あのフリーダンサーか?」
「そうそう。フリーで世界を旅する絶世の踊り子とは彼女の事よ。一昨日からサンサシティに滞在してて公演は明明後日からやるんだと。」
ジャッキーの説明にケビンは自然と耳を傾けていた。
自分は芸能情報に関して疎いが彼女の評判は知っている。
フリーでありながらその公演模様は毎回テレビ中継され、ファンクラブは存在するわチケットの入手倍率は高いだのなかなかの手腕の持ち主だ。
更に公演場所であるサンサシティというのも聞いた事はある。
アイドルやお笑いのライブ、ドラマのロケ地としても有名な芸能界御用達の観光地。
芸能人がプライベートで食事に訪れる事も多く、週刊誌にも度々取り上げられるほどだ。
「…これってさ、テレビ局の人間も来るのか?」
「あぁ。週刊誌に新聞、万が一に備えて警察も湧いてくるだろうよ。視聴率の獲得にはピッタリの材料が得られるんだからな。」
話を聞けば聞く程ケビンはポスターの女性に不信感を抱いていた。
ジャッキーの口振りを悪く言いたくないが…そこまで聞くと単なる客寄せパンダみたいになってると口に出したかった。
「どう旦那?興味あるなら見に行かねぇか?チケットなら俺様がどうにかするしさ。」
「…そうだな。」
ケビンがノーと言ってないと悟ったジャッキーはポスターを再度丸めて懐に仕舞う。
「いやぁ良かったよ。旦那もこういうの興味あるんだなぁって感心したわ。」
「…お前そんなに人の事貶して楽しいのか?」
「貶してないよ。ただ…旦那が心配でさ…。」
独り言だと通したいのか、ジャッキーはケビンから顔を反らして頬杖を付く。
「旦那…何かやりたいならしていいよ。変に気遣いなんかしても俺様が困るだけだからさ。」
「…。」
「だから…無理に素直になれって言わないから…もっと笑ってよ。旦那いつも泣きそうな顔しか見せないから…俺滅茶苦茶心配なんだ。旦那が笑うのが不気味だとか頭がイカれてるとか…そんな事言う奴は海に沈めてやるから。」
足元に風が吹いてゴミがカサカサと飛ばされていき、暫しの沈黙が流れる。
ケビンはマナを抱いていた左手を自然とベンチに下ろし、ジャッキーは当たり前のように右手で手繰り寄せて握った。
2人の男が手を繋ぐ、その異様な光景を見て遠ざかる人間はいなかった。
太陽が誇らしげに見守る以外には…。
【9】
その日の夜。
暗くなった街の通路をホテルのフロントの明かりが静かに照らしている。
外出していた宿泊客数人が千鳥足に近くなりながらもホテルに入っていく。
当直のフロント係は優しく出迎えながら客にルームキーを返却していた。
それを見守るように応接スペースの奥にあるエレベーターの扉が開いた。
「あ、ウェルパ様どうも。」
若い従業員がお疲れさまですと降りてきた男2人にお辞儀した。
その1人がホテルの看板客なのを見て他のフロントマンも続く。
「よぉ、レストランの方はまだやってるか?」
「あ、ハイ。」
腕時計で確認すると時刻は9時に近い。
ラストオーダーはもう過ぎているが片付けを考えると人は残ってると推測出来る。
「良かった。電話借りるぞ。」
勝手知ったるようにジャッキーは館内電話の受話器を取ると厨房の番号を押した。
「おう、俺だ。小腹空いたから“いつも”のアレ作ってくれ。3人分な。金は俺が持つ。」
簡略に注文し終わるとケビンがおいと肩を叩いてきた。
「そんな至れり尽くせりな真似良く出来るなお前。」
「心配するなって。ここの料理長とは仲良しだから問題ねぇよ。」
それよりも急ぐぞと言われてケビンは気不味くなりながら降りてきたエレベーターへと戻る。
最上階へのボタンを連打しながらジャッキーは壁に背中を付けた。
「姫良い子にしてるかな旦那?」
「…お前は母ちゃんかよ。」
それもその筈、ケビンとジャッキーはホテルの地下にあるバーで飲んできたのだ。
お約束ながら子供は入れないのでマナには部屋で待ってるように言い残してだ。
「もう今日は飲まねぇからな。」
「分かってるよ。俺だって馬鹿じゃないから。」
度数の高いウイスキーを飲まされてケビンは二日酔いギリギリに近く、でもマナを寝かし付けないとなんとか理性を保っていた。
やがて小さなベルの音がしてエレベーターは止まり、2人は柔らかな赤絨毯の敷かれた廊下を歩く。
静まり返った廊下の先、白い扉の前に来るとインターホンの下にある溝にカードを差した。
ランプが赤から緑に変わって扉を開けると部屋の中は静まり返っていた。
「ただいま姫様~、ナイトがお帰りになりましたよ。」
「馬鹿かお前は。」
何がナイトだとツッコミを入れて部屋に入ったケビンはベッドに近寄って状況を見る。
マナは掛け布団の上に倒れ、何故か枕を抱き締めていた。
確認するとベッドに2個ある枕の内の一つが抱き枕にされている。
「マナ、ちゃんと布団入らなきゃ駄目だろ。」
世話が焼けるなとブツブツ言いながら起こそうとしたら枕の皺が深くなり、寝言が聞こえた。
ケビンはその一瞬で手を止めながらも両肩を掴んでベッドから直立させた。
すると瞼を擦りながら半開きの左目が向けられた。
「あれ…ケビン…?」
「あぁ俺だ。お前ベッドの上で寝てたろ。また熱出たらどうするんだ?」
一応額に手を当てると体温が上がっている感じは無いので安心し、片手で肩、もう一方の手を膝の裏に添わせて持ち上げた。
「だって…。」
「だってじゃない。お前に何かあると思うと俺…心配で堪らないんだよ。」
お姫様抱っこの姿勢でベッドに腰掛け、膝裏を支えていた手が後頭部に移る。
入浴はしていたらしく、髪の毛の所々が濡れて冷たくなっていた。
「眠いなら布団の中で寝ろ。良いな?」
「…うん。」
かなり反省したのか、マナは持っていた枕に鼻を埋める。
一連のやり取りをジャッキーはケビンの背後から観察していた。
「旦那、程々にしとけって。姫だって旦那が居なくて寂しい思いしてたんだから。あんまり責めるなよ。」
【10】
キツくと思わせるような口調でジャッキーはケビンからマナを横取りすると自分の膝に座らせた。
屈んで顔を覗くとマナはトロンとした表情で船を漕ぎそうだ。
「ウフフ、姫ギューッてすると温かいなぁ。」
「止めろ変態。」
ケビンは飽きれ混じりでジャッキーの耳を引っ張る。
「イダダダ!だ、旦那そこ駄目だって!」
「だったら気味悪い事するな。」
離した耳が真っ赤に染まり、ゼーゼーと苦しむジャッキーを尻目にケビンは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
部屋の主に無断でキャップを開けるがジャッキーは気にせずにマナにベタベタしていた。
「いっそギャンブル止めてストーカーにでも転職しろよ。」
「職業すらねぇだろそんなの。いい~の、姫だって嫌がってないしさ。」
ねぇ姫様~と猫なで声で甘える男にケビンは飲んでいた水を詰まらせまいと必死で飲み込む。
「ジャッキー、お前マジで外出ろ。ビンタで済ませてやるから。」
ペットボトルを倒さないように机に置くのと同時に部屋の扉がノックされた。
「ウェルパ様、お食事をお持ち致しました。」
来たなと呟きながらジャッキーはマナを抱いて扉を開ける。
すると若いホテルマンが銀色のワゴンを押して入ってきた。
ワゴンの上にはクロッシュが3個置かれてある。
「無茶言って悪かったな。ありがとよ。」
「構いません。あの…お酒はどうしましょうか?」
「遠慮しとくよ。さっきまで飲んでたから。」
渡された領収書にサインしていてジャッキーは何かを見つけた。
クロッシュの間にわざとらしく添えられた紙切れだ。
「これは?」
「あ、ハイ。お部屋に伺う前にホテルを訪れた男性から預かったのですが…。」
なんだか空気が重くなってきたのでホテルマンは失礼しますと即座に退室した。
ジャッキーは扉が閉まる音もそこそこに紙切れを広げた。
四つ折りになったメモに目を落とすと…眉間の皺が微かに濃くなった。
「……。」
無言で紙をグシャリと潰して上着のポケットに入れようとしたらその手が掴まれた。
「おいどうした?」
自分にも見せろとばかりにケビンは緊迫な顔で見つめてくる。
でもジャッキーは暫く睨まれると手を振り払った。
「旦那には関係ないだろ。こんなのただのゴミだし俺なら平気だから。」
「何が平気だテメー、さっきまで恐い顔してたろ。言えって。」
逃げようとして肩を掴まれたのでジャッキーは遂に観念した。
「…分かった。急で悪いけどさ、明日時間くれねぇか?1日で良い。」
マナの後ろ頭をポスポスしながらジャッキーはそう答えた。
その顔がメモを凝視していた顔なのを見てケビンは肩から手を離す。
「…無茶するなよ。」
シャワー浴びてくると浴室へ走り去りながら言い残したケビンにジャッキーは罰の悪そうに唇を噛む。
本当は素直に謝りたいが…自分の悪癖が災いして返答に迷ってしまった。
《ゴメンよ旦那…これ以上アンタを巻き込むのは性に合わなくてさ。気に入らないなら好きなだけ土下座でも何でもしてやるよ。》
胸の奥にモヤモヤとガスが溜まり、それを振り払うようにジャッキーはクロッシュを取り払う。
運ばれてきたのはローストビーフとレタスを挟んだサンドイッチにコーンクリームスープ、マグカップに入ったホットミルクだ。
持ち上げたサンドイッチを一口食べて…口の中が不快な感じになる。
湿った新聞紙でも食べてるような気がして味がしなかった。
《…。》
部屋の奥から水音が聞こえて瞼が落ちそうに重くなる。
自分でも分からないモヤモヤに悩まされて味のしないサンドイッチをひたすら噛った。
そのモヤモヤは影のように足元から迫り上がり…肉体を包んでいく。
この先…よもや悪い予感しか無いと警告されながら。