繋がれる絆!闇の力よここに現る
【1】
ここはホワイトヒルズにある国際警察総本部。
最上階の部屋でアルフレッドは椅子に腰掛け、部下からの電話連絡を貰っていた。
「それじゃあもう向かったのだな。」
『えぇ、申し訳ありません。止められずに…。』
「無駄だろうな。逮捕状を請求しても大人しく食い下がる連中では無い。我々には手に負えないだろう。」
受話器越しから微かに波の音が聞こえ、アルフレッドは窓の外を眺める。
「その場の全員に伝えろ。直ちに本部に帰還しろとな。後は私が行く。余計な真似はするな。」
ラジャー、ボスの返答が聞こえて電話を切ると同じタイミングで扉がノックされた。
「入りなさい。」
直ぐ様扉がが開き、若い制服の警官が入室してビシッと敬礼を決めた。
「失礼します。セルビア支局刑事課巡査長アダム・レニィ・ワトソン、参りました。」
薄いレモン色の短髪と相反するサファイアブルーの瞳がマッチする凛々しい顔をアルフレッドは捉える。
部屋の証明は青年の青の瞳と何故か左耳に付けられたブルーの菱形のピアスを煌めかせた。
「お呼び立てして悪かったな、ワトソン君。」
「滅相もありません。総司令直々の任務を断るのは職務に反するのと同じですから。」
チャラそうな顔付きとは反対に凛々しく返答する青年とアルフレッドは改めて向かい合う。
「早速だがキミにはサウス海岸の沖合いへ向かって貰いたい。任務の詳細は…」
「副司令含む以下の人質の救出…ですよね?」
先に答えを告げる巡査長にアルフレッドは頼もしそうな眼差しを差す。
「なら話は早い。私も同行するから急いでほしい。直ぐに屋上ヘリポートへと来てくれ。」
はっ、と返答を待たずにアルフレッドは椅子から立ってアダムの横を通り過ぎ、足を止めた。
「…ワトソン君。」
「はい。」
「本来ならキミに今回のような依頼を任せるのは私の意に反する物でな…自分にそぐわないなら辞退しても構わんからな。」
忠告のように告げて退室しようとしたら背後からボス、と呼び止められた。
「お気遣い感謝しますが…僕は平気ですよ。あの人も巻き込まれてるなら尚更ですし…それに…」
無垢な子供みたいに笑う青年はピアスの付いた左耳を見せつけるように指で支える。
「僕にはいつも…兄さんが隣にいますから。」
兎に角心配しないでほしいと訴えられてアルフレッドもそれ以上追及しないと口をつぐむ。
すると自分の目の前の扉がノックして開いた。
「ボス、出動準備出来ました。」
「分かってる。今向かうからな。」
その場を離れようとした部下を見つめてアルフレッドは待てと呼び止めた。
「すまんが頼みがある。目的地に行く前にどうしても寄らなければ場所があってな。」
「はい、どちらに向かわれます?」
待ち侘びてた顔でポケットから小さなメモを取り出した。
「この番号に電話を入れてくれ。今直ぐにだ。」
「ラジャー、ボス。」
メモを受け取って敬礼すると彼はその場から走り去った。
アダムは背後から覗き込んで上目遣いに見てくる。
「誰かお呼びするんですか?」
「あぁ。キミも良く知ってる人間をな。」
自分以外にも助っ人を頼んだのかとアダムが予感していた頃、そこはホワイトヒルズから遠く離れた草原。
美しい緑の大地に聳え立つのはゴルフ場をイメージさせる四辺形の屋根の建造物だ。
大きなガラス窓の向こうには大勢の老人がおり、思い思いの時を過ごしている。
そんな和やかな場から少しだけ離れた広間の隅で1人の女性がコードレス式の電話を握っていた。
「…分かったわ。私も直ぐに準備するから。なるべく急いでね。それじゃあ。」
緊迫した顔で通話を終えると傍らに控えていた女性職員に電話機を差し出す。
「ナツメさん。後で外出要請の伝票出してくれる?」
「はい。でもお独りで大丈夫ですか?」
「心配しないで。私を誰だと思っているの?貴方は周りに気付かれないように身を潜めて貰えるだけで充分だから。」
ウェーブの掛かった薄い灰色の髪を掻き上げて老婆は椅子に立て掛けた杖を握る。
「それと戻ってきたら貴方にも紹介してあげるわね。彼の事。」
「あ、はい。」
ナツメと呼ばれた若い女性は不安を思わせないように引き攣った笑顔を見せる。
「じゃあ私は支度があるから。貴方は仕事に戻って。」
肩を借りさせて貰って立つと杖を前に出しながら老婆は歩き始めた。
ゆっくりと歩きながら広間を出て廊下に入ると窓から照りつく太陽を見つめた。
太陽の周りに分厚い雲が密集してるのを見て老婆は眉を潜める。
《雨雲では無いけど…嫌な予感しかしないわね。》
彼女は過去にある男から教えを受けていた。
―太陽が隠れる時は不幸が降り掛かる予兆だと。
光を闇が覆い隠して希望を途絶えるモノとも。
我が儘振りに太陽を隠す灰色の雲は影を落とし、空は不気味に暗くなる。
老婆はこれ以上太陽が隠れないでほしいと切に願いながら自室へと急いだ。
【2】
また場所は変わってここは海の上。
一目見れば物資と大差無い数個のコンテナを積んだ黒い船が海をゆったり運航している。
船首付近では2人の男がのんびり釣糸を垂らしていた。
「ふわぁ~、暇だな。」
「だな。」
見張り役の男は大きな欠伸をして眠たげにしている。
付近に不審な人影は無いわ、魚は掛からないわで完全に堕落していた。
「誰もいねぇし、早く根城とやらに戻れば良いのにさ。」
「そうだな。俺らもこんな船の上で一生暮らすのは乗り気じゃねぇし。」
すっかり仕事の手を抜いてボンヤリしていたら海に垂れていた釣糸が急に引っ張られた。
「おぉ!デカイぞコレ!」
「ま、待てよ!コッチもだ!」
2本の釣糸が共通の獲物に食い付いたのか、竿を取り上げるみたくグイグイ張ってくる。
「じゃせーので引くぞ。良いか?せーのっ…!」
息を合わせて竿を引くと大量の水飛沫を纏った獲物が姿を現した。
そしてその姿を見て見張りは硬直する。
その獲物とやらが予想外の生き物だからだ。
鮫でもイルカでも鯨でも無い…とんでもない奴が。
「な、なんだコイツはわぁぁぁ!」
全容を見る前に2人は断末魔を残して視界から消えた。
濡れた甲板にブッと竿だけを吐き出して獲物はまた海中に戻る。
すると水飛沫に混じって誰かが船に降り立った。
「よ~し、作戦成功だ。」
「…意外とえげつない事するなお前。」
ジャッキーの眼前に赤い羽が落ちてきて主の男がフェニクロウの背から降りる。
「フッフッフッ、俺様の完璧な計算にミスなど…ぶわっくしょい!」
「ちょっと!飛ばさないでよ馬鹿!」
ちょうどくしゃみの飛沫が掛かる前にいたエルザはジャッキーの腰辺りを足でゲシゲシ蹴る。
「いだっ!ちょ姐さん痛いって!止めて!」
「…お前も沈んだらええちゃうんか?」
完璧な登場をぶち壊されて泣き喚くジャッキーに周りが引いていたらナイスタイミングでヴォルフとトラピカ、リンクスの3匹が船に合流してきた。
「なんだ?誰も居ねぇじゃん。」
「中に引き篭もってるだけよ。多分相当な人数いるだろうね。」
見張りがあの2人だけとはいえ油断は出来ない。
この船に何人待ち構えているかは把握出来ないのだ。
「さて、どう攻略するのリーダー?」
「いや姐さん。そこは敢えてダーリンって…ほげっ!」
みぞおちを鉄拳制裁されて苦しむジャッキーにラビがスタスタ近寄る。
『マスター、ジャッキー様って案外ドMなお方らしいですね。めげない理由が今頃分かりましたよ。』
「わあぁぁラビ駄目だって!シッ!シーッ!」
とんでもない言葉を口にするラビをキドマルは急いで押さえる。
この勢いではエルザをドS呼ばわりして彼女に喧嘩を売る事態になってしまうからだ。
「ん?今何か言った?」
『あの…ジャッキー様がドMならエルザ様はドSなお方なのではと』
「止めろって言ってんだろ馬鹿兎もどき!」
耳の付け根をむんずと引っ張られてラビは途端に涙目になる。
『ギャアアアア!お許しをぉぉぉ!』
「キド、程々にしとけ。」
リュウガは弟達の馬鹿ふざけを止めてケビンの背中を叩く。
「兄貴どうする?直ぐにビルスって奴の所に行くの?」
「いや、まずはちい兄と合流する。」
「え?」
予想外の答えを返されてリュウガは目を丸くする。
「リュウ、お前ちい兄の手紙の内容覚えてるか?」
「え~と、確かミステシアの奴らが極秘裏の計画立ててそれでマナを狙ってる話だろ?だから自分がビルスに近寄って情報を盗むって…」
そこでリュウガは何かを悟る。
ケビンがそんな提案を持ち掛ける理由は1つだけある。
ユリウスから情報を引き出そうとしてる事だ。
「でも兄貴、あんな奴信用して良いの?俺まだあの人を仲間だなんて思ってないよ。だってまた兄貴の事裏切ったりするんじゃ…」
「リュウ。」
そこでケビンはリュウガの肩に手を置いた。
「俺はちい兄を信じてる。アイツは…死ぬのを承知でマナを匿ってくれたんだ。本気でビルスに寝返ったなら最初から俺達全員始末してた筈だ。」
ケビンの目が澄んで真っ直ぐなのを見てリュウガは掛ける言葉すら浮かばずに呆然とする。
「心変わりしてないなら…ちい兄は絶対に約束破ったりしねぇよ。俺にも…昔からそう言ってくれてたからな。」
ケビンの手が震えてるのを見てリュウガは彼の脳裏に浮かぶ光景をイメージしていた。
きっと子供の頃の事を思い出しているのだろうと。
周囲から冷たい目で見られ、家族しか味方のいなかったかつての自分を…思い起こしているのかと。
「お前も兄貴の立場なら分かる筈だ。弟や妹には絶対に嘘付かないって。何か約束したら絶対に破らないし…何があっても守ってあげるって。そう思うだろ?」
それはリュウガにも当てはまる返答だ。
キドマルと出会ってから自分は兄だと振る舞ってきた。
学校にも行けず、友達にも恵まれない弟を1人で守ってきた。
弟の前では優しくて強くて頼りになる兄だと信じ込ませてきたのだ。
「きっとちい兄も同じ事考えてる筈だ。アイツちょっと心配症な所あるし…俺がなんか無茶したら直ぐに騒ぐしさ。昔のままなら今頃…俺と色々話したいって思ってるさ。」
口角が少し上がって笑ってる風に見え、リュウガは何も言わずにケビンを見守る。
「…おっと、変な事言って悪かったな。ちい兄の事ばっか話してもお前退屈するだけだし…行こうぜ。」
【3】
話をそこで切ってケビンが走ろうとしたらリュウガは彼の右手を離すまいと掴んだ。
「…どうした?」
「兄貴、俺も変な事言って良い?俺は兄貴と初めて会った時からずっと考えてた事があるんだ。」
グローブ越しからでも焼けるように熱い右手をリュウガは両手で包む。
「俺…ずっと兄ちゃんか姉ちゃんが欲しかったんだ。俺も兄ちゃんから誉めて貰って…色々甘えたいって考えてたんだ。だから兄貴と一緒に話してて…スッゲー心地好かったんだ。」
自分より大きな右手を胸に当ててリュウガはその眼差しを夕焼け色に染める。
「兄貴が俺を弟だと思ってるなら約束して。俺は何があっても兄貴を信じるって。何があっても兄貴を裏切ったりしないってさ。約束出来る?してくれるか?」
幼い子供みたいな純粋な眼差しを向けるリュウガの顔は真剣だ。
ケビンは悪ふざけなど無しで本気で告白してると感じてその右手を振り払う。
そして自由になった右手を明るい金色の髪に乗せてワシャワシャ撫でた。
「…ありがとな。」
照れ臭そうに笑うとその瞳を細めて明かりの無い船の奥へ向ける。
誰もいないその空間から…淀んだ空気が流れてくるのを感じる。
「…行くぞ。」
低い声で一言、その一言が合図となった。
ケビンが一歩踏み出すのを見て仲間も彼の後に続く。
鉄骨式の階段の下を通り、直ぐ真下の扉を開くと通路は真っ暗で何も見えない。
「おいおい、電気通してねぇのか?」
「確かに暗いと不便やな。誰かライト持っとらんか?」
「あっ、僕持ってます。」
キドマルは背中のリュックを床に下ろして中から小型の懐中電灯を取り出した。
ところがカチカチとスイッチを押しても反応が無い。
「お~い、電池あるか位確かめとけよぉ。」
「そんな事言ったって…あ、それなら。」
ジャッキーに文句を言われながらもキドマルはめげずに握り部分の蓋を開けて中の電池に指先を当てる。
すると電池から火花が飛んで電球がパッと明るくなった。
「これならかなり持ちますよ。」
「あら便利ね。これなら停電起きても大丈夫だわ。」
『エルザ様、私のご主人は発電機じゃありませんよ。』
懐中電灯の明かりを床や天井に当てながら慎重に進んでいく。
しかし歩いても歩いても自分等以外の人の気配が感じられない。
「マジ?本当に誰も居ねぇの?」
『変ですわね。少数で取り押さえる程警察側の人員も数は足りてると思いますが…。』
キドマルの肩に乗って周囲を見渡すラビはふと何かを見つけたように耳を立てる。
それに合わせて額の角もピーンと伸びた。
「どうしたの?」
『…不気味なオーラが漂ってます。それも1人、若しくは2人以上は…。』
キドマルもその言葉を信じて懐中電灯を真っ直ぐ通路側に向けると暗闇に微かな光が見えた。
「なんだろう…部屋ですかね?僕見てきます。」
ケビンに了承を得て駆け出そうとしたが直ぐにガデフに襟首を掴まれて足止めされた。
「アカンアカン、見つかったらどないするんや?止めとき。」
「でもユリウスさんが居るかもしれないですよ。だから様子だけでも…。」
それでも部屋に行こうとする主人にラビは尻尾がヒンヤリするのを感じた。
思わず上を見ると横縞状の金属の蓋が天井に取り付けられているのを確認した。
そしてラビの脳内に自分の産まれた研究所に潜入した記憶が蘇ってくる。
『ガデフ様。』
「なんや?」
『私を肩車して貰いますか?あの蓋に届くように。』
「あ?別にええが何する気や?」
ラビは床に下りると人型に変化してガデフの首と肩を覆うように背に乗った。
「いくで、せーの。」
ガデフが上半身を上げると思惑通りに天井の蓋に指先が触れた。
そこから網の隙間に指を入れて筋力を込めるとガゴッと鈍い音がして蓋が外れた。
穴から顔を上げるとそこには太いパイプが何本も設置された空間に繋がっている。
《予想通りだ。ここからなら見つかるリスクも減るし盗み聞きも容易に出来る。》
左右を見渡して体も天井裏に上げると直ぐ真下に報告する。
『皆様も上がってください。ここから部屋の天井裏へ行きましょう。』
「お、良い事思いつくじゃんウサ吉。」
「てかあれだろ?お前それ研究所忍び込んだ時と同じ手段使おうって思っただろ?」
『勘が鋭いですね坊っちゃん。下が駄目なら上から行くという事ですよ。さ、早く。』
ラビに急かされてガデフはヤレヤレといった顔になりながら仲間を見渡す。
「皆行くで。ワシが上げたる。」
「オッケー。じゃあ最初俺が行く。」
リュウガが真っ先に挙手してきたのでガデフは上りやすくするように腰を下げて四つん這いに近い体勢を取る。
「おっちゃん重くない?」
「何抜かしとんのや。お前みたいにお菓子ばっか食べてるヒョロガリなんぞタンポポの綿毛と同じや。」
「タンポポって…もっと良い例え方あるじゃん?てか叔父貴笑うなよ。」
わざとそっぽを向いて吹き出し笑いをする変態にガデフは早くせいとリュウガを促す。
「よし、じゃあ次はチビ助と嬢ちゃんや。一緒に上がれそうか?」
「大丈夫ですよ。僕おぶりますから。」
キドマルは宣言するとリュックを前背負いにしてマナの前にしゃがむ。
「マナちゃんおいで。」
「え?良いの?」
「心配しないで。僕それなりに力あるから。」
不安がらせないように笑顔で催促するとマナはおどおどしながらもピョンっと飛び乗る。
「行くで、せーの。」
肩に足が乗るのを合図に上体を上げるとリュウガが腕を伸ばして2人を引き上げる。
「ほら、あとお前らだけやで。」
「上等。ここはレディーファーストでエルザ姐さん、お願いしやす!」
「…。」
「ジャッキー止めろ。額に血管浮き出てる。」
「せやな、今の内に謝っとくのが先見やで。」
当然ながら頬に大きな平手痕を貰ってジャッキーは肩車の刑に処されていた。
毎度の光景なのでツッコむのも勿論誰も居ない。
「ホンマに誰かコイツ仕付けて貰えんかの?」
「無理だろうな…。」
彼女でも出来ない限り一生このままだろうと感心しながらケビンは落ち込むジャッキーの襟首を掴まえてガデフに持ち上げて貰う。
「ガデフさんオッケー、掴まって。」
「あ、兄貴。俺も手伝うよ。」
全員が天井裏に上り移り、ケビンは最後に残ったガデフに手を差し伸べる。
身長が通気口にギリギリ手が届く程なので手さえ掴まえればあとは引っ張るだけだ。
「せーの、うおぉぉ…。」
「うわぁ、おっちゃん重過ぎだっての…。」
「ケビンさん手伝いますよ。」
『私も助っ人を。』
「ほら、アンタも早く行きなさいって。」
「ひえぇ、姐さんそこは駄目だって…。」
【4】
若干1人変なのが入り交じりながらパーティの男性陣総出でなんとかガデフを持ち上げた。
全員が居るのを確認するとラビはキドマルから懐中電灯を借りてパイプの配列を明かりで照らす。
『行きましょう、コッチです。』
「ラビ、あまり物音立てるなよ。」
「でも誰も通らないから逆に大丈夫な気が…。」
確かにここまで見張り以外には誰とも遭遇しておらず、逆にそれが不気味だった。
「なぁ、もしかして俺らが忍び込んだのとっくにバレてるんじゃねぇのか?」
「ね、ねぇ怖い事言わないでよ!ビビるじゃん!」
「なんだプリンス?おっかねぇのか?」
リュウガに怒鳴るキドマルを見てジャッキーは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「こ、怖く無いですよ!」
「そうか?じゃあなんで手震えてるんだ?」
「これは寒いから震えてるんです!」
「そうか?だったらお前だけ引き返しても別に良いんだぜ?」
「止めろって馬鹿。苛めるなよ。」
過剰に脅す相棒にケビンも嫌気が差して腕を掴む。
『…ケビン様。』
「おっと悪いな。」
『いえ、別に貴方の声が煩い訳では無くて…。』
振り向くとラビは階下から光が漏れている箇所を見つけて立ち止まっていた。
そこには自分等が入ったのと同じ通気口で塞がれている。
『お静かにして貰います?声が聞こえるので。』
ラビはそっと身を屈めると通気口の格子に耳を当てた。
会話を聞いていたらその下の部屋には3人の人間がいると判断出来た。
その内の1人はケビンらが良く知ってる人物でもあった。
-「これで片付きましたね。」
-「まぁあの女は最初から胡散臭いのがバレてたからな。それに比べりゃお前が一番マシだったこった。」
―「…。」
見知らぬ人間の声は1人が紳士的な声、もう1人は荒々しい悪ぶった声だ。
-「ではこれは約束の報酬です。どうぞ受け取ってください。」
-「これだけか?」
-「それは前金です。残りは商品を売り飛ばした金額を山分けしますから。」
―「フン、精々有り難く受け取りな。」
やり取りを推測するとどうやらユリウスは向こうから金を貰ったらしい。
“商品”という単語が気になるが続け様にこんな会話が聞こえた。
-「…で?これからどうすんだ?」
-「そうですね…一先ずは商品を買ってくれる方を探さないといけないので根城に戻ると。」
-「成る程。それで地下にある化け物はどうするんだ?」
―「そちらも運び入れます。やはり船で調整するのは至難の技ですから。」
―「テストも兼ねてか?」
―「おや、ご名答ですね。手始めに今ここで作動させても良いのですよ。」
―「それは御免だ。あの眼鏡の男が飛んできたらどうする?」
―「ホッホッホッ、冗談ですよ。あれは私達の大切な切り札ですからね。もう以前のポンコツの二の舞は踏ませないですよ。」
ここまで聞いてラビは1つの確信を得ていた。
この船は普通の船では無い。
ビルスの言葉が正しければ…この船には恐ろしい物が積まれてるのだ。
更に彼らはその恐ろしい物を市街地に投入する気でいるのだ。
―「では、商品の品質チェックでも行きますか。後は頼みましたよ。」
その言葉を最後に扉を開け閉めする音が聞こえ、部屋の中にはユリウスだけが残されていた。
無人に近い部屋でユリウスは備え付けのパイプ椅子に腰掛けると懐から煙草とライターを取り出す。
一服しながらユリウスはビルスから受け取った封筒に目を落としていた。
一見するとペラペラな封筒の外からは中の紙幣が透けて見えている。
「…。」
ユリウスは金を受け取ってるのに嬉しいとは思わなかった。
寧ろ罪悪感が先に込み上げていた。
早くこの場から逃げたいのに…頭の中で逃げるなと呼び掛けられている気がしたから。
封筒の面が悪魔の笑ってる顔に見えてきてユリウスはライターの火の先端を封筒の影に近寄らせる。
―そうだ。これが燃えたら自分は自由になれるのだ。
―なら戸惑っていては仕方無い。
―やるしかない。
決心して封筒を燃やそうと火を更に近付けようとした時だ。
「止めときな。そんな事したって何も起きねぇよ。」
封筒の角がチリチリ弾けながら焦げるのを見守る男はライターのスナップから指を放した。
「それは証拠品として出さなきゃならねぇ物だろ?それはアンタが一番分かってる筈だ。」
封筒を持ったまま顔だけ上げると奥の戸棚と自分に挟まれる形で男が立っていた。
ユリウスの方を見て呆れたように笑う男をドロッとした暗い瞳が睨む。
「…何しに来た?」
「決まってるじゃん。兄者達助けに来たんだよ。」
両手を頭の後ろに組んでニコニコ笑う男をユリウスは無言で睨み返す。
「…俺は来るなと言った筈だ。」
「え?そんな事言ってた?でも手紙にはそんなの一言も書かれて無かったよ。」
呑気に答えるケビンの耳にバシッと叩き付ける音が聞こえた。
見返すと封筒が床に落ちてユリウスが目の前に立っている。
「…お前、俺の言った事は守るって約束したんじゃねぇのか?」
「…。」
「言った筈だ。お前にはこんな所で死んでほしくねぇって。なのになんで来た?」
ガシッとシャツの襟元を掴むユリウスの手は感情が荒ぶって小刻みに震えている。
「…呆れたぜ。いつからお前はそんな嘘付きの大馬鹿野郎になっちまったんだ?きっと親父が聞いたら怒鳴られてどっか閉じ込められてるな。」
今にもシャツを破きそうな勢いでユリウスは問い詰めるもケビンも負けじと返す。
「分かってよ。ちい兄の言いたい事は全部理解した。だから助けに来たんだよ。」
ケビンが真っ直ぐに言うとユリウスは乱暴にシャツを離し、踵を返して新しい煙草を懐から出す。
「ちい兄が俺の事心配してくれるのは嬉しいよ。でもその為に死ぬのはそれこそ父さんが一番望んでいないと思うんだ。それじゃあ自分が犠牲になった意味が無くなるって…きっとそう考えてるよ。」
ビリビリとセロハンが切れる音がしてユリウスの足元にビニールの切れ端が落ちる。
「俺思うんだ。俺達兄弟には大事な役目があるって。父さんが残してくれた物を守って生きる役目が。だから1人でも欠けちゃいけねぇんだ。」
ケビンは胸元に手を当てて目を閉じていた。
脳裏に浮かぶのは優しくして厳しかった父親の顔だ。
最大の理解者でもあった父親の死は自分の心に影を落としていた。
それでもケビンは父親を忘れずに生きてきたのだ。
「ちい兄。」
「…なんだ?」
「マナと約束したろ。俺と仲直りしてやるって。今がその時じゃねぇのか?俺も約束破ったの謝るからさ、機嫌直してくよ。な?」
【5】
物をせびるように合掌して頭を下げるとライターのスナップ音が数回聞こえた。
ガス欠してるのかと思ったが紙の焼ける音と白い煙が見えた。
溜め息の混じった煙を吐きながらユリウスはケビンに振り向く。
「…変わらないな、お前。」
「え?」
「俺らに嫌われたくないって必死にアピールしてる感が丸見えなんだよ。そんな真似しなくても俺がお前を裏切る訳ねぇだろ。」
大人びた態度で煙草を吹かす兄の姿は何処と無く死んだ父親を彷彿とさせていた。
そういえばユリウスは父親をかなりリスペクトしていたと思い出して笑みが溢れた。
「まぁ俺も早いとこ引き上げようと決めてたんだ。ボスへの手土産も手に入れたしな。」
ズボンの後ろポケットに手を忍ばせ、小さな四角い物が見えた。
透明ケースに入れられ、ピンクのヘアゴムがクロスに止められた小型のROMディスクだ。
「グスタフから隠れて頂戴した物だ。このディスクには恐ろしい化け物の情報が記録されててな、ある程度情報は得られる筈だ。」
「化け物?キラービーストか?」
「…やっぱお前が首突っ込んでた噂は本当だったんだな。」
ユリウスはROMディスクを部屋のテーブルに置くとその真横に腰掛けた。
「…ほんの数日前だ。ビルス達はクラウンセントラルの近くの森からある“ブツ”を運び出したんだ。その森にはミステシアの研究所があってな、その地下には物騒な大量破壊兵器が隠されてたんだ。」
「大量…破壊。」
ケビンはその言葉にピンと来る物があった。
「待てよちい兄、その研究所って…」
「あぁ。回収に来た時はただの瓦礫の山になってた。ほんで近くには生き物の死骸とそのブツのプロトタイプが残されてたらしい。」
ユリウスは半分まで吸った煙草を携帯灰皿に擦り付けた。
「そのプロトタイプ…お前が処理したそうだな。AIチップが修復不可能な位に焼かれてたらしい。そんな芸当が出来るのはお前だけだって直ぐに確証したよ。」
忘れる訳が無かった。
ある意味ではミステシアの犠牲とも言える悲しき兵器の最後を自分は見届けたのだ。
でもまさか…あれが単なるプロトタイプだったとは初耳の話である。
「流石のお前も地下に御本家が隠されてたのは見抜けなかったろ。」
「…うん。」
「でも悔やんでも仕方ねぇさ。ある意味ではお前らが潰してくれたお陰で街に被害が及ぶのを避けられたんだ。あのプロトタイプもかなり性能良かったらしいし…助かったよ。」
ケビンは肩を落としながら懐に手を入れた。
「…ケビン。」
「なに?」
「お前には色々苦労掛けて済まなかった。俺や兄ちゃんがもっと早く動いてればお前がこんなに辛い思いしないで済んだ筈だ。本当に…本当にゴメンな。」
低いけど優しい声で謝りながらプラスチックケースを取り上げた。
「コレをボスに届けてくれ。少なくとも奴等への抑止力にはなる筈だ。俺は兄ちゃん達を助けに行くからお前は」
「ちい兄。」
ケビンはそれに反抗するように懐から朱色のバンダナで結ばれた手帳を取り出した。
「俺逃げないよ。ビルスもこの船も…全部俺達が沈めてやるから。」
ユリウスからディスクを貰い、その返しで手帳を返却する。
「お前…本気か?ビルスは親父ですら敵わなかった奴だぞ?それでも相手するのか?」
「本気さ。だって俺は」
「この世の悪を成敗する正義のヒーロー…だろ?」
背後から見知らぬ声がしてケビンはまさかと振り向く。
見慣れた臙脂色のコートと帽子が視界に写る。
「おい、俺の台詞取るなよ。」
「孤高のヒーロー気取りが言ってくれるねぇ?ま、少なくともヒーローは孤高よりチームの方が俺様好みなんでね。」
誰もジャッキーの好みを聞きたい訳では無いが敢えて口には出さずにケビンは溜め息を付く。
「それよりお話は聞きましたよ兄上。最初は胡散臭いスパイだと思ってたのが蓋を開けたら弟命のブラコン兄貴だとはねぇ。惚れましたよ。」
「…誰がブラコンだ。あと気安く兄上だなんて呼ぶんじゃねぇぞゴルァ。」
ギロリと真っ黒な瞳で威嚇されるがジャッキーは物怖じせずにケビンの真横まで迫る。
「でも貴方の熱意を旦那が受け継いでるのは本当見たいッスね。旦那がヤングとプリンスに好かれる理由が分かりましたよ。」
「褒めてるのかそれは?大体何者だお前は?」
ジャッキーは待ってましたとばかりに笑うとケビンの肩に腕を回して組ませる。
「俺様はジャクソン・ウェルパ、アンタの弟の相棒で親友で兄弟分やってる者さ。」
「…兄弟だと?お前が?」
ケビンも焦りを見せて警告しようとしたがジャッキーは人差し指を唇に当てて黙っててとアピールする。
「俺は子供の頃にアンタらの親父さん…エドワードさんの世話になってな。俺と同じでヤンチャな馬鹿息子がいるのも教えて貰ってたよ。」
「…親父が?」
「そうさ。俺はプリピヤの産まれでね…ある意味ではエドワードさんを殺した男でもあるのさ。」
ユリウスは呆然としながらバンッと机をおもいっきり叩いた。
「お前…まさか…。」
「そうだ…22年も前に俺はエドワードさんに助けられた…例の子供なんだよ。」
机に広がる手が驚きと悔しさでブルブル震える。
ケビンも心配な眼差しで相棒を見守っていた。
「知ってたろ?22年前のあの日…エドワードさんに深手を追わせたのはビルスじゃねぇって。俺は自分が死にたくないばかりに…あの人を身代わりにしたんだ。」
ジャッキーは静かに伝えるとケビンを支えていた手でユリウスの震える手を掴んだ。
「貴方達には…もっと早く教えるべきだった。俺が余計な事しなかったからエドワードさんは死なずに済んだのにって…ずっと後悔してたんだ。」
汗ばむ手を握り締めてジャッキーはユリウスと自分の額を押し当てた。
「兄上、俺様にはビルスの野望を止めるって役割があります。だから1人で抱え込まないでください。皆で奴を叩きのめしてやりましょうよ。」
【6】
俯くユリウスは自分から離れない男の瞳をしっかりと見据える。
その目は澄んだ青色になり、机の手には龍の紋様が浮き出ていた。
「…チッ。」
軽く舌打ちする音が聞こえてユリウスは広角をほんの少し上げた。
「俺に良い所見せつけようって気かよ?ならお前もコイツと同じ大馬鹿野郎だな。親父がお前を気にかけてた理由も分かったぜ。」
呆れてる風にも呟きながら笑顔を見せる兄の姿にケビンも微笑む。
「…俺もケビンに借り作る真似はしたくねぇんでな。手伝ってやるよ。」
「マジ!?やったー!愛してます兄う…イデェ!」
「だ~か~ら~、喧しいんだよお前は。」
登頂部に拳骨を喰らってピーピー喚く相棒にケビンはこんな奴でゴメンなと兄に詫びる。
「気にするなよ。にしてもなんか不思議だな。お前にダチが出来るのも初めてだろ?」
「まぁね。でも面白い奴だろ?」
「あぁ。弟がもう1人出来た気分だ。」
思い出に更けるユリウスを見守るケビンは背後でガタガタと音がするのを聞き届けた。
「兄貴~終わった?」
通気口の穴からリュウガが顔だけ出してくる。
「あぁ。丁度呼ぼうと思ってたんだ。一度下りてきてくれるか?」
「了解ッス。」
直後に下りてだってと聞こえてリュウガが一番早くマナを抱き抱えて床に着地する。
「お嬢様…ご無事でなによりだな。」
リュウガに下ろされたマナはユリウスの姿を視界に捉えると一目散に走ってきた。
「おじちゃん大丈夫?パパと仲直り出来た?」
「モチのロンさ。」
「うわぁ…センス古過ぎるだろ。」
やはりこの兄弟は普通じゃないとリュウガが引いていたらユリウスはディスクを固定していたヘアゴムをマナの手に乗せる。
「ありがとな、約束守ってくれて。」
ゴムを手ごと包むとマナの髪を括る薄いハンカチに気付いた。
「そのリボンどうした?」
「ママがしてくれたの。」
布地を触るとマナはニコニコ笑いながら笑顔を見せてくる。
ユリウスはその笑顔に幼い頃のケビンを重ねて自然と口角が上がる。
「そっか、ママの事好きか?」
「うん!」
天使のような笑みに苦笑いを返すとユリウスは全員が部屋に降りてくるのを気配で察した。
すると表情を戻して机から下り、その場で土下座した。
「済まねぇ…俺がやらかしたお陰でアンタらには色々迷惑掛けちまったな。」
「そうね、リュウのお父さん達までアタシらにくっついて来たんだから。責任取りなさいよ。」
「エルザさん…その言い方って寧ろ逆効果なんじゃ…」
『マスター、そこは目を瞑るのが正しいですわよ。』
変にアドバイスすれば直ぐに手を出してくるのはエルザの悪い癖だ。
それを知っているからこそ彼女に反発出来ないのがすっかりお約束事になっていた。
「エルザ、俺は構わねぇから虐めるなよ。」
「良いの?」
「言ったろ?ちい兄は何があっても約束を破らない人だって。それが変わって無いだけでも充分だからさ。」
ね?と質問されてユリウスも弟の可愛さに少し笑う。
「あれ?笑ってる顔兄貴にソックリじゃん。」
「お、言われて見ればホンマやな。」
「スッゴい良い笑顔ですね。やっぱりユリウスさん悪者じゃ無かったみたいです。安心しましたよ。」
重苦しい空気がいつの間にかほんわかし始め、ユリウスは不思議そうに皆を見渡す。
「お前ら、やっぱり普通の奴等じゃねぇな。弟がお前らに好かれるのも理解出来るよ。」
「そりゃそうじゃん。俺達み~んな兄貴に助けられてここまで来たんだよ。兄貴は俺達の大事な大事な宝物なんだからな。」
ね、兄貴?とケビンをからかうリュウガに当人はよせよと頭を撫でる。
他人が見ても微笑ましいやり取りにユリウスはズビッと鼻を鳴らした。
「あ、あれ?どうしました?」
「なんかよぉ…弟に助けられて良かったなんて言う奴初めてだからさぁ…なんか…こっちまで嬉しくなってよぉ…チキショー…。」
掌で泣き顔を隠す真似をする兄は糸が切れたみたいに俯く。
「俺はなぁ…ずっとケビンにヒデぇ事しかしてこなかったんだ。親父が死んでコイツだけお袋から切り離されて…それからずーっと1人で生きてきたって思うと…マジで涙止まらねぇんだ。頼れるダチも味方も居なくてさぁ…どんなに辛い思いしてきたかなんて明らかだしよぉ…本当にゴメンなぁ…。」
今更謝っても許して貰える訳無いと考えつつ、深く詫びる兄の肩をケビンは優しく持つ。
「もう大袈裟だよちい兄。そんなに泣くなって。」
顔を上げたユリウスはそこで今まで考えられない位の笑顔を見せる弟を目撃した。
「確かに辛い事ばっかで俺嫌だったよ。死んだ方が幸せだと思ったのも何度かあったけど…でも辛いのばっかじゃ無かったよ。コイツらに会えてさ、生きてて良かったって今はスッゴい思えるんだ。俺…俺今最高に幸せなんだよ。」
太陽に照らされて花開いたような笑顔にユリウスは言葉を失う。
同時ににこやかな糸目の縁に涙の雫が光って見えて…胸がズキッと痛んだ。
《他人と居るのが幸せとか…あの頃と真逆になってるじゃんかよ。神様じゃねぇかよコイツら…。》
ケビンの凍り付いた心が彼らによって感化されたと考え、こっちまで泣きそうになってくる。
「そうか…お前も大人になったじゃねぇか。俺も安心したよ。」
痩せてプリッとした頬を引っ張るとケビンも吊られて笑い、暫し和やかな空気が流れる。
「なんかお前と話してたら元気出たよ。ありがとな。」
【7】
お互いに半分泣き顔になりながら必死に笑顔を見せていたらケビンのズボンの裾がグイグイ引っ張られた。
視線を下げると黄色い毛玉が裾に噛み付いている。
「ラビ?どうした?」
『なんか背中がゾワゾワするんです、抱いて貰えますか?』
前足も出してカリカリしてくる仕草に異変を感じ、直ぐに抱き上げるとラビはブリッジするように頭だけ後方に下げる。
その先には自分等の侵入経路である通気口があった。
何か物音がしたのかと見れば通気口からシュタッと黒い物が落ちてきた。
「ふぇ?なんですかコレ?狐ですか?」
正体は動物体のラビより少し小柄な生き物。
小麦色の三角の耳に毛深い手足、中央が大きく膨らんだ尻尾。
顔と尻尾が胴体に比べて大きめな子狐だ。
「てかなんで船に狐がいるんだ?間違えて乗ってきたのか?」
「でもセントラルの森で狐なんか見かけ無いから…。」
それによく見ればこの狐は野生の個体では無い。
その証拠に首にはビー玉サイズの灰色の宝石が付いた首輪をしているのだ。
明らかに誰かに飼育か餌付けされている個体である。
「…フォクスター?」
「え?」
「おい、お前フォクスターだろ?」
キドマルに撫でられていた狐はその名前に反応してユリウスの元に走ってきた。
「どうしてお前がここに?ベッキーが逃がしたのか?」
抱っこされた狐は尻尾を振り子のように揺らしながらキュウキュウと鳴く。
「ちい兄、その子は?」
「ベッキーの相棒さ。一緒に捕まったけど隙を見て逃げてきたらしいな。」
一見するとぬいぐるみを彷彿させる子狐は大きな目でキョロキョロ見渡したながらギョンと吠える。
「ラビ、なんて言ってるんだ?」
『え~と…私達が船に侵入したのがバレ始めてる、その報復に人質を始末しようとしてる…』
棒読みになって解説して…ラビは後悔した。
『ケビン様!どどどどうしましょう!?私達見つかってて、いやそれ以前に報復って!?』
「落ち着け!まだそうなった訳じゃねぇだろ!」
バタバタ暴れるラビを落ち着かせてケビンは兄に振り向く。
「兄者達は?」
「2階の仮眠室だ。人質は全員そこに閉じ込めてる。ビルスの奴もそこだろう。」
「なら急がないとヤバいですよ!誰か犠牲になったら僕達の責任になっちゃいますよ!」
急を要する事態にユリウスは兎に角落ち着けと皆を嗜める。
「今バタバタしたって何も起きねぇだろ。まずは作戦を練るんだ。即興でも何とかなる筈だ。」
ユリウスはそこで懐から取り出した紙をテーブルに広げる。
そこには船の断面図が描かれ、あちこちに伸びた矢印の先に文字か記載されている。
「2階への近道はこの部屋の脇にある階段のみだ。ただ普通に行っても見張りがいるから見つかるのは明白だ。だからフォクスターを囮にして連中を引き寄せる。」
「その後は?」
「一気に雪崩れ込みだ。連中は多分武器持ちだがお前ら相手じゃ話にならねぇだろう。」
兎に角見張りさえやり過ごせば後は好きに暴れるといった感じになり、ユリウスは地図にペンを走らせる。
「それと例のブツは船底に保管されている。でも手は出さない方が良いな。」
「なんでですか?」
「これは俺の勘だが…ブツの状況が持ち主に監視されている可能性がある。もし危なくなったら遠隔操作で無理矢理引き戻す事が有り得るんだ。海の上で逃げられたら探すのは骨が折れるだろ?」
「確かにね。まぁアンタのディスク確認してから対策立てても遅くないし、上々かもね。」
ブツのプロトタイプに鉢合わせたケビン達なら分かる。
プロトタイプであの威力なら本物は相当厄介だと。
ならばユリウスに従うのが最良だと判断していた。
「よし、大雑把だがこのプランで行くぞ。」
「おいおい、アンタが仕切るのか?」
「忘れたのか?俺は警察だ。本来なら俺が奴等を捕まえる立場なんだぞ。」
「どうだかねぇ。散々兄貴を悪者呼ばわりして今更になって兄貴風吹かせる奴なんか信頼出来ねぇし。」
ケビンの傍らなので怒らせないように配慮しつつもやはりリュウガは納得いかない顔になっている。
「俺を信じるかどうかはお前が決めろ。それに関しちゃこっちも口出ししねぇから。」
「ヘイヘイ、分かりましたよ。」
口直しにシガレットを咥えるリュウガはケビンに咎められ、ユリウスは弟より手間の掛かる男だと悟って地図を片付けた。
「それとよケビン。コイツもお前にやる。」
煙草とライターを入れてるのとは反対のポケットから小さな巾着を引っ張り出してケビンに渡す。
開けてみろと促されて口を緩めると漆黒の光を放つキラーループのサングラスが入っていた。
レンズの縁にある小さ過ぎる傷を触ってケビンは兄に驚いた目線を向ける。
「これって…。」
「覚えてるか?親父が使ってた物だ。警察学校入る前にお袋から預かってな、俺と兄ちゃんはもう持ってるからお前に託すよ。」
ユリウスは感謝しろよとばかりな態度を見せて手帳に結んでいたバンダナを自分の額に巻く。
ケビンは指先から伝わる父親の体温を感じながらそっとサングラスを掛けた。
黒いレンズの向こうに懐かしい顔がある気がして…天井を見上げる。
「お、やっぱ似合ってるな。てか本当にお前親父ソックリだぞ。」
「…そう?」
「なんだよ不満か?なんならお袋にチクるぞ。」
「違うよ。ありがとうって。」
泣きそうになったのでサングラスを外すと泣いていないのに目が真っ赤になってる。
《父さん…見ていてくれよ。俺もう逃げないから。》
赤い瞳が潤んで…雫が人知れず流れた。
【8】
ケビン達が本格的に動き始めた頃、貨物船と国際警察のクルーズ船が浮かぶ沖合いに向かって1機のヘリが接近していた。
真っ黒で武骨なヘリはクルーズ船のウッドデッキを真下にその場で止まり、デッキでは船員がバタバタ動いている。
「目標地点、到達。降下します。」
パイロットが下の景色を確認しながら操縦桿を引いて機体が降りていく。
乗り合わせていた金髪の刑事はスライドドアの窓から下を見て地面とヘリの距離を計算する。
「あと7~8メートル下げてくれ。」
「は、はい。」
パイロットは慌てつつも冷静に操縦し、徐々にウッドデッキが視界に迫る。
ヘリの脚の部分が触れそうな地点まで来るとゴォンとスライドドアが全開になった。
金髪刑事は開け放たれたドアから僅か数センチの下の地面に着々する。
「国際警察のワトソン巡査長です。直ぐにこの船を陸地へ向かわせてください。それと怪我人がいたら申し出てください。」
警察手帳を高らかに見せていたら操舵室へ向かう通路から包帯の巻いた人間が数人歩いてきた。
その内の1人に肩を貸す白衣の男を見てアダムは少し驚く。
明らかに警察と場違いな民間人だと察して直ぐに駆け寄った。
「すいません、貴方は?」
「通りすがりさ。それよりこの人達を先に避難させた方が良いぜ。」
手渡された人間は手足と頭部に包帯が巻かれている。
顔も窶れて覇気が感じられない。
「それと船に乗ってたお巡りは全員貨物船にいる。数は分からねぇが急いだ方が良いな。」
ウッドデッキに集められた船員はヘリに乗り合わせてきた警官から聴取を受けている。
見る限りで無傷な人間はほぼ皆無だ。
「…失礼ですが、お名前は?」
「…ファマドだ、ファマド・コルタス。クラウンセントラルで医者やってる。」
「お医者様ですか…もしかして警察病院から呼び出されたとか?」
「違ぇよ。なんつーか、え~と…。」
上手く説明出来ずに悩んでいたファマドは何かを思い出してあ、とぼやく。
「なぁワトソンさん。アンタのお仲間でユリウス・ギルクって男居るだろ?」
「ユリウス先輩ですか?」
「そうそう。実はその先輩の弟がウチの馬鹿息子連れ回してるんだ。ほんでアンタらの上司を助けに皆であの船に乗り込んでるんだよ。」
親指で指された先に浮かぶ船を見てアダムは驚いた顔になる。
「そうですか…思ってた以上ですね。」
「え?」
「実は僕と先輩、一時的に同じ部署に配属された時期があって…その時に色々教えてくれたんです。自分には兄と弟がいるとか…父親が子供の頃に亡くなったとか…。」
本人がこの場に居たら怒られますねと笑いながらアダムはファマドに話していた。
ユリウスが自分に教えた過去を。
それを聞いてファマドも孤独に生きてきたのはケビンだけでは無いと断言していた。
「ユリウス先輩、弟さんの話題になると凄くイキイキしてたんです。泣き虫で寂しがりだけど…誰よりも他人思いな優しい奴だって。僕も弟の立場で産まれ育ったから羨ましかったです。」
胸に詰まる物がありそうな顔を浮かべていたら同じ制服の警官が駆け寄ってきた。
「巡査長、間も無く出発しますがご準備は?」
「あぁ、大丈夫。今行くよ。」
はっ、と敬礼して立ち去る部下を見送るとアダムはファマドに振り替える。
「ではコルタスさん。僕はこれで…」
「おっと待ってくれ。折角だから俺もヘリに乗せてくれねぇか?」
「え?正気ですか?あの船にはテロリストみたいな連中が大勢いるんです。装備の無い人間が行くのは自殺行為ですよ。ですから…」
危険だから待機してほしいと言おうとしたら背後から待てと圧力の籠った声がした。
「ワトソン君構わん、私が許可する。」
「え!?そ、総司令…!?」
慌てて敬礼するアダムの眼前には分厚いコートを着込んだ渋い口髭の男がいる。
「その人の息子さんは娘を保護してくれた男と一緒に居る。息子さんの件で足を運んでくれたのだぞ。」
「娘って…本当ですか?」
「おいおい、俺が嘘付く奴に見えるかぁ?医者が嘘付くってのはある意味切腹物だからな。」
目の前の男の立場を分かってるのか、ケタケタ笑いながらアルフレッドの肩を叩いた。
「アンタがジョルシュさんか、お会い出来て光栄だぜ。」
「私もですよ。その節は娘が世話になったようで…本当に申し訳無い。」
格式の人間に詫びる姿にアダムは言葉が出ないがファマドは笑いながらよしてくださいと返す。
「世話になったのは寧ろコッチですよ。ウチの跡取りが妹が出来たって喜んでましたから。」
「そうですか…それは何よりです。」
自分の事のように喜ぶ姿に違和感を覚えながらファマドはアダムを呼ぶ。
「ワトソンさんどうなんだ?俺も連れて行ってくれるのか?」
「そうですね…ボスが許可するのであらば仕方ありません。その代わり危険ですからヘリに待機して貰う形になりますけど。」
それでも構わないとファマドが告げていたら後ろからダーリンどうしたの?と駆け寄る金髪の女性がいた。
その隣には赤茶色の落ち着いた髪色の女性もいる。
「よぉカリーナ。この人達がヘリに乗せてくれるとよ。」
「ホントに?ダーリンってば変な事言って脅したりしてない?」
「止めてくれよ。そんなヤクザみたいな真似する訳ねぇだろ。」
漫才みたいなやり取りをする夫婦を見てアダムは遠慮がちになりながら声を掛ける。
「コルタスさん…そちらは?」
「あぁ、俺の嫁さんと常連の患者さんだ。皆で息子の応援に来たのさ。」
【9】
紹介されたヨシノは素直にお辞儀するがカリーナはアダムの顔を見てあらぁと赤面する。
「貴方良く見たら男前ね。ウチの息子と瓜二つだわ。」
「え?そうですか?」
「そうよ。貴方も育ちの良いお坊ちゃんなのね。息子もそうだけど男ってちゃんと育てるとチビでもド級のイケメンになるんだから。」
羨ましいと嘆く女性を見てアダムはあのぉと呟く。
「そんなに煽てるんですか?息子さんの事。」
「煽てる?当たり前よ。あれも駄目、これも駄目って叱ってばっかだとロボットになるってケビン君とジャクソン君に教えられたもの。2人とも良い子達でね、息子の事を弟だって言って可愛がってくれたのよ。」
ね?ダーリンと振り返られてファマドはあんまりバラすなと苦言しながらも笑う。
「すいません、コイツホントにお喋りで。」
「いえいえそんな、話を聞く限りでは私の娘もケビン君に可愛がられてるようで…ホッとしましたよ。」
一連のやり取りを見守るアダムはアルフレッドの横顔を見て少し感心していた。
《見ず知らずのお嬢様に優しくするなんて…ユリウス先輩の言ってた通りだな。》
尊敬する先輩の言葉に嘘が無かったと安堵してアルフレッドを呼び止める。
「総司令、そろそろ…。」
「おっとすまない。世間話で盛り上がってしまったな。」
アルフレッドは改まった姿勢でファマドに右手を差し出す。
「コルタスさん、貴方には迷惑掛けて済まない。私に出来る事なら何なりと協力しますよ。」
「そりゃ有り難いな。でもそれはまだお預けにしといてください。俺らにはやる事がありますからね?」
「えぇ、勿論。」
互いに子を持つ父親は固い握手を交わし、それからバタバタと喧しい足音がしてくる。
「ボス、こちらの準備は完了です。如何致しましょう?」
「ふむ、私も乗り込もうと思ってた矢先だ。これより作戦を開始する。」
集まった警官はその一言で縦1列に並び直し、同じタイミングで綺麗な敬礼を決める。
アルフレッドも部下に敬礼するとその花道をゆっくりと歩き出した。
通り過ぎた警官はお疲れ様ですと太い声で合図し、後ろから順に同行してくる。
警官の列はヘリのスライド式扉の前まで続いてパイロットも心配そうに見守っている。
花道を歩き終えると扉付近の警官が頭を下げ。
どうぞとエスコートした。
「彼らも乗せてくれ。娘を保護してくれた男の家族だ。」
「は、はい。どうぞお乗りください。」
ヘリの後部にある長椅子のスペースにファマド達を案内させ、最後に乗り込んだアダムは部下達に号令する。
「よし行くぞ。出撃だ!」
「イエッサー!」
並んでいた警官の半数がヘリに乗り込み、残りの半数はローターが回転し出したヘリに向かって敬礼を続ける。
船に残る警官は船員を船ごと避難させ次第、自分等は船に備え付けてあるモーターボートで合流するという流れになっているのだ。
銀のプロペラが徐々に回転速度を早め、ヘリの周囲は強風で包まれる。
ゆっくりとウッドデッキから浮かんだヘリは突風に乗るような形で空へ上がり、クルーズ船を覆う大きな影が移動を始めた。
-その機影を遥か遠くから眺める影があるのをこの時は誰も知らなかった。
港近くの大木に登り、厚みのあるレンズの双眼鏡でヘリを見守るのは若い人間だ。
軍人を連想させる迷彩服に身を包み、背中には自分の背丈近くあるライフル銃を背負っている。
ブーツの靴底で圧迫される木の枝がギシギシ喚いて折れそうだが本人は気にせずに双眼鏡を下ろす。
ふとピピッ、ピピッ、と左手首に巻いてある真四角の機械が小さな電子音を立てた。
機械の蓋を開けると小さなパソコンのディスプレイが現れて画像が映し出される。
「あいよ。」
『あ、マウス様ですか?やっと出てくれましたね。』
「なぁにボーやん?俺今忙しいんだけど。」
連絡してきたのはジョーカーの護衛人であるボルバだ。
軍人らしき人間は落ちないように足下の枝にしゃがむ姿勢になる。
『実は…さっきフェイク様の会話を聞いてて…“例の物”を回収する準備が粗方整ったと…。』
「あぁそれ?まだ確認出来て無いよ。でも搬出しそうな空気は感じられる。」
木の上にいるので日差しに照らされ、額に浮かぶ汗を手首で拭う。
「…で?俺にトラブルを起こさせるように細工しろって?そんな事したらコッチが消されるよ。」
『あ、そうではなくてその…お戻りになるようにと。』
ボルバが萎縮気味に命令するとマウスはあ~あと嘆く。
「だったらそう言ってよ。相変わらず脳味噌ちっちゃい奴だなお前は。でも良いや。俺も退屈になってたし、今から帰るよ。じゃね。」
ブツッと通信機の電源を切って蓋を閉めると帽子を押さえながら枝から降りた。
バサバサと葉っぱに絡まれながら地面に着地するとズボンに付着した木の葉を払う。
「………。」
暫く沈黙しながら若き軍人は背後の木の幹に背中を預けた。
上を見ると枝と葉の隙間から光が差している。
《少し急がないとだな。アレが何処かに放たれたら…誰も太刀打ち出来なくなるだろうし。》
兵器については風の噂で耳にしていたが実際にこの目で確かめた事はまだ無い。
だから余計に恐ろしかった。
それに使われた武力がどんな物なのかを。
《アレだけは…何があっても使われてはいけない。止めさえすれば…後は全て進む。》
太陽の光が首の下に隠れたドックタグの鎖をキラキラ光らせる。
少し目が眩しくなったのでサングラスを掛けて一歩前に出た。
木漏れ日の中に…空へ向けて敬礼をする影が現れ、風と木の葉の揺れる音だけがそれを静かに見守るのであった…。




