こんなのアリ!?ギルクファミリー崖っぷち!?
【1】
夜でも人の波が途絶えない街…クラウンセントラル。
ネオンの光が眩しい中央通りの片隅にひっそりと明かりの消えた家がある。
正確に言えば“外側”の明かりだけが消えている家の書斎で家主は請求書の束を整理していた。
時刻は午後9時過ぎ。
電卓とペンを交互に動かして作業する男の部屋の扉がノックされた。
「ダーリン入るよ。」
返事を待たずに扉が開いて声の主がトレー片手に入室する。
「お茶飲む?そろそろ寝ないと。」
「あぁ、悪いな。」
汚れないように紙の束を端にやってマグカップを手に取る。
「ヨッちゃんは?」
「もうお風呂入ってさ。手伝う事あるかって言われたからダーリンの白衣にアイロン掛けてる。」
洗濯の苦手な夫に微笑みながらカリーナは自分のお茶を啜る。
「でも良かったね。玄関の修理費値引きしてくれて。やっぱ日頃の行いが感謝されてるんだね。」
「よせよ、そんなんじゃねぇ。」
茶化されるファマドも終始笑顔だ。
覆面パトカーの衝突で破壊された玄関もようやく修復し、診療所も以前より増してフル稼働していた。
修理を請け負った土建屋もファマドに診察してくれた恩から修理費を安くしてもらい、赤字は回避出来ていた。
「でもリュウも喜ぶわよ。今頃どの辺りにいるのかな?」
「なんだ?心配なのか?」
なら迎えに行くかと言えばカリーナは冗談よと否定する。
「一切口出ししないって決めたでしょ?楽しくやってるならそれで充分だから。」
「ハハ、同感だな。」
お茶を飲み終え、時計を見てファマドは椅子から立ち上がる。
「じゃあ俺も風呂入って休むとするか。」
「そうね。」
満場一致で納得していたら廊下からバタバタと足音がした。
思わず見ると開けっぱなしの扉から赤髪の女性が駆け込んできた。
「ファマド!大変!直ぐに来て!」
ゲホゲホと咳き込む女性を直ぐにカリーナが介抱する。
「ヨシノさん無理しないで。それでどうしたの?」
「た、大変…リ、リュウ…ちゃん…が…。」
途切れ切れかと思いきや、一息吸う暇も無く叫んだ。
「リュウちゃんが…リュウちゃんが…帰ってきたの!」
魂の叫びにも似たその声に家主夫婦は同じタイミングで戦慄した。
「帰ってきたって…そんな…嘘でしょ!?」
信じられない。
ほんの数日前に電話で連絡してきたばかりなのに…何が起きてるのか?
「ダーリン…。」
カリーナの表情にファマドも息吹かし見ながら部屋を出るとリビングへと向かった。
裏の玄関の前、そこに自分も見慣れた姿がいた。
「リュウ…。」
そこにいるのは母親と同じ金髪の青年だ。
俯いてるその顔はとても暗く、厄介事が起きてるのを意味している。
「…親父。」
やっと聞かされた声も重くて…切なそうな声だ。
流石のファマドも掛ける言葉が無く、胸を痛ませて近寄ろうとした時だ。
「親父ぃぃぃ!」
いきなり大声を上げながらリュウガが走り、ファマドに飛び込んできた。
「親父ぃ…俺…俺負けちまったよぉぉ…!」
―負けた。
その一言が引っ掛かりながらもファマドは息子を抱き締める。
その後ろからヨシノとカリーナも現れ、そこで立ち止まった。
「…キド?」
「え?ラビちゃんもいるの?」
ファマドが改めて見ると玄関の敷居にはまだ来訪者がいた。
1人は見知った黒髪の小柄な少年。
もう1人…いやもう1匹は金色の毛並みの兎。
そこから動かず…家の中に入れないような重い空気が流れていた。
「キド…貴方なの?」
母親の声が届いたのか、見上げた顔を歪ませてゆっくり口元が開く。
「お、お母…さん…。」
「キド…。」
「お母さぁぁぁん!」
リュウガの後ろに立つように対面した母親に少年は目を潤ませながら走った。
ヨシノはそれをしっかりと受け止め…抱き止める。
カリーナは未だに動かない金色の兎を見て自然と前のめりの姿勢を取る。
「…ひとまずラビちゃんもおいで。何にもしないから。」
優しい声に安心したのか、ラビは無言で走ってきてカリーナにダイブした。
フワフワの体毛は濡れたように冷たくて怯えている。
無音の部屋に啜り泣きの声が響いてファマドはそこで初めて知った。
戻ってきたのがこの3人だけである現実に。
彼らの帰宅が…信じられない事態を告げている事に。
【2】
コポコポという液体が注がれる音と熱い湯気がリビングを充満する。
リビングのテーブルにはマグカップが2個とホットミルクの入った皿が置かれ、程無くしてピチャピチャとミルクを舐める音がする。
3人の親はソファーの反対側に座る息子達を見ながら新しいお茶を一口飲んだ。
「…じゃあそのユリウスって男に嵌められて戻ってきた訳か。」
落ち着きを取り戻した2人から事情を説明され、ファマドは眉をピクピクさせる。
「…他の奴等はどうした?まさか置き去りにして来たのか?」
何も答えられない主人を見守りながらラビは皿から口を離して代わりに答える。
『それは違いますドクター。その男…マナお嬢様の身柄を強引に奪ったんです。余計な真似をしないようにと…。』
ラビからポツポツと説明されるとその概要が明らかになった。
―ユリウスの恩人であり上司に当たる警察の幹部がビルスという奴隷商人に捕まった事。
―それを助けに行こうとしたケビンにユリウスは銃を向けて撃った事。
―更に変な動きをしないようにマナを強引に保護して身動きを取れなくした事。
―リュウガとキドマルは未成年かつ身元引き受け人がいるのでこれ以上自分等の所業に首を突っ込んでほしくないと無理矢理送還された事。
纏めて要約すると胸糞悪い言い訳に聞こえてファマドも唸るしかなかった。
警察の真似には到底思えない事も納得いかなかった。
「親父…俺。」
「分かってるよ。お前は悪くねぇ。だからこれ以上自分を責めるな。」
出されたお茶すら飲む勇気を持てずにリュウガもキドマルも何も答えられない状態になっている。
母親達も掛ける言葉が見つからずに傍観するだけだ。
「それで…お前らこれからどうするんだ?」
「……。」
どうすると言われてもどうしようも無い。
完全に道を絶たれて何も出来ないのだから。
終わったのと同じだから。
自分等の役割は。
「まさか…戻らないって言うんじゃねぇよな?」
「……。」
「馬鹿な事考えるな。それが正しいとでも思ってるのか?」
それはリュウガ達にも分かっている。
ここに残る選択がどんなに残酷であるかを。
でも戻った所で何も出来ないのも事実なのだ。
「俺の知ってるお前らなら…冷たく突き放されても反発する筈だ。そうだろ?」
「………。」
「今更警察に怯えて“ハイ分かりました”って応じる気じゃねぇだろ?忘れたのか?」
喉も手も震えて沈黙を続ける息子の姿にファマドは重い腰を上げた。
そこからは我が子を見下ろす立場になり、それが威圧を増していた。
「どうなんだ結局?何も考えてないとか馬鹿な事抜かしてねぇよな?」
あまりにも返事が来ないので心配になったのか、呼び掛ける声が少し落ち着いている。
「…無理だよ。」
「あ?」
「もう無理だよ親父…。もう…どうしたら良いか分からねぇんだ…。」
リュウガは無意識にソファーの上で体育座りになり、顔を俯せる。
いつもは太陽より眩しい金色の髪の毛も光が弱まって小さく見えた。
もう詮索しても無理だとファマドは断言し、肩をポンッと叩く。
「…ま、ひとまず風呂入って泣き腫らしてこい。今洗って沸かし直すから。」
さっきとは違って優しく言うとリュウガは俯いた姿勢で頷く。
「カリーナ、なんか腹に入りやすい温かい物でも作ってくれないか?」
「OK、直ぐ用意するね。」
少しでも話せるように明るく返事しながら夫婦はリビングを後にする。
一方でヨシノだけはその場に残り、手付かずのマグカップを差し出した。
「ほら飲んで。冷たいの飲んだら余計に喋りにくくなるよ。」
リュウガは相変わらずだがキドマルは母親の優しさを無駄にしたくないとカップを受け取って口を付ける。
ラビは主人と母のやり取りを観察しており、ヨシノが視線に気付いて優しく笑う。
「ラビは?おかわりいる?」
『い…いえ…私はこれで充分ですから。』
気不味さを隠しながらラビは飲みかけのミルクをまた舐め始める。
キドマルも様子を見ながらお茶を飲んで琥珀色の水面を見下ろす。
「どう?少しは落ち着いた?」
正面を見て穏やかに笑う母親にキドマルは目の奥を熱くさせた。
申し訳無い気持ちと悔しさが入り交じってお茶で潤った口の中がまた乾いてくる。
「…お母…さ…ん。」
「ん?」
「お母さん…怒らないの?僕…僕とっても悪い事したんだよ…!なのになんで…?なんで怒らないの…!?僕の事見損なってないの…!?」
手がカップを落としかねない程に震え、ヨシノはその手を優しく包む。
その顔は笑ったままで呆れた様子は微塵も見せていない。
「大丈夫よ、キド。貴方達は…まだ負けてなんかいないわ。」
「…え?」
「貴方達はまだ1回転んだだけ、チャンスはまだ何回も残ってる筈よ。そこで諦めるなんて凄く勿体無い事だと思わない?」
力の入らない細い指が解かれ、カップを静かに置くと空いた小さな手を大きな手が擦る。
「今の貴方達は…転んだ場所で泣き叫んでるだけよ。でもそれが一体何になるの?誰かが助けてくれると思ってる?そうなる前に自分で立ち上がろうとは思わないの?」
【3】
さっきと違い優しさと険しさが混ざった母親の表情にキドマルも言葉を失う。
それは自分が今まで見た事無い程に厳しい顔になっているからだ。
「少し前のキドなら確かにそうだった。でも今は違うでしょ?自分で言ったよね、“ケビンさんみたいに強くなる”って。忘れたの?」
自分が憧れる男の名を聞かれ、それでも何か言う前に黙ってしまう。
「だから私もケビン君に賭けるって決めたの。絶対にキドを一人前の男にしてくれるって信じられたから。その気持ちを貴方は踏み躙ろうとしてるのよ。それでも良いの?」
自分が黙ってるのを良い事にヨシノは次々と言葉を足していく。
でもキドマルはそれを聞いても腹が立つような感情は沸かなかった。
逆に自分の今の状況を思い知らされ…情けなくなってきているのだ。
「どうなのキド?今の貴方の気持ち…貴方とリュウちゃんの今の答えを私に教えてくれる?」
キドマルの横でモソモソとソファーの布地が揺れ、リュウガが姿勢を崩さずに顔だけ上げた。
目は赤くなってるが目の中の光はまだ消えてなかった。
「リュウちゃんはどうなの?リュウちゃんにとってもケビン君は憧れなんでしょ?それなのに裏切る気なの?」
空気が段々変わり、ラビもミルクを飲むのを忘れてソファーに飛び移る。
首を見上げて主人の顔を伺い、そのままヨシノに振り向く。
「…俺。」
ここまで一言も発しなかったリュウガがやっと口を開いた。
「やっぱり…俺納得出来ねぇよ。こんな門前払いみたいな真似されて…納得なんか出来る筈がねぇ。」
瞼を片手で覆い、奥歯を噛み締めながら膝に添えた片手でズボンをグッと握る。
「俺さ…今スッゲー悔しいんだよ。自分のやる事全部止められてさ…そんなんで我慢出来る筈がねぇんだよ…。」
心の奥から溜めてきた物を吐き出すようにリュウガは布地を掴んでいた手を離し…それをソファーにぶつけた。
「畜生!なんなんだよアイツら!なんで俺達をゴミみてぇに扱うんだ!俺達だってヒーローなんだぞ!この世界救ってる正義の味方なんだぞ!テメーらに俺達の何が分かるってんだよ!」
拳を振り上げソファーに八つ当たりするリュウガをヨシノは静かにかつ優しく抱き締めた。
それでもリュウガは溜まりに溜まった怒りを声に出して叫ぶ。
「俺達が何したって言うんだよ!なんで人助けするのを悪い事だって決め付けんだよ!だったらテメーらのしてる事って何だよ!同じ事しててなんでテメーらは周りから誉められんだよ!ふざけんじゃねぇ!」
段々その声が涙ぐんでいるのをヨシノは感じ、
乱れた金髪を整えるように撫でる。
「そこまでして兄貴を貶して何が楽しいんだよ!兄貴を惨めにするのがそんなに嬉しいのかよ!兄貴の事何も知らねぇ癖に好き勝手言うんじゃねぇ!」
リュウガもハァハァと息を荒くしてヨシノにもたれるように斜めの姿勢を取った。
散々吐き尽くしたつもりだがまだ足りず、それでいて吹っ切れたように呟いた。
「…ゴメン…ゴメンな…マナ。」
新しく出たその名前にキドマルとラビが振り向く。
何も出来ない自分以上に…一番許せない事を思い出してリュウガは嗚咽を漏らし始めた。
「俺…マナの兄ちゃんになるって言ったのに…俺…アイツの事…守れなかった。一番辛いのはアイツなのに…俺はマナを…あの子を助けてやれなかったんだ…。最低だよ…勝手に兄ちゃんぶって…結局誰も…守れなくて…俺…自分がどうしようもない位…情けねぇよ…。」
無言でリュウガを包むヨシノは背後に人の気配を感じていた。
後ろにはリュウガの両親がいて息子の告白を自分と同じように見届けていた。
ファマドは傍観しているがカリーナは感じる物があるのか、啜り泣きしている。
するとヨシノが振り向いてファマドの顔を見た。
何も言わなくても父親は頷き、入れ替わるようにヨシノがリュウガから離れた。
「…リュウ。良く言ってくれたな。」
穏やかな父親の声にリュウガの叫びが止まる。
「お前の心からの気持ち…しっかりと受け取ったぜ。」
涙を溜めながら顔を上げるとそこには父親がいる。
それも…笑顔でだ。
「そうだぜリュウ。そうやって叫ぶのが俺達の知ってる“お前”なんだ。お前がその気持ちを捨てて無くて安心したぜ。」
「…親父ぃぃ…。」
浅黒の手が金髪に乗って掻き乱す。
これまで数え切れない人間の命を救ってきた魔法のような手。
リュウガがずっと追い掛けていた…目標。
その手をファマドは息子に渡した。
自分にも…救わせてほしい…守らせてほしいと。
「ほら、風呂入って涙流してこい。それと今夜はもう遅いから飯食ってぐっすり休め。朝になるまで家から出るんじゃねぇぞ。良いな?」
顔も目も真っ赤にしながらリュウガは立ち上がり、浴室へと向かう。
キドマルは腰が折れて立ち上がれず、ラビが人間体になっておんぶしながら後に続いた。
何も告白しないがリュウガが自分の分まで叫んだとファマドは解釈しながら2人を見守っていた。
「…にしてもやるなヨッちゃん、あんなズバズバ言うの初めてだったろ?」
「まぁね。私もなんであんな事言えたのか不思議だけど。」
姿が見えなくなると安堵と一緒に不安な気持ちが込み上げてくる。
なんとか立ち直ったが…これからどうなるのか予測が付かない事に変わりは無いからだ。
「…どうするんだろうあの子達。」
「あぁ…。」
ファマドは視線をソファーの下にズラす。
そこにはリュウガとキドマルのリュックが無象座に投げられていた。
メディカルサックに刺繍された赤十字を見て瞼に赤い瞳の男の顔が浮かぶ。
こんな事態を招いた事をその男はきっと後悔している。
だから今こそ…支える人間が必要だと思わないか。
そう唱えながらファマドは涙を拭く妻を見た。
「…カリーナ。」
「…ん?」
「…“アレ”を用意してくれないか。それと暫く休診にするからガスの火とか全部止めといてくれ。」
母親2人は突然の提案に驚きを顔に見せる。
でもファマドは真剣な顔で2人を見るだけだ。
「ファマド…。」
「俺は本気だ。ギルクは…ケビンの奴は周りに敵ばかり増やしてるんだ。それじゃあ何かあった時に押し潰されるなんて当然だ。だから俺達が…アイツらの力になってやる時なんだ。」
耳に微かに届くシャワーの水音を受け取りつつファマドは瞳を鋭くさせた。
「ケビンはアイツらに未来をくれた、光をくれた、そして前に進む勇気をくれたんだ。俺はその恩を返してやりたいんだ。その為ならこのオンボロ診療所の1つや2つ…ブルドーザーでぶっ壊されたって構わねぇよ。」
ファマドの言葉が冗談でも嘘でも無いとカリーナは感じ、胸に手を当てる。
「…そうよね。私にも分かるよ。見えない“何か”に囲まれてる…あの子達が見えるもの。」
「私もよファマド。だってキドに何かあったら私…あの世で旦那に怒られるもん。」
思いはバラバラでもケビンを助けたい、力になりたいという願いは一致していた。
それがあって良かったとファマドはそうだなと頷く。
いずれにせよ放っておいたらケビンは羽を全部毟られ…二度と飛べない体になってしまう。
そうなる前に彼の元に向かうのが今やるべき事だと信じていた。
真っ暗で底の見えない…奈落みたいな穴に落ちた彼を救う事が正しい事だと。
リビングの窓を覗くと自分の説得に負けたように雲が晴れて月が見えていた。
歪みの無い美しい満月だ。
あの満月みたいにもう一度輝いてほしい…そう願いながらファマドは書斎へと戻っていった。
【4】
それから夜が更けた。
東の空から太陽が昇る姿勢に入る頃、セントラルの港では大勢の漁師達が舟の整備をしていた。
夜明け前で空は薄暗く、尚且つ海の近くなので少し肌寒い。
でも漁師達はそんなのを気にしないで各々の仕事に取り組んでいた。
「…ん?」
漁に使う網のチェックをしていた若い男が何かを見つけた。
少し霧が立ち込めている街側への方角から誰かが歩いてくるのだ。
「どした?」
「あ、親方。誰かがコッチに向かってるみたいなんですが…。」
親方と呼ばれた初老の男も見ると2つの影が接近していた。
釣船の客かと思ったが時間的には全然早過ぎる。
「誰だ…こんな朝っぱらから?」
怪訝な顔をしながら足を進めると数歩歩いてアッとした。
霧の中から現れたのは若い青年と少年だ。
その青年の顔を見て男は本気で驚いていた。
「リュウちゃんじゃないか!どうしたんだよこんな朝早くから?」
男の声に周りの仲間も集まる。
「え?リュウちゃんだって?」
「でもリュウちゃん昨日急に帰ってきたばかりだぞ?」
―そう…港の漁師達は昨日リュウガが戻ってきたのを立ち会ってくれた人々であった。
リュウガとキドマルは警察のヘリに乗せられ、この港で無理矢理降ろされた所を漁師達に目撃されていた。
全員が驚きながらも様子が可笑しいと直ぐに悟り、兎に角家に帰りなと後押ししてくれていた。
「どうしたよリュウちゃん?親父さんと喧嘩でもしたのか?」
男がそう言えばリュウガはメディカルサックの肩紐を握り、深々とお辞儀をした。
「おじさん頼む!サウス海岸まで船を出してくれ!」
声の振動を感じたように波が荒れ、停泊する船が同時に揺れた。
漁師達は全員驚いてリュウガを見返す。
「サ、サウス海岸に行く?本気なのか?」
「良いから出してくれ!俺の大切な人がピンチになってるんだ!早くしないと間に合わなくなるんだ!」
頼むから出せと声を張り上げるが男はイエスともノーとも言えないで狼狽えるだけだ。
仲間も返答に迷うもそこに救いの手が差し伸ばされた。
「…出してやってください。俺らも同伴するので。」
リュウガが漁師達と一緒に振り向くとそこには意外な客がいた。
「ファマド先生!?」
「親父…それにお袋?」
「お母さん…?」
数センチ先の視界には白衣を着た浅黒の男と2人の女性がいる。
キドマルのリュックに潜っていたラビもファスナーの隙間から顔を出して伺った。
「親父…なんで?」
「なんでだと?決まってるじゃねぇか。愛しの馬鹿息子が自立出来たか見届けに来たんだよ。」
白い歯を見せて笑う父親にリュウガは胸の高まりを覚えた。
「親父駄目だって!危険だよ!」
「んなのは承知だ。それも覚悟して来てやってんだぞ。それにケビンの顔も久し振りに見たいしな。」
宣言するファマドの手には使い込まれた往診鞄が握られている。
最初から自分に同行するのを決めてたようだ。
「今更止めても遅いわよ。今日はもう臨時休診にしたんだから。」
「でもだからって…!」
「見苦しいわよリュウちゃん。男に二言は無いのがリュウちゃんのプライドじゃなかったの?」
母親コンビからも口を揃えられ、リュウガは頭を抱える姿勢になる。
その息子の横を通ってファマドは男に詫びた。
「お願いです。息子の頼み…聞いちゃ貰えないでしょうか?尻拭いは全部俺がしますから。」
「…よし、分かった。先生にそう言われたらコッチも願い下げだしな。」
男は半信半疑ながらも承諾する旨を伝えた。
ファマドはこの街の住人の大半から信頼を得ている男なので彼を困らせる真似はしたくないのは本心だ。
加えてリュウガが昨日とは様子が違うのにも気になり、それを親が見届けるのも拒否出来ないと感じていた。
「直ぐにでも出発出来るから乗ってくれ。」
男はそう言って自分の船へと戻り、ファマドは一仕事したなとばかりに笑みを浮かべる。
「…親父。」
「ん?」
リュウガが自分に不安な目を向けてると見たファマドは笑いながら見守る。
「本当に良いのか?下手したら…戻れなくなるよ?」
ファマドは笑うだけで答えは返さない。
それもそうだ。
自分達は警察にマークされてる立場であり、それに手を貸すのは極めて重い罪になるのだ。
そうすればもう普通の生活には戻れなくなる、いや最悪の場合はこの街に帰る事すら叶わなくなるのだ。
「お前は気にするなよ。俺なら平気だって言ってるだろ?」
「でも…。」
「…リュウガ。」
急に声のトーンが沈み、ファマドは息子の肩に両手を置く。
「俺はな…マジでお前に罪滅ぼししたいんだ。ずっと俺や母さんの我が儘に振り回されて…夢すら持てなかったお前に謝りたいんだよ。」
思い出せばリュウガはずっと自分達夫婦の操り人形みたいに生かされていた。
束縛という名の糸で繋がれた人形にだ。
その糸をケビンが絶ち切ってやっと自由になれたのだ。
だからファマドは息子に、ケビンに詫びたかったのだ。
自分の犯してきた罪を…。
「お願いだリュウ。父さんにも手伝わせてくれ。お前が俺や母さんを許さないならそれで構わない。その分お前の為ならなんでもしてやるからさ。」
ファマドの手がメディカルサックに触れてきてリュウガは父親に抱かれる。
その目はオレンジ色になって…涙で潤んでいた。
【6】
カモメがクークー鳴いて優雅に飛ぶ青空の下。
波が緩やかに打ち付けられる砂浜に1隻の舟が停泊している。
舟の種類は小型のクルーザーでライフルを装備した警官が2人、護衛のように張り付いている。
ビーチの砂浜には熱の籠もりそうな制服を纏った人間が数人いて無線の機材を堂々と広げている。
「…駄目です。応答ありません。」
ヘッドセットを耳に当てる警官がイヤホンを離してチューリングを合わせる。
ピーギギギーと黒板を爪で引っ掻くような音がするだけで人の話し声は入ってこない。
「クソッ…駄目か。」
「どうします?本部から応援呼びますか?」
「無駄だな、呼んだ所で結果は変わらないだろう。」
ビーチに居座る捜査員は全員疲労の色が濃くなっている。
一夜にして彼らは予期せぬ危機に恵まれてしまい、途方に暮れていたのだ。
「やっぱりアイツらに頼むか?」
「止めとけって。そんな事したら警部補に怒鳴られるだろ…。」
海で静かに揺れる舟に目線をやるも何の成果も得られずまた肩を落とす。
どうすればいいんだと誰しもが考えていたら見張り役がオイと呟いた。
「どうした?」
「なんか見慣れない舟がこちらに向かってるのですが…。」
その場の人間の殆どが方向を見ると猛スピードで波を掻き分ける舟の影が確かに見えた。
「おいあれ漁船か?」
「どうする?」
「取り敢えず止めるぞ。」
砂浜に投げ出された道具から赤い旗を持ち出し、捜査員が海に向かって左右に振り出す。
旗の色は距離のある舟の操縦室からもハッキリ見えていた。
「おいリュウちゃん、このままじゃ足止めされるぞどうする?」
舟の甲板に座る青年に船長が唱えると青年は揺れる舟の上で立ち上がる。
「おじさん、このまま砂浜まで舟を寄せてくれ。」
「え?寄せてくれって…?」
船長が何故そんな真似をと言う前にリュウガは舟の船尾の前まで移動した。
「リュウちゃん…?」
「親父…俺達先に行くから。」
「分かってるよ。説得は任せときな。」
同乗する父親は咎めずに息子の背中を見守る。
リュウガの隣には弟分である少年が音も無く並んだ。
「…よし、やるぞ。」
「うん。ラビも落ちないでね。」
『承知ですわよマスター。』
肩に乗るペットを愛でながらキドマルは微笑み、右手を斜めに振り下ろした。
手の甲に虎の模様と黄色いオーラが渦巻き、ビリビリと電撃が走る。
舟の真下を泳ぐ魚もその電撃に怯えて退散していく。
隣に立つリュウガも右手にオレンジのオーラと狼の模様を浮かばせ、辺りには冷気が充満する。
氷と雷の力は舟を覆うように広がり、ファマド達は祈るように見守る。
船長だけは何が起きてるのか把握出来ずに戸惑っていた。
リュウガは瞳をオーラと同じ色に染めると浜の端で浮かぶ舟に目標を合わせる。
《兄貴…。》
右手を握り、氷の破片が砕けて飛び散る。
《俺…もう迷わないよ。だから立ってくれ…兄貴。》
今度こそ救ってみせる、そう信じて深呼吸すると一気に瞳を充血させた。
「行くぞキド!」
「OK!」
2人の足が同時に動き、同じタイミングで甲板から飛んだ。
普通なら海に落ちると誰もが考える。
だが彼らは違う。
飛ぶのと同時に模様の浮かんだ右手を宙に差し出した。
すると右手に渦巻いていたオーラが形を変え、それを破るように何か飛び出した。
「ウオォォォン!」
「ゴルルルアァ!」
白銀の狼と金色の虎が太い雄叫びを上げて姿を現し、リュウガとキドマルは背中に手を添えて乗る体勢になる。
間を置かずにヴォルフの足先が海面に伝わり、波紋上に凍り付いた。
「ヴォルフ、あの船まで向かってくれ。」
「ウォォン。」
視界の端に船の姿を見たヴォルフは一度後方にステップを踏んで走り出した。
ヴォルフが走り去った跡からは氷の道が作られ、トラピカもそれを辿って続く。
2匹の獣が走る姿は海岸で待機する捜査員にも目撃されていた。
「おい、なんだアレ?」
「狼…なのか?」
「おい見ろよ、アイツら船に向かう気だぞ!」
まさか中にいる人間を襲うつもりではと捜査員らは危惧し、武器を装備して船に急ぐ。
「マズイな…ヴォルフ急げ!」
「トラピカ!もっとスピード出して!」
主の声に2匹の獣は足の歩幅を縮め、船目掛けて駆け出す。
だが一足早く警察側の人間が船に入るのが見えたのか、ヴォルフがガウガウと吠えた。
「…分かった。死なせない程度に襲えよ。」
サラッと恐ろしい事を言ってリュウガは後方に手を伸ばした。
「キド!掴まれ!」
「えっ?わ、分かった!」
キドマルは何も理解出来ないままでリュウガの手を握る。
するとリュウガはその状態でキドマルの体を自分側に引っ張り、ヴォルフの背から下りた。
ヴォルフとトラピカはそのまま砂浜まで走り、リュウガは足元の地面を凍らせると得意のスケート風ダッシュで船へと急ぐ。
キドマルは兄に抱えられる姿勢になり、ラビは落ちないように目を閉じて耐えていた。
そのタイミングで砂浜では捜査員が突然現れた猛獣を食い止めており、船に乗るのを諦めていた。
「止めろ!来るな!」
「おいよせって!撃ち殺すとマズイだろ!」
若い警官はライフルで狙撃を試みるが流石に動物相手に銃は向けられないと先輩らしき警官が止める。
そんな人間を見下すように2匹は雄叫びを上げ、その声は船の中まで聞こえていた。
密閉されたクルーザーの船内は日が昇ってるのに明かりが消されたままで床には何故か空の酒瓶が数本転がっている。
1台だけのベッドにもたれて眠っている人間が
外の騒がしさに耳を澄ませて睡魔から覚めようとしていた。
「誰よ…こんな朝早くから…。」
酒が回り過ぎてズキズキ痛む頭を抱えて立とうとしたら窓の外を見て足が止まった。
「…え?」
【7】
見間違いか、そうならばと目を擦って二度見すると海の上を人が走ってる有り得ない光景が見えた。
真っ青な海で優雅に靡く金色の髪の毛が太陽に照らされてキラキラしている。
「………。」
あれは幻か?
でも幻にしては輝きが違う。
なら本物の人間か?
それも海上を船やサーフボード無しで走る芸当なんて…普通の人間では無い。
驚きと情け…申し訳ない気持ちが向上して女性はベッドで眠る男を揺らした。
「ケビン!ケビン起きなさいよ!」
相手が唸るのを確認するとエルザは間を置かずに残りの仲間も揺すって叩き起こす。
「アンタらもいつまで寝てるのよ!早く起きて!」
「…喧しい…やろ…なんや?」
胃の中の酒が抜けずにフラフラしながら目を開けると耳に何か聞こえた。
「ん?なんや…今の?」
微かだが自分等を呼ぶ声がして扉を開けようと立つのと同時にまた聞こえてきた。
「…どした親分?」
「ジャッキー…お前聞こえたか?なんか外から誰か叫んで…」
「兄貴ィィィィィ!」
窓のガラスを振動させて入ってきたのは若い男の声。
声のトーンにケビンの目がパッチリと覚醒し、勢いを付けて布団を跳ね返した。
「…なぁ…あの声って…。」
「おい嘘だろ…!あの野郎…。」
外を見ると姿は見えないが海面の一部が直線上に凍って道になっている。
海を凍らせる力、それを持った人間を自分は1人だけ知っている。
「兄貴!迎えに来たぞ!いるなら返事しろ!」
リュウガは美しいパラレルを決めながら船のデッキの真下まで接近し、氷山のように凍らせた波をジャンプ台にして船に飛び乗った。
目的地への部屋の扉は1つだけでその扉をリュウガは刑事ドラマさながらの要領で蹴り飛ばした。
「兄貴!」
「ケビンさん!皆!」
入り口から入る潮風が閉め切った室内を浄化させ、中の空気が鼻に入ってくる。
「うわっ!なんですかこの匂い!?」
苦味と酸味をミックスした匂いにラビも鼻が辛いらしく、ヒューヒューと鳴く。
リュウガは風で煽られて転がってきた瓶を拾って口をへの字に曲げた。
「兄貴達…自棄酒飲んでたのか?」
『ひょれにしては尋常ひゃないれすよ…。』
息を止めたくぐもった声でラビも釘を指す。
「お前ら…なんでここに?」
「なんでだ?決まってるじゃん。迎えに来たって言ったろ?」
頭痛でベッドから出れないケビンに近付いたリュウガは冷気を帯びた手で頬を両側から挟む。
「兄貴起きろよ!二日酔いでヘロヘロしてる場合じゃねぇだろ!」
切羽詰まって叫ぶリュウガを前にケビンは目の焦点が追い付かず、呆然とする。
「…リュウ。」
「何やってんだよ!撃たれて子供奪われて酔っ払うなんざ正気の沙汰じゃねぇよ!兄貴はそんな男じゃねぇだろ!見損なったぞ!」
いつもと違ってズバズバとケビンを咎める背中に他の大人達も驚くばかりだ。
「…お前…何するつもりだ?もう俺にやれる事なんて…。」
「やれる事?いい加減目覚ませよ!このクズ野郎がぁ!」
リュウガはケビンの胸倉を掴むとベッドから引き摺り下ろす形で床に倒した。
そこから馬乗りになり、ケビンの顔を殴る。
「おいヤング!止めろ!」
「アカンでリュウちゃん!」
「うるせぇ!」
ジャッキーとガデフにも怒りをぶつけてケビンの顔をもう一度殴る。
「アンタらも何やってるんだよ!?揃いも揃って負け犬みたいな面しやがって!それで満足してるのかよ!?」
心に刃物を突き刺す感じに叫びながらリュウガは息を乱していた。
彼にしてみれば自分の目標でもある兄貴分達がみっともない醜態を置かしているのが信じられずにいるのだ。
「兄貴も皆もこの世界を救うヒーローだろ!正義の味方だろ!なのに…なのに諦めるのかよ!?世界がどうなってもいいのかよ!?」
ケビンの服を持ち上げてリュウガは拳を震わせる。
ここまで叫んでもケビンは何も答えない。
それが余計に怒りを募らせていた。
「なぁ…何とか言えよ…!何か反論しろよ!この嘘付きの…裏切り者の馬鹿兄貴が…!」
3発目の拳を振るおうとするリュウガだが…その腕が背後で止められた。
思わず振り返ると自分の後ろに白衣の男が立っていた。
「…親父?」
「よせ、これ以上お前が手汚すまででも無いだろ。代わりな。」
襟首を持って横に押し上げるとファマドはケビンの首を締め付けた。
「ケビン…お前随分舐めた真似してくれたな。人の心配を無駄にするなんざ卑怯にも程があるだろ?」
リュウガが壊した入り口にはヨシノとカリーナ、警官達が立っている。
船の前には漁船の船長とヴォルフ、トラピカ、この2匹に脅されていた人間がいる。
「お前…リュウの奴がどんな気持ちでここに来たか分かってるのか?コイツがどんな思いで俺に泣き付いてきたか理解してるのか?ガキの1人や2人連れていかれた位で酒浸りだぁ?んな事して割り切れると思ってるのか?」
ファマドを睨むケビンの頬は青紫になり、口元からは細く血が流れている。
殴られた影響で口の中が切れたのだろう。
「リュウはな…自分のやる事全部横取りされて悔しがってんだよ。実の兄貴に撃たれたお前を守れなかったのを後悔してんだよ。なのにテメーはなんとも思わねぇだ?それで楽になろうなんざ考えんじゃねぇ!」
リュウガがケビンにお見舞いしようとした3発目の拳をファマドは振るった。
「いつまで寝惚けてんだテメーは!?いい加減にしねぇと取り返しが付かなくなるんだぞ!だったら何か言えよこのクソ野郎がぁ!」
迫真迫る表情でファマドが鉄砕を喰らわせようとしたら白い手が彼の腕を掴んだ。
「止めて!もう止めてあげて!」
「離せフィーニー!何もしねぇ癖に逆らうんじゃねぇ!」
ファマドは力ずくで振り解こうとするがエルザも負けじと腕を離そうとしない。
「先生分かって!ケビンだって悔しがってるのよ!だから許してあげて!」
「じゃあなんでテメーは平気でいるんだ!お前はマナちゃんよりコイツの方が大事だって言いてぇのか!血の繋がらない子供なんか愛しても仕方ねぇって思ってるのか!」
【8】
痺れを切らしたファマドは遂に切り札とも言える暴言を吐いた。
ケビンが動けない理由も彼は知っている。
自分の命より大事な存在を人質のようにされている事を。
それを見て見ぬフリをする姿勢にファマドは我慢出来なかった。
「リュウ言ってんだよ…俺はマナちゃんの兄ちゃんなのにって。兄ちゃんなのに妹を守れなかったって。それはお前らだって同じだろ?お前らあの子の親になるって俺に約束したんじゃなかったのか?」
痛い所を突かれてエルザは泣くのを堪えて俯き、ケビンは瞬きせずにファマドを見つめる。
「周りに何言われようが責任持って面倒見るって…何があっても止めないでくれって俺はしっかり受け取った筈だ。違うか?」
「…。」
「お前らの気持ちも分かる。でもな。それ以上に一番辛い思いしてるのはマナちゃんの方だ。あの子はお前らが迎えに来るのを待ってる筈だ。どうしてそう言えるのかってのも理解してるだろ?お前とケビンが…マナちゃんの父親と母親だからだ。」
―自分とケビンが…マナの父親と母親。
それはケビンと共に誓い合った揺るぎない事実だ。
親の顔も…名前も…愛情も…温もりも…。
何も知らないマナを世界一愛せる人間になる為に…交わした約束だ。
「…先生。」
ケビンの乾いた声にファマドが無言で見返す。
「俺は…いいのか?」
「…あ?」
「俺…マナの父親だって…まだ…胸張って…良いのか?」
首に掛けられたままの浅黒の手をケビンが片手で包む。
「…そう宣言したのはお前だろ。自分で言った事も忘れたのか?」
そんなつもりじゃないとケビンは首を横に振って…目元に雫を溜める。
「…忘れる訳…ねぇよ。俺…マナに…マナに“パパ”って呼ばれて…スッゲー嬉しかったんだよ。自分を信じてくれて…愛してくれる事が…幸せな事だって…あの子は俺に…教えてくれたんだ…。」
悔しさと腹立たさを思い出したケビンは泣き顔を見せたくないと顔を両手で隠す。
手の隙間からは溜まった雫が細い線になって流れてきた。
「…マナ。」
頭の中に笑顔で笑う娘の顔を浮かべて…ギリギリと歯軋りしながらケビンは泣いていた。
「…ゴメンな…マナ…。パパ…自分の事ばっか考えて…お前の事ほったらかしにして…本当に…ゴメン…な…。」
後悔の懺悔を聞いたファマドは首を圧迫していた手を離す。
傍らではエルザが口元を覆って嗚咽を漏らし、ジャッキーとガデフはリュウガとキドマルに付き添う。
その光景を見守る母親コンビと警官も便乗して啜り泣いていた。
ファマドはやっとゴタゴタが済んだと言わん顔でケビンの上半身を抱き起こす。
「しっかりしろ。撃たれたって聞いたから傷見てやる。」
声もトーンもいつものファマドに戻ってるとケビンも感じ、泣きながら頷く。
だが腹部を触ったファマドは即座にん?とぼやいた。
「オイ、お前本当に撃たれたのか?」
「…え?」
「撃たれた割にはピンピンしてるし…どこも傷付いてねぇぞ?」
父親の声にリュウガもそんな筈ではと驚く。
その質問にケビンは上着の端を摘まんで見せた。
「…コレ見てくれ。」
ファマドも何だろうとポケットを探ると指先に何かが触れた。
取り出すとそれはブヨブヨのゴムで覆われた銃弾である。
「…そうか…そう言う事か。」
「そう言うって…どうしたんだよ親父?」
ファマドは銃弾を指で挟んで観察しながらヒューと口笛を吹く。
「どうやらユリウスって奴は…お前を仕留める気は更々無かったんだな。」
何かを解釈した口調でファマドは銃弾を他の人間にも見せ付ける。
「その弾…まさかゴム弾か?」
「そうだ、流石だな元マフィアさんよ。」
ジャッキーはファマドから銃弾を譲ってもらい、何度も引っ繰り返して眺める。
「伯父貴知ってるの?」
「あぁ。テロの鎮圧とかで使われる殺傷力の無い弾だ。当たるとそれなりに痛いけど…体を傷付ける程の威力は持ってないんだ。」
裏社会の住人でもあるジャッキーは色々な武器を間近で目撃しており、ゴム弾の知識もある程度知っている。
ただ自分は武器を殆ど使用してこなかったので実際の威力を目で確かめた経験は皆無なのだ。
「もしケビンが邪魔なら…最初から実弾使って始末してる筈だ。でも奴さんはそれをしなかった。それが何故かって言えば…お前らを危険な目に遭わせない為の精一杯の配慮だったんだろ。」
「…だからワザとゴム弾で気絶させたんですね。時間稼ぎする為にも。」
「ヘッ、粋な真似しやがって。弟に似て素直な男じゃ無かったちゅう訳か。」
警官達も安心したように肩の荷を降ろしている。
彼らは罪の無い一般人を発砲したユリウスを目撃し、そうでありながら何も口出し出来ないでいた。
そこに隠されていたユリウスのメッセージを知ってホッとしていたのだ。
「じゃあ警部補は…スカーレットさんを守ろうとしただけなんですね?」
「…だろうな。」
良かったと呟く警官を横目にファマドは顔を隠すケビンの手をむんずと掴んだ。
「…で?お前さんこれからどうするんだ?折角生かされた命だろ?また無駄にするのか?」
覗き込むとケビンの目は泣いて真っ赤に充血しているが…涙はもう見えない。
全部流して…何かを決心したように…ケビンもファマドの顔を見る。
「…無駄にはしねぇ。」
空いた片手を握って瞳を鋭く尖らせる。
「俺には…やる事が沢山残ってるんだ。だから…ここから逃げる訳にはいかねぇ。」
その答えを待ってたようにキドマルの顔が輝く。
「じゃ…じゃあ…!」
「悪かったなキド…お前らにも辛い思いさせちまって。」
ゴム弾が命中したと思わしき箇所を擦りながらケビンはベッドに背中を預ける姿勢を取る。
まだ痛みが引いてないようで険しくなりつつも呼吸を整えながらゆっくりと立ち上がった。
「…先生。」
「なんだ?」
「ゴメン…俺どうかしてたよ。先生がわざわざ来る位迷惑掛けちまって…悪かった。」
ファマドに謝り、それから仲間達を見渡すようにケビンは真っ直ぐ前を向いた。
「…皆、聞いてくれ。俺は今からビルスの所に向かう。知ってると思うけど今回の一件は俺達兄弟の責任だ。“絶対”じゃ無いけど…迷いがあったり恐怖を感じたりするならここに残っててくれて構わない。俺だけで片付けに行く。」
ケビンは宣言すると右手を真っ直ぐ伸ばした。
自分に付いていくならこの手を重ねてほしいという合図である。
「…ケビンさん。」
キドマルがラビを床に下ろしてケビンの真正面に立つ。
「僕もどうかしてました。ケビンさんのような男になるって決めてたのにオドオドして…まだ自分は半人前だって思い知りました。」
小さな右手の甲に虎の模様を浮かばせてその手をケビンの右手に乗せる。
「僕…もう迷ったりしません。ケビンさんの口から一人前だって言われるまで貴方と一緒にいます。」
少年の足元から上を見るラビも後ろ足で顔を掻き毟るとバック転を決め、直後に赤い布地がはためいた。
『ウチのご主人様は執念深いですよ。精々喉元噛まれないように用心してくださいね。』
キドマルの隣に金髪の少年が並び立ち、重ねた手には蝶の模様が滲み出てくる。
「…俺もキドと同じだ。兄ちゃんって奴は弟や妹を守るのは当たり前だからな。兄貴も俺の兄ちゃんなら…バッチリ俺の事守ってくれよ。その分兄貴の大事な人を…俺が守るからさ。」
黄色と銀を覆う優しいオレンジ色のオーラが3人の手を包む。
これだけでもケビンは充分だと言いそうな顔になって空いた左手を上から乗せようとする。
すると横から左手を手首ごと掴まれた。
「ちょっと待ちな旦那。アンタ大切な人間を忘れてねぇか?」
真横で向かい合う相棒にケビンは一瞬目が丸くなる。
「ジャッキー…。」
「俺もヤングに説教されて目が覚めたよ。姫が寂しがってるのを考えたら見て見ぬフリなんか出来ねぇ。それにヤング達ばっかにいいとこ取りされたら…大人としてメンツが立たないだろ?」
言い訳にも聞こえそうな口調だがジャッキーの本心では無いのをケビンは知っている。
自分もリュウガと同じで“兄ちゃん”という立場から考えての事だとも。
「…俺も姫と似た環境で育ったから分かるんだよ。親も兄弟も友達もいなくて…1人で過ごすのがどんなに辛いのかがさ。だから俺決めたんだ。もし味方が誰もいなくなっても…俺だけは姫と一緒にいてやろうって。姫の我が儘聞いたり…どんな理由で泣いても励ましてやろうって。だから今逃げたら…俺は姫を裏切る事になるんだ。それだけはしたくねぇんだよ…。」
グローブで包んだ左手が自分とは反対に冷たい両手で覆われる。
それを少し広げてジャッキーは唇を落とした。
「俺やっと分かったんだ。姫は…あの子は“俺”なんだって事が。姫の痛みは俺の痛みでもあるんだ。だからもう…逃げる訳にはいかねぇんだ。」
そこで赤と青の瞳が重なり合う。
ケビンは相棒を見つめ笑うように唇を吊り上げた。
「…分かったよ。そこまで言われたら俺も断り切れねぇし。」
ここまで来たらやるだけだと言い切りながらその瞳をある人間に向ける。
「ガデフさんも文句ねぇよな?」
「上等や。何処の誰かは知らんが…ワシも借りを作られてばっかなのはいけ好かんからのぉ。」
堂々と腕組みして笑うガデフの横でエルザは俯きからやっと顔を上げる。
下半分が充血したエメラルドの瞳が悲しみを堪えて凛としている。
「ケビン…私も迷わないわ。私はマナのお母さんになるって約束したもの。」
ゆっくりと接近し、エルザは圧迫で変色したケビンの首を自分の手で隠す。
「マナは…マナは正真正銘“私達の娘”よ。そうよね?」
「…あぁ、勿論だ。」
ジャッキーがそっと左手を解放し、エルザの手を握る。
彼女の白い左手には自分のと同じ指輪がしっかり嵌められている。
「今の内に泣くだけ泣いとけ。アイツの前では…泣き顔見せんじゃねぇぞ。」
リュウガの右手の上にエルザの右手が乗され、それをジャッキーとガデフが包む。
最後にケビンが左手を頂点にして指を押し込んだ。
「…やってやろうぜ。人の繋がりにズカズカ入り込んだクソ野郎を今こそ成敗してやる時だ。」
船の天井を見上げ…天国の父親の顔をイメージするとケビンは静かに深呼吸した。
父親に…仇を取りに行くと伝えながら。
「…八代目ギルク家…一世一代の大喧嘩だ。気合い入れて行くぞぉ!」
「『おおぉぉぉぉぉぉ~!』」
【9】
波立つレベルの掛け声を出す集団に警察は怯み、ファマドはやっぱりなと言った顔になる。
「な、なんですかアレ?」
「大目に見てやれ。アイツらは…世界を救う正義のヒーローなんだからよ。」
益々理解出来ない顔でキョトンとする警官にファマドは笑顔を見せるだけだ。
すると耳の外れでバシャバシャと水を掻く音がしてデッキへと歩いた。
「どうしました?」
「いや、今なんか音がしてさ…。」
捜査員も一緒にみると船から見て沖合いの方角から一筋の波の線が見えた。
その線から掻き分けるように人の腕が見えてファマドは青ざめた。
「おい、誰か泳いでくるぞ!」
「え!?」
「浮き輪かロープ持ってこい!急げ!」
彼の怒号に浜辺で待機していた警官が道具を抱えて到着しそうな地点まで近寄る。
波の間から回転する腕を確認するとロープを結んだ紅白の浮き輪を投げた。
「おーいコッチだぁー!」
「ソレに掴まれ!」
波で揺れる浮き輪がガクッと一瞬沈みそうになり、5~6人の警官がロープを持ち上げる。
「よーし引けぇぇ!」
先頭の掛け声でワッショイワッショイと言いながら警官達はロープを一斉に引いた。
やがてズズズと砂を引き摺る音がして浮き輪に乗っかった人間がずぶ濡れで引き上げられた。
「おい大丈夫か!しっかりしろ!」
泳いできたのは制服姿の警官だ。
ゼーゼーと言いながら口の端から海水が流れる。
泳いでくる途中で水を飲んでしまったようだ。
「マズイぞどうするんだ!」
「どうするって…。」
「とにかく医者だ!早く医者を呼ぶんだ!」
その声に警官があたふたする背後から誰か走ってきた。
「すまねぇ、退いてくれるか?」
「え、え?」
前に出てきたのは漁船に乗ってきた浅黒の男だ。
「手足押さえてろ。まだ自発呼吸してるから水吐き出せば助かる筈だ。」
「こ、呼吸って…?…アンタ…一体…?」
驚く警察にファマドは白衣のポケットから顔写真付きの名札を取り出して見せた。
「え!?アンタ医者なのか!?」
「まぁな。それよりも今はコッチだろ。」
ファマドの指示で泳いできた男の体が大の字で広げられ、暴れないように手足をホールドする。
そこから手を心臓マッサージをする形で組んで腹部に添えられた。
「いいか?せーの…。」
フンッと力を込めると男の体が飛び上がりそうになる。
端から見れば乱暴してる風にしか見えないので周囲はどよめくばかりだ。
「おい!押さえてろって言ってるだろ!」
「は、はい!」
ファマドは相手が警察なのを忘れて立て続けに腹部に衝撃を与えた。
10回、20回と繰り返したらブハアッと吐き出す声がして男の口から水が飛び出た。
「出ました!」
「よし…。」
念の為に左胸と胸の中心部の間に耳を当て、心臓が動いてるかを確認する。
「止まってないな。そしたら毛布とかタオルを3~4枚持ってきてくれ。それで体拭いて包んでやれ。」
「わ、分かりました!」
指示した道具が持ってこられる前にファマドは憔悴した男の頬をペチペチ叩く。
「しっかりしろ、返事出来るか?」
「あ、あの~、あんま乱暴には…。」
逆らえば怒られると思って小声で制止される前に男は半開きの目を見知らぬ医者に向けた。
「ア、アンタ…は…?」
「通りすがりさ。それよりもよく泳いでこれたな。何処から来た?」
まだゼーゼー呻いているが落ち着きは戻ってきてるようで男は泳ぎ疲れた体を起こした。
「た、頼む!助けてくれ!俺は逃げてきたんだ!」
「逃げてきた?誰からだ?」
「ふ、船だ!船から飛び下りて逃げたんだ!」
―船から飛び下りた。
その一言に同僚達がまさかとぼやく。
「船…じゃあ副司令とやらを助けに行ったのか?」
「そうだ!そしたらあの人が…シュバルツ警部補が俺達を裏切ったんだ!」
必死に怒鳴るその一言にその場の空気が凍った。
「警部補が…!?」
「おい本当かそれ!?」
「本当なんだ!いきなり支部長に銃向けて…それで…あっという間に…!」
話の主旨は告げられてないがそれを聞いてファマドも顔を険しくさせた。
愛する弟を行き逃した男が…仲間を裏切った。
普通に考えれば矛盾過ぎる行いだ。
「どうなってやがる…何が起きてるんだ…?」
立ち上がると同時に若い警官が毛布の山を運んできて男の体を包む。
一先ず任せようと決めるとクルーザーから下りてきたケビン達の元へ戻る。
「どうした先生?」
「ヤベェぞケビン。お前の兄貴…スパイだったみてぇだ。」
「スパイって…まさユリウスさん裏切ったのか!?なんで!?じゃあなんで兄貴は見逃したんだ!?」
リュウガに詮索されてもファマドも詳しく知らないので答えられない。
「…でも何か起きてるのかは確かだ。モタモタしてると…もっと状況はヤバくなるだろう。」
「…そうだな。」
ゴム弾で撃たれた腹部が不意に痛む。
腹の中にガスみたいなモヤモヤが充満して…ゲップすら出ない気持ち悪さが込み上げてくる。
「…行くんだろ?兄貴の所に。」
バンッと肩に手を乗されてケビンは無言で頷く。
今は人命を優先すべきだと言われなくても分かっていた。
「結構だ。ならお前に預かって貰いたい物があるんだ。待ってろ。」
そう言って横を見るとカリーナが夫の往診鞄を差し出し、それを砂浜に置いて口を開けた。
すると両手を入れて鞄の中から一抱えもあるジュラルミンケースを引っ張り上げた。
「それは?」
「悪いな。本当は最初街を出る時に渡そうと思ってたんだが…それどころじゃ無かったしな。」
【10】
受け取ったケースは少し重く、カリーナは託したと頷いて一歩後退する。
ケビンが様子を見てケースを開けるとその場で固まった。
「先生…コレって。」
そこには小さな宝玉が飾られたシルバーのブレスレットが4個並べられていた。
「全員分用意したかったけど予算ギリギリでさ、すまないがそれで堪忍してくれ。」
ケビンはブレスレットの内の1個を持ち上げた。
手にしたのには深い赤色の宝玉が埋められている。
「遅くなっちまったが…俺達からの退院祝いだ。受け取ってくれ。」
膝に両手を付けてファマドは頭を下げた。
ケビンもそれを見てブレスレットを左手首に装着する。
幸いな事に自分の手首とブレスの幅はぴったりフィットしていた。
「うわぁ~、似合ってるよ兄貴。」
「格好いいですね。」
弟分から賞賛されて照れ臭いがケビンは微笑んで誤魔化す。
リュウガは自然と彼に馴染むブレスレットを見て残りの3個をケースごと持ち上げた。
「叔父貴、あとコレは叔父貴と姉御とおっちゃんが受け取ってくれないか。」
「…良いのかいなリュウちゃん。ホンマはリュウちゃんも欲しいやないのか?」
ガデフはリュウガが自分達に遠慮していると思って質問するもリュウガは首を横に振る。
「俺…派手なアクセとか身に着けるの好きじゃないんだ。それにほら、この石の色…叔父貴達の目の色と同じだからしっくりくると思ってさ。」
言われてみれば残りのブレスレットの石は色の濃い青・緑・紫の三色だ。
どの色も3人の瞳の色とペアカラーになっている。
「だから受け取ってくれ。選ばれしヒーローの証だと思ってさ。」
少し寂しそうに笑うリュウガの笑顔にジャッキーはドヤ顔を見せてブレスを手にした。
「承知したぜヤング。任せろ。」
「仕方無いわね…。」
「分かったでリュウちゃん。」
渋々な感じながらもリュウガの優しさを裏切る訳にはいかないとエルザとガデフもブレスレットを貰う。
リュウガは空になったケースを母親に返却し、そのタイミングでヨシノが自分の首の後ろに手を回した。
「じゃあ私からはこれを預けるわね。」
服の下からチャリっと音がして細い金色のチェーンが引っ張られる。
チェーンと一緒に出てきたのはエメラルドで彫られた四つ葉のクローバーだ。
『マザー…それは?』
「これ…キドを妊娠した時に旦那がくれた安産祈願のお守りよ。もう願掛けも切れてるから私には必要無くてね…だから受け取って貰える?」
ヨシノは首から外したペンダントを息子の手に握らせる。
「お母さん良いの?こんな大事な物なんか預けて?」
「良いのよ。貴方とラビが持ってる方が安心するってきっとお父さんも望んでるから。」
受け取ったペンダントはヒンヤリ冷たく…それでいてジンワリ熱い。
母親と今は亡き父親の願いが込められてると伝わり、キドマルは落とさないように握り込む。
「良いキド?貴方はもう私の心配なんかしなくて良いから。自分が信じた道を歩いて行くのよ。約束出来る?」
「うん!約束だよ!」
細い小指が顔の前に現れ、キドマルも自分の指を出して絡める。
「ラビ、何があってもキドの事支えてあげてね。貴方も…私の大事な息子だから。」
『YES、マザー。』
執事のような丁寧なポーズを決めるラビの頭を主の少年が撫でる。
「よし、なら一仕事しに行くとするか。」
パシッと手を叩くファマドにケビンは思わず瞬きした。
「仕事って…まさか先生達も来るのか?」
「当たり前だろ。何の為にここまで来たと思ってたんだ?心配しなくてもお前らの邪魔になる真似はしねぇからさ。」
「…嬉しいけど上手くいくか?特にあの人らが…。」
ケビンの視線の先には呆然とする制服警官の姿がある。
普通に考えればファマドは関係無い一般人だ。
手を貸したいと申し出てもそれは通らない話だろう。
「なぁおまわりさん。良いよな?」
「え?良いよな…って?」
「俺らも同伴させてくれ。俺はコイツらの後見人してる者でさ。危なっかしくならないように見張る役割があるんだ。」
ケビン達に親指を向けてファマドはスラスラと言ってのける。
警官は顔を合わせて直ぐに返事出来なかった。
「そんな喧嘩に手貸す事はしねぇよ。俺は医者として…今の自分を考えて意見してるだけだ。それに万が一怪我人が出たら手当て出来る人材は確保しとくべきだろ?」
職業を主張して言えばそれならといった顔になるがまた直ぐに俯く。
「でも…そんな真似されたらメンツ…がぁ!?」
一番手前にいた警官の胸倉が急に掴まれて持ち上げられる。
「な、何するんだ!?」
「…おい、今なんつった?」
顔の前に怒りむき出しの医者がいて警官はアワアワする。
「メンツだと?アンタらは人命よりメンツの方が大事だって言いてぇのか?あ?」
ヤクザ並みの脅しを仕掛けてくるファマドに周りも止められずに狼狽える。
「警察ってのは市民を守るのが仕事だろ?それなのに自分等の立場が命より大事だって言うのか?」
「…ち、違…い…!」
「どうなんだ?“はい”か?“いいえ”か?どっちだ?」
光の消えた冷たい無の瞳を見て警官はヒィヒィと泣き喚く。
それはケビンも目撃した事ない程に恐ろしい顔だ。
「…ヤバイな先生。」
「地雷踏んだねアイツ。親父あぁ見えて怒ると閻魔大王の100倍おっかなくてね。機嫌取らせるのが大変なんだよ。」
他人事みたいにぼやく息子に止めないのかと言いたいがリュウガでも無理だと同時に判断する。
そしてファマドは痺れを切らして名札を入れてるのとは反対側のポケットに手を入れた。
「…お前らさ、本当に一般人が人助けするのを“悪”って決め付けたいんだな。マジで腐ってるぜ。」
秘密兵器を取り出すようにポケットからスピーカーとボタンがある細長い機械を引っ張り出した。
スピーカーの穴を相手に向けると中央のオレンジのボタンを押した。
《なんで俺達をゴミみたいに扱うんだ!俺達だってヒーローなんだぞ!この世界救ってる正義の味方なんだぞ!》
スピーカーから悔しさ全開の悲鳴が聞こえて全員が硬直した。
リュウガは唐突に流れた自分の声を聞いて呆然とするだけだ。
《なんで人助けするのを悪い事だって決め付けるんだよ!だったらテメーらのしてる事って何だよ!同じ事しててなんでテメーらは周りから褒められんだよ!ふざけんじゃねぇ!》
そこでボタンを押して再生を止めるとレコーダーをゆっくりと下ろして自分の顔を見せた。
ファマドは瞳を吊り上がらせ、この世の絶望レベルな険しい顔になっている。
「…息子がアンタらと交渉する時に聞かせようと思って仕掛けたが…とんだ見当違いだな。」
昨晩のやり取りを思い出してファマドは本当に絶望したと顔で表現してくる。
「これ聞いて少しは反省するかと思ったが…マジで救いようのねぇ馬鹿共だなアンタら。お前らの目には…俺達は“人形”としか見えてないって訳か。」
「は、はぁ?」
「だ~か~ら~、人形だよ。に・ん・ぎょ・う。おじちゃん分かる?おじちゃんは俺が雛祭りに飾るあの真っ白いお人形さんにしか見えてないの!」
耳を澄ませば人権批判だの人種差別だと誤解されそうな単語を説きながらファマドは相手の頭をレコーダーでパシパシ叩いた。
「おじちゃんは雛人形に感情が無いって思ってるでしょ?言われてみればそうだよ。一見すると綺麗だけど近付いて見ると滅茶苦茶恐い顔してるもん。のっぺらぼうに適当なパーツ貼り付けただけのお面にしか見えてないでしょ?俺らはそれと一緒な訳。分かる?自我も何も持たない、テメーを通してしか世界を見る事が出来ない、自分の言う事は100%正しいと信じて動くマリオネットなの!」
オラッと唸りながら警官の体を押し倒し、ファマドは再生ボタンを押すとレコーダーをあげるつもりで投げ渡した。
《兄貴を貶して何が楽しいんだよ!兄貴を惨めにするのがそんなに嬉しいのかよ!兄貴の事何も知らねぇ癖に好き勝手言うんじゃねぇ!》
愛する息子が自分に伝えてくれた叫びがレコーダーから響き渡る。
自分が目標と決めた人間を救えなかった苦しみが…悔しさが…全て籠もられていた。
「俺を捕まえたいならどうぞご自由に。ま、処刑した所でコイツらがお前らの言いなりになる確証は無いけどな。」
背中を向けて手を振りながら白衣の医者は自分の息子と少し前まで患者だった男の元に向かう。
「行こうぜケビン。正義のヒーロー様を待ち侘びてるファンが…この海の先にいるぜ。」
果てしなく広がる青い海を一望するファマドにケビンは何かを訴えようとするも唇が開かずにワナワナする。
「見せてくれよ。“本当のお前自身”をな。」
―本当の自分。
周囲の“言葉”に、“圧力”に負けてずっと表に出せなかった自分の顔を…力を…。
今こそ解き放つ時だと。
「…ん?なんだよ泣いてるのかお前?情けねぇな!」
知らない内に涙がポロポロ零れて足元の砂を湿らせ、ファマドに笑いながら頭を叩かれる。
「馬鹿…泣いてなんか…いねぇし…!」
色んな気持ちが複雑に絡んで言葉に出来ず、顔を隠そうとしたら背後から見知らぬ指が迫った。
その指は勝手に唇の端を吊り上げて不細工な笑顔にさせてくる。
「旦那~、1+1はなぁ~に?」
「ウラァ!」
答えでは無くて肘打ちがジャッキーの腹部に命中し、当人は急所を当てられて撃沈する。
ヘナヘナと砂浜に沈む背中を見てリュウガはいつものツボ笑いをしそうになってた。
「お…叔父貴ナイス…ちょ…もう1回…ブハハハハ…!」
「…リュウ兄笑ってる場合?空気読んでよ…。」
「コイツには言っても無駄やぞチビ助。」
『右に同じく…ですわ。』
リュウガの氷並みの冷たい視線を感じるキドマルはここで変な笑いはしないでと訴えるが無意味だ。
ケビンは涙も吹き飛ばしてジャッキーの背中をグリグリと踏みつけていた。
「覚悟しろよお前…!」
「ま、待って!俺アンタの事慰めようとしただけなのにぃ!」
「ア、アンタ…マジで…その格好ツボるんだけど…グフフフフ…!」
エルザもリュウガと一緒で変なスイッチが入ったらしく、不気味に笑っている。
異常とも言える光景だがケビンらにとっては至って“普通”の出来事なのだ。
「…まぁでも色々吹っ切れたよ。ありがとな、先生。」
波の音を聞き入りながらケビンはそっと目を閉じる。
「俺は…俺のしたいようにやらせて貰うから。」
自分の中で複雑に絡む思いを1つにして彼は考えていた。
《俺が…この世界を救う…か。それも悪くねぇな。》
自分を押してくれた人に答える為にも…今やれる事をすればいいと。
《ならやってやるよ。俺は…ヒーローだからな。》
立ち止まっては何も起きない。
泣いてるだけでは何も始まらない。
その気持ちを思い出して彼は前を見る。
出口の無い海を見渡して…誓っていた。
―自分のしたいように生きてみたい、やってみようと。
自分の左手を握る小さな温もりを蘇らせながら彼は赤い瞳を海に写す。
その目は今までに無い位に美しい…燃える赤色に染まっていた…。




