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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第五幕・新たなる敵と兄弟の登場~
30/34

もう1つの再会!輝く光の戦士レオナルド

【1】

その日、国際警察の本部では年に一度と言うべきの緊急事態に見舞われていた。

組織の幹部が裏切り、 副司令と本部長が偽の反逆罪で捕らえられた。

“ボス”の立場であるアルフレッドはこれに関してある措置を下していた。

―ドディ・グスタフの身柄を拘束、更には彼の裏商売の証拠を掴むべし。

勿論反対派の人間はいなかったのでテトラからの報告を元に捜査員達は動いていた。

まず優先すべきは人質の身柄を保護する事である。

それさえ達成出来れば後は撃とうが何をしようが正当防衛で始末する腹積もりを立てながらだ。


移動手段の準備も進められた。

ユリウスが提案した交渉に基づいて取り引き現場に警官を配置するのは決定になった。

シージャックを想定した模擬訓練で使用されるクルーズ船を駆り出して迎え撃つと。

交渉の時間は夜、今現場に行っても相手が警戒する恐れがあるのでまずはユリウス達の迎えを兼ねて先方隊を派遣する事にした。

その先方隊にアルフレッドはある人間を同行させて欲しいと捜査員に頼みを申していた。

その人間の待つ部屋に入ると机の上には白い布が敷かれ、メスや注射器が乱雑に置かれている。

どの道具も曇りが一切無く、ピカピカに磨かれていた。

「…あの…どうぞ。」


総司令に誘われた婦警がお茶のカップを置くと2人の内1人がカップに手を伸ばす。

「飲んだら?冷めると美味しくないよ。」

香りを楽しみながらウットリするのはベイビーピンクの髪色の女性。

襟の付いた黒いノースリーブのブラウスに同じ黒色のショートパンツを履いている。

ただシャツもパンツもかなり裾が短いタイプでムチムチした美脚が目立ち上半身に至っては所謂ヘソ出しになっていた。

露出の高い女性の足を包むのは真っ白いブーツでそこらのギャルにも負けないインパクトなファッションである。

「…せめて腹隠してくれないか?失礼だろ。」

丁寧にメスを磨いていた男は同伴者を見て肩を落としていた。


この姿では到底“看護師”とは言えない。

だが文句を言っても当人は受け流すだけで何の進展も無いのだ。

「すいません総司令…こんなえげつない物見せて。」

「あっ!ちょっと首が…あっ!」

後ろ頭を掴んで強引に下げると女性はカップを持ったまま暴れた。

中に入っている琥珀色の液体も激しく揺れる。

「まぁ気にしないでくれ。それよりも先程までの話…引き受けてくれるのか?」

恋人の後頭部をグリグリしながら白衣の男は眼鏡を弾く動作を見せた。

「僕がそれを断るとでも?冗談は止めてくださいって。」


磨かれたメスの切っ先をアルフレッドに見せると控えの警官が怯えた。

「確かに貴方の部下だけなら断ってましたよ。でも…ビルスと手を組んでいるなら話は別ですから。」

新品の鏡のような刃物に写るのは端正な男の顔。

その見開かれた瞳は…片目が白くなっていた。

「…総司令。」

「何だ?」

「僕の勘ですが…その取り引き現場にビルスが姿を見せる可能性は充分あります。もしそうなったら…手出しはしないって約束してくれますか?」


ざわつく部下を宥めながらアルフレッドは客人の男を見下ろす。

「それはどういう意味だ?」

「簡単ですよ。“それだけ敵う相手では無い”って言い切れる…と。」

生温くなったお茶を飲み干す男を同伴の女性はウットリと眺める。

「あ~ん惚れるわレオぉ。」

「止めてくれ。余計に暑苦しくなる。」

クールに制止されると女性は傍らに畳んでいた物に手を伸ばす。

ブーツと同じ真っ白いファー付きのロングコートだ。

「ほら!そうと分かったら早くヘリでも何でも出しなさいよ!」

「ハ、ハイ!ただ今!」


若い警官は敬礼するとバタバタと部屋を後にする。

白衣の男はあ~あと呟いて頭を抱えた。

「…何て事してくれるんだお前は。」

「ん?なぁにレオ?何か悪かった?」

これぞ天然と言うべきか、女性の本性を見た捜査員は青ざめてその場を後にしていく。

アルフレッドは部下を見送ると自分もそこから去ろうとした。

「…ありがとうございます。声掛けてくれて。」

振り返るとそこには音も無く立ち上がった男が丁寧に頭を下げていた。

それを優しい目で見守りながらアルフレッドは部屋の扉を閉めた。



【2】

グスタフ達が立ち去った柊荘の一室。

あのバタバタが嘘のように静まり返った部屋の前に仲居が詰め寄ってヒソヒソしている。

少し開いた襖の向こうでは5人前のカツ重をペロリと咀嚼している少年を前に銀髪の刑事が煙草を吹かしていた。

「親父がビルスと鉢合わせになったのはもう22年も前…俺達兄弟がまだ子供の頃だ。」

片膝を縦に曲げた姿勢でユリウスは窓側に顔を向けている。

視線の先は宿の裏庭、ヘリの到着ポイントで待機しているケビンに向けてだ。

「ケビンから聞いたかもしれないが…コーラルのおっさんは親父に警察の情報を横流ししてたんだ。逃走中の凶悪犯の名前から法廷でも裁けない悪党の抹消まで色々な。それを元にあちこち駆け巡ってた。」


一行はあの後無事に山から下山し、事件に巻き込んだ詫びとしてユリウスは遅めの昼食を奢ってくれた。

でもキドマルはその量では満足出来ないのでプラス経費でカツ重に有り付けていた。

テトラは下山すると交渉への準備とスパイだと悟られないように本部へと帰還している。

「仕事人間だったんですね、お父さん。」

喋りながらも決して箸を止めないキドマルだがユリウスは行儀が悪いと注意はせずに煙草を吹かした。

「まぁ言われればそうだな。基本は朝か夜まで通し、出張となれば2ヶ月3ヶ月帰ってこないのも珍しく無かった。でもお袋は親父に対して文句なんか一切言わなかった。親父が帰ってきたら必ず一番風呂に入れて…出張から帰ってくる日はご馳走作って待つってルール作ってな。」

「へぇ~、良い奥さんだな。姉御ソックリかも。」


食べる手を止めない弟の後ろでリュウガはシガレットを煙草に真似て咥える。

その隣にはガデフが座り、硬い膝の上にはラビが丸くなって眠っていた。

「…ビルスはあちこちでかっ攫った人間をマフィアに売り捌いてた。その金をミステシアに流してたっておっさんは親父に漏らしたんだ。それ聞いたら親父の奴黙ってられないって…珍しく怒ってたな。」

「…それでビルスを捕まえようとした…って訳か?」

その時は家族の誰もが予想していなかった。

まさか父親が返り討ちにされるなんてと。


それはエドワード、そしてギルクという一族にとってもターニングポイントになっていた。

「俺も兄ちゃんも許せねぇの一言しか言えなかったよ。いつか必ずビルスに復讐してやるって親父に面と向かって宣言したんだ。そしたら親父…俺らビンタしてこう言ったよ、“こんな些細な事で死にに行くような真似はするんじゃない”ってな。」

「おいおい。どっかの誰かさんにソックリやで、そんな戯れ言叫ぶのは。」

ケビンの無鉄砲さはこの男譲りかとガデフは呆れ半分でラビをよしよしする。

「まぁ俺以上にショック受けてたからなケビンは。アイツは特に親父に懐いてたし…あの火事の後も親父が死んだのを直ぐには受け入れられずにいたしな。」


紫煙が漏れていく外では話題にしている弟が兄と全く同じ話題を残りの仲間に振っていた。

「父さん…死ぬ前に良く言ってたんだ。“自分は不幸になったとは思って無い。これでやっと子供の我が儘を聞いてあげられる。知らない所で死なずに済む”って。その後だよ。あの火事が起きたのは…。」

頭の片隅に浮かぶのは炎に包まれる屋敷、その中でどんどん形を失っていく人影。

自分は何が何でも助けようと必死だった。

でも死なれたら困ると兄達に羽交い締めにされて…命からがら逃げてしまった事を。

「父さんの亡骸はあんまり覚えてないんだ。ただ…顔も体もどうなってか分からない程に全部焼かれてた。マジで頭の中真っ白になって…何も考えられなかった。」


ケビンは裏庭にある大きな石の上に腰を下ろしていた。

マナは膝に乗って目頭を抑える父親を見上げる。

「暫くは火事の光景が夢にまで出てきて…夜も眠れずにいたんだ。それはズルズル引き摺ってて…今もまだ…。」

「今もって…じゃあ前に見た夢って…その火事の夢か?」

それを聞いたジャッキーには心当たりがあった。

ガデフを仲間に引き入れる前、ケビンは“タチの悪い夢”を見て自分に泣き付いてきたのだ。

それに結び付けると納得のいく話だ。


予想以上に深い悲しみを溜め込みながら今日まで生きるなど中々真似出来ない。

しかも家族と離れてたった1人で。

ジャッキーは改めて相棒の苦しみを…根性を理解していた。

「俺は父さんが死んだ事より…何も出来なかった自分をずっと憎んでいた。あの時俺にもっと力があれば父さんを助けられた…こんな事にはならなかったのにって。」

「俺らは自分が許せなかった。こんな悲しい見送り方しか出来なかったのかと。」

ケビンの赤い瞳とユリウスの黒曜石の瞳が同時にその色に染まっていく。

「ビルスは…絶対に仕留めなきゃならねぇ。親父の人生を…プライドを狂わせた報いは絶対に晴らさないと駄目なんだ。」

「そう誓ったんだ。俺達兄弟3人は…あの日に。」


そこで話を区切るとケビンは立ち上がり、昨日まで寝泊まりしていた部屋を見上げた。

そこの窓からはユリウスの姿が見え、煙草を片手に自分を見下ろしている。

言葉にしなくても兄と弟は互いを見て頷いた。

ケビンは部屋から見えない所まで遠ざかり、ユリウスは最後の煙を吐く。

「…ユリウスさん。」

空の重箱を積み上げる少年が深刻な顔で見つめてくる。

「そこまでして…そのビルスって男を抹殺しようと思うなんて…普通じゃ考えられません。」

「…。」

「前にリュウ兄が教えてくれたんです。“命を奪う事程恐ろしい体験は無い”って。人を殺すのは…それだけ自分も周りも変えてしまうって。それなのに躊躇いとか無いんですか?」



【3】

空気が変わったのを察したのか、ラビはガデフの膝から下りてキドマルの頭部によじ登った。

「…全部理解しろとは言わねぇ。ただこれだけは覚えておけ。俺らだって好きで命を奪う真似はしない。その心臓を射貫くのは…自分を殺す覚悟を持った時だけだ。」

灰皿を出さずに煙草を握り締めるとユリウスは部屋の襖をバッと開けた。

従業員が固まって驚くのも気に止めずにスタスタと走り去る。

後ろ姿を見送るリュウガは仲居の面々に戻って良いと告げると唇を噛んだ。

「…お前ら、今の話分かったか?」

ガデフは座った姿勢で腕組みし、リュウガとキドマルは彼を向く。

「アイツはワシらに警告したんや。“自分とケビンは人間を捨ててしまう時が訪れる、そしたら迷わずに切り捨てろ”と…こんな所やな。」


要は自分ら家族の因縁に首を突っ込まないでほしい。

そう解釈するとハァ~と溜め息を付く。

「アホやな…そないな真似した所でワシらが家に帰ると思ったら大間違いやで。ま、ワシには帰る所などありゃせん。でもリュウちゃんとチビ助は巻き添えにしたくないんやろうな。お前らは若いし家族もいる、それにこれから夢を持って大人になるんじゃけ。余計な心配するなって説教したんやろうな。」

何考えてるんだと呆れ混じりに呟くとリュウガはおっちゃんと一言呟く。

「俺…兄貴と別れる気なんて無いよ。兄貴と会えなかったら俺はずっと家に引き籠もってた、ずっと他の世界を知らないで親の尻拭いしてたかも知れないんだ。」


泣きそうな弟の真横に座ると自分にもたれ掛かるように引き寄せた。

「アイツがどう言おうが…俺は兄貴と一緒にいる。それで兄貴が自分を止められなくなったら俺が助けてあげるんだ。手足を無くそうが…内臓を焼かれようがな。」

見上げる金髪の真下の瞳が夕焼けのオレンジ色に染まり、ガデフはそれを見て少しだけ笑った。

「せやな。ワシも同じ事考えてたで。」

《私もです坊ちゃん。》

賛同されたリュウガも顔を緩ませ、笑顔になる。

「兄貴は俺達を何度も助けてくれた。でも俺達はまだ…兄貴に何もしてやれてないんだ。だからそのツケを今こそ払う時だって。そうだよなおっちゃん?」

「あぁ。お前も賢い事言うようになったやないか。見直したで。」


廊下にまで届きそうな笑い声を背中に受けつつユリウスは宿を出ると弟のいる裏庭に回った。

到着するなやバキッと殴られる音が聞こえて黒い影が目の前に倒れてきた。

「よう、派手にやってるな。」

倒れた弟の前にはゼーゼーと肩で息をする帽子の男が立っていた。

「どうした?何か不満でもあったか?」

「…どうしようにも無い位にな。これ以上首突っ込むなとかって言いたいんだろアンタ?じゃなきゃ旦那がこんな無様なナリになる訳ねぇし。」

腕を引っ張って起こすとケビンはふらつきながら兄を見る。


端正な両頬は赤く晴れて目の辺りにも痣が出来ていた。

「どうしても止めたいなら…今この人の目の前で俺を殺しても良いんだぜ。俺はこの人の相棒だ、コイツの役になって死ねるなら悔いはねぇよ。」

ケビンの傷の出来た理由をユリウスは知っている。

自分等の因縁に詮索してくるなと反論して返り討ちにあったのだろう。

だがユリウスはニヤリと笑ってよせよと呟く。

「俺はこう見えても警察だぞ?堅気の人間を理由も無しに殺すなんざ俺のやり方に合わないだけだ。」


ジャッキーは笑い顔を崩さないユリウスを睨むが本人は気にせずケビンにハンカチを渡す。

「でも驚いたな。親父や俺や兄ちゃん以外でコイツを殴る人間がいるとは…大した奴だな。」

麻の布で顔をチョンチョンするとケビンは顔を顰めて嫌がる。

「コイツは目があった奴からは必ず殴られる体質なんだ。でもそんな連中は憂さ晴らしとか鬱憤とかで殴るのが殆どだ。俺らみたいに自分のやり方や存在を否定するような言い方して…ブチ切れるような人間なんか一人もいなかった。つまり自分を立ち直させる人間に出会えずにいたんだよ。」


幼い自分や兄も何か理由があるとケビンを殴ったり叩いたりしていた。

でもそれは全部間違いを指摘したり説教させるのが目的で遊び半分で殴った事など一度もしていない。

家族以外の人間から“遊び”で殴られて育ったケビンの背中をユリウスはずっと心配していたのだ。

いつかその傷が膿になって…心も体も支配されると恐れながら。

「やっぱ只者じゃないなお前ら、見直したぜ。」

呟き様に新しい煙草を探していたらピーピーと懐から何か鳴る音がした。


煙草を入れてるのと反対側のポケットを探るとPHSのストラップが指に引っ掛かり、それを引っ張って取り出す。

「おう、俺だ。」

『ご無事ですか警部補!』

「馬鹿野郎、あんまりデカイ声出すな。俺と通話してるって悟られるだろ。」

すんませんと取り乱しながら電話の相手は咳払いする。

『報告します。あと1時間で柊荘にヘリが到着しますのでそれに乗ってください。警部補のお兄様もご一緒ですので。』

「分かった。そっちはどうなってる?」

『はい。取り敢えず警部補達を乗せたら例のポイントにヘリを回します。クルーズの方は日が落ちてから合流するとの事です。』

「了解だ。ウチの兄ちゃんにも宜しく伝えておけ。じゃあな。」


一通りの報告を聞くとユリウスは電話を切った。

「良い知らせだケビン。兄ちゃんが迎えに来るってよ。」

「兄者が?本当?」

ケビンの目が光ったのを見て兄はニヤリ顔になる。

「あぁ。オマケにお邪魔虫も一緒だしな。」

今なら伝えても良いとユリウスは手帳に挟んだあった写真を見せた。

家族の写真では無い。

ユリウスとレオナルド、それにピンク髪の女性が飲食店らしき場所で写っている写真だ。

「え?兄者結婚してたの?」

「いや、まだ恋人って関係だとよ。でも傍らで見ればマジもんの夫婦なんだけどな。」



【4】

ケビンは受け取った写真をジャッキーとエルザにも見せてあげた。

見比べるとケビンと兄達は本当に良く似てる。

ケビンとレオナルドは二枚目、ユリウスはイケメンとは少し遠いがそこそこワイルドな雰囲気を醸し出していた。

「うわぁ…またイケメンが増える。」

「何を悔しがってるんだお前は?」

自分もイケメンなのに何を言ってると咎めるのを横目にユリウスはその場から離れた。


腰掛けられるサイズの庭石に座った子供に目線がいく。

指先に止まった白い蝶を繁々と見つめる少女をユリウスは深く見つめていた。

指に虫が這い上がるような感覚が走り、手を伸ばそうとしたその時だ。

背後におぞましい気配を察して自然と拳銃を握って振り向いた。

「エラく物騒やな。最近の警察は後ろに誰かいたら発砲しろとでも教えられるんか?」

目と鼻の先にある銃口にも怯まずにガデフは呆然と放つ。

「…なんだオッサンか。俺に何か用か?」


クルクルと回しながら拳銃をホルスターに仕舞うと相手は数歩進んでユリウスの鼻が当たりそうなギリギリの距離まで迫る。

「何しようとしてたんやお前?今明らかにあの子狙ってたやろ。」

歳は近いが比べるとガデフの等身はユリウスよりも少し高い。

だから見下ろされてる感覚がして気まずそうにユリウスは額に巻いたバンダナの端っこを手繰る。

「何もしねぇよ。ちょっと話そうとしただけで…」

「じゃあなんで銃なんか向けた?どう見てもワシを排除しようとしてたやろ?」


指がバンダナから滑り落ち、ユリウスは何も答えずに立ち去ろうとする。

ガデフはそれを制止せず、それでいて振り向いた。

「…この際言うけどな、ワシはまだお前さんを信じとらんで。」

ユリウスも足を止めて真後ろの男を睨む。

「お前さん本当は焦ってるんやろ?弟がこない馬鹿な真似して自分がクビにされるのを怖がってるんやないか?」

「…。」

「ケビン教えてくれたんや。“ちい兄は間違った事は口よりも手で止めるタイプの男”じゃって。どうせ説得しても無駄だから力尽くで押さえ込もうとしたんやろ?違わないか?」


自然と握った拳に筋が浮かんでガデフはその拳を持ち上げて口元に寄せる。

「本当なら叩きのめしたいけどケビンに嫌われるから手は出さへんで。でも何かしでかしたら…アイツに代わってワシがお前をぶちのめしたる。せやからよう覚えとき。」

振り向かず、返事もしないで立ち去る男を相手にガデフは拳を上着のポケットに入れた。

深く息を吐いていると後ろから砂を掻く音が聞こえた。

「…おじさん。」

「ん?どないした?」


唇を吊り上げてなんとか笑いながら見ると目の真下に白い物が見えた。

小さな掌の上で羽を広げているのは白い蝶。

でも様子が可笑しい。

触覚をピクピクさせ、羽はダランと垂れている。

元気が無いのを通り越して正気を失っているようだ。

「コイツ…さっきまで動いてたやろ?何かしたんか?」

「マナなんにもしてないよ…でも段々項垂れて…動かなくなっちゃったんだ…。」


―胸の奥にモヤモヤが沸いてくる。

靴紐が切れたり茶碗を割ったり黒猫を見た時は不吉な事が起きると昔から言われてきた。

この蝶もまた…ただならぬ空気に耐えきれずに力負けしたのか。

自分等に嫌な予感が降り掛かるのを伝える為に。

《…どうにも納得出来へんな。無事に何も起きなければベストやけどなぁ…。》



【5】

周囲の木の葉が上から降りてくる風に仰がれる。

バタバタと走り回るようなローター音が喧しく聞こえて宿の人間は不思議そうに観察している。

ヘリポートと呼べない草原が刈り取られるように広がり、墨色の機体がゆっくりと着陸した。

スライドドアが開けられて警備員らしい服装の2人組が降りてくる。

「ご苦労様です警部補!お迎えに上がりました!」

背中にライフルを背負った2人組の敬礼にユリウスも敬礼で返す。


すると開いたままのドアの向こうから白いロングブーツの爪先が見えてピョンと飛び降りてきた。

「へ~い到着~!」

「はしゃがないでベッキー、失礼だろ。」

両足を広げて万歳の姿勢をするのは若い女性。所々外ハネしているベイビーピンクのボブショートの毛先が風に揺れて子供みたいな印象を受ける。

ブーツとお揃いのコートの下には黒で統一したブラウスとショートパンツを着込んでいて山の上では明らか寒いだろと言わんばかりに腹と足が露出していた。

「そういうレオだってそんなヨレヨレの白衣着てるじゃん。アイロン位掛けなきゃ。」


ベーッと舌を出しておちゃらける女性に後ろから続く白衣の男はヤレヤレといった感じになる。

どうにも彼女に歩調を合わせられない自分が情けない気持ちだ。

「てかユー君もこんな寒い所に呼び出さなくても良いじゃん?山の麓の方がマシな気が…ヘックッチュン!」

体が我慢出来なくなり、可愛いクシャミを吐き出す彼女に彼氏たる男は白衣を脱ぎ始めた。

「ほら言わんこっちゃないだろ。着ろって。」

「ヤ~ダ!そんな汗臭いの押し付けないでよぉ!」


ワーワー騒ぐバカップルを前にユリウスはイライラが溜まり、とうとう自分の頭上目掛けて拳銃を放った。

「喧しいんだよお前ら!他所でやれ他所で!」

「もうユー君たら拗ねちゃって~、可愛いじゃ~ん。」

てへぺろと誤魔化す女にユリウスは本気で実弾を撃とうとしたが横から止められた。

「ちい兄そこまで。女に銃向けるのは卑怯だっで父さんに言われるよ。」

自分と違って女性への擁護が強いケビンに押されて仕方無く銃を下ろす。

「はわぁ~!貴方良く見たら男前じゃ~ん!これって運命?偶然?ねぇどっちだと思う?」

「知らねぇよ。てか離れろって。今スゲー冷たい目で見られてるしさ。」


女性は自分の恋人に似たイケメンに目を輝かせ、キャッキャッしながら煽ってくる。

でもケビンは背後から鋭い視線を感じて振り払おうとしていた。

自分の真後ろには煽り役の女と同じレベルの美女が腕組みしてこっちを睨んでいる。

それを見てケビンは悟っていた。

下手に手を出したらタダで済ませられないと。

「おいベッキー、良い歳してはしゃぐなよ。」

羽交い締めにして突き放すと男はケビンの後ろへ歩いた。

エルザを視界に捉えると彼女の肩を持ってすまないと頭を下げる。

「申し訳ない。僕の注意不足だ。気を悪くさせて済まなかったね。」


丁寧に謝罪すると一歩離れ、右手を胸の前に当てた。

「始めまして。七代目ギルク家は長男…レオナルド・クリムゾンだ。その節は弟が世話になったね。」

「構わないわ。てかアイツだってナンパされない方が可笑しいもの。気にすると負けよ。」

さっきとは違ってにこやかに答えるとレオナルドも口元を緩ませる。

今の一言でエルザが悪人でないと判断したようだ。

「なぁにレオ?何話してるの?」

言ってる側からなんとやら、噂の本人がケビンの手を繋いだまま寄ってきた。

「ベッキーよしな。ソイツは彼女の大切な人だよ。」

「何それ嫉妬?誤解よ!ウチはレオだけ一転集中してるって約束したじゃん。」

「ハイハイ、良いから離してやりな。」


ブス~ッと口を尖らせながら女性はゴメンねと言ってケビンから離れる。

それから軽くスキップしてレオナルドの隣に立つとペコリとお辞儀した。

「そういえばまだ名前言ってなかったね。ウチはレベッカ・ティアモ。あだ名は“ベッキー”だよ、シクヨロぉ~っす!」

「コラ!」

ガツンと大きな音がしてレベッカはイデェ~と叫ぶ。

「女の子がそんなチャラ男みたいな話し方するなって言ってるだろ!」

「ヒッド~い!だからって拳骨は無いじゃ~ん!裏切り者~!」

漫才みたいなやり取りを呆然と見ながらケビンはユリウスに振り向く。

「ちい兄…あれどうすれば良いの?」

「悪い、俺もお手上げなんだ。だからあのままにしといてやれ。」


一見するとただのバカップルだがその割にはやり取りが激し過ぎる。

自分とエルザの喧嘩すらこんなにヒートアップしないと思っていたらジャッキーが近寄って来た。

「はは~ん、女の子に暴言吐けるのはお兄様からの遺伝だったのかぁ~ふ~ん。」

軽くあしらっている風に聞こえたのか、ケビンの手がジャッキーの首を掴んで締め上げた。

「だ、旦那…ぐ、苦しい…って!」

「…次同じ事言ったらマジで地獄に落としてやるよ。」

パッと手を離すとジャッキーは地面に倒れて激しく咳払いし、ケビンは頭を抑えた。

これはまた…厄介な事が起きそうな前振りだと疑いながら。



【6】

何処までも広がる美しい海の上でカモメが優雅に飛ぶ。

太陽の光で煌めく水面は穏やかに流れながら心地好い波の音を聞かせている。

その海を見下ろせる崖の上、デンと構える灯台から望遠鏡で海を見る男がいた。

「どう?見つかった?」

隣でカモメに餌をあげている人間が期待に満ちた声を出す。

「全然、漁船すら走ってませんよ。」

「そうか…やっぱ一対一で来るつもりだね向こうは。」


餌に群がるカモメを宥めているのは仮面を付けた男だ。

素顔は見えなくても仮面の下では笑顔を浮かべてるのか、口元は吊り上がっている。

「本当に良いんですかね?ビルスは俺らの組織にとっては貴重な顧客なんですよ?アイツが叩かれたら戦力もガタ落ちしそうな気が…。」

観察する護衛人はこんなやり方が認められるのかとばかりに心配している。

「なんだいボルバ?お前はアイツの味方するのか?」

「ち、違いますよ!俺はただ…!」


弁解しようとしたらジョーカーは残りの餌を海に目掛けてぶん投げた。

勿論一欠片も残らずにカモメの群れに餌は飲み込まれる。

「ぶっちゃけ言うけどさ、アイツが売ってきた人間なんて皆使い物にならなかったよ。」

「そ、それは…ジョーカー様やフェイク様の実力が勝ってて…アダッ!」

バチーンと小さな手がボルバの固い皮膚をビンタする。

「リーダーと一緒にするな。あの人は口と頭ばっかで自分を見せつけているだけさ。悪いけどあの手の奴は俺が一番嫌いなタイプでね。ビルスも言わばリーダーと同類の人間って訳さ。」


地面に座り、灯台の壁に背中を付けてジョーカーは上を見る。

太陽の光が仮面の隙間から入り込んで目がチカチカしそうだ。

「でもジョーカー様、この事がボスに知れたら何が起きるか分かりませんよ?」

「大丈夫だって、その時はその時さ。」

兎に角マイペースで行こうとばかりに告げるジョーカーにボルバは心配しか沸かなかった。

《その時はその時…か。》

広い海にちっぽけな悩みが流れていきそうなのを感じながらボルバはカモメのように自由になりたいと改めて思っていた。


広い海は意外な所に繋がるもする。

まさにその言葉が当て嵌まるように重厚な黒塗りのヘリが海上を飛行している。

操縦席にはヘリの免許を持つ専用スタッフが座り、その隣にはレオナルドが居座って海を見下ろしている。

ヘリの後部には電車のシートのような長椅子が取り付けられ、カタカタと軽いタッチ音が小刻みに響く。

薄暗いヘリの中で銀髪の刑事が膝にノートパソコンを乗せて必死に何かを調べている。

画面には悪人面の男の写真とそれに関する資料が表示されていた。

「“上層部による仮釈放偽装か?死刑囚の失踪相次ぐ”…ってこんなのアリか?」

「あぁ。ビルスならやりかねない手口だ。奴がその気になれば刑務所の中身が空っぽになるのも珍しくねぇしな。」


ユリウスがパソコンで出しているのは過去の新聞記事だ。

ある大きな刑務所で刑を間近に控えた死刑囚が忽然と失踪したという見出しで書かれている。

勿論脱獄した訳ではない。

ビルスと手を組んだある人間が何らかの手法でビルスに身柄を売り飛ばしたのが本音である。

同様の事件は各地の刑務所でも発生していて脱獄した人数は一万を越えるとも報じられている。

「刑務所の職員からすれば免職事の事態だしな。マスコミに漏れない内に身内の管轄で解決しようだと。」

「へぇ~、警察も雇われ人って訳か。嫌な世の中だなぁ。」


パソコンを覗き見するリュウガは懐を漁って小さな箱を取り出す。

ユリウスはふと隣を見て青ざめた。

「おい、ここ禁煙だぞ。」

「違うって。これはお菓子だよ。食べる?」

手慣れた様子でセロハンを切ると煙草そっくりな白い棒を1本見せた。

ユリウスはチッと舌打ちしながら受け取って口に咥える。

「お前いつもこんなの食ってるのか?太るぞ。」

「気にするなよ。俺食べてもあんまり体重増えない体質だから。」


煙草を吸う仕草でシガレットを遠ざけたり近付かせたりしながら向かい側の席を見ると渋味のある赤色の布地が視界に飛び込んでくる。

小刻みに振動するヘリに揺られるように1人の男が横になっていた。

頭の下には白のパンツを履いた細い足があり、膝枕される顔は何処か安らかだ。

「…おい若いの。あれどうなってるんだ?」

シガレットをゆっくりポリポリしながら質問してきたユリウスにリュウガは悩む動作を交えて答える。

「兄貴…たまにああして眠くなるんだよ。だから変な夢見ないように見守るのさ。」

「夢…?」

「うん。なんか火事が起きてる夢だって。」


―火事。

その単語にシガレットを噛み砕く音が止まった。

ケビンが火事なんて言葉を口にする理由など1つしかない。

ユリウスにも想像は出来る。

ある人間が炎に飲み込まれて消えていく様を…。

「でさ、兄貴その夢見ると必ず顔面蒼白になって起きるんだ。だから慰めるんだよ。こうやってさ。」

リュウガはそこで立ち上がるとケビンの髪の毛に手を乗せてワシャワシャと掻き乱す。

乱暴そうに見えるがケビンは目を覚まさない。

「…マジかよ。怒られねぇのか?」

「怒らないよ。逆に謝るんだよ兄貴は。“みっともなくてゴメン”とか“怖いから一緒に居てくれ”とかって。」



【7】

淡々と告げるリュウガの顔は何かに取り付かれたように真剣だ。

その顔からケビンの体の変化が冗談では無いと分かる。

自分等と違って親も頼れる大人も誰も居ない環境で育ったのを意味していた。

「だから皆で兄貴の傍にいるんだよ。それで起きたらハグしてナデナデして手握ってチュッチュッしてやるんだ。」

常人が聞けば理解不能な単語を出しつつリュウガは汗が出ないように額に手を当てている。


その背中を見てユリウスは口の中でシガレットを溶かしながら思い詰めていた。

《信じられねぇな…。コイツを気に入る人間がこの世の中に居たなんて…。》

振り返ればケビンはずっと辛い人生を送っていた。

まだ家族皆で暮らしていた頃から周りの大人や子供に悪魔だの化け物と呼ばれて非難されてきた。

父親が死んでからは母親に無理矢理手放されて一人ぼっちで過ごしてきた。

誰にも守られず、誰にも頼れずに生きてきたと。

そんな弟が手にしたのだ。

“仲間”に“親友”、“家族”と呼べる存在を。


良く観察して見れば彼の仲間は皆個性豊かで…何よりケビンを慕って寄り添ってもいる。

昔と比べると考えられない事だ。

《そこまでしてコイツを好きになるとは…な。俺にとっても羨ましい限りだ。》

口の中に広がるハッカの匂いを喉に通していたら操縦席の後ろに座る機関士がインカムを外してスイッチを切り替えた。

「シュバルツ警部補、間も無くポイントに到着します。」

「分かった。様子はどうだ?」

「現時点では怪しい人物もいません。元々遊泳向きの海じゃ無いですから人も寄り付かないですし。」


パソコンの電源をオフにして外を見ると真下に薄く青色が見えた。

波が穏やかな海は今にも飛び込みそうな位キラキラしている。

「若いの、もうすぐ着陸すっからその寝坊助野郎を叩き起こしてくれ。」

「うん。」

言われた通りに頬を揉んでやるとケビンは表情をしかめながら目を徐々に開けた。

「おはよう兄貴、今日は顔色良いね。」

「あぁ…久し振りに楽しい夢が見れたからな。」

返答する顔は穏やかでリュウガはいつもより状態が優れてると安堵していた。

「どんな夢見たの?」

「随分昔のさ。」

「昔かぁ。じゃあお兄さんやお父さんやお母さんと一緒にいる夢?」


ピンポイントで質問するとケビンはそれが答えかの様に反対を向いた。

「あ!兄貴のエッチ!オッパイ揉む…ってイダダダダダ!ひっひゃらないへぇ~!」

「…次言ったら海に落とすよアンタ。」

ポーカーフェイスで頬を引っ張ってくる踊り子にリュウガは涙目で離してと抗議する。

「馬鹿だなぁヤング、姐さんのオッパイは固いから揉んで…も…。」

横から冷たい殺気を感じてジャッキーは蒼白しながら後退する。

「い、いや!冗談だって!俺様がそんな事本気で言う訳…!」

「見苦しいぞおどれ。腹括ったらどうや?」


ガデフが逃げられないように背後から拘束し、ジャッキーは子供みたいに泣きそうになった。

「嫌だぁぁ!俺こんな所で死にたくねぇよ!」

「あらら~、さようならですねジャッキーさん。」

『成仏出来ないからって地縛霊になっても無駄ですわよ。』

死亡フラグが回ったと確信してキドマルとラビはニコニコしながら合掌している。

それを見てジャッキーは益々悲鳴を高くした。

「お前らぁ~!少しは人の事考えろぉ~!」

最早喜劇みたいなノリになってしまい、知らない人間ならドン引き確実な空気が流れる。

そんな感想を胸の奥に湧かせながらユリウスは操縦席まで近寄った。

「兄ちゃん…あれどうしたら良いんだ?」

「取り合えずやらせときな。直に終わるから。」


恋人のマイペース振りで慣れているようにレオナルドは息を吐く。

「でも…楽しそうだねケビン。昔はあんなに笑わなかったのにさ。本当に不思議だよ。」

「まぁ…な。」

後ろを見れば変な喜劇が引き起こされ、パイロットも薄ら笑いを浮かべながら操縦桿を握る。

「レ~オ~!」

「おいなんだ今度は?」

ユリウスが最早諦め同然に振り向くと目の前に真っ赤な物が見えた。

「テレレテッテテ~!薔薇のブ~ケ~!」

「…見りゃ分かるだろ。そんなのどうした?」


アニメのサウンドエフェクトを発しながらレベッカは濃い赤色が鮮やかな薔薇の花束を見せる。

「聞いて聞いて!これマナちゃんが作ってくれたんだよぉ!本物なんだから!」

疑いそうに触るが花弁の感触といい、茎のトゲといい本物の薔薇そのままである。

「ハハ、お嬢様は小さな魔女さんだね。」

「でしょでしょ!ウチもいつかこれよりおっきなブーケ買ってあげる!そしたら結婚しようね!」

「ハイハイ、承知してますよお姉様。」


子供みたく兄に抱き付く女性を見てユリウスはなんだか取り残されてる感がして不安になってきた。

胸の奥がムカムカし、頭に血が上らなそうで上ってくる。

「もうユー君どしたの?さっきからムスッとしちゃってさ?楽しくないの?」

「…。」

レオナルドも心配になって一緒に自分を見てくる。

「ユーリ、お前ちょっと変だぞ。拗ねてるのか?」

「…拗ねてねぇし。」

答える威力すら無くてユリウスはその場から去ろうとし、レオナルドが呼び止める。

「何考えてるのか知らないけど…ケビンの仲間に当たるのは止めとけ。」

「…なんで?」

「当たり前だろ。アイツの性格はお前が一番良く知ってるからだ。」


何故そんな話をと思うが直ぐに合致した。

自分の知ってるケビンは他人思いで…泣き虫で…目立たない男である。

でも本性は違った。

自分が守ると決めた物は人でも無機物でも大事にして守り通す男だと。

それに仇なす人間は身内であろうが容赦しない事を。

「…んなの知るかよ。関係ねぇし。」

地面に唾を吐き捨てるような苦い顔で退散する弟をレオナルドは不安に見つめる。

その顔は…まるで自分にも言えない事情を隠している風にも悟れたからだ。



【8】

その浜辺は別世界のようだ。

照り付ける太陽の光を反射して煌めく砂浜と押して返す波が調和して芸術品となっている。

その場所へ芸術とは不釣り合いな巨大なヘリが砂を巻き上げながら浜辺に金属のブレードを接触させる。

波打ち際には制服姿の人間が既に数人いてヘリから降りてきた人間に敬礼する。

先陣を切る銀髪の刑事は海の様子を見ながらポケットに手を入れた。

「船の方は?」

「間も無く出航するそうです。ただ場所が場所ですから到着は少し延びそうかと。」


プロペラで巻き上がる風がバンダナの端っこを引っ張り、飛ばないように押さえる。

「分かった。じゃあ機材の準備も急いでくれ。それと怪しい船とか見かけたら直ぐに報告しろ。」

的確に指示を出しながらユリウスは一度ヘリに戻る。

そして機内に置いていたパソコンを起動させるとケビン達を呼んである画像を見せた。

「ビルスは多分この船に乗ってくる筈だ。中に何人乗ってるのかは把握出来ないが向こうもそれなりに武装してくるだろう。副司令達を引き渡したら一気に雪崩れ込むのが先決だ。」


画像に出されているのは船体が赤と黒で塗られた横長の貨物船だ。

これだけ見ると普通の船に見えるがユリウスはパソコンをじっと見て振り向く。

「先に行っとくけど…コイツは偽装船だ。この船には奴の商売道具が大事に積まれてるって情報があってな。多分中はドえらい構造になってるだろう。」

「商売道具って…人間の奴隷か?」

それが本当ならこの船は海の刑務所みたいなモノだと解釈すれば納得のいく話だ。

「それで作戦だが…まず交渉には俺が行く。支部長と一緒に面見せて引き渡すタイミングになったら突入部隊を導入させる。それで主犯の身柄確保と奴が集めてきた奴隷の存在を確認するって事だ。」


アルフレッドからはビルスが値打ちを付けている人間は全員逮捕するのは決まっている。

その後は元いた場所に送還させるか、若しくは処罰するかのどちらかを判断するという。

「兄ちゃんとベッキーは突入部隊の援護をしてくれ。囚人に至っては“死なせない程度”なら怪我させても問題ねぇから。」

「了解でありまする~!」

ビシッと敬礼する恋人を咎めてレオナルドは眼鏡を外す。

「…ビルスは?」

「心配するなよ。アイツだけは俺らで仕留めるってもう許可は出してる。グスタフもどう始末しようが尋問は本部の連中がするって言うしさ。」


現在の時刻は夕刻前。

交渉は夜中なのでまだ猶予はある。

船が到着するまでは細かい指示を立てられる時間もあると誰もが思っていた。

「あ、あの…。」

キドマルは電源の落ちたパソコンとユリウスの顔を交互に見て遠慮がちに口を開いた。

「どした?」

「僕達は…どうすればいいんですか?やっぱり援護とかに回るべきですか?」

ユリウスは鋭い目線を暫く送り、吐き捨てるようにパソコンを閉じる。

「お前らには…ここで待ってもらう。お嬢様が一緒だと連中は真っ先にそこを突いてくるからな。成る可く…いや本気で守って欲しいんだ。」


この発言にキドマルは兄の顔を直ぐに見つめ、それに答えるようにリュウガが立ち上がる。

「待てよ!なんで俺らだけ雑な扱いしてんだよ!俺らも一緒にビルスって奴をブッ倒してやるよ!」

「そうだよおじちゃん!マナお留守番するのイヤだぁ!」

マナも珍しく声を荒げてユリウスの足に組み付く。

その手を優しく振り解きながらユリウスはマナの前にしゃがんだ。

「頼むよお嬢様。お嬢様に何かあったら俺はキミのお父さんに会わせる顔が無いんだ。だから」

「お嬢様じゃないもん!マナはマナだよ!?なんでお姫様みたいに呼ぶの!?」


それが逆鱗に触れたのか、ユリウスは乱暴に両手を掴む。

「いい加減にしてくれ。分かってるだろ?キミは俺達にとって大切な人間なんだ。俺も出来る事ならキミをお父さんの元に帰してやりたいんだ。お嬢様だってお父さんにずっと会いたがってたんだろ?このままじゃもう一生会えなくなるんだぞ。それでも良いのか?」

抵抗する小さな手が止まり、ユリウスはそっと頭に手を乗せる。

でもマナは納得のいかない顔をして俯いた。

「…ないもん。」

「え?」

「お父さんに会えてもマナは嬉しくないもん!だってお父さんの顔なんか考えても頭に浮かんでこないんだよ!?それなら一生会えないままでもいいよ!マナはずっとパパとママと一緒に…!」



【9】

そこまでだった。

バチンっと皮膚が剥がれる位の大きな音がしてマナは顔を横に仰け反らしていた。

白くて柔らかい彼女の頬は叩かれた箇所が赤く腫れている。

「…いい加減にしやがれ。」

刃物みたいな冷たくて鋭い声が響く。

「テメー誰に向かって口聞いてるか分かってるのか?あ?」

ユリウスは我を忘れたのか、上から目線でマナを見下ろす。

警察官が発しないような威圧にレベッカは慌てて止めに入った。

「ちょっとユー君!いくらなんでも」

「お前は引っ込んでろ!」


離せとばかりに腕を振るとレベッカは後方に倒れ、直ぐにレオナルドが受け止める。

「おいユーリ!お前さっきから変だぞ!一体どうしたんだ!?」

兄に説教されてもユリウスはマナの手を離さずに強く握る。

マナは痛みと同時にユリウスの冷たい…暗闇のような目を見て背筋が凍り付いた。

人間とは思えないその目を見て心の底から得体の知れない恐怖が湧いてくる。

「許してくれ兄ちゃん…。俺はどんな事されようがこの子を保護する立場にあるんだ。」

「だからって脅すのか!?お前僕に言ったろ!“何があってもケビンの味方でいよう”って!それなのに裏切る気か!」


握られた手が熱を奪われて冷たくなっていき、マナは本気で逃げようと思った。

当然ながら手はユリウスに押さえられて身動きすら取れない。

「や、やだよ…離して…よ…。」

僅かに残った勇気を振り絞ってマナは訴えるが相手の覇気に圧倒されて懇願すら糸を引いて消えていく。

「い、嫌だぁ…。もう…こんなの…やだよぉ…。」

とうとう我慢の限界に達してマナは泣き出してしまい、それが合図だったようにケビンが割って入ってきた。

「…いい加減にしろはテメーだろ…馬鹿兄貴。」

ユリウスが抵抗する前にケビンは秒速で手を押さえ付けながら顔面を1発殴った。

それで怯んでやっと解放されたマナは条件反射でエルザの元に走る。

「ケビン…お前こんな事して平気でいられると思うな。俺は何が何でもお嬢様を…」

「さっきから何騒いでんだ?マナはアンタのお嬢様じゃねぇ。マナは…俺とエルザの大事な宝物だって言ったろ?」


いつになく静かなケビンの声にリュウガとキドマルも彼を見つめてくる。

「そうか…お前そこまでして俺の邪魔がしたいんだな。なら…」

それから迷う隙も見せずにユリウスは愛用のリボルバーをケビンに向けた。

「ユー君待って!」

「止めろ!ユリウス!」

レオナルドとレベッカが叫び、ジャッキーとガデフはケビンの盾になるように前に出た。

「よう、アンタ無実の人間に銃向けるのか?警察どころか人間として失格だな。」

「ワシも同意見や。喧嘩なら好きなだけ買うで。」


すっかり喧嘩ムード一色に染まり、ケビンは余計な真似をするなと2人に忠告する。

「分かった。そんなに俺が憎いなら良いよ、ドーンって撃てよ馬鹿兄貴。」

ガチャンと金属の音がして銃口が合わせられる。

でもケビンの目は真っ直ぐなままだ。

迷いも曇りも無い緋色の瞳は…拳銃を構えて震える兄の手を静かに見守っていた。

ケビンは最初から信じていた。

どんな理由があってもユリウスは善良なてる筈がないと。

「だ…黙れ…!」

怯えを隠すようにユリウスはバッと顔を上げる。

「俺の事なんか知らねぇ癖に生意気言うんじゃねぇ!」


衝動で引き金が下がり、乾いた銃声が響く。

迷いで照準がズレてたのか、銃弾はケビンの頬を掠めて後方に飛んでいた。

ユリウスの大声と銃声は外にも届いて警官もヘリを囲み始めている。

外がザワザワしてるのを感じてケビンは前に出るとユリウスの銃を握った。

「…もう止めとけよちい兄。本当はこんな真似したくないって言いたいんだろ?」

銃を握るのと反対の手が兄の顔に触れてくる。

「でもこれしか道は無いって理屈なら次は迷わずに撃てよ。それしかアンタの生き残れる方法は存在しない…そうだろ?」


ケビンは握ったリボルバーの銃口を自分の喉元に向かうように動かす。

ユリウスは解こうとするも何故か体が動かなかった。

「でもな…もしそうなら1つだけ条件がある。俺は撃ち殺してもいいが…その代わりに俺の仲間は全員見逃して貰えないか?」

淡々と喋るケビンに反応するように銀色の銃の震えが止まっていく。

「コイツら皆…俺の大事な家族なんだ。馬鹿馬鹿しいと思うけど本当だ。俺はコイツらのお陰で脱け殻から出られたんだ。だから今度は俺がコイツらの願い叶える番だって気付いたんだ。なら一刻も早く…」


―そこから先は本当に時間が止まっていた。

誰もが信じられない光景を目撃していた。

誰もが驚きに平伏してリアクション出来なかった。

どうして…何故と。

何が悪かったかのかと。

誰が元凶なのかと。

でもその答えは誰も出せなかった。

オレンジ色の夕日が隠すように…小さな悲劇を…包むのみであった…。

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