揺蕩え水よ!龍の勝負師ジャッキー
【1】
草木が殆ど生えていない荒野に立つ1軒の店。
旅人が燃料の調達に来る序でに一杯引っ掻けようと足を運ぶ小さなスタンド。
ラジオから流れるニュースで旅人は今世界で起きている事件を把握していた。
《昨日、リトルタウンにある児童養護施設“おひさまの家”が武装グループに襲撃された事件についてです。警察の調べによりますとこれまでに施設に入所していた児童2人が死亡、職員を含む10数名が怪我をしたとの事です。警察は動機の解明と犯人を再起不能にしたとされる若い男性の行方を追っている模様です。》
耳に入ったそのニュースに旅人は頬杖を付く。
警察が自分を探している。
少し厄介になりそうだと考えてたらドンッと目の前にジョッキが置かれた。
「はいよ、コーラのLLとウーロン茶ね。」
人の良さそうな店主が笑顔で飲み物を差し出す。
「サンキュー。あともう一つ頼みがあるんだけどさ…。」
若い旅人はウーロン茶を隣に座る子供に手渡す。
「エボルブテラーって所知ってるか?俺らそこに行きたいんだが…。」
「エボルブテラー?あぁ、デッカいカジノがあるって有名な街だろ?」
「なら話が早いな。どの方角にあるか教えてくれ。生憎地図が無いんだ。」
カウンター越しに店主はグラスを磨きながらレジの後ろの引き出しを開ける。
取り出したのはかなり年季の入って使い込まれた地図だ。
「ウチを軸にしたら東へ4キロ行くとあるな。」
「そうか、ありがとな。」
注文したジョッキのコーラを飲み干すとドリンク代とバイクのガソリン代を合わせてカウンターに置く。
「にしても兄ちゃん、まさか勝負にでも行くのか?」
「まぁな。連れが増えたんで稼がないとちょっと厳しいんだ。」
隣でウーロン茶をグビグビ飲む少女を見つめて青年は目を細める。
その顔がとても優しくて店主は思わず見とれていた。
どこぞの人攫いかと思いきや、仲良しな親子に見えて自分を疑いたくなる。
「気を付けてな。そこのカジノ、最近怪しい連中が屯してて危なくなってるんだ。特に女や子供連れは狙われやすいって話だぞ。」
「気遣いどうも。狙われる前に引き上げてきますよ。」
じゃあ、と手を振ってケビンは店を後にする。
直ぐ後ろから御馳走様でしたとマナもお礼を述べて着いてきた。
「トイレ大丈夫か?なんなら今行ってきな。」
「ウン。」
トコトコと戻る背中を見送りながらケビンは周囲を警戒する。
一般道から逸れた場所なので通行人や車は殆ど見られない。
安全と思われるがそれでいてケビンは胸に不安を抱いていた。
幼い子供を連れ歩く、即ち誰からにも目を付けられる状態になっていたからだ。
いつ魔の手が忍び寄るか分からないので一人でいる時よりずっと警戒してしまう。
《チッ、油断出来ねぇな…。》
「ケビン…どうしたの?」
いつの間にか戻ってきたマナが心配そうに見つめる。
普段と違って怖い顔のケビンに少しながら恐怖していた。
「ねぇケビン…。」
静かに寄り添う小さな体に大きな手が添えられる。
「どうしたマナ?誰かにイタズラされたか?」
「ううん違うの…あのね…」
言葉に詰まってどう話せば言いか分からない。
そのまま俯いてたらギュッと抱き締められた。
「わぁぁ…苦しいよ…。」
「なんか言いたそうな顔してるな。隠し事しないで話してみろよ。」
ポスポスと頭の後ろを優しく叩かれる。
心なしか掌が燃えるように熱く感じられた。
《やっぱり見間違いかな…。》
さっきの強張った表情は一瞬だけ、夢だったのかと思って不安が軽くなっていく。
「え~っとね、もうちょっとハグしてほしいの。」
「なんだよいきなり…しょうがねぇな。」
要求通り抱えるとマナは安心したように大人しくなった。
結局そのまま落ち着くまでケビンはこの場に留まるざるを得なかった。
【2】
―30分後―
スポットライトと派手な看板が飾られた荒野の大都市に1台のバイクが進入してきた。
音漏れする音量の音楽と人の熱が一気に伝わってくる。
「着いたぞ。」
エンジンを切ってマナを側車から降ろすと2人で入り口の前に立つ。
ゲートには「WELCOME」という歓迎の文字が浮き彫りにされ、地面のあちこちには紙吹雪が落ちている。
大勢の人影は一直線に街の奥に向かっていた。
街を歩くのはスーツやドレスを着た人が多い。
見た目からして富裕層なのが明らかになっている。
「なんかお祭りやってるみたいだね。」
「まぁな。ここには世界最高ランクの巨大カジノが立てられてるんだ。住人も観光客も必ずここに寄って荒稼ぎしてるんだと。」
服装のステータスからして自分はもう負けてるだろう。
だがその程度の理由で落ち込むのは男らしくないとケビンはシャツのボタンを緩めた。
「さてと、まずはホテルに泊まる為の軍資金を手に入れないとな。」
バイクから降ろしたトラベルバッグを持ち上げてケビンは歩き始め、マナは見失いように後に続く。
ゲートの近くは人が少ないが大きな通りになると左右上下に人が詰め掛け始める。
小柄なマナはぶつかりそうになるのを避けながら必死にケビンを追い掛けていた。
しかし段々その背中が遠くなり、マナは不安になって足を早めた。
自分が置いてかれそうな感覚がして…焦った。
通りのコンクリの隙間に爪先が当たり、マナは手を伸ばしながら倒れようとした。
直ぐ目の前で…たった1人の頼れる人間が振り向かずに去ろうとしていた。
待ってと告げようとした時、自分の小さな手が掴まれた。
「ほら、隣にいないと迷子になるだろ?」
太陽を遮るように目の前に立つ男。
掴まれた手はギリギリと痛く、それでいて温かい。
長い前髪で隠れがちな瞳は…怒りながらも自分を心配しているかに見えた。
「離れたくないなら手繋いでも良いから。さ、行くぞ。」
スッとマナから手を離してケビンはまた歩き出す。
マナは驚きに満ちた顔でいたが我に返って走った。
するとボスッと布地に何か当たる音がした。
「…ん?どうした?」
見下ろせばマナが自分のズボンに抱き付いていたのだ。
それもコアラみたいにしがみついている。
「チッ…面倒くせぇな。」
通り過ぎる客がチラ見してくるのを気にしてケビンはマナの頭を撫でる。
顔を上げるのを待つと小さな手を握り返した。
そして泣きそうなマナの手を引っ張ってその場から離れた。
歩幅を縮めて早足で歩いていたら横から声が聞こえた。
「お~い、そこの格好いいお兄さ~ん。」
今度は何だとケビンが見ると白いワイシャツに黒ベストの男性がペコペコしながら寄ってきた。
「どうですお兄さん?ちょっとウチで楽しんでいきませんか?」
男性は商売文句を言いながら背後の店を指差す。
その店の入り口には若い女性の写真が何枚も貼られており、ケビンは冷たい目で男を見る。
「あぁ、生憎その手は間に合ってるんでね。それより聞きたいんだが…。」
懐から取り出した薄い札束をヒラヒラさせてケビンは男性に見せる。
「この街で一番デカい賭け場が何処にあるか教えてくれ。」
「賭け場?カジノって事ですか?それならアソコがオススメですよ!」
ウキウキしながら通りの一番を奥を差してケビンはその札束を男性に渡した。
「あ、あれ?お兄さんこのお金は…?」
「案内してくれたお礼だ。それで女の子達に貢ぎ物でも送ってやりな。」
じゃあなと手を振って立ち去るケビンの背中を見て男性は金を握り締める。
「貢ぎ物…か…。俺なんかよりその子に使ってやれば良いのに…こんなはした金なんざ。」
不思議な男だなと感想を述べながら男性はまたキャッチに走って行った。
【3】
エボルブテラーの大通りの一番奥にそれはある。
カジノへの通り道にはホテルやデパートが立ち並んで一応観光スポットにはなっている。
富裕層のみがカジノばかり贔屓する街では観光スポットとして機能しない。
それをカバーする意味も含まれていた。
目的地へ近付くに連れて人通りも熱気も上昇してくる。
街の外に漏れるスポットライトもそこから照らされているようだ。
ライトのギラギラが激しくなるにつれて通り過ぎる客も容姿が変わっていく。
高価な時計や指輪を身に着けた人間が笑いながら去って行くからだ。
何処から来たのか、鳩がクルクル鳴きながら羽を休める噴水を越えると真っ赤な絨毯が敷かれた地面の上に綺羅びやかな建造物が見えた。
円錐をイメージした金色の外装。
微かに音漏れする耳に五月蠅い音楽のような雑音。
入り口の上の大きな看板には「MONEY of FORTUNE」の文字が書かれている。
「幸運の女神が金を呼ぶ…か。経営者の腹の裏側が見えそうだな。」
ケビンは店の名前を見ながら笑みを浮かべる。
同時にろくでもない人間が取り仕切っていると見抜きながら店の横を見た。
窓ガラスが無いので内装が分からず、直接入って確かめるしか無かった。
「よし、入るか。」
「ウン。」
気持ちを切り替えて入り口に入る二人。
豪華な金細工の開き扉を開けるといらっしゃいませの声が飛び交う。
音漏れしていた音楽が奏でるフロアからは客の歓声が聞こえてきた。
「よっしゃ~!俺の勝ちだぁ!」
「クッソ~…!」
「おいテメー!ズルしただろ!」
「してねぇよ!お前こそズルしてんじゃねぇぞコラ!」
勝利の歓喜、負け犬の遠吠え、取っ組み合いの喧嘩。
子供に見せられない騒ぎが頻発しててケビンは溜め息を付くしかなかった。
「あの、そこのお客様?」
丁寧にタキシードを着た従業員が両手を前に組んで近寄って来た。
「お客様、申し訳ありませんが当店はお子様連れでの入店は禁じられております。」
「…だろうな。こんな所連れてくるのがまず異常だしな。」
ケビンは言い分けずに素直に返答する。
この空気を読めば常識的な返答だろう。
「スマンが勘弁してくれ。この子さ、孤児院から引き取ったばかりで親御さんいないんだ。」
「そう申されましても…当店の規則ですので…。」
2人のやり取りを他の客や従業員がザワザワしながら見守る。
「じゃあさ、支配人か店長呼んでくれ。直談判するからさ。」
「いや…それも規則ですので…。」
何でもかんでも規則で通そうとする従業員の態度にケビンはイライラを募らせていく。
「おいふざけてんのかテメー、こっちは素寒貧で稼ぎに来たのに子連れ位で入店拒否だぁ?それが大人の言い訳かよ!」
いやぁ、とかですからぁ、と返答に詰まる従業員と客の喧嘩に周囲も慌てる。
「おいどうするんだあれ?」
「知らねぇよ。警察でも呼ぶか?」
「でもそうしたら営業停止になっちまうしな…。」
どうしようと皆で悩んでいたらズカズカと足音を立てるように大柄な男が来た。
「おい、皆揃ってどうした?」
「あ、ヤッさん。実はな…。」
黒のスカジャンを羽織った男は仲間から事情を聞くとほおぅと感心していた。
「あの兄ちゃん随分度胸あるな。なら、アイツを寄越してみるか。」
スカジャン男は頼る所があるようにスロットのコーナーへと走る。
入り口での揉め合いが機械音に消されて集まっている客は何も知らずに盛り上がっていた。
その中で向かったのはコーナーの名物とも言える向い合わせのスロットマシンが置かれた場所だ。
そのマシンに2人の男が座って勝負していた。
回りが見守っていたら内の1人である眼鏡の男がマシンに癇癪を起こした。
「いい加減にしろ!なんだよこの機械!?ぼったくりじゃねぇか!」
怒りの矛先であるマシンには様々な絵柄が表示されている。
通常のスロットには3本のリールがあるがこのマシンにはなんと5本のリールがセットされている。
つまり3本のリールの機械と違って当たる確率が低い代物なのだ。
何度やっても絵柄が揃わないのに腹が立ったのか、眼鏡男は壊れたテレビを直すようにマシンを叩く。
「…ウルセーな。負けたのはぼったくりじゃなくてテメーの運だって知らねぇのか。」
対になっているマシンの前に座る男が顔を上げずに突き放す。
渋い赤色のコートと同色の帽子を被り、足元には金色の硬貨が貯まったドル箱が何十にも積まれている。
「黙れ!こんな惨めな負け方があるかよ!訴えるぞ!」
眼鏡男は怒りに身を任せ、相手の胸倉を横から掴む。
流石にこれには従業員も耐えられずに駆け寄り、男は羽交い締めにされた。
「外捨てとけ。丁寧にな。」
ハイと頭を下げてスタッフらは男を連行していく。
当人は訴えると何回も叫びながらやがて消えていった。
ようやく静かになり、帽子の男は自分のマシンに向かい合う。
「ジャッキー、ちょっと良いか?」
ご満悦になってリールのボタンを押す手がピタリと止まる。
揉み合いを目撃したスカジャン男が横から入り、覗き込んでいる。
「…今日は割り込みが多いな。今度は何だ?」
「悪いな。今入り口で子連れのお客さんとウェイターが喧嘩してるんだけど止めてくれないか?」
帽子の男は舌打ちしながら流れるようにボタンを全押しする。
リールが止まり、本日何度目かのスリーセブンが揃って歓声が上がった。
「…面倒くせぇな。そんなのお前らで何とか出来ねぇのか?」
「そこを頼むよ。ジャッキーだけが頼りなんだからさ。」
変な憧れを突き付けられて男は立ち上がる。
「分かった行くよ。その間にこれ回収しといて。」
ジャラジャラと溢れるコインの滝をそのままに彼は問題の客の所へ向かった。
【4】
ザワザワとざわめく客達の視線が1人の男に注がれる。
人だかりがいつの間にか列を成してVIPを通していた。
「おい、揉め事はそこまでにしてもらおうか。」
ウェイターがあっ、と呟いてすみませんと頭を下げる。
「やっと話の分かる奴が来たか。」
「どうも客人、ウチの店員はマニュアル通りの接客しか出来なくて悪かったな。」
ケビンはウェイターを解放させると現れた男と対峙する。
渋味のある赤色のコートと帽子。
灰色のシャツに爪先の長い革靴。
格好から一目見て店長クラスの人間では無さそうだがどこか風格のある人間だ。
「お前がここのボスか。にしても随分チャラそうだな。」
客がまたザワザワするのを赤帽子の男は手を上げて制止させる。
「なぁに、俺様は一言で言えば仕切り役ってトコだな。」
そう言うと帽子を脱いで優雅に手に持つ。
少し黒が混じった淡い鼠色の髪の毛が露になる。
「そろそろ自己紹介しないとな。俺様はジャクソン・ウェルパ、“ジャッキー”と呼んでくれ。」
「ケビン・ギルクだ、宜しくなジャッキー。」
対面する相手はニヤニヤしながら帽子を再度被る。
「アンタさ、子連れで入店拒否されてたって話だな。悪いがその通りなんだ。ここは謂わば裏社会の一歩手前の世界…女子供が悠々と立ち入って良い場所では無いんでね。」
話し方も実に優雅で曇りが見られない男。
チャラそうなのは外見だけで中身は意外と紳士な男だとケビンは感じた。
「それにその子孤児だって聞いたんだが…じゃあアンタは何で連れ歩いてるんだ?」
「少しワケ有りでね…この子の親を一緒に探しているんだ。」
視線を見下ろすとマナはピッタリと自分にくっ付いている。
ジャッキーは話しやすいように視線を彼女に合わせる。
「へぇ~、キミ良く見ると可愛いね。差し詰め…産まれたばかりの猫ちゃんか。」
マナの大きな黒曜石の瞳に映る赤いコートの男。
良く見ると年齢も体格もケビンと差が無いように見える。
おまけに顔立ちもおば様連中がキャーキャー騒ぎそうな美貌だ。
冗談では無いが自分も惚れそうな顔の男にマナは思わず顔が真っ赤になる。
「ん?もしかして俺様に惚れたか?」
悪戯するようにほっぺたを触ると恥ずかしいのか顔を伏せてしまった。
「おい、誰か警察を呼んでくれ。」
「…って、ちょっと!悪かったって!もう変な事しないから!」
冷静に店員に告げ口するケビンにジャッキーは取り乱した。
この程度の悪戯で警察に捕まるのは真っ平御免だと。
その慌て振りにマナは可笑しいのかクスクス笑っていた。
「ケビン、この人面白いね。」
「…お前も意外と天然だな。」
変な虫に付き纏われやすいタイプだと思いながらマナの頭を撫でるケビン。
対してジャッキーは落ち着きを取り戻して咳払いすると改めて彼と向き合った。
「そういえばアンタ稼ぎに来たんだよな。どうだ?入店出来ずともこの場で簡単にやれる勝負があるんだが…やってみるか?」
ジャッキーは懐に手を入れると丁寧に磨かれた拳銃を取り出す。
西部劇のガンマンが使用するリボルバー式の拳銃だ。
「ロシアンルーレットだ。装弾数6発のこの銃に実弾が一発だけ入っている。確率は6分の1、5回引き金を引いて暴発しなければアンタの勝ちだ。」
「…負けたらどうする?」
「そうだなぁ…。」
拳銃の弾倉を回転させながらジャッキーはケビンの足元を見つめる。
心配そうにケビンを見上げるツインテールの少女。
唇が斜めに釣り上がった。
「その女の子を頂く…ってのはどうだ?スリリングだろ?」
ビクッと背中を震わせてマナはケビンの後ろに隠れる。
「ハハッ、驚いたか?俺様こう見えてちっちゃい子供が好きなタイプでな。」
「止めとけ。変態みたいな事言うな。」
トンデモ発言に呆れていたらギジャッキーはュルギュル回転していた弾倉を止め、その拳銃をケビンに投げる。
そして背後に佇む客達に声を張り上げた。
「ではお集まりの皆さん!どうか熱いカウントをお願い致します!」
この声に店の奥からも人が集まってきた。
「何してるんだジャッキー?」
「ロシアンやるって。」
「マジかよ!?アレで勝った奴1人もいねぇじゃん。」
客はほぼジャッキーに勝算があると思い一世一代の勝負を見守る。
ジャッキーは笑いながら右手を上げて合図を送った。
「ではいきますよ!さんハイ、」
ケビンも合図に合わせて銃口をこめかみに当てる。
「いーち!」
―カチッ。
【5】
観客の歓声と一緒に火花が弾けるような音が響く。
しかしケビンは平気な顔をしていた。
「あ、あれ?」
「ま、まぐれだぜ今のはよ!」
1回目は運が良かったと客は次に期待する。
「では次!さんハイ、」
「にーっ!」
―カチッ。
今度もハズレだ。
「えっ?マジかよ?」
「スゲーなあの人…。」
次第に興味の声は驚きに変わっていく。
「でも次で終わりだぜきっと!」
「そうだそうだ!」
ジャッキーも期待に応えるべく、カウントを続ける。
「よっしゃいくぜ、せーの、」
「さーんっ!」
―カチッ。
その場の空気が凍った。
「う、嘘だろ…!?」
「今までの連中…皆3回目位で当たったのに…。」
「おいジャッキー!このままじゃヤバイって!」
遂にジャッキーの敗北を恐れる声まで出始め、従業員は静かにと抑える。
でもジャッキーは負ける不安など感じていなかった。
ケビンが本気で死ぬかのように引き金を引いていると見て恐怖していた。
《この男…ただの強運じゃねぇ…。まるで自分から死にに行くような眼をしてる…。こんな奴…初めてだ…。》
ジャッキーはおぞましいモノを感じつつも自分も手を引けないと勝負を続ける。
「で、ではお待ちかね!せ-の、」
「よ、よーんっ!」
―カチッ。
ワンテンポ遅れた合図でもケビンは生還した。
とうとう誰もがケビンの勝利を確信していた。
「ジャッキー…マジか?」
「…アンタ…一体何者なんだ…?」
自分への歓声などいつの間にか消え失せ、全員がケビンに釘付けになる。
ジャッキーは唇を噛み締めながら帽子を深く被る。
「次で終わりだ…せー」
「ごぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ビリビリとガラスやシャンデリアが揺れた。
ジャッキーの合図を待たず、マラソンのラストスパートで決めろみたいな大声での歓声が飛び交ったのだ。
―カチッ。
空の銃声が空しく響く。
その小さな音で…誰もが結末を察した。
「ジャッ、ジャッキーが負けた…!」
「マジかよ…こんなのって…!」
ケビンは勝ったのだ。
絶対に不利だと思われていた勝負に。
しかしジャッキーを尊敬する客はまさかの結末に動揺するばかりだ。
「デタラメだ!絶対ズルしただろお前!」
「そうか?なら確認してみろよ。」
ホラ、とケビンは抗議してきた客に拳銃を渡す。
確認すると実弾は抜かれておらず、そのまま入っている。
トリックもズルも使っていなかった。
「不満か?ならもう一度勝負してやってもいいぞ。」
「いいだろう…。」
ジャッキーは受け取った銃をカチャカチャ鳴らして弄る。
「今度は5発だ。勝負は1回きり…。」
驚きの発言に客達は動揺する。
「ご、5発!?」
「って事は6分の5で当たり…生存確率はたったの1%…。」
「ジャッキー止めろよ!何も子供の前でやる事ないだろ!」
最早ギャンブルの域を超えたまさに天国か地獄かへの分岐点みたいな事になり、応援していた客達は一斉に動揺する。
「おい兄ちゃんも止めろ!死んじまうぞ!」
最初にジャッキーを呼びに来たスカジャン男がケビンの肩に手を乗せてくる。
しかしケビンは表情を変えずに拳銃を受け取った。
それどころか嬉しそうにしていた。
その笑顔が怖すぎると全員が思った。
「兄ちゃん…なんで笑ってるんだよ?怖くねぇのかよ?」
そう質問すればケビンは笑いながら振り向く。
「別に?死ぬんだって考えなきゃ逆にハラハラするって楽しく思えるだろ?」
「ハ、ハラハラって…。」
【6】
一体何を考えているのか。
ケビンは自慢げに銃をクルクルと回して自分の手に馴染ませる動作をしている。
ふと、下から小さな声が聞こえた。
「ケビン…。」
見るとマナが目に涙を一杯に溜めて自分を見つめていた。
でもケビンは笑いながら頭を優しく撫でて抱き上げた。
「マナ、ほんの一瞬でいいから俺の心臓に耳を当ててくれ。」
「心臓…?」
「そうだ。絶対にこっち見ると駄目だからな。」
マナは言われた通りにケビンの胸に顔を埋める。
それを見てケビンも銃をこめかみに当てた。
「ほらカウントしろよ。」
「えっ?わ、分かった。」
指名された客は戸惑いながら咳払いする。
「じ、じゃあさ、俺がせーのって合図するよ。」
自分だってどんな結果になるか分からないので落ち着きながら呼吸を整える。
「いくぞ、せーのっ…」
―カチッ。
誰もが死を覚悟した一発勝負。
しかしそれは奇跡的に空を引き当てた。
血も涙も飛び散らずにあっけらかんと終わった世紀の勝負は静かに幕を下ろした。
誰もがケビンの運に度肝を抜かれ、そして興奮した。
「す、スゲー、やっぱアンタスゲーよ!新しいスターの誕生だぁ!」
1人がまくし立てて周りも同様に歓声を上げる。
「あんなの絶対に当たるのに生き延びるって奇跡じゃねぇか!」
「一体何者なんだ?」
「それよりもジャッキーに勝つなんて…こんな客初めてだよ!」
勝負を仕掛けた当人は現実を受け入れられずにその場で座り込み、俯いて呆然とするばかり。
それを見たケビンは拳銃を返しながらジャッキーの肩に手を置く。
「悪かったな。お前の評判ガタ落ちさせるような真似しちまってよ。」
一応詫びは入れるがジャッキーの表情は固まったままだ。
「それでも納得いかないなら…いいよ、殺せよ。お前に撃たれるなら本望だからさ。」
ぐずるマナをあやしながらケビンはハッキリ告げる。
ジャッキーは何も言わずに銃口を真っ直ぐケビンに向けてきた。
「…良いんだな?」
「構わねぇよ。それともなんだ?お前用心棒なのに人っ子1人殺せねぇ臆病者なのか?」
ビクリと手が痙攣し、ジャッキーは誤魔化すように両手で銃のグリップを握る。
さっきまでの歓喜は数秒で悲鳴に変わった。
「おいジャッキー!止めろ!」
「落ち着け!早まるな!」
仲間と見られる男達は束になってジャッキーを囲み始めていた。
その時だ。
「フッ…フフフフフフ」
「…ジャッキー?」
常連客が心配そうに呟く。
「フフフフ…フハハハハ!」
さっきまでの俯きが嘘のようにジャッキーは大笑いした。
構えていた拳銃も床に置いて腹を抱えながら。
それは今まで浮かべた事の無い晴れやかな笑顔だ。
「流石だぜケビンさん、やっぱりアンタ大物だな。降参だ。俺の負けだよ。」
自分から敗北を認める一言に全員が驚く。
ジャッキーが自分から負けたと言ったのは一度たりとも無かったからだ。
「でも最高だな。負けたのにこんな清々しい気分になるのは久し振りだ。」
「…。」
「久しく忘れてたよ。勝っても負けても“楽しい”って思える勝負ってのをさ。それは俺様がこの道に進んで…自分が掲げた理想なんだ。まさかこんな形で思い出すなんて…アンタはやっぱりスゴいよ。」
ジャッキーは帽子を被って目元を隠すと暫く笑っていた。
周りは何が起きているか理解出来ずにお手上げになっている。
ケビンはその場から去らずにしゃがんでジャッキーと目線を合わせる姿勢を取った。
「…お前、最初から俺を仕留める気は無かったんだな。」
「…あぁ当たり前だ。アンタに何かしたら…一番悲しむ人間が目の前にいるんでね。」
帽子の鍔を上向きにしてジャッキーはやっとコッチを見た。
開かれた瞳は初対面で見た茶色から澄んだ青色になっていた。
ジャッキーは青い目を保ったままでケビンに抱かれる少女の頬に触れた。
「恐かったよね猫ちゃん、もう酷い事しないからな。」
「…せめて名前で呼べ、この馬鹿。」
【7】
ほっぺに触る手を無理矢理引き剥がすとジャッキーは帽子を被り直した。
「それから…ありがとな。ケビンの旦那。」
「え?」
「アンタに負けて少しスッキリしたよ。今まで無理してお山の大将やらなきゃって気持ちだったから…凄く清々しいんだ。アンタみたいな男は見た事ねぇ、本当にアッパレだよ。」
込み上げる物があるのか、帽子の下でジャッキーは目を覆った。
「旦那…悪いけどアンタに金を払う事は出来ないんだ。代わりと言っちゃなんだけど…少し長話に付き合ってくれないか?」
「…分かった。」
コートの袖で目を擦るとジャッキーは帽子を取って胸に抱えた。
「アンタなら分かってくれると思うから聞いてくれ。“フォーチュン”は…この店は本当はもっと良い店なんだ。でももう長い間…この店はマフィアに好き放題されてんだよ。」
マフィアの単語にケビンの顔が急変する。
ジャッキーみたいな若い男が指揮する程度だ、運営元がまともじゃないのは承知していた。
「ブルローズって連中でさ、表向きはちっちゃいマフィアだが実際はあのミステシアの下部組織なんだ。そんで後ろ楯使って好き放題やってるんだ。」
「ミステシア…やはり奴等か。」
自分の宿敵の存在にケビンの眼差しが変わる。
「じゃあ支配人や店長を呼べって言っても出せないのはそれが理由か?」
ジャッキーは返答の代わりに軽く頷く。
支配人という存在は…言葉を変えるなら自分らのボスなのだ。
下手に姿を見せて乱闘されるのを恐れ、敢えて存在を隠していたのだ。
「フォーチュンは最初…違う人間が運営してたんだ。その人は“勝っても負けてもハッピーになろう”ってスローガンまで立てて店を繁盛させようとした。でも世の中は甘くなかったよ。負けてハッピーになれる筈が無いって…それが現実だって言われてさ。客足は酷くなっていくばかりだった…。」
握る帽子に皺が寄せられ、ジャッキーは噛み締めるように口を開く。
「その頃だった。俺らのボスは組織を大きくする為の“金のなる木”を探してた。それでこの店に目を付けて運営を牛耳る事にしたんだ。そこから先は…もう滅茶苦茶になるだけだった。」
金の為になんでもする輩はロクなモノじゃない。
マナは話を聞いて怒りを抑えるケビンを不安げに見つめる。
「それでもっと深く言うとな…俺様を始め、ここの常連は全員…ブルローズに要心棒として飼われてるんだ。運営を妨害する客を始末するようにってよ。」
「妨害?」
「このカジノの売上は殆どが奴等の上納金として吸われてる。おまけに稼ぐならイカサマやらなんやら平気でやるし…それに不満を持って暴動を起こす人間がいつ出ても可笑しくないんだ。そんな連中を抹消しろって命じられてるんだ。」
他の常連客はジャッキーの話に皆悲しい顔をする。
それをケビンは見逃さなかった。
雇われの身とはいえ、彼らは本当はこんな真似をしたくないと感じていると。
「…店に何もかも吸われて命絶った連中も大勢いた。でも逆らえば自分等が始末される、それが怖くて誰も反発出来なかったんだ。いつしか…楽しく勝負する気持ちすら忘れられていった…こんな所だな。」
話を終えるとジャッキーは不意にマナの頭を撫でた。
その仕草はケビンと同じでとても優しい。
「心中した連中の中には奥さんや子供がいる人間もいた。でも追い詰められて…家族全員巻き添えにしたってトコも少なくねぇんだ。」
「ジャッキー…。」
「その話を聞かされるたびに俺様は自分が情けなくなっていった。だから決めたんだ。いつか…奴等から足抜けしてこの店を丸ごと買い取ってやろうって。そうすれば自分等の手で再建出来て…もっと楽しい場所に作り替えれるってな。」
あちこちから泣き声や啜り泣きが聞こえてくる。
今まで自分達がしてきた行いを振り返り、後悔の念が浮かんできたのだろう。
考えるとケビンも彼らを責める訳にはいかなかった。
「なぁ旦那、アンタの腕を見込んで頼みがある。」
ジャッキーは帽子を胸の前に持ちながらケビンを見つめ、頭を下げた。
「俺様と一緒にブルローズを倒しにいかねぇか?足抜けするだけじゃ奴等は報復に臨むだけだ。それなら丸ごと潰した方が狙われるリスクを押さえられるんだ。」
「いいのか?そんな真似すればお前…」
「良いさ。もうこんな汚い稼ぎは御免だ。俺様は…純粋に楽しい勝負をしたいだけなんだ。勝っても負けても…自分も相手も楽しいって心の底から言える…そんなギャンブルをするのが夢なんだ。」
一点を見つめる瞳には曇りも嘘もない。
ケビンはそれを見てジャッキーが本気で生まれ変わりたいと確信する。
「分かった。奴等のアジトの居場所は?」
「それなら知っている。現金輸送で何度か訪問したからな。今からでも直ぐに…」
―ボゴォォォン。
豪華な正面入り口の開き扉が破壊され、砂塵と爆風が店に入ってくる。
同時にワーワーキャーキャーと悲鳴が聞こえてきた。
「おらぁ!出てこいウェルパ!」
「テメー足抜けとかふざけてんのか!?」
ライフルを持ったり爆弾を全身に巻き付けた数人の男がズカズカ侵入してきた。
皆が黒いスーツにサングラスと如何にも典型的なマフィアの服装だ。
「アイツら…ブルローズの下っ端か?それにしてもなんでここに?」
まるで自分の動きを見られてたようにタイミングが良過ぎている。
するとジャッキーがマズイといった顔になった。
「すまねぇ旦那…。言い忘れてたけどこの店の防犯カメラの映像はアジトに送られてるんだ。変な動きをしないか見張る為にな。」
「オイオイ気にするなよ。それなら訪問する手間が省けて助かるな。」
ケビンはニヤニヤと笑いながら迎え撃つ。
ミステシアが背後にいる組織なら自分が加勢しても問題ないと。
「おいヤッサン。ここは危ないから下がっててくれ。」
「なんだ心配か?生憎だけどよジャッキー、俺もその兄ちゃんと同意見でな。こんなのは想定済みだ。」
スカジャン男はこの状況に笑っている。
ケビンはその顔からこの男もマトモじゃないと錯覚する。
「…どうなっても責任取れないけど良いのか?」
「あたぼうよ。散々濃き使ってきた鬱憤晴らしには丁度良いだろう。」
その姿勢に若い男達数人も群がる。
「俺も手伝うぜジャッキー。」
「俺もだ。もうこんな酷い店になんか居られるかよ。」
「いつか皆でクーデターしたいとは思ってたからな、逆に嬉しいぜ。」
【8】
これまで用心棒として働いていた人間が続々と立ち上がり、ケビンとジャッキーの目の前に並んだ。
彼等もジャッキーと同じ理想を掲げ、ずっと我慢してきたのだ。
今こそ意地を見せる時だと構える。
「皆かかれ!これ以上操り人形みたいに働くのは御免だ!」
スカジャン男を先頭におぉぉぉと客達が一斉に敵に向かって走る。
予想通りにマフィア側も迎え撃つ姿勢になる。
「テメーら!これ以上歯向かうなら容赦しねぇぞ!」
1人がマシンガンを縦横無尽に発砲する。
火花と煙が舞い上がり、銃弾の吹雪が店内を飛んでいく。
銃弾は壁一面に穴を開け、数発は天井のシャンデリアの鎖に命中する。
支えを失ったシャンデリアは落下して破片が飛び散る。
壁に取り付けられた照明もガラスが割れて飛散する。
数分で店内は電気が消えて薄暗くなり、余計に不安を募らせていく。
若い男女の客はパニックになって外へと逃げるが中年層の客は残って下っ端と取っ組み合いをしていた。
戦場と化したカジノの店内でケビン達3人はスロットマシンの物陰に隠れていた。
マシンガンの乱射はスロットやビリヤード台、店の奥にあるバースペースの机や棚にまで被弾していく。
バーの棚に並べられた酒類のボトルは容赦なく割られて中身が噴水みたく吹き出す。
「あ~あ。お気に入りのバーが滅茶苦茶だぜ。」
「今はそれ所じゃないだろ馬鹿。」
自分の命よりバーの心配をするジャッキーにケビンは冷たくツッコむ。
「とにかく止めるぞ。これ以上荒らされると後始末が面倒だろ?」
「了~解。」
銃弾の波が落ち着いたのを見計らい、2人は参戦の機会を伺う腹だ。
「マナ、危ないからお前はここで待ってろ。直ぐ戻るから。」
ケビンは銃声に耳を傾けつつ小さな同行者に話し掛ける。
「いや…1人になるの恐いよ…。」
悲鳴が飛び交う戦場の空気にマナは圧されていた。
ケビンは躊躇うが自分の傍に置いたら何が起きるか分からない。
それを考えると連れて出るのは無謀だと判断していた。
「…分かってるさ。でもお前が傷付く姿は見たくないんだ。だから待っててくれ。」
震える背中を撫でるとマナは耳を塞いでうずくまる。
ケビンも耐え切れずにそっと抱き締めた。
ふと、頭に添えた自分の手に誰かの手が重なった気がした。
見上げるとジャッキーが怯えるマナを優しい瞳で見つめていた。
「大丈夫だよ姫様、旦那の命は俺様が責任持って預かるからな。」
馴れ馴れしい呼び名にケビンはオイオイと言った顔になる。
「何が姫様だよ、俺はともかくマナにも変な呼び名付けるなって。」
「んじゃあ姫で良い?それともプリンセス?」
「…1回マジでぶん殴ってやろうか?」
構えた拳にハァ~と息を吹き掛けるとジャッキーは命の危機を感じて急に青ざめた。
するとマナは我慢出来なくなったのか、グスングスンと泣き出してしまった。
その啜り声にジャッキーは胸が痛くなり、ケビンに目を向ける。
「旦那…俺様にも抱っこさせてくれるか?絶対変な事しないから。」
構わないと答えればジャッキーはマナを宝物のように腕の中に納めた。
自分よりうんと小さくて軽い体に心臓が高ぶる。
「姫恐い?チュッチュッしてあげようか?」
「…何故そんな答えが出るんだお前は。」
もう誰かコイツ止めろと言いたくなるが当然ながらそれを叶える人間などいない。
でもマナは抱っこされて少し気持ちが落ち着いたのか、ジャッキーの着ている灰色のワイシャツで涙を拭いた。
「マナ、それで拭いたら駄目だろ。」
「良いよ旦那。これ安物だから濡らしても平気さ。」
ハンカチを取り出したケビンを制止させ、ジャッキーは濡れそぼったシャツの布地でマナの目元を拭く。
「よしよし、良い子だな姫。俺様が付いてるからな。」
不安を取り除こうとジャッキーはマナの後ろ頭を優しく撫で上げる。
その手付きがケビンと似ているのか、マナはぐずりながらジャッキーにしがみついてくる。
「…ック。」
「なぁに姫?」
「ジャック…行っちゃやだぁ…。」
喉が瞑れてるような掠れた声。
それを聞き取ったジャッキーは後ろ頭に添える手に力を入れた。
“ジャック”…組織に売られたばかりの自分はボスからそう呼ばれていた。
酸いも甘いも知らない若造という皮肉を込めて。
自分はそう呼ばれるのが嫌いだった。
でもマナがその名前で読んでくれるのは全然違う。
単なるジョーク混じりの呼び名と本気で自分を信じてからの呼び名では重みに雲泥の差があった。
ジャッキーは何かを決め、静かに笑う。
「大丈夫だよ姫。俺もう決めてるからな。旦那を…この人と姫は何が何でも守るって。」
優しく語りながらマナを床に座らせるとジャリジャリとガラスの破片を踏む不快な音が聞こえた。
相手が誰なのかは分かる。
これ以上隠れていても無駄だ。
「行くぞジャッキー、さっさと蹴散らして焼き討ちしないとな。」
「あいよ、旦那。」
【9】
死ぬのも覚悟で若い二人は血に染まった金色の絨毯の上に立った。
照明を破壊された店内は昼間なのに薄暗い。
だが真っ暗闇ではないので敵の姿は確認出来る。
「馬鹿め!自分から死にに来るとは愚かな男だな!」
無数の銃口が一斉に向けられる。
「ジャッキー逃げろ!」
「止めてくれ!その人を殺すなら代わりに俺達を殺せ!」
床に倒れた常連客の悲鳴が聞こえるが男は逃げない。
ここで背中を向けるのは負け犬よりみっともない姿勢になると信じてだ。
そんな覚悟を嘲笑うように銃口が火を吹いて発砲されてきた。
だがジャッキーはケビンの隣に立ち、両手を合掌するように合わせる。
「旦那、そのまま動くなよ。」
そう告げて両手を横に突き出す。
(バブルカーテン!)
するとポワワワと巨大なシャボン玉が足元から生まれて飛んでくる銃弾を受け止める。
「な、貴様…!」
フヨフヨと所々が虹色に光るシャボン玉のバリアは指で突いても割れる事はない。
どうみても手品の類でもない。
「ジャッキー…お前。」
「隠してて悪い。俺様さ…化け物なんだよ。だから引き立て役に抜擢されたんだ。戦力候補としてな。」
ケビンはジャッキーの目を見て息を詰まらせた。
敗北を喫した際に見せたのと同じ青色の瞳。
それは自分と同じ―スキル使いの象徴だ。
ケビンは驚きながらも口元を緩ませる。
「上等だ、そのままバリア張ってろ。」
ケビンは右手の親指を水面に向かって弾く。
パチッと弾ける音がしてよく見ると小さな火の玉がシャボン玉を貫通して放たれた。
そのまま鋭い弾丸と化して一気に敵に命中する。
「あづぁ!」
「ぐへっ!」
見事な連携プレーに周りの客はおおぉと歓声を上げる。
「旦那…その技って…。」
「あぁ、俺もお前と似た体質持ちでな。」
ケビンは一度目を隠し、ゆっくりと手を退ける。
さっきまで黒だった彼の瞳は…潤んだ赤色になっていた。
ジャッキーはそれを見て自分を恐れる不安が消え去り、笑いながらケビンと拳を交える。
それは同じスキル使いに巡り合えた幸運でもあった。
「やっぱそうか!アンタ只者じゃないと思ってたけどまさかスキルまで使えるとはな!俺様気に入ったぜ!」
「その話は生き延びてからにしろ。今はこいつら蹴散らすのが先だ。」
一方、マフィア達はスキル使いが2人もいる事に戸惑いながら策を練る。
「くっ!ならこれはどうだ!」
やけくそにと1人が小型の武器を取り出す。
ピンを外して投げるとシャボン玉のバリアに当たって地面に落ちる。
「ジャッキー!」
客の警告が響くも遅く、パーンッと蚊の羽音のような高い音と閃光、そして煙が舞う。
閃光に目が眩んだジャッキーは手元が緩み、その影響でシャボン玉も消えてしまった。
すると今だ、とばかりにドタドタと足音がこちらに向かってくる。
ケビンも迎え撃とうとするが光に網膜を刺激され、目を開けられる状態では無かった。
《クソッ…!卑怯な真似しやがって…!》
《…ン…。》
誰かの声がしたような気がした。
しかしもろに光を見たせいで視界は霞み、痛さで瞼を開けられない。
目の前で何が起きてるのかも把握出来る余裕は無い。
でも耳を澄ましても自分が襲われている感覚は沸かなかった。
力の差を見せられて逃げたのか?
それとも敵わないと最初から知ってて金だけ持って逃走しようとしているのか?
強引に瞼を開けようとしたら鼓膜が震えた。
《…け…て…。》
さっきも聞こえた声がした。
確かに誰かが呼んでいる?
一体誰が?誰を?
やがて途切れ途切れに声は続く。
《ン…た…す…け…。》
三度聞こえたその声は確実に“助けて”と聞こえた。
必死に絞り出して…届いた声。
そしてケビンは気付く。
自分を呼んでいると。
《ケビン…助けて…!》
【10】
―やがて光は治まり、煙も塵も晴れてきた。
客達は全員、視界をやられて床に倒れている。
「皆無事か?」
「あぁ、でも目がスッゲー痛いな…。」
「驚いたぜ…なんなんださっきのは…?」
起き上がった用心棒らは荒らすに荒らされた店を見て呆然とする。
「アイツら…こんなに滅茶苦茶にしやがって。」
「そうだ!連中何処行きやがった!?」
見渡すと好き放題に暴れていたマフィアはいなくなっていた。
ジャッキーは客の声を体を起こし、目の痛みを抑えながら異変を分析する。
「あの光はスタングレネードか…舐めた真似しやがって。」
パンパンッとコートの埃を払いながら仲間に振り向く。
「ジャッキー大丈夫か?」
「俺なら心配無い。それよりも誰か金庫調べてこい。売り上げ盗まれてるかもしれないから。」
「ハ、ハイ。」
近くにいた若い従業員が去ると今度はケビンを起こす。
「大丈夫か旦那?」
「まぁな。それよりさっき声が…。」
ハッ、とそこで我に返る。
―必死に自分の名前を叫んでいた謎の声。
今の状況で思い当たる人物は1人しかいない。
ケビンはさっきまで身を潜めていたスロット台の近くまで戻った。
「マナ…!?」
確かにここに隠れていた筈の同行者が居ない。
直ぐに周りを見渡して彼は青ざめた。
「マナ!マナどこだ!いたら返事しろ!」
あの場からマナは一歩たりとも動いていない。
万が一移動していても気配で感じていた。
「おいマナ!本当に居ないのか!」
ケビンの必死の形相にスカジャン男が心配そうに近寄る。
「どうした兄ちゃん?誰か探してるのか?」
固執して名前を叫ぶケビンは息を荒らしながら男に振り向く。
「なぁオッサン、俺と一緒にいた子供知らないか?」
「子供…ひょっとしてあのツインテールのカワイコちゃんか?…あれホントだ…いなくなってる…!」
その客も見渡すが周りにいるのは大人の男性ばかりだ。
最悪の結末が頭を過る。
「まさか…。」
下っ端が隠し玉にと使用したスタングレネード。
あの光を浴びている間は全ての感覚が遮断されてしまっていた。
その背後を付いていたとしたら…。
やっと飲み込めた状況にケビンは膝を落とし、落ち着かせるようにジャッキーが背後に立つ。
「そのまさかだと思うぜ旦那。アイツらは金の為なら何でもやる連中だ。婦女暴行に誘拐、子供の人身売買だって珍しくねぇ。」
ケビンは奥歯を噛み締めながら絨毯に拳を打ち付ける。
「あの野郎…!汚ねぇ真似しやがって!」
―情けなかった。
なんでグレネードが爆発する前に戻れなかったのか?
なんで自分を呼ぶ声がマナの物だと気付けなかったのか?
「ごめんなマナ…俺のせいで…。」
悔しくて悔しくて立ち上がれなかった。
守れなかった、傍に居てやれなかった。
自分の存在が憎かったと。
でもジャッキーはケビンの事を笑わず、口を真一文字に閉じて右手を差し出す。
「旦那…俺様も気持ちは同じだ。」
「ジャッキー…。」
「直ぐにスタングレネードだって分かってれば避難出来たのに…完璧油断してた。アンタ1人のせいじゃないさ。」
ゆっくりと顔を上げた先には怒りを堪える男の鋭い瞳が見えた。
それは自分、そして卑劣なマフィアへの怒りだ。
「どうする旦那?このまま引き下がるって筋じゃ無いよな?」
ケビンは心の中で当たり前だと叫ぶ。
今逃げたら自分は戻れなくなる。
そうなったら男はおろか…人間としても失格になるからだ。
「俺様も手伝うさ。目の前で子供拉致られて黙ってる訳にはいかねぇよ。」
ケビンはその男の手をしっかりと握る。
その眼には信頼の気持ちが宿っていた。
「…頼むぜジャッキー。」
「あぁ。お前らはこれ以上荒らされないように店を守っとけ。」
「ハイッ!」
残された客も早く行ってくれと促すように返事をする。
二人は急ぎ足で崩壊した正面の扉をくぐって外に出ようとした。
「おいジャッキー!表は危険だ、裏から行ってくれ。」
年配の従業員が2人を制止させる。
何故かと見れば店の外にはいつの間にか消防や救急、民間人に取り囲まれている。
そのまま突入したら質問攻めに遭うだけだ。
「向こうの出口から抜けてくれ。その方が安全だ。」
「分かったよ、ありがとな。」
案内された裏口から外へ出るとジャッキーは辺りを見回しながら先に走った。
フォーチュンの近辺に点在する店の隙間をくぐり抜け、街へ入る通りに出た。
2人が見る先には街とはかけ離れた荒れた荒野が広がっている。
「旦那、連中のアジトはここからかなり遠くにあるんだ。多分俺らが来るのも想定して策を練ってる筈だぜ。」
「おう。」
「それにボスも俺様達と同じ熟練のスキル使い。正直今の俺でも敵う相手とは言い難い。それでも旦那は勝負するんだよな?」
ケビンはシャツの内側で揺れるペンダントを服の上から握る。
「…当たり前だろ。ミステシアが絡んでる組織ならぶっ倒すだけだ。それによ…。」
一端言葉を区切り、目を閉じて深呼吸する。
「俺…マナに約束したんだ。何があっても俺が守ってやるって。絶対に手放したりしないってな。」
そうだ、なにより自分は誓ったのだ。
自分の能力を間近で見ながら化け物と恐れずに純粋に信じる幼い少女。
海のように広い優しさを持つあの少女を見捨てる訳にはいかないと。
「あの子…産まれて直ぐに実の親に手放されてずっと1人で生きてきたんだ。今更手引いたら…あの子はもう立ち直れなくなる。だから誰かが隣で支えないと駄目だって…そう思ったんだ。」
空を眺めるケビンの見開いた瞳はどこまでも澄んで美しい。
1人だった自分の世界に入り込んだ小さな存在。
それが孤独だった自分に光を与えていた。
「成る程、あの子は旦那の光か。どんな暗闇も…悲しい過去も受け入れてくれる大切な存在…正直羨ましい限りだな。」
ジャッキーは無意識に肩に手を置く。
「ならその重荷…俺様も背負ってやるよ。アンタだけに無茶させるのは性に合わないからな。」
「そうか、ありがとなジャッキー…。」
礼を述べながら二人は目的地目掛けて走り出す。
目指すは罪も無い人々の心を、拠り所を喰い物にする悪質マフィアのアジトだ。
《マナ…今行くから待ってろよ。絶対助けるからな…!》
愛する存在を守る男と大切な居場所を守る男。
不思議な縁と絆で結ばれた若きコンビは揃って敵の本拠地へと向かうのであった…。