二十年越しの再会!渦巻く闇の戦士ユリウス
【1】
やがて夜が明けた。
白い朝日の光が窓から入り、その光が瞼を刺激する。
「…う…ん…。」
光の眩しさでケビンは目を覚ました。
自分の目の前にはスヤスヤとしがみついて眠る少女がいる。
夜中はかなりぐずっていたが自分とエルザの温もりに包まれて安心して眠っていた。
ケビンは優しい目でマナの髪に鼻先を埋める。
甘い花と蜂蜜の匂いがして心臓が熱くなった。
「…お前…本当に良い子だな。」
殺し屋の血が流れる自分の汚れた手。
マナはこの手の温もりを愛して…何かあるといつも握ってきた。
何度握っても怖がらず…自分が触れても決して逃げずに背中を追ってきた。
流石は警察官僚の子供、度胸も桁違いだ。
「…ヒック…えっぐ…。」
髪の毛の匂いに浸っていたケビンの目が固まった。
視線の真下で少女が嗚咽を漏らしながら怯えていた。
マナを抱き締める姿勢で眠っていたケビンは後ろに回った手で背中をトントン叩いた。
「…グスン…ふぇぇぇん…。」
でもマナは感覚が鈍っているのか、中々泣き止まない。
今度は口元を額に近付け、キスして舐めてあげた。
これだけでも変態に思われるが誰にも見られていないのでケビンは舌を引っ込めなかった。
「…ふぅううん…ふぇぇぇん…。」
マナはやっと落ち着き始め、ケビンはなんとか寝かせようと背中を撫でる。
その時、自分の手に何かが触れた。
左手の指輪の冷たさの間から熱さが伝わる。
「…眠りそう?」
「なんとかな。」
暗くても声の主がエルザなのは隣で寝ているので確認出来た。
指輪よりも綺麗な銀色の髪の毛が白い布団に落ちる。
「悪いな、眠れなかったろ。」
「気にしないで。子供の夜泣きなんて子守歌みたいな物だから。」
少し明るくなった部屋で光る緑色の瞳をケビンは自分の色で染める。
マナは自分とエルザの温もりを感じ、いつの間にか寝落ちしていた。
「最近相手してあげないから拗ねてたのね。それで魘されてたかも。」
「そうだな。ヒカルも添い寝してあげないと機嫌悪くしてたからな。」
息子の面影をマナに重ね、ケビンは小柄な体を密着させる。
小さい体からは心臓の音が鼓膜が破れそうな位に大きく響いた。
「…考えてみれば不思議ね。」
「何がだ?」
「親にとって子供がどんなに愛おしい存在であるのかって。」
我が子を死産させてしまったエルザにとって母親になる事は夢の一端だった。
謂わばマナがその夢を見させてくれたと言えばケビンも同じ気持ちだと返した。
「俺も父さんが目の前で死んだから…マリアと結婚した時に決めたんだ。俺が見た光景を…彼女には背負わせたく無いって。」
でもその願いは叶わず…マリアは自分の目の前から消えてしまった。
幼い息子の手を引いて。
その悲しみをケビンはやっと振り切る事が出来たのだ。
「今度は守ってみせるよ…お前とマナを。」
我が子を包むのとは反対の手がエルザの手と結ばれる。
決して冷える事の無い…燃えるような熱さの手をエルザはしっかりと握っていた。
「きっとちい兄嫉妬するだろうな、こんな綺麗な嫁さん何処で見つけたんだって。」
「そう?」
「兄弟の真ん中って苦労人な奴が多いんだとよ。父さんが教えてくれたんだ。」
兄ながら手の掛かる男を思い出して笑うケビンにエルザも面白可笑しく同情した。
「なんだか面白そうな人ね。会うのが楽しみになってきたわ。」
ケビンとしては再会は少し抵抗はあるがあれから二十年も会っていない。
その分互いがどれだけ成長してるのか…それを確かめたいのは事実だ。
「でも国際警察に回ってるとなると厄介だな…コーラルさんが纏めてくれるのは有り難いがどこまで俺を信じてくれるかは予測出来ないんだ。」
何の事なのかエルザは首を傾げたが直ぐに内容が分かった。
警察総司令の子供であるマナを引き取る。
それを承認してくれるかどうかだ。
「まぁ…アンタのやってる事ってぶっちゃけ誘拐だからね。」
「…お前が言うなアバズレ。」
久し振りに悪口を言ったら結ばれた手が離れて自分の頬を引っ張った。
「…次言ったらほっぺ引き千切るね。」
「しょんな可愛い顔して言うひゃよ…へかはなへって。」
バチンッとゴムパッチンの要領で手を離すとヒリヒリと頬が疼いた。
「全くお前は容赦ねぇな…母さんに紹介したら勿体無いって言われそうだ。」
「…言い方酷く無い?」
「物じゃねぇよ。性格とか人間性で勿体無い女だって意味だよ。」
褒め言葉かどうか微妙な返答にエルザは膨れてマナの揉み上げを撫でた。
「酷いパパね、ママの事虐めてくるのよ。」
小声で教えるがマナはもう夢の中にいるので何も答えない。
ケビンは起こすなとエルザの手を握った。
「いい加減に寝てくれ。マナが起きるだろ。」
「分かったわよ。」
ケビンとエルザは互いの手を繋いだ姿勢で目を閉じた。
太陽はもうそろそろ昇りそうだが急ぎの用事は無いのでまだ眠ろうと夢の中へ入る。
繋がった手から伝わる体温が冷えた足先を温め、全身へと回っていく。
マナの体を抱き締める手が痺れてきたがそれを感じない程にケビンは熟睡していた。
再会した兄にこんな姿を見せたらどうなのか?
哀れなのか、それとも羨ましいと言われるのか。
どっちにしてもマナの事情は伝えないといけないのはマズイのでそれだけは胸の奥に隠して眠りに就いた。
【2】
カラコロ山の麓の街の外れには小さな空港があった。
この近辺は高速道路で来るには時間がかなり嵩むので観光の際には鉄道か飛行機の方で来るのが効率が良かった。
朝は殆ど無人のこの空港に一機の飛行機が着陸した。
機体後部にある尾翼にはマナの指輪に彫られたのと同じ模様がマーキングされている。
国際警察の専用ジェット機だ。
大人数での移動や手配犯の護送などに利用される乗り物で一般人はまず乗れない。
管制塔で着陸を見守る職員は何処かに電話をしている。
その間に出入り口にタラップが取り付けられ、同じ制服姿の人間が続々と降りてくる。
商売人が店を開ける少し前の時間帯。
山の麓にある旅館の駐車場に黒塗りの高級車が何台も停車してきた。
若い警官がボディーガードのように固まって歩く姿を温泉街の住人が不思議そうに見守る。
「おい警察だぞ。」
「なんだ?何か事件でもあったのか?」
紺色の制服の列は山の上にある旅館に向かって一直線に進んでいく。
その旅館では空港から連絡を貰い、中居達が忙しく動いていた。
ミヤコは宿泊客に警察が来る事、決して害のある行いはしないと繰り返し説明している。
廊下の奥にある板場の出入り口では厨房の職員が数人顔を出していた。
「おい、早く仕事に戻れ。」
「で、でも板長、俺達になんか注文でもきそうな雰囲気ですよあれ。」
割烹着の帯を絞め直してフドウは呆れ同然に包丁を握った。
「来たら来たで持て成しするのが俺達の仕事だ。分かったら早く戻れ。」
料理人達は心配ながらも中に戻る。
彼らにとってフドウは警察以上に恐ろしい存在だからだ。
やがて宿の自動ドアが開き、従業員が一丸でお辞儀してくる。
その中心に立つ女将の姿を見て赤茶色の髪の男が警察手帳を見せてきた。
「国際警察副司令のリーゼゲイトと申します。この度はお出迎えしてくださり誠にありがとうございます。」
丁寧に手帳を仕舞うと男は咳払いする。
「早速ですが…彼の部屋へ案内してくれませんか?」
ミヤコは無言で頭を下げるとエレベーターへと向かう。
リーゼゲイトの他にもスーツの男が二人、護衛の警官数人が後に続いた。
残りの警官は警備の為に入り口に残った。
宿の七階、一番奥にある部屋の入り口まで来るとミヤコは扉をノックした。
普通のホテルと同様、扉は外からは開けられないので中にいる人間に開けて貰う必要があったからだ。
重厚のある木製の扉が開き、金髪の青年が片目で女将を見てきた。
「リュウちゃん、開けてもらえます?」
リュウガは返事は無しで扉を開放し、スーツの男三人が部屋に入る。
鶴の絵が描かれた襖を開けるとリーゼゲイトの目はある男を凝視した。
「ケビン君…待たせたな。」
「えぇ。お久し振りですねコーラルさん。」
部屋の布団は片付けられ、荷物が部屋の隅に纏められている。
いつでも出発出来るように準備はしておいたようだ。
ケビンらは襖から見て机の左側に座り、コーラルはその反対へと回る。
彼を真ん中にして二人の男も座った。
一人は顎髭を蓄えた眼鏡の男。
もう一人は銀髪を逆立てた警察とは思えないようなチャラチャラした風貌の男だ。
「紹介しよう。こちら総本部長のナカハタ・シンメイ君、そしてこちらは今回モンテローゼ支局から応援に来てくれた犯罪捜査一課のカーマイン・シュバルツ警部補だ。」
二人はコーラルと同じように自分の警察手帳を見せてきた。
ケビンの背後に座る少年が応援の男がいる国の名前に傾げた。
「モンテローゼって…有名な画家とか芸能人がいる国ですよね?海外にも支局があるんですか?」
「ざっくり言えばな。海外のお尋ね者がそっちに逃げたから捕まえてくれってケースも多いしよ。」
眼鏡の男が胡座を掻くような姿勢で座り、コーラルが横を見る。
「ナカハタ君、お客様の前で失礼だぞ。」
「おっと、こりゃ失敬。」
気楽に謝る部下にコーラルは溜め息を付く。
「すまんなケビン君、仕事では真面目だが私の前ではいつも態度がお粗末になるんだ。」
「そんなの気にしないでください。そっちの男も問題児みたいだから苦労してますよね?」
シンメイとは反対に座る銀髪の男は腕組してヘッとぼやく。
「何が問題児だよケビン。司令官の子供引っ掻き回すお前の方こそ問題児だろ?」
「…言ってくれるねちい兄。人の宿泊場所に連絡してさ、そんなストーカーみたいな事してる奴が警部補とはね。」
コーラルは喧嘩になるのを止めようともう一人の部下の頭を撫でる。
「そう文句を垂れるなケビン君。キミが気掛かりになってユリウス君に相談に乗ったら直ぐに引き受けたんだぞ。弟を見殺しにする真似は出来ないとな。」
親のような目線で二人を見守るコーラルにラビとマナを抱っこするキドマルが首を傾げる。
「え?ユリウスって?」
「ちい兄の本名だよ。カーマインはアナザーネームでシュバルツは母さんの旧姓なんだ。」
「アナザーネーム…もう一つの名前って事か?」
リュウガがうやむやに翻訳するとその男…カーマインもといユリウスは足を崩した。
「俺達はいつ死んでも可笑しくない世界で生きてたからな。命乞いって訳じゃないけど自分の身を守る為に本名を伏せて生活してきたんだ。」
ユリウスは懐かしむように呟いて机に黒革のシステム手帳を置いた。
かなり使い込まれて表紙がすり減っているその手帳をケビンは凝視する。
「ちい兄…それ。」
「見覚えあるだろ?親父が使ってた物だ。火事の時にお袋が持ち出しててさ…自立する時に俺に預けてくれたんだ。」
手帳のボタンを開けるとヨレヨレのページとページの間に写真が挟まっていた。
色褪せた一枚の写真には五人の人間が写っている。
椅子に腰掛けた白髪の女性と彼女の肩を支えるオールバックの髭の男性、その手前には真面目そうな眼鏡の少年と銀髪のやんちゃ小僧らしき少年、その二人よりもっと幼げな少年もいる。
「お袋は今老人ホームに入居してるんだ。それで俺と兄ちゃんが面倒見てる。」
「…兄者は?」
写真の端に皺を寄せていたらその上部をユリウスが持ち上げてくる。
「兄ちゃんはMSFって所に入ってるんだ。昔からの夢を叶えたんだよ。」
「…国境なき医師団か。」
「最初は病院勤務だったけど途中で辞めたんだと。出世出来ないし上からもタラタラ文句言われるから嫌だって言ってさ。」
「…如何にも兄者らしい理由だな。」
とにかく二人とも元気にしてると聞いてケビンは安心した顔になる。
「そろそろ本題に入っていいかケビン君?少し時間が押してるから急ぎたいんだ。」
【3】
コーラルがそこで話題を変え、シンメイが部下に人差し指を曲げる。
指名された警官は筒状に丸めたポスターらしき紙をシンメイに渡してそれを机の上で広げた。
そこには大きな《WANTED》のポップと色褪せた少年の写真、下には《Dead or Alive》の英文とケビンの名前、更に無数の数字が書かれていた。
その数字は懸賞金であり、金額はなんと三億という高額だ。
「昨日から全支局に公布された手配書だ。手配内容は司令官の令嬢誘拐、及び器物破損、殺人未遂、詐欺罪の疑いだ。」
「お、おい待てよ!なんで兄貴が手配犯扱いにされてんだよ!可笑しいだろ!」
内容がデタラメだとリュウガが叫び、コーラルは落ち着けと嗜める。
「勿論こんな紙切れは偽物だ。司令官にも確認したがケビン君は我々の犯罪者リストには挙げられていない。誰かが無断で作製したのは明確だ。」
「それを伝えにこんな辺境まで来た訳かいな?ご苦労やな。」
ガデフは驚きながらもケビンに掛けられた罪状には納得がいっていた。
器物破損ならサンサシティで前科があるし殺人未遂においてもそれらしい事をケビンはやってきた。
大元である誘拐についても第三者から見ればそうだとも言い切れた。
「…で?手配書を作った人間はもう特定されてるのか?」
「…ある程度はな。」
シンメイが眼鏡を引き上げて自慢そうに語る。
同時にある男の写真をケビンに見せてきた。
紺色の制服に身を包んだ色黒のスキンヘッドの男だ。
「クラウンセントラル支局長、ドディ・グスタフ警視。ノンキャリで警官時代はかなり問題児な男でな…警視になった時は幹部の八割が驚く程の伝説級な男だ。」
クラウンセントラルの単語に全員がまさかと言った顔になる。
セントラル支局の爆発、そしてコルタスドックへの襲撃。
それが暗殺部隊の仕業では無く…予め計画されて物ではと疑った。
「実は支局での爆発が起きてから彼と連絡が途絶えてしまっているんだ。可笑しな事に捜査員に話を聞こうにも何も知らないと言うばかりでな…狐につままれたようだろ?」
でもケビンはその話とは別に“警視”という肩書きから何か紐解いていた。
エドワードが亡くなったのは丁度二十年前…写真の男は見る限りでは五十代クラス。
つまり父親の存在を知る人間であると結論していた。
「ドディ警視はエドの伝説をある程度は知っている。だがその考えはかなり否定的でな…。」
「例えば…?」
「“悪党のみを制裁するだけでも完全な殺人犯だ”、“実際は女ばかり助けて目障りな子供や老人は殺して畑の肥料にしてる”等とな。」
上げればキリが無い程の暴言の数々にその血を分けた二人の男は互いを睨んで黙る。
「しかもだ。セントラル支局へ応援に向かったウチの支部長も丸め込まれている可能性も考えられた。そこで司令官はキミを頼る事に決めたそうだ。」
「それでちい兄を呼んだと…?随分大雑把だな。」
ケビンの手は写真から自分の手配書を手繰り寄せて握り潰す。
「まさか…その警視って奴がミステシアに寝返ったと言いたいのか?」
「ヒュ~、鋭いねスカーレット。本音はその通りな訳なんだよ。」
シンメイは口笛を吹くと腰のホルスターから拳銃を取り出し、銃口をケビンに向ける。
「奴らと手を組んだ以上はウチに復職させる訳にもいかないんでね。だからお前に始末して貰おうと頼みにきたのさ。」
「…。」
「お前の親父さん…副司令と裏で繋がってたんだろ?だったらお前もそれを見習って俺達と繋がって欲しい訳さ。俺達ではどうにもならない人間をお前に殺して貰いたい…とまぁ、そんな所だ。」
コーラルがナカハタ君と叱責し、本人はスイマセンと平謝りして拳銃を仕舞う。
「本当ならカーマインの仕事なんだが…ヘマすると親父の事がバレて追い出されるだろ?コイツの兄貴はまだ帰国出来ねぇし…今頼れるのはお前しかいないって事なんだ。」
な?な?と揺すられてユリウスは申し訳なく頭を下げてくる。
「分かってくれケビン。この手配書が全国に流れている今…お前らはウチの監視下に置かないと危険なんだ。警察に命令されたくない気持ちは分かるがこれもお前の事を思って決めたんだ。表向きは俺が身辺保護で匿うからさ…。」
ここまでケビンの仲間は誰一人として発言や反論はしていない。
それよりも状況が読めないのでどうしたらいいのか分からないのだ。
それでも深刻な事態に置かれていると理解してリュウガはシガレットの箱を開ける。
「…冗談じゃねぇ。俺らはミステシアを丸ごと潰そうと動き始めたばっかなんだ。そんな偽物の紙切れ一枚配られただけで警察に保護されろだと?舐めてんのアンタらマジで?」
背後に立つ警官が暴動だと囁くがコーラルが手を上げて止める。
「それは私も理解している。だがマナお嬢様もいるなら下手に出歩かせる訳にはいかないと判断した次第だ。私やナカハタ君は論外だが…キミ達はお嬢様の誘拐犯だという噂が飛び交っているんでな。」
マナが心配そうにリュウガを見上げており、リュウガは気にしてないよと前髪に唇を付けた。
「それにマナだけ誘拐されてるって言うなら俺やコイツも誘拐されてるのと同じだろ。そうは見えないのかおっさん?」
「シーッ!その呼び方は駄目だってリュウ兄!」
キドマルが口を慎めと兄貴分に注意する。
少年の腕の中では黄金色の小動物がモコモコ動いて見慣れない警察官達を観察している。
「誘拐か…キミ達はいつから?」
「俺とコイツはクラウンセントラルから来たんだ。どっかのアホ警察がウチにパトカーで突っ込んで滅茶苦茶にされたんでな。」
シガレットをタバコのように咥え、煙を吐き出す仕草をユリウスは頬杖を付いて眺める。
「それに俺達はこれからホワイトヒルズって所に行かないといけねぇんだ。この子の父親に会いにな…。」
あぐら座りしながら隣で大人しく正座するマナの頭を撫でると姿勢はそのままにして膝の上に乗せる。
「…おいケビン、お前何考えてるんだ?そのお嬢様を引き渡したいなら今ここで保護出来るんだぞ。」
ケビンはその言葉を待ってたとエルザに目配せし、彼女を隣に座らせた。
「ちい兄…驚くと思うけど聞いてくれ。俺はマナを引き取って育てる事にした。だからこの子の父親に会いに行って話を付けたいんだ。」
「そうか…引き取るのか…。」
成程と呟いた瞬間、ユリウスはハッとして机を思いっきり叩いた。
「おい待て!引き取るってどういう事だ!お嬢様を養子にでもする気か!」
「勘が鋭いねちい兄、その通りだよ。」
何か問題でも?と答えればユリウスは机から身を乗り出してケビンの胸倉を掴んだ。
「ケビン…お前昨日電話で言ってたよな?結婚したって。このべっぴんさんと浮気した挙げ句に余所様の子供を養子にするとは…どこまで落ちぶれれば気が済むんだテメーは。」
「…少しややこしいけどなちい兄。前の嫁さんと子供はもう死んでるんだ。俺だってミステシアの被害者に一度なったんだ。だから再婚しても問題ねぇだろ。違うのか?」
ユリウスの指がシャツの間に入り、指先に冷たい物が触れる。
何だろうとボタンを外すとケビンの首に丸い物が見えた。
「前の嫁さんとの思い出の品か…まだ引き摺ってるのか?」
「まぁな。それは俺の心の支えでもあるんだ。」
手に持ったペンダントの蓋を開けるとそこには幼い子供と母親の写真。
その写真の女性とエルザを見比べて蓋を閉じた。
「呆れたな…親父ですらお袋が早死にしても絶対再婚なんかしないって言ってたのに。」
机からズルズルと後退し、畳にペタリと腰を付けた。
「私も初耳だなケビン君、そんな事いつから考えてたんだ?」
「冗談も半分にしとけよ。てかそれってお前だけの独り善がりじゃねぇのか?」
コーラルとシンメイも立て続けに追求する中、ケビンはペンダントを握りながらマナに振り向く。
「リュウ、少し良いか?」
頷く前にリュウガはマナの両脇に手を入れて持ち上げ、ケビンが受け取って膝に座らせる。
「つべこべ言う前に俺からも教えて貰いたい事があるんだ。アルフレッドさんは…なんでこの子を手放したんだ?元はそこから始まったんだろ?」
名刺に書かれた名前を言うとコーラルはケビンの発言が冗談では無いと感じていた。
「マナは…自分は産まれて直ぐに孤児院の前に置き去りにされてたって話してくれた。桜の代紋が彫られたこの指輪と一緒にな。」
マナの小さな左手を持ち上げ、グローブがピンク色の指輪を包む。
「それでマナは自分の親が何処かにいるって信じて生きてきた。だからなんとしてでも知りたいんだ。この子の親は誰なのか?そもそも何故手放すような真似をしたのかと…。」
【4】
ケビンは逆に聴取するような口振りでマナのお腹を抱えた。
時折視線を向けて頭を撫でる姿は父親そのものだ。
コーラルはそっと俯いて目を閉じる。
「…良かろう。もうキミに打ち明けても良いタイミングかもしれないな。」
「…!副司令アンタ…!」
「構わんさ。この先彼と対面しても何れは教えられるからな。」
コーラルの目を見てケビンはマナの左手を下ろした。
その小さな手をコーラルは離さないように握り締める。
「全ては六年前に起きたある事件が発端になった。ホワイトヒルズにある我々の官舎で一人の女性が殺害された。」
空いた右手が上着の懐に入り、一枚の写真を取り出す。
写真には赤ん坊を抱える女性が写っていた。
前に垂れた髪の毛をカールし、優しい眼差しでカメラを見ている。
「被害女性の名はカルラ…カルラ・プレスリー・ジョルシュだ。」
「えっ!?」
マナがケビンの膝の上で驚いた。
自分と同じ姓の女性の死に。
「…事件が起きた時、司令官は重役会議で留守だった。帰宅したらもう亡くなっていたらしい。部屋の中は血の海になっていて…奥様はベビーベッドの脇で倒れてたそうだ。」
―ベビーベッドの脇。
どうしてその場所にいたのかをケビンは検証出来た。
自分を犠牲にしてまで我が子を守ろうとした親としての判断を下していたと。
「まさか…アルフレッドさんはそれが原因でマナを?」
柔らかな黒髪を撫でながらケビンは次の言葉を待つ。
コーラルは写真を懐に入れると瞼を覆う仕草を見せた。
「…我々も最初は反対したんだ。仮にも警察組織の令嬢たる子供を手放す真似等起こしてはならない選択だと。だが司令官はこう言われた。“私にはもう…親としての資格はない”とな。」
マナが泣きそうに瞼を擦り、ケビンはエルザに抱っこしてくれと手渡す。
「司令官は長年…自分の判断を悔やんでおられた。どんなに時が過ぎても…お嬢様が成長してもこの思いは自分の罪になると。」
「…だから手紙も電話も寄越さなかったのか。自分の存在を知らせない為に。」
それだけ聞くと同情すると同時に一種のネグレクトなのではとも疑った。
敢えて娘の存在を隠して自分は雲の上の存在として振る舞っていた。
自分が可愛いとばかりの罪とも言えるだろう。
「でもよスカーレット、司令官が自分勝手な男だって思うならそれは間違いだぜ。会いに行こうにも勇気が持てない時ってあるだろ?まさにそれなんだよ。」
「…言葉を慎んでくれナカハタ君。」
失敬失敬と苦笑いする本部長にユリウスはヤレヤレと首を振る。
シンメイの癖の強さは説明以上だと呆れている証拠だ。
「…私達が言える事は今はこれが限界だ。詳細を知りたいのなら司令官と直接コンタクトを取るしか方法は無いだろう。お嬢様の養子の件も…聞き入れるには良い機会だろうし。」
話を区切るとケビンは顔の脇から右手を後ろに伸ばした。
リュウガは何が欲しいのかを直感で知り、シガレットを一本渡す。
白い砂糖菓子をケビンは半分まで口に入れた。
「…アルフレッドさんはまだ子供を見限って無いのか?今何処に?」
「勿論ホワイトヒルズだ。ただ会うには少々手続きが面倒だがな…。」
ケビンはシガレットを上下に揺らしながら机の上の灰皿に入れられたルームキーを握った。
「…どうしたケビン君?」
鍵のストラップをブラブラさせてケビンは部屋の窓から外を眺める。
真下に広がる温泉街を眺め、何かが気になるようにキョロキョロし出した。
街の他には自然豊かな山の木が広がっているだけなのに…何か可笑しい。
まるで遠くから見張られてるような感じがして落ち着かなかった。
「…コーラルさん、早くここを出てくれ。」
「何?」
「なんか得体の知れない連中に囲まれている感じがするんだ。それも直ぐ近くにいる。」
姿が見えずとも常人よりも発達したケビンの五感は怪しげな人間を感知していた。
一人、二人、もっと大勢居る。
ユリウスも気になって弟の隣に並んだ。
自分は何も見えないし聞こえないが…胸がザワザワして鳴り止まなかった。
「おいケビン…一体誰が何処に」
兄の呟きがフラグになったその時、真昼の宿の窓に黄色の光が照らされた。
スポットライトの光だ。
「いたぞ!犯人はあの部屋だ!全捜査員突入せよ!」
「おぉ~!」
嵐のような怒号と共に多数の人間が宿に入っていった。
従業員や客を押し倒して彼らはある部屋を目指した。
コーラルも何が起きているのかようやく把握して部下達に命ずる。
「扉の鍵を閉めろ!絶対中に入れるな!」
バタバタと畳を踏む音が響いてキドマルがラビを抱っこして狼狽える。
「ケビンさん何ですか!?一体何が…!?」
「どうやら嵌められたらしいな…連中追っ掛けて来てたみたいだぜ。」
「お、追っ掛け!?」
驚くジャッキーにケビンは大声を出すなと制止させ、シガレットを口に放り込む。
「お前ら準備しろ、逃げるぞ。」
「に、逃げるってここから飛び降りるのか!?運良く着地出来ても見つかるよ兄貴!」
ここは八階建てホテルの七階。
普通の人間なら飛び降りた段階で無傷でいられない状況だ。
そうでなくても物音に察して即御用になるのは確実なのだ。
「逃げ道はここしかねぇんだ。強行突破するしかないだろ。」
「だからって無茶ですよ!向こうは武器持って抵抗してきますって!」
だがそのタイミングで部屋の扉がバーンっと大きな音を立てた。
「オラァ開けろ!いるのは分かってるんだぞ!」
警官数人が必死に扉を押さえるが相手はバンバンっと激しく扉を叩く。
借金の取り立てにきたヤクザよりもタチの悪い脅しだ。
いつブチ破られても可笑しくない程に扉が激しく叩かれてる。
「ふぇぇぇん…ママ怖いよぉ…。」
この事態にとうとうマナが泣き出してしまい、エルザは抱き締めて背中を撫でる。
同時に窓のサッシ目掛けてバンッバンッと銃声も聞こえてきた。
エルザはマナの背中を擦りながらケビンの名を叫んだ。
「もう仕方無いわ。窓から逃げましょう。」
「えっ!?マジかよ姐さん!下手したら御用になるって…」
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろヘタレ!空気読めやアホ!」
止めようとしたジャッキーの腰に足蹴りを見舞わせながら窓枠ギリギリまで接近する。
銃声の雨は止まず、窓の外側には無数の黒い斑点模様が描かれていた。
「…しょうがねぇな。キド、行くぞ。」
「えぇ~っ!?やっぱり!?」
【5】
リュウガも死ぬのを覚悟してメディカルサックを背負い、キドマルも兄から受け取った荷物を手に抱える。
ガデフはジャッキーを抱え、ラビが反対の肩に登る。
「へっ、牢屋に入るのも久方ぶりかもしれんわな。」
『…そんな事言っても和まないですわよ。』
部屋の扉を蹴破りそうな音が激しくなり、コーラルは拳銃を取り出してユリウスに振り向く。
「コーラル君も逃げろ、連中は私とナカハタ君が引き付ける。」
「あたぼうよ、目の前で子供泣いてるのスルーしたら警察の恥になるだろうぜ。早く行きな。」
当たり前だとユリウスは頷いて弟の隣に立った。
「…責任取れよお前。」
「分かってるさ。融通聞かないのがちい兄の良い所だからね。」
弟に笑いかけながらユリウスは腰のホルスターを開けて拳銃を取り出した。
窓を開けると銃声の他に火薬の臭いまでした。
いつ狙撃されても可笑しくない状況でユリウスは銃口の狙いを定め、引き金を引く。
「いたぞあそこだ!」
「撃て!撃ちまくれ!」
市民を守るべき警官があろう事か同僚に発砲してきた。
しかしユリウスは飛んできた銃弾を全て撃ち抜き、精密な射撃で警官を返り討ちにする。
「おいおい!撃って良いのかよアンタ!?」
「大丈夫だ死なねぇよ、“俺の弾”ではな。」
非常識な姿をツッコまれながらユリウスは弾を補充して地面に向けて放った。
すると銃弾は破裂して不気味な黒い渦に姿を変えた。
「行くぞお前ら!遅れるなよ!」
先に行くぜとユリウスが飛び込んだ渦をキドマルとラビは驚いた顔で見つめる。
「な、何ですかあれ!?」
『ブラックホール…の類いにも見えますわね。』
そうしている間にも扉をこじ開ける音が大きくなり、ケビンは舌打ちしてコーラルに振り向く。
「コーラルさん…すまねぇ。」
「フフ、キミが言うような台詞でも無いだろう。それより早く行け。」
頷いて返すとケビンは腹を括るのも承知で
窓から飛び降り、ブラックホールに吸い寄せられた。
「あ!待てよ旦那!ほら親分急げって!」
「何言うとるんやアホ!そないやったら下りろや!」
「おっちゃん声デケーよ!見つかるだろ!」
『もう手遅れですわよ坊っちゃん!あ、エルザ様そこ持っちゃ駄目ですってぇぇぇ!』
そこから先、残された仲間はもう自棄糞になって窓から飛び降りていた。
まずはガデフがこの野郎とばかりにジャッキーを投げ落としつつ自分も続き、リュウガは紐無しバンジーなんて嫌だと騒ぐキドマルを背中に背負ってガデフを追った。
振り下ろされたラビは走ろうとした瞬間にエルザに耳を掴まれ、荷物同然な姿で断末魔と共に姿を消した。
そして全員が飛び込み、渦が形も無く消滅したまさにその瞬間、部屋の扉がドラマのワンシーンと同じ形で破られた。
大勢の警官が侵入し、シンメイはコーラルの盾になるように前に立つ。
「動くな!逮捕するぞ!」
相手が副司令と本部長なのを理解していないのか、目上の人間に彼らは拳銃を向けた。
その列の後ろからは色黒の男が現れる。
「これは何の真似ですか?ドディ警視。」
呼ばれた男は笑って手を後ろに回す。
「副司令には悪いですがご勘弁を。我々は職務を遂行しにきただけですよ。この部屋にケビン・スカーレット・ギルクという男が潜伏しているとね。」
シンメイはヘッと鼻で笑いながら眼鏡をクイッと直す。
「そんな奴聞いた事ねぇな?いたとしてもリストには乗ってない人間だろ?何やらかしたって言うんだ?」
グスタフは無言で銃口を向ける。
「惚けるな。お前らが奴を匿っているのは掴んでいるのでな。」
破られた扉からは警官が何人も現れてシンメイとコーラル、そして部屋にいた捜査員を囲んだ。
「凶悪犯を匿う者は幹部だろうが潰さなくてはならない。それが司令官からの命令だ。」
命令するグスタフの背後から今度は華奢な女性が姿を見せる。
鼠色のスーツ、お団子のように丸められたアップの髪の毛、カラコンらしき水色の瞳。
「お前は…!」
「案内ご苦労だったよミオルフ君。やはりキミの情報網は的確だったな。」
【6】
裏切り者に敬うその女性を見てシンメイは信じられない顔になった。
見慣れたその人物はずっと音信不通になっていた支部長本人だった。
女性の支部長は降伏する二人の男を見て笑っていた。
「まさかテメー…最初からそのつもりでセントラルに行ってたのか?」
「…さぁね。私はただ応援に行っただけの話よ。」
シンメイは怒りで頭が真っ白になり、警棒をテトラに降り下ろそうとした。
だがその武器をグスタフは軽々と押さえ付けた。
「あら?誰が殺して良いなんか言ったかしら?」
「世迷い事を申されますな支部長。どうせならコイツも引き抜きしても良かったのでは?」
テトラは顔の上半分に影を落として笑う。
「ごめんなさないね。彼、私の好みじゃないの。ただしつこいから相手してやっただけの間柄よ。」
その心無い言葉を聞いたシンメイの瞳から光が消えた。
それは自分の知っている彼女なら絶対に口にしない言葉を出したからだ。
「テトラ…この裏切り者がぁ!」
シンメイは警棒を持つのと反対の手で拳銃を握ったが同じタイミングで腹部に拳がめり込んだ。
グフッ、という喘ぎと共にシンメイは前のめりに倒れる。
「ナ、ナカハタ君!」
コーラルは駆け寄るもグスタフの部下に羽交い締めにされて身動き出来なかった。
「では副司令…貴方には罪人を匿った罪で聴取作成してもらいますよ。」
自分よりも低い役職の男に歯向かえず、コーラルは部屋から連れ出される。
下手に抵抗したら目の前でシンメイが殺されるのを恐れたからだ。
グスタフは部下を先に行かせ、自分はシンメイの体を担いで退室する。
「ミオルフ、後始末は任せるぞ。」
畏まりましたと男達が居なくなったのを見てテトラは部屋の窓から外を見た。
外の向こうへ広がる森を見ながら彼女は肩の荷を下ろす。
「…どうやら逃げられたようね。」
目当ての男が居ないのに安心した顔で溜め息を付いた。
開けっぱなしにされた扉を見つめて支部長はスーツの袖の匂いを嗅いだ。
「…鼠ってのも損な役割ね全く。」
自分のスーツを過信にしているのか、回りから見れば何の事を言っているのかは理解出来ない。
それは彼女の本性を現す言葉だった。
宿の外では警官が警官を連行する信じられない光景が繰り広げられ、従業員も客も目を丸くして見守っている。
「何見てんだオラァ!あっち行け!」
一部の客が携帯のカメラで撮影しようとしたので若い警官が怒鳴り付けた。
コーラル側の警官は武器を押収されて乗ってきたパトカーや護送車に入れられた。
車は満杯になった車両から宿を出発し、グスタフはシンメイとコーラルを自分が乗るパトカーに押し込めていた。
「警視。」
グスタフは車に乗ろうとした瞬間に声を掛けられた。
振り向くとそこにはテトラがいた。
「シュバルツ警部補ですが…もうこの付近には居ないようです。」
「安心しろ、そんなのは想定内だ。この山のどっかに隠れてるだろう。探してこい。」
テトラはこの指示に見つけ次第無線を入れると伝え、グスタフは了承すると車に乗った。
彼を乗せたパトカーが走り去るのを見送りながらテトラは胸元を静かに握った。
「シンメイ…私を許して…。」
宿の仲居はその顔悲しげだと感じ、自分等では想像付かない理由が化せられていると思った。
見られているのと気付いたテトラは泣き顔を見せられないと目元を擦って宿の裏側へ走り去った。
【7】
コーラル達が身柄を連行されている頃、市民体育館の十倍は広いホワイトヒルズの空港のターミナルでは飛行機の乗客が各々の荷物を受け取って歩いていた。
空港では帰宅を待つ家族やツアーの添乗員らしき女性もいればこれから飛行機に搭乗するサラリーマンもいる。
出入り口方面に向かう下りのエスカレーター、そこに一組の若い男女が足を乗せた。
男性は三十代前後、コーラルと同じ茶色い系のツンツン髪にサングラス、よれた白衣を身に着けた男だ。
女性は二十代で落ち着いたベイビーピンクのショートとカラコンでも付けているような灰色の暗めの瞳をしている。
男性は黒革のドクターズバッグを手に提げ、女性はカーキ色のリュックを背負って黄色のスーツケースを引っ張っていた。
リュックにはリュウガのメディカルサックと同じ赤十字のマークが刺繍されている。
さっきまで戦地で仕事をして帰国したような格好の二人はエスカレーターを下りると空港ロビーの辺りまで歩いた。
他の利用者が興味本位で眺める視線の先には制服警官が二人立って誰かを待っている。
そこへあの男女が現れ、ビシッと綺麗な敬礼をした。
「お待ちしておりました、Dr.シュバルツ、そしてMrs.ティアモ。」
男は警官の前でゆっくりとサングラスを外した。
「あぁ…待たせて済まなかったな。」
ドクターズバッグを床に置くと中から薄緑の眼鏡ケースを取り出し、中にいれてあった眼鏡をサングラスと入れ替えて掛けた。
眼鏡のレンズの奥では髪よりも濃い茶色の瞳が光っている。
「キミらは…総本部の人間かな?」
「お察しの通り、アルフレッド・ジョルシュ司令官からお二人をお迎えに上がるよう指示されました。」
「え?じゃあ車も用意してあるの?やった~!タクシー代浮くってレオ!」
ベイビーピンクの女性が子供のようにはしゃぐと茶髪の男は静かにしろと人差し指を唇に当てる。
「…彼は?」
「申し訳ありません。今少し立て込んでおりまして…詳しくは本部で直接…。」
立ち話も難なのでどうぞと警官は出口へ向かって手で誘導した。
二人は互いに頷くと警官に付き添われて空港の外に出る。
バスターミナルとタクシー乗り場が併設された一本道を越えて案内された先は空港の駐車場。
平日も休日も車でギッシリに埋まるのはそれ程の利用客多さも表していた。
四人が着いた先は広い駐車場の片隅でそこに白い車が停車していた。
普通のパトカーで迎えに来ると怪しまれるので用意した覆面パトカーだ。
パトランプが屋根に無いのは事件が起きていない、この街が平和過ぎる証拠でもある。
車のトランクにスーツケースを乗せると警官は運転席と助手席に、カップルは後ろに乗る。
車はゆっくり発進して駐車場のゲートまで進んだ。
「我々の迎えはご存じでしたか?」
「あぁ。CAの可愛い子ちゃんが引き止めてくれたよ。でも職員に連絡しなくても僕は弟と電話してたよ。」
「万が一の場合を考慮しての事ですので…そこはお詫び申し上げます。」
紅白の上がり棒が上昇し、車はウインカーを点滅させて公道に入る。
ホワイトヒルズの街は同じ白色のビルが何個も建設されている映画のような近未来都市だ。
クラウンセントラル同様に交通ルートが多く張り巡らされているがここはセントラルと違って観光の都市では無い。
警察の管轄で区切られた閉鎖的なビジネス街みたいな場所だ。
走行する車内で女性が何度も座る位置を直すので男は動くなと止める。
「だって飛行機三時間乗っててこの上タクシーよ、せめてモノレールにしてほしいわ。」
「モノレールだと余計に騒ぎになるだろ。我慢しろって。」
十代の若いカップルに見えるやり取りに捜査員はプフフと笑いを堪えている。
「因みにDr.」
「…シュバルツで良い。」
「シュバルツさん、何処から飛行機に乗られたのですか?」
ギリギリで足が組めるスペースで自慢そうに足組みしながら男は眼鏡を引き上げる。
「昨日からプリピヤに泊まってた。」
「スラムですね。」
「あぁ。あそこは病院が無いから感染症がかなり広がってるんだ。ここ数年で一万人は死んでる。」
【8】
自分でも救える命と救えない命があると言えば捜査員も同情した。
「救える命と救えない命…我々も同じですね。どんなに頑張っても助けてあげられない人間はいる…。」
「…ストーカー見逃してJKとホテルでお泊まりする人間なら特にな。」
カァ~ッと赤面する同僚を見て運転手が鈍い顔になる。
「シュバルツさん、それ司令官に言わないでくださいよ。」
「分かってるよ。ここだけの話にしとくから。」
「あら?私と良くお泊まりしてる男が言えたく…イデデデデ!」
ベイビーピンクの髪の毛を鷲掴みにされて女性は涙目になる。
「…今度余計な事言ったらその口縫い合わすぞ。」
「じょ、冗談よレオ!お願いだからマジで痛いからこの年齢でハゲになるなんて嫌だから…!」
懸命に訴えると男は手を話して桃色の髪の毛がサラリと落ちる。
「すいませんね、ウチの彼女一言多い人間なので。」
「お気にめさらずに。支部長も一言多いお方ですから。」
何気なく呟く同僚に運転手はオイと苦言する。
その短いやり取りで男は様子が可笑しいと首を傾げた。
だが敢えて口には出さずにパワーウインドウの窓辺に肘を置いた。
「それはそうと副司令はお元気か?」
「…。」
「…悪い。それ所じゃないみたいだな。」
何も言わなくても雰囲気で男は察した。
予想外の展開が起こっている事に。
「どうするのレオ?これから。」
「まずはユリウスに連絡取る。そしたら考えるさ。」
「…もう一人の弟さんには会わないの?」
女性の囁きに男は眼鏡を外す。
「アイツはきっとユリウスが保護してくれている。多分無事だ。」
「気不味いとか思わないの?ずっと離れ離れになってたんだよね?」
女性は自分の彼氏に二人の弟がいるのを知っていた。
末の弟が幼い頃に自分らと引き離された事も。
自分達以上に一人で苦しみながら生きてきた事も何度も教えられた。
「…アイツは僕を責めたりしないよ。昔からそうだ。何かあると全部自分のせいにして塞ぎ込んでたから。」
「…そう。」
「だから僕も安心してるんだ。その気持ちが今もあるなら…アイツは会えて嬉しいって必ず言うと。自分は兄ちゃんの事恨んで無いって。」
泣き虫で周りには優し過ぎて…ずっと一人ぼっちだった弟。
その育ちから友達にも恵まれず、家族以外の大人からも貶されてきた弟。
それを見守るだけで何も出来なかった自分を彼はずっと悔やんでいた。
「僕は決めた。これ以上アイツ一人に何もかも背負わせたく無いって。もう世間体とか家柄とかそんなのはどうでもいい。ただ隣に居て見守りたいんだよ。」
一番上の兄として、本来自分がなる筈だった夢を引き継いだ弟を守る。
それが男の新たな使命だった。
その為なら自分の家柄が暴露されても構わなかった。
寧ろ自分達三人がその家の象徴として生きていると世間に公表すれば良いとプラスの方面へ話を進めてもいた。
「お前も着いてきてくれるよな…ベッキー?」
「勿論よ。」
同じタイミングで向けられた男女の小指が絡まる。
「私は貴方が自ら選んでくれた存在だもんね。」
「そうだな。」
二人のやり取りは車の窓から差し込む太陽が静かに見守っていた…。




