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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第五幕・新たなる敵と兄弟の登場~
26/34

おいでやす!嬉しい楽しい全快旅行

【1】


―ホワイトヒルズ・国際警察総本部―

最上階にある警視監の部屋に呼ばれた一人の男は固定電話の受話器を上下にガチャガチャと動かしていた。

片方の手にはPHSが握られ、眉間に皺を寄せて眼鏡のレンズも曇っている。

「……。」

プルル、プルルと通話を空しく待っているPHS。

残念ながら応答は無い。

男は無言で電話を切るとまた同じ番号にかけ直した。

でも結果は同じで相手は電話に出なかった。

「やはり駄目か…。キミの応答なら出ると思って期待していたのだがな。」


上のまた上の存在である上司が残念そうに慰めてくる。

眼鏡の男はPHSを切ると電話の受話器も同時に戻した。

「…向こうには繋げたのか?」

「誰も行き先を知らない処か姿を見ていないの一点張りだ。頼りにはならないだろう。」

舌打ちしながら窓の外を眺める男は振り向かずに呟いた。

「アンタ…本当に彼女を疑ってるのか?セントラルの一連の騒動を引き起こした張本人だって。」

「…。」

「俺は信じねぇからな。確かに彼女は性格はキツいけど警察としてのプライドは俺以上だ。こんな真似する位ならとっくに自首してるさ。」

上司でありながら敬語を忘れて男は追求してくる。

「しかし…何れの事件も彼女の不在に限って引き起こされているんだ。それなら疑うのも尚更だろう。」


男は背広の胸ポケットに折り畳まれていた写真を見つめる。

自分とその想い人とのツーショット写真だ。

自分等は先輩後輩である以前に大切な真柄でもある。

仕事柄で関係は伏せており、知っているのは極僅かな人間だけだ。

「テトラ…。」

信じられない事態に写真を胸元に張り付けて狼狽する。

「なぁテトラ…お前はどうしちまったんだ?どうしてこんな事を…?お前はそんな人間じゃねぇのによ…。」

机に頬杖を付く上司が見守っていたら扉がノックされた。

「リーゼゲイトです。」

「ふむ、入れ。」


扉を開けて失礼しますと頭を下げたのはケビンが電話で会話していた人間だ。

ヨシノと同色の赤茶色の髪の毛をしたシンメイに劣らない美形の男だ。

組織のNo.2とは考えられない若さに見えるがそれは外見で実年齢はかなり年上である。

「確認取れましたか?」

「駄目だ。彼の電話にも出ないなど異常だ。何かあったのは確実だろう。」

コーラルは真下の部下の背中を見つめる。

「いつまで拗ねているんだナカハタ君。」

「…。」

「先程の会話は聞かせてもらった。支部長の無実を証明したいのだろう?ならば直ぐに行動に移すべきでは無いのか?」

シンメイは写真をポケットに戻す。

「勿論私も信じているさ。ミオルフ君がこんな馬鹿げた事件を引き起こしたりしない人だと。だから早急に手を打つ必要がある筈だ。」


シンメイは眼鏡を取って副司令の男の顔を見た。

コーラルの瞳は凜として真っ直ぐだ。

彼の言葉に嘘は無いと伝わってくる。

「アンタ、俺に同情するつもりなのか?」

「違う。私は本気でミオルフ君の身柄を心配しているんだ。だからキミと一緒に一体何が起こっているのかを調べたいんだ。」

シンメイは俯きながらも吹っ切れたのか、眼鏡を掛ける。

「ならコッチは好きにやらせて貰うぜ。」

「構わんよ。私も私のやり方で調べるからな。下手に首を突っ込まなくても良いさ。」

コーラルは安心すると何かの番号が書かれたメモを取り出し、固定電話の受話器を握る。

「…何する気だ?」

「本当は頼りなくは無いが仕方無い。ある男に助っ人を頼もうと思ってな。」

助っ人?と首を捻っていたら総監の男がここで口を開いた。

「私の娘を保護している男だ。」

「えっ!?見つかったの!?」


さっきとは違ってすっとんきょうになった男はツカツカと早足で近寄る。

「てか連絡なんて取れるのか?」

「どうも私達の名刺を手に入れたらしくてね。番号も筒抜けになっているんだ。」

コーラルはメモを見ながらボタンを押す。

通話相手はホワイトヒルズからずっと遠くに離れた場所。

緑の野山に切り開かれた線路の上を黒塗りの列車な走っている。

貸し切りに近い形で列車に乗り込んだ男の携帯がブルブルと振動した。

警察との連絡ツールとして主治医から手渡された物だ。

「はいスカーレット…。」

『ケビン君か?リーゼゲイトだ。』

「コーラルさん…何かご用ですか?」


手荷物を充分置ける広い窓の手前に寄り掛かり、ケビンは天井に描かれた水墨画を見る。

『急な電話を寄越してすまない。実はキミに頼みがあるんだが…。』

「頼み?頼みならコッチが要求言いたいですよ。」

『分かっている。これが済んだら考えているつもりだ。』

ダルそうな顔のケビンをラビが興味本意に観察している。

「…で?頼みって何ですか?」

『…セントラル支局に向かった支部長と連絡が途絶えた。彼女を探して欲しい。』

前に伸ばした足が座椅子の背凭れを蹴り上げる。

「…顔も分からない人間の捜索?そんなのアンタらで片付ければ良いだろ?」

『それが出来るなら苦労はしないけどな。連絡しようにも繋がらないんだ。』


【2】


ゴソゴソと車両の机に広げられた弁当に視線が行き、ケビンは座椅子に腰掛けて通話を続けた。

「個人に連絡出来ないなら支局に直接言えば良い話でしょう?」

『目撃者が居ないからな…こちらではどうしようも無いんだ。』

「アンタそれでも副司令ですか?自分の部下が何人いるか位把握しとかないと駄目ですって。あむ。」

エルザが横から箸でア~ンの催促をしてきたので素直に口を開ける。

『一度数えたら終わるまで何日掛かると思ってるんだ?』

「そんな事してる暇あるならとっとと探しに行ってくださいって、はむ。」

一口食べては電話に戻って口をモチャモチャしながら話すのでモロに通話相手にも咀嚼する音が聞こえていた。

『…というかケビン君。キミ、もしかして食べながら電話しとるのか?』

「正解、んぐ。今ハニーがア~ンしてくれてるの、あむ。」

『私がそこに居たら今直ぐにでも引っ叩きたい気分なんだが…。』


マズい空気になりそうなので全部喉に流し込んでケビンはスンマセンと謝罪する。

「それで何処を当たれば良いんですか?」

『情報はこちらで集める。キミにはその情報に基づいて支部長の身柄を確保して欲しい。早速調べてみるから一旦切らせてもらうぞ。』

ブツンッと通話が切れて携帯を仕舞うとエルザが箸を口の前に持ってきた。

「おい、もうア~ンしなくて良いぞ。」

「ダ~メ、最後にもう一回やって。」

仕方無くア~ンと乗るとジャッキーが突然胸を叩いた。

どうやら飲んでいたお茶が気管に入ったようだ。

「何やってるんだお前。」

「だ、だって…んな目の前でダイレクトアタックみたいなの見たら…ゲホッ。」


衝撃的な光景に参ったのか、咳き込むジャッキーの背中をリュウガが撫でる。

「じゃあマナもア~ンする~。」

「マナ止めとけ。伯父貴今度こそ窒息死するぞ。」

「窒息死しならコイツも注意した方がエエでリュウちゃん。」

太い指でガデフが指した隣にはキドマルが座っておにぎりを頬張っていた。

ガデフお手製の肉巻きおにぎりを笹の葉で包んだ物だ。

「チビ助、水無しでそんな一杯食べたら喉詰まるど。」

「だってガデフさんのおにぎりが美味しくて止まらない止められないんですぅ。」

キドマルはこの勢いで弁当にも手を付けていた。

スキルを開放した反動で一気に胃袋まで大きくなったと本人は言っている。

『やれやれ、これからはマスターの食費でまず一ヶ月分の費用が消えますわね。』

「だとよジャッキー。管理頼むぞ。」


勘弁してよと嘆く相棒に笑うケビンを見てラビは不思議な気分だ。

ケビンはこんなに笑う男だったかなと思って首を傾げた。

机の上に乗って弁当箱の隅っこを漁りながらラビはケビンを見上げた。

『ケビン様…お聞きして良いですか?』

「ん?」

『先程のお電話の相手…コーラル様でしたっけ?顔見知りだと言われてましたが…。』

名刺を見つけた時からさも知り合いの感じで話しているケビンがラビには新鮮に見えていた。

ケビンは余っているおかずをラビに与えながら毛並みを撫でた。

「コーラルさんは父さんが世話になった人なんだ。表向きは殺し屋と警察の関係だけど…父さんから見ればあの人は無二の親友なんだ。」

『親友…ケビン様とジャッキー様の間柄みたいな物でしょうか?』

まぁそうだなと答えれば今度は膝の上に乗ってきた。

『不思議ですね。殺し屋と警察って相反する存在のイメージなのですが…。』


普通に考えてみれば警察は正義、殺し屋は悪のイメージが強い。

アニメで例えるならスーパーヒーローとその敵である悪の組織みたいな物だ。

その真柄で仲良くなるなど本来は有り得ないのだが…。

「ラビ。お前は警察が絶対の正義だって思ってると俺は見てるが…それは違うな。」

黒いグローブをはめた手がフワフワの体毛を撫でる。

「確かに警察は悪党を引っ捕らえるのが仕事だ。でも世の中にはどんな手段を使っても法で裁けない悪党が溢れる程存在している。自分達の管轄でどうにもならなくなった時…最後に頼るのが殺し屋やヤクザの類いなんだ。」

『つまり…同盟のような物を組んでいると?』

「丸めればそうだ。ただ頼りにするならある程度の信頼関係は必ず必要になる。コーラルさんはそれに漬け込んで父さんと接触してきたんだ。情報提供者としてな。」

ケビンは幼心の片隅に彼の顔を焼き付けていた。

コーラルはお父さんソックリだなと自分を褒めていたのが印象に残っている。


「…父さんは提示された人間を綺麗に弔ってその身柄を警察に引き渡した。そっからはコーラルさんがマスコミに報道させて形作ってた。自分らの手柄だってアピールしてな。」

『…複雑な関係ですね。』

後ろ足で顔の周りを掻き毟りながらラビは丸くなった。

「でも驚いたな。暫くぶりに会ったら副司令にまで昇進してたなんてさ。」

『お会いになられてないのですか?』

「父さんが死んでからは疎遠になってたんだ。下手に接触してると怪しまれるし…。」

それにと小さく付け加えたその表情に…ラビは溜まらなく心配になった。

「もう…ギルクの名前は潰えたんだ。だから自分らで何とかしなきゃいけねぇんだよこの先は。」

―潰えた。

結果的に自分は八代目の名跡を継ぐ事は無くなった。

それは父親の名前も存在も一切忘れて生きる事でもあった。

『それは本当でしょうか?』

「…?」

『まだギルクの名跡は消えてはおりません。貴方が生きているからです。』


立ち上がるタイミングでラビは人間に変わり、ケビンの首元に抱き付いた。

手袋の指先が首の刺青に触れる。

『例えその名はもう語らずとも…象徴として生きるべきなのです。私と同じように。』

白くて長い耳の先端が髪の毛に埋もれ、額と額がぶつかる。

「生きるか…お前にそんな事言われるとはな。」

間近で見れば動物だとは考えられない程…人間に化けた存在。

そんな生き物に説教されるのも初めてだ。

「あ、ラビちゃんばっかずる~い!マナもギュウする~!」

耳がそっと離れてラビは元に戻るとマナに飛び付いた。

抱っこの姿勢でマナはケビンの膝元に座る。

『お嬢様…ちょっと苦しいですわ。』

「我慢しろよ。マナの握力尋常じゃないからな。」


座って笑いながら見上げる少女のお腹を支えてケビンも微笑む。

ラビは肩の向こうから横流れする風景を眺めた。

列車は森に囲まれた橋を渡り、その真下には川が流れている。

セントラルの街並みとは全く違う世界に迷い込んだようだ。

『本当に世界は広いですね。こんな自然豊かな土地もまだ残っているとは…。』

顎をピッタリ乗せて初めて見る鮮やかな外の世界に完全にウットリしているラビ。

それを誇示するように列車は森を抜け、更に山の方まで走って行った。


【3】


昼食を食べ終え、ゆったりと過ごすお座敷列車の旅は二時間で区切りを付けた。

夜桜号は速度を緩めて古風な雰囲気の駅に入った。

カラコロ山から郊外へ出る唯一の玄関口“紅葉原駅”である。

因みに紅葉原とはカラコロ山が秋になると紅葉で鮮やかな赤い草原のように美しい光景になる事から名付けられた名前だ。

ここで夜桜号は一度車庫に入り、給油して都市部へ戻っていく。

名残惜しそうに列車に別れを告げながらケビン達は駅の外に出た。

「あ~、腰痛ぇ~。」

ジャッキーはコートを擦りながら背伸びすると遠くに聳える山と目が合った。

「あれが…カラコロ山か?」

「そ。宿はあそこの中腹にあるんだ。まずは麓まで行かないと。」


リュウガがメディカルサックを背負い、リーフレットを広げる。

リーフレットには宿の紹介と麓に広がる温泉街、アクセス法が細かく書かれてある。

宿から温泉旅館までは定期バスが運行しているが駅から麓までは徒歩で行くしか無かった。

「マジ!?タクシー無いのかよ!」

「我慢しなさい。」

世話が焼けるとエルザに頬を抓られるとようやく観念し、あろう事か彼女の荷物持ちをされる羽目になった。

駅の回りはまだ森が広がり、鳥の囀りが聞こえる。

「良い所だな。病気療養には打って付けかもなキド。」

一歩前を歩く少年はビクっとして止まり、広がる木々を見て溜め息を付く。

「そうですね。世界が平和になったら…お母さんも連れて来てあげたいです。」

「せやな。いつかお母さんとまた来ればいい話や。」


ガデフが背中のリュックを叩き、キドマルはありがとうとお辞儀する。

父親の温もりを知らないで育ったキドマルにして見ればガデフはまさに父親に近い人物に見えていた。

「行こうぜ。もう夕方に近いしな。」

まだ太陽は空に昇っているが若干西に傾きつつある。

のんびり歩いていたら直ぐに夕方になるだろう。

駅から温泉街までの道は舗装され、アスファルトになってるが車が通る様子は無い。

でも耳を傾けばタイヤの音が聞こえた。

《この先に大きな道路が通っている感じだな。それなら秘境ってワケでもなさそうだ。》

交通の便が不便な場所から麓まで一行はのんびりと歩いて行く。

やがて木々が途切れ、石の階段を登ると目の前に幹線道路が見えた。

道路を挟んで向こう側には山肌が見える。

横断歩道を渡って向こうに着くと神社の鳥居が見えた。

「あそこが温泉街の入り口だよ。」

「勘弁してよぉ~、もう階段は嫌だぁ…。」


ここに来て駄々っ子オーラ全開のジャッキーにしょうがないとガデフが肩を貸す。

階段では多くの人が下りてきたり上ったりしていた。

多くは荷物を抱えており、観光客だと一目で分かる。

鳥居から更に街へ進むと背の高い建造物は何戸か見える。

「へぇ~、他にもホテルとかあるんだな。」

「うん。値段や人気もバラバラでね。激戦区みたいな場所なんだ。」

人間体のラビが軽やかに先頭を走り、リュウガは弟と妹の手を繋いで三人一緒に登る。

終わりが見えると同時に湯気に混じって硫黄の匂いがしてきた。

「よ~し着いたぞ。」

到着するなやマナが喜んで前に出た。

舗装された石畳の両脇には幾つもの屋台や城の外壁をイメージした建物が並び、お祭りでもやっているように賑やかだ。

まだ夕方前なのに大勢の人で溢れている。

『お嬢様、走ると危ないですよ。』


勢いが付き過ぎて転びそうになったマナをラビは急いで支える。

キドマルも二人の後ろで屋台を見回していた。

食べ物屋に土産物屋、足湯スポットもある。

一日で全部を見て回るのが大変な位に沢山の店があった。

「結構広いわね。人混みもセントラル並みだし。」

「宿泊しなくても観光だけで回る人も大勢いるからだよ。」

ゆっくり散策したいがジャッキーがグチばかり漏らすのでまずは宿に行くのが先だとリュウガは指差す。

「この通りの一番奥にバス停があるんだ。そこから定期バスが出てるよ。」

早速足を早めると切り開かれた広場にレトロな造りのバスが一台停車していた。

既に何人かがバスに乗り込んでいる。

「すいませ~ん、まだ乗れますか?」

リュウガが手を振ると乗客の乗り降りを待っていた運転手が車内の様子を見て帽子を取った。

「えぇ、団体様ですか?八人程度なら乗せてもう出ますよ。」

「良かったぁ。じゃあ乗りますね。」


車内では家族や夫婦連れ、個人の旅行客が乗っている。

自分らと同じようにこれから宿でチェックインするのだろう、皆普段着で荷物を抱えている。

「お待たせしました。バス発車致します。」

運転手が座席に戻ると扉が閉まり、エンジンが作動した。

バスはゆっくりと広場を出て舗装された山道を登り始めた。

バスの窓からは山の下に広がる街とその奥にある森が限りなく広がって見える。

ただ山道なので足元は悪く、バスのタイヤが砂利を巻き込んでガタガタ揺れた。

「うわぁ…乗り心地最悪だぁ。」

「ガデフさん窓開けろ、コイツ摘まみ出すから。」

文句しか言わない相棒にケビンは愛想を尽かし、コートの襟首を掴む。

「わわっ旦那!冗談だってば!」

「ケビンよしな。怪しまれるよ。」


自分らだけならまだしも公共の乗り物では止めろとエルザが釘を刺す。

ケビンも彼女には逆らえないので素直に襟首から手を離した。

「なんや?やっぱりお前奥さんには頭下げるタイプなんか。」

「まぁね…。前の嫁さんにも頭上がらなかったから。」

マリアとの思い出を引っ張り出して胸の筋肉にリングが触れて冷たくなる。

ヒカルが産まれて三人で旅行は何度かしていた。

子供の頃を振り返れば生い立ちが原因で家族旅行などしなかった。

だから余計にケビンも楽しみにしていた。

「そうかそうか、やっぱり尻に敷かれる男やなお前。」

「…喜んで良いの?」

「当たり前やんけ。ワシはそういう男は嫌いじゃないからな。」


妙にテンションの高いガデフを振り切って外を見たら山奥でも目立つような建造物が見えた。

外見はマンションのような白い建物で煙突からは湯気が出ている。

バスは速度を緩めて宿のエントランスに入っていった。

「お待たせしました。お忘れ物の無いようお気を付けくださいませ。」

丁寧に運転手が挨拶すると乗客は荷物を持ってバスから降り出した。

ケビンは他の客が降りるのを待って座席から腰を浮かす。

「行くぞ、荷物忘れるな。」

「OK兄貴。」

『マスター…私いつまでこの姿でいるんですか?』

「取り敢えず部屋入るまではそのままでいて。途中で戻ると追い出されるから。」


【4】


バスを降りると正面入り口では従業員が挨拶していた。

黒いスーツの男性とチェックの浴衣を着た女性が数人。

すると割と年配に近そうな女性があら?とケビンを止めた。

「ねぇ?もしかしてリュウちゃん?」

「あ、はい。」

「わぁリュウちゃん待ってたわよ!どうしたの?家族以外の人と旅行なんて珍しいわね!」

どうやらこの仲居はベテランらしく、コルタス一家が常連客なのも知っているようだ。

「すいません…急にお邪魔して。」

「全然良いのよ!女将さんも板長さんも連絡貰って喜んでたから!さぁほら入って!」

他の従業員がいらっしゃいませと出迎える中、入り口に入ると赤い絨毯が広がる木の空間が現れた。

天井の正面には障子が張られて明る過ぎず、室内には温泉街の地図やバスの時刻表が貼られ、左横のロビーには行列が出来ていた。


リュウガはメディカルサックからファイルを取り出し、ファマドが予約してくれたチケットを手に列に並んだ。

その間にケビン達はロビーの奥のフロアに向かう。

さっきのベテラン仲居も付き添って話の輪に入っていた。

「まぁそうだったの…ご苦労様ね。」

ケビン達が旅人である事、リュウガも訳ありで同行していると説明すると仲居は労ってくれた。

「リュウは良く来てるんですか?」

「えぇ。板長さんとファマド先生は古い付き合いでね…命の恩人でもあるのよ。」

―恩人?

ケビンが尋ねると仲居は思い出すように語り始めた。

「先生達が初めて泊まりに来た時の事よ。板長さんが就いたばかりの記念で特別に招待したの。それでサービスで部屋でマグロの解体ショーをしたんだけど…そこで倒れたの。」

「ホンマか!?大変やな!?」

「救急車が来るまで先生が診察したのよ。そしたらクモ膜下出血を起こしててね…なんとか一命は取り留めたのよ。」


ファマドにしてみれば突然の事態で混乱した筈だ。

だが一介の診療所の院長であり、それ以前に一人の医者でもあるファマドは冷静にその場で対応した。

そのお陰で相手は救われたのだ。

「板長さん色々ストレス抱えててね…助かっても辞めようかなって悩んでたの。でも先生は折角夢が叶ったから頑張って続けろって言ったの。そしたらもう喜んでね…。」

その縁から割引券を自ら送るなど関係が始まったと話したらケビンは成程と納得した。

「如何にも先生らしいアドバイスだな。」

「そうね。今頃はクシャミでもしてそうね。」

エルザが微笑んでいたらリュウガがこのタイミングで戻ってきた。

手にはルームキーが一つだけ握られている。

「あれ?お部屋一つなの?」

「あぁ。親父の奴大部屋で予約してたんだ。多分分散すると金掛かるし…皆で一部屋使う方が楽しいって考えてたんだな。」


ルームキーに刻まれた部屋番号を見てリュウガは何故かニヤニヤしていた。

キドマルも何だと覗き込んでほぉうと呟く。

「じゃあご案内させて貰いますよ。」

仲居の案内で一同は部屋へと向かった。

和風なエレベーターで上がったのは八階建ての旅館の七階。

紫に花柄の絨毯が敷かれた廊下を歩いて一番奥の部屋だ。

鍵で部屋の扉を開け、その先の障子を開くと中はかなり広い。

畳の部屋で机と座椅子とテレビ、ピカピカのトイレと洗面所、窓からは日が暮れ始めた温泉街が一望出来る。

「ここは“雛菊の間”、この旅館じゃ二番目に大きい部屋だ。最高で十人は泊まれるな。」

「凄いわね、差し詰めスイートルームみたいな所か。」

エルザは荷物を放り投げて部屋の隅の襖を開けて中を確認している。

「そうだわリュウちゃん、女将さんと板長さんが是非挨拶したいって言ってたの。今呼んでくるからゆっくりしててね。」

「分かりました。」


それではと仲居が部屋を去るとケビンはようやく安堵して床に座った。

「なんかやっと落ち着いたな…。」

「はぁ~…もう足がガクガクのガタガタだよぉ…。」

『例えが難しいですわよジャッキー様。』

ラビは人間体の姿でケビンの膝の上に頭を乗せてきた。

女将がいつ来るか分からないので元の姿になれないのが少し苦しい。

「ラビ大丈夫か?疲れた?」

『ご心配無く。大分この姿でいるのも慣れてきましたから。』

「ゴメンねラビ。夜まではそのままでいてね。」

キドマルは膝の上からはみ出た耳をそっと撫でる。

「なんか今日は長かったなぁ…こんなに一日で疲れるの初めてやで。」

ガデフは汗を吸ったコートを脱いでハンガーに掛ける。

コートの生地は分厚いので背中がもうグッショリだ。

「リュウちゃん、はよ一風呂浴びせてくれへんか?もう汗掻くのはこりごりや。」


リュウガはサックからシガレットを取り出して一本咥える。

咥えながら時計を見ると既に四時を回っていた。

お茶でも飲もうとポットを探していたら部屋の扉がノックされた。

「おくつろぎの所すいません、入りますよ。」

年配らしき女性の声がした。

あの仲居の声では無いので件の女将だとリュウガはシガレットを噛み砕く。

丁寧に障子が開くと着物姿の初老の女性と白い割烹着姿の屈強な男性が揃って正座してきた。

「本日は遠方から起こし頂いてありがとうございます。私、当旅館の管理責任者を務めます、タチバナ・ミヤコと申します。」

綺麗にパーマが掛けられた鼠色の髪の女性は隣を振り向く。

「それとこちらは料理長のフドウ・マサジであります。お見知り置きを。」

「よぉおじさん、ご無沙汰してるね。」


友達感覚で挨拶するリュウガにエルザは止めろと口を出す。

でも料理長の男は笑って手を振った。

「いえいえ、その子の父親には世話になりましたから。お気になさらないでください。」

体格はガデフに似ているがその笑顔は純粋な子供のようだ。

女将が美しいお辞儀をするのでケビンが代表で目の前に座る。

「この度はすいません…なんか押し掛ける形になってしまって。」

「良いんですよ。ファマド先生のご紹介なら歓迎致しますから。」

こんな辺境にまで名が知れているとは流石だなとケビンは改めて思う。

「それでは今日の夕食のご予定ですが…フドウ料理長が是非貴方達を店に招待したいと申してますがいかがでしょうか?」

ケビンはそうですねとエルザやジャッキーの顔を見つめ、間を置いて振り向く。

「今夜は部屋で食べても良いですかね?こんな大勢でお邪魔すると他のお客様に気遣ってしまいますから。」

「可能ですわよ。お時間は何時に致しましょう?」

「取り敢えず七時頃で良いわ。その前に温泉入ってくるから。メニューは板長の気紛れでお願いね。」


ミヤコが分かりましたと頭を下げ、フドウは割烹着のポケットからメモとペンを取り出す。

「お飲み物はどうなさいますか?」

「取り合えず若者四人はオレンジジュースで…アルコールとかは無いですか?」

「お酒でしたらビールと日本酒が選べます。どちらともこの山の近くで栽培した麦芽と酒米から手作りしてますので。」

「じゃあそれ一本ずつで。」

畏まりましたと素早くメモする。

「追加がございましたら厨房の方にお電話ください。番号は部屋の内線に書かれてますので。」

一通り書き終えるとメモに挟んでいた紙切れらしき物をケビンに渡す。

「それとこちら朝食券になります。宜しければ明日の朝でもいらしてください。」

「すんませんな、色々サービスしてくれて。」

「構いません。私達はお客様に仕えるのが仕事ですから。ではごゆっくり。」


失礼しましたと二人が部屋を後にし、エルザはよしと立ち上がる。

「じゃあ皆でお風呂行きましょう。」

「やったぁ!温泉だぁ!」

マナが待ってましたとはしゃぐのでエルザが宥める。

リュウガは襖を開けて浴衣を取り出していた。

「おっちゃんってサイズLL?」

「いや、キツいから2Lやな。」

「じゃあ兄貴と伯父貴と姐御がLLで…俺がL、キドがMでマナとラビはSで良いな。」

テンポ良く浴衣と帯紐を渡して洗面所からタオルのセットを抱えてきた。

「なんか手慣れてるわねリュウ。」

「まぁここは何度か利用してるからね。部屋は違っても物品は同じだから。」


【5】


それじゃあ行こうかと思いきや、リュウガは何かを思い詰めてケビンの顔を見た。

「ねぇ兄貴。」

「ん?」

「温泉行く前に家に電話していい?ロビーに公衆電話あるから。」

家族旅行の記憶が蘇ったのか、寂しげな瞳にケビンは良いぞと頷く。

「ありがとう兄貴。直ぐに終わるから。」

「ねぇリュウ兄。僕もお母さんと話したいたんだ。良い?」

勿論断る余地は無いとリュウガは自分の財布から小銭を取り出して了承した。

室内用のスリッパに履き替え、着替え片手に一同はロビーに降りた。

公衆電話はロビーの脇のカウンターに二台設置されていた。

リュウガは受話器を取ると小銭を投入し、ボタンを何個か押す。


山の中で電波が通じ難いのではと心配したがコールの音が止んでホッとする。

『はいこちらコルタスドック…』

「あ、お袋?俺だよ。」

『リュウ!?もしかして着いたの!?』

電話の向こうでカリーナが驚く声がこっちまで聞こえてくる。

「うん。連絡遅れてゴメンね。これから温泉入ってくるから。」

『分かったわ。板長さんには会えたの?』

「うん。元気そうだったよ。」

リュウガは通話しながら空いた指で受話器と本体を繋ぐコードを弄る。

『わざわざありがとうね。今ダーリンに代わるから。』

息子からの電話なのは届いており、ファマドはカリーナの背後で通話を聞いていた。

直ぐに代わるとカリーナはその場から立ち上がる。


『リュウ俺だ。電話してくるなんてどうした?』

「驚かせてゴメンね。あれから親父どうしてるのか気になってさ…。」

『あぁ心配ねぇよ。診療所は稼働出来るし車も撤去させて貰ったよ。まぁ多少の借金は膨れたけどな。』

一部が壊れても定休日にはしないとファマドは意気込む。

入り口の修理費を稼ぐ為にも働かないといけないからだ。

『俺と母さんは大丈夫だ。だからお前も気にしないで楽しめよ。』

「うん…分かってるよ親父。あとヨシノさんにも代われる?」

おうよ、とファマドは受話器の穴を塞いでヨシノを呼んだ。

リュウガも同じタイミングでキドマルに代わる。

『もしもし?』

「あ、お母さん僕だよ。元気?」

『元気よ。薬も出してもらって発作も起きてないから。』

キドマルは胸を撫で下ろし、引っ掛かっていた言葉を喉から運んでくる。

「お母さん…僕が居なくて寂しくない?」

『大丈夫よキド。少し寂しいけど…キドが今頃何やってるのかなって想像してると嬉しくなるから。』


電話越しで息子が泣きそうなのを感じてヨシノは笑顔を崩さずに続ける。

『キドも寂しいって思ったら私の事思い出して。貴方は強い子だから一人でも大丈夫よ。』

子守唄のような母親の声に少年は真っ赤になった目を強引に擦る。

「分かったよお母さん。僕…家に帰ったらお母さんを温泉旅行に連れて行ってあげるから。だからそれまで元気でいてね…。死んじゃ駄目だからね…!」

ゆっくりと受話器を戻してキドマルは泣き出した。

まだ別れて一日も経過していないのにもう母親が恋しくなっていたのだ。

リュウガは自分も寂しいのを実感しながらも強気を見せて弟の頭を撫でた。

『ご立派でしたよマスター。』

ラビが動物そのままの姿勢で主人の頬を舐める。

他の客の視線を見計らいながらケビンの手がラビの金髪に触れた。

「キド、後でちゃんと顔洗えよ。男は惚れた女の前で泣くんじゃねぇ。」

『ケビン様、まだマスターには言葉の重みが分かりませんわよ。』


同情しながらラビはキドマルをおんぶする。

これ以上グダグダしてたら怪しまれるので一同はその場から離れた。

柊荘名物の大浴場は旅館の一階、ロビーを出て宴会場を抜けた先だ。

赤と青の暖簾が静かに揺れて客を出迎える。

「じゃあ後でね。ここの前で落ち合いましょう。」

暖簾の間に置かれた長椅子を目印にエルザはマナの手を握って赤い暖簾を潜る。

残りの男連中は青の暖簾を潜って脱衣場に入った。

檜のロッカーが並べられた一般的な銭湯とさほど変わらない場所だ。

夕刻の時間帯なので他の客の姿はまだ見えない。

今なら多少馬鹿騒ぎしても問題は無かった。

「…?」

空いているロッカーを探していたケビンは鏡の横に張られた張り紙に目を落とした。

張り紙には《プライバシー保護の為、着用願います。》と書かれ、その下の篭には黒い布らしき物が積まれている。

手に取って確認するとそれは柄の無い水着だ。

「リュウ、まさかこれ着て入るのか?」

「そうだよ。サイズは選べるから心配しないで。上がったら隣の篭に入れれば良いよ。」


良く見れば篭は幾つもあり、サイズごとにテープが張られてある。

『あの坊ちゃん、まさか私も?』

「当然だろ。早く脱げって。」

ラビは着替えるのに躊躇いがあるのか、服を脱ぐのを拒んでいた。

でも主人の背中を流したい思いはあったので自棄糞になって上着を取り去る。

赤面しながら水着を履くと両手をお尻の部分に当てて何故か後退りした。

「ラビ?」

『だ、駄目です!あんまり…見ないで…ください…。』

しかしこの対処法も墓穴を掘った。

ラビが後退した先には運悪く鏡があり、背中が丸見えになっていた。

件のお尻に関しても詰め物をしているように一部が丸く盛り上がっていた。

ジャッキーは気になってラビの真正面まで来ると両肩に手を置いて鏡を凝視した。

「お前…その丸くなってるの尻尾か?てか尻尾は隠せないのか?」

『無理ですぅ…グスン…うわぁぁん…。』


頭隠して尻隠さずと言った所か。

耳は折り畳めば髪の毛で誤魔化せるが尻尾はどうしようもない。

それに何故変身するとその段階で服を着ているのかも謎だった。

恐らく尻尾が隠せない事を本能で悟り、目立たないように裾の長い服を着た人間をイメージしたのだろう。

『だからこの姿でいるのは嫌なんです…。いつバレるかも分からないし…冷ややかに見られるし…ましてやお風呂なんか大嫌いなんですぅ…。』

いつもの中二病キャラとは一変、迷子のように泣き出したラビ。

ずっと隠していた秘密が明かされたショックが強すぎて混乱しているのだ。

「あぁ、その…悪かったな。無理矢理脱げなんて言って。」

『もう遅いですぅ…。どうせ私の事を所詮は人外キャラだって確立してるから…慰めなんか不要なんです…。』

いや訂正回避、やっぱり中二病キャラは捨ててなかった。

リュウガも自分が責め立てて悪かったと自分と同じ金髪をよしよしする。

人間体時のラビの身長はキドマルよりもちょっぴり低めなので一見すると兄弟と同じだ。

「キド、お前ラビと風呂入ったりしねぇのか?」

「入りはしますよ。でもいつも元の姿のままで入れてるから…。」


それが本当ならキドマルも見抜けなかったのだ。

ラビの尻尾が剥き出しになっている事を。

「ラビ、そんなに恥ずかしいなら戻っても良いぜ。まだ誰にも見られてないし、な?」

ケビンが子供に話しかける様に自分と視線を合わせてきた。

対してラビはぐずりながら耳と尻尾を同時にピクピクさせた。

『ケビン様良いんです。私はこっちの体にも慣れないといけないので…。』

気遣ってくれて感謝すると告げたらお尻がブルッと身震いした。

『キャッ!何するんですか!?』

「なんか…モフモフして気持ち良いぜここ。」

毛玉のような丸い尻尾をくすぐられてラビは顔が真っ赤になる。

『ケビン様駄目です!止めてください!このロリコン親父!』

「それ位の元気があるなら心配無用だな。行くぞ。」

担ぎ上げられ、ラビはキーキー叫びながら運ばれて行った…。


【6】


鼠色の大理石で造られた浴槽は見事な物だ。

白い湯気で包まれた大浴場の窓からは夕焼けの光が入ってオレンジ色のオーロラのようだ。

桶や椅子は木製で木の温もりを感じられ、蛇口からは清らかなお湯が流れる音がする。

「はぁ~、快適だな。」

「僕も温泉なんて滅多に行きませんから気持ち良いです~。」

「ここで一杯引っ掻けたらもっと最高やなぁ~。」

人のいない広い湯船に浸かる男達は極楽ムード全開だ。

夕日が少し眩しいが時期に沈むと考えて体を沈める。

日頃の汚れも疲れもお湯の中で解れてくるようで気持ち良かった。

湯船の奥でジャージャー流れるシャワーの水音にケビンは首を後ろに逸らせる。

視線の先ではリュウガがシャワーを全身に浴びていてた。

「リュウ、入らねぇと冷えるぞ。」

「俺あんまり入るとのぼせるんだよ。兄貴と真逆だからさ。」


因みにシャワーから出ているのはお湯じゃなくて冷水だ。

氷のスキル使いであるリュウガにとって熱は一番の敵である。

だからシャワーも冷水を掛ける方を日頃から好んでいるのだ。

ジャッキーと能力が似ているだけあってそれもそれで体温調節に苦労してるなとケビンは自分に重ねる。

やがてシャワーの音が止んでリュウガが湯船に入ってきた。

水に濡れた金髪が夕日の光に当たって輝く。

「ぁぁぁぁあ…染みるぜ。」

「親父みたいな台詞は止めとけ。お前のイメージが壊れる。」

目を覚まさそうとお湯を掛けたらリュウガは驚いてバランスを崩し、湯船の中に沈んだ。

直後になんとか這い上がり、豪快に咳き込む。

「あ、兄貴酷いっ…ゲホッ!」

肺や心臓に大量のお湯が流れたのでリュウガは湯船の外にそれらを吐き出す。

いつもは逆立てた金髪も崩れてベチョベチヨになっていた。

『あら坊ちゃん、私とお揃いですね。』


夕日が沈むのを眺めていたラビがリュウガに接近して前髪を横に流す。

夕日と同じオレンジの瞳が金髪に重なっていた。

『う~ん、水も滴る良い男とは言葉通りですわね。』

「…お前も一回やられてみろ。死ぬぞマジで。」

ゲホゲホ言いながら段差に腰掛けてラビを膝に乗せる。

するとラビは湯気で曇る室内を見回してあれ?と思った。

『そういえば…ジャッキー様はどちらへ?』

その声にケビンが確認すると自分の相棒は入り口から向かって右へ行った一番奥の壁の前にいた。

それもコソコソしながら壁に耳を当てたり離したりしている。

「…何やっとるんじゃあの馬鹿は?」

「まぁ修学旅行の定番だよね。女湯の覗きは。」

余計な事を言ったとは知らずにリュウガはケビンに頭頂部を掴まれ、沈められた。

ゴボゴボブハァと引き上げるとアウアウ言ってきたので手を離した。

「リュウちゃん生きとるか?」

『介抱の仕方が可笑しいですわよ。』

「同感だね。」


意外な所に変態がもう一人いたので油断出来ないとケビンはこの時思った。

「おい相棒、覗こうとしても無駄だと思うぜ。諦めろよ。」

「爪が甘いね旦那、止めろと言われたら余計にやりたくなるのは男としての鉄則だろ?」

そんな鉄則など聞いた事無いと返しても返答は同じだ。

自分は家族三人で入浴した過去はあり、子供の頃も母親と一緒に風呂に入った記憶はある。

なので今更女性の裸なんぞに興奮は湧かなかった。

「大体お前前科あるだろ?多分向こうも感付いてるぞ。」

「フッフッフッ、未だに夜のお付き合いまでに達していない旦那の目は節穴だな。絶対に感付かれない魔法を俺様は使えるんでね。」

夜のお付き合いと言われてケビンは額に青筋を浮かべるが無謀だと何も言わなかった。

ジャッキーは相棒の変化に悟られずにいざ参ると湯船の中にダイブした。

「あれ?ジャッキーさんが消えちゃいましたよ?」

「ホンマか?何処行ったんやアイツ?」


他の四人はジャッキーが飛び込んだ場所に集まる。

キドマルは息を止めて湯船の中に潜ったがやっぱりいない。

ただ吸水口の付近がゴボゴボ渦巻いていて変だった。

そこで一度顔を上げてケビンに報告するとまさかと疑った。

「うわぁ…俺もう知らねぇからな。」

何の事だか分からずに首を傾げる中、壁一枚隔てた女湯ではマナがバスチェアに腰掛けてシャンプーして貰っていた。

女湯に入浴用の水着は無いのでエルザは上半身を脱衣場に置かれていたバスタオルで包んでいる。

シャワーの湯で泡を流すと自分より少し短めのセミロングの水滴が光った。

「あ~ん、ママ痛い~!」

「駄目よ。ちゃんと拭かないと冷えるからね。後でドライヤーするから。」

タオルで拭くとマナは暴れ出したがエルザは迷わずに押さえ付ける。

何とかして拭き終わるとバスタオルを取ってマナと座るのを交代した。


男連中とは違い、エルザの腰や胸回りに筋肉はそれほど付いていない。

でも踊り子だけあって腕や足の回りは引き締まっていてモデルのような体型だ。

バストも大きくてドレスを着たらキャバ嬢にでも見違えそうな外見をマナは羨ましそうに眺めていた。

でもマナの瞳は…ずっと隠されていたお腹回りを見て一瞬固まった。

縦長のお臍の下に不自然な傷痕があったのだ。

「ママ…これどうしたの?」

ボディソープで二の腕を擦っていたエルザの手が止まった。

マナが臍の下、腰の括れの中央に刻まれた真一文字の傷に優しく触っていた。

「あぁこれね…。」

「…ママ?」

いつもと様子が違う事にマナはなんだか不安になってきた。

もしかして…人には言いづらい程の理由があるのではと疑った。

「ママ…もしかして怪我したの?パパみたいに?」


追求しそうなマナの顔を見て踊り子は唇を結んだ。

まだこの年頃では説明しても伝わり難いかも知れない。

けれどもマナはきっと理解してくれる、その可能性に賭けてエルザはマナの両手を包んだ。

「マナ、この事はまだパパには内緒にしておいてね。私とマナだけの秘密にしたいの。出来る?」

うんと頷くのを見てエルザは緑の瞳を潤ませた。

「実はね…この傷は赤ちゃんを産んだ時の傷なの。」

「赤ちゃん…?」

「そうよ。神様が一度、ママのお腹に赤ちゃんを宿してくれたの。でもその赤ちゃんね…産まれて直ぐに死んでしまったの。」

「えっ?」

マナはただ驚いてエルザを見上げた。

産まれて直ぐに手放された自分にとって赤ん坊の死がどんなに悲しくて辛いかは良く理解できる。

それにエルザはとにかく子供に優しいのでその分のショックも他の人より何倍も強い事だってマナには分かった。


「ママは辛かったの。折角産まれたのに神様が無理矢理奪ってしまって…一杯泣いたの。それから神様はママに赤ちゃんをあげなくなってしまったのよ。」

頭の中に赤ん坊の泣き声が響き、自然と涙が溢れてくる。

守ってやれなかった、助けられなかったのだ。

自分の命の片割れとも言える小さな存在を。

自分は違う意味では殺してしまったのだ。

「だからママね、マナと初めて会った時にビックリしたの。あの時の赤ちゃんが大きくなって…戻ってきたと思って…嬉しかったの。」

濡れた銀髪の毛先が鼻先に当たる。

我に帰るとエルザは我が子に抱き付いていた。

「それからママは決めたの。これ以上自分の子供は失いたくないって。例え違う血や遺伝子の子供でも…絶対に守ってあげようって。」


【7】


二人しかいない広い温泉に聞こえてくる喘ぎ。

感情が保てなくて泣きじゃくる踊り子の頭にマナはそっと手を乗せた。

「ママ泣かないで…マナずっとママと一緒にいるよ。」

慰めるように手をポスポスするとエルザはより一層涙が止まらなかった。

こんな事で泣いてはいけない。

自分がしっかりしないと駄目だと。

でも頭をフル回転させても涙は崩壊したダムみたいに流れてくる。

「ゴメンねマナ…こんな泣き虫なママで。」

「ママは泣き虫じゃないよ。マナの方がもっと泣き虫なのにママはいつも笑ってギュウ~ってしてくれるもん。だから嬉しいの。ママがハグしてくれると幸せなの。」

だからもう泣き止んでと頭を撫でたら母親はそうねと呟いてシャワーの栓を捻った。

お湯を水に戻して何度も顔を洗うとタオルで強引に拭いた。


水の音が消えるとエルザは泣き腫らした顔でにこやかに笑った。

緑の瞳は充血しているが光は失ってなかった。

「そうだよね。ママが泣いてるとマナも不安になっちゃうもんね。大丈夫よ、ママもう泣いたりしないからね。」

名残惜しそうに傷に触れながらバスタオルを巻き直す。

忘れてはならないが今はまだ思い出す時ではない。

何れ自分の気持ちが整理出来たらケビンにも明かそうと誓いながら。

もう一度温まろうとマナ用の小さめのタオルを巻こうとしたら背後でお湯がドプンと波打った。

何だろうと自分だけ湯船に近付くと誰もいなかった。

「気のせいかしら…?」

何だか変な感じがして怪しがる母親をマナは背後で見守る。

「ママどうしたの?」

「ううん、何でもないから、大丈夫だからね。」

あまり深追いはしないでおこうとその場から二人は離れた。

それからシャンプーしてサッとお湯を浴びて脱衣場へと戻った。


持参した浴衣に着替え、赤い暖簾を潜ると待合場所の長椅子に横たわる人影があった。

「あれ?ジャックどうしたの?」

普段は帽子とコートで素顔が見え辛いがマナは直ぐに自分を狙うナンパ男だと一目で分かった。

件の相手は顔が真っ赤に火照り、リュウガが折り畳んだタオルを団扇代わりにして懸命に扇いでいる。

「何ジャッキー?のぼせたの?」

「なんかそうみたい。」

熱が一向に下がらず、ハァハァ魘される顔は本当に苦しそうだ。

のぼせて自分の体を冷やす事もままならないのだろう。

「エルザ…。」

急に無言だったケビンが鋭い瞳で踊り子を見る。

「先に部屋戻ってろ。俺とジャッキーだけ後から行く。」

「…分かったわ。」

どうも二人だけにしてほしいと遠回しにしてきそうな口調なのでエルザは迷わずにマナの手を握った。

「兄貴大丈夫?俺いなくて。」

「少し引っ叩けば起き上がるさ。」

『ではお二方が戻るまで食事はお預けにしておきますわね。』


ラビが丁寧にお辞儀してその場を後にし、リュウガらも後に続く。

ガデフだけは戻るのに躊躇ったがケビンの気持ちを優先してその場を後にした。

足音が消えるのを確認するとケビンはジャッキーの額に手を当てた。

「…良いぜドラグーン。」

相棒の精神で眠る水のドラゴンが吼えて掌がシュワシュワ音を立ててきた。

真っ赤に染まった頬と額から熱が引いてきて肌の色も戻ってくる。

「どうだ?目覚めたか?」

「…まぁな。」

額から手が自然と本人の手と繋がれる。

「…で?見えたのかよ?」

「あぁ、チラッとだけどハッキリな。」

そう、ジャッキーはドラグーンの能力で水に溶け込み、吸水口から女湯にこっそりお邪魔して衝撃的な事実を知ってしまったのだ。

―エルザが過去に子供を産んでいた事を。

そのまま覗きを忘れて呆然とし、ドラグーンに無理矢理連れ戻された訳だった。


そして男湯に戻ってきたジャッキーは完全に茹で上がり、リュウガに介抱される形になった。

その状況でジャッキーはケビンにだけ真相を伝えたのだ。

エルザの事を誰よりも愛する彼にだけは…伝えなければいけないと本能で悟って。

「…本当は姐さんに色々聞きたかったんだ。お腹の子供に父親はいたのか?今どうしてるのか?そもそもいつ妊娠なんかしたのかって?でもそんなの恐くて聞けねぇよ。それで姐さんがまた泣くのが…。」

正直ジャッキーが一番驚いたのはそれではない。

エルザが…ケビン以外の男を好きになっていた事だ。

確かに少々勝気だがあの美貌に惹かれない男など存在しない。

でもそれが捻じ曲がって逆に彼女を男嫌いにさせてしまったのだろう。

「でも考えてみれば本当の事だよな。だって俺様も…ぶっちゃけ姐さんの事好きだもん。」

「…。」

「本当は旦那も俺様の事憎んでるだろ?恋のライバルとして。」

「…多少はな。」

だって初対面から恋人みたいなアピールをしていた位だ。

腹が立つと同じ程に羨ましかった。

結果的に自分に惹かれたのを見届けて手を引いたが諦めていないのは薄々感じていた。


「…ジャッキー。」

ケビンは重い口を開いて相棒の手を頬に当てる。

「お前諦める気なんて無いだろ?何が何でも彼女を自分の物にしたいって。」

悔しいが本音はそうだ。

ジャッキーは怒られるのも承知で首を縦に振った。

「マフィアの連中って綺麗な女がいたら直ぐ引っ掛ける奴ばかりなんだ。俺様も過去に女は何人かと付き合った経験はある。でもどいつもこいつも自分が可愛いって思ってる馬鹿ばっかりでさ…心の底から好きだなんて一度も感じなかった。でも姐さんは違った。相手には優しい癖に自分に関しては責めてばかりで…放っておけなかった。こんな謙虚な女は初めてだってガチで驚いたから。」

自分が多少なりとも金持ちなのを知って自分から寄ってきた女性もいた。

でもその類いは目の色で直ぐに金目当てだと判断して突き返してきた。


そんな女性を大勢見てきて中でもエルザは一際違っていた。

どんな相手も可視にしない姿勢がジャッキーに衝撃を与えていたのだ。

「旦那だって気持ちは同じだろ?ずっと昔に自分以外の男を愛してたって言われても…今更捨てる気なんか更々無いんだろ?」

当然だ。

亡き妻と面影がソックリな彼女程魅力的な女性には出会えなかった。

口出しされて腹が立つ事は多々あるけど…それでも隣にいると心が落ち着くのだ。

「だったら姐さんと一緒にいてやれよ。一度惚れた女は何があっても大切にするのが旦那のルールなんだろ?なら守ってやれよ、彼女の事。」

二人の男は無言で頷き、無言でハイタッチを交わした。

同じ女を愛する者同士、何があっても支えてやろうと。

自分達なら必ず出来ると信じ合って。


タッチした手を繋いでケビンは微笑んだ。

「なんか…他人とこんなに熱苦しい約束するの初めてだな。」

「奇遇だね旦那、俺様も同じだ。」

繋がれた手の甲に不死鳥と龍の紋様が浮かぶ。

それは二人の間の強い絆を見せつける様だ。

「でもまだ姐さんには言うなよ。本人、姫だけと約束してるから。」

「…誰が告げ口なんかするかよ。お前こそ余計な事言うなよ。」

分かってるよと手を離そうとして…ジャッキーは最後にもう一つ良い?と呟いた。

「もし旦那の身に何かあったら…姐さんと姫は俺様が必ず守ってやるよ。アンタの相棒として…アンタが大切にしている物を守るのが俺様の宿命だからな。」

「…ありがとなジャッキー。」


ケビンは神様に感謝していた。

自分は良い相棒に巡り合えたと。

ジャッキーなら必ず約束してくれる。

自分が居なくなっても…その命を捨ててまで二人を守ってくれると。

「そろそろ戻ろうぜ。心配してるしよ。」

「だな。」

長椅子からジャッキーの身を起こし、肩を支える。

ズシっと体重が重いがやけに背中がくすぐったかった。

二人は互いに感謝しながら部屋へと戻るのであった。


【8】


部屋に戻ると中居が料理を運んでくれていた。

ラビは言いつけを守って食べるのを我慢してくれていた。

ジャッキーは体の方は心配ないとリュウガに伝え、その詫びとして乾杯の音頭を取ると仕切った。

リュウガ達若手組はジュース、エルザは日本酒、男性陣トリオはビールをコップに注ぐ。

「え~皆さん、ここまで色々ありましたが…こうして俺様達が巡り合えたのは一重に奇跡とも呼べる物でありまして…。」

『堅苦しいですわよジャッキー様。もっと簡潔に言ってくださいませ。』

「そうだぞ覗き魔~!女タラシ~!」

リュウガが煽るとエルザがガラスのコップを割れそうな位に握り、キドマルが真っ青になって止める。

「リュウ兄駄目だって!それ言っちゃ!」

「構わねぇよキド。本人とっくに自覚してるからな。」

「呆れたな。三十路手前で覗きなんぞ、せやから女に恵まれないんやでお前。」


ウッと心に矢が突き刺さるもジャッキーは負けずに咳払いする。

「ま、まぁ!折角我ら八人、こうやって一つのテーブルを囲めた訳ですから!この出会いへの奇跡、そして遅くなったけど旦那の全快祝い、そしてヤングとプリンスの祝賀に感謝して…乾杯!」

「かんぱ~い!」

イエ~イとお互いのコップをぶつけて飲み物を口に運ぶ。

「ハァ~!やっぱ一風呂浴びて冷たい物飲むと壮快だな!」

「そうだねリュウ兄。」

キドマルはコップ片手にテーブルの中央に置かれたカセットコンロの火力を調整する。

コンロの上に置かれた鍋にはすき焼きの具が入っていた。

中居が火力を見ようと言ったがキドマルは自分が調整すると下がらせていた。

「でもすき焼きなんて豪勢ね。」

「まぁ鍋料理は家族団欒の象徴だからな。板長のおっさん、俺達が泊まりにくるといつもすき焼き出してくれるからその普選かもな。」


ある意味ではそのご縁に感謝しながらと二杯目のジュースを飲みながらビール瓶をチラ見する。

あと一年待てばケビンにお酌出来るのにと羨ましかった。

「はい飲んでね。」

「おぉスマンな。」

エルザは鍋が煮込む間に男性陣のコップにお酌していた。

「いやぁ、やっぱりべっぴんさんが一人いると盛り上がるのぉ~。」

「おい親分、もう酔ってるのか?」

顔は赤くないが上機嫌なガデフにジャッキーは自分にもお注ぎしてよとエルザに擦り寄る。

「自分で注ぎなさいよスケベが…チッ。」

「うわ~ん旦那~!姐さんが虐めるよ~!」

泣きながらケビンに頼るとこちらも面倒臭そうに振り払う。

ラビは主人の小皿に生卵を落としながら呆れたように観察していた。

『仲良いですわねあのお三方。』

「だね。確かガデフさん以外同年代らしいからね。」

『ではマスターとリュウ坊ちゃんとマナお嬢様みたいな物ですね。』


例えとしては間違ってはいない。

リュウガ達三人は兄弟分だがケビン達は同期の仲間みたいな間柄だろう。

『ガデフ様はぼっちで寂しくないのでしょうか?』

「だったらラビが一緒にいてあげれば?案外気が合うかもよ。」

キドマルに茶化されてラビは一瞬迷った。

ガデフと自分、そういえば苦労人みたいな面が似ているなと自覚はしていた。

共通点はそれだけだが何かあった時の立会人としてもピッタリだと最近はそうも思っていた。

「はいダーリン、ア~ンして。」

エルザはお酌が終わると今度は煮物を箸で摘まんでケビンの口元に運んでいた。

ケビンはジャッキーとの約束を胸に秘めて素直に受け入れた。

「マナも~!マナもア~ンする~!」

「ハイハイ待ってね。」

エルザは皿をマナに渡し、マナは母親の見様見真似で箸を使う。

「パパ、ア~ンして。」

勿論だとケビンが口を開くとラビは思わず顔が真っ赤になった。

《お嬢様…なんという大胆な行いを…!羨ましいじゃありませんか…!》


ラビの横でキドマルは鍋の具材に火が通っているか確かめ、コンロを火を消した。

「ケビンさん良いですよ。」

「お、そうか。」

早速鍋の肉を二枚持つと卵に絡めてエルザと対面する。

「ほら、お返しだ。」

「もう…大胆な人ね。」

でも嫌いではないと口を開くとジャッキーが背後で唸った。

「ジャッキー…お前邪魔するなら廊下出ろや。」

「おっちゃん止めとけって。流石に可哀想だろ。」

ジュースの瓶が空っぽなのを見てリュウガは内線電話を手にしていた。

「あ、雛菊の間です。オレンジジュース三本とあとウーロン茶無いですか?ある?じゃあそれ二本追加してください。」

常連客並みに注文すると鍋をチラっと見て口元を緩ませた。

「それとうどん玉無いですか?シメにしたいけど…あぁある?じゃあ飲み物と一緒に運んできてください。え、数?じゃあ四玉でお願いします。」


電話を切ると焼き豆腐を皿に持って野菜も一緒に掬う。

「兄貴食べ切って。シメに煮込みうどんにするから。」

「良いねぇうどんとか。僕がやって良い?」

「勿論さ。腕の見せ所だぞ。」

兄貴分に褒められてキドマルは気分爽快だ。

アルコールを飲んでいないのに酔った感覚がしてすっかり上機嫌だ。

向かいのテーブルではマナがケビンの膝に座ってア~ンしてもらい、エルザが横から頭を撫でていた。

三人の周りだけ家族のような雰囲気が漂っている。

リュウガとキドマルは各々の親を思い出して少し涙ぐんでいた。

『大丈夫ですかマスター?』

「うんゴメンね。お母さんの事考えてたから…。」

「俺も親父とお袋が恋しいよ…何故だかな。」


二人の心はこの時点で温かくなっていた。

懐かしさが滲んでホームシックになる一歩手前まできているようだ。

「おう!な~にへこんでるんやお前ら!もっと盛り上がらないといかんじゃろ!」

ガデフがいつの間にか背後に現れ、二人の背中を叩いた。

顔が火照っているので酔っている風にも見えた。

『あ~あガデフ様ったら、すっかり酔いどれ親父になってますわね。』

「なんやと?ワシはまだ酔っとらんで、ウィ~っと!」

「いや完全に酔ってるよおっちゃん。俺なら大丈夫だからさ。だから纏わり付くの止めっ」

「男がそない心配症にならんでええやろ!ほら飲んで食べて騒げや!」


怒り上戸なのか、急にお説教されてキドマルが泣きそうなのでリュウガは一旦引き離した。

『ガデフ様、お気持ちは分かりましたから飲み直しましょう。私がお酌しますので。』

ラビが何とかして席に戻らせ、リュウガに手を振った。

「だとよキド、泣くのはもっと後にしろよ。」

思い出に更けるなら今を楽しもうと弟を嗜め、再度盛り上がりの輪に加入するのであった。


【9】


やがて楽しい食事会も終わり、時刻は夜中近くになった。

仲居を呼んで食器を下げてもらい、リュウガは布団を部屋一杯に敷き詰めていた。

『ガデフ様、畳の上で寝ないでください。』

グーグーガーガーと鼾を立てる男の胸をラビが何度も叩く。

ガデフは飲み過ぎたせいか、布団を敷く前に眠ってしまっていた。

「ラビ退きな。埒が明かないから。」

ケビンはジャッキーを呼んでせーのと年長者を布団まで運ぶ。

『すいませんケビン様、私の実力不足で。』

「気にするなよ。お前も少しは肩の力抜いたって良いんだから。」


カーテンを閉ざし、掛け布団を引っ張り出して寝る準備を進めるケビン。

その背中を背後からエルザが優しく見ていた。

そこで気付かれないように浴衣の帯に触れる。

自分のトラウマである妊娠の傷。

一体ケビンはどんな反応を見せるのかと不安だった。

「…どうした?」

目の前に影が出来、見上げると思いを寄せていた男が眼前にいた。

「え?な、何が?」

「惚けても無駄だ。お前…風呂入ってからやけに俺の事チラチラ見てるだろ。」

既にケビンには見抜かれていた。

殺し屋として育てられ、感知能力も人並みズバ抜けた男に誤魔化しは不要だったのだ。

「あ、ゴメンね。その…えっと…。」

返答に迷っていたら数センチギリギリに緋色の瞳が急接近していた。

「ケ、ケビン待って…!流石にそれは近いッ…」


瞬間、ボスッとエルザは自分の鼻が相手の肩に当たる感覚を感じた。

ケビンの手が銀髪を纏めるヘアクリップに触れられる。

「…明日。」

「え?」

「明日こそデートしような。」

ほんの数秒、エルザは沈黙した。

てっきり傷の事を知られていたかと思って安心が半分、この状況で言うのかと呆れの気持ちが半分あった。

「…返事は?」

「い、イエス…。」

自分でも困惑して変な答え方をしたら唐突にキスされた。

キドマルがポカーンとしており、ラビはまだ見るのは早いと目隠しする。

『何があったのでしょうか?』

「さ、さぁな…俺に聞くなよ。」


若手組が困惑する横でジャッキーは眠くなったマナを抱きながら二人のやり取りを見ていた。

マナは彼女の隠していた過去を教えられている。

それでいてケビンには言わないでくれと口止めされているのも知っていた。

《旦那…。》

寝落ちしそうになってはビクッと反応する小さな背中をポスポスしてジャッキーは心配になっていた。

果たして二人が真相を語った時、どんな結末が待っているのか。

エルザが切り捨てるような真似をしてもケビンは諦めないだろう。

《旦那も分かってる筈だ。子供を亡くした気持ちがどんなに辛いのかは…。》

ケビンもエルザが自分を責め立てないように装っていると考えていたらマナが腕の中で唸った。

「姫眠たい?ちょっと待ってな。」


姿勢を崩さない相棒の真横に座ってジャッキーは肩を叩く。

「旦那、姫がもう寝ちゃうから休もうぜ。」

「…あぁ。」

いつもみたいに素っ気なく答えるとマナを優しく抱き止めて自分の布団に寝かせた。

因みにリュウガが敷いた布団は全部で五枚。

ケビン達三人は一枚の布団を使い、ラビは姿を戻して主の枕元で寝るからだ。

「ヤング、電気消すから布団入れよ。」

「分かった、お休み。」

「ラビ、頭蹴らないでね。」

『一言多いですわよマスター。』

ラビはホッとして動物体に戻ると枕元でモコモコと丸くなる。

全員が布団に入るのを確認するとジャッキーは壁のスイッチを消した。

真っ暗な室内でジャッキーは自分の布団を探し、掛け布団を持ち上げた。

「旦那お休み~。」


軽快に言って布団に入り込み、そっと横を見た。

ケビンとエルザは慣れた風にマナを自分達の腕で包んだ姿勢で眠りに就いていた。

出会った頃はケビンが一人で、エルザが合流してからは彼女が自分から添い寝していたが三人一緒で寝るようになったのはつい最近だ。

何がキッカケなのかは自分は知らない。

でもマナが嬉しそうな寝顔をしているのでそれはそれで良い事だとスルーしてきた。

きっと彼女は欲しかったのだろう。

“親”と呼べる人間の温もりが。

それで一歩ずつ…三人が家族として成長しているのが見えていた。

《旦那…あんまり無理するなよ。本当に辛くなったら俺を頼れよな。》


心配し過ぎて寝不足になると思い、ジャッキーは布団を被った。

山の木々が風に揺れる音が窓から入り、静かに夜は流れていく。

このまま何も起きずにのんびりした日々を過ごしたいが…現実はそうはならない。

でも今この時はケビンを楽にさせてあげようとジャッキーは思っていた。

《明日は旦那をちょっと自由にさせてあげるべきだな。見守るか…。》

折角の親子水入らずの時間を邪魔するべきではない。

静かに見送ろうとジャッキーは夢の世界に入っていった…。

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