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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第四幕・微かな絆に集いし七人の戦士~
25/34

繋がる手と手!泣き虫リーダーと七人の仲間

【1】


クラウンセントラルの中央に建設された巨大な塔。

この塔の名前は《スカイハイトール》。

街のシンボルであり、観光や団体旅行でも多くの客が一度は足を運ぶ目玉スポットである。

内部はセントラルの資料館みたいな内装で他にもレストランや土産物屋、最上階は展望台になっている。

そして展望台のそのまた上にはテレビのアンテナみたいに鉄骨が張り巡らされている。

普通の人間ではまずそこまで行こうとは普通考えない。

そう、普通じゃ無い人間を除いてだ。

「キュルルル…。」

鉄骨の上に止まる小鳥を嘴であやす大きな鳥がいる。

朱色の美しい羽を綺麗に折り畳み、親鳥のように見守る鳥。

その鳥の羽毛を撫でる人間もいた。


涼しい風がその人間の髪を横に流す。

体中の熱が一気に冷めそうで彼は手に息を吹き掛けて温めた。

どうせならコーヒーでも買ってくれば良かったなと思いながら街を静かに眺めていた。

車のクラクション、電車の発車ベルの音、飛行機の轟音、舟の汽笛。

色々な音が耳に入ってくる。

「キュイイ?」

傍らに座る不死鳥が嘴で肩を突いた。

戻らなくて良いの?と訴えるように。

「フェニクロウ…。」

掌を出すと犬猫が舌で舐めるように嘴でツンツンする。

「俺…一体どうしたんだろうな?なんであんな事になったんだ?」


彼がこんな場所にまで来た理由は一つ。

―そう、逃げてきたのだ。

恐ろしい夢を目撃してしまい、自分がコントロール出来なくなって無意識に飛び出したのだ。

「俺…もう駄目かもしれないんだ。本当に自分が無くなりそうなんだ…。」

風が襟足を揺らして刺青に触れる。

「このままじゃ本当に悪魔になるんだよ俺…。」

誰も居ないけどケビンはそう叫んだ。

見失う事への恐怖だけが膨張して破裂しそうなのだ。

かじかんだ手でケビンは胸のペンダントを握った。

「マリア…俺やっぱり無理そうだよ。お前との約束…叶えられそうにないんだ。」

手も背中も寒くなって凍える主をフェニクロウは張り付いて温める。

「ゴメン…ゴメンな…マリア…。」


まだ街中が人で溢れていない早朝。

無人の大通りをのしのし歩く狼は地面の匂いを嗅いで首を傾げていた。

「匂いがしない…?」

バウバウと吠える狼の毛並みを撫でるとヴォルフは尻尾を振る。

「どうなのリュウ兄?」

「…探せないようにフェニクロウに頼んで移動したんだ兄貴。それで地上に匂いが残ってないんだ。」

こんな手の込んだ移動法を使うなんて余程の理由だと金髪の青年はシガレットを丸呑みする。

「じゃあ何処行ったのか分からないの?」

『恐らくはそうでしょうね。人に見つからない場所…かもしれません。』

ラビはヴォルフの背中に乗り、角をアンテナ代わりにして伸ばす。

だがケビンもフェニクロウの気配も全く感じられない。

『ただフェニクロウが一緒なら高い場所にいる事も有り得ます。』

「高い場所か…人に見つからない高い場所…高い…」

―場所?


キドマルはアッとして街の奥を見つめた。

他のビルよりも頭一つ分突き出た高い場所。

「ねぇリュウ兄、もしかしてアソコかな?」

少年はビルが両側に並んで出来た花道の奥を指差す。

一際ノッポな塔のような建物にリュウガも釘付けになる。

「そうか…あの場所か!」

「おいおい、二人してどうしたんや?」

ガデフは突破口を見つけたのかと少年を振り向かせる。

「ケビンさん、もしかしたらスカイハイトールに居るかもしれません。」

「スカイハイ…?」

「スカイハイトール、クラウンセントラルのシンボルマークになっている建物です。」

指差した先にある高い塔を見てガデフはおぉと呟く。

「そうか、確かにあそこなら空から降りても身を隠せそうやな。」


リュウガは腕時計を見て時間を確認する。

一般開園時間まで一時間を切っていた。

「今なら見つからずに行けるよ。もしフェニクロウが塔に登ってたら大騒ぎになるから。」

『そうですわね。ヴォルフ、飛ばしてくださいませ。』

ラビの号令に狼はウォォォと一吠えして走り出した。

「あ、ラビ!そんなに急ぐと怪しまれるよ!」

「手遅れだぜプリンス。アイツがいる時点で怪しまれてるからな。」

ヴォルフは見送られてどんどん先に進んでいく。

流石俊足の持ち主だけあってスピードは尋常じゃ無い。

あれに乗っていると乗り物酔いしそうだなとキドマルはラビが少しだけ心配になった。

「でも旦那の奴…何だってあんな所に?」

「さぁね。でもあそこの展望台からは街全体を一望出来るんだ。多分何か思い詰めて空でも見たいんじゃないの?」


それならケビンらしい判断だとジャッキーは性格を考えて帽子を被り直す。

「それなら急ぐぞ。」

「あ、伯父貴!土地勘無いのに先頭走るなよ!」

俺が案内すると後を急ぐリュウガを見てキドマルも続く。

「ヤレヤレ、世話の掛かる連中ばっかやな。」

「でも良いじゃない。元気があって。」

フフフフと笑う踊り子を見送ってガデフはマナをおんぶすると走ろうとした。

「ん?」

なんだか変な感じがして後ろを振り向いた。

でも誰も居ない。

《なんや…?今誰かがワシらを見てた気が…。》

「おじさんどうしたの?ママ達行っちゃうよ?」


早く早くと急かされてガデフは足を早めた。

でもその予感は当たっていた。

気付かれないようにビルの影に隠れる人影がこちらを見ていたのだ。

姿が消えると懐から電話を取りだして何処かに通話した。

通話を終えると笑いながらその場を去って行った。

何かをしでかすような前触れのように…その時間は過ぎていった。


【2】


風船で彩られたアーチを潜り、規制線を飛び越えた先にガラス張りの入り口が見えた。

入り口の近くの時計は朝の八時半を直前に迎えている。

平日でも余所から来た観光客が訪れる事は多く、ピークの時には長い行列が出来る程だ。

警備員に見つからないように茂みに潜んだヴォルフは塔の上を眺めて尻尾を振った。

丸出しの尻尾を見つけたリュウガが横に座って背中を撫でる。

「やっぱりココなのか?」

『えぇ。微かに人の気配が上の展望台の辺りから感じられますの。』

自分らが来る前なら中には入れない。

それならば展望台の更に上にいる可能性が高かった。

『ただ問題は…どうやって接触するかですわね。あんな高い所…専門業者以外では登るなんて有り得ませんから。』


やっぱり時間を見て中から侵入するしかないとラビが作戦を練りだし、グッドタイミングで全員が合流する。

「ヤング、居たか?」

「うん。」

あそこみたいと指差した先は展望台。

それも地上からかなりの距離がある。

「おいまさか…登るんじゃねぇだろうな?」

『そのまさかですわよジャッキー様。』

恐いが背に腹は代えられないとラビは一言余計に呟く。

「でもどうしよう…考えたら僕お金持ってないんです。」

「しゃあないやろ。今更引き返したら見つかるし…覚悟しとけチビ助。」

『ですが入場料ナシで正面突破は危険です。やっぱり裏から入るしかありませんね。』

ラビはヴォルフの背から降りると角で空気を読みながら裏口の場所を探し当てた。

裏口の扉は手動だがお約束の展開で鍵が閉まっていた。

『駄目ですね…どうしましょう?』


押して駄目なら引いてみろと言うが引いても結果は同じだと嘆いた時だ。

「おう親分、出番だぜ。」

「…どうなっても知らんど。」

ジャッキーにからかわれてガデフは周りを遠ざけると深呼吸した。

目の前の扉に意識を集中させ、拳を握る。

「オラァ!」

寸での一発が決まり、ドッキリ大成功なノリで扉が開いた。

病院みたいな緑色の廊下の奥には幾つもの部屋がある。

ラビは扉の直ぐ脇に階段を見つけた。

『これで上がりましょう。エレベーター使うとバレますから。』

「てかもうバレてると思うけどな…。」

胸に妙な罪悪感を抱きながら一同は展望台へと向かった。


風が強く吹き付ける電波塔の近く。

フェニクロウは毛繕いしていた嘴をケビンに向けてきた。

「キュルル…キュイイ。」

かじかんで真っ赤になった両手が嘴を包む。

「お前…心配してるのか?優しい子だな。」

「キュルル。」

物心付いた頃から自分の影みたいな存在の不死鳥にケビンは微笑む。

翼を広げて飛ぶその姿は刺青の不死鳥その物だ。

「ありがとな。俺ならもう平気だから。」

「キュウウ…。」

フェニクロウはそれでもケビンの瞳が寂しいのを見逃さなかった。

こんなに思い詰めた顔も初めて見ていた。

「お前は余計な心配するな。俺はもう大丈夫だ。一人で居るなんて…慣れてるからさ。人に裏切られたり…捨てられるのは…慣れてるから。だからさ…なぁ…俺は…平気…。」


冷たい鉄骨に黒い痕がポツリポツリと出来ていく。

フェニクロウの赤い瞳には…俯いて涙を流す主の姿があった。

「フェニクロウ…。」

なぁに?と答えるように瞬きするとケビンは片手をペンダントに伸ばした。

「なんで俺泣いてるんだ…?一人でいても寂しくなんか無いのに…。」

風が頬に当たって涙を乾かしていく。

それでも心の中はヒンヤリしたままだ。

「父さんが死んでから一人で生きてきたのにさ…なんで今更になって寂しいと感じるんだ?」

その答えをフェニクロウは知っていた。

ケビンはもう…一人では生きられない。

大切な人達との出会いが彼を変えていたのだから。

今になって切り捨てる真似など出来る筈無いと理解していた。


どう慰めていいか悩んでいた時、フェニクロウは小さな物音を聞いた。

この屋上に入る扉が開く音だ。

展望台からここへ向かうには階段しか無いがそこはスタッフ以外は使用禁止の階段。

職員だろうと身構えたが…直ぐにその翼を納めた。

自分も見知った顔が居たからだ。

でもケビンを驚かせるのは悪いと伝えず、知らぬフリをしていた。

『私達だと気付いてますね…。』

キドマルの頭の上で角を引っ込めたラビが地面に足を着く。

「で?誰が説得に行くんだ?」

「そりゃあ…決まってるじゃん。」

男率の多いパーティの視線は一斉に銀髪の踊り子に向けられた。

「…うっすら予想はしてたけどね。」

「だって姉御言ってただろ。自分が説教して連れ戻してくるって。」


ここまで来たら引き返せないとエルザは腹を括って行くしか無かった。

「分かったわ。リュウ、戻るまでマナと居てあげて。」

そう言って行こうとしたらマナが手を握ってきた。

「ママ…。」

「大丈夫よ。マナはここで待っててね。」

繋ぐだけじゃ駄目なのか、体ごと飛び込んできたのでエルザは頭に手を乗せる。

「心配しないで。パパはマナの事を嫌いになった訳じゃ無いからね。絶対に連れてくるから。ね?」

そうして慰めるとぐずり出したのでリュウガは気遣って背後から抱っこしてあげた。

「姉御行って、後は俺見てるから。」

「ありがとね。」

ようやく足を踏み出そうとしたエルザはそうだと呟いてキドマルに振り向く。

「ラビ、貴方も来てくれる?」

『私もですか?』

「ケビンが戻るにはアンタの中二病染みた説教も必要なの。だから手伝って。」


ラビは迷うも頷いてヒョイヒョイと肩まで登った。

黄金色の体毛がエルザの銀髪と接触して美しい色合いを見せる。

『上手くいきますかね?』

「まぁいざとなったら脅して連れ戻すから。」

顔周りをコチョコチョするとラビは気持ちよさそうにスリスリしてくる。

風が吹き付けて体が持ってかれそうになるが人一倍足腰が鍛えられてるのでふらつかずに歩き出した。

「でもここ寒いわね。ラビは平気?」

『私は見ての通り毛が分厚いですから。エルザ様こそ寒くはないのですか?』

エルザの服装はノースリーブなので腕や脇の下に風が当たりやすくなっている。

でも本人は気にしない様子でラビを撫でた。

「どうせならこのまま熱出してキドに雑炊作って貰うのもアリかもね。」

『…結構ずる賢いですね、貴方も。』


【3】


そんなノリで話しながら二人はケビンと距離を縮めていった。

フェニクロウも頃合いだろうと嘴で首元を突いた。

「…どうした?」

誰か来たのかと振り返った男は…目が固まった。

自分の背後には黄金色の動物を肩に乗せた…一番愛おしい女性がいたのだ。

「…エルザ?」

「ケビン、こんな所に居たのね。探したわよ。」

ラビは肩から降りて真っ直ぐにケビンの元へ走る。

「どうして…?どうしてこんな所に…?」

「決まってるでしょ。皆で探しに来たのよ。」

ラビを両手でモフモフするケビンの横にエルザは腰を下ろした。

「こんな高い場所に来るなんて貴方らしいわね。どう?頭冷めた?」


ケビンは俯いたまま答えない。

エルザもそれを分かっているのか、怒りを見せずに笑顔で見つめる。

「何があったの?朝起きたらパパが居なくなってるってマナが心配してたわ。」

マナの名前を出すと効果は覿面らしく、ケビンは動揺する素振りを見せて口を開いた。

「…悪い夢を見たんだ。」

「どんな?」

「小さい頃に俺を虐めてた人間に囲まれて…頭に血が上ってその人間を皆八つ裂きにした夢…。」

ギュウギュウと抱く力が強くなり、ラビはもがきながら脱出する。

「それで血まみれになった俺を見て…お前らが逃げたんだ。人殺し、悪魔だって…。」

「…。」

無意識に左手が震え、右手で手首を抑える。

「それで目が覚めて…お前とマナの寝顔見て恐くなったんだ。もしかしたら…いつか正夢になるかもしれないって。俺は本当の悪魔になって…何するか分からないって。」


震える左手がペンダントを握り、鎖がチャリチャリ揺れる。

ラビはケビンの膝の間からそっと見上げた。

「俺…お前らだけは何があっても失いたくないんだ。だからあんな夢見る位なら…逃げるしか無いって。」

「…それでこんな所で泣いてた訳ね。」

力を失って落ちた右手をエルザの左手が握る。

「でもケビン、それ本気にしてるの?私達が今更アンタを捨てる真似なんかすると思ってるの?」

「…。」

「だって約束したじゃん。私がマナの母親なら自分は父親になってやるって。二人で育てようって決めたじゃん。忘れたの?」

それは確かに疑った。

でも同時にケビンは恐れたのだ。

自分と一緒ではマナも後ろ指を指される運命からは逃れられないと。

それなら母親だけにした方が良いと判断したのだ。


「…俺と一緒にいればマナは人殺しの子供だって罵られるんだ。俺も小さい頃はそう呼ばれてきたから…マナに同じ思いはさせたくないんだ。」

自分の過去が明らかになった以上は避けられない運命だった。

マナにこれ以上辛い思いをさせるのは自分も胸が痛くなる。

なら一番手っ取り早い方法は自分が消えるしか無いと考えたのだ。

『ケビン様…。』

ここまで無言で聞いていたラビが前足でシャツを引っ掻きながら話しかけてきた。

『…確かに貴方には人殺しの血が流れています。現に貴方の父親は多くの命を葬ってきたかもしれません。でも貴方は反対に正義の為にその矢を放ち、多くの人々を救ってきました。その行為を人殺しと呼ぶなど私は断じて許しません。』

ケビンの左手がペンダントから離れ、ラビの背中に乗る。

『それにマスターは貴方を父親として、兄として信頼を寄せています。マスターは一度愛した人間は絶対に見捨てない主義のお方です。貴方がどんなに突っぱねようとも…マスターは何度だってその手を握ろうとしてきます。』


キドマルの性格を誰よりも知るラビはいつも以上に目を真っ赤にさせて訴えてくる。

『マナお嬢様もその気持ちは同じです。貴方の肉親がどうだろうと…血筋が何だろうと…自分の父親はケビン様だけだと信じています。ですからその思いが現実になっても…貴方を責めたりはしません。』

肉親を知らず、家族の愛を与えられずに育ってきた少女。

外の世界で初めて出会った自分を無意識に信じて…父親のように懐いてきた少女。

その健気な心は簡単には打ち砕けないとラビは自信を持って言ってきた。

『私達は貴方を信じてここまで来たのです。貴方がいなくなれば私達は誰を目標にすればいいのか分からなくなります。ですからどうか…戻ってきて下さい。』

涙腺が緩んできたのか、瞳が潤ってきたのをケビンは見逃さなかった。

温まった右手も出してラビを包み込む。

『私もケビン様がいなかったら人間を許せないままだったんです。貴方の優しさで人間を信じる気持ちを得られたんです。私はそんな貴方が好きなんです。だから離れるのは嫌なんです…。』


珍しく弱腰のラビを見てエルザはケビンの頬に触れた。

「ケビンお願い…帰ってきて。」

「…。」

「私…貴方がどんな人間だろうが構わないわ。貴方に出会えて…やっと男に愛されても良いんだって言い切れる様になってきたの。」

赤い目と緑色の目がそこで重なる。

「私…貴方がいないと駄目なの。貴方の姿が見えないと不安になる位に…。」

ケビンの瞳が少しずつ光を増していき、何か言いたそうとしたらエルザが抱き付いて来た。

「私…私ケビンの事が好きなの。ずっと一緒に居たいの…。」

まさかの展開に驚き始めたら小さく啜り泣く声が聞こえた。

「私はケビンをたまらなく愛してるから…今更他の男なんか見つけたくないの。貴方にどんな事言われても構わない、嫌われても良い、私はケビンと一緒じゃなきゃ駄目なの…!」

ケビンの腕が細い背中に回され、肌寒さを忘れた腕がジンワリと熱を帯びてくる。

「だから離れないで!もう私を一人にしないで!私…もう貴方が居ないと生きられないのよ…!」


ラビは抱き合う二人の間から抜け出し、フェニクロウは大きな翼で二人を包んだ。

完全に姿が見えなくなるとラビは主人の足音に耳を立てた。

『マスター。』

その名前で呼ばれ、少年は無言で頷く。

「僕も同じだよラビ。ケビンさんがどんな人だろうと…僕は受け入れるだけだからね。」

『…でしょうね。それを聞いて安心しました。』

キドマルに抱っこされてラビは安心して頬ずりしてくる。

『私もエルザ様の立場なら…マスターとお別れするなんて嫌ですからね。』

「フフ、僕もそれは同じだよ。」

翼に隠れた二人を見つめてキドマルは羨ましそうだ。

自分もケビンみたいに大きくなったらあんな綺麗な人に出会えるのかなと。

「ねぇラビ。もし僕に好きな人が出来たら嫉妬する?」

『…多分無いですわ。マスターと人生を共にするならそれは私の主になるのと同じですから。』


相変わらずの主従関係優勢の姿勢に少年は呆れながらも笑う。

それもそれで悪くないと心に願いながら。

「じゃあ子供が産まれたらお世話係にしてあげるね。」

『…玩具みたいに壊れますけど。』

「僕が躾けるから大丈夫だよ。」

恐ろしい未来を予知するラビを励まして少年はちょっぴり大人の階段を登ったのだった。


【4】


ヒュウウウと風が無機質な鉄骨だらけの空間を吹き抜ける空の上。

フェニクロウは潮時を見据えて翼を戻した。

エルザは泣くのを抑えてケビンと対面している。

そっと腕に寒さを感じたのか、擦るのを見てケビンは上着のボタンを外した。

「これ着ろよ。冷えるだろ?」

黒い上着を羽織らせるとエルザは赤面して手を掴んだ。

「ケビン…ゴメンね。」

「何謝ってんだよ。悪いのは俺の方だ。」

飛ばされないようにボタンを止めると銀髪に鼻先を当てる。

「俺もどうにかしてたよ。何処へ逃げてもお前らが探しに来るのは分かってるのにさ…それも信用出来ないなんて完全に落ちぶれたなって。」


二人してせーので立ち上がると眼下に広がるセントラルの街を見てケビンは自分が狭い所で塞ぎ混んでたと感じた。

世界はまだ広い。

一ヶ所に閉じ籠ってるのは勿体無いと決めた決意も忘れてたと詫びながらエルザの肩を持つ。

「ケビンさん。」

カタカタと鉄骨を歩く足音に男は優しく振り向く。

「よぉ、心配掛けたな。」

「いえ、直ぐに戻ってくるって待ってましたよ僕。」

自分がプレゼントしたシャツの生地を握ってキドマルは笑った。

「帰りましょう。お母さんもファマド先生もカリーナさんも待ってますよ。」

「そうだな。抜糸しないと出れないしな。」


嘘でも演技でもない正真正銘の笑顔をケビンは見せていた。

それは自分達が知っているいつもの彼だ。

安心したらグゥゥ~と腹の音が鳴った。

「あ、そういえばご飯食べないで出てきたんだ…。」

同情するようにケビンとエルザのお腹も鳴った。

「俺もだな…。」

「やぁね。雰囲気壊さないでよ…。」

『エルザ様も人の事は言えませんわよ…。』

呆れるラビも空腹らしく、キドマルの頭の上で大の字になっている。

「まぁ話は帰ってからしましょうよ。それにリュウ兄達も待ちくたびれてますし。」


自分が入ってきた入り口の近くにはジャッキー達が戻るのを待っていた。

ケビンが来るなや、リュウガはマナにパパだよと囁く。

「パパ!」

転ばないように走ってきたマナをケビンは見事に受け止める。

「パパ、パパ…!」

「マナ、心配掛けてゴメンな。パパもう消えたりしないから。」

よしよしと撫でるとマナは目を真っ赤にして鼻を啜った。

「パパ…マナの事嫌いになってない?」

「嫌いになる訳無いだろ。仮に嫌いでも…パパはずっとお前と一緒に居るからな。」


目を擦って泣きじゃくるマナの額にケビンは唇を当てた。

もう二度と消えない約束と何があっても隣に居るという証として。

キスして前髪を下ろすとクシュンと可愛いクシャミが聞こえた。

「パパ…寒い…。」

背中に冷たい物を感じて震えるマナをケビンはそっと抱き締めた。

「どうだ?温かいだろ?」

「うん…。」

ポカポカと体の芯から熱くなる感覚にマナはケビンと初めて会った日の事を思い出していた。

何かあればケビンはいつも自分を抱いて包んでくれた。

その温もりがマナは大好きになっていた。

「…どうしたマナ?まだ寒い?」

「違うの…パパの匂いがして嬉しいの…。」


モゾモゾと動き回る小さな体を離れないようにケビンは包む。

これ以上手放さないと強く。

胸のペンダントの鎖がキランと揺れて思わず握った。

《ありがとなマリア…お前も隣に居てくれたんだな。》

姿は見えなくても自分はいつも一緒に居る。

あの日の誓いを思い出してケビンは空を見上げた。

「…?」

鼓膜の奥で何か聞こえた。

モスキート音みたいに本当に小さな音。

「…パパ?」

「…少し待ってろ。」

さっきまで座ってた場所へ戻るとフェニクロウが自分を見下ろしてきた。

「キュウイィィ…。」

「お前も聞こえたか?」


どこまでも広がる街並みに特に変化は見られない。

見られないが…なんだか胸がモヤモヤして気持ち悪かった。

《一体何処だ…?この違和感の発生場所は…?》

視覚だけでは駄目だと目を閉じ、聴覚に全部の意識を集中させる。

聞こえてきたのは激しい車の走行音。

とち狂ったように走って…何かに向かっている。

ブレーキなど無視して最初から破壊同然で突破してきた先には…。

《…アソコは!?》

意識が途切れるのと同時に遙か遠くでド~ンと大きな音がした。

何か交通事故みたいな音にエルザも背後に立つ。

「ケビン、今の音って?」

「戻るぞ。」


何か嫌な事でも起きたのか、ケビンはジャッキー達を素通りしてその場から飛び出した。

「兄貴!どうしたの!?」

「待ってよ旦那!」

ただ事ではない様子にエルザはフェニクロウの嘴に手を添えた。

「私達階段使うから先に下りてて。」

「キュウウ。」

その場で大きく翼を広げてフェニクロウは塔から地上へ向かった。

地上でもヴォルフが音を聞いて唸り声を上げていた。

それを怪しく監視する人影に気付く余地も無い程に…。


【5】


支局の爆破騒動が治まり、平和が戻ったと思った市民は旋律していた。

これは何かの前触れなのか。

大勢の住民がある家に見物に来ていた。

大通りを激走するヴォルフは吠えながら人の波を飛び越え、その家の前に着地した。

「うわっ!あ、あれリュウちゃん?」

顔見知りの患者数人が身震いする狼に乗った青年に群がる。

「リュウちゃん戻ってきたな!大変なんだ!」

案内された向かった先でリュウガは唖然とし、ヴォルフも目が飛び出す位驚いた。

コルタスドックの正面玄関にメタリックブルーのスポーツカーらしき車が綺麗に突っ込んでいたのだ。

正面は見事に破壊され、周囲にガラスの破片が散っている。

「なんだよコレ…!?親父達は…!?」


リュウガはパニックになりながらも冷静に家の裏口へ回り、玄関を開けた。

「親父!お袋!」

リビングのソファーに座る金髪の女性が顔を上げた。

隣には赤茶色の髪の女性もいる。

「リュウ…。」

「お袋大丈夫?何があったの?親父は!?」

口を開く前にその奥の椅子から浅黒の腕が伸びた。

「親父!」

ソファーからゆっくり起き上がったファマドの顔にリュウガは驚いた。

左頬にガーゼ、左腕に包帯が巻かれていた。

「どうしたの親父…?その怪我…?」

「何でもねぇ。ガラスで切っただけだ。それよりギルクの野郎は見つかったのか?」

ファマドは何事も無かったかのように淡々としている。

リュウガは返答に答えるもそこで違う場所に目がいった。


視界に飛び込んできたのは家の固定電話だ。

留守電ボタンが点滅しており、メッセージが入ってるのが分かる。

リュウガは父親に振り向かずに留守電ボタンを押した。

《メッセージは五件です。》

ピーッと音がして録音が再生される。

《あの~、コルタスさん?お宅誘拐犯匿ってますよね?命が惜しかったら自首してくれますか?》

《おい出てきやがれ税金泥棒!殺人犯出しやがれ!》

《いい加減にしねぇとヤクザ連れてくっぞボケ!》

《居るのは分かってんだよヤブ医者!ドアホ!白人外人種!》

《自首しねぇならお前の家族を月に変わって皆殺しよ!》

全部の録音を聞いて履歴を確かめるとそれは意外な番号だった。

『リュウ坊ちゃん!一体何がどうなって…』

「リュウ兄!」

駆け付けた二人の弟達は揃って電話の履歴を覗いた。

「あれ?この番号…ひょっとして…!」


やがてマスコミのように市民が見守る中、診療所に集まったケビン達は驚愕の事態を知らされていた。

開業間近になって例の留守電メッセージが電話に入り、イタズラ電話と思って掛け直そうとしたら車が診療所の玄関に突っ込んできたのだ。

ファマドは受付にいたカリーナを庇い、飛び散ったガラスで頬と腕を切っていた。

ケビンとフェニクロウが聞き付けた例の音は車が突っ込んだ音だったのだ。

しかも問題はそれだけでは無かった。

「なんやて!?あの留守電の連作先がセントラル支局の番号やと!?」

「間違いねぇ…電話帳で確認したら一致したよ。」

ガデフは腕組みしながら唸る。

「何考えとるんや?警察がこない脅迫みたいな事して。」

「もしかして…支局の爆発を私達がしたって誤解してるんじゃ?」

『その可能性は低いですわね。少なくとも実行犯の顔を目撃した捜査員はいる筈ですから…見間違いでは無いかと。』


じゃあ何なんだと疑えば当てはまる事柄など一切無い。

「それにあの車…何処で調達したんだ?」

「あのタイプのスポーツカーはセントラルで良く見かけます。ドライバー見つけようにもかなり時間掛かりますし…。」

まさに八方塞がりになる中、リビングから診療所スペースへ向かう扉が開いた。

「あ、旦那。何か分かった?」

「まぁな。裁判でも使えそうな証拠が残ってたよ。」

ケビンは運んできた物をテーブルに置く。

手持ち式の赤色灯と数枚の名刺だ。

「車のダッシュボードに入ってた。あの車は恐らく…支局の覆面パトカーだ。」

「成程…普通の白黒のパトカーだと警察何やってるんだって炎上するからな。覆面パトカーならパトランプ外せば普通の車に偽装出来るし。」

「でもこんなのが裁判で通るか?パトランプなんざオタク系の店行けば普通に買える代物だ。警察のフリして付けて走った可能性もアリだぞ?」


ファマドはまさか覆面パトカーに家を壊されたなんてと驚きながら怒りだけは堪えていた。

「それなら車本体も充分な証拠だ。ボンネットの下に国際警察のエンブレムが付けられてた。あれは警察車両でも無い限り…一般の車じゃまず付いていない代物だからな。」

パトランプを一旦脇に寄せ、次に名刺を広げる。

ジャッキーやエルザも何枚か取って誰の物か確認する。

名刺の肩書きは《警視》《警部》《警視正》などかなり高い階級ばかりだ。

「ん…?」

物珍しげに名刺を漁っていたリュウガはある名前に注目した。

「兄貴!この名前見てくれ!」

ケビンに見せた名刺の名前。

それは自分達も知っているある名前だ。

「ジョルシュ…。」

名刺の肩書きは《総監》、それもジョルシュという名前の人間は知っている限りでは一人しか居ない。

「まさか…!」

「兄貴…その人マナの親だよ。国際警察のトップ中のトップなんだ!」


まさか、そんなと全員が「ジョルシュ」の名刺に目をやる。

「お、おいおい…こりゃあ大物やんけ…!」

『本当に…正真正銘の令嬢だったとは…!』

「でもマズイですよ…!総監の子供誘拐したなんて…絶対死刑になりますって!」

「まだそうなった訳じゃねぇだろ。そもそもこの名刺だって本物かどうか…。」

―そう、本物かどうかなんて分からない。

でも分からなくても受け入れられなかった。

自分達が一番大切にしている少女の親が…予想外の大物であると。

「姫…。」

輪の隅で一人小さくなっている少女にジャッキーは声を掛けようか迷った。

遂に見つけてしまったのだ。

マナの親に繋がる手掛かりを。

その代償があまりにも大きい事にも。

「旦那…どうするんだよ?」


色々なハプニングが同時に起きてもう頭が混乱していた。

―何故警察がこんな真似をしたのか?

―犯人は誰か?

―そしてマナの親は本当にこの人なのか?

どれから手を付けて良いのか分からなかった。

でもケビンはその名刺ともう一枚、違う名刺を見つけてそれを握っていた。

「…先生。」

「何だ?」

「電話借りて良いか?この人に連絡してみる。」

ケビンはファマドにもう一枚の名刺を見せた。

肩書きは《副司令》、警察組織では総監に次ぐNo.2だ。

「連絡ってお前…出来るのか?」

「俺の記憶が正しければ…この人は父さんの事を知っている。俺の顔も覚えている筈だ。」

ケビンの父親は裏社会のカリスマ。

それは表社会でも充分な威圧を与えていた人物だと言う意味合いがあった。


【6】


上層部としての立場上、話を取り合って貰えないのも分かった。

でも可能性があるなら賭けて見る価値はあった。

「経由で総監に繋げて貰えば良い。とにかく話したい事が沢山あるんだ。」

「あぁ分かったよ、好きにしな。」

ケビンはソファーから立ち上がり、固定電話の受話器を取った。

エルザもケビンを心配して横に並ぶ。

「まさか…本気で直談判する人間見るなんて初めてかもね。」

「まだそこまで漕ぎ着けられないだろ。俺だって緊張してるんだから。」

ケビンは指の震えを無意識に抑え、名刺に印刷された電話番号を押した。

頼った番号は捜査員に支給されているPHSの番号だ。

本部の司令室に直接電話すると取り合って貰えない可能性があったからである。

どうにか繋がって欲しい、最後のボタンを押してケビンは心の中で願った。


プルルル、プルルル、とコール音が空しく聞こえる。

相手も見知らぬ番号なので戸惑う筈なのも覚悟していた。

これが駄目なら自力で何とかするしか無い、四回目のコール音が消えて諦めたその時だ。

『リーゼゲイト。』

「…お久し振りですね、リーゼゲイト警部。」

ペンダントをシャツの上から握ってケビンは静かに話した。

『…正確に言えば私は元警部だが…誰だ?』

「まぁ驚きますよね普通は。けど…“ロッソの息子のスカーレット”と言えば分かりますか…?」

―スカーレット。

二十年前の火事の後、心の奥に封印していたもう一つのケビンの名前。

まさかこのタイミングでまた名乗るなんてと内心嬉しくなりながら。


『ロッソの息子…赤の名を冠したその名はクリムゾン・カーマイン・スカーレット…。もしかして…ケビン君か!?』

「正解。随分とご無沙汰してましたね、コーラルさん。」

電話越しの相手は暫し沈黙し、向こうであぁだのおぉだのと呻く。

『いいやビックリしたな。最後に会ったのは密葬以来だな。』

「…来てたんですか?親父の葬儀。」

『あぁ。ホワイト夫人が内密に連絡してきたんだ。私に断る理由は無かったよ。彼は警察の宿敵である以前に私の宿敵兼内通者兼親友だった男だ。まぁキミはまだ小さいから覚えていないかもな。』

副司令の男は懐かしさを覚えて電話越しでハハハと笑っていた。

『だがキミには苦労を掛けてばかりだったな。結局ロッソを殺した犯人は見つからなくて…時効も迎えてしまって…キミ達家族もバラバラになってしまったからね…本当に済まなかったな。』

脳裏に燃える屋敷、そして崩れて炭だらけの焼け跡を思い出してケビンは目元を隠した。

「コーラルさん。その話はまた今度にしてくれ。それ以上に大変な事になってるんだ。」


ケビンは話題を切り替え、コルタスドックで巻き起こった惨事に説明した。

自分が何故その場所に居るのかという理由も交えて。

『本当なのかそれは?』

「えぇ。俺も何がどうなってるのかサッパリで…。」

『…そう、か…。』

さっきとは違って曖昧に答える相手にケビンの表情が変わる。

「…何か問題でも?」

『…本当は言いたくないんだが…我々はキミがお嬢様を保護しているのを早くに知ってね。それでずっと行方を追っていたんだ。当然クラウンセントラルに居るのも把握してウチの総支部長が確認に行ってるんだがずっと連絡が取れてないんだ。だからそんな馬鹿な真似などしないのだが…。』

ケビンは組織の人間の行動など興味に持たない。

それよりも一番最初の言葉に意識が行っていた。

「…やっぱりマナの事探してたのか。じゃあ父親も近くに居るのか?会わせてくれ。」


コーラルはこの時、ケビンが一番会いたい人間の部屋にいた。

勿論、本人もそこにいる。

だが顔色を伺って首を横に振った。

『…今はまだ無理だ。セントラル支局に連絡を取る方が最優先でな。状況が落ち着いたら機会の場を私が設けてやろう。』

受話器を握る手がググッと絞まり、チッと舌打ちする音をエルザは見届けていた。

「所詮は組織第一なんだなアンタ。」

『違う。組織で無く市民だ。』

「同じだろ。総監の子供は大事じゃ無いのか?どうなんだ?」

『今はまだ堪えてくれ。総支部長と確認が取れたら彼女にも依頼する。それまで身を隠してくれ。』

それではとそこで電話が切れた。

ケビンは受話器を静かに戻す。

『…どうでしたケビン様?』

「交渉決裂だ。今はまだ話せないとよ。」


ラビは残念がってソファーの端で体育座りしているマナの隣に座った。

『…お嬢様。』

なんとかしようとしたがマナは小さな手でラビを邪魔だと振り払う。

『どうするんですケビン様?』

ケビンは無言で名刺を纏めるとそれをファマドに渡す。

「…抜糸してくれ。直ぐにここを出る。」

全員を説得させる程の明るい声に皆が驚く。

「連中の狙いは俺達だ。ここに居る限り先生も狙われる事になる。だから頼む。治療してくれ。」

幸いにも負傷を免れた両手をケビンは握った。

手や腕は医者の命だ。

また襲われて怪我でもしたら彼の人生も堕落する。

それだけは阻止したかった。

「…分かった。カリーナ、あれ用意してくれ。」


コクリと頷いてカリーナは部屋の奥に消える。

そして直ぐに大きな箱を持ってきた。

箱の蓋を取って取り出したのは…カーキ色の大きなリュックだ。

それも赤十字マークが刺繍された…どう見ても売り物では無いリュック。

「リュウ、これは貴方に貰って欲しいの。受け取って。」

リュウガは受け取った品物をまじまじと見る。

すると肩紐の部分に《F・C》と意味合いなアルファベットのロゴが入っているのを見つけた。

「フレデリック・コルタス…お前の曾祖父ちゃんが使ってた形見だ。」

「じぃじの…?」

ならばこのリュックは…曾祖父が所属していた国境なき医師団の支給物だ。

こんな大事な物が保管してあるなどリュウガは知らなかった。

「じぃじが死ぬ前に残して…じっちゃんが危篤になった時に俺に譲ったんだ。コイツはお前の子供にどうか使って欲しいと…遺言付きでな。」


ファマドはリュックを両手で抱える息子と向き合い、肩に手を乗せた。

「俺と母さんで決めてたんだ。お前が自分の夢を探しに行くと決めたらこれを渡そうと。」

そこでリュックの留め金を外し、中に入れてある私物を床に広げた。

ビニールに包まれた白衣、注射器、聴診器、湿布薬、包帯、消毒薬。

他にも滅菌用具に手袋、マスクにタオル、リュウガの大好きなシガレットのカートン。

旅に必要な物は全部揃ってあった。

「白衣はじっちゃんの物を仕立ててクリーニングして…他は俺が一式揃えておいた。後はお前で用意しろ。」

「親父…そんな…わざわざ俺の為に…。」

自分に内緒で両親は計画を進めていた。

自分を見届ける計画を。

「お前なら必ず自分の夢を見つけられる。俺も母さんも信じてるからな。」

亡き父親の白衣を息子に渡して男は子供を抱く。

「それと約束してくれ。お前がこれを広げるのは医者としての立場の時だけだ。戦士として前に立つ時はこれを降ろすんだ。ゲスな人間の血でじっちゃんの白衣を汚さないでくれ。」


【7】


リュウガは白衣を両手に包んだ。

写真でしか見ていない祖父の温もりを身に感じて…涙が溢れてきた。

「ギルク聞いてくれ…お前らを安全に逃がすルートはある程度確保しておいた。後はソッチで支度して欲しい。準備が終わったらまた集まってくれ。」

「分かった。」

顔を上げないマナの頭を撫でてケビンはラビに振り向く。

「ラビ、抜糸終わるまで側に居てやってくれ。」

『YES。』

綺麗な土下座風な伏せで合図するとケビンはファマドに連れられて診察室に向かった。

「なぁカリーナさん。あの車どうするんだ?」

「知り合いのディーラー呼んで引き上げて貰うわ。警察署に電話したけどなんだか繋がらないの。」

「電話線抜いたか切ったりして隠蔽工作かいな…嫌な予感がするで。」


自分達は関係無いと疑いでも作るのか?

でも余計に首を突っ込めば更なる危険があった。

「でも直ぐに出発なら食料も必要よね。お弁当用意するからキッチン借りて良い?」

「えぇ。」

エルザは返事を待たずに自分の家の様に冷蔵庫を漁り始め、キドマルも手伝いますと続く。

「リュウちゃんは?」

「…じぃじ達に挨拶してくるよ。それと俺の私物も取りに行きたいから。」

床に広げた私物をメディカルザックに纏め、一旦ソファーに置くと父親の後を追った。

残されたのはガデフとジャッキー、ヨシノだけだ。

カリーナはひとまず車を片付けようとディーラーに電話している。

「ヨシノさん…これからどないするんや?」

「キドが帰るまではここにお邪魔するわ。一人で家に居ても寂しいからね。」


ヨシノはその場を立つとマナの隣に腰を下ろした。

ラビは母親に近寄って膝の上に乗る。

『マザー、貴方にも迷惑掛けて申し訳ありません。』

「良いのよラビ。貴方やキドが元気でやってれば私満足だから。」

ヨシノはラビの毛並みを撫でながらマナを不安げに見つめた。

子を持つ母親として…マナの気持ちは痛い程伝わってくる。

色々な事を知りすぎてどうしていいか迷っている事も。

「姫…。」

ジャッキーはマナの親が居ない状況に自分の手を握った。

そして何かを決めて…ソファーの外側にしゃがむ。

「姫…お父さんに会いたい?」

YESともNoとも言わずにマナは丸くなるだけだ。

ジャッキーは慰めようと頭を撫でる。

「ジャック…。」


顔を上げない状態でマナは呟いた。

「お父さん…マナの事忘れちゃったのかな?だから会いたくないのかな?」

『…お嬢様。』

マナとジャッキーの視線が合った。

寂しげに啜り泣くマナをジャッキーはよしよしと慰める。

「そんな訳ねぇよ。きっとお父さんも心の準備が終わってないんだ。だから今は会えないと俺は思うぜ。」

ラビも心配して頬をペロペロ舐める。

「親は相当な理由は無い限り…自分の子供を捨てる真似なんてしない。もしそうなっても必ず見切りを付ける時は来るんだ。まぁ全員がそうなるとは限らないけどな…。」

一向に泣き止まないのを見てジャッキーはマナを抱っこし、ラビはジャッキーの肩に乗って頬ずりしてくる。

「でも一つだけ言える事はある。姫のお父さんは…ずっと姫に謝りたい一心で生きていたって。自分のせいで辛い人生しか送れなかったって。その気持ちは持っている筈だ。」


涙で濡れた頬を指でなぞり、その指をラビが受け入れるように舐めた。

「だから姫もお父さんの事を恨むな。自分も会いたいって心の片隅に仕舞っておけよ。」

顔の前に差し出された小指、マナはそれを見て自分の小指を絡めた。

「…良い子だな姫。」

よいしょと床に下ろすとラビも飛び降りてマナにダイブする。

「お前本当に姫の事好きだな。」

『良いじゃないですか。マスターと同じ匂いがして落ち着くんです。』

モコモコと動きながらマナに甘える姿は生まれ立ての子猫その物。

殺戮兵器とは思えない仕草に腰が抜けそうだ。

『そういえばジャッキー様もお嬢様の事気に入ってますわよね。』

「まぁな。」

『まさかとは思いますけど…“恋”とかしてませんわよね?』


なんだか引き気味の質問にジャッキーは逆に胸を張るように腰をに手を当てた。

「当然だとも!なんだって姫が俺様に惚れてるからな!」

『う~わぁ…やっぱりロリコンの一種ですわね。』

「せやな。最低な男の位や。」

「えっ!?え~!?何言ってるの!?良いじゃんかよ好きになっても!?」

ラビに促されてマナはヨシノの元に避難し、代わりにガデフが真剣な顔で対応する。

「ジャッキー諦めろ。百歩譲ってチビ助やリュウちゃんならまだしもお前は一線を越えたらアカンで。」

肩を持つ手が強くなり、骨がミシミシと音を立てる。

「イダダダ!ちょっ親分…本気で砕けるって…!」

「おう!お前みたいな男を抹消しとけば嬢ちゃんがストーカーされるのも治まるからな!どや!頭冷めたかいなアホ!」

「冷めるも何も俺様元から…イデデデデ!ちょっマジで止めてマジで止めて…いぎゃぁぁぁ!」


終いにはプロレス技を掛けられてギブアップする変態スキル使いにヨシノは何故か微笑む。

『マザー、笑っては駄目ですわよ。』

「あらゴメンなさいね。余りにも馬鹿馬鹿しくて。」

ラビはヨシノが笑う理由を理解出来ず、それ以上にジャッキーの馬鹿さ加減に呆れていた。

『やっぱり男程汚い物は存在しませんわね。』

「そんな事言っちゃ駄目よラビ。私のお父さんも女好きだったけど浮気とかは一切しない人だったから。」

予想外の言葉にラビは耳を立て、ピクピクと震わせる。

『どんな人だったんですか…マスターのお父様は?』

「…それはまだ話せないわ。もし帰ってこれそうな機会があったら教えてあげる。」

今は内緒にしておいてねと口を噤むヨシノにラビは分からないが了承したと頷くのであった。


【8】


一時間後。

コルタスドックの住居スペースにはファマドの宣言通りに全員が集合していた。

「よし集まったな。」

ファマドはリビングのテーブルに白い横開きの封筒をまず置いた。

ケビンが代表で封筒を開くと中には電車の切符が八枚入っている。

それも和風テイストな電車のイラストが描かれた切符だ。

「これ…お座敷列車の切符か?」

「実は前々から準備はしてたんだ。お前の治療が済んだら直ぐに前線には出ないでまずは療養が大事だと思ってな。」

封筒と一緒に手渡されたのは温泉地のチラシだ。

「“夜桜号”って知ってるか?乗車賃一人一万円の高級お座敷列車なんだが…予約制で一般の乗客はまず乗れない列車だ。」

「…まさか先生…その列車に俺達を?」


そうだと頷くファマドにリュウガは両親の顔を交互に見る。

「普通の電車だと警察に見つかるが夜桜号なら監視を誤魔化されると思ってな。それに滅多に乗れないからお前らの旅の記念に相応しいと思ってチケット確保してたんだ。」

更に古風な宿のイラストが描かれたパンフレットも提示してくる。

「その列車の行き先はカラコロ山だ。源泉の脈と呼ばれる温泉で有名な山なんだが…その山の頂上に温泉旅館がある。そこに隠れると良いだろう。」

「カラコロ山…もしかして柊荘?」

その旅館の名前にエルザも何かに気付く。

「柊荘って…前に秘境の宿とかってテレビで紹介されてた場所よね。てかリュウ知ってるの?」

「実は親父の昔馴染みの人が柊荘の板長やっててさ、冬になると泊まりに来て下さいって割引券送ってくれるんだ。確かに隠れるには打って付けの場所かもね。」

リュウガは父親が用意した物をA4ファイルに纏めてザックに仕舞う。

「夜桜号の発車は今日の午後十三時半だ。今なら出れば間に合うぞ。」


因みに時計を確認すると現在の時刻は十二時近く。

なんとか準備すれば間に合いそうだ。

「柊荘には俺が電話しておいた。向こうもリュウの顔が見れるって待ってるんだ。支局の連中は俺が何とかするから…その隙にお前はここから逃げろ。」

「親父…。」

金髪の青年はメディカルザックを背負うのを躊躇い、唇を真一文字に閉じる。

「本当に大丈夫?何されるか分からないよ?下手したらもう…会えなくなるかもしれないし。」

ここでヨシノがファマドの気持ちを悟って前に出る。

「リュウちゃんの気持ちは分かるわ。でもここで迷ったらこんなチャンスは二度と来ないと私思うの。やっと自分のスタートラインを見つけられたんだから…無駄にしないでほしいの。」


真後ろではカリーナが涙を堪え、ヨシノはその分の思いも全て受け止めてリュウガの額にキスした。

「リュウちゃんならきっと強くなれるわ。私達待ってるからね。貴方達がまた…ここに帰ってくる日を。」

「お母さん…!」

キドマルは耐えられず、母親に飛び込んだ。

「キド、お母さんなら大丈夫だからね。だから自分の好きなように生きて。もうこれ以上…私の為に頑張らなくて良いからね。」

ケビンは心配するラビを抱え、二人の弟に行くぞと促す。

その声にキドマルは涙を拭いて頷く。

「じゃあお母さん…僕行くからね。」


ヨシノは寂しげながら必死に笑顔を作り、待ってねとメディカルザックの入っていた箱に手を伸ばす。

その中にはもう一つ、小さめのリュックサックが入っていた。

ネイビーに黄色と銀の八芒星のような刺繍が施されたデザインだ。

「本当は駅で見送るのと一緒に渡そうと思ってたからゴメンね。ここで渡して。」

渡されたリュックサックは少し重い。

それもその筈、ケビンから仲間になる誘いを貰ってからいつでも出発出来るように準備はしていたのだ。

「帰ってきたらお母さんに一杯教えてね。自分が体験した事、自分の目で見てきた世界の事を…。」


キドマルはリュックを両手で抱えると指切りを交わし、身軽にそれを背負った。

本来ならこのまま駅まで全員で向かいたいが警察の監視を考え、ファマド達とはここで別れる事になっていた。

「じゃあ先生、俺行くから。」

「気を付けろよ。今回の分はツケに回すからな、払うまでは絶対にくたばるなよ。」

差し出された手でハイタッチを酌み交わす二人。

その姿は医者と患者の立場を超え、親友のように見えた。

ふとラビが窓の様子を探り、キドマルに忠告する。

『ケビン様早く、モタモタしてると囲われますわよ。』

「分かってるよ。行くぞ。」


裏口から全損した正面玄関には回ると人混みは消えていた。

警察も近くには居ない。

今がチャンスだった。

ケビンは振り向くと痛々しい惨状になった診療所に向かって頭を下げた。

―散々世話になった事、そして必ずまたここへ帰ってくる事を誓う為に。

一分位で頭を上げるとケビンは歩き出した。

彼の背後からは命を契った家族も一緒に揃って歩いてくる。

その一歩一歩は…新たな始まりを意味していた。

本当の旅は…ここから始まるのだと。


【9】


平日でも休日でも沢山の人が溢れるセントラルの駅。

懐かしさを覚えながら辿り着いたケビンの姿は駅のプラットホームにあった。

手にはファマドから授かった切符をしっかりと握っている。

その横では人間体のラビが周囲を観察していた。

怪しまれないようにチャームポイントである長い耳は丸めて髪の毛の中に隠しており、それだけ見ると普通の人間と変わり無かった。

『どうやらまだ悟られてないですね。』

「奴等もそんな馬鹿じゃねぇ。こんな所でウロウロしてたら怪しまれるからな。」


奥を覗くと無機質な線路の向こうで光る物が見えた。

同時にオルゴールのような電子音も鳴る。

『間も無く三番線ホームに十三時三十分発、お座敷列車夜桜号・紅葉原行きが参ります。ご利用のお客様は黄色い線まで下がってお待ちください。』

ホームにはケビン以外の客は見当たらない。

観光以外でお座敷列車など普通は利用しないからだ。

「なんだか僕らがほぼ貸し切りにしてますね。」

「だって片道で一万も取られるんだろ?それなら特急使った方がマシだからな。」

「でも良いじゃない。貸し切りなら気遣い無しで好きな事やれるから。」


エルザは両手に抱えたバスケットを見せた。

中身は列車の中で食べようとキドマルと一緒に作ったお弁当が詰め込まれている。

「ほほぅ、エルザとチビ助の合作ならいくらでも入りそうやな。」

「全くおっちゃんたら食い意地張ってさ。我慢出来ないからってここで食べないでくれよ。」

リュウガは吹き抜けで寒がるマナを自分に密着させて温めている。

でも氷使いなので体温は低く、反って逆効果になってそうだ。

「マナ我慢して。乗れば温かいし夜には温泉入れるからな。」

そこでエルザが何かを思い出し、ケビンにねぇと告げる。

「温泉って事は温泉街もある訳よね。だったらそこでデートしよっか?」

「構わないぜ。足湯とかあるからな。」


そうだ忘れていたとケビンは頭を掻き毟る。

退院したらマナと三人で子連れデートしようとエルザと約束していたのだ。

自分としてはセントラルの街を歩こうと考えていたが色々あって完全にすっぽかしていた。

『私…温泉は見た事も無いんです。体に効能があるのは知っていますが…。』

「行けば分かるさ。それと当分はその姿で居ろよ。宿とかホテルってペット禁止の所多いから。」

金髪に埋もれた耳を撫でていたらラビは痛いのか、仕切りに嫌がる。

『私はペットじゃありません。マスターの家族で親友でございます。』

研究所で主が宣言した言葉を代弁し、ケビンの手を握る。

「そうだったな、済まねぇ。」


ゴシゴシと撫でていたらプァァァァと近未来チックな汽笛が聞こえた。

外から到着する側の線路から丸みを帯びた車体がゆっくりと入ってくる。

ボディーは薄い黒で車体には桜吹雪が描かれた芸術品のような列車だ。

「あら綺麗ね。」

「驚くのは早いぜ姉御。中も凄い綺麗だからな。」

夜桜号はテレビの特集でも取り上げられた有名な列車だ。

自分もテレビの知識でしか中は分からないが豪華なのは覚えている。

車体に入り、自動ドアを抜けるとイグサの香りがした。

「うわぁ~、畳のお部屋だぁ~。」


マナは興奮して床に転がる。

まるで屋形船のような優雅な造りに列車であるのを忘れてしまいそうだ。

「スゲェ…ジャッキーの小遣いでも乗れねぇぞ多分。」

「…負けた。」

「何に負けとるのじゃワレ。」

変な言い掛かりを付けながら床に座ると広い窓からプラットホームが見えた。

他の客が興奮して写真を撮ったり指差したりしている。

「なんか客寄せパンダの気分やな…。」

「我慢してよ。発車すれば直ぐに景色変わるから。」

荷物を広い窓辺に置いてリュウガはキドマルに来いよと座らせる。

この街とも暫しお別れなので見納めの挨拶をしたいのだ。

「親父、お袋。行ってくるからな。」

「お母さん、どうか元気にしていてください。」


二人の背中を見てラビもキドマルの横に座り、合掌した。

『マザー、リュウ坊ちゃんとマスターは私が責任を持ってお守り致します。ですから安心してください。』

顔を上げると発車ベルが鳴り、キドマルの背中に兄と双子とも言うべき存在の手が重なる。

車輪が傾き、ゆっくりと列車は動き出した。

列車は数秒で駅を出ると見慣れたセントラルの街を少しずつ走っていく。

徐々にスピードが上がり、スカイハイトールも横に受け流して列車は線路を切り替えた。

目指すはまだ見ぬ新しい世界だ。

そして新たなる敵の気配、新たな出会いを求めて七人と一匹の新たなスタートが切られたのであった…。

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