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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第四幕・微かな絆に集いし七人の戦士~
24/34

決意の告白!不死鳥の戦士の正体

【1】

―これは今から20年も前の事だ。

ある山に屋敷を構える1人の男がいた。

男は裏の世界では名の知れた有名人であり、それでありながら正義の心を持って人々を救っていた。

決して善人に血を流さず、悪のみを成敗する為に暗躍するダークヒーローとしての男の像。

いつしか男は周りから“清き心を持った殺し屋”、“正義のヒットマン”等と呼ばれその名は多くの人に聞かされていた。


男は愛妻との間に3人の息子を授かっていた。

成績優秀で弟思いに溢れる長男。

スポーツ自慢でヤンチャな親孝行者の次男。

他人にも家族にも優しく感受する優等生タイプの三男だ。

男は息子達を分け隔てなく愛し、自らの技量を教え込んだ。

その中で飲み込みが早かった三男を特に彼は大切にしていた。

少年は父親の偉大さから同年代の子供から後ろ指を指され、その子の親や他の大人からは避けずまれ、邪魔者扱いされていた。

抵抗する力を持たない少年は両親や2人の兄の強い愛情に包まれ、立派に成長していった。

だから自分の存在や親を一度も憎まず、逆に敬っていた。


だがある日、男は不慮の事故で死んだ。

残された愛妻は少年以外の息子2人を連れて少年と生き別れになった。

それから少年は1人で生きてきた。

もう誰も自分を守ってくれない、だから心の奥に鍵を掛けて生きてきた。

少年は悲しむ事を捨てた。

怒りも捨てた。

ただ笑いながら過ごしてきた。

その笑いも本当の笑顔では無いのに。

少年は人に頼るのも止めた。

ずっと一人ぼっちで生きてきた。

いつしか一人ぼっちでいる事に喜びを感じるようにもなっていった。


それから成長し、立派な大人になった少年は初めて恋をした。

初めて人を愛した。

空っぽだった心に入り込んできた愛すべき存在。

少年は忘れていた物を思い出していた。

誰かを愛する事、誰かを守る事を。

やがて少年は大人になり、夫になり、父親になった。

彼は幸せだった。

自分を愛してくれる存在と生きる事がこんなにも美しいと実感しながら。

でも男はまた…目の前で大切な物を失ってしまった。

心が空っぽになり、誰も愛せなくなってしまった。

それから男は1人になった。

“復讐”の一言で支配される鬼となりながら…。


《………。》

果たしてこのシチュエーションは何度目だろうか。

懐かしい夢に魘されながら男は意識を取り戻そうとした。

全身の筋肉が落ちて力が入らない。

今度はどんな無茶をしたっけと思い出しながら瞼を開けようとした。

隙間から光が入って目がチカチカした。

光は目の奥の神経に伝わり、その刺激は更に脳へと伝達されていく。

脳で刺激を処理して神経が覚醒していく。

神経は手足に興奮を与え、ブルブルっと身震いした手を反射的に握られた。

握られた手が熱くなり、感触と衝撃が脳で処理されて全身へと伝わる。

背中が蒸し暑くなり、ゴワゴワして彼は汗を掻きながら目を覚まそうとした。


ふと鼻先がくすぐったくなってフガフガしたら唇に何か当たった。

「……?」

布、いやそれより柔らかくてフワフワした物体だ。

天日干した布団みたいに暖かくて柔らかい毛玉。

あと胸の上も妙に重い。

何かが乗っかっているとようやく分かった。

重さが伝わってきて嫌でも目がハッキリしてきた。

黄色い毛玉らしい物体と自分と同じ赤色の目がキスしような位の距離で向かい合っていた。

『……。』

「…とりあえずそこから下りろ。鼻が詰まる。」

ハッとして毛玉が離れると呼吸が楽になった。


立て続けに頬に冷たい感触が走る。

目だけ向けると黄金色の小動物が自分の頬を舐めていた。

「…人を窒息させるのがそんなに楽しいのかお前は?」

『それだけ毒のある返事が出来るのはお目覚めの証拠ですね。』

半分だけ開いた瞼の向こうに数人の人影を感じてケビンは身を起こそうとした。

骨も筋肉もギシギシ軋んで痛い。

「ケビンさん気が付きました?」

「パパ大丈夫?」


ベッドの両脇に座っていた子供達が必死に手を握ってきた。

肩甲骨の辺りにも違う手が乗ってなんとか起き上がる。

「兄貴おはよう…もう夜だけどね。」

夜と呟いた言葉に窓を見ると空は暗くなっていた。

「…そんなに寝てたのか?」

「ここに戻ってきた時が夕方だったからね、そっから3時間は経ってる。」

それだけ熟睡してたのかと思いながらケビンは真正面を見つめた。

頭が回転しないで暫くボーッとしていたら額に強い衝撃が走った。

「痛ッ!」

「あらゴメンなさい、起きてたのね。」


今の一撃で完璧に覚醒し、ケビンは額を抑えて静かに怒鳴った。

「…この状況見て寝てると思ってるのか?」

「だって世の中には目開けたまま寝れる人いるわよ。そうかなぁって思っただけ。」

マナの横に回って彼女を抱える踊り子の手が静かに握られた。

「…もう無理しないで。」

たった一言、自分が決して約束出来ないその言葉をエルザは伝えた。

それでも自分が止まらないのは彼女も分かっている。


だからこそ…余計に強さを求めるのだ。

同じ過ちを繰り返さないように。

「…もし破ったら?」

「全裸にして塩酸漬けにする…。」

「いやサラッと恐ろしい事言うなよ…。」

背筋におぞましさを感じてリュウガがブルブル震え出す。

それなら針千本飲まされる方がマシだとも付け加えながら。

「…悪くないな。お前に殺されるのも。」

「うわぁ…この人マジだ。」

『なんかサイコパスですわね…。』



【2】

余計な事を次々に言われながらケビンはここでふと気付いた。

部屋にパーティの年長者と自分の相棒が居ないと。

「エルザ、ガデフさんとジャッキーは?」

「戻って直ぐ先生に呼び出されたの。大事な話があるとかって…。」

詳しくは分からないと告げる前に部屋の扉が開いた。

「よぉ、死にぞこない野郎。やっと戻ってきたか。」

医者とは思えない暴言にケビンは敢えてニヤニヤしながら振り向く。

「俺は約束破らないって言った筈ですよ?」

「分かってるさ。もうウンザリする程言われたからな。」


廊下を見るとファマドに呼び出しを喰らった二人が何故か部屋に入らずに入り口前で立っている。

ファマドはそれを分かっているのか、息子の傍らに寄った。

「リュウ、少しギルクと2人で話したいんだ。外してくれ。」

「…一緒じゃ駄目なの?」

頷いて答えるとかなり大事な内容だなとリュウガも察して立ち上がった。

それにジャッキーとガデフが部屋に入らないのも気になるので絶対に何かあると心の片隅で念じながら。

「もしだったら先に飯食うなり風呂入るなりしてろ。そんなに長話しねぇから。」

「…分かった。」


彼の一言に他の人間も立ち上がり、ケビンはマナの頭に手を伸ばして撫でた。

「だとよマナ、お前はママと一緒にいろよ。」

コクリと首を下げるのを見届けて部屋から出すとファマドは部屋の片隅に置かれた丸椅子を引っ張って座った。

「悪いなギルク。一家団欒に水差して。」

「構わねぇよ。まだ正式に家族にはなってないから。」

相変わらずのぶっきらぼうな返答にファマドは真剣な顔で改めて見据えた。

「…それで用件は?金か?それとも警察か?」

「どっちでもない。俺が聞きたいのはお前の事だ。」


そこでファマドは手にしていた古本をケビンに見せた。

《実録!世界の名犯罪者》と言う物騒なタイトルの本だ。

「…もう随分昔、俺がまだ大学行っていた頃だ。俺は死んだ親父からある人間について教えられた。この本も元々親父が持っていてさ、それから何度も調べたんだ。」

ケビンは読み込まれて磨り減ってた表紙の本を手に取る。

胸の中でザワザワを堪えながら。

「今まで黙ってたけど…お前のそのギルクって名前を初めて聞いた瞬間に俺は鳥肌が立ったんだ。その名前は一度だけ…親父が話してくれたある人間と同じ名前だと思い出したんだ。」


ケビンは本を開かない。

下を見て無言のままだ。

「ギルク…お前さんのルーツは裏社会じゃ知る人ぞ知る由緒ある殺し屋の一族らしいな。いや、殺し屋でありながらも貧民や飢餓に喘ぐ人間を狙う悪党のみを成敗する血塗れの義賊とも言われてたみたいだな。」

ファマドはケビンの気持ちを察するように自分の手を彼の手に乗せる。

「人づてに聞けば20年も昔に滅んでその名前は裏社会の歴史から消え去った。でもその血筋の人間はまだ…この世で生きている。殺し屋である事を捨ててな。」


重ねた手が熱湯みたいに熱くなり、でもファマドは何かを思いながらその手を離さなかった。

ケビンの唇がゆっくり開いたのを見てファマドは彼の言葉を待った。

「………ワード。」

「ん?」

「エドワード・ロッソ・ギルク。20年前に死んだ…俺の父親の名前だ。」

やはりとファマドが眉を吊り上げるのを感じ、それでも話す事を止めずにケビンは続けた。

「俺にとって父さんは親以上に師匠でもあった。俺は…俺達兄弟は父さんに厳しく躾けられてきたんだ。」

脳裏に懐かしい顔を浮かべてケビンは自分に罪悪感を感じていた。

ずっと隠してきた己の過去を語る事に、捨てられる事に覚悟しながら。

そこからベッドの上で腰を動かし、ファマドに背中を向けると襟足をたくし上げた。

露になった赤い刺青をファマドは確認した。

「コイツがその証拠だ。俺の体に汚れた血が流れている…唯一無二のな。」


子を持つ父親としてファマドにはケビンの苦悩が分かった。

幼くしてこんな刺青を入れるなど普通では考えられない。

自分の息子以上の修羅場を体験してきたと刺青から伝わってくる。

「俺はずっと周りから嫌われてたんだ。“悪魔の子供”とか“鬼の子”とかって呼ばれてさ、いつもボロボロにされて…一人ぼっちだった。」

殺し屋の子供など世間から見れば悪魔みたいな存在だ。

無駄な殺生はしなくても人殺しの血を引く子供など愛せる訳がない。

自覚していれば当人はそれだけ辛かった。

「でも父さんは俺を愛してくれていた。母さんも兄貴達も…友達の居ない俺を守ってくれた。それが俺の唯一の救いだった。」


段々声が曇ってきたのを聞いてファマドは刺青から指を離した。

ケビンも襟足を戻して姿勢は窓辺を向いたままで続けた。

「…20年前のあの日は父さんの誕生日の次の日だった。夜中に変な臭いがして起きたら…家が火事になってたんだ。」

「…お前…。」

その先の未来を予測したファマドは戦慄した。

幼いケビンが体感した悲しみの大きさも。

「父さんはそのずっと前から足をやられて歩けなくなっていた。当然だけどもう仕事なんて出来なかった。だから逃げられなかったんだ…。」

炎が爆ぜる音と煙の中、ケビンは必死で父親を助けようとした。

でも火の勢いが強くて結局兄に止められ、逃げるしかなかったのだ。


業火に飲まれて消えた父親の姿は20年経っても忘れられなかった。

「…誰がやったんだ?」

「分からない。放火だって事はハッキリしたけど結局犯人は捕まらなくて…時効になったんだ。」

どうやら警察の処理は入っててファマドは安心する。

「火事の後、母さんは兄貴達を連れて俺と別れたんだ。“自分が一緒だと命を狙われるから”って理由でさ。俺はそれから施設で暮らしてきた。それからはずっと一人だった。友達は居ないし…周りからは変な目で見られてばかりで…楽しい事なんて無かった。俺は父さんが死んで空っぽの人間になったんだ。」



【3】

本の表紙に透明な雫が落ちていく。

部屋の証明に照らされた雫には…今は亡き父親の笑顔が写っている。

思い出すと辛くて…でも忘れてはいけないとケビンは奥歯を噛み締めた。

「母さんは別れ間際に俺に約束したんだ。“あの人の事は思い出さないで、心の奥に仕舞って生きてくれ”って。でも俺には出来なかった。あの火事の夢を見る度に父さんが出てきて…そこで泣いてばかりだった。俺はもうどうしていいか分からなかった。父さんが死んで…大人になって愛した人も目の前で殺されて…俺は誰も愛せなくなったんだ。」


気付かぬ間に泣き喚いた自分を止められず、ケビンは乱暴に涙を拭いた。

「恐いんだ。俺を恐れて周りが離れる事…俺を信じて目の前で死んでいく人がいる事を。俺もう…自分でもどうしていいか分かんねぇんだよ…。」

いい歳の大人がこんなに泣くなんてみっともない。

でも忘れられないのだ。

どんなに頑張ってもあの悲しみは消えないと。

「ギルク…。」

グスングスンと啜り泣く声は暫く止まず、ファマドはケビンが落ち着くのを待っていた。

そして泣くのが治まったのを見るとケビンはいつも以上に真っ赤な目で振り向いた。

「先生…いつ抜糸出来そう?」

「明日か明後日だ。急ぎか?」


―ファマドはこの時見落としていた。

その瞳に光が灯っていない事に。

「明後日にしてくれ。その次の日にここを出る。」

「…分かった。」

詳しく理由は聞かなかった。

余計な事を言ってケビンを泣かせたくないからだ。

ケビンは本を返しながらこうも言ってきた。

「先生、聞いて良い?」

「なんだ?」

「俺の事誰かに話した?」

ここは素直に答えた方が良いとファマドは頷く。

「ヨッちゃんとカミさんにはもうチクッてある。それだけだ。」

「なら頼む。今はまだアイツらにも隠しておいてくれ。特に子供達には聞かせたくないんだ。」


今は頃合いじゃない、時が満ちたら話すつもりだと続ければファマドも快く了承してくれた。

ケビンは安心してベッドに横になる。

「…疲れてるのか?」

「うん。少し大技使ったから頭と足がフラフラするんだ。」

バディビーストとの結合は精神もスタミナも大きく削る。

いつもは自分の体内を寝床にしているだけで精神的や肉体的に合致させるリスクはそれなりにある。

ケビンはそれと一緒に見せてはいけない顔も見せた事を内心後悔していた。

自分でも分からない。

あんなに理性が狂った事など初めてだ。

「疲れてるなら寝ろ。これ以上無理すれば本気でどうなるか予測出来ないからな。」


掛け布団を枕元まで引っ張って頭を隠すとケビンは手で布団の裾を持った。

「俺まだ眠くないのに…。」

「そうじゃなくても今日は夜更かしするなよ。さもないと明日外出禁止にするからな。」

ヤレヤレと言いたそうな顔でファマドは部屋を出ようとして止まった。

「ギルク、俺はお前が悪魔になってなくて安心したぜ。本当に暴走してたら…俺はどんな手段使ってでもお前からリュウを引き離してたからな。これ以上アイツを悲しませるなよ。」


布団を少し引き、やや乱暴に閉められた扉の奥を眺めてケビンはウトウトしていた。

意識を集中させるとフェニクロウの鳴き声が細く聞こえてくる。

やはり慣れない結合でかなり無茶させてしまったようだ。

忠告通りに今日は早く休もうとして目を閉じようして…思い止まった。

《母さん…。》

まだ生きていると思われる母親の顔が浮かんできてケビンは呟いた。

《なんだろう…俺母さんや兄貴に急に会いたくなったよ…。》

父親の葬儀を終えて直ぐに自分達は生き別れてしまった。

あの光景は今でも覚えている。

―『母さんなんで…?なんで俺は一緒に居られないの?』


自分だけ別に暮らして欲しいと言われ、動揺する自分に母親はこう言った。

―『分かってケビン。私達はいつ死んでも可笑しく無い世界に今居るのよ。生き延びる為には…貴方とお父さんの存在を忘れないといけないの。』

それだけで自分を捨てるのかとケビンは納得出来ずに母親に迫った。

―『やだよ…俺母さんや兄ちゃんと一緒にいたいよ…。』

母親は真っ直ぐに自分を見て慰めてくれた。

それもボロボロ泣きながら。

自分だって別れるのは辛いと教えながら。

―『ケビン約束して。必ず迎えに行くからね。だから貴方は一人でも生きるのよ。それが…お父さんの遺言なんだから。』

そんな遺言なんて知らない、1人にしないでと言えば母親は自分を抱き締めてくれた。

―『ケビンはきっと大丈夫よ。だって貴方は私とお父さんの希望の星なんだから。』


そんな事言ってもとケビンは必死に母親を止めたが結局は叶わず、最後にこう告げた。

―『私はいつも貴方の心の中にいるわ。いつもケビンの隣にいるから。だからお願い…生きて。そして大きくなって。絶対にまた皆で暮らせる時は来るから。離れていても…私達は家族だから。』

とにかく生きてくれと言ってその手を離した母親。

自分はその願いを叶えたつもりだ。

叶えたつもりなのに…辛かった。

「…母さん。」

背中が寒くなり、布団で全身を包む。

「俺…もう駄目かもしれねぇよ。俺は父さんと母さんの希望の星なんかじゃないんだ…。」

自分を追い詰めるだけ追い詰めて…否定しながらケビンは仰いだ。

「俺は家族なんか作れないよ…作っても失うだけなんだ…。」


流しきった涙が頬を伝って…ケビンは布団の中で喘ぎと嗚咽を漏らしていた。

「俺は誰も守れないんだ…俺はいつだって1人なんだよ…。」

誰も居ない部屋、明かりを消すのも忘れて男はひたすら泣いていた。

愛する母親に…ひたすら。

《母さんお願いだ…夢でも良いから出てきてくれ…じゃないと俺…自分が自分で無くなっちまうんだよ…!》



【4】

―散々泣いて、泣いて、泣き疲れた頃。

泣きながら眠ってしまったケビンは暗い布団の中で目覚めた。

頭までスッポリと掛け布団の中にいるので背中が汗ばんで熱い。

それに息苦しくなったので這い出たら「うわっ!」と声がした。

「あ、兄貴…?」

小鳥の囀りが聞こえる室内、暫し時が止んでケビンは数回瞬きした。

布団を除けた先にいたのは金髪の青年だ。

「リュウ…お前なんでここに?」

「え?えっとそれは…。」


言っていいのかなぁ的な表情をしながらリュウガは髪の毛をワシャワシャさせた。

「昨日風呂入って部屋戻ろうとしたら兄貴の事が気になってさ。それで様子見てたら泣きながら寝てたからその…一緒にいてあげただけだ。」

恐らくは自分が心配で寝れなかったのだろう。

目の下には濃い隈が出来ていた。

「でも兄貴元気そうで良かったよ。てっきり変な夢見て落ち込んでると思ってたからさ。」

気まずさを誤魔化そうとするリュウガを見て…ケビンはふと思った。

―自分が余計な真似をしたと。

《俺がここにいれば何が起こるか分からない。それに母さんの事まで思い出す位なら…潮時かもしれねぇな。》


それに気付かないリュウガは大あくびをしながら体を伸ばした。

「リュウ、お前寝た方が良いんじゃねぇか?」

「ふぅん…ひょうだねぇ。」

自分の顔が見れて安心したと部屋を出ようとしてリュウガは足を止めた。

「兄貴…何か辛い事あったら俺に言ってよ。相談乗るから。」

「…なんだいきなり。」

取っ手を握った姿勢で振り向きながらリュウガは寝ぼけ眼からキリッとした目になる。

「兄貴の泣き顔見て思ったんだ。何か心に抱えてるんじゃないかって。でも伯父貴や姉御やおっちゃんには言い辛くて溜めてるんだろ?なら俺の事頼ってくれて良いから。」


それだけ告げると顔洗ってくると言い残してリュウガは消えた。

ケビンはベッドに腰掛けて自分の手を握った。

自分は何も変わっていない。

マリアが死んだ5年前から…時間が止まったままになっている。

もし成長してたらあんなに泣く事もしていない。

そう思うと苦しかった。

《頼った所で…何になるんだよ…。》

頭と胸の中がモヤモヤしてケビンは激しい頭痛を訴えた。

《誰かに頼った所で…その人間が死んだら元も子もねぇのに…!》


誰もいないのに責め立てる声が聞こえてきて…それを見て理性を失う自分がいて…喉の奥から熱いのと冷たいのが一緒に込み上がってくる。

《なんでそこまで心配するんだよ…!?俺の事なんか放っておいてくれよ…!》

頭がズキズキして…喉の奥がムカムカしてきて…心臓がバクバクしてきて…。

《俺なんか…どうせ俺なんか…!》

咄嗟に子供の頃の思い出が蘇った。

―『や~い!お前の父ちゃん人殺し~!』

―『近付いちゃ駄目よ。あれは悪魔の生まれ変わりなんだから。』


心許ない事を言われ…一人ぼっちで泣く自分が見える。

―『ケビン大丈夫よ。貴方は悪魔なんかじゃ無いわ。』

―『どっちかと言うと悪魔は父さんの方だな。お前は小悪魔だ。』

―『それフォローになってなくね?てかお前もいつまでもメソメソするなよ!男だろ!』

母親と兄に慰められ、励まされ、前に進んだ自分も見える。

―『ケビンしっかりしろ!お前は誇り高きギルクの男なんだぞ!』

苛めっ子を追い払い、説教しながら自分を支えてくれた父親に後押しされる自分も…。


家族の思いを全て受け入れ、背負ってきた自分。

でもそれは洗脳されてると思って…自分が恐ろしかった。

―『自信を持てケビン。お前は私達の希望であり未来なんだぞ。いつでも誇り高い意識を持て。そして胸を張って生きるんだ』

嘘だ、そんなの嘘だ。

自分は誇り高い男じゃ無い。

親の希望の星なんかじゃない。

周りを不幸にさせる事しか出来ない悪魔の生まれ変わりなんだ。

様々な声が、思い出が、そして自分が見えて…ケビンの中でプツリと糸が切れた。

次の瞬間、ガシャーンとガラスの割れる音が盛大に聞こえた。


その音でケビンはハッとした。

熱を帯びた自分の拳が…窓ガラスを粉々に砕いていたのだ。

ガラスを砕いた拳には破片が刺さって血が垂れている。

まさか…予想外の行動にケビンは脳内で処理仕切れなくなっていた。

呆然としていたら部屋の扉が開いた。

「旦那どうした…っておい旦那!」

「ケビンさん!どうしたんですか!?」

相棒と弟分が近寄って来てケビンはそこで腰から崩れ落ちた。

2人はケビンの手の怪我とガラスの破片を見て全てを知った。

「キド…ジャッキー…お、俺…!」

「旦那止めろ!これ以上自分を傷付けるな!」


呂律の回らない表情で自分を見る相棒の姿にジャッキーは胸が痛んだ。

ケビンがこんな事するなんて初めてだ。

何度か弱音を吐いた事はあっても…自傷行為など一度もしていない。

自分やエルザやガデフに叱咤されて…その度に強くなってきたのに…。

思考が折り混ざった中でケビンを抱いていたらファマドとリュウガが現れた。

「兄貴!大丈夫!?」

直ぐにケビンの横に座って状態を見ると透明な破片が突き刺さった右手が痛々しかった。

「親父どうしよう…!兄貴の奴右手が…!」

「落ち着け!見る限り傷付いてるのは手の表面だけだ。神経まではやられてねぇよ。」


ガラスと血塗れの右手を見てファマドはケビンの両頬をベシベシ叩いた。

「おいギルク起きろ。大丈夫か?」

ギギギと壊れたロボットみたいに首が向けられる。

目もうつらうつらしていてかなり危険だ。

チッ、と舌打ちしながらファマドはケビンを横抱きの姿勢で持ち上げた。

「リュウ、俺が処置するからお前はガラスの片付けしてろ。」

「うん。」

診察室へ走る父親を見送って青年は床に散らばるガラスの破片と血痕を眺めた。

まるでバラバラになった彼の心の様に見えて胸が痛んだ。

「ジャッキーさん、ケビンさん大丈夫ですよね?変な事しないですよね?」

「…そう祈るしかねぇな。」


突っ立った姿勢のリュウガの肩にジャッキーは手を乗せる。

「気にすると負けだぜヤング。お前は悪くねぇから。」

何も答えない兄を心配してキドマルも腰回りに抱き付く。

ガラスの破られた窓からは妙に冷たい風が侵入して…その場の空気を一気に冷ましていった。



【5】

それから1時間が経過した。

ファマドはケビンの右手を治療し、念の為に精神安定剤の点滴も射していた。

右手の傷は表皮が切れただけで神経や筋肉に損傷は無かった。

これで動かせなくなったら大変だったと感想を伝えながらも表情は深刻だった。

「この症状…俺の勘だとPTSDの一種、或いはそれに近いモノだな。」

ファマドはジャッキー達を診察室に呼び出し、一連の出来事を伝えるのに加えてケビンの容体が重そうだと教えた。

「PTSDってテレビの特集でよく出てくるアレか?なんか過去のトラウマに苦しめられるって病気だろ?」

「まぁ、ざっくり言えばそうだな。」


ファマドも医者としての立場上、PTSDの診察は何度かやってきた経験がある。

事故や災害に見舞われた、それらで家族や友人を亡くした、最近ではイジメや虐待、体罰でPTSDに蝕まれる患者も多い。

「でもケビン、ムシャクシャしてガラス割るなんて一度も無いのに…どうして?」

「そうだな。多分ずっと我慢してたモノが少しずつだが緩んでいる可能性がある。それで頭が真っ白になったんだろうな。」

ある程度の過去は教えてもらったがそれでもケビンの闇は深すぎる。

このまま手を打たなければ症状は悪化してしまうだけだ。

「なんとかならねぇのか?治療法とか薬とかは?」

「…PTSDを治せる薬なんか無い。克服するには周りの人間が重点的に支えていくしかねぇ。それも本人の気力が弱ったままでは…一生治らない事も有り得るんだ。」


参ったねぇどうもと小声で囁きながら座った姿勢で椅子を回転させ、ケビンに振り返る。

「ギルク。聞こえるか?」

「…。」

「どうやら治療費上乗せして貰う事になりそうだな。でも安心しろ。窓ガラスの修理費はチャラにしてやるから。」

返答は帰ってこない。

それを分かっているのか、ファマドは白衣を脱いで椅子に掛けた。

「とにかくお前らも監視しとけ。またガラス割ったら教えてくれよ。」

席を外すと診察室を後にし、リュウガは処置されたばかりの右手に優しく触れる。

「兄貴…。」


ケビンは眠っているように目を閉じている。

点滴のお陰で暴れる素振りを見せないのが救いだ。

「ゴメンね兄貴…俺何もしてあげられなくて…。」

リュウガは悔やんでいた。

ケビンが倒れる寸前、彼の目が可笑しい事に気付かなかった自分が悔しかったのだ。

「兄貴…お願いだからもう悩まないで。これ以上自分を責めたら…本当に戻れなくなるよ。」

折角退院の兆しが見えたのにこんな事になるとは。

このまま入院が延びればケビンはまた自傷するかもしれない。

早く連れ出すと思っても父親に釘を刺されてはどうしようも無かった。

気まずい空気が流れ、リュウガは自分の兄とも言うべき男の顔を見た。

「伯父貴…昨日帰ってきて親父に呼び出されたろ?」

「…あぁ。」

「親父…伯父貴とおっちゃんにだけ教えたんだろ。兄貴の事。」


その一言にエルザとマナ、ラビとキドマルが揃って驚く。

「リュウちゃん…お前…。」

「…親父が2人きりにさせてくれって言ったのがどうも引っ掛かって…それで俺盗み聞きしたんだ。もしかしたら兄貴が落ち着いたら話してくれる思ったけど我慢出来なかったんだ。」

昨夜、ケビンがファマドに自分の出生を伝えた時…リュウガは悟られないように隠れて2人の会話を耳に入れていたのだ。

それとジャッキーとガデフだけが呼び出されたのも気になり…嫌な予感が走っていたのだ。

「兄貴が…有名な殺し屋の子供だって親父が教えたんだろ。でも俺達には内緒にしてくれって口止めされてたんだろ?そうなんだろ伯父貴?」

責め立てられたジャッキーはしょうがないと帽子を被り直す。

「…まさかとは思ったよ。予感はしてたけどな。」

「予感って…伯父貴知ってたの?兄貴の事?兄貴のお父さんの事も?」


本当はジャッキーもこの場で告白するのは辛かった。

でもバレたなら潔く告げるしか無い。

その思いでジャッキーは口を開いた。

「俺様は旦那と出会うまでは裏の人間だったからな…有名なマフィアや殺し屋ならある程度知ってる。」

「…それで?」

「“ギルク”って名前は裏社会の看板みたいな名前だ。その名前と旦那の首の刺青見て疑ったんだ。俺の知識が正しければ…旦那はあの人の息子だって。」

あの人、恐らくはケビンの父・エドワードの事だろうとリュウガは思いながらガデフにも振り向く。

「もしかしておっちゃんも?」

「…せやな。ワシも昔は殺し屋みたいな人間だったさかい、噂は聞いていたんや。」

「じゃあ…ケビンさんは本当に…。」


全員の視線が彼に注がれた。

この状況でもケビンは目覚めない。

なら好都合だとジャッキーは壁に寄っ掛かるのを止めた。

「あとついでに話すとな…俺、旦那の親父さんに世話になってたんだ。」

「えっ!?それ本当なの!?」

裏社会のネットワークは計り知れないような気がしてエルザは状況の読めないマナを自分に寄せる。

「…俺は子供の頃にマフィアに買収されたんだ。その前はプリピヤに住んでいた。」

「…発展途上国ですね。紛争の絶えない場所だって前にテレビで見た事あります。」

「そうだ。今も昔もプリピヤは犯罪の温床なんて呼ばれる程に治安が悪くてさ…その日の食い物を手に入れるのが精一杯の生活だった。」


今はもう忘れていた思い出を紐解きながらジャッキーはその男の顔を浮かべた。

「俺ストリートチルドレンでさ、物心付いた頃にはもう親がいなかったから自分1人で生きてきた。周りには同じ境遇の子供が沢山いて…その日を生きるのがやっとだった。」

思い出してきた幼い自分はボロボロで虚ろな目をしている。

大人を信用出来ずに自分だけを信じて生きてきた頃を振り返りながらジャッキーは話を続けた。

「…親父さんと会ったのは4歳の時だ。腹空かして倒れてる俺を助けてくれて…不格好な握り飯をくれた。残飯や血の一滴すら貴重していた俺にしてみれば…涙が止まらない位のご馳走だった。」


見知らぬ自分を救った男の行動は幼いジャッキーにとっては不思議で仕方無かった。

自分のような子供は社会から見放される存在だと認識していたからだ。

その自分を男は何の迷いも無く助けたのだ。

「親父さんは…それからも俺に会いに来てくれてさ、色々話してくれたんだ。自分の事とか家族の事、俺と同い年位の子供がいる事とかさ。それで調子乗って…いつか自分の子供に会わせてあげたいなんて言ってさ…本当に優しくしてくれたんだ…。」

言葉の最後が影が差したように重くなり、ジャッキーは帽子の布地を握る手に力を込めた。

「…それから暫くしてプリピヤにある人間が現れたんだ。ソイツは世界各地を旅しては金になりそうな人間を売り払う奴隷商人だった。奴はプリピヤの子供を片っ端から連れ去ろうとしてて…俺は親父さんに助けを求めたんだ。」


ジャッキーは後悔していた。

この時の自分の行動が大きな間違いであった事に。

「親父さんは俺達を助けようとしたけど強さが違い過ぎて追い込まれた。俺は我慢出来なくて助けようとしたんだ。そしたらソイツが言った、“その男を撃てば命だけは助けてやる”って。」

勿論ジャッキーにはそんな真似は出来なかった。

死にかけていた自分を助けた恩人を裏切る訳にはいかないと。

でもここで見逃せば代わりに自分が殺されてしまうのも事実だ。

命の危機に瀕したジャッキーだがそこでエドワードは驚きの言葉を口にしたという。

「…親父さんは俺に言った、構わずに撃てって。それでキミ達が助かるなら悔いは無いって。」

『…。』

「躊躇う俺にあの人は告げた。キミも男なら大事な物を守る義務がある、ここで躊躇ったら何も守れなくなるって。それで俺は…あの人を…。」


結局その奴隷商人は約束を守らず、ジャッキーは裏社会に身売りされる運命を背負わされたのだ。

彼は自分が売られた事より自分を助けようとした男を裏切った事にショックを受けていた。

帽子で目元を隠しながら涙を拭うとリュウガを見上げた。

「…親父さん、火事の時に逃げられなかったって旦那言ってただろ?その原因は俺なんだ。死なせるのが恐くて俺は心臓じゃ無くて足を撃ったんだ。それで歩けなくなったんだよ…。俺があんな事しなければきっと逃げられて…兄貴も辛い目に会わなかったって…。」

ジャッキーはケビンの正体に勘づいてから薄々話そうと誓っていた。

自分のせいで父親を死なせてしまった事を。

とにかく謝罪したかったのだ。

ケビンの人生をある意味でねじ曲げてしまった罪を償いたいと。

「そんな…ジャッキーさん一人が悪い訳ないですよ!その奴隷商人の方が悪者じゃないですか!?」

『…反論はしてもその世界の人間は頭を下げませんよ。それが残酷な現実ですから。』



【6】

自分達の敵組織に産み出されたラビは自分の経験から主人を説得する。

「慰められたって俺の犯した罪は消えないんだ。今更謝った所であの人はもう戻ってこないしな…。」

悲しくて気まずい空気の室内で誰しもが肩を落とす。

どのような口を開いていいのかも分からないで沈黙していたらラビが耳を垂直に立てた。

『ケビン様…?』

クンクンと鼻を動かしてラビはベッドへ軽快に登った。

胸の上で正座すると包帯の巻かれた右手が耳を垂らすように撫でてくる。

「…またお前か。」

「ケビンさん!」


キドマルがラビにおいでと促し、代わりにその手を握る。

「キド…俺…。」

「何も言わないで下さい。分かってますから。どんな血筋に産まれても…僕は貴方の側にいます。」

ザラザラした布を自分の体温で温めながら少年は奥歯を噛んだ。

ケビンは瞳を逸らして部屋の奥に立つ相棒を見つける。

「ジャッキー。」

その一言で彼のコートの裾が揺れる。

「…隠すフリして構わないぜ。お前の話…こっちまで丸聞こえだったから。」

ジャッキーはキドマルに退いてほしいと目で伝え、少年は頷いて席を譲る。

「旦那覚えてるのか?親父さん歩けなくなった時の事…。」

「…珍しく海外出張行くって出掛けたんだ。それで3日後に警察から連絡来たんだよ。出張先で怪我して…もう自力では歩けないって。」


ケビンは思い出していた。

その時、自分は母親と兄達と一緒に警察病院に呼ばれていた。

エドワードを診察した医師はこう説明していた。

足の神経が完全に断裂している、手の施しようがないと。

自分はショックで泣き叫び、2人の兄も自分を責めながら泣いた。

母親は気丈に振る舞って…自分のいない所で泣いていた。

決して忘れられない、いや忘れてはいけないと胸に刻んでいた。

「旦那…。」


俯くジャッキーの瞳の端に雫が溜まる。

「そうだよな…許してくれなんて言えねぇよな。俺の身勝手さで後々あんな事になったんだから…。」

ケビンは天井を向いたまま、手だけ動かした。

「謝らなくて良い…。」

「えっ?」

「お前は謝るな。父さんが居なかったらお前死んでたかもしれないだろ。なら今…ここに存在する事も出来なかった筈だ。」

右手は相棒の手首を掴んで強く握った。

「分からねぇのかジャッキー?お前は父さんに生かされたんだ。だったらその命を無駄にするな。そんな真似して父さんが喜ぶと思ってるのか?」

「ア、アンタ…。」

顔がこちらに向けられた。

眠そうだが瞳は真っ直ぐなままだ。

「それに父さんのお陰で俺達は出会えたんだ。俺は寧ろお前に感謝してるんだ。父さんに何があったのか教えてくれて…父さんの覚悟を見届けてくれたんだから…。」


口元が吊り上がり、微笑むような顔でケビンはジャッキーを見つめた。

ジャッキーはワナワナ震えて涙ぐんでいた。

「旦那…俺は…俺様は自分が…!」

「…いつまでも泣くなよ馬鹿。男の癖にみっともないだろ。」

ケビンの顔はどこまで安らかだ。

さっきまでとは別人みたいだと全員が感じていた。

『ケビン様、貴方はもう平気なのですか?』

ラビはキドマルの頭に乗ってケビンの瞳を見ていた。

「あぁ、頭が一瞬真っ白になったけどなんとかな。」

ズキンと時折痛む右手を見てやっちまったなと呟く様に溜め息を付く。

「にしても先生も厄介な真似してくれたな、あんなに早く気付いてたとはな…。」

「気付いてたって…ケビンさんの事ですか?」

まさかと疑いながら今まで隠していた内心を思うと責められないと口を噤む。

「でもバレたんじゃもう隠しようが無いしな。俺は今まで自分を隠してばかりだった。周りが離れるのを恐れて…普通の人間のフリして生きてきたんだ。」

「普通?アホ抜かせ。お前みたいに素性隠して生きてる人間など仰山おるやろ。そんなに恥ずかしい事では無いじゃろうがに。」


ガデフがケビンの横に座り、ギシギシとベッドの支柱が悲鳴を上げる。

リュウガは壊さないでくれと心の中で祈った。

「それならワシも普通の人間のフリして生きてたんやで。しかもお前は殺し屋の血を引いてるだけで実際に人殺しした事は無いやろ?それならワシよりマトモな人間やないか。そんな人間を見放す周りの連中がどうにかしてるだけや。」

自分より大きな手で背中をバシバシ叩かれてケビンは流石に痛がる。

「確かにおっちゃんの言う通りだよな。だっておっちゃんは人殺しで伯父貴はマフィアの人間だろ?でも俺、2人を見放す真似なんて出来ねぇよ。」

「そうね。見捨てるのは脳味噌がアンコの奴かチンパンジーより知能の低い馬鹿だけだもの。」

『エルザ様…それ以上言うと炎上しますよ。』

何が炎上するんだとキドマルは上を見上げるようにラビを見つめる。

「それにケビンの親父さん…本当の一般市民には手出してないやんけ。ほんなら正義のヒーローと同じやないか。自分はその正義のヒーローの子供だって自慢すれば良いだけの話やろ?」


―正義のヒーロー。

ヒカルが将来そんな風になりたいと言っていたのを思い出してケビンは目頭を抑えた。

「旦那大丈夫?もう少し休んだ方良いって。」

「…そうさせてもらう。リュウ、点滴外してくれ。」

リュウガは迷いながらも頷き、クレンメを止めて針を抜いた。

針の痕を止血していたらマナが寄ってきてベッドに上がろうとしたのでケビンは邪魔にならないように抱き抱えた。

「おい嬢ちゃん、そいじゃあパパ寝づらくなるじゃけん。邪魔したらアカンで。」

「ガデフさん良いよ。俺も最近一緒に居られてないから。」

ケビンはマナの左肩に顎を乗せ、そっと匂いを確かめた。

久し振りに鼻に入ってくる甘い匂いに心の底が熱くなってくる。

「パパぁ…。」

腕の中でもがきながらマナは目をパチクリさせた。

「マナ…パパと一緒が良い…パパとママと…ずっと一緒に居たいよ…。」


マナはまだ全てを把握仕切れてない。

でもこれだけは言えた。

例え殺し屋の子供でも…ケビンは自分の無二の父親だと。

「パパ行かないで…マナから居なくならないでよ…。」

そう訴えれば背中に乗せられた手がポスポスと優しく叩いてくれた。

エルザも呆れながらその手に触れてくる。

「…流石に懲りた?」

「…だったらこんな真似出来ねぇよ。迷惑掛けて悪かったな。」

気持ちが完全に吹っ切れたのか、誤魔化すような笑顔に踊り子は疑いながらも敢えて同情する。

「迷惑なら今まで散々掛けてきたんじゃないの?もうその台詞聞き飽きたわ。」


白い指が包帯の巻かれた手に絡み、優しく重なる。

暫し握っていたらマナが母親の顔を見た。

「ママ…怒ってる?」

「怒ってないわよ。大丈夫だから。」

よしよしと撫でると「ママもギュ~して。」と甘えてきたのでケビンと挟むようにマナを優しく包んだ。

「ありゃりゃ、ワシら完璧お邪魔虫やな。おい、席外すど。」

「えっ!?俺もっと見たいのに…。」

「実は僕も…。」

『そう言う私も…。』

「そして勿論、この俺様もってイデェ!」

お前は余計だと頭を叩かれたジャッキーはそのまま襟首を引っ張られて廊下に放り出された。

それをコッソリ見てファマドは身を引いた。

自分の出る幕はもう終わりだと告げながら…。



【7】

あっという間に一日は過ぎた。

セントラルの街もあの爆発騒動が嘘のように落ち着き、いつもの活気を見せていた。

湯気を纏い、浴室から出てケビンは真っ直ぐに部屋に向かった。

久し振りの入浴で少し長風呂になっていた。

おまけに髪も伸びたなと前髪を引っ張ったら首の後ろがジクジクした。

刺青を隠そうと殆ど切らずにいた襟足を弄りつつ、すっかり寝室と化した病室へ戻ると冷たい風が当たった。

自分がガラスを割った窓はカーテンだけで室内が隠されており、夜風で布が仰がれていた。

カーテンの下に見慣れた足を見つけてケビンは布を捲る。

「どうしたマナ?立ってると体冷えるぞ。」


カーテンの中にいた少女は外に手を出していた。

ケビンも一緒に見ると意外な訪問者がいたのだ。

「グゥウウウ…。」

グルグルと喉を鳴らしてマナの手を舐めるのは狼だ。

ハッハッハッと下を出して呼吸しているので冷たい吐息が部屋に入ってくる。

「番犬のつもりか…ご苦労だな。」

でも内心はマナに会いに来たのだろうと感じ、人差し指を唇に当てる。

「もう夜だから騒ぐなよ。怪しまれるからな。」

「クゥゥゥン。」

外見はシベリアンハスキーより恐ろしく、中身はチワワみたいな愛嬌があるヴォルフは大人しくなってその場でお座りした。


ケビンは良い子だなとウインクで伝えてマナを背後から抱えて窓から離した。

「そろそろ寝る時間だぞ。」

「え~、まだ眠くないよ…。」

言い訳しながらも瞼を擦る仕草にケビンは騙されないとマナをベッドに寝かせた。

そのタイミングで部屋の扉が開く。

「ケビン、この部屋寒いわよ。」

「我慢しろ…俺が言えた義理じゃ無いけどな。」

因みにリュウガは自室、キドマルは自分の家に居てジャッキーとガデフは違う病室で寝る事になった。

親子団欒もそうだがケビンが暴れないように見張って貰いたいと全員がエルザに期待しているのだ。

「どうせならガラス代も請求すれば良かったのに…。」

「お前は俺の財布を空っぽにしたいのか。」


そうねと断言するとケビンは怒られるのを恐れてそれ以上は言わなかった。

マナはもうウトウトしてきたのでエルザは頭を撫でる。

「あれ…ママ?」

母親の匂いに敏感なマナはエルザの方へ横向きになる。

「マナ大丈夫?寒くない?」

「うん…パパとママがいるから…。」

差し出された白い手を握り締めてマナは安らかに笑った。

二人は互いに合図して頭や頬を撫でる。

「そうね、ママもマナと一緒にいると温かいしね。」

「あぁ、パパも同じだな。」

色々ナデナデされて落ち着いたのか、マナは俯せ気味になって眠ろうとしていた。

「パパ…ママ…大好き…。」

終いにはこんな事まで言ってスースーと寝息を立てた。

ケビンは起きないように部屋の電気を消す。

室内は暗いが窓から入る月と星の明かりで若干の光は入っていた。


ケビンとエルザはマナを真ん中にして一緒のベッドに入る。

「なんか久し振りね…一緒に寝るの。」

「…そうだな。」

セントラルに着いてから自分のトラブルが原因で寝る時はバラバラになっていた。

その間、マナの添い寝はエルザが一人でやっていたのだ。

そうじゃなくてもマナに構ってあげられて無くてケビンは内心悔やんでいた。

「ここ出たら…少しは時間作ってやろうと思うんだ。マナの我が儘に振り回される時間をさ。」

買い物でもご飯でも良い、一緒にいてハグしてあげるだけでも良い。

とにかくマナと一緒にいてあげたいと言えばエルザも優しく笑った。

「そうね。私達威張ってる癖に…親らしい事何もしてやれて無いしね。」


なんだかマナに嘘の愛情を与えている気がしてケビンは胸がチクチクした。

口には出してみても自分達には何も出来ていない。

これでは親のフリをするのと同じだと。

「ねぇケビン…。」

「何だ?」

「マナ…本当は嫌な思いしてるのかな?私達に愛されていないって考えてたりしてないのかな?」

自分も考えていた疑惑にケビンはそうだなぁと呟く。

自分達に捨てられる夢もマナは見てきた位だ。

本心では愛想を尽かしていても可笑しく無かった。

「私やケビンの事気遣って…本当はそう考えてるかも知れないでしょ?それなら…親御さんに譲り渡した方が幸せなんじゃ無いかな?」


ケビンも考えは同じだった。

一時期は自分が父親の代わりになれるのかと疑っていた。

でも今は気持ちが違う。

本音から親になると決めているのだ。

「でもさエルザ、ガデフさんが言ってた事覚えてるか?“実の親の元に帰ってもマナは俺達をもう一人の親だと認識してる”って。そう思わせる位の物を俺達は与えてきたって。」

「…そうね。」

「それだけじゃねぇ。マナはリュウやジャッキーを自分の兄みたいな人間だって認識してるんだ。だから自分に本当の兄弟がいても…リュウ達も自分の兄だって胸に刻んでいくと俺思うんだ。マナは俺達を…本気で自分の家族だって頭の中に刷り込んでるんだよ。親元に帰るって事は…その家族を捨てるって意味なんだ。」


―家族を捨てる。

もし現実になったらどんなに恐ろしいかはエルザにも分かった。

自分もそうだがマナがどんな気持ちで受け入れるかなんて想像付かなかった。

「マナの幸せは俺らが作ったら駄目なんだ。本人がどう意識してるか判断させる事が重要なんだ。」

子供を授かり、それでマナの世話的な事をやってきた自分だからこそ言えた。

―子供の幸せは夢と同じ物。

―下手に手を出さず、傍らで見守ってあげる。

それで本人が不満を漏らしたら介入すべきだと。


自慢げに言えばエルザはニコニコしてマナを跨いで自分の頬を撫でた。

それに返して少しじゃれてから二人はやっと眠った。

カーテンがヒラヒラ揺れて風が吹き抜く部屋の外ではヴォルフが満月を見て小さく吠えていた。

星の光が狼の体毛を金色に染め、静かに街の西側へ落ちていった…。



【8】

一番鶏が新しい朝を告げる明朝。

朝日の光が照らす下で眠っていたエルザは自分の肩に圧迫間を感じた。

「ママ、ママ。」

天使の囁きみたいな声にエルザはウーンと唸りながら目を覚ます。

「マナ?どうしたの?」

「ママ起きて、パパが居ないの!」

えっ!?とビックリ箱みたいに起き上がるとそこには自分と娘だけ。

昨日まで寝ていた場所にはまだ温もりが残っている。

「いつから居ないの?」

「マナが起きたらもう居なかったの…。」


泣きべそで説明するマナを宥めてエルザは窓の外を見た。

ヴォルフがカーテンを引く音に飛び起きてその場でクルクルと走り回る。

「ヴォルフ、ケビン見なかった?」

「クゥゥン…。」

「夜明け前に家を出るのを見た?本当?」

「グゥゥゥ。」

夜更かしに慣れている狼は本当に見たよと息遣いで訴える。

一旦カーテンを閉めると泣きじゃくるマナの眼前でしゃがんだ。

「ママ…。」

「マナ大丈夫よ。パパはまだ遠くには行ってないわ。きっと戻ってくるわよ。」


自分が何か悪い事でもしたかと怯えるマナをエルザは抱き締めて落ち着かせる。

すると部屋の扉が乱暴に開いた。

「姐さん!姫の泣き声が聞こえたけどどうした!?」

「…何処でスタンバってたのアンタ。でも丁度良いわ、招集掛けて。」

いつものお仕置きが来ないのでジャッキーはあれ?と疑う。

「しょ、招集…?」

「ケビンが脱走したの。人手が欲しいからガデフとリュウ呼んできて。それとキドの家にもモーニングコールして。」

「りょ、了解であります!」

警察みたいにビシッと敬礼してジャッキーは走り出した。


一時間も経たない内に病室に仲間達が集まった。

「ヴォルフが家を出るのを見たのが夜明け前なの。荷物とかそのままだから遠くには行ってないから。」

「分かった。しっかしアイツも人騒がせな男やな…。」

「まぁそれが旦那の魅力だしね。」

罵りを混ぜての自慢合戦みたいな話を聞いてラビは唸った。

『もしかしたらケビン様…昨日の事を病んでるのかもしれませんね。私達に心配掛けるのが嫌で…無理してたかもしれません。』

耳を寂しく垂らしてポツリと語るラビにキドマルも落ち込む。

「でも僕ケビンさん見捨てられないですよ。探して説得させるべきです。」

「そうだな。兄貴がいないと楽しくないもんな…。」


この場の全員がそう感じていた。

ケビンは自分達の中心にいつもいた。

どんな時でも励ましたり、助けたり、守られてきた。

自分達はあの男無しでは一つになれないのだ。

「迷ってても仕方ねぇ、とにかくしらみ潰しに探すしかないな。」

一気にテンションの下がった仲間を見てジャッキーが声を荒げた。

頼りにしている相棒が不在の今、引っ張っていくのは自分の役目だと無意識に悟っていた。

「このまま旦那だけ置いて出発なんか出来ないだろ。旦那が居ないと何も始まらないんだ。だから探すんだ、あの人を。」

リュウガもジャッキーの説得が胸に染みたのか、そうだなと返す。

「俺も同じだ。兄貴が居ないと俺が旅に出る理由がなくなっちまうよ。」

「僕もケビンさんを目標にしています。あの人が戻らないなら僕行きたくないです。」


それを待ってたとジャッキー手を叩く。

「なら決まりだ。早速行こうぜ。」

「そうね。」

エルザは髪留めに一度触れると未だに泣き止まないマナと向き合った。

「マナ、パパの事探しに行こうね。」

「…パパを?」

「そうよ。」

マナは不安そうな顔で目を擦った。

「パパ…見つかるの?」

「絶対見つかるわ。それにパパはマナの事置いてけぼりにする訳ないもの。大丈夫、ママがお説教して連れてくるから。」

大好きな兎の刺繍のハンカチで涙を拭いてあげるとマナはハンカチごとエルザの手を手首からガッチリ掴んだ。

「パパぁ…会いたいよ…。」


白くて柔らかい手から微かに香る父親の匂いにマナはケビンの笑顔を浮かべた。

自分でも分からない位に会いたい。

それがマナの心の中で騒ぎまくってた。

エルザはその健気さと儚い思いに立派だと敬意し、優しく抱いた。

ガタンッと音がしてヴォルフが窓から中に入りそうな姿勢でコッチを羨ましく見ている。

「おい襲うなよ。」

主が静止させていると近くの家の玄関が開く音がした。

「姉御急いで。人混みが多くなったらヴォルフの鼻でも探せなくなるよ。」

「そうね。」

玄関で待ってろと愛犬もとい愛狼を生かせてリュウガは部屋を出た。

裏口までダッシュしたらカリーナが呼び止めた。

「リュウ、朝ご飯出来て」

「後で良い、俺大事な仕事あるんだ。」


早口で言って立ち去る息子の背中にファマドはコーヒーカップを置いた。

リュウガに続くように居候の人間が外に出ようとするのを不思議に眺める。

「ウェルパどうした?朝から総出でランニングでも行くのか?」

「先生オッス、相棒が家出したから捜索行ってくるわ。」

じゃあなと言って玄関のドアのベルが喧しく鳴った。

カリーナはコンロの火を止めて溜め息を付いた。

「あの子達には落ち着けって言っても無駄ねダーリン。」

「そうだな。」

再度コーヒーを飲もうとしたらテーブルの上の携帯電話が鳴ったのでついでに取る。

「もしもし、お、ヨッちゃんか。あぁ、キドなら出掛けたよ。ギルクが脱走したみたいでさ。」

スプーンをカップに入れて黒い水面をクルクル回転させる。

「もしだったら今からでも家来いよ。今日はギルクが退院する日なんだ。アイツらの事だから急いで出発するかもしれないだろ?準備しておいてくれ。」


通話を終えてファマドはヤレヤレと告げた。

これで久し振りに平凡な日々が戻ってくると。

同時に寂しくなってしまう事も。

《ギルク…。》

混じりけの無いコーヒーの水面に顔を写して…男は彼を思った。

《逃げるなよギルク。何処へ行こうが…アイツらはお前を探すんだ。だから安心して戻ってこいよ…。》

とにかく説教の準備はしておこうとコーヒーを飲み干しながら誓うのであった…。

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