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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第四幕・微かな絆に集いし七人の戦士~
20/34

新たな強敵出現!まさかのパーティ全滅!?

【1】


負傷事件から二日が経過した。

到着早々にこんな目に会うだなんてケビンは今更ながら後悔していた。

リュウガに言えた義理では無いが自分もかなりのお人好しだ。

それがこんな結果を招くなんて想像もしていなかった。

加えて古傷の後遺症も頭をもたげて来て今度こそ本当に大人しくしないと危なかった。

ノロノロと起き上がり、そんなのを考えていたら扉がノックされた。

「ケビンさん入りますよ。」

カリーナでもリュウガでもない爽やかな子供の声。

アイツかと思ったら扉が開いて目当ての少年が入ってきた。

「おはようございます。」

「よぉキド、こんな朝早くからどうした?」


床に足を付けて腰掛ける姿勢になるとキドマルは持参した手提げ袋を広げた。

「実は…ケビンさんに朝ご飯作ってきたんです。」

「俺に?」

「あんまりご飯食べてないからってカリーナのおばさんが言ってたから…僕の作ったのなら食べてくれると思って…。」

そう言って青い蓋の付いたタッパーを取り出して自分に渡した。

蓋を開けるとソースの匂いが鼻に付く。

「おいおい、朝からカツサンドとは豪勢だな。」

「昨日の夜のトンカツが余ったらそれをパンに挟んだだけですけど…。」

照れ臭そうに説明するのを余所にケビンはカツサンドを頬張った。

肉汁が染みた柔らかいパンを噛み締めて飲み込むと口元が緩んだ。

「…美味いな。残り物にしては上出来だ。」

「本当ですか!?良かったぁ~!」

イエーイと一人ハイタッチをする少年にケビンは笑いかける。

「なんか俺さ、もうエルザとお前の料理しか受け付けられないみたいだ。だからまた持参してくれないか?」

「それならお安いご用ですよ。作って捨てるのも勿体無いですし。」


半分以上食べたパンを一旦タッパーに戻してケビンは喉の辺りを時計周りに撫でた。

「どうしました?」

「キド、スムージー持ってきてくれ。カリーナさんが作り置きしてるのだ。」

「はい直ぐに…」

『キャアアアアアアアア!』

ホラー映画クラスの悲鳴が聞こえて二人が同時に驚く。

「おい…なんだ今のは?」

「あれ…今の声ってラビ?どうしたの?」

顔だけ出すと廊下の奥から黄金色の動物が走ってきて主の足元に回り込む。

『マ、マスター…お、お助けを…!』

「お助け?何かイタズラされたの?」

『ち、違います!ア、アレ…が…!』

なんなんか分からずにラビが走ってきた方角を見るとカサカサと小さな足音がした。

ピタリと制止されたそれは…黒光りする小さな虫。

「あぁ、あれってゴ…」

『言わないでぇぇぇ!せめてGと呼んでくださいぃぃぃ!』


プルプルと人攫いに会った子供みたく震える小動物の首をケビンはむんずと掴んで持ち上げる。

「何だお前、改造生物の癖にゴキブリ嫌いなのか?」

『シャラップですわ!Gは研究所で眼球破裂する程見てきたのですの!汚らわしい病の元ですわ!早く追い出して下さいませ!いや始末してくださいませぇぇぇぇ!』

昨日とは違って女性みたいな話し方で怯えるラビは空振りの猫パンチもどきをケビンにお見舞いする。

「ほんとお前って雄なのか雌なのかハッキリしない奴だな。」

『んな事どうだって良いだろぉぉ!早く何とかしてくれぇぇぇ!』

もう敬語すら忘れて暴れるラビにキドマルもそうだねと振り返る。

「スリッパが良いですか?それとも新聞紙にしましょうか?」

「潰さなくていい。流石に俺も捨てるのに勇気がいるからな。」


じゃあどうするんだと聞けばケビンはG目掛けて人差し指をバチンッと鳴らした。

するとGは跳ね上がり、宙で木っ端微塵に吹き飛んだ。

『え…えぇぇぇぇぇ!?』

予想外の始末の仕方にラビはケビンの指を振り解いて地面に降りる。

近寄った場所にはさっきまでGだった物の炭が散らばっている。

『い、一体何が…?』

「何って…起爆させただけだ。」

『起爆!?てかどうやって!?』

フィンガースナップで相手を体内から爆発させるなど最早手品の領域だ。

トリックすら分からない手法にラビは足蹴りの風圧で炭を吹き飛ばす。

《これがスキル能力の真髄…恐るべし。》

微かに焦げ臭さを感じながら一応退治してくれてありがとうとケビンに礼を述べる。

「気にするな。それよりお前はどうしてここに?」

『あぁ…実は』

「ラ~ビちゃぁぁ~ん!」


ヤバい見つかったとラビは慌ててケビンの足にしがみついた。

自分も見ると可愛らしい足音が聞こえてくる。

姿が見えなくてもマナだと分かった。

でも走り方が尋常では無いのでケビンは嫌な予感しかしなかった。

《あ、また転ぶなこのパターン。》

案の定、自分が予言した通りにずでん、ベチャッ、と盛大に転ぶ音がした。

「…グスッ…えっぐ…ふぇぇぇん…。」

冷たいコンクリの廊下に顔面から叩き付けられた衝撃は凄まじく、マナは起き上がれずに泣き出してしまった。

「ほ~ら言わんこっちゃないだろ。」

スタスタと歩いて抱っこするとマナは顔面紅潮になって父親にせがむ。

「パパぁ…グスン…。」

「よしよし痛かったな。」


後ろ頭を撫でながらあやしてるとラビがケビンの足元からスルスルと登ってきた。

「おいラビ、何やったんだ?」

『お嬢様が追い回しただけです。私を抱きたいとばかりにしつこくてしょうがないですわ。』

映画に出てきそうな神秘の動物ばりに肩に乗ったラビはマナのツインテールを鼻で突く。

「んでお前は追い掛けられてゴキちゃんとご対面か…皮肉だな。」

『それは慰めですか?それとも追い打ちですか?』

「どっちだって良いだろ。てか俺に抱かれて平気なら他の人間に抱かれても文句無いだろ。」

ラビはそっぽを向くように肩から降りると主人の元へ向かう。

『はぁ~、やっぱり貴方が一番落ち着きますわねマスター。』

「この野郎…裏切りやがって。」

奥歯を噛み締めていたら腹の音がギュルギュルと鳴った。

「…キド、タッパー持ってこい。お前のサンドイッチ向こうで食べるからさ。」

「はい、あ、そうだ…。」

タッパーを抱えてきて少年は病衣の裾を掴んだ。

「実はケビンさんにお願いがあるんですが…。」

「またか、今度は何だ?」

「朝ご飯食べたらリハビリがてら散歩しませんか?リュウ兄迎えに行くついでに…会わせたい人達がいるんで。」


因みにリュウガは今朝早くから姿が見えない。

自身のストレス解消の場であるスケートリンクに滑りに行っているからだ。

ケビンは渋るも外出は必要だし、何よりリュウガが滑っている姿も見たいと快く了承してくれた。

「なぁキド、折角だし皆で行かないか?」

「僕もそう言おうと思ってましたよ。ラビも良いよね。」

『YESマスター、異論はありませんわ。』

そうと決まればとケビンはマナをあやしながらキッチンへと向かい、ラビとキドマルも後に続く。

例のGの一件は結局お咎めナシに終わるのであった…。


【2】


鉄道が通勤ラッシュを迎えるセントラルの大通り。

その一角にリュウガのお気に入りの場所があった。

平日の昼間は滑りに来る人間は皆無であり、ほぼリュウガが貸し切りで使用しているに近い。

無人のリンクの搬出口の手前、簡素な椅子が並ぶ座席に人知れず金髪の青年が腰掛けていた。

椅子に腰掛け、スケート靴の紐を丹念に結ぶとゆっくりと搬入口まで歩く。

誰も居ない白い舞台の天井を見上げるとドーム状の屋根から真っ青な空が見える。

ガラスを囲う木枠の間から漏れる日光が白いリンクに反射して煌めいて幻想的な光景だ。

リュウガは一呼吸置くと羽織っていたウインドブレーカーを脱ぎ捨てた。

上着の下から姿を見せたのは白と青のフィギュア衣装。

ある意味で己の勝負着でもある衣装を纏って青年はリンクへ飛び出した。


音楽も音も一切聞こえない氷の世界でスケート靴のブレードが氷を削る音が響き渡る。

削られて宙に舞う破片が衣装のスパンコールのように日の光を受けて輝き、リュウガの金髪と馴染んで彼の魅力を一層際立てた。

リュウガはいつもと同じで頭の中でBGMを掛けて音をイメージしながら優雅に滑る。

八の字に滑り、助走を付けてのスピン、上半身を反りながら高速ターン。

技を次々と成功させると今度はスピードスケートのような大柄な走り様も披露する。

他の人間が誰もいない場所でリュウガは溜まっていた物を吐き出すように広過ぎる氷の舞台を駆け回っていた。

―どの位滑ったのだろうか。

喉の奥が乾燥してヒリヒリし始め、休もうと最後のターンエンドを決めた時だ。

自分一人だけのスケート場からパチパチと拍手が聞こえたのだ。

てっきり清掃員のおじさんかと思って探したらそれは意外な人物だった。

「お~いリュウ!格好良かったぜ!」

「流石やなリュウちゃん!今のは金メダル以上の演技や!」

「いよっ!親の七光りもどき~!」


キョロキョロと探した先はリンクの二階、そこに見慣れた顔があった。

「あ、兄貴?それに皆も…。」

どうしてこの場所が分かったのかと疑問が浮かんだがそれは直ぐに解決した。

ケビンとエルザの間に立つ小さな人影が手を振っていたからだ。

「キド…。」

「えへへ、皆でリュウ兄の事迎えに来たよぉ~。」

可愛い弟分の気遣いにリュウガも感銘したのか、手を振り返した。

「兄貴、俺靴履き替えるから入り口で待っててくれないか?直ぐに行くから。」

「あぁ分かった。お前も汗拭いとけよ、医者のせがれが風邪引いたんじゃ洒落にならねぇからな。」

リュウガは言葉は交わさずに頷いて返事する。

そのまま座席まで戻ると靴を履き替え、荷物を持って出入り口まで走った。

「お待たせ兄貴。」

「よぉ、にしてもお前そんな格好で寒くねぇのか?」

リュウガの服装は衣装のままでウインドブレーカーは手で持っている。

着替えの手間を省こうと家からこの衣装を着てくるので上着は必須なのだ。

「全然平気さ。いつもこうだから。」

「それにしてもそんなのどうやって買ったの?」

「へへ、ネットオークションで落札したんだ。こういうの沢山出品されてるから。」


エルザが髪の毛が濡れたままだと私物のタオルを金髪に掛ける。

目元を隠す布を払ったらマナが衣装の裾を引っ張った。

「リュウ兄ちゃん冷たくて気持ちいいなぁ~。」

グイグイ引っ張る手を抑えてリュウガの手がマナの頭に乗る。

「おいおい、本当にキドにそっくりになってるなお前。」

「…そっくり?」

「そ、キドもお前よりチビだった頃はこうやって甘えてたんだ。まぁ今でも充分チビで甘えてるけどな。」

ハハハと笑っていたらもう~と腰の後ろをバンバン叩かれた。

「リュウ兄ったら、余計な事言わないでよぉ~。」

「良いじゃんかよ、本当の事なんだから。」

前に後ろに自分にくっつく幼い子供を相手にするリュウガは完全に保護者の顔になっている。

それを大人四人が興味津々で見つめていた。

「なんやかんやでリュウちゃんも大人やなぁ。」

「あぁ、俺らよりよっぽどマシだぜ。」

「そうね、ウチの変態と比べたら月とスッポンだわ。」


名指しでグサリと矢印を刺されたジャッキーが入り口の太い柱に背中を付けて体育座りして落ち込み、ラビが何してるのかと側に駆け寄る。

『どうしましたジャッキー様?』

「お前には所詮分からねぇよ…グスン…。」

大の大人が何やってるんだとラビはいまいち理解出来ずにケビンの元へ向かう。

『ケビン様…あの人落ち込んでますけど?』

「相手にするな、余計に鬱陶しくなるだけだから。」

その言葉に深追いしない方が身の為だとラビは追求せずに主の手元に走る。

『マスター、そろそろ…。』

「うん。早くしないと誰かに見られるからね。」

ラビを肩に乗せてキドマルはケビンを呼ぶ。

「ケビンさん出ましょう。案内しますので。」


少年と兎を先頭にしてスケートリンクを後にし、向かう先はセントラルの目玉スポットであるビーチ。

遊泳客は殆どおらず、小さな蟹が数匹横歩きする砂浜をテクテク進む。

「プリンス、今度は誰が待ってるんだ?人か?それとも動物か?」

「まぁ少し特殊な動物ですね。コッチにいますから。」

ビーチの砂浜は思った以上に広く、何もない砂地を歩く事数分。

やがて白い灯台が海の向こうに見える地点まで辿り着いた。

その場所の手前には《立ち入り禁止》と書かれたボロボロの木の看板が建っている。

「チビ助、こっから先は入ったらアカンのか?てか、どうしてこないな場所に?」

「ここは波に飲まれやすい箇所なんです。実際何人かが拐われて亡くなる事故もあったから…今は規制されてるんです。」

看板を無視して更に進むと同じように波飛沫や潮風に煽られ、朽ち果てた建物があった。

外観から見ると海の家らしい。

「うわぁ…如何にも何か出てきそうね。」

「そうだな。ホームレスの亡骸とかありそうだな。」

「だ、旦那ぁ!恐い事言わないでくれよぉ!」


エルザの背後でブルブル怯えるジャッキーにしっかりせい、男やろとガデフがツッコむ。

すると前述のフラグが立ったと言うのか、廃墟の奥から鋭い眼光が光った。

同時にケビンは体中がザワザワする感覚を体感した。

それは自分の分身…バディビーストの身震いだ。

《この感じ…まさか。》

ビーストがここまで殺気立つ理由は一つ、同じビーストの気配を感じた事にある。

ならば何が待ち受けてるかは…目に見えていた。

「兄貴…黙ってて悪かったけど俺もキドも普通の人間じゃ無いんだ。でも回りに人が多すぎて無闇に使うと危ないから…やむを得ずに切り離したんだ。アイツらを。」

リュウガがシガレットを一旦口から出してピィィィと掠れた指笛を吹く。

その指笛を聞き付け、廃墟の瓦礫を破壊して何かが飛び出した。

スケートリンクで滑っていたリュウガのように日光で煌めく氷の破片を纏わせた影。

それは雪国の山奥で住んでそうなイメージを持つ…銀色の毛並みの狼だ。


ザシッと砂浜に鋭い爪を食い込ませて銀狼は見知らぬ人間達を睨む。

自分の住み処とも言うべき場所に侵入され、怒っているようだ。

「グルルルル…。」

だがこれで終わりでは無かった。

更に崩れた瓦礫を掻き分けてもう一体獣が現れた。

こちらは銀狼と正反対の…金色と黄色を混ぜたようなオーラと毛並みを纏った獣。

体格は狼より少し横に広く、足も胴体も若干太い。

足と背中には等間隔で黒のラインが入れられ、ラビの体毛を集めたようなフワフワの尻尾を静かに揺らす。

その纏う殺気からケビンを始め、その場の人間全員が瞬時に察した。

廃墟を根城にしているこの二頭はバディビースト。

それを身に宿す二人の青年はそう…スキル使いだと。

「…ウェイト。」


【3】


聞き馴染めない英文でリュウガが命令すると狼と虎は揃ってお座りした。

「よし、いい子だ。」

獰猛な獣から大人しい犬猫になった二体をあやしてリュウガはケビンと対面する。

「コイツはヴォルフ、俺の相棒でもう一人の兄弟だ。そしてこっちがトラピカ。」

「ブルルル…。」

虎は白くて鋭い牙を見せつつも襲ったりせずにその場で唸る。

「…虎と狼とは洒落てるな。お前らの分身だけある。でもまさか…こんな所に匿ってたとは。」

「スキル使いって一部の人間から見れば異常者なんだ。それにバレると俺らだけじゃなくて親にも飛び火する危険があるから…。」

「だから切り離して…回りに誰もいなくなる隙を見計らって会いに行ってた訳か。それもなんだか可哀想だな。」

自分等と違って人並みの生活を送る二人にとって本当の自分を隠すのがどんなに辛いのかは目に見えていた。

「でもなんで会わせるような真似したんや?それもなんか急いでるみたいやし…。」

「…まだ兄貴から聞いてないならこの場で告白しようってキドと打ち合わせしたんだ。」


新しいビーストは主人が離れてくれと言うのを感覚で悟り、波打ち際へ向かう。

するといつの間に飛び出したのか、リンクスが興奮してヴォルフを追い掛けていく。

敢えて止めずにケビンが待っていたらリュウガは衣装が汚れるのもそっちのけで砂浜に土下座した。

「俺達…兄貴の仲間になるよ。兄貴が誘ってくれたんだ。治療が終わり次第…一緒に来いって。」

キドマルもいつもと違う兄の姿に同情し、隣で土下座する。

「親父達に何れ話は付ける、アンタ達が止めろと言っても無理矢理付いていくからな。もし役立たずだと感じたら切り捨てて構わない。そしたら大人しく帰るからよ、兄貴達の事も綺麗サッパリ忘れてやるから。」

顔を上げない主人達の心情を感じ、ラビも二人の間で頭を下げた。

『お二人の言葉と覚悟は本物です。私もご同行致します故。』

「お前も…?」

『脱走した身分とはいえ…私はミステシアによって造られた存在です。奴らがいる限り…私と同じ運命を背負いし生物はまた産み出されていきます。もし止めなければ…この世界の全ての動物がキラービーストと化してしまうのです。そうなると生態系のバランスは大きく崩れ…世界にも影響を及ぼします。それだけはなんとしてでも阻止しなければならないのです。』


潮風で煽られた羽毛の間から覗くドックタグが日光に当たって輝く。

一生外す事が出来ない…己の枷とも言うべき証だ。

だがこの枷は…自分に勇気を与えてくれてもいた。

一度は逃げ出した憎き居場所を潰す勇気を。

『私にはフェイクの野望を止める務めがあります。あの男だけは生かしておく訳にはいきません。必ずしや決着を付けたいのです。それが奴に産み出されたキラービーストの看板たる…私の使命でございますから。』

顔が砂浜にめり込み、伸ばされた耳が風に揺れる。

前を素通りする蟹がピタリとにらめっこするようにその場に止まった。

蟹がラビの耳にハサミを近付けたら自分の真上に人影を感じ、撤退する。

「…下手したら生きてこの街には帰らへんで。それでもええんか?」

「そんなの承知の沙汰です。覚悟してないならこうやって頭下げたりしないですよ。」

「俺もただ怪我した人間治療するだけじゃ駄目なんだ。自分からなんかやらないともっと犠牲が増えるだけだ。それなら命捨てるしかないって…決めた次第だ。」


リュウガに追い打ちするようにザパーンっと高波が岩にぶつかった。

大きな飛沫がキラキラ光って降り注いでくる。

「…そうか。」

ガデフのブーツがザシッと砂を噛んだ。

馬鹿馬鹿しい言い分だと二人は覚悟した。

すると下げたままの頭部に大きな手が乗った。

「…おっちゃん?」

「お前ら…二人してホンマもんの馬鹿やな。呆れたで、若い内からそないな事言う奴おらへんやろ。」

いきなりの説教に二人は萎縮する。

やっぱりかと思っていたらワシャヤシャと毛髪を弄られた。

「でもお前らの気持ちが本当なのは受け取ったで。自分から変わらへんといかんのは確かに大事な事や。ワシもケビンと会う前は人から避けずまれてばかりやったから…何処かで心変わりしないと駄目やって考えとった。それに比べてるとお前ら…運がええで。」


説教とは程遠いニカッとした笑顔で見つめるガデフに二人は目配せして驚く。

「おっちゃんまさか分かってたの?俺がこんな事言いそうだって。」

「分かってたって言うか…旦那の目見て察したんだよ俺達。初めて会った時から旦那…ヤングの事優しい目で見てたんだよ。あれは絶対何かあるって直ぐに分かったさ。」

「おまけにアンタ達揃いも揃って余所余所してたでしょ。それなら何か隠してるだなんてバレバレよ。」

ジャッキーもエルザもガデフと同じ笑顔で自分達に答える。

既に彼らは悟っていたのだ。

こんな事を言うのではないかと。

「伯父貴…姉御…!」

「ガデフさん…そこまで考えててくれてたなんて…!」

予想外の結末に若い二人のスキル使いは号泣するのを堪えて感謝の言葉を述べる。

そしてラビはと言うと…事の用件を提案してくれた男の肩に登っていた。

『ケビン様…なんと感謝申し上げたいのか…。』

「何もしてねぇよ。ただその気になればって誘っただけだ。」

『…それでもお考えになってたんですよね。坊ちゃん達を連れて行きたいのは。』

波の音を聞きながらケビンはそうだなと小さく呟く。

「あんなに目キラキラされたら…流石にノーと言うのも可哀想だろ。それにマナが懐いた以上は…どんな手使っても側に置いとかないといけないしな。」

『…つまり親馬鹿故の優しさと気遣いな訳でございますのね。でもそれがある意味では…貴方という人間を作っていると私は感じます。』


子供の心を優先した決断にラビも良い提案だと素直に受け入れる。

すると波打ち際から喧しい獣の叫びが聞こえた。

「おいお前ら、あんまり派手に喧嘩するなよ。見つかるからな。」

こんな場面を目撃されたらマズイという顔のケビンにマナはビーストの元へ走る。

確かめに行くと先程の雄叫びは新参者であるヴォルフとトラピカが取っ組み合いをしている声だ。

「どうしたのリンリン?」

「ニャ~オ…。」

騒いでゴメンねとマナに傾げるリンクスはなんだか寂しそうな顔になっている。

心配したマナが耳を当てて心の声を聞き取る。

「…そっか、成程ね。」

「何が成程なんだ?」

あまりにも激しい喧嘩に全員がマナの元に集合する。

「あのね、トッティと遊んでたらヴォルヴォルが怒ったんだって。このカワイコちゃんは俺が先に目付けたんだから横取りするなって。それで喧嘩してるみたい。」


―トッティとヴォルヴォル。

出会ったばかりなのにマナはもう二体に呼び名を付けてしまっていた。

フェニクロウらもそうだがやはりマナは只者では無いとケビンは感心する。

「凄いなお前、ヴォルフをそんな風に呼ぶ人間なんて初めてだぞ俺。」

それよりもいい加減落ち着けとリュウガはキザに指笛を吹いた。

その音にヴォルフは飛び掛かるのをピタリと止めて駆け走る。

「グルルルル…。」

「分かったから落ち着け。また後で続きやればいいだろ。」

よしよしと撫でられてご機嫌な狼はチャンスとばかりにリンクスにアピールしてくる。

「ブルルアァ!」

だがそうはさせないと喧嘩相手の雷虎が勢い良く飛び掛かってきた。

「こらトラピカ!駄目だってば!」

「コイツら雌の取り合いで喧嘩かよ…人間みたいだな。」

『まぁ今まで他人に干渉した事がありませんから…色々な意味で興奮しているのでしょう。』


でもこのまま喧嘩させてると何れは誰かに見つかるとリンクスは懸念し、この中では比較的年長者であるガデフに甘えてきた。

「なんや?ビッグを間に入れて止めさせるんか?」

「ニャゴ。」

仕方あるまいとビッグベアを召喚させると間に出現した黒い塊に二体は驚いてひっくり返った。

「グルゥゥ…。」

「ブゥアア…。」

「なんや弱いのお前ら、ただの犬と猫やないか。」

ワハハハと馬鹿げたような高笑いが真夏を連想させる青空へと吸い込まれていく。

それは奇妙な縁で知り合った…この七人の本当の意味での出会いのようであった。

そしてこの直後にあんな事が起きるなど…彼らはまだ知る由も無かったのだ…。


【4】


セントラル滞在から早くも四日が経った。

明日で丸々一週間となる節目のようなこの日、ファマドは診療所が休診日なのを見計らってケビンのレントゲンを撮っていた。

診察室にはファマドとケビンの他にマナ、ジャッキー、エルザ、ガデフの四人もいる。

カリーナは「お昼はパスタにでもしようかな」とキッチンへ向かい、リュウガとキドマルは朝早くから二人きりで外出していた。

これにケビンは最初珍しいと思うも…今まで自分に付き添ってくれたからたまには息抜きさせた方が良いなと断言して気には止めてなかった。

それ以上にケビンは今…気まずい空気の中に閉じ込められていた。

「…ギルク。」

「はい…。」

「俺もこの世界に入って結構経つが…お前みたいな生きた屍みてぇな患者は初めてだぜ。お前にはやっぱり…悪い意味で幸運の女神様が付いてるんだな。」


幽霊みたいにボンヤリと白く浮かぶレントゲン写真を見て…ファマドは額に青筋を浮かべていた。

怒ってるようにも呆れているようにも見える…どっち付かずの顔にケビンは曖昧にしか答えられない。

写真に写っているのはケビンの腕や足の骨だ。

骨格はしっかりしているが食べかけみたいにあちらこちらにヒビ割れが伺える。

「これで折れてねぇのが本当に奇跡だよお前さんは。なんだ?毎日牛乳飲んで筋トレしてたのか?」

「そんな事は…。」

「ぶっちゃけた話…お前の骨いつポッキリ折れても可笑しくねぇんだ。それにこの状態で折れたら…結合するのは無理そうだからな。」

首に引っ掛けた聴診器を振り回してファマドは机の上にレントゲン写真をばらまく。

「あとは大丈夫なのか?走ったら息切れしやすいとか…足がむくみやすいとかは?或いは心臓の辺りが苦しいとかは無いのか?」

「…特に。」

「そうか…大丈夫なんだな。」

肺や心臓は正常なのを確かめてファマド椅子に寄り掛かる。

「なぁ先生…何が言いたいんだ?そんなにヤバイのか?旦那の体。」

「あぁ。聞けば五年もアテの無い旅してるんだってなコイツ?その五年という歳月の中で…コイツは自分の命を削りながら生きてきたって事だよ。次何かあったら…覚悟しといた方がいい。」


―覚悟しといた方がいい。

最後の言葉が何度も脳内でエコーしてジャッキーはまさかと疑う。

「悪い話だが…ギルクの体は俺でも元通りに出来ない。これだけの負傷を全部治すとなると時間も金も掛かる。それ以上にコイツが大人しくしてると思うか?」

流石にそれは断言出来ないのが事実だとジャッキーは無言になり、ガデフが同情すると肩を持つ。

「下手すれば前の奥さんと子供の無念を晴らす前に天国へ辿り着くって可能性も…無いとは言えねぇな。それだけはお前も避けたいと思うだろ?違うか?」

「…。」

ケビンは何も答えられない。

自分の体は自分でも良く分かる。

ファマドの予想以上に…自分を痛め付けてきたのは紛れもない事実だ。

でも自分の過去の過ちを償うには仕方無い行動だと信じているのだ。

「しかも今…状況は最悪な方向に傾いてるんだ。下手したらお前…塀の中で死ぬかもしれねぇぞ。」

「塀の中…?」

エルザが何の事かとケビンを見つめる側でファマドは頑なに目を閉じた。

「…一昨日の事だ。お前らがリハビリ行っている間にウチに電話が掛かってきたんだよ。セントラル支局からだ。フィーニーって女を探してる、それらしき人物を見かけたら連絡してくれ…とな。」


その言葉に全員が同じ表情で青ざめた。

一昨日と言えば…リュウガとキドマルが仲間にしてほしいと交渉してきた日。

皆でビーチで馬鹿騒ぎしている間に…厄介事が起きてしまっていたのだ。

「本当なら帰ってきた時点で話そうと思ってたけどな…でもお前らの楽しげな姿見て言い出せなかったんだ。それにリュウ達もいたから…責任感じて距離を置くと思ってな。」

聴診器を机の上に置いてファマドはケビンと向かい合う。

「…お前が刺された日、麻酔で眠っている間にウェルパ達から事情は聞かせて貰った。国際警察に監視されてるって事も俺は知っている。でも俺にはどうしても疑問に思う事があるんだ。奴らがそこまでしてお前らを探す理由が何なのかがどうしても知りたいんだ。思い当たる節があるなら…教えてくれないか?」

その言葉を待っていたようにケビンは首を後ろに反らす。

「…どっちみち先生には教えないといけないって思ってたけどな。」

視線の先には…母親代わりの女性に肩を持たれる少女の姿があった。

心配そうに自分を見つめるマナの姿に観念したのか…ケビンは口を開いた。

「マナの親…国際警察の関係者なんだよ。奴らあの手この手でこの子を保護しようとしてるんだ。」

率直な答えにファマドは勿論、マナもまさかと驚く。

今まで自分でも知らなかった事を…どうしてケビンが知っているのかと。

「明確な証拠はある。マナの指輪だ。」

「指輪…?」

「その指輪の宝石に…警察の代紋が特殊な技法で彫られてあるんだ。濡らして太陽や蛍光灯の光を当てるとその代紋が炙り出しみたいに浮かび上がるんだよ。」


物より証拠と言わんばかりにケビンはマナから指輪を借りるとファマドから借りた消毒用アルコールをスプレーで宝石に吹き付ける。

アルコールの水分で湿った指輪を机の卓上ライトに当てると…桜と太陽を掛け合わせた白い模様がお披露目になった。

「確かにこれは国際警察のマークだな。でもどうしてこんな小細工が…?」

「それは分からない。マナはそれを親の形見みたいな物だって信じてるんだ。どっちがどっちに送ったのかは不明だが…警察の代紋なんかオーダーメイドでも中々入れない模様だ。それを考慮すると可能性は充分にあるんだよ。」

半信半疑で指輪を返してファマドは参ったなと頭を抱えた。

「じゃあお前らがいる限り…俺らの身も危なくなるって訳か。」

「先生…。」

「だとすればウチも赤字じゃ済まねぇ。今度こそ畳むしか生き残る道はねぇって事だろ?それとも…観念してマナちゃんを親元に帰すのか?どうなんだギルク?」

ケビンは指輪を壊れる位握って顔を上げた。

「先生聞いてくれ。俺は…俺はマナをアイツらに引き渡すのは御免だ。」


背後で俯いていたマナがえっ?と呟く。

「確かに俺達がしている事はほぼ誘拐に近い。でもあの日…切り捨ててたらマナは誰にも助けられずにずっと一人ぼっちだった。警察の連中だってあの子が何処に居るのかなんて気付かずに終わりになってたんだ。」

ケビンには言い切れる確証があった。

マナと初めて出会ったあの日…彼女は確かに言ったのだ。

―自分に同伴すれば両親に会えるかもしれないと。

それ以上にマナはスキルで人を焼き殺した自分を恐れずに受け入れてくれた。

その直向きな姿勢と優しさをケビンも信じて…彼女の手を握ってきたのだ。

「じゃあどうするってんだ?引き渡さないなら…地の底まで逃げるってのか?」

「…違う。」

ケビンはマナの指輪を右手で持ち、そして左手を懐に入れた。

取り出したのは失った家族の写真を収めたペンダント、そして銀の鎖に繋がれた…自分の左手の薬指のリングとペアになっている結婚指輪。

右手と左手に持った物をケビンは同じタイミングで握り締めた。

「俺が…マナの父親になる。」

「…ギルク!?」

「簡単になれる話じゃないのは覚悟してる。でも俺は本気だ。これ以上産みの親に振り回される位なら…俺とエルザが親になってマナを育ててやりたいんだ。ヒカルに…死んだ息子にやれなかった物をマナにあげたいんだよ俺は…。」


それはまだ打ち明けられない己の過去からも来ていた。

自分は異端な存在だと周囲から避けられていた。

マリアはそんな自分に未来を与え…ヒカルは自分に誰かを愛する事を教えてくれた。

その二人を失った今…ケビンの支えになっているのがマナだ。

彼女だけは…何があっても失いたくない。

それにマナも…これ以上一人にさせたくない。

そこからケビンは迷って決めたのだ。

彼女も自分も救う…唯一の手段を。

「お前…それ本気で言ってるのか?下手したら首飛ばされるんだぞ?」

「…それも承知している。俺が嘘言うと思ってるのか先生は?」

指輪とペンダントを仕舞ってシャツのボタンを直す。

「自分勝手な言い分なのは自分で良く理解している。だから俺はやってみせるんだよ。血とか遺伝子とか関係無くても家族になれるんだって…奴らに見せつけてやるつもりだ。」

「…どうしてそこまで…お前は?」

「先生だって分からなくも無いだろ。リュウの部屋にあった写真見て思ったよ。患者の子供を息子同然に可愛がるアンタがそんな否定的な事言って良いのか?」


紛れもない事実を突き付けられてファマドは怯んだ。

彼はキドマルを赤ん坊の頃からずっと気に掛けてきた。

キドマルだってこの男は父親みたいな人だと、だから母子家庭の引け目も感じずに生活してきたと自慢していたのだから。

「キドは先生を本当の親父みたいな人だって信じてるんだ。家族の在り方を知り尽くしているアンタが…そんな事口にして許されると思ってるのか?」

「…ギルク。」

「これは俺が決めた事だ。周りに何言われようがこれだけは譲れない。マナは俺とエルザが責任持って面倒見る。だから止めないで欲しい。」

背後から小さな啜り泣きが聞こえてケビンは耳だけそちらに向ける。

マナにしてみれば色々言われて混乱するのは当たり前だ。

だから後で全部話そうとも決めていた。

「…分かったよ、なら俺も口出しはしねぇ。しねぇけどなギルク…言うのは簡単だが現実はそう上手くいかねぇよ。引き取りたいならマナちゃんの実の親と対面する必要がある。そこでキッチリ話付けなきゃお前がムショにぶち込まれるだけだ。そこはちゃんと理解してるのか?」


【5】


ケビンは勿論だと頷いて視線を後ろに向ける。

するとエルザがマナの手を引いてケビンの横に立った。

エメラルドに輝く瞳が…ファマドを鋭く睨む。

「…警察に媚び売るならこんな馬鹿な提案思い付かないわよ。向こうも向こうで取り戻そうと必死なのは私達も分かってるから。」

「先生達を巻き込んだのは謝るさ。それでも自分に有害なら勝手に政府のお偉いさんに泣き付けばいい。でもそれなら…俺はリュウとキドを誘拐同然で連れて行く。そこから先何があっても…後悔はしないでくれよ。」

これ以上話しても無駄だとケビンは椅子から立ち上がり、ジャッキーが手慣れた様子で自分のコートを病衣の上から羽織らせる。

そのまま診察室を出ようとした時だ。

「…ウェルパ、シュトロゼム。」

待ってくれとファマドはここまで口出ししていない二人を呼び止めた。

「お前らも覚悟してるのか?マナちゃんといる限り…何かに巻き込まれるのは可笑しくないんだ。それでもお前らは…あの大馬鹿野郎に付いていくのか?」


ジャッキーは足を止め、ケビンに先に行ってろと目で合図する。

そこから帽子を取って胸の前に当てた。

「…それが恐いなら俺様は表社会そのものに踏み込まなかったさ。あと何かに巻き込まれるのは姫と一緒だからじゃない、旦那と一緒だからだ。」

「ワシらはそない甘い世界で生きてはおらん。それに死ぬのを恐れたら…生きてても楽しくなんかあらへんやろ。人間は皆順番に産まれて順番に死んでいく…それが繰り上げになるか繰り下げになるかの違いだけや。」

ジャッキーもガデフも決めていた。

何があってもケビンと共に生きると。

自分らの運命を変えた男を野放しには出来ないと。

彼と一緒なら死んでも悔いは無いと。

それが二人の答えだった。

「それに姫は俺様の可愛い妹でもあるんだ。それこそアンタの息子と同じで…弟や妹を守るのが兄貴の務めだからな。」

帽子を深く被り直してジャッキーは今度こそ部屋を後にし、ガデフも背中を追って病室へと戻る。

パタリと閉じられた扉の奥でファマドは呆然と彼らを見送っていた。

でもその顔は呆れたように見えて…何故か嬉しそうだ。

まるで…彼らならそんな事を言うと思ってたと予期していたように。


そうとも知らずにケビンは病室に戻って窓の景色を見つめていた。

エルザはマナを泣き止まそうと外に出ており、部屋にいるのは男三人だけ。

ジャッキーは隣に立つとコートの分厚い生地を撫でる。

「旦那、奴らの本部があるのはホワイトヒルズって所だ。最新鋭の警備とセキリュティシステムが敷かれたまさに侵入不可能な要塞みたいな大都会だ。」

「…そうみたいだな。俺も噂で聞いた事はある。」

「しかもセントラルから行くとなるとかなりの長旅だ。その間に連中も追い掛けてくるぞ。それこそココの支局の人間もな。それでも行くんだろ?」

あれだけ大見得を切った手前…今更引き下がる訳にもいかない。

それもケビンは覚悟していた。

「親のエゴで振り回される子供程…不幸な存在はいないからな。俺はそんな人間を見るのは嫌なんだ。」

「…だと思ったよ。ヤングじゃないけど…本当に子供って不幸な世界で生きてるよな。親とか教師にあれも駄目これも駄目って…それこそロボトミーされてロボットみたいに育てられるんだろ?裏社会でも親に捨てられた子供がオークションの景品になって売り飛ばされるのが度々あるからな、俺様も流石に血の気が引いたよ。」


ゾワゾワと鳥肌が立った二の腕を擦ってジャッキーは相棒を見つめる。

「旦那…。」

「…?」

「俺様に出来る事があったら何でも言ってくれ。最も子守か出費位しか出来ないけどな…。」

ジャッキーの瞳が…ドラグーンと同じ青色に染まってるのを見てケビンも自然と瞳を赤く染める。

「ヤングやプリンスと比べたく無いが…姫は振り回され過ぎだ。だから旦那や姐さんみたいな大人と一緒にいるのがあの子の本当の幸せだって…最近考えるようになったんだ。なら俺様も指咥えて見るだけじゃ無くて…本当に何かしてやりたいんだよ。」

スイッとコートに添えていた右手を拳にしてケビンに向ける。

「姫が身内のオモチャにされるなら…どんな手使っても奪い返すさ。それで死んでも後悔は無い。」

「…そうだな。」

「子供程大人にとって都合の良い道具は存在せえへん。確かにそれは絶対無敵とも言える力を誇示するのと同じ意味合いやで。でもこの世に絶対無敵な武器や理屈は無い。それが人間であってもや。」

ぶつかったジャッキーの右手とケビンの左手をガデフが包む。

「まだ公にはなってないが…連中の古株はワシの首も欲しがっとる。なら尚更喧嘩売る理由が出来るやろ。嬢ちゃんの親と直談判して和解が難しいなら…もう覚悟は出来とる。」

「…あぁ。俺もそのつもりだ。」


自分らのやる事は…警察処か政府ですら敵に回す事になる危険な賭けだ。

でもこれ以上ネチネチ追い回されるなら真正面から仕掛けた方が効率重視になる。

それがケビンの答えだ。

「ヤング達まで巻き込むのは申し分無いが仕方ねぇ。そしたら俺様が上手く匿うさ。アイツの人柄ならマフィアになっても多分生き延びられるだろう。」

「チビ助はワシが預かるさかい、ミステシアがあの兎もどきを探してるなら二人で地の果てまで逃げてそっから逆転すればいい話やしな。」

万が一の場合の結末まで踏まえて三人は同時に頷く。

そうでもしなければ現実に直面した時に戸惑ってしまうからだ。

「まぁ何はともあれ…まずは治療が全部終わらないと始まらないんだ。今から焦ってもしょうがないしな。」

「…そうだね旦那。死ぬ前に姐さんと姫と両手に花デートしないといけないしな。」

「そうそう、まさかの二股デートにっ…てオイ!なんでお前そんな事知ってんだよ!」

エルザにしか交わしていない約束を掘り返されてケビンは焦り、ジャッキーはいけしゃあしゃあと答える。

「おっと、盗み聞きしてた訳じゃねぇぜ。旦那と姐さんのいない所で姫がコッソリ教えてくれたんだ。そしたらヤングとプリンスも乗っかってよ、どっちが先に姫を物にするかって空気で面白かったぜ。」


羨ましいじゃんロリコンパパさんよぉ~とけなしたらあっという間に背負い投げされた。

「ふぇぇぇ…なんで…?どうしてぇぇぇ…?」

「…お前マジでストーカーにでも転職したらどうだ?」

「それはグッドアイデアじゃな。直ぐに死刑に出来るしの。」

ボハハハとガデフにまで笑われてジャッキーは冗談だってばぁと嘆く。

「だって旦那…俺が姐さんと浮気しても絶対怒らないって言ってたじゃん。」

「浮気とストーカーは全然別物だ。特に後者のメリットなんてほぼ犯罪だからな。」

子供みたいに啜り泣く相棒にケラケラと笑いながら話すとガラス戸を開けた窓から優しい風が入って髪の毛を揺らした。

それはまるで…一家団欒のような穏やかな空気だ。

考えてみても不思議だ。

エルザが自分の妻でマナが娘なら…ジャッキーは親友でガデフは先輩風、リュウガはそれこそ弟分だしキドマルは息子みたいに気に掛けてしまう。

ラビは微妙だがバディビーストと同じ感覚だ。

なんだか家族みたいだなと…本気で思っていた。

自分がずっと忘れていた「家族」の形を彼らが見事に再現しているのだ。

《マリア…なんだか俺、コイツらと一緒にいるのが幸せだと感じられるよ。いつかは分からないけど…今やってる事が片付いたら紹介するからな。だからそれまで…ん?》


天国に向かって唱えていた矢先、風向きが変わった。

風自体では無く…その風の中に怪しげな匂いが混ざっているのを嗅ぎ取った。

「旦那…どうしたの?」

ジャッキーが見つめる横でケビンは意識を嗅覚に集中させる。

《これは…火薬の匂い?それにこの方角は…。》

正確な場所を当てようとしたその時、ドガーンと大きな爆発音が聞こえた。

地響きこそしないが爆発の振動で窓ガラスがビリビリ痺れる。

「な、なんやいきなり!」

ガデフも窓から顔を出すと遙か遠くに薄らと黒煙が見えた。

「ケビン…今のってガス爆発かいな?」

「いや、ガスじゃねぇ。微かに火薬の焦げる匂いがした。多分爆弾かダイナマイトだ。」

「ダダダ、ダイナマイト!?本当かよ!?」

こんな大都市の真ん中でダイナマイトを爆発させる真似など素人ではまずやらない。

となれば…可能性は一つだけだ。

「ミステシアか…。」

「あぁ…とにかく外に」

「ケビン!大変よ!」


状況を確認しようとしたら廊下から見慣れた麗しい声がした。

エルザがマナを引き連れて横を指差しながら慌てている。

「街の方で爆発事故だって!テレビで速報やってるから早く!」

するとジャッキーが忘れたとばかりにあっ、と呟いた。

「おい旦那!ヤングとプリンスまだ帰ってきてねぇぞ!どうするんだ!?」

「それは俺も思ってた。でもアイツらなら多分無事だ。とにかく何が起きてるのか確認する方が今は先決だ。」

「せやな。予備知識無しに調べに行くのは危険や。はよ行くで。」

何か悪い事が起きているのを覚悟して一同は診療所のリビングへと急いだ。


【6】


―爆発騒動が起きるほんの一時間前。

あの場にいなかった二人はセントラルの大通りにあるデパートに来ていた。

今日は休日なので買い物客は多く、店員が早足で移動しながらあちこち対応している。

その中で押されながら二人は紳士服売り場にやって来ていた。

売り場の奥まった所にあるメンズスーツのコーナーでキドマルはワイシャツの棚を上から下へと眺めている。

「どうだ?」

「なんかありきたりの色しか無いね。これもこれで似合いそうだけど…。」

「でも普通の色じゃなんか物足りないんだよな。もっと値段付いてもいいから良さそげなの無いか?」


まだスーツを着るのには早い十代の二人がこの売り場に来た理由。

それは一足早い…ケビンの退院祝いのプレゼントを買いに来たのだ。

とは言っても男性は女性と違ってブランド物のバッグや靴などは欲しがらない。

それならば食べ物や服と言った実用的な物が良さそうだとリュウガが提案した時にキドマルはこんな事を口にした。

―『ケビンさんいつもスーツ着てるからその辺りが良いかな?シャツとか靴下とかハンカチとか。』

それにリュウガがピンと思い付いた物…それがワイシャツだ。

セントラルに到着した日にケビンは深手を負い、その際に着ていたオレンジのワイシャツは血の色が取れないと処分してしまっていた。

ならその詫びも兼ねて新しいシャツをプレゼントしようとキドマルを説得し、二人で買いに来たのだ。

勿論ケビンを驚かせようとサプライズで渡すつもりでだ。

なら変わった色のシャツなら本人も喜ぶだろうと眺め回していたらキドマルが何かを見つけた。

「ねぇねぇリュウ兄、これとかどう?」

弟が手に取ったのは…深い赤色のシャツだ。

年代物の赤ワインを彷彿とさせ、明るく無くそれでいて暗い印象も見受けられない落ち着いた大人っぽい色だ。

派手じゃ無いのと炎のスキル使いに似合いそうな色に二人は満場一致で頷く。

「よぉし、これにするか。」

「うん、僕も賛成だよ。」


嬉々としてレジへ向かい、包装を頼むと男性の店員がニコニコと微笑む。

「贈り物でございますか?」

「はい、ウチの診療所に入院している人がもうすぐ出るので記念に。」

「そうですか、きっと喜んでくれますよ。」

店員は更に気遣って包装紙の色も選んでいいと言うとリュウガは自分と弟の目を見てこう頼んだ。

「包装紙はオレンジっぽいので…リボンは金色にしてくれますか?」

「畏まりました。少々お待ち下さい。」

二人で財布からお金を出し合いながらやったねと目配せする。

オレンジと金は自分達の瞳の色、その色で包んだプレゼントなら喜ぶ事間違い無いと確信した。

「お待たせ致しました、どうぞ。」

レシートと一緒に明るい色の包みをキドマルが受け止める。

ありがとうございましたーと背後で店員がお辞儀するのを感じて二人はデパートの外に出た。

そのまま駐車場まで歩くと植え込みがガサガサ揺れて一匹の動物が飛び出す。

「ラビお待たせ、帰るよ。」

包みを入れた紙袋を手に持った主人の足を登り、頭に乗っかる。

公共の場に動物は入れず、バッグに長時間入れとけば酸欠の恐れがあるのでラビにはここで待って貰っていたのだ。

『良い品は見つかりましたか?』

「勿論だよ。ケビンさんが世界一喜ぶ程ね。」

『マスターと坊ちゃんからの贈り物は何でも世界一でございますよ、ウフフフ。』


―それは女みたいな声で笑いながら帰路を歩いていた時だ。

ラビが犬のように垂れていた耳を垂直に持ち上げ、辺りをキョロキョロする。

「どうした?」

『何だか…嫌な胸騒ぎがするんです。心臓の奥から鳥肌が立つような嫌な感覚が…。』

なんだか金縛りにあったみたいに背中が寒くなり、ラビは額から角を伸ばす。

鋭い先端が空気の淀みを感じてピリピリする。

「…リュウ兄。」

心配する弟を見て兄はシガレットを咥えずに丸々口の中に入れて噛み砕く。

直ぐに飲み込むと弟の手を握ってリュウガは走り出した。

理由は分からない、でもとにかくこの場から逃げ出した。

そのまま走っていたらドガーンという爆発が響き、同時に足元の地面が揺れた。

周りの通行人も悲鳴を上げてその場に蹲る。

「キド!しゃがめ!」

パニックを起こすキドマルを抱き締めてリュウガは地面に倒れた。

轟々とした地響きは数秒で治まり、悲鳴と怒号が入り交じって飛び交う。

「クソ…何が起きてるんだ?」


砂埃を巻き上げて体を起こすと火事だの爆発だのという声が聞こえてきた。

すると建物が燃える焦げ臭い匂いがして二人は驚いた。

さっき出てきたデパートの入り口の北の方角からモクモクと煙が見えたのだ。

「リュウ兄!あそこって警察署のある場所だよ!」

咄嗟にラビは飛び跳ね、角を伸ばして唸る。

「警察を狙ったテロか…マズイな。」

リュウガは起き上がって服に付いた砂を祓う。

「とにかく家に戻るぞ、兄貴達に知らせないと。」

満場一致で走ろうとしたらラビがその場から動かない事にキドマルが気付く。

「ラビ!何してるんだよ早く!」

じれったいと抱き上げようとしたら腕に激痛が走った。

なんとラビが主人の腕に噛み付き、痛みで怯んだ隙を付いて抜け出したのだ。

「ラビ待って!何処に行くんだ!」

キドマルは噛まれた腕を押さえて後を追い掛け、リュウガもそれに続いた。


―真っ昼間のセントラルはかつてない未曾有の危機に直面していた。

爆発は二度三度発生し、テレビ局も速報で事の重大さを知らせている。

カリーナも食事の準備そっちのけでテレビのチャンネルをガチャガチャ回していた。

どの番組も緊急速報に切り替えられ、同じ場面ばかりが画面に表示される。

「ダーリン見て、セントラル支局で爆発事故ですって。」

テロップを確認してファマドも深刻な事態に頭を抱える。

「マジかよ…一体何が起こってるんだ?」

だがファマドの真後ろで立ち竦む男達は…テレビと睨めっこして怪しげな空気を感じていた。

「先生、これは事故なんかじゃねぇ。爆破テロだ。」

「テ、テロ!?」

「さっき風に乗って火薬の匂いがしたんだ。普通の爆発事故ならガスとかだけどそんな匂いは一切しなかった。誰かが人為的に爆弾を使ったんだ。」

「何ですって!?誰がそんな酷い事を…!」


ファマドはケビンの瞳が赤くなっているのを見てまさかとぼやく。

「ミステシア…。」

「あぁ、恐らく奴らだ。警察署を襲って抵抗勢力を崩したんだろ。奴らが良く使う手口だからな。」

ケビンはテレビを見ながら病衣の前紐を緩め、上半身の衣服を取り去った。

腹部には未だに白い包帯が巻かれたままだ。

「おいギルク、何する気だ!」

「許してくれ先生、ミステシアが絡んでいる以上は…俺らも黙ってる訳にはいかないんでね。」

包帯の上からジャッキーのシャツを着て自分のジャケットを身に着ける。

下はスーツのズボンに既に履き替えてあり、そのまま裏口へと走る。

「止めろギルク!死にてぇのか!」

「あぁ!俺は最初から死ぬ気で旅してたさ!警察が体制を整うのを待ってたら犠牲が広がるだけだろ!違うか!?」

止めようとしたファマドはその言葉に立ち止まった。

「ゴメンなさい…長い事お邪魔したわね。」

「本当はこんな別れ方したくねぇが…悪く思うなよ。」

「心配せんでもアンタの息子とチビ助はワシらが責任持って預かるばい、今の内に願掛けしとくんやな。」


ファマドが言い返すのを前に五人は診療所の表玄関へと回った。

遙か遠くには窓から見えた黒煙が空に広がるのが確認出来る。

耳を澄ますと小さな爆発も微かに聞こえた。

「チッ…汚ねぇ花火ばらまきやがって。」

「えぇ、こんなに腹立ったの久し振りかもね。」

エルザは気合いを入れようとポニーテールを結び直す。

すると左横からお~いと誰かが呼んでいる声がした。

「旦那!あれ!」

ジャッキーが指差した先の道路から一人の女性が走ってきた。

キドマルの母・ヨシノである。

「ヨシノさん!」

エルザが受け止めるとヨシノは酷く咳き込んでその場にしゃがんだ。

肺が弱い上での全力疾走なので反動も常人の倍だ。

「ヨシノさん駄目ですよ走っちゃ!」

「…キド…ゲフッ…キド…が…まだ…。」

途切れ途切れの単語を拾ってケビンは脳内で整理する。

「分かったぞエルザ、キドが戻らないから俺達の所へ来たんだよ。」

「やっぱりそうか…あの馬鹿何やっとるんじゃ一体…。」


こんな大騒ぎで戻らないのは逃げ遅れたか、もしくは厄介事に巻き込まれたかのどちらかだとガデフも整理してヨシノの肩を抱える。

「大丈夫やてお袋さん、チビ助とリュウちゃんはワシらが連れ戻してくるさかい。ここで待っとれ。」

「えぇ…おね…がい…。」

肺に異物が詰まったのか、激しく咳き込む背中を摩っていたら「ヨッちゃん!」と叫ぶ声がした。

「先生!ヨシノさんが!」

エルザとガデフがファマドに母親を預ける。

そこで彼はケビンと目線を合わせ…口を真一文字に結んだ。

「ギルク行け、そして絶対に帰って来いよ…。」

必ずと言わんばかりにケビンは無言で頷き、街へと急いだ。

ファマドはヨシノを抱えて男を、いや炎の戦士を見送った。

生きて帰ってこいと…願いながら。


【7】


逃げる人々を右へ左へ交わしながら二人と一羽は煙が見える場所まで着いた。

目の前には二階建てのお屋敷のような高い建造物。

正面玄関の上の櫓にはマナの指輪に彫られているのと同じ模様が形作られている。

煙は玄関の自動ドアの隙間から立ち上っており、大勢の警官が消火作業をしていた。

ラビは危ないから下がってと怒鳴る警官を眺めながら仁王立ちしていた。

「ラビ…。」

腕の傷が疼くのも忘れてキドマルは自分の家族とも言うべき動物に近寄って抱え上げた。

「どうしたのラビ?何か見つけたの?」

額の角を縮めず、フーフーと威嚇しながら警官を見つめる赤い瞳は燃えるように血走っている。

さっきの和やかな雰囲気は完全に消し去り、怒りに身を任せているような気がしてキドマルは背筋に冷たい物を感じた。

「ねぇラビったら!お願いだから答え…!」

「あぶねぇ!」

自動ドアの奥が閃光を放つのに気付いてリュウガは再度キドマルを抱えてその場から後ずさるように倒れた。


その直後に凄まじい炎の大砲が飛んできて外の警官を吹き飛ばし、窓ガラスが一斉に割れた。

窓からも炎が生き物みたいに湧き出て壁に燃え移る。

ヒリヒリした熱波が伝わってリュウガは炎の城と化した警察署を睨む。

《こいつは普通のテロなんかじゃねぇ。一体誰が…?》

やがて逃げ遅れて火だるまになった警官の間から一人の男がこちらに向かって歩いてきた。

『…奴は…。』

ラビはどんどん大きくなるその人物の影に恐怖を感じた。

自分が一番会いたくない人間の匂いも伝わってきて…ゾワゾワする。

「おい…なんだアイツは?」

火の粉が舞う中でキラリと何かが輝き、ラビはその人物の全容をやっと把握した。

『貴様は…!』

「ようやく見つけましたよ、PXー07。」


現れたのは長い髪の毛を後ろで束ねた若い眼鏡の男。

穏やかであり、それでいて危険な空気を纏う男。

それは予想通り…この世で最も忌み嫌う人間だった。

「随分手こずらせましたね。でも私から逃げ切る事は不可能ですよ。そのドックタグに繋がれている限り…お前は私の監視下に置かれているのですからね。」

嫌みな敬語で話し、不気味に笑う男にリュウガは冷や汗を浮かべてラビに振り向く。

「まさか…アイツがフェイクか?」

『えぇ、間違い無いですわ。』

怯えるキドマルを心配しながらラビは眼鏡の男を威嚇する。

「何ですかその態度は?それが産みの親への返事の仕方なのですか?」

『…口を慎め下衆が。貴様を産みの親と思った事は一度たりとも無い!』

いつもと違い、威風堂々とした姿にキドマルは泣くのを忘れて呆然とする。

『これは何の真似だフェイク?狙いが私だけならこの街の人達は無関係の存在だろ!何故手を出すような真似を…!』

「分かりませんか?野生では弱い動物は強い動物の餌になるのが常、謂わば弱肉強食を教えてあげているだけですよ。最近の人間は無礼を知りませんからね。」


ホホホホと笑う男の笑顔は底なし沼のように暗い。

リュウガも恐怖と殺気を感じて後退りしたい気分だ。

「なんだよアイツ…本当に人間かよ…!」

『侮ってはいけませんよ坊ちゃん。奴はミステシア最高の頭脳を持つ男、その腹の中も文字通り真っ黒で計り知れない存在ですわ。』

リュウガは弟を抱き締める自分の手が震えるのを抑え、フラフラと立ち上がる。

『坊ちゃん…何を?』

「自分でも分からない、でもコイツは生かしちゃおけねぇってヴォルフが騒ぐんだよ…。」

震える指で箱からシガレットを取り出し、口の中で噛んで深呼吸する。

すると手足の震えが治まってきた。

「何ですか貴方?私と戦う気ですか?」

「当然だろ。この街はテメーみてぇな鬼畜眼鏡には不釣り合いな場所だ。どうしても出て行かねぇなら…俺でも容赦はしねぇ。」

キドマルを背後に下がらせ、リュウガはバッと右手を横に突き出した。

すると指先から肘目掛けて腕が氷付けになっていく。

「リュウ兄…本気なの?」

「腹括れよキド。兄貴の仲間になるって事は…本当の自分を曝け出す必要があるんだ。お前も男なら…今の内にフンドシ締めとけ。」


冷気で金髪が舞い上がり、開かれた瞳が夕焼け空と同じオレンジに染まる。

キドマルは大事なプレゼントを抱えて足を数歩引いた。

「親父ゴメン…俺はちょっとレールから下りるぜ。」

心の中で両親に謝り、そして告げた。

「次に帰ってくるまで俺は…自分でレール作って歩くからよ!」

(チルドスピア!)

掌で集まった雪が氷の槍になり、リュウガは華麗な足捌きを掛けてそれを投げた。

フェイクは笑いながら迎え撃ち、手に持った拳銃を放った。

すると射出された熱の砲弾が槍に命中し、瞬時に溶かした。

「ほう、やはりスキル使いでしたか。でもこの程度じゃ私は倒せませんよ?」

「あたぼうよ。今のはほんの準備運動さ。」

キザなポーズで腕を交差させ、左手の甲に狼の紋様を浮かべる。

「凍えろ!」

(バレットブリザード!)


突き出した左手から凄まじい猛吹雪がマシンガンのように放たれる。

フェイクが銃弾で防ぐとそれは化学反応を起こして周囲に白い煙を張り巡らせた。

「チッ…小癪な真似を…!」

眼鏡を引き上げながら男は煙の中を走った。

だが既にリュウガは煙に便乗して消えていた。

それに周囲がヒンヤリと冷たい。

視界を懲らすと辺りの建物の一部が凍っている。

「陽動か…そんなので私から逃げられると思うなよ…!」

フェイクが駆け出しのと同時にケビンらもようやく大通りに到着していた。

頼みの警察が混乱し、市民は逃げ纏う事しか出来ていない。

ケビンは住人達を眺めるが遠くからでも目立つリュウガの金髪と同色の体毛のラビの姿は無い。

「あの野郎…どこまで逃げたんだ?」

「ここにはいないぜ旦那、やっぱり支局の近くじゃねぇのか?」

だとすれば爆発を引き起こした張本人と対面している場合も考えられた。

「仕方無いわ、警察署まで行くしか…」

「…ちょい待て。」


ガデフが何かを見つけたのか、辺りのビルを見回す。

「どうしたのおじさん?」

マナも不安がって見回すと…確かに誰かに見られてるような感覚がした。

急にソワソワしてマナは母親の手を握る。

「ママ…なんか恐いよ…。」

ポスポスとマナの背中を叩いてエルザも風が変わった事を感覚で通ずる。

「油断したわね…私ら囲まれてるよ。」

ビルとビルの隙間、建物の影、裏道に潜む人の気配にケビンとジャッキーも身構える。

「どうやら俺様達が来るのを分かってたみたいだなコイツら。でもお陰で探す手間が省けたぜ。」

そうだなとケビンが弓を用意するとジャッキーは何かを案じてその手を握る。

「…ジャッキー?」

「旦那、ここは俺様達が引き受ける。その隙にヤングの所に向かってくれ。」

「お前本気か?この数は尋常じゃねぇぞ。」

心配ないと相棒の肩を掴んでジャッキーは笑う。

「病み上がりでこの大人数だと厳しいだろ?心配しなくても速攻で蹴散らせて合流するさ。それに姫も姐さんも女を捨てたんだ。いつでも死ぬのは覚悟してるぜ。」


それでもと渋るとエルザは愛する男の背中に手を当てた。

「私達は大丈夫だから…お願いだから行って。」

「エルザ…。」

「皆信じてるから。もしもの事があっても…ケビンは必ず来るって。」

マリアとソックリな笑顔を見てケビンは更に返答に困る。

今度はマナが両手でケビンの右手を握り締めた。

「パパ気を付けてね…マナ待ってるから。」

「分かったらはよ行け。リュウちゃんに何かあったら先生に会わせる顔がないやろ。」

マナもガデフも行けと命じ、ケビンは迷いながらも拳を握る。

「分かったよ。お前らも用心しろよな。」

「上等やで。ワシらに喧嘩売ったのがどんなに恐ろしいか見せつけてやる絶好の機会や。」

交わされた手を握り、ケビンは弓の弦を自分の体に括らせて一人その場を離れた。

遠くからもう一度振り返り、彼は走る。

約束を果たし…大事な人を守る為に…。


【8】


ケビンが一番会いたい人間は今、裏路地へと逃げ込んでいた。

リュウガはキドマルを背負い、足の間から冷気を出しながらスピードスケートのように右へ左へ走行している。

やがて危険が無いのを確認すると一息付こうとターンを決め、弟を降ろした。

「…ふぅ。」

額から汗が噴き出し、持参した水筒で水分補給をする。

久し振りにスキル能力を発動したので体がまだ追い付いていない証拠だ。

「リュウ兄大丈夫?もしだったら僕走るよ。」

『無理しないで下さい坊ちゃん。』

「心配するな。ヴォルフもトラピカもまだ力を温存する必要がある、それに俺のスタミナならまだ持ち堪えられるさ。」


とにかく休もうとしゃがむとリュウガは逃げ込んだこの場所が路地裏だと分かって懐かしさに耽った。

「そういえばさキド、俺が兄貴と初めて出会った場所も路地裏だったんだ。」

「ケビンさんと?」

「あぁ。お前にちょっかい出したチンピラにナイフで刺されて…倒れてた。」

キドマルも自分の黒歴史を掘り返し…途端に俯いた。

ケビンの負傷は…振り返れば自分の責任なのだ。

でもケビンは自分を責めずに慰めてくれた。

それは嬉しくもあり、同時に悲しかった。

頭ごなしに説教しても良かったのにと考えてたら『マスター。』とラビが呼んだ。

『貴方に責任はありません。ですからご自分を傷付けないでください。』

「ラビ…。」

『ケビン様は恐らく…怒鳴るだけでは貴方が自分の命を投げ出す恐れがあると予期していたのでしょう。だから敢えて責めなかったのです。貴方がその悲しみから立ち上がって…ご成長になられるのを信じていたのです。』


ラビは前足を地面に着けて猫のように背伸びするとヒンヤリした舌で手の甲をペロペロ舐め始める。

ただ角が出っぱなしなのでツンツン当たってちょっとくすぐったい。

「ラビ…。」

『なんでしょうか?』

「僕…本当に変われるのかな?強くなれるのかな?」

無意識に懐に入ったラビを抱き締めて少年は囁く。

あの男の助言を破りそうな気がして堪らないと。

もしそうなったら見捨てられそうで恐いと告げると腕の中で毛玉が暴れた。

『それは貴方の気持ち次第です。強くなりたいと口で言ってもその気持ちが本当でなければ何も変わりませんから。』

「自分の…気持ち…。」

『まずは自分を信じるのです。口に出さなくてもいい、心の中で念じるのです。自分は強い、自分はやれる、自分は変われると。』


その言葉にキドマルが試そうとしたらラビは前足で服を掻き毟ろうとした。

『…!奴が来ます!』

その直後に轟音が響き、野良猫が一斉に逃げ出した。

リュウガは辺りを見回しながらキドマルの手を引いて自分にピッタリくっ付ける。

「なぁラビ、フェイクの奴もスキル使いなのか?」

『いえ、彼は幹部の中ではただ一人の人間です。しかしIQが発達しているのでその点では厄介でしょう。基本的に自分の装備は自分で発明して現地入りする男ですから。』

「…て事は武器は装備してるのか。」

そうでなければ警察署を爆破したり出来ないなと再確認していたら足音が聞こえた。

「おや、もうかくれんぼは終わりですか?」

不気味な笑い声を上げてあらわれた男をラビが睨む。

「PX…私の性格を知り尽くしているお前には分かる筈ですよ。決して敵わない相手への命乞いの仕方位は。」


金属の銃口が二人に向けられ、ラビは主人の懐を飛び出して四つん這いになる。

「…まさか本気で私を倒そうと思っているのですか?」

『当然だ。貴様の顔を見ていると虫酸が走るんでな。』

ヒリヒリと首の後ろのドックタグが熱を帯びて熱くなり、全身の毛が逆立つ。

「素直に逃げてれば良いものを。私に逆らった野獣の行く末はお前も分かっている。それでも尚牙を向ける気ですか?PX。」

『…その名で呼ぶな。ヘドが出る。』

ラビは逃げる事を忘れ、角を人間の人差し指のように高らかに上げる。

『私は貴様に命乞いするのも…貴様の元へ帰るのも御免だ。今の私の主は貴様ではない、このお方だ。』

背後で呆然とする「主」の少年にフェイクはクククッと笑う。

「その貧弱な少年が主とは残念ですね。もっと強い人間に拾われていれば心変わりしていたらと思わないのですか?」

『…確かにな。だがこれだけは言わせろ。マスターは貴様の予想以上に強い人間だ。強くて優しくて…貴様とは正反対に命を尊ぶお方だ。』


生意気な口をとばかりに銃口が下がり、キドマルが嫌な予感を悟って叫ぶ。

「ラビ!駄目だ逃げろ!」

『この場で逃げて生き延びられると思うのですかマスター?ケビン様達が生きるのはそんな甘い世界では無いのですよ。』

銃の引き金に指が掛けられるのを見てラビは覚悟した。

―自分の定めは主を守る事。

―それが出来れば悔いはない。

そしてフェイクも良い度胸だなと引き金を引いた瞬間、放たれた銃弾が爆発した。

「…!?」

ラビは自分とフェイクの間、銃弾から向かって斜め上から何か飛んできたと睨み、振り向いた。

リュウガやキドマルも同情すると自分の背後にあるコンクリの壁…その上に人がいるのを確認した。

その影は屋根から飛び降り、ラビの眼前で着地する。

「ここに居やがったか…フェイク。」

『ケビン様!?何故貴方がここに!?』


思いもよらない男の登場にラビは目を真ん丸にする。

「良い度胸だなラビ。流石人間の魂が宿ってるだけある。」

右手に持った弓を肩に乗せてケビンは眼鏡の男に怪しげな笑みを浮かべる。

「おやおや、お一人でのご登場ですか?」

「そうだな。俺の連れはテメーが引き寄せたゴミの始末で忙しくてよ、だから俺だけ向かった訳だ。」

ラビはケビンの体に登ると弓の置かれていない左肩に掴まる。

『ケビン様…フェイクが引き寄せたゴミとは一体?』

「表に出れば分かる…この街の住人全員が袋の鼠になってるからな。」

直訳すればフェイク以外の人間も潜伏している事。

それも一人二人の話ではない。

フェイクも自分の狙いを感じたケビンにパチパチと拍手を送る。

「その弓さばき…もしや貴方がギルクという男ですか?」

「まぁな、お前らからすると暗殺対象のトップだ。」

「やはりな。ジョーカーが自慢するだけの男…PXのオマケに見つけられるとは思いませんでしたよ。」


地面に下げられていた銃口がケビンへと向けられ、ラビはフーフー唸って睨みを聞かせる。

「冥土の土産に教えてあげますよ。私が連れてきたゴミの正体をね。」

眼鏡のレンズだけに光が射し込み、フェイクの足元に影を落とす。

「…何者だアイツらは?」

「ミステシアの中でも殺しに長けたエリートの精鋭…暗殺部隊ですよ。」

―暗殺部隊。

読んで字の如き殺しのプロ。

ケビンは全身の血が滾るのを抑えて冷静を保つ。

「幹部の一人が再起不能になった以上…より手強い勢力を送り込むのは常識ですからね。貴方もそれはお分かりになられてるかと?」

「…あの蛇女の仇討ちか。」

「えぇ。暗殺部隊の指揮者…バーナクル総長が彼女の護衛人を努めてましてね。貴方達を切り刻みたいと嘆いていましたよ。」

『バーナクル…奴がこの街に…。』


ラビはその男の名前を口にし、体毛が抜け落ちそうな冷たい殺気を感じた。

まだ研究所にいた時、その人物についてもフェイクの資料から解析していた。

自分の解析が間違ってなければ…。

『ま、まさか…!』

「そう、言わば私はおとり。本当の指揮権は彼らに与えられてますからね。」

ラビは何が起きてるのか分からない主人らに振り向き、ケビンにも目を向ける。

『ケビン様…どうやら私達嵌められたようですわ。』

「嵌められたって…?」

『フェイクの狙いは私でもケビン様でもありません。狙われているのは…。』

恐ろしい悪夢が脳内を過り、それでも伝えなければとラビは叫ぶ。

『狙われているのは…ジャッキー様達なんです!』


【9】


ラビの予言は思惑通りに現実になろうとしていた。

大通りに潜伏していた暗殺部隊の隊員をジャッキー達はフルパワーで蹴散らしていた。

しかし倒しても倒しても人は無限に湧き出てきて正直キリが無かった。

「クソ…まだ出てくるのかよ?」

「そう言って休憩しないで。見てるこっちだって疲れてるんだから。」

喋っている今も接近する隊員をカマイタチで吹き飛ばしながらエルザは扇をホルスターに仕舞った。

「でも流石に時間の無駄ね。なら一気に決着付けるしかないわ。」


四人の攻防は実にシンプルだ。

大人組が前線を担当し、マナには後方からのシールドと回復をお願いしていた。

だが数が数なので疲弊したマナのシールドは弱まっており、破られるのは時間の問題だ。

ならばとエルザは勝負に出た。

両手の甲に天馬の紋様を浮かべ、高く飛び上がると足元に緑の羅針盤を張る。

「皆!そこから離れて!」

落下しながら告げるとジャッキーとガデフはマナのいる方向へ避難する。

(ハイパーペガサスサイクロン!)

羅針盤に両手を付くと腕を軸にして回転し始めた。

その風圧が巨大な竜巻をいくつも産み出す。

「オラァ!」


一定時間回転するとエルザは竜巻を足蹴りで押し出した。

竜巻の壁は重なりあって走ってくる大群を吹き飛ばしていった。

「スゲー!なんだあれカッコよすぎるだろ!」

「お前は子供かいな…?」

後方で風圧に耐えながらも三人は反逆のチャンスとなるかと期待していた。

だがその時、風で前の様子が見えないのが不覚となり…災いとなってしまった。

「…!エルザ逃げろ!」

「えっ…!?」

ガデフが人影を見つけ、忠告するも一歩遅かった。

研ぎ澄まされた刃がエルザの胸元を掠めたのだ。

彼女は逃げるのが遅れ、その場に倒れた。

チャキンと刀の収まる音と一緒に振り向いたのは…左目が傷で塞がれた隻眼の男だ。

「姐さん!」

「クソっ!」


ジャッキーとガデフは同時に手合わせし、水流を乗せた兜割の衝撃波が男に放たれる。

だが命中する寸前に男の体は揺れながら透明になって技が逸れた。

「き、消えた!?」

ジャッキーが驚く横でガデフは自分の真横に邪悪な気配を感じた。

《まさか…コイツ…!》

油断したと腕を伸ばした瞬間、男は二人の背後に現れた。

それも一度収めた刀を手にして。

二人はマナを守ろうと振り向くも…そこで倒れた。

「ジャック!おじさん!」

一人残されたマナは逃げようとしたが足がすくんで動けなかった。

「嫌…止めて…来ないで。」

刀の切っ先が真上から降り下ろされ、マナは視界と一緒に光を失った…。

《パパ…ラビちゃん…キド兄…リュウ兄…ちゃん…。》

心の片隅で…残された父親と兄に必死に助けを求めながら…。


―「貴方達はよくやってくれましたよ。仲間の命と引き換えに自分を救ったような物ですからね。」

クックックッと笑うフェイクの眼鏡が不気味な光を放ち、悪魔のような形相を作る。

ケビンの血に染まった瞳はその悪魔を決して逃がさなかった。

『フェイク…貴様…!』

「それが回収されれば私も用はありません。こんなゴミ臭い場所は嫌いですからね。」

それではとフェイクは上着から取り出した手榴弾を足元で爆発させた。

普通の手榴弾と違い、中からは白い煙が出てきてケビン達はゴホゴホと咳き込む。

煙が晴れると既にフェイクの姿は無かった。

「あの下衆が…!」

ケビンは怒りで熱が籠り、急いで裏路地を出ようとした。

だがそこで負傷した左の脇腹に激痛が走り、しゃがみこんでしまった。

どうやらさっきの着地の勢いで傷口が少し開いたようだ。

『ケビン様駄目です!ここは一旦引かないと貴方が…!』

「行かせろラビ!お前はジャッキー達を見殺しにしたいのか!」


その一言でラビが黙った間にケビンはヨタヨタと裏路地を脱出し、ジャッキー達と別れた大通りまで足を早めた。

だが複数の人間の視線を感じて足が止まる。

「兄貴無茶だ!早く逃げないと!」

「ケビンさん逃げましょうよ!」

大勢の敵を恐れ、背中の真後ろから二人が叫ぶ。

しかしケビンは息を荒くしながら振り向いた。

「お前らは先に行け、俺は必ず戻る…。」

『早まらないでくださいケビン様!暗殺部隊の連中は何万といるんですよ!貴方一人で全員倒すなんて無茶です!お戻りください!』

ラビも必死に説得するがケビンはそれでも逃げる素振りを見せない。

すると彼の視線はキドマルが大事に抱えるオレンジの包装紙の箱を見つめた。

「おいキド、ずっと気になってたけどその箱はなんだ?」

包装紙が皺苦茶になる程握って少年は口を開く。

「これ…これケビンさんへのプレゼントなんです。退院祝いの。」

「そうか。なら大事にしとけ、もし俺が無事に戻ってきたら…必ず開けるからさ。」


だから早く行けと再度促すとリュウガは唇と拳を震わせ、キドマルの手を引っ張った。

「えっ!リュウに」

「馬鹿!兄貴の大馬鹿!死にぞこない野郎!命知らず!」

突然暴言を散らしながらリュウガはその場から走り出した。

ラビも置いていかれると焦って走り出す。

「嫌だよリュウ兄!離して!なんでそんな酷い事…!?」

走り際のその瞳を見て…キドマルは言葉を失った。

リュウガは走りながら泣いていた。

オレンジの瞳から透明な雫が溢れて…風に飛ばされている。

―自分では手に負えない脅威への恐れ、何も出来ない不甲斐なさ、無力さ、様々な感情が涙となって流れていたのだ。

背後から沢山の人間の怒号と爆発音が聞こえて耳を塞ぎたくなる光景に少年はもう何も言えなかった。

《嫌だ…ケビンさん…そんな…!》


少年は耐えきれないのを承知で…それでいても見なければならない光景を振り返った。

大勢の人影の中央で燃える赤い炎が見えた。

けどそれは一瞬で…人の波に飲み込まれてしまった。

戻りたい、けど死にたくない。

あまりにも不甲斐ない現実に少年はただ泣いて逃げるしかなかった。

その二人を嘲笑うかのように…建物の陰で眼鏡の男が怪しく笑っていた。


【10】


―あれから何時間経ったのだろう。

怒号も何もかも聞こえないのに気付いたケビンは目を覚ました。

自分は今、何もない真っ暗な世界にいた。

さっきまで大都会にいたのにどうして…?

その疑問は直ぐに晴れた。

自分の回りには赤い花が咲いていた。

自分やラビの瞳と同じ真っ赤な花。

細いリボンを何個も組み合わせたような独特な形の花が満開に咲き誇る中心に自分はいた。

《これは彼岸花か?だとするとここは…。》


―地獄、或いは死者の国。

彼岸花だけが無数に咲く赤い畑で男はそう思った。

確かに体も軽いし…脇腹も全然痛くない。

やっぱり自分は死んでしまったのか?

だとすると…それは自分の敗北をも意味していた。

―負けたのだ、全力を出しても敵わなかった。

全身から気力も体力も…魂すらも抜かれているような感覚がしてケビンは脱力していた。

するとザッザッザッと足音がした。

自分しかいないこの世界に…でだ。

思わず顔を上げて彼は…自分の心の中で時計を止めてしまった。

目の前にいたのは一人の女性だ。

エルザにも劣らない美貌で…ヴォルフの体毛に似た銀を帯びた新雪の色の髪の毛に…ジャッキーやドラグーンを思わせる澄んだサファイアブルーの瞳。

「…マリア?」

「…ケビン。」


自分と彼女の手が同時に伸ばされた。

筋肉も骨も無いような細くて空っぽな手をケビンはしっかりと握る。

「本当に…マリアなのか?」

信じられない。

今までだったら自分の目の前で死んでいた彼女が…初めて生きている状態で会いに来てるのだ。

「失礼ね、私の顔を忘れちゃったの?」

もう~と頬を膨らませるその仕草も…膨れっ面も生前のまま。

ケビンは色々な言葉を浮かべるも口に出来ず…彼女をこの手に収めた。

「どうしてお前がここに?やっぱり俺は死んだのか?」

「違うわケビン。貴方はまだ死んでないわよ。」


―自分は死んでいない?

どうしてと聞くとマリアの手が両頬を触る。

「ここは狭間の場所…天国と地獄の境界線みたいな所よ。」

「狭間の…場所?」

そんな世界があるのかとケビンは呟く。

「貴方は今、魂だけの状態でここを彷徨っているの。貴方の命の炎は…まだ消えていないわ。」

即ち自分はまだ…生きている。

言い換えれば仮死状態、若しくはこの世界そのものが自分の夢の中だと。

「ケビン…貴方はまだこの先へ行っては駄目よ。今この場で歩き出したら…元の世界へ戻れなくなるわ。」

彼女の言葉にグローブをはめた手が自然と白髪を撫でる。

「まだ貴方にはやり残した事がある筈よ。だから行っては駄目、元の世界に戻ってほしいの。」


鼻先に埋もれた髪の毛から優しい匂いがする。

エルザの香水とマナの花の匂いが混じったような心地好い匂いだ。

「なら教えてくれマリア。どうして俺は…こんな所にいるんだ?」

「貴方は元の世界で…自分を捨てようとしたの。大切な人を守る為にね。それで暴走して…意識だけがここに飛ばされたのよ。」

―自分で自分を捨てた。

そんな事を何故と疑い、同時に後悔した。

取り返しの付かない真似をした自分を。

「でもまだ間に合うわ。私が貴方を送り返してあげるから。」

生前愛した男と向かい合い、マリアは自分の青の瞳とケビンの赤い瞳を重ねる。

「ケビンお願い…生きて。私とヒカルの分まで…そして…あの人の分まで…。」

ケビンもそれを誓うようにマリアの頬を包み、瞳を閉じた。

「私はいつまでも貴方の側にいるから。忘れないで。何があっても…貴方の心の中に私はいる。貴方が二度とこんな真似しないように…私はずっといるから。だからお願い…行って…。」

―大切な人達の所へ…。

―そして…生き延びて…。


―愛する妻と交わした口付け。

エルザに引き継いだ愛の誓いはケビンの意識を呼び起こそうとしていた。

目の前がグラグラ揺れて…全身が火照る。

蒸し暑さに意識が目覚めていき、ボンヤリと明るい物が見えた。

力の入らない自分の手を誰かに握られてもいる。

それになんだか…頬もヒンヤリと冷たい。

まるで誰かに舐められてるみたいな気がして首を横向けにした時だ。

「…き。」

誰かに声を掛けられた。

同時に右手がドライアイスを持ったようにヒンヤリながらも火傷しそうに熱くなる。

「兄貴!」

「ケビンさん!」

『ケビン様!』


突然三人の人間に呼ばれた勢いでケビンの瞳がゆっくりと開かれた。

見慣れた天井と蛍光灯の明かりでケビンは自分がいる場所を瞬時に探り当てた。

そこは散々世話になったコルタスドックの病室のベッドの上だ。

背中に固いマットレスの感触を感じていたら舐められていない反対の頬に手を添えられた。

「リュウ…お前。」

「兄貴…!」

手が無意識に離れてリュウガが自分に抱き付く。

ケビンは驚きながらもベッドから身を起こして泣き喚く金髪の青年を抱き止めた。

「良かった…兄貴が…生きてて…。」

「ケビンさん…。」

反対側に座る少年も掛け布団に顔を埋めて泣きじゃくった。

「ごめんなさい…ごめんなさぁい…!」

謝罪の言葉を告げる少年の頭を左手で撫でたら今度は腹の上が重くなった。

『ケビン様お願いします!どうかマスター達をお許しください!その代わりにお二人の分まで私を責めて痛め付けてください!』


四つん這いながらも綺麗な土下座を見せるラビ。

ケビンは状況が読み込めずにいながらも頭をフル回転させて両側の二人を落ち着かせた。

「お前らのせいじゃない。俺があんな真似したせいで…本当に済まなかったな。」

自分の両手をそれぞれ握る兄弟は涙声で男の手の甲に唇を当てる。

「そんな事言わないで兄貴…。俺があの時逃げないで一緒にいたら良かったんだ。だから自分ばっかり責めないで…。」

「僕もただ怯えてばかりで…ケビンさんに何にもしてあげられなくて…僕は…僕は自分が恥ずかしくて情けないです…!」

その二人に同情するようにラビも赤い目を更に充血させた。

『私も…憎むべき相手に背中を向けるという圧倒的屈辱を犯してしまいました。それに比べたら貴方は勇敢な男です。ですからどうか逃げないでください。そして…前を向いてください…!』


【11】


静かな病室に時計の秒針の音と啜り泣きの声だけが空しく響く。

それを引き裂くように扉が乱暴に開かれた。

「ケビン君!目が覚めたのね!」

「もう心配掛けさせないでよこの馬鹿!」

現れたのはリュウガと同じ金髪の女性と赤み掛かった栗毛を後ろで結んだ女性。

どちらも見覚えのある顔だ。

「カリーナさん、それにヨシノさんも…。」

二人の母親は自分の息子の横に付いてケビンに触れてくる。

「感謝してよね。リュウ達ずっと付きっきりでいたんだから。」

「でも無事で良かったわ…本当に。」


ヨシノはあの時と違って咳き込む様子は見せず、悲しげでいて優しい顔で自分を見る。

恐らくファマドが治療していたのだろう。

そう思っていたら開いたままの扉から更に誰か現れた。

「やっと戻ってきたな…ギルク。」

怒り半分、心配半分な顔の白衣の男がベッドの足元付近…自分と直面できる位置に立ち尽くす。

「先生…。」

「感謝しろよ。マスコミ掻き分けてここまで運んできたんだからな。」

―運んできた?

ケビンはリュウガに振り返るが何も答えない。

「ソイツらが泣きながら俺に言ってきたんだよ。お前を助けに行ってほしいとな。そしたら大通りは荒れてるわ、お前は意識不明で倒れてるわで大変だったんだからな。」


ケビンは掛け布団から降りてお腹に座るラビを撫でながら自分に起きた光景を思い出した。

同時に悪い事が起きていると感じて…改めてファマドに尋ねた。

「アイツらは先生…ジャッキーやエルザは居なかったのか?」

ファマドは口を結び、白衣のポケットから何かを取り出した。

「お前のジャケットに入ってた、読め。」

ケビンに渡されたのは四つ折りにされた紙だ。

いつの間に入れられていたのだろう?

疑問に思いながら紙を開くと定規を当てて書いたような真っ直ぐな文字が書き連ねてあった。

《不死鳥の男ギルクヘ。

仲間の命が惜しければPXー07を連れて我が研究開発班はアジト・ケミカラボトリーへ来い。そこでPXの身柄とお前の仲間の取り引きをしたい。私は逃げも隠れもしないでお前が来るのを待っているからな。

軍師フェイク及び暗殺部隊一同より。》


紙を折り直してケビンは無言になる。

ラビも不安げにケビンを見上げた。

『ケビン様、その手紙は罠ですよ。あの鬼畜眼鏡が真っ当な取り引きをするとは思えません。私もろとも貴方を始末する気でいます。』

「…だろうな、俺もそう思ってた。」

病衣は着せられず、素肌で眠っていた彼は腹部の包帯を擦る。

傷とは違う別の疼きが沸き出て…頭に血が上っていく。

「…先生。俺がここに運ばれてどの位だ?」

「あぁ、ざっと1時間ちょいってトコだ。」

あの悪夢からまだ1時間しか経過していない。

吉と出るか凶と出るかは否かだがまだ希望は潰えていない。

ケビンはそう読んで包帯のクリップを触った。

「カリーナさん、俺の服ありますか?」

「服ってケビン君…まさか行くんじゃ…!?」


カリーナはその声に本気なのかと疑う。

ケビンが自分等の説得を受け入れないのは予想出来ていた。

だからこそ彼女は恐れていた。

その命が危険に晒される事を。

「ケビン君考え直して。貴方の傷は完治してないから本当ならまだ安静にしてないといけないのよ。下手に無茶したら今度こそ取り返しが着かなくなるの。だから今は…」

「…じゃなかったらどうするんですか?」

思わず止めようとしてカリーナは静止した。

「目の前で大事な物奪われてるのに…何もしないで帰ってくるのを待てって言うんですか?」

「…。」

「貴方やヨシノさんが俺を止めたい気持ちは分かる、でもそしたらもっと取り返しの付かない事になるんですよ?」


ケビンはそこで俯くと首に下げたペンダントを握った。

夢の中でマリアが掛けてくれた言葉が蘇り、そっと息を飲む。

「ここで俺が退いたら…アイツら助ける人間がいなくなるんです。アイツらは空っぽの俺に色んな物をくれた。それを俺はまだ1つも返して無いんだ。」

掛け布団が跳ね上げられ、男は冷たい床に足の裏を付けた。

それを見てリュウガとキドマル、そしてラビも動いた。

「兄貴…行くんだろ。俺も一緒に行くよ。今度こそ俺…兄貴の事守ってやるから。」

「僕もお供します。ラビをあんな男に手渡す真似なんてしたくありません。」

『私はフェイクに産み出された存在…故に奴を止めるのは私の義務です。どんな罠だろうが受け止める覚悟でおります。』


その息子達の背中にカリーナとヨシノは驚く。

「リュウ…本気なの?」

「キド、貴方がそんな事言うなんて…。」

彼らはもう決めていたのだ。

ケビンと運命を共にすると。

「お袋ゴメン。でも俺戻らないよ。世界が平和になるまでは親父の仕事手伝ってる暇ないんだ。全部終わったら今度こそ親父に弟子入りするからさ。だから止めないで。」

「お母さんを一人にするのは確かに僕も不安だよ。でも僕決めたんだ。ケビンさんみたいに強くなりたいって。絶対に帰ってくるから…だから行かせて。」


キドマルはそこで床頭台に置かれた箱を手にしてケビンの真正面に立つ。

リュウガと二人で選んで、二人でお金を出して買ったプレゼントだ。

「ケビンさんごめんなさい。本当はこんな空気で渡したくないんですけど…。」

包装紙が破れる勢いで箱を握り、少年は真っ直ぐに男を見た。

「僕とリュウ兄の気持ちを込めて選びました。どうか受け取ってください!」

差し出された箱をケビンは受けとる。

金色のリボンを解きオレンジの包装紙をテープで止められた箇所から丁寧に取り去ると厚みのある白い箱が姿を見せた。

箱の中に入ってたのは…ビニールで包まれたワイシャツ。

それも赤ワインをイメージさせる渋みのある暗めの赤色のシャツだ。

「ほぅ、結構イカしたプレゼントだな。」

「兄貴のシャツ捨てた詫びもあるからな。因みに色はキドが選んでくれたんだ。炎のスキル使いに相応しい色だって。」


箱を投げ捨ててシャツだけを持ってケビンは静かに笑った。

二人が自分を思う気持ちが…確かに伝わったように感じたのだから。

「ありがとうなキド、大事に着るぜ。」

ワシャワシャと髪の毛を撫でるとキドマルは泣きながらケビンの腰に腕を回して抱き付いた。

端から見れば本当の親子みたいに見えてラビも鼻を啜る。

「早速着替えてよ兄貴、俺とキドも調度着替えようと思ってたからさ。」

「お前らも…?」

「ドレスコードじゃないけど…殴り込みに行くならそれ相応の格好しなきゃ駄目だろ?そしたら作戦練れば良いしさ。」

リボンや包装紙を片付けながらリュウガは断言し、そこから立ち上がって父親を見つめる。

「親父…俺行くからね。伯父貴達助けたら一度戻るけど…その次は本当にこの街出るから。」


ファマドは真剣に訴える息子の瞳を見て溜め息を付いた。

「まぁ…お前がそんな事言うのは分かってたよ。あんだけ目ギラギラさせたら絶対何かやりそうって誰しもが思うからな。」

浅黒い手が肩に乗せられ、リュウガは全てを見透かされいたと俯く。

「でも俺も思ったんだ。お前はもうこの家にいなくて良いって。暫くは自分で敷いたレールを歩かせるのも重要だって気付いたんだ。お前は次に戻ってくるまでそのレールを歩けばいい、そして俺の敷いたレールの上に戻ってくればいいからな。」

父親からの励ましに殴られるのを覚悟していたリュウガは驚き、そして頷いた。

「おいギルク。ウチの四代目は見ての通り…自分の夢すら想像出来ねぇ馬鹿だ。でもそんな馬鹿でも役に立つ事はきっと見つかると思うんだ。だから長い目で見守ってやってくれよ。」


自分の元へ近寄ったリュウガを支え、ケビンは深く頭を下げた。

そこからは無言で病室を後にし、二人の息子も背中を追う。

彼らは親元から離れて一歩を踏み出そうとしていた。

―今までの自分から新しい自分に切り替わる為に。

三人の親達はその思いを信じて…彼らを見送った。


【12】


旅立ちを決めた三人はリュウガの部屋で準備に勤しんでいた。

男三人で女性がいないなら部屋を別にしなくても良いので同じ部屋でそれぞれが着替えに入っていた。

ケビンは早速鏡の前に立ち、二人からのプレゼントであるワインレッドのシャツに腕を通した。

もう見立てたからホストみたいでラビは鏡と本人を交互に見ながらウットリしていた。

『お似合いですわよケビン様。マスターのセンスは鋭いですから。』

「そうだな。自分でもなんか別人みたいになって驚いてるよ。」

仲間達に見せたらどんな反応があるのかと期待しながら背後を振り向く。

「なんかお前だけ場違いだな…。どう見ても殴り込みじゃなくて世界大会に行くって顔だぞそれ。」


目の前に飛び込んできたのは無数のスパンコール。

白と青で彩られた衣装をきらびやかに演出させる姿はどうにも言えない雰囲気があるとツッコミたくなる。

「なぁに、行けばきっと分かるよ。俺がこれを着る理由がさ。」

キドマルも上着を残して着替え終わるとリュウガに「なんか趣味なのか本気なのか分からない。」と小声で呟く。

彼の勝負着はモスグリーンのベストに白の半袖のワイシャツ、レザーのズボン。

こっちもアウトドアムード全開でケビンは「お前も人の事言えないだろ。」と二度目のツッコミを呟いた。

「そういう兄貴こそ格好いいね。マジでその世界の人みたい。」

「ケビンさん似合いますよ。」

「…お褒め頂いて恐縮だ。」


大方準備が終わった所でケビンは部屋のベッドに腰掛け、さてと呟く。

するとズボンのポケットからフェイクが忍ばせていた手紙を取り出した。

「奴はケミカラボトリーって所にいる話だな。アジトって書かれてるがラビ…真偽は?」

『間違いないですわ。私が産まれた場所にして…ミステシアの科学技術が結集する場所。そこでキラービーストも日夜製造していますから。』

脳内でフェイクの研究室をイメージしながら黄金色の体毛を震わせる。

『でもケビン様、一つ問題がありまして。』

「問題?」

『私…研究所が何処にあるのか覚えてないんです。二年前のあの日、無我夢中で脱走してここに流れ着きましたから。』


一番肝心な情報を得られず、謝罪するラビにケビンはそうかと答える。

『せめて…ジャッキー様達が連れ去られる前にいた場所に手掛かりが残ってるといいんですが…彼らの私物、若しくは匂いが。』

「私物に匂いか…ん?待てよ匂い?」

何か閃いたのかケビンはハッとしてキドマルに振り向く。

「キド、お前エルザのハンカチ持ってるか?」

「エルザさんの…ハンカチ?」

何の事かと思ったらキドマルもあっ、と呟いて何か思い出した。

それはケビンと初めて出会ったあの日の事。

―『ほら、男がいつまでもメソメソしてちゃ駄目よ。』

泣き喚く自分に銀髪の踊り子はハンカチを手渡していた。

忘れかけていた思い出にキドマルは買い物の際に持っていた手提げからハンカチを取り出した。

ケビンも確認するとハンカチには兎の刺繍が縫われ、ほんのり香水の香りがする。

「そのハンカチ洗濯してないんです。お母さんと同じ優しい匂いがするから消すの勿体無くて…。」


―幸に不幸とはまさにこれだ。

ラビはベッドに登ってハンカチに鼻先を向ける。

『ケビン様、何か閃きましたか?』

「あぁ、お前のお陰で突破口が見つかったよ。」

ハンカチを綺麗に折り畳むとそれをリュウガに渡す。

「リュウ頼む、このハンカチの匂いをヴォルフに嗅がせてもらえないか?」

「え?」

「エルザは自分の私物に良く香水を振り掛けているんだ。もしあの場にハンカチと同じ匂いが残ってれば」

「その匂いから足取りを辿る…って訳か?」

そういう事だと頷けばラビとキドマルの表情も変わる。

「狼は羆と同じで犬の倍以上の嗅覚がある。ビッグベアじゃないがヴォルフの鼻も普通の狼より特化してるなら可能性はあるんだ。出来るか?」


自分を、自分の相棒を信じようとするケビンの瞳に嘘は無い。

リュウガもそれを信じてハンカチをしっかり受け止めた。

「任せてくれ兄貴、ヴォルフの鼻は伊達じゃねぇからな。」

「なら決まりだな。直ぐに行くぞ。」

ケビンは即座に行動に移そうとし、そこで二人が自分の真横に移動する。

「…どうした?」

「兄貴、手繋いで貰って良い?」

構わないと右手を差し出すとリュウガはその手を握って持ち上げた。

「おいリュウ、何の真似だ?」

「兄貴…ジャッキーの叔父貴とコンビ組んでるんだろ。だから叔父貴を助けるまでは…俺が兄貴の相棒になってやるよ。」

垂れた金色の前髪の奥でオレンジの瞳が輝く。

「そりゃあ有り難い話だな。有り難いけどなリュウ…俺は自分で決めてるんだよ。俺の相棒はアイツだけだって。それだけは譲れねぇな。」

「勿論分かってるさ。俺じゃ兄貴の相棒には務まらないって。でももしもの事があったら俺を相棒みたいに扱ってくれよ。」


それに続いて今度はキドマルが左手を握った。

「ケビンさん、相棒は一人だけだと思ったら違いますよ。二人でも三人でも相棒は作れるんです。ただ誰か一人を選んで一緒にいるだけの違いですから。」

自分よりずっと大きな左手を頬に当てる。

「僕はラビもリュウ兄も両方相棒だって信じてるんです。それはケビンさんも持っている筈ですよ。」

「成程、確かにエルザも彼女でいて俺の相棒みたいな奴だしな。」

不思議な事を言うなと思っていたらキドマルの頭に乗った毛玉がモコモコ動く。

『ケビン様、実は私も…』

「おいおい勘弁してくれよ。動物の相棒なんてフェニクロウだけで充分だろ。」

『…まだ私何も言ってないですよ。』

「言って無くても分かるんだよ俺には。」

ショボンとむくれるラビに微笑みながら少年はペットを頭から引き摺り下ろす。

「とにかく街に戻るぞ。グズグズしてると匂いが消えるからな。」

「あたぼうよ兄貴。早く行こうぜ。」


【13】


ケビン達は気持ちを切り替えてセントラルの大通りへ急いだ。

あちこちの建物から黒煙が上がり、既に警察とマスコミが大通りを占拠している。

ただ爆発の被害に遭った支局の付近と比べると数はそんなにいない。

見つからないように様子を探りながらケビンは仲間と別れた場所を探し当てた。

「…よし、この辺りだ。」

周りに人が居ないのを確認するとバッバッバとビルの屋上を飛び移りながら一匹の獣が舞い降りた。

グルルルと唸り、牙を剥き出しにする白銀の狼だ。

警察犬以上とも言われるヴォルフの嗅覚は…さっきまでこの場所にいた人間の匂いを嗅いで警戒している。

「キド、良いな?」

「はい。」


キドマルは手にしたシルクのハンカチをヴォルフの鼻に近付ける。

スンスンと狼はハンカチを数回嗅ぎ、そこから地面に鼻を擦り付けた。

血や汗や武器の匂いに混じる香水の香り。

それが今のケビンにとって唯一無二の手掛かりだった。

《頼む…当たってくれ。》

神にも縋りそうな勢いで祈っていた男の願いを…銀狼は受け止めたように見えた。

「グルルゥゥ…。」

物珍しい吠え方にリュウガの耳が反応する。

「見つけたかヴォルフ?どこに伸びてるんだ?」

耳の間の毛を撫でると狼は鼻を高く突き上げた。

その方角から地元暮らしの二人は居場所を当てる。

「この先は…空港?」

「おいおい、まさか飛行機で逃げたとかじゃ無いだろうな?」

そんな訳あるかと疑いながらも三人はヴォルフに連れられてその場所へ向かった。


そこは近付くに連れて耳がキーンと痛くなりそうな場所。

幹線道路を登った先に学校のグラウンドにありそうな編み目のフェンスが見え、そこから飛行機の尾翼が見えた。

しかしケビンはそこで気付いた。

ヴォルフが指しているのは飛行機では無い。

空港の遙か奥に広がる森だと。

「あの森は何だ?入れるのか?」

「いや、あそこから先は街の敷地じゃ無いんだ。だからあまり人の出入りは…。」

リュウガの脳内で電球が光った。

人の出入りが無い未知なる森林の奥…そしてラビが何故ここに辿り着いたのかという謎。

「まさか…!」

「あぁ、研究所はあの森の奥だ。だからラビは誘われるようにここに流れ着いたんだ。」

確かに空港の上から見てもあの森はずっと同じ景色ばかりで出口の面影は見えない。

それを踏まえると…怪しげな建造物を建てるには適した場所だ。

その証拠にヴォルフは森目掛けてグゥゥゥと唸っている。


間を置かずに離着陸する飛行機の合間から見える深緑の木々をラビはジッと眺めていた。

敵はいないのに…額の角を伸ばして。

彼は思い出していた。

二年前、視界が全く聞かない雨の中を必死で走る自分の姿を。

確かその時…自分は沢山の葉っぱが生い茂る道を抜けていた。

その葉っぱがあの森の道なら…もう明らかだった。

『ケビン様…私の産まれた場所はこんな近くにあったのですね。』

頭の中で薬の音を、実験の苦痛で泣き叫ぶ動物の声を思い出してラビは前足で地面をトントン叩いた。

「ラビ…。」

『こんな近くにあるのに…何故私は遠い場所のように思えていたのでしょう?』

轟音を上げて飛び立つ飛行機を見上げてラビは目を閉じた。

その音の間に微かに聞こえる何かを。

『もしかしたら私は…飛行機の音で自分は遠い所から運ばれてきたと勘違いしていたかもしれません。あの場所を思い出すのを恐れて…密かに封じていたのでしょう。』


ラビは固く閉じていた瞼をこじ開け、角を引っ込めた。

『ですが…今この場で何もかも忘れたら私は何の為に生きているのかという理由が無くなってしまいます。辛い過去もあれば幸せな未来もある…人生は人に操られたり造られたりするだけでは無いと私は証明したいのです。そうしないと私は…逃げ出した意味すら失ってしまいますから。』

ラビはフェンスに前足を引っ掛け、針金を齧る仕草を見せる。

歯が折れちゃうよとキドマルが抱き上げるとラビは耳を垂らした。

「ラビ。」

ケビンはキドマルの手の位置にしゃがんでラビをよしよしと撫でる。

「お前はもう苦しまなくていい。過去を引き摺るのは良いが…それ以上に未来を見る事も大事たからな。」

仲間達から教えられた教訓をケビンはそのままラビに伝える。

「俺もあの日、マナと会わなければ今の自分は存在していなかった。自分の罪を悔やむばかりで…未来なんかどうでもいいって考えてたからな。」


マナとの触れ合いから始まり、ジャッキーと共闘し、エルザと愛を結び、ガデフに背中を押された自分。

更にリュウガに惚れられ、キドマルに手を伸ばされ、ラビに懐かれた自分。

各々が自分を慕い、「何か」を与えてくれていた。

「だから俺は決めたんだ。コイツらだけは…何があっても失ったり手放したりしちゃ駄目だって。そんな真似すれば…あの頃の自分に戻ってしまうからって。」

ワインレッドのシャツの上からペンダントを触り、ケビンはマリアからの助言を思い出す。

―大切な人達の所へ行って。

―そして自分の分まで生き延びて。

その場から逃げれば一生叶わなくなる約束を胸に秘めてケビンは誓った。

自分はもう逃げない。

マリアの分まで強く生きて…生き延びると。


空の上から彼女が見ているような気がしてケビンはモクモクと立ち上る雲を見上げた。

《見ていてくれマリア…お前との約束は必ず果たすからな。だからもう少し待っててくれ。全てが終わったら必ず会わせるからな。》

今やってる事が片付いたらやりたい事を決めてケビンは微笑む。

《お前に紹介してやるよ。俺…新しく好きな人が出来たんだ。俺…また新しい家族が出来たってな。》

その誓いを果たすべく男はフェンスから森へ通じる一本道を見つけて走り出した。

首に掛けた金と銀のチェーンが激しく揺れてそれでも走り続けた。

自分を変える為に。

新たな自分を…空に見せる為に…。

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