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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第一幕・運命の出会いと旅の始まり~
2/34

燃え上がれ炎よ!不死鳥の旅人ケビン

【あらすじ】

そこはとある世界で起きた物語。

その世界は大きな闇で覆われていた。

武器を持っても誰しもが抗う事が出来ない大きな闇はあっという間に世界を飲み込んだ。


人々の血が、涙が絶え間なく溢れる地獄と化した世界。

人々は絶望し、生きる希望を失いかけていた。

でもその世界に今、一筋の希望の光が灯されようとしていた。


愛する人を奪われ、復讐の鬼と化した1人の男。

後に小さな伝説を生み出す熱き不死鳥の戦士の話が…紐解かれようとしていた。



【プロローグ】

自分に幸せなんて降りてこない。

何度そう感じたか。

自分は何も持っていない。

宝物も、悲しみも、怒りも、喜びも…。

胸にポッカリ開いた大きな穴はドーナツみたいに遠くが見える。

近くにあった玩具を一掴み入れたが穴は塞がらない。

可愛い小物、美味しいお菓子、軽蔑と憎しみをほんのちょっぴり…。


―可笑しいな?どんなに入れても穴は開けられてる。

―変だな?よく見れば穴は貫通してなくて真っ黒だ。

―何を入れても…何を入れても…何を入れても…穴は全然直らない。

―ねぇ見てよ?お腹に穴があるんだよ?

―なんで見てくれないの?

―僕は苦しいんだよ?

―心が…とっても…。


―僕は…ボクは…ボクハ。

―俺は…オレは…オレハ。

―アナノナカガグルングルンシテル。

―アレ?ユビガキエテイッチャウヨ?

―ウデモ…アシモ…ドンドンダンダンキエテ…。

―デモアナダケハソコニノコッテルヨ。


―アナハキレイナハートノカタチ。

―ソコニオモチャトオカシトコモノトニクシミトケイベツヲイレテ…。

―ソレデモナンニモカワラナイ。

―アナハクラクテコワクテ…。

―カナシイ。


ネェ、ダレデモいいから。

ボクに振り向いテ。

ボクをヒロって。

ボクを…俺を…助けて。

助けて…まだ…


死にたくない。



【1】

今でも夢に出てくる。

懐かしい過去の思い出を。

一瞬にして奪われた沢山の思い出を…。

あの幸せな瞬間が…今となっては辛い思い出になってしまうなんて…。

一体何故こんな目になってしまったんだろう…。

何故あの時に踏ん張れなかったのか。

なんで力を出せなかったのか。

もう…考えても遅い幕切れになっていた。


自分の中の楽しい思い出なんてたかが知れてる。

そのずっと前から自分は1人だった。

周りから白い半月の目で見られて…責められていた。

助けてくれる人も守ってくれる人もいない。

だから膝を抱えて怯えて耐えるしかなかった。

その自分にやっと差し出された手。

この手は何があっても守ってやる。

そう誓ったのに…。


―お願いします…!どうかこの子だけは…!

右も左も炎に焼かれている広場の中心。

泣きじゃくる我が子をしっかり抱いた妻の表情は悲しみに満ちている。

―良く見ておいてね、自分の愚かさってやつをさ。

銀色に光るナイフの刃が妻の首を一文字に切り裂く。

真っ赤な血飛沫を上げながら彼女は倒れてしまった。

飛び散る赤い雫が眼球に貼り付いて…目の前が文字通り真っ赤になっていく。


残された子供は絶命した母親の姿を見るとショックで泣き続ける。

自分は今の内だと思って子供の傍まで這いずって移動する。

だが魔の手は容赦なく子供の襟首を持ち上げた。

ニヤリとした黒い笑顔と色白の歯に自分は絶望した。

―止めろ!殺したいなら俺を殺せ!だからその子には手を出すな!

絶望しか考えられずに必死に叫んだ。

でも黒い笑顔は崩れる事なく…そのまま真っ赤な血が付いた刃物は子供の首を…。


―息苦しさに目が覚める。

明かりの消えた薄暗い部屋で男は飛び起きた。

簡素なベッドのシーツが汗でグッショリと湿っている。

《また…あの夢か…。》

男は荒呼吸しながらベッドの上で頭を抱えた。

頭の片隅にこびり付いた苦い記憶。

決して忘れる事は出来ない不甲斐無い自分の姿。

頭を抱えて俯いてもどうしても思い出してしまう。

一体この夢はいつになったら消えるのかと。

いや…一生消える事は無いと直ぐに答えは浮かんでくる。

もう逃れる事は無いと…もう1人の自分が囁いているんだから。


汗ばんだ肉体が濡れて全身に張り付く。

男はベッドから降りて浴室に向かう。

浴室はユニットバスで狭く、風呂と言うよりシャワーを浴びる感覚に近い。

栓を捻って熱さを調整して濡れた肉体を清めていく。

汗と一緒に自分の憎しみも流れてほしい位だ。

一頻りシャワーを浴びて水を一杯飲んで部屋に戻ると時計はまだ夜中を指している。

体に熱が籠っているのでシャツは着ないで上半身裸でベッドに腰掛けた。


男の手は意識的にサイドチェストの上に伸ばされた。

ハンカチと一緒に置かれた指輪と金のロケットペンダントを同時に握る。

何もかも失った今の自分の心の支えになっているお守り。

これが無かったら自分は全部を失って暴れていたかもしれない。

だから心のストッパーにもなっていた。

暫し握りこんだそれをまた戻してベッドに横になった。


外を見ると月は雲に覆われて辺りは真っ暗に染まっている。

風が木の葉を揺らす音がして嵐でも来そうだ。

暗闇に溶け込みそうな感覚を感じながら男はゆっくりと目を閉じていく。

早く夜が明けて欲しいと…人知れず願いながら。



【2】

翌日。

煙を巻き上げる1台のバイクが荒野を走っていた。

バイクはサイドカーで側車には僅かな荷物が乗っているだけ。

あれから1人旅をしているので荷物は増えないで懐も寂しくなっている。

今朝ホテルで会計する時に軍資金を確認したら精々3泊出来るかどうかの額しかない。

ここで一儲けしないと永遠野宿の生活になるだろう。


上空に昇る太陽が西へ傾き始めた頃。

バイクを走らせる青年は遠くの方に町を見つけた。

入口と思わしきゲートは半分に割れて片側が根元から崩れている。

町中も建物が崩れたり地割れが起きていて普通でないのが明確だ。

ゲートの前でバイクを停めると荷物を置いて町に入った。

「オッサン…だいぶ荒らされてるな。」

直ぐ近くでしゃがんでいる中年の男は見慣れぬ青年の姿に2度見する。

「アンタは…?」

「俺はさすらいの旅人だ。この町の有り様…ミステシアの仕業っぽいな。」


―ミステシア

今や世界中でその名を知らぬ人間はいない程脅威の威厳とも呼ばれる犯罪組織。

予告もなく町に現れては破壊の限りを尽くす残忍な人間の集まりだ。

「あぁ…この町はもう終わりだ。奴等はここに新しいアジトを置いて好き放題やってるんだ…。」

男の耳は“アジト”の言葉に異様に反応する。

アジトがあるなら連中はまだここに留まっている。

つまり叩くチャンスがあると踏んでいた。

「教えてくれ、奴等は今何処に?」

男性は無言で通りの先を指差す。

崩壊したビルの間を通る一本道を男は歩いた。


ジャリジャリとコンクリの破片や割れたガラスを踏みながら進むと城のような建物が見えた。

鍵の壊された鉄の門がブラブラ揺れて前庭の芝生は所々黒くなっている。

門の横の壁は煉瓦造りでアルミ製のポストはひしゃげ、真下には真っ二つになった板切れが落ちている。

板切れを拾って切断面を合わせると「OHISAMA」のアルファベットが浮き彫りにされていた。

近付いて見れば窓ガラスは全部割れて廊下の壁が覗いている。

辺りを見ると大きなテーブルやベンチやブランコや滑り台やシーソーが置かれている。

これらの光景と看板の文字を照らし合わせるとどうやらここは養護施設の類いのようだ。


入り口に入ると白い廊下はガラスとコンクリの破片で埋め尽くされて痛々しい光景になっている。

廊下の隅に置かれたローテーブルは倒れ、上に置いてあったであろう花瓶は無惨にも粉々になって水と破片が散乱している。

生けられていた花も萎れて花弁も茎も茶色くなっていた。

壁にはクレヨンで書かれた拙い絵が一面に貼られ、ここで暮らしている子供の様子が明らかになっていた。

でも耳を澄ましても子供の声は一切聞こえてこない。

静まり返った家は不気味で寂しかった。

「チッ…。」


男は舌打ちすると静かに歩き出した。

ミステシアがここをアジトにしているなら子供達は当然だが人質にされている。

アジトにして日数がそれなりにあるなら何が起きていても可笑しく無い。

そこまで計算していたら遠くの方でガシャンと物が壊れる音がした。

男はその音で確信した。

―この建物の中にはまだ人がいる。

これ以上荒らされては堪らないと遂に彼は走り始めた。

勢いで全身の温度を上げながら。



【3】

壁も窓も削られて荒らされた廊下を男は懸命に走っていた。

扉が開けっぱなしの部屋もあったが何処を覗いても人はいない。

もしくは一ヶ所に大勢が集まっているのではと推理して今度は大部屋が無いか探していた。

案内板を頼りに食堂の近くまで来たら子供の泣き声が聞こえてきた。

途切れ途切れに静かにしろという暴言と銃声も聞こえる。

間違いない。

人質と犯罪者達はあそこに集まっている。

男は足音を立てないように慎重に部屋の近くまで進んだ。


入り口に隣接する壁に隠れ、目だけ出して覗くと大勢の人間が床に座っていた。

その内の4~5人は大人で後は全員子供だ。

その周りを銃を持った黒服の男達が取り囲んでいる。

「もう…許してください…!」

「何言ってんだテメー、もうお前らは俺達の奴隷だって分からねぇのか?アーン?」

チンピラみたいな喋りに頭を抱える女性は身を震わせる。

それ以外の大人も降伏のポーズを取らされたり怯える子供を抱き締めて守ろうとしていた。

「もうここには警察なんか来ないぜ。俺達が全部壊しちまったからな。」


ハハハハハと笑う男は泣きじゃくる1人の子供の口に銃口を突っ込む。

んーんー喚く子供を押さえ付けると女性は真っ青になった。

「止めて!それだけは止めて!」

「口で言っても分からねぇなら…こうすんだ、よ!」

ズドンッと残忍な音が、血飛沫が飛散する。

子供は首の後ろに大きな穴を開けて崩れ落ちた。

他の子供はワーワー泣いてパニックになっている。

大人達も泣き喚いて酷い有り様だ。

窓が壊されているので外の空気が諸に入り、血の臭いは男の方にまで運ばれていた。

その臭いを鼻に受けて…男は拳を握っていた。

これ以上自分を怒らせるなと胸に秘めながら。

「ン?なんだぁ、この臭いは?」


銃を持った男は鼻に異臭を感じる。

撃ち殺した子供の血の臭いでは無い、虫刺されの薬のような強いアンモニアの臭いを。

すると人質の輪の一番外にいた少女から臭いがしていると気付いた。

白いワンピースにツインテールの可愛らしい少女の膝元には黄色い水溜まりが出来ていた。

友達が撃たれたのを見た恐怖で失禁していたのだ。

「オラァ!漏らしてんじゃねぇぞクソガキ!」

ツインテールの片方を引っ張って無理矢理立たせるとフリルのスカートの裾が黄ばんでいた。

「丁度良い、臭いモノ見せて貰った見返りをくれてやるぜ。」


暴漢は口の回りをペロリと舌で舐めながら少女を不気味な笑顔で見つめた。

でも少女は白目を向いたままで泣いたり喚いたりしていない。

目の前の光景が信じられず、脳が反動でショックを引き起こしていたのだ。

「止めて!もう止めて!」

なんとか自我を保ってた職員らしき女性が命乞いしてくれと願ってくる。

「ウルッせんーだよ女ァ!」


その女性を弾き飛ばして今度は少女に銃口を向ける。

「テメーら人間なんざ皆ゴミなんだよバーカ!」

笑いながら引き金に力を入れる。

少女はもう意識が半分飛んでいて状況が読めなかった。

―自分に命の危険が迫っている事にも。

「死にさらせやァァァ!」



【4】

そこまでだった。

「アヅァガガ!」

突然男の拳銃が火花を弾いて燃え始めた。

周りの仲間も何事かと辺りを見回す。

「そこまでにしときな、下衆野郎共。」

この場の誰のでもない声。

全員の視線が部屋の入り口に向けられる。

「その子から手離せ。じゃなきゃ次は…銃位では済ませられねぇよ。」


視線の先、そこには犯罪者とは違う若い男がいた。

オレンジのシャツに紺色のスーツ。

長く垂らした前髪の隙間からはルビーのように真っ赤な瞳が輝いている。

男は犯人達を挑発するようにグローブをはめた右手の人指し指をクイクイと曲げてくる。

「誰だテメー!」

「俺は世界を回る旅人さ。にしてもお前ら…随分えげつない真似してるな。」

子供達は泣くのを止めて男を見つめる。

纏う空気で悪者ではないと熟知していた。

「さっさとここから出ていきな。じゃねぇと…子供の前だとは言え容赦しねぇ…。」


右手の手首を持ち上げるように見せるとユラユラと陽炎が上ってきた。

いや、部屋全体の温度が急激に上昇していた。

「舐めやがって…やっちまえ!」

素性が分からずともただの人間だと下衆が一斉に襲ってくる。

男は右手の親指を人差し指で握り混み、物を投げるように右腕を斜めに掲げる。

「おいチビ共、ちょっと目閉じてな。」

横目で子供達に合図すると腕を降り下ろすと同時に親指を勢いよく鳴らした。

―パチッ。


豪快とも言える指パッチン。

でもその油断が仇となった。

「ギィヤァァァァァ!」

お化けでも見たような悲鳴が部屋一杯に響く。

大人数で攻めてきた敵があっという間に火だるまになっていたのだ。

メラメラと赤い炎の光が人質の瞼に映る。

「な、なんだと!?」

「悪いな。俺は…普通の人間じゃねぇんだ。」

着火された犯人達はボスの目の前で焼け崩れ、その原型を失っていく。

辺りには筋肉が焼ける嫌な臭いが広がって子供達は泣き出していた。

「こ、この野郎…!」


追い詰められたボスと思わしき男は燃える部下を前に足を震わせるしか無かった。

だが足元にいる子供を見るとその表情は不気味な作り笑いへと変わった。

「クソ!臭いガキでも使い物にしてやる!おい来やがれ!」

ボスはまだ策があると失禁したあの少女の手を掴んで逃げ出した。

逃がすかとばかりに青年も追い掛ける。

3人は食堂を飛び出すと施設の屋上へ向かう階段を駆け上っていた。

子供を連れているのと連れていないのでは足の早さが明確で若い男は直ぐにボスの背後まで迫っていた。

少女はショックから立ち直れず、ズルズルと足を引き摺るような形になっているのでそれが足枷と化していた。

「ガキが…良い気になってんじゃねぇぞ!」


ようやく屋上の扉を見つけたボスはなんと少女の手をそこで振り払った。

支えを失った小さな体がスローモーションの映像のように落ちてくる。

追い詰めた青年は避ける事はせずに真正面から少女を受け止め、反動でバランスを崩して階段から落下していった。

ズザザザザと土砂が流れるような音が暗闇に吸い込まれて消えていく。

一部始終を見届けたボスはフン、と鼻を鳴らして屋上へと向かっていった。

2人は踊り場の中央で互いに抱かれて動かなくなっていた。

「う、ウ~ン…?」


さっきまでショックを起こしていた少女は大きな衝撃で我を戻していた。

足の間が濡れている感覚に浸りつつもそれ以上に誰かに抱かれている気がした。

「あ、あれ?」

そこでやっと…自分が庇われていると気付いた。

見知らぬ若い青年が包むように自分を抱いて倒れていると。

「あっ…。」

小さな手が青年の頬に当たるが返事は無い。

「え?やだ…そんな…」


ならばとシャツの胸元を揺すっても青年は起きない。

少女の頭の中は違う意味でまた真っ白になった。

―自分のせいで死んでしまったと。

「ヒック…ふぇぇぇん…。」

感情が溢れて少女はとうとう泣き出した。

その時。

「オイオイ、勝手に殺すなよ。」



【5】

寝起きでだるそうな声を出しながら青年はゆっくり起き上った。

「ふぇ…?」

「この高さじゃ落ちても俺は簡単には死なねぇよ。ま、骨はあちこち折れる時があるけどな…。」

華奢な小さな肩に添えられた手が引き締まり、少女は喉の奥がヒュッと鳴る。

何かされるんじゃないかと思い、逃げようとした。

「それよりお前は無事か?怪我してないか?」


分厚い手が肩から剥き出しの腕に移動し、優しく擦る。

さっきまで自分を引き摺っていた男とは全く違う手の感触だ。

「…どうやら何も無さそうだな。安心したよ。」

手と同じ優しい声が聞こえてくる。

自分の無事に安堵するのと…危険な目に遭わせてしまった事を詫びるような声だ。

「大丈夫だ。俺はアイツらの仲間じゃない。だから落ち着け。」

体温が下がって冷たくなった腕を青年は何度も擦る。

ジンワリと細い腕に熱が籠もり、動かなかった両足にも力が戻るような感覚がする。

体の怯えが止まるのを感じながら少女はゆっくりと上を見た。


そこで初めて青年の顔と全身が見れた。

皺の寄った暗めのスーツと相反する明るいオレンジのワイシャツ。

乱れた前髪から見えた目はさっきの赤い目じゃ無い。

サファイアより少し濃いめの蒼色の瞳。

海のように広くてなんでも包んでくれそうな目だ。

「俺はケビン、ケビン・ギルクだ。お前は?」

「…マナ…マナ・ジョルシュ…。」

「…そうか、可愛らしい良い名前だな。」

ポスンッと腕を擦っていた手が頭に乗せられる。

革のグローブ越しからはジワジワと熱い体温を感じられた。

「あいつらミステシアの下っ端だろ。まさかこんな金持ってない場所まで襲うとはな…。」


ケビンはマナの体の震えがまだ完全に治まっていないのを悟る。

目の前で同い年の子供が銃殺されたのだ。

その恐怖が未だに残っていると感じる。

「ゴメンな、巻き込んでしまって。怖かったろ。」

ケビンの両手が小さな背中と頭の後ろに回され、マナを胸元に抱え込む。

―暖かくて優しい温もり。

涙に潤んだマナの瞳の奥に影が映る。

それはもうずっと昔に一度だけ見た光景だ。

夜、雨、月明かり。

自分の体が地面へと吸い込まれていきそうな…黒い世界が。


それから自分の中から消えていったそれをマナは思い出していた。

ずっと…ずっと探していた温もりのような物を。

「…グスン…くすん…。」

無意識にケビンの服を掴んでマナは人知れず…泣いた。

「ふぇぇぇ…ふわぁぁぁぁぁん…。」

明かりのない踊り場に小さな泣き声が広がる。

その声がケビンの心に針のように突き刺さった。

あんなむごい光景を見てしまった位だ。

怯えて失禁するのも無理無かった。

「もう我慢するな。落ち着くまで一緒にいてやるからな。」


赤ん坊をあやすように大きな手がトントンと背中を優しく叩く。

ケビンはそこからは何も言わないでマナを抱き続けた。

そのまま静かに時が流れていった。

5分位して泣き止みそうなのを感じ、手を離そうとしたら指先で背筋がゾクゾクしてるのを読み取る。

「どうした?」

「…寒い。」

凍えるような声にケビンはあっ、と考える。

下着が濡れたままなので体温が下がっていると。

「ちょっと我慢出来るか?俺にはまだやる事が残ってるんだ。終わったら着替え探してやる。」


ケビンはマナを抱きながら耳元で囁いた。

本当は直ぐにでもマナをここから連れ出したいとは思っている。

だが占拠した連中を見逃すと町に危害が及んでしまうので…今逃げる訳にはいかなかった。

「お前はここで待ってろ。直ぐに戻るから。」

衣服を掴む手が離れ、ケビンはその場から立ち上がる。

しかしマナは温もりが去ってしまうと感じたのか、咄嗟にしがみついてきた。

「やだ…行っちゃ駄目…行かないで…。」


自分より二回りも小さくて柔らかな手がズボンの生地を掴む。

離そうと思っても以外に強くて逆に力が込められる。

「嫌だぁ…1人になるのやだよ…。」

ケビンは一瞬苦い顔になるも直ぐに開き直ってマナを抱き上げた。

小鳥みたいに軽くて小さな体。

胸倉を探る手をケビンはそっと握る。

「…離れるなよ。」


自分の短い忠告にマナはコクリと頷く。

こんなちっぽけな体で今起きている事を必死に受け止めているのだ。

これ以上の悲しみを背負わせるのは自分のプライドに反する事でもあった。

ケビンはそこから上を見上げ、窓から漏れる光を睨みながら階段を上って行った。



【6】

破壊された町が一望出来る広い屋上。

そこへ通じる扉を乱暴に壊す音にボスは目を丸くした。

階段から落として死んだ筈の2人がそこにいたからだ。

「テメーら…生きてたのか!?」

「アホ、あん位で死ぬ訳ねぇだろバーカ。」

マナを優しく下ろすとケビンは両手のグローブを外した。

「さぁ、さっさとこの町から消えな。じゃねぇと…火傷じゃ済まねぇぜ。」


男は驚くもまだ自分の方が力が上だと信じてクククと笑う。

「アァ!?死ぬのはお前だろ!?俺様はミステシアの次期幹部の器なんだぜ!」

「幹部ねぇ…少なくても俺の知っている奴と比べたら月とスッポンだな。」

マナが自分を見上げて不安そうに手を握ってくる。

「それに俺はな…女子供に手出す卑怯者が大嫌いなんだ。特にテメーみたいな風呂にも入らねぇ臭ぇ男がな…。」


調子に乗り上がってとボスは新しい拳銃を二丁取り出して構える。

「これでも喰らえェ!」

バンバン、と交互に銃弾を放つ。

(レッドブレス!)

ケビンが空いた左手を掲げると掌から火炎放射が出て銃弾を焼き焦がした。

「なっ!?」

「言ったろ。俺は普通の人間じゃねぇって。」

炭と化した弾が地面に落ちて崩れていく。

「クソ!ふざけやがって!」


自暴自棄になって今度は走りながら発砲してきた。

「ならこれはどうだ?」

(フレイムウェーブ!)

左腕を振るい、灼熱の炎の波が銃弾ごとボスの肉体を飲み込んだ。

「ギャアアアア!」

絶境と共に体が高温と高熱で焼かれていく。

辺りには煙と肉の焼ける嫌な臭いが充満していた。

マナは恐怖でその場にしゃがみ、ケビンの体が目隠しするようにその前に立つ。

いくら自分でも幼い子供にこんな光景は見せたくないからだ。


焦げ臭い臭いが風に乗って階下に流れていく。

男は全身黒焦げでほぼ炭のオブジェに変わっていた。

「やっぱ風呂入ってねぇと焼けても臭いな。」

捨て台詞を吐きながらケビンはグローブをはめ直してマナに振り返る。

「マナ、立てるか?」

小刻みに震える少女は首を左右に振りつつ両手を伸ばしてきた。

「抱っこ…。」

言わずと知れずにヒョイと抱えると直ぐに甘えてくる。

「取りあえず外出ような。着替えさせないとだし。」


壊れた扉を潜って2人は屋上を後にする。

その場には焼け死んだ男の遺体と黒い煙だけが立ち込めて異様な光景に変わっていた。

後に現場を見た警察の人間は半分ほど昏倒したとかしてないとかいう噂まで流れていった。



【7】

孤児院の外には警察と思わしき人間とケビンと出会った初老の男性が話していた。

「おぉ、お兄さん無事だったか!」

男性はマナを抱いて建物から出てきたケビンの手を取る。

「残りの人質はまだ中だ。ただ犠牲が何人か出ちまって…。」

「分かってるさ。犯人の悲鳴やら銃声やらが外まで丸聞こえだったからな。とにかく戻ってきてくれて幸いだ。」


ケビンは助けられなかった気持ちも抱えながら辺りを見回す。

「なぁ、どっかに宿屋ないか?この子漏らしたから風呂入って着替えさせたいんだ。」

「それなら私の所に来なさい。女房と営んでる小さな宿だが泊まるには充分だろう。遠慮しないでくれ。君はこの町のヒーローだからな。」

男性は見知らぬヒーローの健闘を称えるがケビンはその呼び名に慣れていないのでハァとしか返事出来ない。

「まぁこれで町の復旧も進むだろう。本当にありがとうな。そうだ名前は…」

「…ケビンだ。」

「恩に着るよケビン君。私はベン・モルツだ。住民を代表して礼を言わせて貰う。さぁ来てくれ。案内するよ。」


現場検証に入る警察を残して主人は2人を自宅に招いた。

孤児院から歩いて5分の場所にある住宅街の外れにその宿はあった。

男性の妻、宿の女将は事情を聞くと直ぐに風呂を沸かして部屋も用意してくれた。

案内された部屋にはベッド2台にタンス、机と椅子とシンプルに纏められた空間だ。

少し寂しいが寝れるスペースさえあれば充分だと言うのがケビンの理論である。

ケビンはマナを先に風呂に入れるとスーツを脱いで備え付けのハンガーに掛ける。

全身がとにかく汗まみれでシャツが肌に張り付いている。

「あっつ…。」


汗ばんだ自分の手を見ながら溜め息を付く。

―久し振りに能力を使ったのだ。

本来なら一般人には見せたくない自分の力。

時には化け物呼ばわりされる自分を何度憎んだ事か。

ひょっとしたらマナも緊急時とは言え、自分を怖がってしまってるだろうとも。

そんなのを考えていたら部屋の扉が開いた。

「ケビン上がったよ。」

新しいシャツとトレパン姿のマナが部屋に入る。

ツインテールを解いて下ろした髪の毛は背中の真上までの高さまである。

「あとね、おばさんが今ご飯準備してるって。」

「そうか。俺も汗流してくるから待ってろよ。」


部屋から出て階段を下りると食欲をそそる香りがしてくる。

左へ曲がって風呂場に入ると洗濯機に衣類を放り込んだ。

ホテルのユニットバスとは違う広い浴槽で久し振りに足を伸ばして入った。

ふと窓を見ると微かにオレンジ色の光が見えた。

どうやらもう夕方らしい。

汗と泥がお湯に流されて心地好かった。

上機嫌に浸かっていたら浴室の開き戸がガシャンと鳴った。

「ケビン…。」

「お、どうした?」


そこにはマナが立っていた。

しかも裸で有無も言わずに浴槽に入る。

「なんだ?さっき風呂入ったろ?」

「ケビンと一緒がいいの…。」

ケビンはやれやれと交じりにマナを引き寄せ、シャワーの水滴で濡れた黒髪を撫でる。

どうやらこの子はかなりの甘えん坊体質だなと。

「ねぇケビン…。」

「どうした?」

「さっきの…本当にケビンがやったの?」


湯気の中で水晶色の丸い瞳が自分を見つめてくる。

本当は話したくないが彼女に隠し事はしたくない。

その気持ちが勝って口を開いた。

「マナ、“スキル”って知ってるか?」

コクンと頷く動作に話を続ける。

「そうだ。限られた人間にしか使えない特殊能力、例えば自然の力や人工物を操ったり…自分の姿を変えたり…念力やテレポートを使えたり…中には相手の能力をコピーしたり記憶や意識を操ったりする能力もあるんだ。」

それならマナもある程度知っていた。

孤児院の図書室にスキルについての資料があって何度か読み漁っていたからだ。


「俺はそのスキル使いの端くれなんだ。ただその性質がちょっと厄介でな。…戦闘向きで使い方を間違えれば大きな厄災を引き起こすんだ。だから本当は子供の前では使いたくなかったんだ…。」

目の前で人間を生きたまま焼き殺す等普通ではトラウマになる光景だ。

見せたくないが性質上では仕方無いのが本音なのだから。

「ゴメンな、怖いモノ見せて。」

しかしマナは湯船に揺られながら呟く。

「怖くないよ。」

「えっ?」

「だってケビンはマナの事助けてくれたんだよ?確かに最初は怖かったけど…でも今はケビンが格好良いって見えるよ。だから怖くないよ。」

「マナ…。」


―驚いた。

マナは自分を化け物どころか逆にヒーロー、或いは白馬の王子様だと見ている。

素直を通り越して…本気で信じていると。

「マナね、ケビンと一緒だと怖いモノなんか無いの。ケビンがマナの事守ってくれるからって。」

ニッコリと笑って話す少女は本物の天使のような笑顔を浮かべる。

あんな恐ろしい体験をしたのに…見ず知らずの化け物みたいな男を信じて…笑っている…。

ケビンはマナの心の強さに感服し、それから暫く彼女を抱き締めて湯船に浸かっていた。



【8】

風呂から上がり、女将の用意した夕食を食べ終わると時刻は夜の8時を過ぎていた。

就寝するには悪くないがまだ眠くないとばかりにマナはケビンの膝の上に座って色々話していた。

その殆どが自分の過去だった。

「マナね、赤ちゃんの頃にあそこの前に置き去りになってたんだって。だから町の外にはあまり出てないんだ。」

「そうか。」

「それにね、これもその時から持ってたんだって。」


ハイ、と見せてくれたのは指輪だ。

パッと見ると軽くて金属製とは感じないがそれでいて祭りの縁日で売られてるような玩具ではない。

銀色の枠とリングにピンクと紫が混じったような独特な色の宝石が埋め込まれている。

「じゃあ…親御さんの事は何も知らないのか?」

「うん。顔も名前も分からないの。まだ赤ちゃんだったから。」

でもね、と呟きなからマナは俯く。

「マナのお父さんとお母さんは絶対にいるって信じてるの。それで大きくなったらこの町を出て探しに行こうってずっと夢見ていたの。」


―生後間もない赤ん坊に指輪を預けて孤児院に置き去りにする。

まるでドラマのような話だ。

それでもマナの言葉には嘘っぽい空気は感じられない。

「手紙とは来てないのか?」

「全然無いよ。でもお母さんがいなかったらこんな指輪持っていなかったよ。」

生きているのかも分からない両親の存在を信じる直向きさ。

それがある意味マナの原動力になっていた。

「ケビン…。」

「ん?」

「ケビンは…これからどうするの?」


そうだなと考えながら窓の外を見ると星空が見えた。

霞と埃でクッキリとは見えないが微かな星明かりに意を決して答える。

「この町にミステシアの連中はもういないんだ。俺はアイツらを追い掛けて明日にはもう次の町に行く。後は警察に任せるさ。」

復興に時間は掛かるかもしれないが仕方無い。

それに自分の力を知った住人から追い掛けられる事も考えると長居は無用だ。

「…も」

「うん?」

「マナも…付いて行って良い?」


膝の上で少女は体を目一杯こちらに向ける。

そして真剣な眼差しで自分を見上げていた。

「マナ、お父さんとお母さん探しに行きたいの。ケビンに付いていけば…会えるかもしれないんだ。」

「…。」

「絶対に迷惑掛けないしケビンの事も化け物って呼んだりしないよ。だからお願い、連れてって。」

最後の方は泣きそうな声でマナは懇願してくる。

だがケビンは未だに一言も言わない。

《やっぱり駄目かな…。》


諦め半分で俯いたら頭に柔らかい物が乗せられる。

自分より遥かに大きくて温かい手だ。

「…ったく、お前思ってた以上に馬鹿だな。」

「ふえっ?」

「初対面でさ、しかも化け物みてぇな人間怖がらないとかなかなか居ねぇぞ。おまけに付いて行きたいとか普通の人間ならまず考えねぇな。」

マナは理解出来ずに混乱するもケビンはそっと抱き締めてくれる。

「でもよ、目の前で泣いてる子供見捨てるのは俺の性に合わなくてな。それに遊び半分で付いて行きたいって気持ちも感じねぇし…むしろ一緒にいると心地良いんだ。」

「じゃあ…!」


パァァと明るくなるマナの大きな瞳がケビンの笑顔を写す。

「その代わりに俺からも約束する。何があっても…マナは俺が守ってやるからな。どんな事があっても…絶対に手放したりしねぇからな。」

優しくて柔らかい笑顔。

それを見たマナの目には人知れず涙が溜まっていた。

見知らぬ自分にここまで優しくしてくれる人間にマナは会えた事が無い。

それだけこの男の優しさが身に染みて溢れる物があった。

「なんだよまた泣くのか?結構涙腺弱いんだなお前。」


グローブを外した指先がマナの目元に触れてくる。

フニフニと瞼の下と頬を挟んでマッサージする手付きも人格がそのまま表れてるように優しい。

「さぁ、もう遅いから寝ないと駄目だぞ。」

グスングスンとぐずり出したマナを抱きながらケビンはベッドから腰を上げた。

マットレスに寝かせると左手の指輪を外してチェストの上に置き、ランプの明かりも消した。ケビンは指輪の横に自分のペンダントを置くとマナが入ったベッドの布団を捲る。

因みに部屋はツインだが少々心配症気味のケビンは一緒に寝てやると決めていた。

「マナ…ゆっくり休めよ。」


自分より遥かに小さな体が薄い掛け布団で包まれる。

額に手を乗せるとぐする声が未だに聞こえ、ケビンは落ち着かせるように胸の上を優しく叩いた。

リズミカルにトントンと布団を叩くと安心したのか、スースーと可愛い寝息が聞こえる。

ケビンも安心してマナの上半紙を支えながらその姿勢で目を閉じる

真っ暗な部屋で互いに孤独な青年と少女は温もりを感じながら眠りに就いた。



【9】

やがて長い夜が明け、新しい朝が巡ってきた。

少しばかり昇った太陽の明るさが窓から差し込んでケビンは小さな呻きを上げる。

「朝…か…。」

部屋は暗いが日の光のお陰で所々目視は出来る。

年季の入った木造の床と天井、簡素なベッド、そして…

《…可愛い寝顔しやがって。》

自分の隣で寄り添うように眠る幼い少女がいた。


壁の時計は朝の5時を過ぎたばかり。

起こしても大丈夫そうだがもう少しこの寝顔を拝みたい欲求も自然に沸いてくる。

シーツに流れる黒い髪の毛を優しく撫でて指に絡ませながら笑っていた頃だ。

「…さ…ん。」

不意にマナの口が開いた。

「お父…さ…ん…お母…さん…。」

顔の前で揃えた小さな手が小刻みに震える。

「…。」

ケビンは一瞬声を掛けられなかった。

でも直ぐに開き直ると布団を少し捲り、ハンガーに吊るしておいたジャケットを掛ける。

《もうちょっと寝てろよ。直ぐ戻るからな。》


マナを1人残して青年は寝室を出た。

ギシギシと沈む床を歩いて向かったのは風呂場だ。

ジャージャーと熱い水音が早朝の浴室に広がる。

シャワーの飛沫に当たりながら男は考えていた。

―本当にあの子を連れて行っても良いのか?と。

マナは身長的に見ればまだ6~7歳の子供だ。

本来なら警察に保護される対象で自分に同行したいなんて馬鹿馬鹿しい話だ。

いっその事あの老夫婦に事情を話して引き渡すなんてのも充分だ。

上手く行けば生き別れた両親にも連絡が届くかも知れない。

その方が正論だ。


―でもな。

バルブを止めて全身ずぶ濡れの青年は鏡に写る自分を見つめる。

姿は人間だが…自分は人知れぬ力を持った化け物だ。

あの子はその化け物を信じて…純粋に信頼している。

そんな優しい存在を1人にさせて良いのか?

もう1つの疑問が浮かんだ。

鏡にかざした手から水蒸気が昇って天井の換気扇に吸い込まれていく。

鏡の中の瞳…鮮血にも近い赤い瞳に焼き付いた水晶の瞳が浮かんで瞼の奥がチカチカする。

《あの瞳はただの子供の目じゃ無い。あれはまるで…》


―母親と逸れた寂しがりな子猫。

大切な存在を探して探し回る瞳。

そして何より…人の愛を求めている。

ケビンは鏡の水滴を拭って頷く。

何かを決めたように。

満足そうな表情で浴室を出ると寝室へ急いだ。

少し開いた扉の隙間から小さな啜り泣きが聞こえる。

「ヒック…ぐす…。」

部屋に入るとシングルベッドの左半分で丸くなっている少女が震えていた。

顔の下のシーツは一部が変色して濡れている。

自分が戻るまで泣いていた証拠だ。

「どうしたマナ?大丈夫か?」


武骨な手が白い小さな手を擦る。

その声と温もりにマナはゆっくりと目を開く。

「1人にして悪かったな。寂しかったろ?」

ケビンの姿が見えるともっと側に居たいとばかりにマナは布団から這い出た。

「ケビン…。」

「ん?」

「…お父さんも…お母さんも居なくて…真っ暗で…誰も居なくて…恐かったよ。」

分厚い上着の袖でマナは涙を拭きながら訴える。

どうやら相当タチの悪い夢を見ていたようだ。

「よしよし大丈夫だからな。」

モゾモゾとベッドの上にしゃがんだマナの背中をケビンは優しく撫でる。

薄いシャツ一枚の少女の体は二回りも大きなジャケットで包まれていた。


薄暗い部屋に幼い子供の泣き声が微かに響き渡る。

ケビンは背中に添えた手を両頬に回し、マッサージするように頬を揉んだ。

「落ち着いたか?」

暗い空間に透明な雫の色が見え、ケビンは胸の奥がチクンとした。

次には無意識の内に両腕を後ろ頭と背中に回して自分に密着させていた。

《同じだ…あの頃の俺と。》

浮かんだ感情を振り払うようにケビンはマナを抱っこすると寝室を出た。

廊下を揺らして行き着いた先は洗面所だ。

脇に置かれたコップに水を注ぎ、それを優しくマナに渡す。

「ほら、飲みな。」


マナは戸惑いながらもコップに口を付け、ゆっくりと水を飲み干した。

飲んだ分が零れるように目元に涙を浮かべながら。

グスングスンと啜り泣きながらマナはケビンに抱き付く。

「ケビン…ひっく…。」

理由なんて分からない。

とにかく体の奥が冷えて恐かった。

ケビンはそんなマナの背中を優しく撫でる。

「トイレ行くか?」

頭だけコクリと下がったのでそのままトイレに直行させ、やっとこそ部屋に戻った。

マナは変わらずにケビンに抱き付いて怯えていた。


カーテンの隙間からは薄い白い光が入っている。

眠気覚ましに朝日を見せたくもあるがこの状態では無理は出来なかった。

ベッドに腰掛けさせるとマナは直ぐに横になり、ケビンは布団を掛ける。

「まだ朝早いからもう少し寝てな。俺見ててあげるから。」

額に掛かる前髪を横に流しながらケビンは優しくマナを見守る。

でもマナは泣きながらイヤイヤと首を横に振る。

「やだぁ…寝るの怖いよぉ…。」

また眠ったら同じ夢を見るかもしれない、そんな底知れぬ恐怖がマナを苦しめていた。

「…そうか。」


ケビンは少し困った顔になるが安堵させるかのように笑うとマナの手を優しく取った。

「じゃあマナが寝るまで手握っててあげるからな。」

小さな手を自分の手で包むとマナは不思議な目で見つめていた。

ゴツゴツした肌触りの出会ったばかりの男の手。

温もりに包まれてるみたいでさっきまでの恐怖が嘘のように消えていく。

ケビンは自分より何回りも小さな手を優しく握る。

傷も腫れも無い産まれたての赤ん坊のような柔らかい手だ。

自分と違って“普通”の日常の中で生きてきた人間の手だ。

本来なら自分みたいな人間が触れたり握ってはいけない手だ。


でも今は関係無い。

何も理由が無くても良い。

この小さな無垢な手を守ってやりたい。

その一心だけが芽生えていた。

「…ケビン。」

「どうした?」

「ケビンの…手…温かい…。」

マナはいつの間にか顔を横に向けていた。

顔の右半分を枕に埋め、潤んだ大きな左目が薄暗い部屋の中で煌めいている。

「…マナ…温かい…の…好き…。」

「そうか、ありがとな。」


前髪を垂らす頭を撫でるとフワフワの毛髪が手の皮膚に絡んでくる。

その手から滲み出る熱が毛髪を伝って全身に広がっていく。

「…ケビン…優しい…人…。だから…マナ…好き…。」

左目の瞼が半分閉じてきてケビンは髪を撫でる手を頬に持っていく。

「…大…好き…マナ…嬉…し…い…。」

頬を時計回りにマッサージするとマナの瞼が自然と閉じていき…顔の左半分も枕に埋まろうとしていた。


オルゴールの音色が段々ゆっくりになるみたいに左目が糸目になる。

「お休み…マナ。」

ケビンは小声で呟くと握っていた手に唇を当てて布団の上に降ろす。

それと一緒に自分ももう一眠りしようと俯せの姿勢で布団に顔を埋めた。

マナの寝息と呼吸で上下する腹部の圧を感じつつ、静かに目を閉じていった。



【10】

それから2時間後。

2人は寝室を出ると朝食を貰い、旅の支度をしていた。

「いいんですか?お金払わなくて。」

「構わないさ。ケビン君はこの町を救ったヒーローじゃないか。そんな人から大金取るのは勿体無いじゃろ。」

主人は宿代を無償にし、女将は朝早くから馴染みの商店に連絡して食料や衣類を支給してくれた。

無名の旅人にここまで尽くしてくれるのも中々無いものだ。

「何かあったらいつでも戻ってきなさい。勿論、タダで泊まらせてあげるよ。」

「えぇ、落ち着いたら必ず。」


女将の用意したおにぎりの包みとお茶のペットボトルを持参した鞄に積める。

ケビンの荷物は衣類数着と現金のみでほぼその日暮らしに近い生活だ。

こんなサービスなど初めてだった。

「ケ~ビ~ン~。」

「ハイハイ、どうした?」

少し長めの黒髪の少女がグイグイとズボンの生地を引っ張る。

「髪の毛結んで。」

「なんだ、お前やった事ないのか?」

「1人だと上手く結べないの~。だから手伝って~。」


分かったとばかりに女将のドレッサーを借りてマナの髪の毛をブラシで撫でる。

マナは慣れた手付きで両側の毛髪を掴むと愛用のヘアゴムを何重にも巻き付ける。

「ここ持って~。」

「いちいち語尾を伸ばすな、全く…。」

ブツブツ言いながらもマナと向かい合うケビンの様子を女将は羨ましそうに見守る。

昨日出会ったばかりなのにもう仲睦まじい兄妹、もしくは親子みたいに見えた。

「ほら、出来たぞ。」


真ん中で半分に分けられ、尻尾みたいに垂れる2つの髪の毛。

下ろすと大人っぽいが結ぶとやはり愛くるしさが勝って生意気そうに見える。

「お前長いのも良いけどこの髪型もやっぱ可愛いな。」

「…下ろした方が良い?」

「それは夜だけにしろ。昼に長いと邪魔になるからな。」

10分掛けてセットした髪の毛を揺らしてマナは宿の外に出た。


ケビンは洗濯して乾燥もしてくれた前日の衣類を積めた袋を受け取る。

「気を付けてね。それと楽しんでね。」

「まぁ楽しいとは言えないですね。でも1人よりよっぽど幸せかもしれないです。」

町の出口に停車してあったバイクに向かうと側車のスペースを開ける。

同行者が増えたので粗方荷物は整理して減らしておいた。

「どこ行くの?」

「まずは資金調達だな。お前の服買わないといけないし…宿代も嵩むからな。」


ブルンブルンとエンジンを吹かしてバイクは走り去っていく。

宿屋の夫婦はその音を聞きながら微笑んだ。

2人の旅がこの先実り多い物になるようにと。

町の住人も名の知れぬヒーローの足跡を聞きながら復興作業に勤しんでいた。

―また戻ってきたら今日まで以上の持て成しをしてやろうと胸に秘めて…。


―その男は愛する物を目の前で奪われた。

そして不甲斐ない自分を鍛え、復讐の為に世界を回っていた。

本当の平和を、未来を守る為に。

これは復讐に生きる青年と彼の元に集った仲間が織り成す壮大な冒険の序章であった…。

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