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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第三幕・襲来する危機と小さな戦士の目覚め~
17/34

咲き誇れ花よ!ヒュドラVS目覚めし花のビースト!

【1】

―その生き物は産まれた頃からずっと1匹だった。

人間や鴉に疎まれながらも…必死に生き延びてきた。

どこへ逃げても阻害され、邪魔者扱いされ、ボロボロになってきた。

自分は餌が欲しいだけなのに、寝る場所が欲しいだけなのに、誰かに愛されたいのに…。

無慈悲にもその願いを打ち砕かれ、ずっと寂しかった。

自分を愛してくれる者なんていない、ずっとそう信じていた。


そんな自分に手を差し伸べてくれた人間がいた。

優しくて明るくて、周りから愛される小さな人間。

傷だらけの自分を優しく包んでくれた女神様みたいな少女。

その柔らかい手で包まれた時に、胸が熱くなった。

“愛される事”がこんなにも嬉しいなんて。

“包まれる事”がこんなにも愛しいなんて。

こんな感情は今まで無かった。

自分は嬉しさのあまり、その少女に目一杯甘えてしまった。

でも彼女は怒らないで自分を手元に置いてくれた。

―何があっても隣にいる、そんな事を言っていた。


そして自分は何かを決意した。

この人間を守ってやりたいと。

自分を守ってくれた分だけ、今度は自分が守ろうと。

力も何も取り柄の無い自分では到底無理な話だ。

でもそれでも構わない。

例え回りの全てを敵にしても…その命が犠牲になっても。

彼女が笑ってくれれば…それで良いと。

自分が死んでも彼女が生きていたら…それで満足だと信じていた。

その小さな願いを少女は受け入れ、自分に伝えた。

―共に生きよう、と。

―自分の片割れになってくれ、と。


小石が所々に広がる大地と風に揺られる無数の木々。

そこで横たわっていた少女は静かに瞳を開いた。

「……。」

少女は起き上がろうとせずに小さな両手を天に向かって伸ばす。

小さな手にはさっきまで抱き締めていた生き物の温もりが残っていた。

そして今…あの子は自分の胸の中にいる。

自分の片割れとして…魂の一部となった相棒。

それを確かめるようにマナは空に伸ばした両手を胸の前に重ねる。

「リンリン…。」

目を閉じれば伝わってくる。

柔らかな花畑から走ってくる…自分のビーストの魂を。

「感じるよ…リンクスの声が…温もりが…マナにくれた…その力が…。」


自分の四方を誰かが囲んでいる。

炎の熱さ、水の冷たさ、風の軽さ、土の肌触りさが…自分に寄ってくる。

「…フーたん。」

鋭い爪が並んだ足が一歩前に出る。

お辞儀するように垂れてきた嘴が優しく手を突く。

「リンリン…ここにいるんだよね…。」

緋色の瞳はゆっくりと瞬きする。

自分達の力を授けた命は今、マナの中で生きている。

その命は…マナの新たな力にもなっていると。

「リンリン…マナを守りたかったんだね。だから逃げなかったんだね。」

「…ュァァァ。」

そうだよと嘴で肌を触るフェニクロウにマナは微笑んだ。

「フーたん…ありがとう…。」


そのままよいしょとマナはゆっくり起き上がった。

すると森の奥からギャーギャーと動物の悲鳴が聞こえてきた。

ビッグベアが体毛を逆立てて威嚇している。

「…ママ達もう行っちゃったの?」

その呟きに他のビーストも同じ方角を見つめる。

気が付けばこの場にいるのはマナとビーストのみ。

他の大人達の姿は何処にも見えなかった。

その理由を…マナは自分の顔の近くで知った。

青々と茂る木々の葉っぱがどぎつい紫色に染まり、そこから茶色に変色して枯れていく。

木の根元に生えた花も花弁が落ちて根元から萎れていく

異常事態が起きているのがハッキリ見えていた。

目に見えない恐怖…そんな行動を起こせる人間などたかが知れている。

間違い無い…トキシックの毒が森を汚染しているのだ。


さっきの悲鳴は恐らくこの森に住む生き物だろう。

いきなり森がこんな状態にされてパニックを起こすのは当たり前だ。

そこから毒を吸い込んで倒れるか…それとも無事に逃げ切れるか…時間の問題だ。

マナは黒ずんで散った花弁を拾って強く握り締める。

ここの動物や植物は人間の害では無い。

なのにどうして滅ぼすような真似をするのか?

ミステシアの残忍さを、冷酷さを、非道な行いを改めて感じてマナは顔を顰める。

「フーたん…。」

不死鳥の瞳が少女、いや小さな花の戦士を写し取った。

「お願い、マナをケビン達の所に連れて行って。」

「キュルル。」

「ガァオオ。」

「プフゥゥ。」

「グルルァ。」


残されたビーストはそれに答えた。

マナはもう…守られるだけの存在では無い。

彼女の中には…新しい命の息吹が巡っている。

今こそ眠られた力を解放すべきだと覚悟を決めていた。

「リンリン…マナ行くからね。」

握り締めた花弁がピンク色の光に包まれ、それにフ~ッと息を吹き掛ける

光は桜のような花弁となって…枯渇していく森に広がっていく。

それは死んだ木々へとの…弔いを意味していた。

必ず救ってみせると森全体へ誓い、マナは急いだ。

大切な人の元へ…。



【2】

普通に歩いては出口の見えない森を抜けた先にある丘。

森林地帯をほぼ見通せるこの丘に凶暴な影が二つあった。

一つは鳥から進化したような魔女のような女。

もう一つはその魔女が引き連れてきた邪悪なる猛毒生物。

森の木が枯れているのは怪物が放出する毒の息が原因だった。

飛び去る鳥達も毒に耐えきれずにバタバタと森に落ちていく。

その光景を見ながら魔女は微笑んだ。

「ん~っ、素晴らしい光景ねぇい、ヒュドラちゃ~ん。」

「ギャオオオ!」


鳥の鉤爪に変化した手で怪物を撫でる女。

吐き気を催しそうなその光景を真後ろからジッと見守る視線があった。

「ヘッ、何処が素晴らしい光景だよ、ただの環境破壊じゃん。」

岩で形成された丘をヒールの高い靴で歩く影。

左半分が焼け焦げた紫の仮面が魔物を写す。

「あ~ら貴方、いつの間に見てたのねぇ~。」

「それはど~も、ってか人の付き人をベッド送りにした人間が言う台詞じゃねぇな。」

ジョーカーはポケットに突っ込んだままの右手を静かに上げる。

その先には拳銃を握り締めていた。

「あらぁ~?何の真似かしらねぇ~?」

「決まってるじゃん。これ以上アンタに獲物を荒らされたくないんでね。」

拳銃を構えた姿勢でジョーカーは地面にブッ、と何かを吐き出す。

転がっていったのは煙草代わりに咥えていた白いキャンディの棒だ。

「クイーン…悪いがアンタの力じゃあの男には勝てねぇよ。奴は俺の獲物だ、だから最後は俺が倒さないと意味無いんでね。」


トキシックの頭の翼が羽ばたいて無数の羽が舞う。

羽の向こうにはこちらに振り向く魔女の顔が見えた。

「失礼しちゃうわねぇ~。ワタクシはただお仕置きしていただけよぉ~。」

「…アンタのお仕置きとやらを見てるとどうにも吐き気が治まらないんだ。そんで人の護衛役を満身創痍にするとか有り得ないだろ。」

自分は悪くないアピールを噛ますトキシックをジョーカーは仮面の奥の瞳で睨む。

「やあぁ~ん、こっわ~い。」

「…貴様ぁ…!!女だからってぶりっ子被りすんじゃねぇ…!」

完全にブチ切れたジョーカーは遂に拳銃を発砲する。

だがトキシックは落ち着き払って飛んできた銃弾に毒液を浴びせた。

鉄の銃弾とはいえ、貴金属をも腐食させる毒には抵抗出来ずに瞬時に溶け落ちていく。

「も~うあったまキタァ~!ヒュドラちゃ~ん、やっておしまい!」

「フシャァァァァ!」


大口を開けて威圧する怪物の両脇の皮膚が盛り上がり、ビシャッと緑の粘液が溢れた。

粘液を噴き出しながら産み出されたのはドラゴンを彷彿とさせる爪の生えた腕だ。

更には角が伸び、鬣も伸びて完全にドラゴンの顔付きになる。

「見なさい!これぞ愛しのヒュドラちゃんの本当の姿なのよぉ~!」

大振りに怪物をアピールする魔女にジョーカーはマントを翻した。

そう、ヒュドラはただの毒蛇では無い。

ジョーカーの好敵手、ケビンが仕留めた巨大鮫ジョーズ同様にミステシアの科学技術で産み出された改造生物なのだ。

ヒュドラの肉体にはトキシックのスキル能力が組み込まれており、文字通り彼女の相棒として働いているのだ。

「…チッ、リーダーに喧嘩売りたくはねぇが仕方ねぇ…!」

拳銃では勝ち目が無いと武器をナイフに切り替えた時、

「待てよジョーカー、散々人に警告してヒーロー気取りしようなんざ百年早ぇよ。」


ジョーカーの更に背後から叫んできた声。

自分も最も聞き慣れた声にジョーカーは素直にナイフを下ろした。

「フン、やっぱり生きてたんだね。てっきりクイーンに搾られて逃げたと思ってたよ。」

「馬鹿言うな。俺があんなケバい女に惚れるとでも思ってたのかテメーは?」

日頃から女には優しいケビンらしい一言だとジョーカーはクスリと微笑む。

強ちそれはデタラメではない。

自分だってトキシックのような女と付き合うのは正直勘弁してほしい位だからだ。

「でもまぁ来てくれてありがとね。今度こそ俺は撤退するからさ、後は好きなように遊んでやりな。」


じゃあねアディオス、とお馴染みの捨て台詞を残してジョーカーは煙幕と共に姿を消した。

相変わらずキザな男だとケビンは嘆きながら彼の眼前にいた魔女と怪物に振り返る。

「…てな訳だ。今度こそアンタの首取らせて貰うぜ。」

「あらぁ?そんなフラグを立てるなんて貴方潔いじゃなぁ~い。」

腰をくねらせて投げキッスを送るトキシックにケビンはもう顔すら見たくないと吐き気を催すポーズを見せる。

マナとエルザがあんなアピールしてくれれば死ぬ程嬉しいがそれ以外の女では正直引くと顔を背ける。

「ジャッキー見ろよ。あんな女いたら付き合えそうか?」

「…百歩譲っても御免だ。」

「奇偶やな、ワシも同じやで。」


男同士で考えるのは同じだと呻く三人。

その背後におぞましい気配を感じたのでそれ以上は追究しない事にした。

一方で相手を観察するトキシックはホホホホと高笑いしながら艶かしいポーズを決める。

「でもそれは無理ねぇ~。どんな手を使ってもワタクシを倒すのは不可能なのよぉ~。」

「…悪いがそれはどうかな?」

ケビンは確信に満ちた笑顔で空を見上げる。

すると自分等の上空に巨大な影が現れた。

大きな翼を広げた鳥のシルエット。

それは通過すると汚染された森を見回すように飛んで自分の元に降りてくる。

「よぉ、やっと来たな。」

「フュルルル。」

緋色の瞳と翼の鳥は頷き混じりにケビンに顔をくっ付ける。

「…そうか、成功したんだな。」

「キュルル。」


直後にドドドドと大きな足音がした。

切り開かれた木を薙ぎ倒して羆と天馬が到着、その上空からは水の龍も降りてくる。

羆の首が下がって背中に乗っていた人間が地面に足を付けた。

「ママ!」

待っていたとばかりにエルザは走ってきたマナを受け止めた。

「リンクスは…?」

「…ここだよ。」

母親と正反対にペッタンコな胸元を撫でる。

それは…少女の魂と肉体に新しい命が宿ったのを意味していた。

「リンリン…マナと一緒に居たいって。マナの力になりたいって言ってたの。」

「…そっか。」

毛先が睫毛ギリギリまで伸びた前髪を白い指が横に流す。

「大丈夫よ、リンクスを信じればマナもずっと強くなれるからね。」



【3】

―その時、ヒュドラは長い蛇の胴体を数ミリ後退させていた。

ほんの僅かだが…怯えを感じたのだ。

自分は向かう所敵無しなのに…何故か禍々しい気配を悟っていた。

臨戦態勢に入る自分に挑むのは…小さな子供。

その小さな体の奥にとてつもないパワーを感じていた。

「あ~ら良いのぉ~?こ~んなオチビちゃんにヒュドラちゃんを倒せるとぉ?」

「…笑いたきゃ笑いこくりな。何処へ逃げてもテメーらだけは生かしちゃおけねぇからよ。」


トキシックはケビンの挑発にギリギリと歯軋りしながら鉤爪で唇を撫でた。

「まぁ生意気な小僧だこと!ヒュドラ!やっておしまい!」

「シャアアア!」

泣き叫ぶヒュドラが地面を這い、トキシックは鉤爪で頭部の翼を切り裂いた。

無数の羽が舞い落ちる桜の花のように飛び交って自分とヒュドラを隠す。

しかしマナは落ち着き払って胸の前で手を合わせた。

「…大丈夫…リンクス…行くよ!」

《ニャゴォォォォ!》


足元の地面から昇る微かな嫌な臭いを悟り、マナはケビンやエルザを真似て両手を印を組む。

土が盛り上がって白い犬歯が飛び出すその瞬間、マナの体が宙に浮かんだ。

空へ飛び上がった少女の襟首を…見たこと無い生き物が大事そうに咥えている。

ペガクロスと同じ真っ白い体に三角の耳、パールやビー玉のように光沢を帯びた丸いピンクの瞳、背骨のラインは丸っこく滑らかでグーのように指が纏まった両足と二股に分かれた細い尻尾。

柔らかそうな肉体だが足の付け根付近の筋肉は多少なりとも浮かんでいて成長期の雌ライオンの子供を想像させる。

光が当たると所々が桜色に染まる体毛は滑らかで思わず触りたくなる程だ。

猫の獣は後方に下がるとブルブルッと水浴びの後のように全身を身震いし主を地面に降ろした。

「フーッ、フーッ…!」

猫は白い牙を見せて全身の毛を逆立てる。

二又の尻尾を鞭に見立てて地面を叩きながら真正面の蛇を睨んだ。

「シャオオオ…。」


ヒュドラは白目の奥でその生き物の正体を捉えた。

それは自分が仕留めたあの生意気な野良猫の影。

まさかと思いながらも威圧を止めない。

地面にしゃがんでいたマナはヒュドラの威圧を受けながらもリンクスの背に乗る。

フェニクロウら他のビーストよりも随分小柄だがマナの体格と比較しても大きい方だ。

それでもその毛並みは…生前のリンクスそのままだなとマナは毛を撫でながら横になりそうになる。

「…リンリンふかふかだね。」

「グヌヌヌ…。」

嬉しいのか、咄嗟に尻尾の毛先をリンクスは主人に向けてくる。

今まで主人に抱かれていた自分が今度は主人を抱く事になるとは夢に思っていなかった。

そう代弁するように尻尾でチョロチョロとマナをくすぐる。

思えば自分からこの尻尾を奪ったのもヒュドラだと振り返り…全身の熱と血が滾ってくる。

「フルルル…。」

「シャアアア!」


隙を見せたなとヒュドラが先制攻撃を仕掛けてきた。

姿が違っても…一度は仕留めても獲物に違いないと決めて口から大量の毒液を吐き出す。

これにリンクスは四つ足で踏ん張りながらニャゴォォと吠える。

すると逆立てた体毛がミサイルのように飛ばされた。

体毛は一本一本がピンク色の針となって毒液の波に飲まれていく。

「オーッホッホッ、ヒュドラの毒の前では全てが無になるのよぉ~。だから倒そうと思ってもむ…」

「ジャアアアアア!」

今までに無い悲鳴にトキシックは何だと振り向き、唖然とした。

なんと体毛は猛毒を物ともせずに飛んで…ヒュドラの目に突き刺さっていたのだ。

「な、何だとっ!?」

小癪な真似をとトキシック鉤爪から毒の斬撃を飛ばした。

当然ながらリンクスはその場から飛び上がって回避するもそこで魔女はニタリと笑う。

空中では逃げられないと立て続けに毒の刃を浴びせようとする。

「馬鹿め!蜂の巣だ!」


しかしリンクスは迷わずに体毛の雨を降らせる。

すると花のオーラを纏った鋭い毛針は斬撃を掻き消し、魔女に降り注いでくる。

「クソッ…この程度の技なんて痛くも痒くも…!」

そこから追い打ちを掛けるように花の蕾の形をしたエネルギー弾をリンクスは放った。

新雪色の蕾はポーンッと地面にバウンドして大爆破した。

「グワァァァァ!」

断末魔と強烈な爆風が地面の一帯に広がって回りの木が熱波に煽られていく。

煙と衝撃が落ち着くとシュタッと白い猫のビーストが綺麗に着地した。

「だ、旦那…アイツ強くねぇか?」

「ゴ、ゴルルルアァ…。」

水のスキルコンビが揃って大口を開ける。

ただの小さな猫と姫君なのに…こんなに強かったっけ?と驚くばかりだ。

「ニャ~オッ。」


照れるよと言うようにリンクスは長い二本の尻尾をヒュンヒュンと揺らす。

よく見ると付け根をくっ付け、そこから弧を描いて先端を合わせる形。

所謂ハート型を尻尾で作って左右にゆっくりと揺らしていた。

「何っ!?姫が俺様にI LOVE YOU?」

「「んな訳あるかぁ!」」

どんな通訳してんだお前はとケビンとエルザが両頬を殴ってめり込ませる。

「んふっ…ひへぇ~…ほんへは?」

「姫、本音は?だってさ。」

即座にリンクスは尻尾を中央で交差させた。

「Noだってさ。」

「ぬぉおおおおおおおおおお!」

「いちいちうるさいわボケェェェ!」

蜂に刺されたみたいで膨れた頬に更にガデフから一撃が加えられ、もうジャッキーは顔の見分けが付かなくなった。

「ほわえぇ…ひょうひゃへぇは…。」


お前容赦ねぇなとケビンが通訳するとリンクスは前足を舐めながらニャ~オと鳴く。

やはり猫は猫、ビーストになっても気紛れなのは変わらないらしい。

「でもその力は本物やな、見直したで。」

「ガオオオ。」

ビッグベアが面白がってリンクスの頬を舐め、他のビーストも続いて囲む。

すっかりアイドル気分になったリンクスは上機嫌に喉をゴロゴロ鳴らす。

「ジャァァァァ!」

ここですっかり蚊帳の外になったヒュドラがいい加減にしろと吠えてきた。

「おいお前ら、歓迎パーティは後にしとけ。」

「そうよ、さっさとあの自己中ババァ始末しないと。」

「ほふはなぁ…。」

「いつまでそれやっとるんや?ふざけてるとブッ飛ばすでおどれ?」



【4】

ピキピキと青筋を浮かべた毒蛇はもう限界とばかりに長い胴体を膨らませる。

丸太のように肥えた体はもう蛇のレベルを上回って文字通りの怪物だ。

「…リンクス、アイツはお前が仕留めろ。じゃないと腹の虫が収まらないだろ?」

「フギャア。」

仰せのままにとリンクスは頭を下げて爪を立てる。

「シャオオオ…。」

「フギュウウウウ…。」


ズリズリと腹這いする蛇とポニュポニュと肉球を鳴らして歩く白猫。

お互い半時計回りに数歩歩くと綺麗に止まる。

「ジュウウウ…。」

怪物の体が全身紫になってスライムみたいにドロドロに溶けた。

紫のスライムはさっき相手の技が命中した場所で倒れる主の全身を包んでピッタリと張り付いた。

「…ん~ふぅ…ありがとねぇヒュドラちゃ~ん…。」

頭の翼が紫に染まった魔女が長い舌で唇を舐め回しながら蘇った。

ヒュドラの毒がトキシックの体内を駆け巡って彼女を呼び起こしたのだ。

「オェ…気持ち悪りぃ女だな。」

「同感同感、エルザがアレやったらベッドに押し倒…イヤすんまへん。」

手品並みの素早さで足を踏まれてガデフは額から汗をダラダラ流す。

「お遊びは終わりよぉ~!全員纏めて叩きのめしてあげるわぁ~!」


鳥の足が変形して上半身が半鳥人、下半身が蛇の怪物が産まれる。

その姿は神話に登場する蛇の怪物、エキドナやラミアの類いだ。

蛇の胴体がバネのように収縮して魔女が…飛ぶ。

「親分!」

「言われんでも任しとき!」

(ラインズクラッシュ!)

いつの間に顔が元に戻ったジャッキーの合図でガデフが地面にかぶと割りを放つ。

一直線上に隆起した土の塊がトキシックを足止めする。

「良し…行くぞ!フェニクロウ!」

「キュアアア!」

主に呼ばれた不死鳥はマグマのように燃える光球を解き放つ。

かつそれを追うようにケビンは光球目掛けてフェニックスアローを一発放った。

光球を突き抜けマグマで全身をコーティングした巨大な不死鳥はトキシックに命中して爆発する。

「…ブホッ!グガッ!」


緑色が入り交じった血を吐きながら魔女は何とかして足を踏ん張る。

「おのれぇ…!よくもこの美しきワタクシの顔に傷をつ…」

(流水カマイタチ!)

言い終わる前に圧縮された水と風の刃が飛んできて半裸の上半身に蚯蚓脹れを付ける。

「アンタ鏡で自分の顔見た事あるの?ただの化粧濃いババァじゃん。」

「なっ…!?ひ、卑怯だぞ!このメス豚がぁ!」

瞬間、ブチッと頭の血管が切れる音が聞こえてケビンがヤバイといった顔になる。

「ガデフさん逃げろ!巻き込まれるぞ!」

「えっ!?な、なんやて!?」


蛇の胴体の尻尾を掴んで投げる姿勢を取っていたガデフは突然の警告に狼狽える。

だが時既に遅し、頭上が暗くなって見上げると巨大な竜巻が目と鼻の先にあった。

「あっ!?エ、エルザあかんて…!まだワシがここにお…!」

続かずに大量の空気が喉に入り込んで敵ごと竜巻に飲まれた。

「むぶホォォォォォ!」

スクリューのように下から上へ螺旋を描きながら登っていく姿はさながら最新鋭の絶叫マシンだ。

しかし当人にしてみれば拷問と変わらない。

ジェットコースターの何百倍もの風圧で顔の筋肉は歪み、物凄い表情になっている。

言葉にならない声を発しながら男はスポーンと竜巻のてっぺん、平らに開かれた口から飛び出してきた。

「わっ!?わわぁぁぁぁ!」

「プフゥゥ!」


しかし間一髪、ペガクロスが颯爽と現れてガデフを背中に乗せる。

トキシックはと言うと竜巻から解放されると真っ逆さまに落下、地面に激突していた。

「クッソ~あの女ァ…!」

「プ、プルルル…。」

今度巻き込んだら容赦しないと言いたそうな空気にペガクロスは恐れながら地面に降り立つ。

「あらおじさん、逃げ遅れたの?」

《こ、こんのクソアマぁ…!》

自分に悪気はないとばかりにスカッと喋るエルザにガデブは猛烈な怒りを覚える。

ただ本音で言うとブッ飛ばされるので心の中で呟くしかなかった。

「おのれぇ…どいつもこいつもさっきからふざけおってぇ…!」


両手を地面に付け、長い舌をチョロチョロ揺らしながら接近する魔女。

もう人間としての素振りは失っているかのようだ。

「消え失せろ!」

(ミリオンヴァイパー!)

右手の爪から振るわれた毒液が蛇の姿になって一斉に責めてくる。

「上等!数には数で制すべし…だぜ!」

ジャッキーが印を組んで地面に円陣を出現させる。

(ブルーオロチ・九頭舞踊!)

円陣から召喚された水の龍が毒蛇を粉砕していく。

「オラァ!」

そこから右足を軸に一回転すると龍がトキシックの回りで渦を描き、水の竜巻に閉じ込めた。

やがて竜巻の遙か上、巨大な龍が逃げ道を塞いで急降下してくる。

「フン…無駄だ。」


そこでトキシックの体が紫に染まり、龍を粉砕して竜巻から脱出した。

良く見ると彼女は自信の肉体を猛毒の液体に変化させていた。

「何っ!?」

「馬鹿め!その程度の攻撃など無効だ!喰らえ!」

(ホーネットスピア!)

液状化した腕から作られた鋭い槍がジャッキー目掛けて投げられる。

技を見破られたのに気が取られ、彼は回避するタイミングを失っていた。

結果的に毒の槍が胸元に突き刺さる。

「ジャッキー!」

エルザの叫びに振り向くと…そこには胸に槍が刺さった男がゆっくりと倒れていく光景が広がっていた。

ケビンは追加で投げられた槍を火の一矢で防ぐと相棒の元に急ぐ。

「おいジャッキー!しっかりしろ!」

「ケビン支えてろ!まずはコレ抜かへんとどんどん悪ぅなるばかりや!」


ガデフは堪忍してくれと呟くとジャッキーの胸から槍を引き抜いた。

猛毒の塊に素手で触れて大丈夫かとエルザは思ったがガデフは何も無いように槍を投げ捨てる。

毒の武器は地面に刺さるとジュワジュワと炭酸のように沸いて溶けた。

槍の刺さった箇所からは緑の液体が滲み出てくる。

「エルザ、解毒剤は?」

「うん、待って。」

しゃがんだまま指笛を吹くとペガクロスが鞄を口に咥えて運んできた。

ケビンは中に入っていた解毒剤の瓶を取り出すと血色の悪化した唇に指を添える。

「あ…っが…っぐ…!」

ジャッキーも自力で口を開けようとするが毒のせいで全身が痺れて筋肉が思うように動かなくなっている。

ケビンも開閉を手伝うがやはり数センチ開ければ閉じ、開ければ閉じを繰り返すばかりだ。

「クソッ、このままじゃ飲ませられへんぞ!」

「ガデフ落ち着いて、ここは私が…。」



【5】

エルザは焦りながらも冷静を保ち、ケビンに薬を貸してくれと命じた。

手渡された瓶の蓋を開けると薬を口に少量含ませ、そのままジャッキーの唇に覆い被さる。

「えっ?ち、ちょっお前…!」

あたふたする親分肌を余所にエルザはジャッキーの口内に解毒剤を口移しで流す。

全部は飲めずに口の端から垂れるがジャッキーも彼女の効力を無駄にしないと力を出して喉をゴクンと動かした。

「良し、それでいいわ。」

喉の動きが止まったのを確認するとまた解毒剤を含んでは流し入れる。

まさか本気で口移しをする人間がいるなんてとガデフは赤面しながら驚いていた。

「おい…言っとくがコイツは俺が唾付けてるんだ、手出すなよ。」

「せやかてお前…羨ましいって思わんのか?」


ケビンの目の前では今、自分が好きになった女性が自分以外の男に口移しをしている。

普通なら気持ち悪い物見せやがってと発狂するか、やはり自分では駄目なのかという絶望の二択を迫られるが…彼は平然とするばかりだ。

「他の男にアレやったら切り捨てるけどな…ジャッキーとなら浮気の一つや二つしても何も問題ねぇよ。」

「そ、そうか…。お前案外辛抱強い男なんやな…。」

「ニャ~オ。」

ここで話題を変えようとばかりにリンクスが姿を見せ、ジャッキーの傷に鼻先を付けた。

するとポワワワとピンクの柔らかい光が滲んで緑の液体が薄くなっていく。

「リンリン…。」

「フニャ~。」


ありがとうねとエルザに撫でられて喉をゴロゴロ鳴らす。

ジャッキーも何とか持ち直して表情が安らかになる。

「ジャック…大丈夫?」

「ニャゴ~?」

額に汗が浮かびながらも優しい声を聞いたジャッキーは口元を緩ませる。

「心配すんな姫…ちょっと痺れて動けねぇだけだ…。」

呼吸はまだ荒いがまともな会話が出来るから充分だとエルザはハンカチで汗を拭く。

こんな状態でも自分の弱みを見せないようにするジャッキーの配慮にマナは唇を紡いだ。

《ジャック駄目だよ…嘘付いて苦しむ顔見せちゃ駄目だって…マナに言ったよね…。》


そこでマナの脳裏にある記憶が蘇る。

ジャッキーと初めて出会ったエボルブテラーでの出来事を。

ジャッキーを雇っていたマフィアに拐われて命に危機に瀕した自分を。

ジャッキーに怖いのを我慢して嘘を付いていたと告白した事を。

《ジャックはいつもマナの事励ましてくれて…マナに大事な事いっぱい教えてくれて…いつもマナの事見守ってくれてたんだ…。》

なのに自分はまだその借りを何も返していない。

そこまで悩み抜いてマナはリンクスの体毛を強く握った。

「クソォ~…死に損ないめぇ~!」


ここでトドメを指せなかったとトキシックが猛毒の刃を飛ばしてくる。

エルザが一番に察してケビンに唱えた。

「ケビン後ろ!」

「あぁ、分かって…!?」

焼き尽くそうと弓を構えたケビンは直立不動になった。

自分とガデフの足元…もとい目の前に小さな少女が立ったのだ。

「嬢ちゃん何しとるんや!そこどけ!」

だがマナは静かに目を閉じると両手を合わせた。

途端に手の甲に猫の紋様が浮かんだ。

それはバディビーストを得た…マナの真の力の現れであった。

「死ねぇぇぇ!」

紫の斬撃が顔面スレスレに迫った時、マナの瞳がカッと開かれた。

その目はオーラの色、春の訪れを告げる桜の花の色だ。

「…させない。」

(ブロッサムホール!)


合掌した両手を横に広げると仲間達を包むように大きなピンク色のドームが拡大していく。

毒の刃はドームに当たると粉微塵になって消えた。

「バ、馬鹿な!?」

自分の攻撃を封殺されたトキシックの前に少女は足を一歩踏み出す。

小さな体はドームを突き破って対峙する姿勢を取った。

「き、貴様ぁ…!!何をしたっ!?」

「…貴方は…。」

突き出した左手にオーラが集中し、鞭のように長い茨の蔓が絡まる。

「貴方は…私が倒す…!」

「マナ…。」

「嘘でしょ…!あの子…!」

「マジかよ姫…!」

「おぉい…ホンキやで嬢ちゃん…!」


その背中にドームに残された大人組は唖然とするだけだ。

―あれは…あの少女は本当にマナなのか?

―自分らの知っている彼女は…優しくて…甘えん坊で…泣き虫で…向日葵のように明るい筈。

でも目の前にいる少女は今、死ぬ覚悟を決めた戦士の瞳をしている。

誰かに守られる存在から…誰かを守る存在に変わろうとしているのだ。

「フン…!貴様のような小娘にこのワタクシが負けるとでも…!」

ビュンッとトキシックの姿が一瞬にして消える。

「思ってるのかぁぁぁぁ!」

マナの頭上に細長い蛇のシルエットが重なった。

「マナ!逃げなさい!」


背後からエルザの声が聞こえたがマナは落ち着き払って深呼吸する。

そして逃げずに紫の爪を捉えたその…ほんの一瞬を見逃さなかった。

「リンクス!GO!」

「フニャアアアアア!」

ピンクのドームから白い猫の獣が飛ぶ。

剥き出されたその爪で…リンクスはトキシックを引っ掻いた。

「ギャアアアアア!」

バシュッと空気を切り裂く音と魔女の悲鳴が同時に響く。

痛みに耐えられずにトキシックはバランスを崩して崖の真下に広がる森に落下した。

リンクスは崖の縁まで接近すると喉をグルグル鳴らしながら森を見下ろした。

「フググググググ…。」

ざまぁみろと言いたいのか、可愛い顔と反比例する牙を剥き出しにする猫の隣にマナが立つ。

「待ってリンリン、まだ終わってないよ。」

「フギュウウウウ…。」


さっきまでの威勢が花の蕾の如く萎んでリンクスは首を項垂れる。

自分にも姿は見えないがあの蛇女はまだ生きている。

確証は無いが自分の中でそう言っていた。

「行けそう?」

「ニャオン。」

「分かった。」

短い会話を交わしてマナはリンクスに飛び乗ろうとしたが…そこで何故か立ち止まった。

「…待っててね。」

主の言葉にお座りの姿勢になる白猫は尻尾を静かに揺らして小さな背中を見送る。

「ママ~。」

「どうしたの?」

「ママお願い、これ持ってて。」

マナはエルザの前に立つとツインテールを結ぶゴムに指を伸ばした。

ゴムを外した黒い髪の毛が重力を失って垂直に流れる。

「マナね、もう1人でも大丈夫だよ。だからママ見ててね。」

「マナ…。」



【6】

髪を解いたその姿は在りし日の自分と瓜二つ。

その面影に何故か懐かしさを覚えてエルザはヘアゴムを握り締めた。

「…分かったわ。でも待ってね、ママがおまじない掛けてあげるから。後ろ向いてくれる?」

言われた通りに母親に背を向けるとエルザはマナのセミロングの髪を指で掬い上げ、1箇所に束ねた。

その根元にゴムを通すと何度も引っ掛けながらバチンッと弾く音がする。

細長い白い指が離れるとピンクのゴムに纏められた一房の髪の束が姿を見せた。

エルザのより少し短めのポニーテールの先端が静かに揺れる。

「…よし、行っておいで。ママ見守ってるから。」


両肩を叩くとマナは背後を見てエルザの顔を見た。

煌めくエメラルドグリーンの瞳と自分の淡いピンクの瞳が重なり、2つの黒い人影が生まれる。

手を握ってゆっくりと歩く一組の親子、そのイメージを浮かべてマナは何かに馳せていた。

《なんだろう、なんか懐かしい感じがする。》

浮かんだ感情を喉元から押しながらマナは頷いてリンクスの元に小走りで戻った。

「ゴメンねリンリン、急いで。」

主が背中に乗るとリンクスはニャオ~と鳴きながら宿敵打倒の為に森へと急ぎ向かった。


バサバサと木の葉が騒ぎ、何かの人影が猛スピードで落下していく。

木の枝をへし折って砂利まみれの地面に蛇の胴体が打ち付けられる。

「アギャアア!痛いぃぃぃ~!痛いわぁぁ~!」

トキシックは顔面を必死に押さえて暴れ回る。

鳥の足を模した両手の爪の間からは真っ赤な鮮血が流れていた。

猫1匹の引っ掻き傷がここまで響くのかと悲鳴を上げてのた打ち回る。

「フシャャャャ!」


そこへリンクスがマナを背に乗せて着地し、爪に付着した血を地面に擦り付ける。

シャーシャーと蛇の威嚇のような雄叫びを上げながらトキシックを睨んだ。

「このクソ猫ぉ…!よくもこのワタクシの麗しき顔を傷付けおってぇぇぇ…!」

「フーッ、フルグググググ…!」

トキシックの顔面には斜めから振り下ろされた三本傷がクッキリと浮かび、そこから血が絶え間無く流れていた。

蛇の牙と舌を剥き出して威嚇する魔女をリンクスは負けじと怒りで睨み返す。

マナはその相棒の毛並みを優しく撫でて地上に下りた。

「リンクスは自分にされた事を返しただけだよ。こういうのなんだっけ…自業自得って言うのかな?」

「ニャルルル。」


そうかもねと返事をするようにマナに甘える巨大猫を見てトキシックはウガァァと叫び狂う。

「抜かしおって…貴様のようなどら猫一匹に何が出来ると言うのかぁぁぁ!」

指先を一点に纏めた左腕が毒に包まれ、伸縮自在の鞭へと変わる。

毒の鞭はしなりながら真っ直ぐマナに落とされてくる。

しかしマナも油断はしていなかった。

左手に構えた鞭を瞬時に振りかざす。

バシィッと茨の鞭が毒の鞭に絡み付いて攻撃を止める。

「おのれ小娘…邪魔をするなぁぁ!」


左腕を封じられたトキシックは空いたままの右手の爪に毒を滲ませて振り落とす。

しかしマナは身長差で回避し、右手にピンクのオーラを集中させて肘を曲げる。

そこからトキシックの爪が自分に振られる寸前にその胸元にオーラを纏った掌底をお見舞いする。

(桜花・魂爆激!)

オーラは魔女の肉体に吸収され、爆発した。

「ブホッ!?」

トキシックの口から緑を帯びた血が吹き出す。

「あ、熱いィィィィ!骨がぁ…骨を越えて内蔵までもが焦げるゥゥゥゥ!」

ゴハッ、ゲハッ、ゴホッ、と激しく咳払いしながら魔女は苦しんでいた。

体内で爆弾が爆発したような熱波と激痛に襲われて全身が悲鳴を上げる。

「貴様ぁぁ…!ワタクシに何をしたぁぁ!?」

「何をしたって…?」


絡まれたままの鞭を振り払い、魔女を地面に土下座させて少女は笑った。

「貴方がリンクスとジャックに与えた痛みを…そっくりそのまま返しただけだよ。」

決して人の笑顔では無い…影の籠もった黒い笑顔でマナは笑う。

トキシックはその顔を見て…人生最大の恐怖を感じていた。

自分は…敵にしてはならない人間を相手にした事を。

子供だと思って油断していた自分が馬鹿だった。

この子供は普通じゃないと今気付いた。

獲物を追い詰めるハンターの顔に現れた桜色の瞳が怪しく光って自分を睨んでいる。

「貴方だけは絶対に許してはおけない…。今…この場で沈めてあげる…。」

「フルルルル…。」


追い詰められたトキシックは奥歯を軋ませながらも技を受け入れる構えを取る。

自分は誇り高きミステシアの幹部。

こんな子供に負けるなどプライドが許されない。

ならばどんな手段を使っても倒す必要があった。

「たったチビの小娘が抜かしおって…!ワタクシに手を出せば必ずしや報復がある事を後悔するがいい…!」

ゾワゾワとドス黒いオーラが立ち上り、絡まれた鞭同士がジュワジュワと溶け出す。

真っ赤になった瞳と半月の口だけが張り付くシルエットを浮かばせながらトキシックは両腕を横に払って力を集中させる。


その威圧感は周囲の木々を一瞬で枯れ果てさせ、辺り一面に腐臭が蔓延してくる。

マナはあまりに酷い臭いに口と鼻を手で覆いながらリンクスに振り向く。

「リンリン大丈夫?」

「ニャルルル。」

恐らく臭いは感じてるらしいがマナを不安にさせないようリンクスは平然を装う。

「ありがと、じゃあマナも絶対に諦めないから。」

オーラと威圧に結ばれた髪の束が激しく引っ張られる。

マナはゴムが飛ばされないようにその結び目をしっかりと握った。

―自分なら勝てると信じて母親が掛けてくれたおまじないを。

それを裏切らない為にも。


それに答えるようにトキシックも自分のオーラを最大にまで溜めていた。

「この技を喰らって無事でいられる者などおらぬ…!塵となって…消えろぉぉ!」

一箇所に集まった黒と紫のオーラが形を変え、巨大な薔薇の花になる。

「報いろ!ワタクシに歯向かった自分の愚かさをなぁ!そして砕けろ!」

(フローラルポイズンロッド!)

鬼の形相で突き出した咆哮と共に黒い薔薇が迫る。

でもマナはこの時を待っていたかのようにリンクスに振り向いた。

「リンクス…良い?行くよ!」

「ブニャャャャャ!」



【7】

吠える猫の瞳と合掌する主人の瞳が両方共ピンク色に光る。

4つの瞳が輝き、マナが右手を上げるとハートのような花弁が渦を巻いた。

大量の花弁は少女の頭の上で集まり、巨大なピンク色の薔薇と化した。

「舞い躍り…消し去れ!」

(チェリーローズフォール!)

華麗な一回転を決め、ステップを戻すと同時にピンクの薔薇は放たれる。

黒とピンク、2色の薔薇の花が空中でぶつかり合いオーラの雷が溢れる。

「ヌォォォォォ!」

「ハァァァァァ!」


掌がビリビリ痺れて感覚が無くなりそうだがそんなのは関係無い。

例えこの体が朽ちても…回りの自然が守られれば良い、そう信じていた。

「クソ…!たった1人のガキにこのワタクシが負けるなど…!」

しかしトキシックも負けじと力を増幅させ、黒い薔薇が肥大化する。

膨らんだ黒い薔薇はマナの桜色の薔薇が飲み込んでいった。

「有り得んのだぁぁ!」

黒の魔術が勝ってマナは体ごと薔薇の引力に吸い込まれそうになる。


しかしリンクスも負けじとマナの服に噛み付いて主が飛ばされないようにしている。

「フヒヒヒィィィィ…!」

「リンリン…駄目…押し負けないで…!」

意思とは関係無く吸い込まれる右手首を左手でしっかり押さえてマナは踏ん張る。

「フーッ、フーッ、フーッ…!」

リンクスも地面に爪を突き刺して必死にしがみついていた。

だがピンクの薔薇が半分近くまで侵食され、マナの前方にはおぞましい不気味な空間が広がっていく。

自分の力では敵わない、そう覚悟した時だ。

―錯覚だろうか、自分の右手が何かに包まれていた。

一瞬リンクスかと思ったがその感覚は違う。


でもマナの目にはハッキリと見えていた。

黒い革のグローブをはめた右手と自分より長い指が揃った左手が。

マナの小さな手に重ねられた2つの大きな手が自分に力を与えていく。

その瞬間、マナの周囲から柔らかなピンクの光が溢れてトキシックの威圧を消していく。

リンクスとマナの瞳も同じ色に染まって桜色の光が森を包む。

枯れた木々が静かに揺れて紫の煙が浄化されていく。

「な、何故だぁ…!ワタクシの力が…消えていくだとぉ…!?」


ついさっきまで自分は勝ったと信じていた。

なのに今…その勝率を少女が覆そうとしていた。

呪いを放つ瞳は…淡い桜色に染まって視界が真っ白になる。

「何なんだぁ…この力は…一体…!?」

黒い薔薇も逆にピンクに侵食されていき、トキシックの微かな視界に凜とした大きな瞳が映り込む。

燃えるような赤の右目と巡る木々をイメージさせる緑の左目。

赤と緑のオッドアイは真っ直ぐに獲物を睨んだ。

蛇に睨まれた蛙ならぬ、山猫に睨まれた蛇はその力に恐怖する。

オッドアイに浮かんだ不死鳥と天馬、その瞳から放たれる炎と風の力に。

勿論そこにいるのは自分より遥かに弱者な子供が1人。

でもその隣にいる筈の無い人間の面影があった。


マナは信じられない顔を浮かべながらも自分の右手を握り、神経を集中させた。

するとリンクスが主の服を咥えるのを止め、後方に下がった。

天高く吼えると足元からピンクの花弁が竜巻状に舞い上がり、頭上でピンクの薔薇を形成する。

それを合図にマナは右手に赤、左手に緑の花弁を集めて2色の薔薇を作り出した。

「咲かせよ…そして金色の花となれ…。」

3色の薔薇が1つに纏められ、言葉通りにキラキラ輝く金色の薔薇を生み出す。

溢れて眩し過ぎる光は枯渇しきった森の木も輝かせて魔法を掛けたように再生されていく。

「な、なんなんの…だ…ぁ…!」


トキシックは逃げようとするも金縛りに遭遇したみたいに体は動かなくなっていた。

無論出来る事は1つだけ。

優しさを尊ぶ少女の怒りを…モロに喰らうだけだ。

「消えろ、この世から…消えていなくなれ!」

(フローラルゴールドパニッシュ!)

エネルギーが充満された金の薔薇は真っ直ぐに魔女目掛けて放たれた。

そのオーラはトキシックのオーラを打ち消し、皮膚はボロボロに崩れていく。

顔から、体から毒が消え去って麗しき美貌は老婆の様に皺苦茶になっていく。

「そんな…この…このワタクシがぁぁぁ!」


最後の遺言を掻き消して金の薔薇は大きく巨大化し、破裂した。

森全体に花弁が降り注ぎ、枯れた筈の木々や草花が命の芽吹きを咲かせて元通りになっていく。

「へぇ…これが花のスキルの新の力か…。」

蘇る森を見回す人影がポツリと呟く。

傷を癒すだけではない。

植物特有の維持の強さを見せ、あらゆる生物に命を与える奇跡の力。

それは毒やウイルスをも無に帰す…ある意味自分等にとっては脅威ともなる力だ。

「やれやれ…人が一番大事にしている人間を敵に回すなんて…イカれた連中ばっかだな。」


青々とする森に背を向けて男はその場を後にする。

その口元に悔しみや怒りは一切無く、寧ろ喜んでいる様子だ。

「ジョーカー様…。」

ローブを纏った数人の人間が前方から走ってきた。

「お、お迎えご苦労。悪いけどあの自己中ババァさ、回収しといてくれる?」

「えっ!?よ、宜しいのですか!?」

あの人物はもう塵も残っていないのではと答える部下にジョーカーはノーセンキューと呟いた。

「アイツは死んでないよ。ま、俺が手を下さなくてもリーダーんとこの下っ端連中が探しに来るのは明確だからね。余計な真似される前にウチらで引き取って手土産にしとけ。」


部下達は首を傾げながらも了解と頭を下げて自分の後方へと走り去る。

去り際を見送っていたら天からヒラヒラと何か落ちてきた。

雪の結晶のようにキラキラと輝く…青みを帯びた紫色の花弁だ。

《見なくても感じる…あの子がどれだけ強くなったかが…。》

自然と自分の手に落ちた花弁を握り締めるとパリンッとガラス片みたいに砕け散った。

「また会う日を楽しみにしているよ…我が愛しきプリンセス。」

日の光に照らされる仮面を男は外す。

その下の素顔の美少年は…懐かしい思い出に浸るように森に別れを告げるのであった。



【8】

ジョーカーが森を去ったまさにその直後。

死闘が繰り広げられた廃墟の近くには数人の男達が集まっていた。

「本当にここなのか?」

「間違い無いよ。この辺りから音がしたからな。」

彼らはガイズタウンの職人。

町で療養中に遠方から爆発音や轟音が聞こえたのを耳にしてわざわざ確認に来たのである。

でもそこにはホテルだった廃墟があるだけ、その廃墟も半分が破壊されてて原型を留めていない。

「でも誰も居ないぞ?」

「もしかしたらこの奥じゃないのか?行ってみようぜ!」


廃墟の近くにある森の中に入る一行。

暫く進んで彼らは驚いた。

目の前に突然切り開かれた広場が現れ、その広場一面に淡いピンクの花が沢山咲いていたのだ。

真上の木々は開かれ、一筋の太陽光が誰も居ない花畑を守るように照らしている。

「す、すげぇ…!」

「こんな場所見た事ねぇよ…!」

その美しい光景に男達は花を一輪摘もうと手を伸ばした時、ガサガサと眼前の茂みが揺れた。

この森の動物かと思って護衛用に持ってきた斧や鉈を構えたらガサッと誰か出てきた。

「お、お前らこないな所で何しとるんや?」

所々泥で汚れた緑のジャンパーを羽織った坊主刈りの大柄な男。

一人が思わず武器を真下に落とした。

「お、親分さん!?生きてたのか!」

「親分さん!」


それは自分達を守って連れて行かれた大切な人。

まさかのご登場に男達は群がる。

「親分さん無事だったんだな…!良かったぁ…!」

「あぁ、エラい心配掛けて済まなかったな。」

ガデフは一人の両肩に手を置いてニッカリと笑う。

子供みたいなその笑顔に安堵の息が漏れた。

「なぁ、あの女は?」

「アイツか?コテンパンに仕留めておいたで。もう町が狙われる事も無いじゃろう。」

「そうか、それは何よりだな。」

集団の中で一番年長と思わしき男は安心して町の様子を伝えた。

トキシックの毒を吸い込んだ職人はほぼ全員治療が終わった事、幸い死者は一人も出ずに終わった事。

それを聞いてガデフも不安が拭えたように思えた。

「とにかく戻ろうぜ、皆心配してるから。」

「せやな。ワシもお前らに話したい事が山程あるんじゃき、ゆっくり聞かせたるばい。」


一行はガデフを先頭に花畑に背を向けた。

森を抜け、廃墟の近くまで戻った所でガデフは足を止める。

「…どうした親分さん?」

「…誤魔化しても無駄やで、銃を捨てろ。」

えっ?えっ?と迷っている間に突然ガデフは後方の男を突き飛ばした。

地面に倒れた反動で懐から黒い物体が転がり落ちる。

それはテカテカと光る拳銃だ。

「やっぱり持っとったな。てかわざわざ人を探しに行く位で斧を持参する神経が分からんがの。」

ゆっくり拳銃を拾い上げるとガデフは銃口を仲間に向けた。

「お、親分さん何を…!?」

「誤魔化しても無駄や言うとるやろ。ワシにトドメを差しに来た感が溢れとるがいな。」

太い指が引き金に掛けられるのを見て所有者の男は青ざめながら手を伸ばしてきた。

「待ってくれ親分さん…!話せば分かるからさ…!」


ガチャッと銃の安全装置が外れる音にこの場の全員が絶望的な表情になる。

それでも命が惜しい余りに大振りな仕草を見せて口を開いた。

「ほ、ほら!武器を持ってきたのはあの女に会っても大丈夫なように備えただけだよ!」

「ほう…口から毒を噴き出す奴すら普通の人間と同じに見てるんかおどれらは…?」

ブーツの固い靴底がジャリジャリと砂を踏み潰す。

「その時点で人間の武器が通じない相手やて分からへんかったんか?」

「さ、最初はそう思っただけさ!でもほら、大道芸人とかって良く口から火吹くだろ?アレと同じ原理かなぁって考えただけで…」

ドギュンと乾いた銃声が響き、足元の一点に黒い穴が開く。

「ヒ、ヒィィィィィ!」

「何度も言わせんなや、誤魔化しは無駄やとな…。」

ガデフの顔からは笑顔は消え失せ、太陽の当たらない部分は影になって不気味だ。

その瞳はこれまで溜まってきた鬱憤が積もりきったかに見える。

「ワシが毒に犯されている今がチャンスだと思ってたんやろ?大方…町を滅茶苦茶にした責任を背負わせる為にか…。」


男達は何も言い返せなかった。

まるでガデフが自分らの行動を全て見通して…それで尚且つ受け入れる演技をしていると。

「どうなんや?えっ?」

「………。」

脅しで発砲したのが余程応えたのか、一向に口を割らない仲間にガデフは地面に唾を吐きかける。

「まぁ…ワシはず~っと思ってたで。お前らに嫌われてるのは…。」

急に話題を変えてガデフは拳銃を投げ捨てた。

「思い返せば十年前…腹ペコと寒さを凌ごうとワシはあの町に辿り着いた。でも付いて直ぐに分かったんや。ここは腕利きの職人しか受け入れない場所、いくらスキル能力を持ってても破壊と創造するとでは全く重みの違う世界やてな…。」

懐かしくも苦い思い出に振り返って男は目を閉じる。

「なんの技術も持たへんワシは…人の作った物をただ届ける仕事にしか有り付けんかった。自分で作って自分で運ぶのは時間と手間が掛かるからって…早い話が運送のバイトを欲しがってたんやろお前ら。でも何れは見切りを付けて逃げるのを防ぐ為に…わざと“アンタがいて助かる”的なアピールして…余所者なのに親分肌扱いして繋ぎ止めてた…そうなんやろ?」


この男が現れて以来、心に溜めてたグチや本音をスラスラと言われて益々無言になる職人達。

知らず知らずの内に構えていた武器が派手な音を上げて落ちていく。

「仕方の無い事や。あの時のワシは今までの自分を捨てようと必死やったからな。過去にやってきた事全部…綺麗サッパリ忘れたいだけに無我夢中やった。」

草の生えていない乾いた地面を歩きながら少し前まで自分が捕らえられていた廃墟を見つめる。

「でも十年も同じ所に住んでるとなぁ…人間ちゅう生き物はやっぱりこう…刺激みたいなモンが恋しくなるんや。ワシも毎日毎日同じ日を繰り返すより…もっと違う事がしてみたいって考えるようになってきたんや。でもその違う事が何なのか?何をすればいいのか思い付かずにずっ~と時間と月日だけが過ぎていったやて…。」


直ぐに行動に移せなかった自分、過ぎ去った十年という長くて重い時間を航海しながらガデフはジャンパーのポケットに手を入れる。

太い指先が空の薬瓶に触れて狭い布の空間を転がる。

「でもやっと見つけたんや。ワシが進むべき道を…ワシにしか出来ない事を…。」

背後に冷たい殺気…人の目線では無い「何か」を感じて瓶を握る。

「ワシはこの破壊の力を大いに生かす存在…この力で市民を脅かす悪の脅威とやらをブッ潰す事がワシに与えられた宿命だと…なぁ!」



【9】

会話を区切るのに合わせて瓶を仲間へ投げ付ける。

同じタイミングでバキュンと銃声が響いた。

鉛の銃弾はガラス瓶を貫通し粉々に砕ける。

「…それがお前らの出した答えならそれでエエ。ワシを悪の脅威と見なすなら警察でも政府でも何にでも泣きつけばエエ。土下座しようが賄賂送ろうが好きなようにせい。それが正しいと思うならな…。」

パラパラと足元に散らばるガラス片を踏み付けてガデフは固まる仲間に背を向けた。

男はもう…決めたのだ。

命を狙われるのは慣れている、ならそれが尽きる前にようやく見つけた夢を叶えようと。

「じゃあな、精々警察にでも泣き付いてワシを探す事やな。」


何度も足を運んだ森を抜け、死闘が行われた崖へと男は向かう。

視線の先に座る黒い影がモコモコ動いて自分に振り返ってきた。

「よぉ、思った以上に早かったな。」

佇む羆の毛並みを撫でる若い青年が振り向いて笑ってきた。

「でも良いのか?こんな湿っぽい別れ方で。」

「ええんや。何言われようがワシの犯した罪は一生消えへんからな。それを引きずる限り…ワシに頼る人間など現れはせん。ネチネチ嫌み言われる位なら…キッパリと袂を分かつ方が性に合うからな。」

ガデフは側にあった大きな岩の上に腰掛けて瞳を閉じる。

―それはほんの数分前の事だ。

ケビン達四人はマナとトキシックが乱闘を繰り広げた場所を探り当て、迎えに行った。

マナはというと慣れない長期戦とスキル能力の完全解放で気力も体力を使い果たし、自力では動けなくなっていた。

なのでリンクスと大人達に背負われてなんとか崖まで戻る事は出来たが結局疲労でダウンして眠ってしまった。


その後、四人はマナを解放しながらこれからどうするかと協議しておりその中でガデフはこう切り出した。

「実はな…どうしても伝えたい事があるんじゃが…。」

それを皮切りにガデフはいきなり土下座してこう告げてきた。

「駄目元でええ、ワシを仲間に引き入れてくれないだろうか?」

その一言にケビンの耳がピクリと振動する。

「ワシは…是非ともお前らに恩返しがしたい。ワシが何も知らん間にビッグを匿ってくれて…あんだけ逃げろって急かせたにも構わずにワシを助けてくれて…正直お前らみたいな優しい馬鹿共は見た事無いんじゃ。」

「へぇ~…優しい馬鹿ねぇ…そう…。」

ケビンは流そうとするも実際はリアクションに困っていた。

人助けをしたのに馬鹿と言われるのも何だかと思っていたらガデフは土下座の勢いが過ぎて地面に額を何度も押し付けた。

「ワシはこない性格じゃき、こんな時にどうやって丸く包めば良いのかも分からん。でもワシは本気じゃ。お前らみたいなお人好し過ぎる人間は…またこの先も不幸に見舞われやすくなる。そうなったら守る人間が必ず必要になる筈なんや。せやかてワシがその任を背負ってやろうって決めた次第なんや。」


早い話がボディガードみたいな働きがしたいとジャッキーが解釈するとガデフも力強く頷く。

「勿論愛想が尽きたならいつでも捨てて構わん。でもその時になったらワシは警察も政府もアテにせん。ワシはワシのやり方でミステシアを潰すだけや。お前らの身柄も売ったりせん。お前らがいなくなったら…この世界守る人間が居なくなってしまうからな。」

豪快で少々愉快な雰囲気は完全に消えて真面目に告白する姿にケビンも満更嘘では無いと感じてくる。

「過去に人殺しして…なんの技術も無い嘘の職人気取りを直ぐに信じられないのはワシも承知の上じゃ。それでも人なりの働きはすると約束する次第や。だから頼む…!時期が来たらワシの過去も全部話しちょる、もしそれで駄目ならせめてビッグベアだけでも…!」

「…もう良い。」


ここでようやくケビンは腰を上げてガデフの前に立ち膝の姿勢で面と向かう。

「さっきから黙って聞いてれば…アンタも充分お人好し過ぎる人間だよ、ガデフさん。」

「お前…。」

「アンタはもう…充分に自分の罪を償ったんだ。何やったかなんて根掘り葉掘り聞かないし、今更過去の傷口抉るような真似しても何もならないだろ。」

筋肉で盛り上がった肩に手を置いてケビンは口元を緩ませる。

「俺も小さい頃は…ガデフさんと似たような人生送ってきたから気持ちは分かる。人の命を奪って…それを償わずに生きる事がどんなに恐ろしいかを…俺は親から刷り込まれて育ったからな。」

ケビンは悟られないように首の後ろの刺青を指で触る。

もう一生消える事無い…血塗られた自分の家系を背負う証を。

「その意味ではアンタも…お人好し過ぎの優し過ぎる馬鹿なんだよ。それなら普通の人間と釣り合わない訳だ。自分でも分かってるんだろ?ここに居るべきでは無いって。」

「…ケビン…。」


襟足を撫でながらケビンはその場から立ち上がるとシャツの内側に手を入れた。

ヒンヤリと冷たいリングを燃えるような手で優しく握る。

「俺はここで待ってる。だから…ケリ付けてきて良いぜ。」

「…。」

「気の済むまま思う存分喋ってこいよ。後でやっちまったなって考えたらグチでも酒でもいくらでも付き合ってやるから。」

―そうやって背中を押されたガデフは仲間、いや、仲間と刷り込まされていた人間に別れを伝えに行ったのだ。

自分の本音を…思いをありのままぶつけて…ようやく彼は決めた。

過去を受け入れてくれる人間を守る事を…自分の試練と定めて。

「お前が背中を押してくれたお陰で…ワシは目が覚めたんじゃ。ワシはまだ…この広過ぎる世界の片隅しか知らずに生きてきたと。いつかあの町を出て…世界の全部を見て回って自分の夢を見つけようと思ってたんや。それを奮い立たせてくれた礼を…いつか必ず返してやらなアカンな。」


見違える程美しくなった森を眺めて男は腰を上げた。

迷いを振り切った瞳を禍々しい毒とは正反対の…広い宇宙の色を思わせる紫色に染めて。

「行くでケビン。いずれ警察の輩がここに来るのは明確なんや。その前に逃げないと直ぐに追い付かれてしまうやろ?」

「…そうだな。」

落ちないように崖の端まで近付いてケビンはガデフの腰に手を添える。

「ガデフさん。」

「ん?」

「俺、アンタの肉巻きお握りが食いたくてウズウズしてるんだ。ここから逃げて落ち着いたら…エルザに作り方教えてやってくれ。」

真剣に告げるとガデフは一瞬吹き出し、そこからブハハハハと大声で笑った。

「なんや!そんな真剣に言われなくても分かっとるで!そらそうやな!やっぱり嫁さんに弁当作って貰いたいなぁって空気がダダ漏れしとるもんなお前!」


冗談交じりにバシバシと背中を叩かれてケビンはバランスを崩す。

それを危惧したジャッキーが慌てて隣に立って相棒を支えた。

「おいおい親分…今のは冗談でも止めてくれよ。」

「ん?冗談やないで。お前らの為ならいつでも命投げ出してやるって意味なんやで。」

ホラお前も来いとジャッキーも巻き込んで弄り倒す背中を見ながらエルザはヤレヤレと腕組みする。

「あ~あ、また厄介な男引き入れちゃったね。」

「グルルル…。」

申し訳ないと弁明するビッグベアの鼻先を撫でていたら真後ろでリンクスが起き上がった。

丸くなって包んでいた主人がやっと目を覚ましたのだ。

「あれ…ママ…?」

「ニャウウウ。」

眠い目を擦っていたらリンクスが冷たい舌で頬を撫でる。

「…リンリン…?」

「ニャ~オ。」


今まで夢の中に浸っていたのだろうか。

マナは急に顔を真っ赤してリンクスに抱き付いた。

「…じゃなかった。」

「ニャウ?」

「夢じゃなかったんだ…!リンリン…生きてたんだね…!」

一体何がどうなってるんだとリンクスはエルザに振り向く。

「大丈夫よ。後で私が説明するから。」

取り敢えず男連中を止めるのが先だと駆け出し、それから直ぐに鬼嫁の説教が森にこだますのであった…。



【10】

―所変わってここはホワイトヒルズは国際警察本部。

通信指令室に呼び出された女性支部長は無線機を渡されていた。

「そうですか、今度はガイズタウンに…。」

『はい。後一歩の所まで来たのですが…なにやら猛毒か放射線と思わしき数値が計測されて…それ以上は危険だと…。』

「構わないわ。貴方達が倒れたら元も子も無いもの。無理しないで。」

通信相手は国際警察の西端…ウエストエリアの総支部からだ。

南と東の支部から貰った情報を元にこの支部の人間も「あのお方」を探していた。

『それで総支部長…一つご提案がありまして。』

「何ですか?」

『この方角が正しければ…彼らの次の行き先はクラウンセントラルの可能性が高いんです。もしかしたら…そこで確保出来るかもしれないと…。』


―クラウンセントラル。

青い海と白いビーチが目玉の観光地。

サンサシティの次にテレビに取り上げられるこの大型観光スポットには国際警察の支局が設立されている。

そのお陰で今現在でミステシアによる損害を受けていない貴重な場所だ。

万が一の場合は緊急避難区域に指定して郊外の人間を受け入れる体制も考えており、その意味では警察の管轄領域と言っても過言では無い。

『どうでしょうか?良いアイデアだとは思うんですが…。』

「…その発想は考えていなかったわ。やるわね。」

支部長は無線機を持つのと反対の手を腰に当てる。

「セントラル支局へはこちらから連絡を入れておくわね。貴方は引き続き捜索と最新の被害状況の調査に当たって。じゃあ一度切るから。」

ザザッとノイズの音が走って無線が切れるとインカムを付けた若い部下に無線機を返す。

「…という訳よ、急いで連絡しといてね。」

「あ、ハイ。」


女性は軽く告げると指令室を出てネックストラップを引っ張る。

ストラップの先には業務連絡専用のPHSが取り付けられていた。

ピッピッピッとボタンを押すとプルルルとコール音がして誰かが電話に出る。

『ハイ総監室…。』

「こちらミオルフ、総監に変わって貰える?」

対応したのは書類を届けにきた若い警官であり、直ぐに固定電話の受話器を上司に渡す。

『もしもし?』

「ミオルフです。彼らの行き先が判定出来ました。」

『何処だ?』

「クラウンセントラルです。方角的と地理から見て一番近場な場所だと。」

『…そうか。』

黒い革張りの椅子に深く腰掛け、葉巻を燻らせる男は目を瞑る。

「チャンスの機会が確定次第…そちらに迎えを寄越そうと思いますので。」

『迎え…?』


何故自分も行くんだと男は迷う。

いや、迎えに行きたい気持ちはある意味で持っていた。

それでも心に迷いが生じて行動せずにいるのだ。

「こちらから一方的に話しても…恐らく戻っては来ないでしょう。ですから貴方のお力無しでは…。」

『…上手くいくと思ってるのか?』

話相手の男は葉巻の煙を吐く。

『あの子はこの六年間、ずっと親の名前を知らずに…顔も拝まずに一人で生きてきたんだ。今更私が来た所で…素直に家に帰る事は有り得ないだろう。』

「総監…ですがあの件はどう説明なさるのですか?私や本部長は構いませんが…他の上層部連中がそんな話聞いたら黙ってませんよ?」

『キミが心配せずとも…回りにどう言われようがもう私の中で答えは決めてある。私にはもう…子供を育てる権利も家族を作る権利も無い。例え手に入れても…また失うだけだ。』


総監の男は机の上に置かれた写真立てを手に取る。

すっかり色褪せた写真には若かりし頃…と言っても六年前の自分と一人の女性、そして産着に包まれた赤ん坊が写っている。

最初で最後の…家族の写真だ。

懐かしくも…心の傷の元である写真を伏せて男は葉巻を灰皿に擦り付けた。

『とにかく確認が出来たらキミはセントラルへ急行しろ。もしどうしても駄目なら大人しく私を使って構わん。それまで私も…心の準備を済ませておくからな。』

「…畏まりました、では。」

そこで通話を終えてミオルフはゲンナリとした顔になる。

「おい、残業続きで気力に限界が来たのか?」

聞き慣れた声の主はダンディな風格の本部長だ。

「悪いが盗み聴きして貰ったぜ。セントラルに押しかけるみたいだな。」

「酷い言い方ね。説得に応じるだけよ。」

「良く言うぜ、一時は誘拐犯だとか言ってた連中にそこまで敬意を称するなんてよ、どこで心変わりしたんだ?」


な?、な?、と新卒のOLにちょっかいを出すサラリーマンみたいな男にミオルフはそっぽを向きながらPHSを懐に仕舞う。

「別に…ただ、あのお方がどうお考えなのか知りたいだけよ。」

「そうか?でも本人だって戻りたい気持ちは持ってるんじゃないのか?ホラ、子供って純真無垢の塊みたいな奴だろ?心の片隅じゃきっとそう思ってるぜ。」

変な慰め方をされてミオルフはフンとわざとらしくしかめっ面を続ける。

「でも総監があの件を通すなら俺も賛成だな。まぁ副総監がまだ何も言ってないから怪しいけどよ…多分乗るぜ、あの人なら。」

「…シンメイ。」

「子供は一番最初に視界に入った物を親と認識する力があるんだ。悪く言えば…玩具や動物を親だと誤解する子供も少なからず存在するって事だよ。それに例えるなら良い案件じゃねぇか。これ以上俺達に振り回されるよりは…自分が親と決めた人間と一緒にいさせるのがあの子の幸せだと俺は思うぜ。」


蛍光灯の光で照らされる眼鏡のレンズの奥で吊り上がった瞳が急に真面目になる。

真面目な面と馬鹿馬鹿しい面を使い分ける彼の説得は時に心を揺さぶる程の力を持っているのだ。

「そうと決まればお前も早く行ってこいよ。俺はカフェオレでも飲みながら待ってるからさ。あ、土産話忘れないでくれよ。」

ほら急いでと背中を押されてミオルフは袖口で溢れる寸前の涙を拭う。

「えぇ、ありがとう…シンメイ。」

「良いって事よ。でも用心しとけよ…テトラ。」

目の前の男に敬礼をして支部長はダッシュでその場を去る。

その場に残された本部長の男…シンメイは敬礼を返してニヤリと笑った。

「どうか幸せになってくれよ…お嬢様。」

背後の角で格上の上司に見られてるとも知らずにシンメイは敬礼を続けていた。

もうすぐあの子に会えると…心の中で予知して…。



【11】

生物とは言えない不気味な怪鳥が見張る空の下にそびえる怪しげな城。

くり抜かれた窓の一つにこれまた巨大な蝙蝠が飛来して窓辺に体をピッタリ付ける。

蝙蝠の背に乗る男は窓から城内に入ると早足である部屋へ急いだ。

見張りの居ない重い扉を片手で開けると奥まった所にあるベッドのシーツが皺を作って崩れる。

「ボ~ルバ、ただいま。」

「おぉ、ジョーカー様…ご無事で。」

ベッドサイドにある倒れた丸椅子を起こしてジョーカーは座る。

昨日まで寝たきりだった護衛役は状態が安定したらしく、点滴や酸素マスクが外されていた。

「どう?体の方は?」

「何とか持ち直した限りであります…。」

「そっか、やっぱりドクターの治療はお墨付きだね。」


窓の外を見ると枯れた大樹の枝に止まった鴉が数羽、白目で室内を監視している。

でもこの部屋では見慣れた光景なのでジョーカーは気にせずに椅子に座り直す。

「ドクターは?」

「ちょっと前に席を外しました。ボスに呼び出されたみたいで。」

「珍しいねぇ。そうだ、良い物見せてやるよ。」

上機嫌に仮面を外すとジョーカーは懐からガラス瓶を取り出してボルバに見せた。

「ジャジャ~ン。これな~んだ?」

瓶の中にはマグマのように泡立つ紫色の液体が入っている。

しかもドックンドックンと鼓動して生きているようだ。

「もしや…トキシック様!?」

「正解。凄いよねぇ~、クイーンがこんなになるなんてさ。」

シャバシャバと瓶を上下にシェイクすると液体は紫から赤黒く変色する。

「あわわわジョーカー様…!駄目ですって…!」

「何言ってんの?これはお前の分のお仕置きだよ。」


冷や汗を掻きながら止めなさいと咎めるボルバを宥めてジョーカーは瓶をテーブルに置く。

「いっ、一体誰が…?」

「プリンセスの仕業だよ。ホラ、フィーニーが連れてたツインテールちゃん。あの子花のスキル使いでさ、見事にクイーンを浄化してくれたんだ。」

先行きを説明するとボルバは恐ろしげな顔に豹変する。

「そうですか…あの子供がそんな…。」

「まぁ元はと言えばヒュドラが悪いんだよ。プリンセスの愛猫を半殺しにしたのが始まりでさ、でもお陰で彼女は自分の本当の力に目覚めたんだ。」

全くエラい事してくれたなとガラス瓶を突くと閉じ込められた体液がブクブクと波打つ。

「でも勘違いしないで。クイーンはまだ死んでないよ。正確に言えば仮死状態になってるんだ。」

「仮死状態…?」

「これはクイーンの心臓が溶けた物だ。肉体は完全に溶かされても心臓は何層にもコーティングしてたみたいでさ…原型を失ってるけど辛うじてまだ動いてるんだよ。」


そう言われてみればこの液体は生き物のように鼓動を打っている。

普通の心臓を特殊な液体でドロドロにしたと言えば簡単だろう。

「それをわざわざ回収したのですか?」

「そ、何もしなくてもリーダーんとこの連中が拾いに来るのは目に見えてたから。でもそうなると直ぐに蘇生研究に回されるからそうなる前に見せようと思ってね。」

外の声が聞こえているのか、トキシックの心臓だった物は瓶を動かしていないのに中をグルグルと渦巻いている。

今直ぐにでもひっくり返って中身が出そうなのでボルバは腰を後ろに引いてしまう。

「それにヒュドラと結合した状態で溶かされたからね、もし蘇生したら多分前の面影は残らないよ。ヒュドラに大部分を寄生されて…次は本当の化け物になっちゃってるから。」


だがそれは…新たな戦力が産まれる事を裏返しで言った説明だ。

現実にそうなったらもっと恐ろしいと背筋が震える。

「でも心配しないで。次に蘇生しても多分ギルクには勝てないよ。プリンセスがいる以上、コイツに勝ち目は一生回らないからさ。」

興奮してもっと弄ろうとしたら扉がノックされた。

敢えて返事をせずに黙っていたら無言で扉が開いた。

「こ、これはフェイク様…!」

「おや、お元気そうですねボルバさん。ドクターはご不在ですか?」

「うん、そうみたいだよリーダー。」

リーダーだのフェイクと呼ばれた人間は腰に両手を回して部屋に入る。

年齢はジョーカーより年上、淡い栗色の長髪を女性のように後ろで三つ編みにした男。

白衣に眼鏡と如何にも研究者っぽい風格を醸し出している。

「ところで何か用?」

「勿論ですとも。それを渡して貰えませんかね?」


フェイクの視線はテーブルに置かれたガラス瓶に真っ直ぐに向けられている。

それを見てジョーカーは手にしていた仮面を装着する。

「本当にクイーンを生き返らせる気?素直に諦めれば良いじゃん。」

抵抗せずに素直にガラス瓶を渡すとフェイクは眼鏡をクイと引き上げる。

「幹部一人の喪失は組織に大きな混乱を引き起こします。それに抗体を持たない人間が所有していると帰って危ないですからね。」

宝物のように瓶を握って男は部屋を出ようとするもそこで足を止める。

「彼女が目を覚ますまでの時間稼ぎも既に手配しましたからね。キミが無理して現地視察に行く暇も省けますよ。」

それではと部屋を後にする背中を見送ってボルバはジョーカーに振り向く。

「ジョーカー様…もしかして…。」

「あぁ、どうやら奴らが動き出したみたいだ。」


ジョーカーも余裕を失った表情で椅子から立ち上がる。

「あの男に適う相手など居ませんよ。例え腕利きのスキル使いであっても…ですし。」

「そうだね、ギルクがどう動くかね…。」

それはフェイクが手配したと言っていた時間稼ぎの事。

彼はミステシアに四人いる幹部のリーダーにして組織の中枢とも言われる人物。

故に作戦の指揮を大いに任される立場に就いているのだ。

「でも俺は大丈夫だと思うよ。ギルクはまだ…本当の実力を出し切っていないからね。もしその力が完全になったら…その時は俺でも太刀打ち出来なくなるよ。」

「…ジョーカー様。」

「リーダーがどんな作戦を練ろうが…クイーンを蘇らせてこき使おうが…アルセーヌを監獄から呼び戻して手配しようが関係無い。それらを潰した上で俺はギルクと決着を付けるだけだ。」


ザワザワと胸の奥から湧き出る殺気を感じた鴉達が一斉に木から飛び立つ。

バサバサという羽の音に驚きながらボルバは自分より何倍も細いジョーカーの腕を掴んだ。

「ジョーカー様。」

「ん?」

「俺にもチャンスを下さい。貴方の邪魔をする輩を…排除する任を!」

寝たきりで筋肉が少し落ちたのか、以前ほどの腕力は感じられない。

けれどジョーカーは頼もしさを感じて笑った。

「言ってくれるじゃんボルバ。でもそれなら今からリハビリして体力取り戻さないと駄目だよ。」

「臨みますとも!何なりとお申し付けくださいませ!」

ハイハイと笑って流しながらジョーカーは仮面の奥で瞳を尖らせた。

大事な獲物を横取りされてたまるかという…野心を燃え上がらせて。



【12】

ザザ~ッと押しては返す波の音と潮風に揺れるヤシの木が印象的な真っ青なビーチ。

そのビーチから数歩歩けばそこは高いビルが密集する住宅街だ。

デパートにホテル、ビジネス企業の入ったビル、外れには公園や学校も整備されている。

観光地でもあり、マンモス団地さながらの人口が集中した大きな住宅街…それがクラウンセントラルの真の姿であった。

商業施設を抜けると大通りに面した広地にはスケートリンクまで設けられている。

サンサシティやエボルブテラーのような娯楽施設が少ないセントラルでは貴重な遊戯スポットであり、住人の憩いの場としても大事にされている建物だ。


既に時刻は夕方近く、夕焼けのオレンジ色がビーチを染めて海水浴に来ていた客も海を離れて帰る頃。

スケートリンクも窓から差し込む夕焼けで銀色のステージはオレンジ色に染まっていた。

殆どの住人が帰宅する時間帯だが、一向に帰らずにリンクを滑る一人の人間が居た。

年齢は二十歳手前、ゆったりめの白い長袖に細い黒のズボン姿の金髪の青年。

長袖は肘から袖口に掛けて青のグラデーションが施され、襟首部分は深めのVネック、更に袖口・襟首から裾にかけてのラインには白のスパンコールが埋め込まれている。

フィギュアスケートの衣装そのままの姿で滑る青年は後ろ向きで滑りながら足首を捻り、ジャンプしながら華麗に一回転を決める。

スケート靴のブレードで削られたリンクの破片が宙を舞い、青年の金髪に重なって煌めく。

そこから腰を震わせての八の字ダンス、空中ジャンプを間に挟んだ滑らかな滑りを見せる。

観客席には誰もおらず、出入り口に佇む警備員や清掃員の男性が彼に拍手を送った。

「いやぁ~、綺麗ですな。」

「えぇ、いつ見ても飽きませんしの。」


仕上げに立ち止まっての高速スピン、演奏を終えた指揮者をイメージした両手の旋律でフィニッシュを決めると大歓声とは言えないがあちこちから拍手が舞った。

「いよっ!若大将憎いね!」

「相変わらず凄ぇなリュウちゃん。惚れ直したよ。」

拍手を送る人々に手を振りながら青年はベンチスペースまで戻る。

席に置かれたパーカーを羽織ってタオルで汗を拭っていたらお疲れさんとミネラルウォーターのボトルを渡された。

「あれ?おじさん方帰らないの?」

「帰りたいのは山々だけどさ…館内に一人でも誰か残ってると出るまで待ってないといけないだろ?」

そう、この時点で時刻はスケートリンクの閉場時間ギリギリを差していた。

十分前から閉場のアナウンスは流していたがこの青年はいつもギリギリまで滑ってから帰る習慣があり、それに慣れたおじさん連中も半分呆れて帰るのを見届けるのが日課になっていた。

「だったら時間延ばせば良いじゃん。駄目なの?」


ベンチに座ってスケート靴の紐を解いていたらそれは無理だなという声が返ってきた。

「最近警察からファックスが届いたんだよ。ミステシア襲来に伴ってデパート等の商業施設における営業時間を短縮させて貰うって。」

「マジ?来たら来たで追い返せば良いだけの話だろ?」

「でも万が一って場合があるからって…。」

あ~あと訳を聞いた青年は靴を履き替えてタオルで隣の座席を叩く。

「万が一万が一って口だけじゃん。いざって時に頼りにならなくてどうするんだよ?俺の親父がもし警察なら絶対殉職百%で突撃していくぜ。」

ブーブー文句を垂れる青年に警備員の一人がとにかくと宥める。

「リュウちゃんも危なくなったら突撃とかしないで逃げろよ。もう滑るのが見られなくなるなんて嫌だからな。」

「ヘイヘイ、分かってるよ。」


帰り支度を済ませた青年は冷たいリンクに掌をペッタリ付けた。

手袋もナシに、普通なら霜焼け確実だが青年は気にせずにニヤッと笑う。

すると氷のフィールド全体に透明な波紋が広がり、ブレードの痕が残るリンクが整備されたように綺麗になっていく。

これはいつも自分が最後の客になるのでせめてものお返しだという意味合いがあった。

「じゃあ帰るぜ、バイバ~イ。」

「じゃあなリュウちゃん。」

「寄り道するなよぉ~。」

「変な店入るなよぉ~。」

途中から変な言葉も飛んだがそこはスルーして青年はスケートリンクの外に出た。

この時点で夕日は半分沈んで空は薄暗くなっている。

パーカーのポケットから取り出した腕時計を確認するともうすぐ夜になりそうだ。

「ヤッベ、早くしねぇと閉め出されるな。」


慌てて腕時計を左手首に身に着け、その手を足元に這わせる。

すると夕日と同じオレンジ色の小さな羅針盤が現れて中から白い物が飛び出してきた。

雪山に溶け込んだら見失う程に整った…白色混じりの銀の毛並みを持つ獣。

サファイアブルーの瞳が青年の金髪を吸い込んで収める。

「ウォオオオオオ…。」

その獣は前足を揃えると大きな雄叫びを上げた。

狼特有のトーンの高い遠吠えが夜の大都市を怪しく包む。

青年は静かに笑うと人差し指を唇に当てる。

「分かったよヴォルフ、早く帰ろうってウズウズしてたんだろ?」

「ウォン。」

「そうだな。腹減ったし、明日は配達の仕事が沢山あるからな。」


スポーツバッグを片手に青年は狼の背に跨がる。

シベリアンハスキーの千倍は恐ろしい体格と顔付きだが大人しくしてる分には子犬と大差無い。

「良し、行くぞ。」

「ウォオオ~!」

一際高い雄叫びを上げて狼は帰路を急いだ。

その声に同じように帰宅を急ぐ会社員やドライバーは何事かと驚いて振り向く。

でも強い風が流れるだけで何も無いと知るとまた歩き出した。

その風が…氷の狼を走り去った痕跡だと分かる人間は少ないからだ。

海から流れる潮風に紛れながら…銀狼は夕日の沈んだ街中を走り去って行くのであった。



【13】

夕日が沈み、空一面に白い星が散りばめられた夜。

満天の星空の下に小さな焚き火が炊かれ、白い煙が上に昇っている。

焚き火の明かりは火を囲む人間の背後に大きな影を伸ばせていた。

一切音の無い空間では液体を注ぐ音と薪が爆ぜる音だけが響く。

「ほら、飲めや。」

「ありがと。」


湯気が立つステンレス製カップを受け取ったジャッキーは軽く水面に息を吹き付ける。

そのままカップを口付けると熱い液体が流し込まれた。

「へぇ~、親分コーヒー淹れるの上手いね。」

「…ええやろ別に。」

「…そう言ってる割には顔真っ赤だけど?」

年下2人に貶されてガデフはうるさいと背後にあるテントに振り向く。

その視線を感じたのか、出入口のファスナーが展開されて中から白い手が見えた。

「あら、良い香りね。」

「おう。飲むか?」


エルザはテントの端に投げていたパンプスを手繰り寄せると足を入れるだけ入れて外に出た。

気温が下がった夜間は夜風が冷たく、ケビンは自然と上着のボタンを緩めた。

「…着てろ。」

「うん。」

慣れた手付きで上着を羽織ると予め用意されていた石の上に座る。

「姫様どう?もう寝た?」

「バッチリ熟睡してるわ。」

明かりに照らされるテントを見てエルザは安心したような顔を浮かべる。

残されたテントの中ではマナが毛布を掛けられて可愛い寝息を立てている。

「ゴメンねガデフ、テント使って」

「気にするなや。子供凍えさせたら大変やし。」


受け取ったコーヒーを一口飲むと背中が一瞬ゾクッとして全身に熱が送られる。

暫し無言を貫いていたらガデフが足先で地面を軽く叩いた。

「…ケビン。」

「ん?」

「これからどないする?行く宛あるんか?」

カップを持つ手が身震いし、中のコーヒーが波打つ。

「ここにおっても直ぐにお巡り連中に見つかるさかい、どこか奴らの目が届かない場所まで逃げた方がエエとワシは思うがな。」

正論とも言える言葉にケビンはカップを両手で持ち直す。

「目星付けてる所はある。」

「何処や?」

「“クラウンセントラル”って街だ、知ってるか?」


その名前にジャッキーは興味を持ったのか、ヒュ~と口笛を吹く。

「どしたの旦那?なんかムラムラして水着美女でもナンパしに行くの…か…?」

途中から冷や汗を垂らすジャッキーの首筋にはエルザが地面に落ちてた割れた小石の先を当てている。

しかしいつもの光景なのでケビンはスルーする。

「あんまり人の少ない場所まで逃げてもこの容姿じゃ目立つだろ。なら逆に人の多い所に行けば隠れ蓑に出来ると思うんだ。」

「成る程。確かに良いアイデアやな。」


腕組みをして顔を深めるガデフを見てケビンは辺りを見ながら再度訪ねる。

「なぁガデフさん。」

「ん?」

「この近くって鉄道走って無いか?セントラルとなるとかなり距離があるから鉄道に乗るのが一番効率なんだけど。」

「鉄道?いや走ってるのは走ってるけどな…。」

歯切れの悪そうな顔にケビンはそっと横を向いてきた。

「実はのぉ…ワシの街の近くに無人駅があるんだが…もう随分前から電車が来なくなっての。」

「電車が来ない?」

「せや。なんか始発の駅で電気のトラブルが何かあったみたいでの、そんでずっと通って無いらしい。」


そこまで言うとガデフは足元に置いた鞄からボロボロになった縦長の本を取り出した。

どうやら時刻表らしく、ページをパラパラ捲ってケビンに見せてくれた。

「コイツはこの近辺の路線図や。そんでこのエリアの始発駅がここやで。」

現在地からページの上部まで指差した先の街の名前を見てケビンは目を丸くした。

それは自分にとっても馴染みのある名前だったからだ。

「ここって…“リトルタウン”か?」

「そうやけどなんや?知ってるのか?」

間を置いてケビンはテントの方を見ながら口を開く。

「始まり…」

「ん?」

「リトルタウンは…俺とマナが初めて会った場所なんだ。俺にとってはスタート地点なんだ。」


焚き火の枝が燃え尽き、火の中に崩れてパチパチ弾ける。

激しさを増す火を見てケビンはあの日の光景を思い出していた。

血の臭いと人の悲鳴に溢れたあの孤児院で…マナと遭遇したあの日を。

「俺はあの日から変わっていったんだ。マナと一緒にいて…こんな自分でも誰かを守れるって気付いて…自分でも驚く位に変わったんだ。」

それだけじゃない。

マナとあの場で出会ったからこそ、ケビンは今一緒にいる仲間とも巡り会えたのだ。

もしマナと会わなければ…或いは彼処で彼女を警察に預けてれば…きっと自分は様変わりしなかったのだ。

「マナさ、俺が言うのもなんだけど初めて会った時は不思議だったよ。見た事も無い親を探しに行くって言って…会って間もない俺の事信頼してさ、俺が泣き付いても全然怒らなくて…こんな素直で良い子は見た事無いって驚いたんだ。」


ケビンの目が炎と同じ淡い赤色に変わり、ジンワリと瞼の奥が熱くなる。

自分は焼けるのは慣れてる筈が…どうにも歯痒くなって痛みが生まれる。

「でも良い機会かもしれねぇ。もう一度あの場所に戻って…改めて誓おうと思ってる。あの日自分で決めた事を忘れないようにさ。」

煙が昇る星空を見上げ、ケビンはそこから立ち上がった。

赤い瞳に星が散らばって小さな星空になる。

「まぁ、こんな事お前らに話してもつまらないし面白くねぇよな。俺が何処で何しようとも関係無い事だ。今まで俺の話を分かってくれた奴はいないしさ、だから迷惑掛けて…」



【14】

顔を焚き火に戻したその正面、そこに飛び込んできた“緑色”を見たケビンの言葉がそこで途切れる。

即座にバチンと乾いた平手打ちが聞こえて現実に戻された。

「…。」

「何言ってるのよ馬鹿。アンタが迷惑掛けて何が悪いってのよ。」

赤く腫れた頬を隠す男をエルザは腕組みをして睨む。

「自分の人生変えてくれたならそれに感謝すべきじゃ無いの?そんなにも後悔してたら何も楽しめなくなるよ。」


そっぽを向いて誤魔化す男の顔をエルザは強引に振り向かせ、静かに唇を重ねる。

長いようで短いキスをするとさっきとは違ってニッコリ笑った。

「それにケビンが迷惑掛けるなんて当たり前じゃん。なんならアタシら皆アンタに迷惑掛けてるようなもんだよ。」

「え?」

「私達皆ワケありの集まりなのにさ、ケビンは嫌な顔しないで傍に置いてくれる。それが私らにとっては迷惑に思えるんだよ。その迷惑すらも良しとしてくれる、そんな人に会えたの初めてだから…。」


最後の方の声が震えて泣きそうになるのを堪えてエルザはゴメンねと違う方向を見て詫びる。

「ま~た姐さんたら我慢してさ~。本当は嬉しいんだろう~?」

「煩いわね…。」

「止めなはれジャッキー。女に嫌いって言われるのは男にとって屈辱的やからな。」

どんな例え方をしてるんだとケビンは言いたくなったが敢えてその言葉は飲み込む。

「でも俺も姐さんと同じ気持ちかな。俺さ、旦那の相棒なのにまだ相棒らしい事1つもしてやれてねぇしさ。それで旦那の足引っ張ってるって自覚はあるしさ。でも旦那がそれ我慢してるの思うとさ、俺も情けなくなるんだ。」


だからよと呟きながらジャッキーは相棒の肩を強く叩いた。

「旦那も無理しないでさ、本気で面倒なら俺に丸投げしてくれよ。俺嬉しいからさ。旦那の迷惑になるの。」

な?と首を傾げるとケビンは仕方無いと言わんばかりの顔で髪の毛を掻き回す。

「…俺も足引っ張るけど良いか?」

「ノープロブレムさ。旦那を慰めるのは俺の大事な仕事だからな。」

バチンッと下手クソなウインクを送る相棒にウンザリしながらケビンは手に持ったままのカップに目を落とし、そこからガデフの真横に立つ。

「ガデフさん。」

「なんや?」

「コーヒー…もう一杯貰えるか?」


こんな場面でも素直になれない自分をケビンは恥じるがガデフは無言で全員のカップに熱いコーヒーを入れ直してくれた。

「ほなコレは誓いの一杯にしようや。」

「誓い?」

「せや。ワシらのこれからの行く先が光と実りのある道であるように…ってトコかいな。」

その言葉にジャッキーはブフッと吹き出し、顔を逸らして笑い出す。

「何笑っとるんやお前?」

「だ、だって…親分がそんなクサイ台詞言うなんて思って無くてさ…。」

ガデフはこの野郎とばりに厳つくなるがケビンは目を閉じて口元を緩ませる。


この空気が何故だが心地良くて…些細な喧嘩ですら嫌とも感じなくなるのが。

周りの空気もいつしか寒さが落ち着き、心なしか暖かく思えた。

「ま、早く飲もうぜ。冷めるし。」

「アンタもムード無いわね。」

「そんな姐さんの体は大きなドーム…いやスンマセン。」

「お前ホント馬鹿なのか真面目なのか分からへんな。」

新しいコーヒーを啜りながら暫し安らぎの時を楽しむケビン。

考えると誰かと飲むコーヒーがこんなにも温かい物であったなんて考えた事も無かった。


カップを指先でなぞりながらそう思っていたら遠くの空に一筋の星が走るのが見えた。

《流れ星か…珍しいな。》

子供の頃は何をお願いしていたかと思い出し、心の中で念じる。

―どうかこの幸せが長続きするように。

その願掛けを無駄にしないよう自分も努力していくと静かに誓うのであった…。

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