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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第三幕・襲来する危機と小さな戦士の目覚め~
15/34

決闘と襲来!不死鳥と羆と謎めいた女

【1】


夜が明け、町に新しい朝がやってきた。

一番鳥の鳴き声と窓から差し込む日の光が瞼を刺激してケビンは目を覚ます。

霞む視界の向こうには艶やかな黒と銀色の髪の毛が見える。

似た髪型の少女と踊り子は自分の気配にも気付かずに未だ夢の中にいる。

ベッドから室内に視線を向けると床の布団の上では相棒がふんぞり返り、その奥のマットの上では鼠色の猫が丸まってゴロゴロ唸っている。

でもソファーの上だけは空っぽだ。

昨日は確かこの家の家主が寝ていたが…もう起きて仕事の準備でもしているのかと思い、ケビンはそっと寝床を出る。

すると窓の外から人の声が聞こえたので玄関の扉を開けた。


木製の扉を開けると眩しい日差しが差し込んで瞼が刺激される。

家を出て右の方角…手製の掲示板の前に数人の人影が見えた。

「イチ、ニ、サン、シッ!」

「イチ、ニ、サン、シッ!」

「ニ、ニ、サン、シッ!」

「ニ、ニ、サン、シッ!」

準備体操に励む暑苦しい男達の掛け声が遠くはなれた家まで届いてくる。

人数は十人近く、その視線の先には坊主頭の大柄な男がいる。

「よし皆!今日も一日よう働いてくれ!それでは解散!」

「オースッ!」

体操が終わるとどこぞの格闘道場みたいな掛け声を出して男達は散り散りに去っていく。

汗をタオルで拭っていたら横からパチパチと軽い拍手が聞こえた。

「朝から精が出る事やるねガデフさん。」

「おぉケビン、もう起きたんか?早起きな奴やの。」


ガデフは上半身裸で体操していた。

タンクトップの上からでも盛り上がっていた筋肉が余計に芽生えて男らしさが滲んでいる。

「いつも体操するのか?」

「そや。ワシが発案しての、そしたら効果覿面や。」

首にタオルを掛けると家への帰路を辿り、ケビンも一緒になって歩く。

「そういえばガデフさんって…この町の出身なのか?」

「いや、ワシは随分前に移住してきたんや。ここで産まれて働いてるのとワシと同じ移住者と半々やな…人口の率っちゅうのは。」

「へぇ~、他所から来て切り開いたって感じがするな。」

「まぁこの町も元々は何の変哲も無い所だったからの…それが今では職人の集いの広場みたいになっとるんや。そのお陰で不自由なく生活出来る人が増えるのがワシらの喜びなんじゃ。」


タオルの端を握りながらガデフは家の間から昇る太陽を眺める。

連なる家々の隙間から光が伸びて照らされた部分が数か所出現する。

「そや、家帰ったらコーヒーでも入れたるわ。」

「気前良いね、ありがとよ。」

広場からガデフの家まではそんなに遠くなく、目的地は目と鼻の先にある。

その短い距離を二人はあえてゆっくり歩いていた。

「ニャ~。」

蛙が潰れた音をデフォルメしたような可愛い声が聞こえた。

ほんのちょっと前まで丸くなっていた猫がいつの間にか外に出て駆け寄ってくる。

「おはよリンクス。」

「ニャ~オ。」

ケビンは靴をクンクン嗅ぐ猫を優しく抱き上げた。

「ご主人はもうお目覚めか?」

「ニャ~ニャ。」

「そろそろ起きそうだって?分かった。」


昨日とは別人のようにリンクスは大人しく、暴れる素振りも見せない。

餌と寝床を与えられ、風呂にも入れられて人間が害ではでないと信じてくれたのだろう。

「ハハッ、お前真正面から見ると可愛いな。目が大きい所がマナにソックリだ。」

「フニャニャ~。」

子は親に似てペットは飼い主に似る。

その言葉がピッタリと当てはまるなと感心しながらケビンは家の扉を開けた。

「あれ…ケビン起きてたの?」

扉の開く音にエルザが気付いて寝床から起き上がる。

「ちょっと朝日を浴びたくてな、マナは?」

その声に反応してエルザの鼻先で黒髪が揺れる。

「ママ、おはよ~。」

「おはようマナ、眠れた?」

「ニャ~オ!」


ケビンの手をすり抜けてリンクスがベッドに飛び乗った。

「あ、リンリンおはよ~。」

「ニャ~ニャ~。」

恐らく「おはよう」と言ってるのだろう。

リンクスはマナの手をペロペロと舐める。

ガデフはキッチンへ向かうとポットでお湯を沸かし始める。

「嬢ちゃん、後で牛乳水飲ませたらオシッコさせなアカンで。お腹パンパンになるさかいな、」

「ハ~イ。」

周りが騒がしくなって床に雑魚寝する男もやっと目を覚ました。

「おいジャッキー、起きろ。」

「もう起きてるっつーの。だから耳引っ張るなって。」

テレビアニメに出てくる像のキャラみたいに大きく耳を引っ張られた成り金野郎は痛みに耐え兼ねて布団を跳ね除けた。

するとポットの湯気に乗せられて何やら肉の焼ける匂いが立ち込めた。

「おいおい、朝から焼肉は止めてくれよ。胃もたれするぜ。」

「ちゃうで。これは単なる焼肉やあらへん。」


アピール必死でオーブンから取り出したのは飴色に焼けた十個程の俵型の肉塊。

水切りしたレタスの皿に乗せてテーブルに運ぶとケビンが匂いにピンときた。

「へぇ~、朝から肉巻きお握りなんて豪勢だな。」

「これ位食わないと仕事にならへんからな。」

「でも俺やっぱ…胃もたれしそう…。」

「それなら物は試しに食べてみなさいよ。」

やんわりと断るジャッキーだがエルザの追い打ちで観念して一つ口に入れる。

すると餅が伸びるように細い糸が口から引く。

咀嚼して飲み込むとポツリと言い放った。

「旦那…これなんか納豆入ってる…。」

「マジ?」

「でも味は悪く無いわよ。」


エルザとマナは相棒とは正反対に美味しそうにお握りに食い付いており、ケビンは彼の食べかけを手に取った。

半分ほど食べたジャッキーのお握りを見ると確かに白飯にクリーム色の粒が混ぜられていた。

「…しかもひきわり納豆だな。」

「そうや。ワシのアレンジでのそれ、案外相性抜群やで。」

「そうだな、納豆が苦手な人でも食べれそうだしな。」

お握りを戻すとテーブルに置かれたコーヒーを一口飲む。

町の職人のコーヒー畑で取れた豆を使った名品でブラックでも飲みやすいブレンド物。

喫茶店に出したら看板メニューになる事間違いなしだ。

「でもガデフさん、納豆じゃなくてガーリックとか入れても良いんじゃないか?ウチの嫁さんならそうやって作ってくれそうだし。」

「お、それも面白いな。今度試してみるで。」


【2】


ケビンから助言を貰い、自分の分のコーヒーカップを片手に席に座ろうとした時だ。

ドンドンと扉がノックされて若い男性が扉を開ける。

「親分さんおはよう、新聞持ってきたよ。」

「おぉ、悪いな。」

四つ降りにされた新聞を受け取るとちょっと良いと小耳に挟んでくる。

「時間貰える?伝えたい事があるんだけど…。」

「構わへんけど…。」

そうかと呟いて外に出た男の背中を見て家主は何か危ない空気を悟った。

「ケビン、先に食べててくれへんか?」

「分かった。じゃあお握り残しとくよ。」


ついでに読んでてと新聞を渡して外に出たらいつも朝の体操をする広場の前に数人が集まっている。

しかも表情が深刻で穏やかではない。

「お、親分さん来てくれたか…。」

「そんな葬式ムード一帯でどないしたんや?」

何も知らないガデフの前に先程家に届いた朝刊が差し出される。

一人が「読め」と無言で頷いてくるので開くと大きな街の写真が掲載されていた。

『サンサシティ大規模デモ・死者数名』

『国際警察・エルザフィーニー氏を重要参考人として手配、現在捜索中』

暫く目が点になった男に新聞を配っていた若者が俯き混じりに話した。

「親分さんの所にいる銀髪のべっぴんさん…何処かで見たような顔かと思ったらそのフィーニーって人なんだよ。彼女有名なダンサーでさ、雑誌だとドレス着て髪の毛下ろしてるから一瞬分からなかったんだ。」

「なぁ親分さん、いつまでもここにいたら警察の人来ちまうよ。そしたら俺ら取り調べやらで仕事出来なくなっちまうんだ。」

「だから早いとこ…その…ここから追い出さないとマズイ…って…」


グシャリと新聞の両端が握り潰される。

その手も小刻みに震えて怒りの空気を上げている。

「親分さん分かってくれよ。俺らだってあの人らが悪い人じゃ無いって本当は信じたいんだ。」

「でもそうしないと…ここもサンサシティの二の舞になるし…。」

「とにかく騒動が落ち着いたら改めて出迎えれば良」

「ドアホッ!!」

いきなりガデフが大声を上げると新聞を目の前の男に叩き付けた。

「お前らこない証拠不十分な紙切れの記事を信用するんか!?アイツらが害の無い人間なのはもう知っとるやろ!」

「確かにそうだけどさ!でもそうしないと親分さんの身だって危なくなるんだよ!」

「そうそう!油断させて襲う可能性もゼロじゃないだろ!」


騒ぎの輪はあっという間に広がって住人全員が広場にギュウギュウ押し詰めている。

事情を知らない人も新聞の記事とガデフが招いた客人の話を聞いて一斉に不安な顔になっていく。

「アイツらはワシが拾った客や。だから出ていけと言うのもワシが決める事や。お前らは余計な口挟むような事せんでいい。」

「親分さん…でも。」

「でも何や?仮に本当に悪者でもワシが一捻りしてつまみ出せばそれで済む話やろ。せやかて変な事しなければワシも何も言わんで。」

言いたいだけ言い放つと男はその場を去る。

その圧力に押されていた人々はホッとしながらヒソヒソ語り出す。

「なんだってんだよアレ…王様気取りか?」

「そうだなぁ。あそこまで言わなくても良いのに。」

「それより気付いていないんじゃないか?俺らが本当は鬱陶しがってるの。」

「そうそう、余所者の癖にリーダーぶってる真似してさ…本気でイライラするんだよね。」

「それに知ってるか?あの人ここに来る前に人殺ししたって噂なんだぜ。」

「えっ!?マジ?」

「なぁなぁ、もっと聞かせろよ。」


自分が馬鹿にされているのも分からずに帰路を歩く男。

でもその表情は険しく、振り向いていないが全てを悟っているような顔になっていた。

そのまま歩いていたらブルンブルンと桁ましいエンジン音が耳に入ってきた。

家の玄関へ入る階段の脇に止めておいた単車をケビンが調整している。

「あ、お帰り。」

「ただいま…って言う前に聞くで。何しとるんや?」

「悪い。俺達もう行くわ。ここにいても邪魔になるだけだしよ。」

アクセルを握って音を確かめるとジャッキーとエルザが荷物を抱えて家から出てきた。

「そんな急に風向き変えてどないしたんや?ワシは独り身やからもっとゆっくりしても構わへんのに。」

「…。」


ジャッキーは陽気に笑う男に新聞を投げ付けると暴言混じりに呟いた。

「親分…黙ってて悪かったけど俺らフダ付きのお尋ね者でね…早く逃げないとマズイんだ。」

「……お前ら。」

「本当にごめんなさい。もっと早く言えば良かったんだけど…そうすると逃げられなくなると思ってね…。」

ガデフはさっきの騒動を思い起こしてケビンの背後に立つ。

「やっぱり…あの新聞の記事本物なんやな。そやかてこんな所に忍び込んで来るとはなぁ…。」

艶かしい一言にジャッキーが固まる。

「まさか親分…もう…。」

「せや。さっき仕事仲間から訊問されたで。その姉ちゃんの正体…もうバレとるわ。」

バツの悪そうな顔を浮かべるエルザ、その背後には状況の読めないマナがリンクスを抱っこして立ち竦んでいる。

「おいケビン、一応お前リーダーなんやろ?だったらこの落とし前着けてくれるのも…お前の仕事じゃなかろうって思っとらんか?」


心配したジャッキーが旦那どうする?と訴えるとケビンはゆっくりと振り向いた。

その瞳を見てガデフは戦慄した。

男の目は艶の深い赤色に変色していた。

炎を連想させ、その他にも血の色をイメージさせた。

それは普通の人間とは思えない重い瞳だ。

「…どういう落とし前だ?」

「決まってるやろ。男と男の落とし前いうたら…」

ブンッと空気を切り裂いて飛んできた固い拳をケビンは受け止めた。

「喧嘩しかあらへんやろ。」

「…そう来たか。」

力仕事で鍛えた拳は鋼より固く、自分の掌がはち切れそうだ。

「お前がワシに勝てたら直ぐに逃がすしこの一件も水に流しちょる。」

「…もし俺が負けたら?」

「その細い首根っこ掴んで警察に引き渡したる。」


ケビンの赤い瞳はガデフの険しい顔を写して逃がさなかった。

それはこの喧嘩を是非受けて立つと伝えているようだ。

「良いぜ。男ってのは…売られた喧嘩はやり返す主義を持ってないといけないしな。」

「そうやろ。ワシに逆らった事がどんなに重いか教えたるわ。」

ガデフは乱暴に手を払うと町の北側へ歩き出した。

「付いてこい、ここじゃあ狭いからもっと広い所に案内したる。」

その言葉に若い三人+少女と猫はアイコンタクトで合図して後に続く。

自分らを遙か遠くで…怪しげな目が観察しているとも知らずに…。


【3】


ガイズタウンの北へ行くとまたそこから先は荒野が広がっている。

いくら開拓してもこれ程の広い土地に家を耐えてるのは容易では無いだろう、辺りは草木の一本も無いだだっ広い砂の大地が広がっている。

障害物も無いこの場所は確かに決闘の場に相応しい場所だ。

ヒュルヒュル吹く北風が砂地のゴミを吹き飛ばしている。

「おいおい…なんでこんな展開になるんだろうな…。」

「私に聞かないでよ…。」

横倒しになった大木を椅子代わりにして座るエルザの肘を突きながらジャッキーは呆れ混じりに聞く。

若き二人の眼前には二人の男が相まみえていた。

「ルールは一切無し、どちらかが倒れたら勝ちでエエな?」

「言ってくれるじゃんオッサン、ハンデとか付けても良いのによ。」

「ワシはそういうセコい喧嘩は嫌いなんじゃ。やるからには正々堂々の方が好きでの。」


男は太い首をコキコキ鳴らすと上着を脱いでタンクトップ一枚になる。

やはりこうして見ると体格も筋肉もケビンやジャッキーと大分違う。

どうやったらこんな体になるんだろうと羨ましかった。

「せやかてお前…いつまでそうしとるんや?」

しかし男は喧嘩以前にケビンの姿に目を疑う。

自分より頭一つ分低いイケメンの手には二人より遙かに小さな子供を抱いている。

その足元では灰色の猫がミィミィ鳴いてズボンの生地を引っ張っていた。

「はよ嬢ちゃん降ろしてくれへんか?いくらワシでも無抵抗なチビッコ傷付ける程落ちぶれちゃいかん。」

「ちょっと待てよ。今充電してるから。」

充電って一体何を充電するんだと考えるがマナは大して怖がったりせずに大人しくなっている。

もしくはこうやって抱かれるのに慣れているのかとも思えた。

何回か背中を叩いてス~ッと深呼吸すると吹っ切れた表情になった。

「……よぉし、ありがとマナ。元気出たよ。」


地面に降ろす仕草も壊れ物を扱うように優しく。

どこまで紳士なんだと言う位にやんわりと人に接するケビンの姿は普通の人間では有り得ない。

ガデフは無意識にそう思った。

「ほな…早速始めようか。」

大きく足の間を開き、右足をドスンと地面に踏み付ける。

すると固い背中から禍々しい紫の色のオーラが昇った。

「ウォォォォォォォアァァァ!!」

胸の前で交差させた両手を高らかに掲げ、周りがゴゴゴゴと揺れる。

ガデフの足元には亀裂が生じて小石や砂が巻き上がった。

それよりもケビンの瞳は彼の背後から出る黒い影を見つめていた。

影はモコモコ動いて姿を変えていく。

その姿はまるで…動物のように。

「ガオォォォォ!」


術者よりも大きな巨体が吠えた。

全身がフサフサの毛に覆われ、耳は丸く、手足には鋭い爪、口の中には犬歯の域を超えた四本の牙と小さいながらも針のように尖った歯が並んでいる。

そして毛に囲まれた瞳は充血してそこに赤い不死鳥を写している。

なによりも…デカい。

想像を超える大きさにまず唖然としてしまう。

「あれって…熊よね?」

「く、熊だな…でも…デ、デカ過ぎねぇ?」

空に手が届くんじゃ無いかと思う程に大きな熊にケビンも言葉を失う。

「ケビン…あれって熊さんなの?」

「…まぁ…一つ言えばぬいぐるみの一億倍は危険な奴って…!」

言い終わる前に大きな手が二人目掛けて振り下ろされた。

だが寸での瞬間にケビンも自分のビーストを召喚、赤い翼が盾となって熊の一撃を防いだ。

「ガァァ!」


体毛が焼ける臭いがして熊は一歩引き下がる。

時にはマグマのように全てを焼き焦がすフェニクロウの翼に直に触れたのだ。

それで無事でいられる訳がない。

「何しとるんやビッグ!勝手に襲ったら元も子もあらへんやろ!」

ガデフの怒号に熊は唸りながらケビンから距離を置く。

その隙にジャッキーがマナとリンクスをその場から避難させた。

「ガデフさんよ、ソイツ躾がなってないんじゃ無いのか?」

「そこは堪忍しておくれ。コイツ滅多な事では呼び出さんから…色々溜まってるんやろ。」

ハァハァと犬のよう息遣いをする自分の相棒を咎めながら垂れてきた頭を撫でる。

そうしていれば産まれたばかりの小熊みたいで可愛いが油断ならない。

「キュイイ…。」

フェニクロウが太い嘴を主人の肩に置いてきた。

あんな奴らに勝てるの?とでも言いたそうな声にケビンは笑う。

「心配するな。正々堂々と丸焼き程度に襲ってやりな。」


何とんでもない事言ってるんだと相棒は感じつつ、腕の中の姫君に囁く。

「なんか…旦那も旦那もあれで危ない人だな…。」

「でもしょうがないよ。ケビン怒るとおっかないから。」

「ミャ~オ。」

リンクスはいつの間にかジャッキーの帽子の上に乗ってお気楽になっている。

「…ってか姫、なんでコイツこんな所にいるの?」

当人にお構い無しに毛繕いする元野良猫にジャッキーは降りろと言わんばかりの威圧感を与える。

でもリンクスはその程度では離れないのだ。

「きっとリンリン、ジャックの事が気に入ったんだよ。」

「あ~あ、コイツが人間だったら良かったのに…。」


そんな話をしていたらまた地面が揺れた。

大熊が鼻息を荒らしてフェニクロウと対峙している。

さっきの揺れは熊が地面を踏み鳴らした証拠だ。

「手加減は無用や、ワシとビッグベアに楯突いたらどうなるか教えてやるで。」

「良いのか?その言葉が後でブーメランになって戻ってきても知らねぇからな。」

ヒュオオオと風が吹き抜ける大地で二人の戦士は息を潜める。

これぞ男と男の…ルール無用の喧嘩の場なのだ。

「若造が…生意気な口聞いてると怪我するでぇぇ!」


【4】


先制攻撃はガデフが一歩前に出た。

準備運動ばりに素手の拳を地面に打ち付ける。

すると地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、亀裂が四方八方に広がっていく。

「フェニクロウ!」

「キュアアア!」

ケビンの一声に不死鳥が直ぐ様両肩を足で掴んでその場から飛んだ。

そこから直ぐに足を離すとケビンの体は宙に放り出される。

「えっ?フーたんどうしたの!?危ないよアレ!」

「いや…旦那の奴、あの姿勢から一発当てる気だ!」

ジャッキーの思惑は見事に的中した。


手放すのと同時にフェニクロウは火球をケビン目掛けて放った。

だがそれを華麗に受け止め、弓矢を装備する。

空中から矢を放つつもりなのだ。

(連発フェニックスアロー!)

何本もの矢が不死鳥へと姿を変えてガデフに命中し、爆発する。

だが真っ黒い煙が晴れた先には…無傷で仁王立ちする男がいた。

不死鳥の矢は交差させた両手に全部弾かれていたのだ。

「嘘だろッ…!仮に受け止めても確実大火傷のあの技喰らって無傷なんて…!」

ケビンの戦闘振りを何度も見てきたジャッキーは目を丸くしていた。

それだけガデフの筋力と筋肉が如何に鍛えられているのかを誇示していたのだ。

「ホワァッ!」

怯んだ隙にとガデフの拳がまた地面を鳴らし、地中から剣山と思わしき土の塊が飛び出す。

支えの無いケビンに逃げる余裕など無かった。


「…そう来たか。」

しかし彼は怪しげに笑うと迫り来る剣山目掛けて矢を放った。

燃える不死鳥は山を粉々に砕き、その破片を身に纏って相手へ飛んだ。

勿論ガデフも逃げる気は更々無く、迎え来る不死鳥をパンチで相殺した。

「……向かうところ敵なしって訳ね。」

エルザは呑気に呟きながらも内心は焦りを見せていた。

一発が即致命傷となる炎のスキル技を素手で打ち砕く等余程の手練れだ。

それにあの巨大な熊が召喚された時点で嫌な予感はしていた。

あの男もまた…何かしらのスキル能力を備えていると。

「ほぉ…中々面白い攻撃しちょるの。」

そう言うと左足を前に出して右足は引き、右拳を手首から掴む姿勢を作る。

「それならワシも容赦はせえへんで…!」


構えられた右拳に紫のオーラが纏われ、手の甲に熊の紋様が浮かぶ。

(ジャイアントハンドプレス!)

突き出された右手から手の形の衝撃波が放たれてケビンを羽交い締めに捕らえた。

「チッ…!」

「それだけで済むなと思わない事やな!」

そこから大地を割って巻き上がった砂が槍のように尖ってケビンの頭上に影を作る。

(デザートクラッシャー!)

包んだ両拳を振り下ろすのに合わせて砂がケビンの胸元を突き刺し、そのまま地面へ落下させた。

凄まじい爆発がして塵が舞う。

この瞬間でガデフは自分が勝ったと確信していた。

身動き出来ない状態からあの技を喰らうのはほぼ致命傷に近い。

無事でも虫の息だと信じてだ。

「ケビン~ッ!」

「あっ!姫駄目だってば!」


砂塵が舞う中で爆発の中心へ向かう小さな影があった。

マナがジャッキーの腕を振り解いてケビンの元へ向かう。

「ケビンしっかりしてよ!死なないで!」

ザッザッザッとブーツが砂利を踏む音を聞いてマナは近寄る男を見上げる。

男の瞳には…必死に大好きな人間の頭部を包む少女の姿を写していた。

ケビンの胸元からは白い煙が昇っている。

技が命中する寸前にその箇所に熱を籠もらせて防いでいたのだろう。

しかし完全に防げなかったらしく、貫かれた皮膚から赤黒い血が流れている。

マナは何とかしようと手が汚れるのも構わずに傷口を癒やし始めた。

流れ出る血がピンクのオーラに塞き止められて徐々に止まっていく。

「フニャ~。」

リンクスも悲しげに泣きながら止血する主人の手を舐める。

そこから何を思ったのか、ガデフに振り向いてフーフー威嚇してくる。

今度は自分が相手になるとばかりに。


「ガルルル…。」

生意気な猫だとビッグベアもガデフの横に並んでリンクスに牙を向けてきた。

「止めときビッグ、アイツに手出したら嬢ちゃんが悲しむやろ。」

女子供、小動物には手を出さないのがガデフのポリシーでありプライドである。

それだけは踏み越えてはならないと言い聞かせてマナの背後に迫った。

「嬢ちゃん、気持ちは分かるけん…退いてくれへんか?」

出血が止まったのを確認してマナはキッとガデフを睨む。

その顔はいつもにこやかな彼女とは思えない…怒りと悲しみが混ざった顔だ。

「なんで?このままだとケビン死んじゃうんだよ!?だからもう止めてよ!」

「それはワシも感じ取る。でもここで背中向けたら…コイツはそれを恥として一生背負わなアカンのや。コイツみたいな綺麗過ぎる男がそんなナリになるのは…いくらワシとて見たく無いからの…。」

あくまで平常心を保ってガデフはマナの肩を優しく持った。

「ケビンだってな…嬢ちゃんの前で情けない姿見せたくないと思ってるんじゃき。せやからママんとこ戻りなはれ、な?」


ケビンより大きな手が肩から腋に移動して軽々とマナを持ち上げた。

その状態のままで彼は横倒しになった木まで戻る。

距離が縮まると足元に黒いパンプスの爪先が当たった。

「ご丁寧にどうも、迎えに行く手間が省けたわ。」

顔はにこやかだが声のトーンが低いのでかなりお怒りモードだとガデフは感じてマナを引き渡す。

「あんまり責めたらアカンで。ワシだって胸が痛いからの。」

引っ張りながら握る掌は赤黒く染まっている。

それを自分の手で擦り付けながら空いたもう片方の手でポスポスと頭を撫でた。

「ワシの事憎いなら後で引っぱたくなり何でもすればええ。それで気が晴れるんやらな。」

振り返ろうとした背後に人の影を感じた。

目だけ戻すとその先には胸の前を押さえて立ち尽くす若者がいた。

「お前…そない重傷でよう立ってられるなぁ。」

「アホ抜かせ。俺は毎日死にかけながら生きてきたんだ。この程度で勝負付いたと思うなよ。」


必死に押さえる胸の傷は半分程塞がっているように見える。

マナの治療術とケビン特有の熱消毒のコンボで不規則に肌の色は変色しているが構わない雰囲気だ。

これ程の手傷を毎日浴びては自己流に消毒して塞いできたなんて考えられなかった。

「アンタこそなんで手加減してるんだ?殺したいなら本気でやれば良い話だろ?」

「何…!?」

「俺が元凶と思うなら迷わずに心臓を狙ってた筈だ。なのに俺が受けた傷は心臓の位置ギリギリの近くだ。これは直前まで狙ってワザと軌道を逸らした証拠だ。」

ケビンは手をどけて胸の傷を見せる。

塞がれていたのは心臓の直ぐ間近…右胸のほぼ真下の部分だ。

心臓が両胸の間とイメージするならば第三者の視点では確かに貫いて見えていたかもしれなかった。

「アンタの攻撃も本気じゃ無くて小手調べ程度に繰り出してるだろ?正々堂々と喧嘩したいって言ってた男との台詞とはとても思えねぇな…。」

「……。」

「人間ってさ…大事な物を守るなら鬼にでも何にでもなるって聞いた事があるんだ。アンタが本気であの町を守りたいなら…鬼だろうが閻魔様だろうがとっくになっていても可笑しく無い筈だ。言いたいだけ言ってそれを形にしないのは…そういう綺麗事を過去に味わったからじゃないのか?」


【5】


この言葉には既に仲間になった三人も何も言えなかった。

ずっと不思議だったがケビンはたまにこうして…口では言うのが難しい理論を呟く事が多々ある。

その言葉のどれもが心に突き刺さり、抉るように響く物ばかりなのだ。

ずっと復讐の為に生きてきたとはいえ、それだけではとても言い出せないその言葉。

一体彼は何処で何を学んできたのかとずっと考えていた。

でも彼の過去に踏み入ると孤独にさせるのを恐れて未だに誰も聞けずにいるのだ。

「…そんなのお前には関係の無い話じゃろ?」

「いや、関係大有りだ。俺も小さい頃は少々ワケ有りの家庭で暮らしてきたからな…人の欲とか善悪とか…そういうのを物心付いた時から吹き込まれてきたんだ。」

「そうか…お前もお前で色々苦労してきたんじゃな。」

「まぁアンタのと比べたら俺の人生が出口の無い真っ赤な世界なんだ。色々な影が周りに浮かんで言ってくるんだよ。お前は悪魔だ、鬼の子だ、忌まわしき血筋を引いてきたって…な。」


ガシッと嫌な音がした。

気配を感じる前にケビンはガデフの首を掴んでいた。

それを見上げる瞳は…先述の言葉と同じ真っ赤な瞳になっていた。

「アンタには…俺が何に見えるんだ?俺のこの目は人間を捨てた目だ、それでも人間だって見えるのか?」

「…ケビン…お前さん何を…」

「俺はよぉガデフさん…たまにこうして自分が自分で無くなる時があるんだよ。それは他でもねぇ…自分の大事にしてる人とか…自分の持っているプライドやらを汚された時なんだ…。」

細い指が筋を浮かべてギリギリと太い首を絞める。

筋肉が分厚いので本人は至って平気だが見守るエルザやジャッキーは背筋に冷たい物を感じた。

《あの顔…確か姫がボコボコにされた時と同じ目…まさか…!》

《あれは普通の人間の目じゃない…あの瞳は…そう…!》


―例えるなら血も涙も無い殺し屋の瞳。

―例えるなら人間の域を超えた獣の瞳。

家族を殺された哀れな男とは思えない…別世界の人間の瞳だ。

「旦那止めろ!それ以上踏み込んだら…!」

「おどれは黙っとれやヘタレ野郎!」

駆け寄ろうとしたジャッキーはガデフの声とビッグベアの威嚇でその足が止まってしまった。

これ見よがしにガデフはマナの手から擦り取った血で汚れた手でケビンの顔面を押さえ付けた。

「どういうつもりか知らへんがな…お前もそない綺麗事ばっか並べとったら何れ地獄を見る羽目になるで。人の苦労も知らずに生きてきた若造に説教される程…まだワシは墜ちとらん。」

顔の皮膚と筋肉が強引に絞られて耐え難い激痛がケビンを襲う。

それでも首締めとは反対の手でなんとか引き剥がそうともがく。

「それでも説教したいなら…その余計な口開けんようにしたるで!」


背負い投げの要領でケビンは背中から地面に叩き付けられた。

そこから波動の類いを感じて巻き上がった砂が触手状に変化し、体を巻き取られる。

「お前にはもっと苦しみを与えた方が良いかもしれんな…。」

身動き出来ないケビンは砂地の中に引き込まれ、姿が見えなくなった。

「グゥウウウウウ…。」

ビッグベアが鼻をヒクヒクさせて大地を悠々に歩く。

あまり知られていないが熊はその巨体とは裏腹に足が速く、嗅覚にも優れている。

犬にも負けない鼻は地中を引きずられる獲物の匂いを嗅ぎ付け、枯れた巨木の根元へと走る。

そこの地面を掘って獲物の腕を口に咥えた時だ。

「キュイイイ!」

主人の姿を空から確認したフェニクロウが急降下してビッグベアの額を嘴で突いた。

「ガオォォォ!」

「キュルルル!」


悲鳴で口から離れた主人を回収するとフェニクロウは一段と高く舞い上がる。

図体が大きくてもこの高さなら攻撃出来ないと歌う様に飛び去るその姿を追って大きな羆は走った。

陸上選手もビックリの速度で走りながらそこから太い足を軸にして飛び上がった。

飛べないのにと疑うなかれ、ビッグベアも狙いはフェニクロウの長い尾羽だ。

フワフワの朱色の尾羽に鋭くて太い牙が噛み付く。

「ギュアアア!」

予想だにしない奇襲を喰らったフェニクロウはバランスを崩して地面に不時着した。

しかも落ちた衝撃でケビンの体も遠くに投げ飛ばされた。

「フン…口では威張り散らしながらも大した事ないのぉ。」

ガデフはとどめを差そうとゆっくり歩いてきた。

地中で引き摺り回された苦痛はかなり大きく、起き上がろうにも体が言う事を聞かなかった。

「まさか自分の言葉がブーメランになるだなんて思ってなかったんろう?」

「……。」


答えられない背後では不死鳥の雄叫びが空しく響いてくる。

自分もそこに行きたいのに体が動かず、惨めな気持ちのみがどんどん込み上げてくる。

正直もう駄目だと…白旗を半分上げた時だ。

「フシャャャ~!」

ケビンとガデフの間に小さな影が立ち塞がった。

四肢を大きく開き、尻尾と耳を逆立てて威嚇してくる小さな猫。

それ以上この男に近寄るなとばかりに白い歯を見せてくる。

《リンクス…お前…。》

少し前までマナ以外の人間全員に敵意を見せていたリンクスが今…自分を守ろうとしている。

嬉しい反面、こんな小さな猫にすら庇われる自分が情けなくなった。

「フギャャャ!」

リンクスは怒りの顔でガデフのブーツに噛み付いてきた。

靴越しでは痛くも痒くも無く、ガデフは首の後ろを摘まんで持ち上げた。

「おぉ、お前さんチビなのに度胸あるんじゃな。」

「ニャ~ゴ!」

「ん?ワシの顔を引っ掻きたい?アカンアカン、爪が無くなってしまうで。」


リンクスはそんな挑発には乗らないと猫パンチをお見舞いしようとしてくる。

でも足が短いので前足が宙を切るだけで何も怒らない。

これが和やかな時なら癒やしのムード全快で心地良いのにとガデフは思いつつ、その姿勢でケビンの前にしゃがんだ。

「ホレ、なんもせぇへんからちょっと大人しゅうしてくれ、な?」

慎重に手の近くに降ろすとリンクスは倒れた男の頬を冷たい舌で舐める。

「…アンタ…どういうつもりだ?なんで俺を仕留めないんだ?」

「…仕留めるも何も…ワシはお前の命を奪うつもりなど無い。ただ正々堂々と喧嘩がしたいって言うただけじゃろう。」

未だに痛みが程走る体を起こさせながら一度背後へ戻り、脱ぎ捨てた上着を拾い上げる。

ケビンは倒れないように座りながらリンクスを呼び寄せて抱っこする。

「ワシはなケビン…そもそもハナっから落とし前着けようとは思って無かったんじゃ。ただお前が身勝手な奴やとばっかり思ってカチンと来ての…自分でもどうして良いか分からなくなったんじゃ。」


バサッとモスグリーンの上着をケビンに掛けるとよろめかないように体を立たせた。

「本当なら争う前にお前らを逃がそうとは思ってた。でもそれだと自分のプライドが許さないけん…どうしても見逃せなくてな。ホンマに済まなかったな。」

「…良いんだ。俺もちょっと言い過ぎた部分あったからな。」

砂まみれの上着は細い自分の体を包んでジンワリと温めてくれている。

他人から服を借りるのも今まで無かったので不思議な感じだ。

「けどお前に言われた事もあながち間違いではあらへん。実際の所…ワシは過去に人を殺しておるんじゃ。」

「…そうか。」

「あんまり話したくは無いがな…ワシはここに流れ着く前はロクな人生送って来なかったさかい。せやから罪滅ぼしやあらへんけど…生まれ変わりたいばっかりに流れついた手前…昔の自分を捨てて生きてきたんや。」


【6】


自分を見ずに上空の太陽目掛けて話す男の背中は…酷く小さく見えた。

ケビンに咎められてもう隠し事はしたくないと腹を括ったのか。

語るその背中を見て自然と涙が零れそうだ。

「ワシはなケビン…もう子供だろうが女だろうが人の命は奪いたくないんや。人を殺すっちゅうのはな…単に命が消滅するだけやない。その命を奪い取った人間の背中に重い十字架が乗せられるんや。ワシはそれを良く知っている手前…お前の言葉が腹立たしいって感じたんや。」

そこで彼は太陽から自分の方へ視線を戻した。

「お前がどんな人生送ってきたなんて根掘り葉掘り聞かん。せやけどこれだけは覚えてて欲しいんや。人を殺すのは自分を殺すのと同じ…殺した分だけ自分を傷付けるってな…。」


固いブーツの靴底が砂を踏んで自分の横を通り過ぎる。

その足はケビンの元へ駆け寄る三人の手前で止まった。

すると大きな丸太の腕が…若い男女の肩を掴んで引き寄せてきた。

「お前らにも迷惑掛けて悪かったな…。せやからはよここから逃げ。今ならまだ間に合うけん。」

単純にそれだけ伝えるとガデフは町へ通じるゲートへ向かって歩き出した。

「ち、ちょっと親分!どうする気だ!?」

「…決まってるやろ。ワシは仲間内にお前らの事伝えにいく。全員蜂の巣にして埋め立てにしたってな。」

「駄目よ!そんな嘘直ぐに見破られるわよ!そしたら貴方の身が危なくなるのよ!」

二人は恐れていた。

ガデフは口だけでは無い、本気で自分達を庇おうとしていると。

喧嘩を申し込んだのも自分の本音を伝えて敢えて立ち退かせようという腹だったと。

「そんな事構わへん。バレたらバレたで潔く自首するだけや。そうすればお前らが逃げれる時間も稼げるからの。」


ジャリジャリと砂を踏み付けて歩く男は別れを惜しむようにケビンに振り向いた。

「ケビン、そのジャンパー返さなくてもええで。ワシの身に何かあった時の…形見にしておいてくれや。」

潔さが消えた顔で無理矢理笑いながら男はまた歩き出す。

するとドタドタと振動を聞かせて一頭の羆が主人に寄ってきた。

「ガオオ…。」

羆は焦げた口周りの毛をこれ見よがしに見せてくる。

既にフェニクロウは力尽きてケビンが回収し、自分も疲れたので一緒に帰ろうと寄ってきていた。

しかしガデフは悲しそうに羆の鼻先を撫でる。

「ビッグ…お前はここから逃げるんや。ワシと一緒にいたらアカン。」

「ガ、ガァァ?」

巨体とは裏腹の小さな瞳がはち切れんばかりに見開かれる。

「ワシにもう助かる道は無い。でもお前まで道連れに死ぬのだけは堪忍なんや。お前は自由に生きろ、ワシに振り返らずにな。」

「ガ、ガルル…。」


ビッグベアは途端に大きな体を縮こませてスリスリと寄る。

自分は野生の獣では無い。

所詮スキル使いの思想で産み出された幻に過ぎない。

術者に切り離されたらどんな末路を辿るかなんて考えられない。

だからこそ一緒にいるべきだと離れようとしなかった。

「ええ加減にせえやビッグ、ワシとお前はもう赤の他人と赤の獣や。来るな言われたら付いてこないのが常識やろ?違うんか?」

怒りを滲ませた声で説教すると流石に通ったのか、ビッグベアは鼻先を主人から遠ざけた。

「ええ、それでええんやビッグ。もしワシに生きられるチャンスが見つかったら…必ず迎えに行くからな。そしたらもう一生離さへん…ずっと置いてやるからな。」

名残惜しそうに垂れてきた額を撫でてガデフはトボトボとその場から去って行く。

ヒュルヒュルと風が吹き抜ける荒野から立ち去る男の背中を追うようにケビンは残された二人の間に立つ。

走れば追い付ける距離にいる男は…泣いている風に見えた。

「ガオォォ…。」


主に見限られたビーストは自分がした事を詫びるようにケビンに頭を下げてきた。

こうして見ると力持ちで根は弱い奴だと見えてくる。

あの石頭のご主人に仕える獣故、誤解されやすい厄介者だなと感じながらケビンは毛むくじゃらの頭を撫でる。

「ニャー。」

リンクスがビッグベアに飛び乗ってトタトタと頭の上まで昇る。

羆はこの小さな訪問者を振り払わず、傷付けずに目だけ向けている。

「ニャ~ニャ。」

「ガルルル。」

人には理解出来ない鳴き声で会話する二頭の獣。

リンクスもリンクスでマナ特有の人懐こさを完璧受け継いでいた。

今のやり取りでビッグベアが獰猛な獣では無いと知ってあっさり心を開いているようだ。

でもこうなった以上は…この獣を見放す訳には到底いかなかった。

「…行こうぜ。」


ここにいても始まらないとケビンは足を前に出した。

エルザがいた大木の脇にはガス欠が解消した二台のバイクが並んでいる。

ここへ来るに当たって必要無いのに何故かガデフが「運んでほしい」と念を押してきたので仕方なく置いておいたのだ。

今思えば…最初から自分の本音を語り尽くして逃がす算段だったのだ。

過去の罪滅ぼしを…一度命を奪った男はその失った分の命を今度は守ろうとしていたのだ。

けれでも彼らの心の中に掛かった靄は晴れずにモクモクとまだ滞留していた。

でもあんな事を言われた手前…今更戻れる筈も無い。

下手に手を出せばガデフの身に何が起きるか分からない今は…自分達には何も出来なかった。

「お前も来るか…?」

「ガウゥゥ…。」


行き場を失った羆は新たな主人を前に大人しい態度を見せてくる。

ここに置いても通り掛かった人間に何されるか分からない。

今は連れて行くしかなかった。

ケビンとジャッキーは言葉を交わさずにそれぞれの愛車のエンジンを始動させた。

ブルルルとじゃじゃ馬振りを取り戻したエンジンの音を聞きながら名残惜しそうに遠くの町を振り向く。

彼の足ならもう町へ戻っているだろう。

でも何を言われてるかなんて想像したくなかった。

湧き上がる空しさを背中に感じながらケビンはバイクのサドルに足を乗せた。

マナは側車に乗り込み、エルザはジャッキーの後ろに乗る。

そのままバイクはゆっくりと荒野から立ち去っていった。

それを追うようにビッグベアも四つ足の姿勢になってのしのしと走り去った…。


【7】


客人を見送ったガデフは一人空しく町へ戻ってきた。

北側の出口には大勢の仲間が詰め掛けて出迎えてくれていた。

皆が深刻な顔で色々質問してくる。

―あの客人はどうしたのか?

―もう町に危害は及ばないのか?

対してガデフはあらかじめ考えていた嘘を言い聞かせた。

―自分が軽く蜂の巣にし…丁重に弔ってやったと。

それを聞いた住人は良かった良かったと安堵していた。

ガデフも敢えて作り笑いを見せつつ、胸の奥がチクチクするのを堪えていた。

嘘で皆を喜ばせる自分の罪悪感に苦しめられる感覚を感じながら…。


「そうだ、なんか親分さん留守にしている間に新しい客人が来てるんだ。」

毎朝新聞配達をしている青年がガデフに教えてくれた。

ケビン達に続いてこんな辺境の町に客が来るなど初めてだ。

いや、この町は世界中から依頼を受けて物資を作っては運んでいるのでそのお礼をしに来たのかもしれないと数人が歓喜に浸っていた。

兎に角これで多少は気を反らせるとその客がいる南側の出口へと向かった。

汗まみれの男達の中心、空の木箱を椅子代わりにして座っていたのは…女性だ。

貴族の令嬢を思わせるつばの広い帽子と日傘、ボンテージ風のドレスを身に纏った女。

帽子も傘もドレスも黒を基調としていて飾り気が無いが上品さが溢れている。

「誰や?あのべっぴんさんは?」

「なんか道に迷ったらしくて、それで足が疲れたから暫くここで休憩するって。」

「あれ絶対どこぞの令嬢だって。こんな真っ昼間からドレス着て歩くなんて珍しいし。」


顔を拝見すると若いそうで小皺も白髪も見えない。

でもこんな綺麗な令嬢なら護衛の人間と一緒のイメージが強い。

いや、その護衛と何らかの理由ではぐれてここに辿り着いたのではばかり思っていた。

「お客さん、待たせてスンマセンな。」

「いえいえ滅相無く、こちらこそ黙って押し入ってごめんなさいね。」

一応この町の纏め役である自分が出て頭を下げると女性は笑って答える。

「ここは色々な物を作る工場のような町だという評判を聞きましてね、尋ねて見ようかなと思って来たんですの。」

「そうですか、わざわざご丁寧にどうも。」

お茶でもお持ちしましょうかと他の男が出るが女性は無理しなくて良いと柔らかく断る。

「けどお客さん、ここは男の町ですさかい。お宅のようなべっぴんさんにはちと不釣り合いな場所でっせ。それでもなんでこないな所に?」

「単純明快ですわ。私は…どうしてもここに用事があって来た訳でありますの。」


女性は手にしていた鞄から小さな壺を取り出す。

絵本で良く出てくる蜂蜜を入れるような変哲も無い壺。

その壺の蓋をギリギリと開けながら女性の瞳に眼光が走った。

「あ、あの…その用事って?」

近寄る男を尻目にガデフはハッと気付く。

女の持っている無機物の壺が…小刻みに振動していると。

「よせ!その壺に触れるんやない!」

「えっ!?」

だが警告も空しく、女は壺の蓋を開けた。

すると壺の中から禍々しい紫色の液体が噴水のように噴き出して何か飛び出してきた。

龍の頭に蛇のような長い体を持った化け物が壺から飛び出して女の周囲でとぐろを巻く。

「ギャアアアア!」

「な、なんだコイツは!?」

「に、逃げろ!!」


パニックになった住人は一斉に町の外や家の中へ逃げようとした。

しかしそれを見計らった蛇の怪物は大口を開けて緑と紫が混じった不気味な色の煙を吐く。

その煙は直ぐ様広がって吸い込んだ人々はバタバタと倒れていった。

「なんなんだアレ!?」

辛うじて口元や鼻を塞いでいた数人がガデフに攻め寄る。 

「吸ったらアカン…これは恐らく猛毒の煙や。」

「ど、毒!?」

ガデフも身の危険を感じてハンカチで口を塞いでいたので難を逃れていた。

毒の煙は風に乗って町の外まで流れようとしている。

「直ぐに皆を家の中に入れろ、ほんで窓も玄関も全部閉め切るように言うんや。絶対に煙を入れるんやないで。」

早くしろと強く怒鳴ると取り巻きの仲間は慌てて駆け出す。

「親分さん何を…!」

「ワシはあの女を止める、その隙に避難するんや。それと煙吸った奴も早急に手当しろや。」


手早く指示を出してガデフは仲間に逃げろと命令する。

女はアハハと高笑いしながら被っている帽子も傘も投げ捨ててその場で踊っている。

「おどれ…一体何者じゃ!この町をどうする気じゃ!?」

「あ~ら決まってるじゃないのおじさん。こんな汗臭い町はワタクシの情に会わない場所ですの。ですからこうやって人が住めない環境に作り替えていらっしゃいますのよ。」

貴族のような話し方をしながらその本性が残酷な言葉ばかりだと聞いてガデフは戦闘態勢を取る。

「貴様のような女子の手に堕ちる程…この町は弱く無いで!」

「親分さん駄目だ!逃げろ!」


仲間の叫びも無視してガデフは拳を構えて女に突撃する。

しかし女はその華奢な手で鋼の拳を軽々と受け止めた。

「や~ねぇ。男ってどうしてこんな力ずくな方法しか出来ないのかしら?」 

「な、なんやと…!?」

―まさか、こんなヒョロヒョロ女に自分が敵わないなんて…!

絶望するその口元に不気味な紫の唇が重ねられる。

そこから粘りのある液体が体内に流し込まれた。

《んぐっ…コイツ…こんなっ…!》

離れようにも唇が吸盤みたいに張り付いて取れず、飲めば飲むほど体から力が抜けていく。

《クソッ…こないな女子に…このワシが…!》

全身が雷に打たれたように痺れて視界も霞んでくる。

《クソッ…クソッ…クソッッッ!》


ジュルジュルゴクンと悪魔の咀嚼音がして口紅と同じ紫の唾液が糸を引いて垂れた。

浴びる程に粘液を飲まされたガデフは口の端から涎を垂らし、白目を向いて倒れた。

「わぁぁぁぁ!親分さ~ん!」

「親分さんが…倒されたぁぁ~!」

一部始終を見ていた男達はパニックになって逃げ出した。

女は赤ん坊のように人差し指をピチャピチャ舐めるとその華奢な腕で重たい男の体を持ち上げた。

すると背後から黒いローブを纏った何人もの人間が音もなく現れる。

「引き上げよぉ~。このおじさまにたっぷりとお仕置きしなきゃね~。」

「…他の連中はどうしますか?」

「一応見張っときなさい。どうせここが全滅するのは目に見えているから。」


女に呼び出された怪物はシャアシャア泣き喚いて猛毒の煙を吐き出す。

やがて煙の色が薄くなったのを見ると地面に置かれた壺にニュルニュルと戻っていった。

ローブの人間の内の一人がその壺を女に手渡す。

彼らは全員毒を吸わないようにマスクを装着しており、シューシューと息を吐く糸が煙に混じって広がる。

集まった人数はおよそ十人足らず、その内の半分はその場に残って立ち去る女に頭を下げて見送った。

その様子を町を見下ろせる巨木の上から眺める別の人影が見つめていた。

その影は嫌み混じりに地面に唾を吐くと悟られないようにその場から去って行った…。


【8】


砂地を越え、川を渡って大きな立て看板のある分かれ道の手前。

そこに二台のバイクが停車していた。

単車を操る男は埃を吸って乾いた喉を潤すように水筒の水を飲んでいる。

けれどどんなに水を飲んでも喉が潤わない。

埃よりもっとベットリした何かが貼り付いてどうにも落ち着かなくなっていた。

ここに到着しても彼らは一言も会話せず、本当に葬式の空気になっていた。

水を数回口にするとケビンは水筒をマナに渡した。

しかしマナは飲むのを嫌がって首を横に振る。


仕方無いので水筒を仕舞ったら自分の体格より幅広いモスグリーンの上着を羽織い直す。

―若干だが汗の臭いが染み着いたこの上着の主は今どうしているのか?

返却出来なかった事よりその背中を見送る事しか出来なかったか自分が悔しくて情けなかった。

「ねぇケビン…。」

単車に乗ったままでマナが上着の袖口を掴んできた。

「…どうした?」

「ハグしてギュウギュウして…。」

一見すると理解不能な単語だがケビンは直ぐにそれが何かを悟ってマナを抱っこした。

当然ながらマナの鼻先はガデフの上着に埋められる。

「ケビン…おじさんどうしてるのかな?」

さっきまで自分が考えていた事をマナが掘り返してくる。

「マナ…おじさんに酷い事言って…結局謝れないまま逃げて…本当に良かったのかな?」


―先の喧嘩の一件の時。

負傷したケビンを助けようとガデフに立ち塞がった自分の愚かさをマナは後悔していた。

マナが言う“酷い事”は…もうこんな喧嘩は止めてほしいというシンプルな答え。

でもそれは言い換えれば男と男の決闘に水を差す事を意味していた。

結局その言葉をガデフに詫びれずにここまで到達してきたのだ。

「おじさん…ケビンを助けようとしたんだよね?だからマナの事も怒らなかったんだよね?」

「…そうだな。」

こんな時でも単調な答えしか出せない自分がケビンは悔しかった。

マナはその思いとは裏腹に上着の匂いを嗅いで深く深呼吸する。

「おじさんに言いたい事いっぱいあったのに…いっぱい謝りたかったのに…何にも言えなかったよね?」


マナは自分から考えていた。

幼いなりに彼女は独自の視点でガデフの考えを読んでいたのだ。

彼は余計な真似をした自分を殴る所か怒鳴る事もしなかった。

その心遣いから本当は優しくて、でもそれを表現するのが苦手な人なんだと認識していた。

「マナ…お前…。」

上着に顔を押し付けてマナは無意識に鼻を啜っていた。

あんな優しい人を裏切ってしまった自分が情けなくて…悲しかったのだ。

「おじさぁん……ゴメンなさぁい…。」

決して届かない謝罪の言葉。

それでも言わずにはいられなかった。

ケビンも胸を痛ませてマナの後ろ頭を優しい叩いて慰めてあげる。

するとその手がズシリと重くなった。

「旦那、俺様にもギュウギュウさせてくれないか?」

「…分かってる。」


落ちないように優しく手渡すとジャッキーはマナの耳元に囁いた。

「大丈夫だよ、姫の思ってる事…きっと親分にも届いてるさ。」

いつもの泣き虫を堪える頭を撫でるとグスンとぐずって頬擦りしてくる。

「まぁちょっと嫌味なおっさんだなって最初は思ったけどさ…でも今は良い人だなって思い返せるよ。」

「ほんと…ジャック?」

泣きながら見上げるとジャッキーの瞳は海をイメージさせるコバルトブルーに変色している。

青い瞳は花の姫君を捕らえて優しくキスを送る。

「大体姫の優しさを踏み躙る人間なんかいないだろ?もしいたら誰であろうが俺様がコンクリ詰めにして海の藻屑にしてやるよ。」

「…その前にお前が余計な事したら俺がバーベキューにしてやるよ。」

「ケビン…それ以上ふざけたら二人揃って干物にするよ。」


いつのまにかなんてロクでもない会話をしているんだとエルザは呆れながらマナを自分の元へ避難させた。

マナはいつもの変な会話が繰り広げられていると感じてすっかり泣き止んでいる。

「全くもう…さっきまでの心配返してよね。」

「何が心配だよ?一番焦ってるのお前だろ?」

ケビンの言葉は間違いではない。

自分の名前が新聞に載ってしまった以上、身を隠すのは難しい筈。

それでもエルザは変わらずに過ごしていた。

「良いのよ。しょっちゅう週刊紙で叩かれてきたんだから…今更怯える必要無いしね。」

「ヒュ~。やるね姐さん。」

「…何処に誉める要素があるのよ?」


愛しい我が子を胸に納めながらエルザはとにかくと会話を切り替える。

「ケビン…こうなった以上はこの先どうするか分かってるわよね?」

その問いにケビンは無言でバイクのエンジンを起動させる。

そして車体をクルリと回転させると…テールランプを来た方角へと向けた。

「…戻るって事だろ?」

最後尾にいた羆の耳が反応する。

「どの道ビッグベアの主人はガデフさんしか務まらないんだ。それ以外だとあっという間にパクリだからな。」

左手をアクセルから離して撫でるとビッグベアはフーフーと鼻を鳴らす。

その背中に乗ったリンクスもミャーミャー騒いでいた。


その動きを喜びの仕草と見てジャッキーは深く息を吐いた。

「あ~あ、また厄介な人引き入れちゃったな旦那。」

「それならおあいこね。だってここにいる人間全員厄介者の集まりだもの、今更どうって事ないわ。」

笑いながらエルザはマナを側車に乗せる。

さっきの不安は何処へ行ったのか、彼らはいつもの陽気さを取り戻していた。

「それにあの肉巻きお握りのレシピ教えられてないもの。そうすればケビンに“ハイこれお弁当作ったから頑張ってね”って見送れるでしょ?」

「…って、姐さん!?何そのトンデモ発言!?」

いつから新妻気取り!?と心の中で叫びながらその先の言葉を決して口に出来ないジャッキーであった。


【9】


そんな心機一転の気持ちで引き返そうとしたパーティにこの場の誰でもない言葉を掛ける人物がいた。

「やるじゃんギルク、そんな気持ちの切り返しが出来るなんて別人じゃん?」

不気味そうで軽く、何処かで聞いた覚えのある声。

何よりケビンを下のネームで呼ぶこの独特な響きの主。

思い当たるのは一人しかいなかった。

「ハ~イヤッホ~。」

木の影で顔は見えないがチラチラ見えるマントの裾とズボン、ブーツでその人が何者なのかは分かった。

「ジョーカー!?アンタなの!?」

「正解、にしてもまぁあんな葬式ムードから良く立ち直れたね、ある意味凄いよ。」


挨拶しながらその男は木から降りた。

その人物からは怪しい匂いがするとビッグベアが唸る。

「まさか付けていたとはな…。お前その内本物のストーカーになるぞ。」

「おっと、今日は喧嘩しに来たんじゃないよ。それよりも厄介な事になったんでね。それを教えにきたのさ。」

仮面の中央に人差し指を添えてジョーカーは怪しく笑う。

「昨日までギルク達が泊まっていた町が今、ウチの群集に乗っ取られてるんだ。」

「ぐ、群集!?」

「主犯各はクイーン…女帝トキシック様だ。早く戻らないと町の名前が地図から消えてしまうかもね。」

ジャッキーがどうする?と振り向けばケビンはジョーカーの瞳を睨んだ。

「お前…わざわざそんな事を教えに現れたのか?普通に考えれば俺らに知らせない方が都合が良いと思うんだがな…。」


言われてみれば確かにそうだ。

何故ジョーカーはそんな問題を易々教えに来てくれたのか?

当人は明確だとばかりに笑う。

「…だからだよ。お前がどれだけ強くなってるか確かめる為にこうやって教えに来たんだ。仮にもこの俺の首を土産にする男が弱いままだと張り合いがなくてつまらないだろ?」

笑いながら、しかし真っ直ぐにケビンを見つめる仮面の男。

見えないその瞳はまさに狩人の目をしている。

自分が定めた獲物を見守り、頃合いが付いたら食そうという空気を漂わせて…。

「忠告しておくけど…クイーンは人を痛め付けるのが大好きなサディスト、文字通りの女王様キャラみたいなお方だ。彼女の拷問や魅力に掛けられたら最後…無事に生きて帰れる奴は皆無に近いからな。警戒しとけよ。」


ジョーカーはこれでおいとますると言って人差し指をパチッと鳴らす。

すると太陽と重なった黒い影が真っ直ぐに降りてきた。

横に広がる大きな翼を羽ばたかせるのは本来昼の光を嫌う筈の蝙蝠だ。

「待てジョーカー。」

ケビンは風でたなびくマントを見つめて目を細めた。

「お前、敵に情けをするような真似しても平気なのか?そんな事してたらお前の身分だって危うくなるんだぞ。」

ギィギィと喚く蝙蝠を咎めてジョーカーは瞳だけを振り向かせる。

「関係無いね。俺はギルクと決着さえ付ければもう何も欲しくないんだ。それで幹部から降ろされても悔いは無いさ。お前こそ俺に勝てばもう得られる物は無いだろ?それと同じさ。」


じゃあねと言い残してジョーカーは蝙蝠と空中へ飛び立つ。

地上に残された四人は互いに顔を見合わせていた。

「ね、ねぇケビン…これって普通に考えてヤバい展開じゃないの…?」

「…だろうな。」

「そんな呑気にしてる場合かよ!?グズグズしてないで早く戻ろうぜ!」

ブアァァァと荒い鼻息を上げて吠える獣の声も混じってくる。

「大丈夫だビッグ、お前の主人は必ず俺が助けてやるからな。」

暴れないように押さえてケビンはアクセルを握り締める。

「さぁて…いっちょ殴り込みに行くか。」

「ヤッホ~!それでこそ私らのリーダー!」

「…やっぱりこうなるか。」


ガオガオ吠える羆の背中に乗るリンクスは暴れて落ちるのを恐れたのか、地上に降りてマナの所に戻る。

「ニャニヤ?」

「え?ビッグがなんか嬉しそうにしてる?そりゃあケビンが戻るって言ったからじゃないの?だよねクーさん。」

「ガ、ガオ?」

変わった呼び名に驚いた羆はマナの手をクンクン嗅ぐ。

「良いよねクーさんで。大きいし、良く手とかクンクンしてくるから。」

よしよしと冷たい鼻先を包むとビッグベアは子熊のようにクークー鳴いて大人しくなる。

その姿を恨めしそうに眺めるリンクスは負けじとマナにアピールしてくる。

「え?リンリンもクーさんやフーたんみたいに大きくなりたい?それでマナを助けたいの?」

「ニャ~オ。」


その思いをマナは単なるふざけ心ではないと何処かで思った。

現にバディビーストがいない自分も同じ事を考えていたからだ。

《ひょっとして…リンリン…まさか…?》

もしかしたら…自分達が会えたのは偶然ではなく運命では無いかと疑問に思う。

それが本当なら…逆に嬉しかった。

自分の新しい力を手に入れられる…そんな予感がした。

「おいマナ、出すから掴まってろよ。」

「あ、うん。」

一人きりの世界に浸っていたマナはケビンの声で現実に戻される。

巻き返しをするようにバイクは人生最大の危機に見舞われた職人の町へと引き返していった。


飛び去った蝙蝠にまたがるジョーカーは走り行く彼らを空から見送っていた。

サンサシティで対面して今回が二回目、この短い間にケビンは人が変わっていると嬉しかった。

それでこそ自分の好敵手に相応しい男だと敬意を評してもいた。

「…もっと熱くなれよ不死鳥。その翼で大事な人間を守れるようにな。」

これからの成長が楽しみだとジョーカーは笑って去って行った…。

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