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エレメントバトリッシュ  作者: 越後雪乃
~第三幕・襲来する危機と小さな戦士の目覚め~
13/34

見るな危険!大海原の魔獣

【1】


―国際警察。

世の平和と国民の命を守り犯罪組織ミステシアを潰す最後の希望…と言われている大規模組織。

世界各地に支部を展開し、各地で横行する犯罪に立ち向かうのが彼らの任務だ。

ミステシアと関わりのある人物の監視や逮捕も請け負い、世界が混乱するのを未然に防いでいた。

この世で最新規模のセキリュティ機能を備えた大都市・ホワイトヒルズに本部を構え各支部からの報告を受けたり出動要請を促したりと二十四時間フル稼働で動いていた。


30階建てのビルを容易に超える巨大ビルは街の外からでも見える程に高い。

このビルが国際警察の総本部だ。

本部で一番忙しい部署が十五階にある通信司令室。

ここから犯罪の有無を調べたり支部と情報を共有している。

インカムを装着した若い女性の警官がタッチパネルを操作して通信を受け取る。

『本部、こちらWPサウスエリア総支部、応答求む。』

「こちら本部、繋がっていますどうぞ。」

『サンサシティのデモ事件について新情報、デモ関係者二名死亡、被疑者と思わしき男性は取調中に警官一人を殴ったので一時的に隔離したとの事です。』

「了解、引き続き監視を行ってください。」


国際警察は東西南北に四カ所の総支部を抱え、更にそこから幾つもの小さな支部に枝分かれしている。

事件や事故の状況はその小さな支部が担当し、得た情報を各地区の総支部に受信、総支部から本部へと情報が引き継がれる仕組みになっているのだ。

因みに応答の際には管轄の人間かどうか確認する為にキーワードを言うのが義務付けられていた。

そのキーワードが国際警察を英訳した「WORLD POLICE」の頭文字である「WP」である。

「何か進展はありましたか?」

一人の女性が応答を受けた部下の元に接近する。

年齢は三十代前後、薄墨色の髪をアップに纏めて落ち着いた鼠色のスーツを着こなしている。

「最悪ですよ総支部長、遂に死亡者が出ました。」

「そうですか…搬送先の医療機関等を早急に確認してください。直ぐにマスコミが押し寄せますからね。」


現在本部へはサンサシティでの暴動の情報が等間隔で受信されていた。

ケビン達が街を脱出した後で最悪な展開を迎えていたからだ。

エルザに逃げろと促した親衛隊の男二人があのゲス社長に拳銃で撃たれ、死亡。

これを目撃した警官が遂に重い腰を上げ、社長は殺人・恐喝・婦女暴行の三拍子でやっと逮捕されたのだ。

にも関わらず自分はやっていない、拳銃を持っていたのは自分の影武者だと意味不明な事を言って喚き散らし一時的に隔離措置を背負う事になっていた。

「エルザ・フィーニーの居所は分かりましたか?」

「それが…デモの参加者全員が知らないとの一点張りでして。」

「まぁそうでしょうね。あれだけの騒ぎですもの。何処かに身を潜めているのは確かですわ。」


するとピーピーピーと送受信を知らせるアラームが鳴った。

担当職員が回線を繋げる。

『こちらWPイーストエリア総支部、応答求む。』

「こちら本部、聞こえてますどうぞ。」

『間違いありません。サウスエリア総支部から送られてきた写真の子供…ブルローズのアジト近辺で目撃された子供と同一人物です。』

「了解、サウスエリアにはこちらから連絡致します。また何かありましたらどうぞ。」

通信が途絶えるとマイクの側に置かれた写真を手に取る。

それはサンサシティの飲食店の防犯カメラの写真だ。


以前、ミステシアの配下に当たるマフィアの総本部の近くで不思議な雰囲気を纏う子供がいたと報告され、今度はこの街に似た子供が居るとの通報を受けていたのだ。

その為この写真を東側に送った結果、間違いないとの返答が来た訳である。

司令室の警官を束ねる女性総支部長がその子供に心当たりがあったからだ。

「やっぱり…あのお方で間違い無いのですね。」

「はい。まだ未確認ですが可能性としては充分だと…。」

女性はそうですかと呟いて瞼を押さえた。

何を隠そう、彼女はこの写真の子供をずっと探していたのだ。

「本当に…生きておられてたとは…!」


部下に泣き顔を見せたくないと女性は指令室の外に出た。

こんなに嬉しい報告は無い。

直ぐに知らせる必要があると。

そう念じていたら部屋の前の廊下を通る足音が止まった。

「おや、誰かと思えば貴方でしたか。ミオルフ支部長。」

黄緑のネクタイに焦げ茶色のスーツの男性が笑いながら隣に立つ。

「あら、そんな本部長こそ何か?」

「始末書を運びに行ってるだけですよ。こんなに多いと紙代も馬鹿になりませんからねぇ。」


年齢は三十代位、銀縁眼鏡に顎髭とかなりダンディーな青年だ。

手には書類の束を抱えて重たそうに持ち直す。

「随分泣きそうな顔してましたが…宝くじでも当たったのですか?」

「勿論よ。世界で一番価値のある宝くじをね。」

支部長の女性は気を許すと一連の出来事を話した。

「そうですか、ようやく見つかりましたか。」

「東からの報告の時点では見間違いだろうと思ってたの。でも写真を照らし合わせたら本人だって…。」

「それは嬉しい限りですね。何しろ現在地の事件で行方不明になっていましたから余計に心配してましたからね。」


二人の警察幹部はこの知らせに胸を踊らせるばかりだ。

あの子供はただの子供では無い。

自分達の一番身近な人間の血を引いた子供だ。

突然行方を眩ましてしまったがやっと居所を掴むのに成功したのだ。

「上にはなんと?」

「まだ報告はしてないの。でもきっと喜ぶわね、涙流して。」

「そうですね。」


女性はスーツの襟を直す仕草を見せながら先程本部長の男が歩いてきた廊下を逆に進む。

「…どう対応するのですか?早急に保護しますか?」

「まだ早いわ。今引き離しても何が起きるか分からないしね。」

それではと女性はその場から立ち去った。

一人残された男性は顎に指を置いて微笑む。

「保護せずに要監視…か。」

何も起きなければ良いなと唱えながら男も反対の通路を進んでいった。


【2】


雨というのは前触れも無く降ってくる。

ポツポツと数滴の雫が地面を濡らしたかと思えばあっという間にどしゃ降りになる。

近頃の雨は「ゲリラ豪雨」と呼ばれ、あまりの水量に川の水が溢れたりマンホールの蓋が水圧で持ち上げられたりとロクな目にならなくなっている。

こんな雨の日は外へ出歩くのさえ自殺行為に等しかった。


大粒の雫がバラバラと屋根や窓ガラスに叩き付けられる。

今にも家屋が壊れるんじゃ無いかと疑う程の猛烈な雨は旅人にとっては厄介者だ。

下手に歩けば視界は悪く、足元も危ういので雨が上がるまで足止めを喰らうからだ。

マナは雨音をBGMにしてコテージの机で何やら作業していた。

机の上には白い布や鋏やタコ糸が出されている。

丸めた紙を布の上に置き、キャンディの包装紙のように包むとタコ糸でギュウギュウに縛る。

表面に皺が無いのを確認するとサインペンで目と口を描く。

「ねぇ見て!出来たよ!」

白くて丸い顔には太陽みたいに微笑むニコちゃんマークが描かれている。

「ほぉ、良く作ったな。」

「うん。これなら絶対雨止んでくれるよ。」


賑やかになるリビングスペースの端でエルザは管理人宿舎に電話をしていた。

雨で今日の出発は見送る事と明日以降の天気の確認の為だ。

「…そうですか、ありがとうございます。」

壁に掛けられた白い内線電話のフックを受話器に戻す音が乱暴に聞こえる。

「この雨今日一杯だって。明日は晴れそうよ。」

「その分地面グッチャグチャだろうな。走り辛いから嫌なんだが。」

ケビンはマナから受け取ったてるてる坊主を窓枠まで運ぶ。

首の紐の先端を枠の上の壁に押し付け、落ちないようにテープで固定する。

てるてる坊主は雨粒で濡れる窓を凝視しながらブラブラと揺れた。

ケビンは窓の外を見ながら何か思い詰めた表情になる。

《あの日も…こんな天気だったな。》


―家族が死んだあの日。

街を飲み込んだ大火は突然降り注いだ激しい雨が掻き消してくれた。

その雨に打たれながら絶望に立たされた自分の姿も…。

自分はあれから雨にすら嫌悪感を抱くようになっていた。

でも今は何故か…いつもみたいに胸がモヤモヤしない。

それにマナと会ってからあの日の夢も見なくなっていた。

本当に不思議な事ばかり続いていた。

《なんでだろうな…マリア。》

ワイシャツの上からリングとロケットを握り締める。

でも彼女に聞いても笑いながら「さぁね。」と誤魔化して終わりだろう。


「ケビン…どうしたの?」

マナがズボンの生地を掴みながら自分を見上げてくる。

ケビンはそのまま無言で手を頭に乗せた。

いつもと変わらない仕草だがやけに手が冷たい。

マナはそう感じて両手を伸ばす。

「ん?抱っこか?」

コクンコクンと頷くのを見てケビンは慣れた仕草でマナを抱えた。

そこから胸元に耳を当てるとジンワリと熱を感じてくる。

―それならどうして手だけ異様に冷たいんだろう?


でもそこから先は恐くて言えなかった。

言えば多分…また悲しい思い出を蘇らせてしまうだろうから。

対してケビンは背中を摩りながらかじかんだ手が温かくなるのを実感していた。

自分よりもずっと小さい体なのに…湯たんぽ入りの抱き枕を持ってるように心地良いのだ。

彼もまた、マナが隣にいる時が一番落ち着くのを不思議がっていた。

益々分からなくなるなと考えていたら自分の背中に圧迫感を感じた。

「随分思い込んでるようね。」

「…いきなり背後から不意打ちは止めろ。」


エルザが腕組みしながら自分の横に立って外を見つめる。

雨で湿気が多いせいか、いつにも増して髪の毛に艶が無いのが若干気になった。

「ケビンってさ、夕日が嫌いで雨も嫌いとか好き嫌い多いわね。」

「…なんで知ってるんだ?」

「そうやってマナに話してるとこジャッキーが盗み聞きしてたって。だから教えてくれたわ。」

心の中であの野郎と呟きながらケビンは踊り子の背中に右腕を回して引き寄せる。

「別に嫌いってレベルじゃないんだ。単に一人で見るのが辛いだけだ。」

「でも結局は嫌いって事なんでしょ?トラウマを抉られる意味では。」


生意気な答えに腹が立ってこの腕へし折ってやろうかと本気で殺意を巡らせた。

でも当然ながら出来ないのも情けない所だ。

どうにもマリアと面影を重ねて下手に手出しすると返り討ちに合いそうだからだ。

「それだとお日様も大嫌いとか言いたそうね。実際どうなの?」

「…まぁ九割は当たってるな。俺はとにかく目に付く物が全部嫌いになるんだ。」

無駄な脂肪も筋肉も無い細い背中に痛みが走る。

引っ掻いて血が出そうな位に右手が一点を握り締める。

「じゃあさ…人間は?」

「ん?」

「目の前の人間すらも異物に見えるの?貴方の瞳は?」


エルザの左手が一回り大きな自分の右腕を掴んで強引に引き剥がした。

そこから逃がさないとばかりに自分と彼の顔を向かい合わせにする。

「人間も嫌いになるなんて普通では考えられないわ。まさか本気とかじゃ無いわよね?」

「…当たり前だろ。」

空いた右手が踊り子の頬を撫でる。

「それだったらマナの事も最初から切り捨てたし…お前やジャッキーもボロボロにしてたさ。」

「…。」

「確かに俺は誰かと一緒にいるのを恐れて…今までずっと一人だった。でもマナと会えてから…お前らと過ごすようになってから自分の中で何かが変わったんだ。無意識でも良いから守ってあげたいって、そう考えると恐怖を感じなくなっていったんだ。」


知らない間にマナはケビンに抱かれた姿勢でうたた寝していた。

その小さな小さな両手は自分の胸元で組まれている。

「ヒカルも…死んだ息子もマナとそっくりな甘えん坊でさ。自然とアイツとマナを重ねて…放っておけないんだ。だから一緒にいてあげようって決めたんだ。」

「…やっぱりロリコンなのね貴方。」

と、怒鳴る前に人差し指を唇に当てる。

「でもただの独裁者ってな訳じゃないようね。安心したわ。」

「…どこに安心する要素があるんだ?」


【3】


変に首を傾げていたら目の前の女性は笑いながら接吻してきた。

前触れの無い突然のキスにケビンは思わず足を一歩引いた。

「お、おい!」

「いつもやられっぱなしだと思ったら大間違いよ。私にも主導権ってのがあるんだからね。」

ウフフフと笑う笑顔は悪魔の囁きみたいに若干不気味だ。

でもストレートに伝えるとグーパンチが飛んできそうなのでそこは喉の奥に飲み込む。


本当に油断出来ないなと呟いたら窓から稲光りが見え、瞬時にゴガァァンと大きな音がした。

近くに雷が落ちた音だ。

地震かと間違えそうな轟音に熟睡していたマナがキャッと唸ってブルブル震え出す。

「大丈夫よ。今のは雷で爆発じゃないから。」

見かねたエルザがケビンからマナをバトンタッチしてあやす。

この年頃の子供は「雷様におへそを取られる」と素直に信じる頃合いだ。

でもマナの場合はそれ以前の問題だろう。

「今の雷かなり近いわね。電柱とかあったら大変だったわ。」

「まぁ火事になったらジャッキー使って消火すれば良い話だしさ。」

「ぶわぁっくしょい!」


冗談混じりの呟きに帰ってきたのはライブハウスのスピーカーから流れる音量レベルのくしゃみ。

えっ!?と思って振り向くと上半身裸でずぶ濡れのヘタレ男が濡れたコートを絞っていた。

「ジ、ジャッキー!?お前いつの間に!?」

「てか朝からいないけど何処行ってたの!?」

「この近くに川があるって聞いて水浴びしてたんだ。天気も良いし喧しい子供は居ないし気持ち良かったぜぇ~。」

二人はポカーンとするしかない。

何故にこんな豪雨の中で水浴びなどするのか?

確かに水のスキル使い故に雨に打たれるのは平気かもしれないが非常識にも程があった。

「でもそしたら雷落ちてさ、慌てて戻ってきた訳よ。そしたら何旦那?恋ドラじゃ飽きたらずに今度は家族ドラマのシチュエーション?やってくれるじゃんかよ~!そんじゃ俺様は姫のお兄様役でって…」

「「ゴルァアア!」」


―僅か二秒の間にジャッキーは床に間接キスをする羽目になっていた。

でも直ぐに起き上がってバスタオルで全身を包む。

「にしても寒いなぁ~。暖炉に火付けてくれよ。」

「お前は冷蔵庫の中で温まってろバ~カ。」

自分の足にしがみつく相棒を振り払ってケビンはタオルの山をぶちまけた。

「それより良く体拭いときな、風邪引くぞ。」

「大丈夫よケビン、馬鹿は風邪引かないって昔から言われてるから。」

エルザはキッチンに移動してポットを火に掛ける。

「てかなんで水浴びなんか行ってたんだ?朝から土砂降りだろ?」

「…本当は様子を見に行ってただけなんだ。日の出の前に目が覚めて…旦那達起こすと悪いから散歩でもしようかなって外出たら管理人と会ってさ、そしたらこの近くの河川で魚を見かけなくなったって言ったんだ。」


タオルに顔を埋めるようにうずくまる男の髪を拭く手がピタリと止まる。

「今ニュースで話題になってるんだよ。魚の水揚げ量がこの半年で激減してるって。海の魚が川に昇る前に何らかの要因で姿を消してるんだとさ。」

「…本当かそれ?」

「実際に川や海に釣りに行って引っ掛かるのが小魚ばっかりだとよ。多分鮫の類いが迷い込んで食い荒らしてるんじゃないかとも言われてんだ。」

シュンシュンとポットの注ぎ口から白い湯気が昇って真上の換気扇に吸い込まれる。

エルザはポットを火から離すと沸騰したお湯を四人分のカップに注いだ。

香ばしい香りが鼻に吸い込まれる。

「そういえば…スーパーの売り場でも最近鮮魚類が異常に値上げしてるわね。切り身のパックも馬鹿高いから誰も買わないんだって。」

「でもそれだと漁師のおっちゃんとか困窮するだろ?それだけ捕れないって事か?」


自分はテレビやラジオは聴かないので知らなかったが深刻な問題らしい。

確かに人間は生魚を好んで食べる事が多い。

寿司もそうだが居酒屋の看板メニューである刺し身にも目をルンルンさせて自然と箸を伸ばす。

ならば困るのは漁業関係者だけではない。

スーパーもそうだが飲食店にも酷いダメージを負っていた。

「でも急に水揚げされなくなるとか可笑しな話ね。海水の温度が上がってるのは分かるけどそこまでって程でも無いだろうし…。」

コーティングされた檜のテーブルにコーヒーを入れた白いマグカップが四個置かれる。

因みにマナは苦いのが駄目なのでミルクたっぷりのココアにしておいた。

「まぁ俺様達には関係無い話題だけどな…でも寿司が食えなくなるのはちょいと御免だ。なぁ旦那?」


話題を振られたケビンは熱いコーヒーをブラックのまま一口啜る。

「…まだそれ熱いのに。」

「気にするな。俺口の中も普通の人間より体温が高めなんだ。でもやっぱり熱いな…。」

ほら言わんこっちゃ無いと周りに呟かれるのも気にせずに無象座に置かれたガイドブックを広げる。

「どうしたの旦那?」

「前さ、ガソリン入れに行く途中で立ち寄った牧場の跡地…覚えてるか?」

ジャッキーはあぁと頷いて思い出す。

確か自分が人命救助で火事に巻き込まれ…何よりエルザと出会うキッカケともなったあの場所だ。

「そこの家主のおばちゃんが教えてくれたんだ。自分トコの動物が変な団体に盗まれたって。」

そうだったなぁと相棒が呟くのを待たずにケビンは続けた。

「俺も風の噂でしか知らないんだが…ミステシアの内部には研究開発班って部署が設けられてて…そこの人間が各地から盗んできた動物を殺戮兵器として改造しているらしんだ。」


カタカタとコーヒーの黒い水面が揺れる。

まるで良くない事が起きそうなのを伝えるように。

「家畜だけじゃねぇ。動物園や水族館の動物、野良犬や野良猫、野生の猿に熊に鹿に蛇、挙げ句の果てには学校で飼育される兎やらハムスターやら鶏やら亀やらもあちこちから強奪して人体実験してるそうだ。」

ジャッキーは生唾を飲み込みながら言葉を失う。

そこから先の会話が…自分には分かるからだ。

「じゃあ…あのおばちゃんが育ててた動物達もか?」

「可能性としては充分ある。俺も実物は見た事無いが…水族館も襲ってるなら鮫や海亀が容易に入手出来る。それを被検体として改造していれば…」

「いかに優れているか見極める為に海に放した…って所ね。」


エルザがケビンに変わって話に区切りを付けた。

噂とはとても思えない程に後味の悪い話だと額を押さえる。

「もしその改造された動物が魚を食い荒らしてるなら…点と点が結ばないと思わないか?」

ここでジャッキーもようやく何を言っているのかに気付いた。

これは自分達の命に関わる話だと。

「まさか旦那…調べに行くんじゃ?」

「正解だ。ここから更に北へ行くとマリンウェスって大きな港町がある。そこで探そうと思ってな。」

言いながらガイドブックに赤いマーカーで丸印を付けた場所を指で指す。

マリンウェスには巨大な卸売市場があるのでそこで不漁の話も聞こうという算段だ。

「でも命が惜しいならここに残れ。俺一人で確かめに行くからさ。」


【4】


ガイドブックを閉じてケビンは椅子から立ち上がった。

するとマナが待ってと叫んでしがみつく。

「マナも一緒に行く!」

「良いのか?デッカい鮫に食われるかもしれないんだぞ?」

冗談では無く本気で止めようとするもマナは首を横に振った。

「鮫よりドラの方が恐いから平気だよ。」

「あらあら、アンタよりバディの方がよっぽど好かれてるわね。」

エルザがマナの背後にしゃがんで頭を撫でる。

その視線はジャッキーに向けたままだ。

「てか誰が残るなんて言ったのよ?アンタ一人だと何が起きるか分からないから余計に心配になるわよ。」

「ご丁寧にどうも…って、付いてく気マンマンかよ?」


当たり前でしょと急に踊り子は腰に手を当てて仁王立ちした。

「確かに警察に追われるのは嫌だけどさ…でも今の話聞いて無性に腹が立ったの。私そういう汚いやり方する連中が一番嫌いだしさ。」

「そうか…好きにしな。」

椅子の背もたれに掛けた上着を羽織りながらケビンは相棒に振り向く。

「で、お前はどうなんだ?」

ジャッキーは俯いたままだが握られた拳は震えて何か言いたそうだ。

暫く間を置いて彼も顔を上げる。

「勿論俺様も行くさ。こんな所で留守番するなんて言ったら相棒としての恥だしな。」

彼の返答にケビンは口元を吊り上げる。

お前ならきっとそう答える筈だと最初から予知していたかのように。

「なら決定だな。でも今日は雨が酷いから明日朝一で出発だ。」

「良いわよ。こんな天気だと濡れるだけだしね。」


生温くなったコーヒーを飲み干してカップを片付けようとした時、マナが机に乗るように両手を乗せてきた。

「ねぇねぇママ。」

「なぁに?」

「ママもてるてる坊主作って吊して~。そうすればきっと晴れるよ!」

雨水が垂直に流れる窓を見つめるマナのてるてる坊主。

静かにブラブラしているそれはなんだか寂しそうに見える。

それならもっと作った方が良いとマナは訴えていた。

「そうね、じゃあ作ってあげる。」

「本当に!?やったぁ~!」

「じゃあアンタらも手伝ってね。」

「「えっ!?」」


なんで自分らもと男達が騒ぐ前にエルザはニコニコしながら顔を寄せる。

「や・る・わ・よ・ね?」

「「…ハイ。」」

宜しいと顎を引いてエルザは早速作業に取り掛かった。

マナはどうして二人が彼女に怯えているのか理解していないようだ。

「どうしたのケビン?」

「マナ…お前とんでもない奴を母親に選んじまったな。」

「…???」

何か分からずに首を傾げるマナを余所に三人はてるてる坊主を作る。

ちゃんと顔も描いてだ。

そこはマナのと被らないようにそれぞれ違う顔に仕立てる。

「なんでドヤ顔にするんだよ。余計に恐いぞ。」

「アンタこそなんでドン引きしてる顔なのよ。可愛く無いわね。」

「…グスン…姫…助けて…。」


ようやく完成した三個のてるてる坊主。

勝ち誇った喜びの顔に筋肉が引き攣る程に驚く顔、何かに怯えて啜り泣く顔。

三者三様のてるてる坊主が窓枠の上に吊るされる。

「あら、マナのてるてる坊主が一段と嬉しそうになってるわね。」

「本当に?」

「あぁ。友達が出来て喜んでるな。」

さっきまで寂しそうな背中がなんだか明るく見える。

自分達の気遣いが伝わったのか、一際ニコニコしていそうだ。

「これならお天気になりそうね。」

「うん!絶対なるよ!」


マナは窓の前で爪先立ちになるとてるてる坊主の傘の部分に手を伸ばした。

届きそうで届かない姿勢だが彼女は気にせずに口を開いた。

「てるてる坊主~てる坊主~あ~した天気にしておくれ~。」

―見つめるケビンの瞳に光が走った。

マナが歌っている…てるてる坊主の歌に聞き覚えがあったからだ。

―蘇ってくるのは懐かしい思い出。

今日みたいなどんよりした曇り空を眺めながら溜め息を付いていたらそっと声を掛けられた。

―『そうやって溜め息ばかり付いてたら幸せが逃げるわよ。』

自分の背後に座っているのは若い女性だ。

銀色を帯びた雪色のショートヘアにどこまでも澄んだサファイア色の瞳の女性。

自分が生涯で何よりも愛した…大切な人が。

―『だってよ~、この天気だと絶対雨になるりそうじゃんかよ~。折角家族揃って初めてのピクニックだってよによ…最悪だな。』


瞳を閉じて静かに微笑む妻はてるてる坊主を作って立ち上がる。

机の直ぐ傍に置かれた赤ちゃん用の椅子にはその時八か月を迎えたばかりの息子がちょこんと座ってニコニコ笑っている。

―『ほら、これ作ったからきっと晴れるわよ。』

カーテンレールの端に白い物体を吊るす。

太陽みたいに微笑むてるてる坊主の顔は厚い雲に覆われた外を眺めてブラブラ揺れる。

―『こんなんで効くのか?』

―『全くロマンが無い人ね。大丈夫よ、私のてるてる坊主は世界一なんだから。』

やけに自信満々にマリアは宣言してよいしょと息子を抱き抱えた。

―『てるてる坊主~てる坊主~あ~した天気にしておくれ~。』


子守唄のように歌うとヒカルは歌詞が分からずにキョトンとするばかりだ。

それでもマリアは背中をトントンしながら更に歌った。

―『それでも曇って泣いてたら~そなたの首をチョンと切るぞ~。』

歌い終わるとヒカルは何が面白かったのか、キャッキャッと笑う。

そんな二人微笑みながら見守る自分も…そこにいた。

そしてマリアの思惑通りに次の日は奇跡的な快晴で…てるてる坊主を侮った自分を殴りたくなって程だ。

以来家族三人で外出する日の前日、マリアは必ずてるてる坊主を作ってぶら下げていた。

そしてヒカルに教えるようにあの歌を歌っていたのだ。

そうすると必ず空は晴れて太陽が顔を出してくれていた。


改めて聞いてみると酷い歌詞だと思う反面、自分に当てはまる歌だと自覚する。

自分はこの雨を止ませるてるてる坊主だが…それなのに太陽を隠して泣いている。

マリアがそんな自分を見て首をチョンと切りに行く光景が…無意識に浮かんできた。

マナが自分の内心を知り、慰めるように歌っているのだとしたら…。

急に胸の奥がザワザワしてケビンはマナを背後から抱き締めた。

「わぁ!ケビンってばビックリさせないでよ!」

スマンスマンと小声で謝りながら小さな体を持ち上げ、てるてる坊主に触れる。

「きっと晴れてくれるさ。どんなに酷い雨でも…必ず上がって虹が見えるからな。」

「うん!マナもそう思うよ!」

「全く隠すのが下手なんだから…。」

「まぁまぁ姐さん、そう言わずに。」


―もう二度と太陽を隠したりしない。

必ずこの雨を止ませて虹を見るんだ。

あの歌の通りにならないように…いや、そうならせないように。

四個のてるてる坊主は雨で濡れる窓に向いてまた静かに揺れ始めるのであった。


【5】


嵐が去った海ほど恐ろしい自然の姿は無い。

波は荒れ狂い、カモメは飛ぶのを恐れ、漁師は船を出さない。

端正込めた育てた牡蠣やウニが流させるのは残念だが命には変えられず自然には逆らえない。

でもそんな彼らは今、荒波よりも恐ろしい物に怯えていた。

姿も無く近寄り、海に生きる魚を容赦なく食い荒らすモンスターの存在に頭を悩ませていた。


大雨から一夜が明け、漁師達は船着き場に密集していた。

一隻の船の網が引き揚げられ、中の獲物に全員がギョッとする。

そこにはとても新鮮ピチピチとは思えない桁外れの…魚の死骸が大量に引っ掛かっていた。

一回噛まれただけで体の半分を食われていたり、身が殆ど削られて骨だけになっているのも多い。

清純な青色の捕獲網は魚達の血液でドス黒い赤色に染まっていた。

防臭剤ですら無効になるんじゃないかレベルの酷い悪臭と血の臭いが潮風に乗って市場へと運ばれる。

「オェ…なんてザマだよこりゃあ…。」

「こんなになるなんて初めてだな…。」


人々が吐き気を催す悲惨な光景に立ち尽くしていたら海の方から別の船が走ってきた。

船着き場に到着すると乗船していた男性が黄色い大きなバケツを仲間に見せる。

「わぁあ…コッチも酷いな…。」

口々に語る視線はバケツの中に向けられる。

底が血と砂に覆われたバケツには海底の岩かと見間違う程の大きめの牡蠣が入れられている。

だがその姿は見るも無惨だった。

牡蠣も魚と同じであちこち食べられていた。

殻の一部が噛み砕かれていたり、身も殻も食われて破片だけのもある。

専用の道具が無いと開けられない牡蠣の殻がスナック菓子みたいに砕かれるなど余程の事態である。


養殖物も天然物も食い荒らされて既に港町は機能を失っていた。

当然ながらこんなのは市場には出せない。

自分等で処分するしか道は残されていなかった。

もう廃業するしかないと数人が船着き場から卸売りのエリアへと戻った時だ。

「もう売り物なんて無いんだ。諦めて帰ってくれ。」

業者の一人が空の木箱を片付けながら誰かと話している。

散らばった箱の前には港には不釣り合いなスーツの男が立っている。

「話は聞いている、なんか変な生物が来て海が荒れてるんだってな。」

「…知っててじゃあなんで来たんだ?」

「詳しく聞かせてほしいんだ。なんでも良いから教えてくれ。」


話を聞く限りでは彼らは買い物にきた様子ではない。

男の回りには赤いコートを羽織った同い年位の男性に銀髪をポニーテールに纏めた若い女性、更には小さな子供までいる。

家族とは思えないしかと言って兄弟とも見えない不思議な軍団だ。

「おいそこの兄ちゃん、なんでこんな所に来たんだ?」

「俺らは売り物が無いんだ。揺すりとかなら警察呼ぶぞ。」

ザワザワと町の人間の大半が集まってくる。

男の足元にいるツインテールの子供が泣きそうな顔でしがみついてくる。

「待ってくれ、俺達は脅しに来た訳じゃ無いんだ。今この場所で何が起きてるのかを確かめに来たんだ。」


子供を宥めながら男はサングラスを外す。

その下から現れたのは中年の漁師すら惚れそうな美形の男だ。

スラリと整った鼻先がピクピクと震え、男はその方角へと足を早める。

他の三人も止めずに後に続いた。

「あっ!駄目だって!」

慌てて止めるも既に遅し、四人はこの騒動の被害者と対面していた。

「うわぁ…惨いな。」

「これはちょっとヤバそうね。」

「…なんか可哀相。」

血の臭いに口元を塞ぎながら目線は網に釘付けになっている。

その瞳は漁師を哀れみなどせず…この残骸に対して熱烈な怒りと悲しみを帯びている瞳だ。

「これ…ついさっき引き揚げたって感じだな。食べられ位からすると…夜中に襲撃されたみたいだな。」


網の持ち主は恐る恐る四人に忍び寄る。

突然の訪問者なのに…なんだか頼もしさを感じたからだ。

「兄ちゃん方、旅人さんかい?」

「まぁな、言っとくけど冷やかしはしねぇよ。寿司ならあと半年我慢してやるから。」

ケビンは網に付着した血を人差し指に塗って臭いを確認している。

魚特有の生臭さと甘ったるい鉄錆の混じった…あまり嗅ぎたくはない臭いに喉の奥がヒリヒリする。

初老の男は帽子を取って握り締めた。

「兄ちゃん…本当に頼み聞いてくれるのか?」

「…。」

「アンタらが怪しい人間じゃないのは分かったさ。罪滅ぼしじゃねぇけど…力貸してくれ!お願いだ!」

大声を上げながら男性はその場で土下座してきた。

周りの仲間は驚いて一言も発せられない。

「このままじゃ俺達生活普通の生活が出来なくなるんだ!頼む!アイツを何とかしてくれ!」


必死に土下座する背中からは言いようのない悲しみが伝わってくる。

この海を支配された事への憤りか、それとも生活を奪われた事への憎しみか。

どちらにしてもここで手を打たないといけない感が伺える。

「…言っとくが報酬なんかは要求しないからな。それでも信じないなら政府でも警察にでも縋れば良い。」

「も、勿論だ!こんな優しい人を警察になんか突き出す訳無いだろ!」

だから頼むと懇願する男にようやくケビンも依頼を受けると決めた。


【6】


マリンウェスの港から東の方角、市場を過ぎて少し歩いた場所は遊泳のスペースが設けられている。

暑い日等に家族連れやカップルで賑わう海水浴場の入り口にはロープが張られ《立ち入り禁止》の札が掛けられている。

「アイツが最初に現れたのは一年ちょっと前の夏だった。急にあそこの砂浜まで泳いできて…警察やら救急やらも呼んで皆パニックになったんだ。」

ザザーッと押しては返す波の音だけが無人の海水浴場に響く。

「幸い怪我人は出なかったんだが…以降もこの近辺に度々姿を見せるからって…そのまま危険だからって一時的に閉鎖されたんだ。」

「…姿は?」

「いや、その時は背ビレしか見えなくてな…そのままなら大型じゃないと信じて浮かれてたんだ。」


その時も偶然だったかもしれない。

もし陸まで上がって暴れてたら今頃ニュースで取り上げられている筈だ。

「同じ頃なんだ…俺らの仕事を台無しにするようになったのは。最初に現れた次の日には今日みたいにマグロやフグの死骸が網に引っ掛かってたんだ。かと思えばここのビーチの砂浜にはアザラシが死んだ状態で打ち上げれたんだ。横っ腹を食いちぎられてな…。」

「ア、アザラシ!?アザラシまで食うのかよ!?」

ヒャ~とジャッキーが小さな悲鳴を上げる横でケビンは何か思いつめた顔になる。

「その分だと相当デカイな…差し詰めホホジロザメってあたりか。」

「他の仲間もそう考えてるさ。だから俺達はソイツに“ジョーズ”って名前を付けたんだ。姿を見せたらどんなに恐ろしいかを分からせる為にな。もし本当に陸に上がったら…あの港も閉鎖するしかないって話まで出てるんだ。」


あれだけ大きな港や市場が閉鎖されると当然ながら流通にも影響する。

何しろ鮮魚類は家庭の大切な主食だ。

飲食業に与えるダメージも相当だろう。

でも問題はまだある。

魚類への被害は他の港町でも起きているに違いない。

今の段階で被害がどれだけ拡大しているのかも知りたかった。

「他は…?」

「えっ?」

「ここ以外にも大きな港は点在してるだろ。他の所でも同じ現象が起きているのか?」

「漁師仲間のネットワークだとな…。」

何しろアザラシが打ち上げられる位だ。

公に公表されても致し方ない事態になっているのだ。

「それとな…。」

「ん?」

「ああやって死骸が打ち上げられるのは…大抵前の日に大雨が降ったり風が強かったりすると必ず起きるんだ。ほら、昨日も酷い雨だったろ。だから俺ら来るんじゃないかって予測してたんだ。」


―雨と風。

そこでケビンは頭の中の電球を光らせた。

ハッタリかもしれないが…とにかく何かが閃いた。

「…その様子だと何か掴めたみたいね。」

エルザがハハ~ンと唸りながら腕組みして自分を見上げてくる。

「で?ヒントは分かったの?」

「…ある程度はな。もし正解ならそのジョーズ様とやらは…自然の生き物じゃない可能性がある。」

自分を除く周りが一斉にえっ?と首を捻る。

「普通の鮫じゃないって事かい?」

「考えてみろ。天気が荒れた次の日に死骸が上がるなんて…計画的過ぎると思わないか?普通ならそんな現象はまず起きない筈…なのになんで起きているかだ。」

―確かに。

何故一連の騒動の主犯は悪天候を狙っているのか?

そこが一番の謎になっている。

なのに漁師達は自分の仕事やら町やらで頭が一杯になってそこに確信を付く暇を持っていなかった。


ケビンは先程網に触れて付着した指の血をもう一度嗅ぐ。

「川や海といった水の資源がある所は…雨風で荒れやすい特色がある。これは俺の予想だが…もし雨風で潮の流れが急変して…そこで泳ぐ魚が流されるのを知っているなら」

「…!そのタイミングで誰かがジョーズを放し飼いにしてるってかい!?」

ホホジロザメの放し飼いなど狂暴な上に危険過ぎて普通なら出来る真似では無い。

なら考えられるのはそう、“普通”では無くなった鮫を産み出した“普通”ではない人間の存在があると。

「悪天候で流された魚をたらふく食べさせ…次に嵐が来る日まで絶食させたなら奴さんはかなりストレスが貯まる。そのストレスを解消すべきと自分の視界に入った獲物は何であろうが食らい尽くす…とまぁ、こんな所か。」


まるで探偵みたいな的確な推理力と計算能力に男性は呆然としながら拍手を送る。

一方で彼の仲間は頼もしいと思いつつ心配そうに見守る。

その次に告げる言葉が何なのかが…予測して。

「ケビン…冗談じゃなくて本気で仕留める気?」

「…それ以外に言う事なんか無いだろ。」

「姐さん無駄だよ。旦那がこんな展開になると俺様でも止められなくなるから。」

マナの次に付き合いの長いジャッキーはエルザを咎めつつケビンに驚きを見せる。

この短時間で、しかも数少ない情報から獲物の正体を見抜く洞察力…スキル使いとは違った才能をケビンは持っていると。

《やっぱり旦那は普通の人間じゃないな…アンタ…一体何者なんだ…?》


でも根掘り葉掘り聞くのは性に合わないとそこまでは踏み込まずに帽子を目深に被り直す。

「でも旦那、仕留めるにしても居場所が分からないと無茶ぶり過ぎないか?」

「その心配はない。奴はまだ…この近くを泳いでるさ。」

案内の男性が青ざめて慌てる。

「本当か兄ちゃん!?なら逃げた方がいいんじゃ…!」

「それが手っ取り早いな。直ぐに港から人を遠ざけろ。勿論アンタもな。」

それを言うと男性は唇を真一文字に閉じて頭を下げた。

「いや、俺も調べに行くさ。俺が船を出すから兄ちゃん達はそれに乗ってくれ。」

「おいおいオジサン、俺様達海釣りに行く訳じゃないんだぜ。下手したら帰って来れなくなるぞ。」

「構わんさ。俺はこの町を代表してこの目で確かめたいんだ。それなら死んでも平気だ。」


ケビンは肩の荷を下ろしてその場を離れる。

エルザはマナの手を握って後に続き、ジャッキーも二人の背中を追う。

男は海水浴場をもう一度見つめて市場へと向かう。

無人の海は穏やかに波打っているが…その中には異様な黒い影が確かにあった。

魚の減った海中でギラリと光る眼光が雨上がりの太陽に反射し…より恐怖を増しているなど人々は知る由も無かった。


【7】


港へ戻ると男性は直ぐに仲間に事情を説明し、出航の準備を進めていた。

その間にケビンは仕事道具のバケツを借りて海水を組み上げては何度もコンテナに流し入れている。

「一体何やってるの?」

「さっき言ったろ、標的はまだこの近くを泳いでるって。その証拠を見せてやるんだ。」

コンテナの半分まで海水を貯めると全員に見てくれと促す。

「なんか…ちょっと赤っぽいねこの水。」

「確かに…これもしかして血の類いか?」


白いコンテナなので海水に混ざったゴミがハッキリと目に見えている。

目を凝らすとそれは銀色の鱗だったり牡蠣の殻の破片だったりだが海水にも微妙に赤色が混じっている。

紛れもない獲物にされた魚の血だ。

「襲われて大分経つならとっくに流されている、でもこの状態だとまだ時間は経ってないだろ?」

「そうね…なら余程危ないリスクもある訳ね。」

危険度の高さを再認識していたら後ろの方でうわぁと悲鳴が聞こえた。

「おい今度はなんだ?」

「皆来てくれ!とんてもない物が引っ掛かったぞ!」


若い漁師が網を片手に手を振って仲間を集める。

ケビンらも率先して向かうとそこには信じられない犠牲者がいた。

鋭く尖ったヒレ、分厚い舌、ノコギリ状の牙。

大きな舌を出して朽ち果てているそれは…鮫だ。

水族館で飼育されている大きさの鮫は…非常にも首の皮一枚で繋がっている。

つまりその皮の下から全てを一噛みで食われていた。

強い力を入れたら切れるんじゃないかという状態に全員が身震いした。

それ程の狂暴性は勿論、噛む力も顎のサイズも段違いなのを意味しているのだ。

「おいおい…遂に共食いかよ。」

「もう酷いってレベルじゃ無いわね。」


声もなく眺めるケビンの横でマナは鮫のエラの近くに手を置いた。

手の回りから蛍の光のようなピンク色のオーラが広がって噛まれた箇所を包んでいく。

でも鮫は目覚めず、大きな傷も再生しない。

生命力に満ちた花のスキルと言えども…失われた命を蘇生させる事は不可能だった。

「マナ、そこまでにしときな。やたらに使うと直ぐに倒れるだろ。」

ケビンが優しく怒りに満ちた声で白い小さな手を鮫肌から引き離す。

身動き一つしない目の前の生物を前にマナはふとポロポロと涙を零した。

「大丈夫だ。お前のその優しさは…充分コイツに伝わったからな。後で丁重に弔ってやるよ。」


泣き出したマナを抱いてケビンは立ち上がり、用意された船へと向かう。

他の二人もそれに続く。

船の手配をしてくれた漁師の男は無言で待ってくれていた。

その表情からは…何が起きたのかを知り尽くしている風にも見える。

「出してくれ…時間が無い。」

「あぁ…。」

ケビンはあからさまに不穏な空気を悟っていた。

あの襲われ位からして…標的はもう目の前まで来ていると。

早く仕留めないと今度こそ人間の犠牲者が出てしまうと危惧していた。


男性は操縦室へ一度入るとオレンジ色のベストの様な物を引っ張り出して渡してくれた。

「救命胴衣だ。万が一って場合もあるから身に着けておいてくれ。」

「ありがとな…恩に着るよ。」

ブゥオオオと船のエンジンが始動して船体が微かに横揺れする。

船長が操縦桿を微調整していたら待ってくれと数人が走ってきた。

「見直したよ兄ちゃん、俺らにも手伝わせてくれ。」

「これ以上好き勝手されては御免だ。」

「なぁ、なんか道具が必要なら準備してやるよ。」


先程までの手の平返しと言った所か。

男達は我先にと手を伸ばしてくる。

ケビンは救命胴衣を被ろうとした手を止めて振り向いた。

「何でも…頼んで良いんだな?」

「勿論さ!」

「じゃあな…。」

上空の太陽を眺めてふと勝ち誇ったように笑った。

「あるモノを…用意してくれないか?」


【8】


陸の船着き場から一隻の漁船が猛スピードで海上を走る。

目的地は陸から三キロ離れた黄色いウキが何個も浮かぶ海面。

そこは牡蠣の養殖スポットであり、宿敵ジョーズの格好の餌場だ。

「しっかしよ兄ちゃん、本当に奴は来るのか?」

「これだけ充満した臭いなら引き寄せられるさ。でも出たら直ぐに出してくれ。この船ごとお陀仏になるからな。」


ケビン達は安全の為に救命胴衣を装着して船室に座っている。

激しく揺れる船内には青い大きなバケツが持ち込まれていた。

中を覗くと今朝打ち上げられた魚の死骸が海水で浸けられている。

死骸から滲み出る血液で水は赤く染まり、鉄錆の臭いが船内に広まる。

「ウゥ…くさやの干物押し付けられたのより酷いわね。」

「オェ…気持ち悪ッ…。」

「ウプッ…洗面器ある?」

既に腐食も始まっているのでバケツの中からは血の臭い+肉の腐臭で鼻がもげそうな異様な臭いを発していた。

「おいおい、吐くなら海の上で吐けよ。」

他の三人が異臭でヘロヘロになる中、何故かケビンはスカッとして船体の壁に寄り掛かっていた。

「それよりなんでアンタ平気なのよ?気持ち悪くないの?」

「俺は平気さ。血の臭いが充満する所で育ってきたからな。」


荒れ狂う波を見つめるその瞳は何処か濁っていて重い。

エルザはその言葉を聞いてどうして良いか分からなかった。

ケビンが…自分の予想を遥かに越えた生き方をしてきた事に。

「ケビン…これ臭い落ちないかな?」

「柔軟剤ぶっかけて洗濯すれば問題無いだろ。それでも駄目なら新しい服買ってやるから。」

ガタガタという振動にバケツの水面には波紋が広がり、水が零れそうで零れないように揺れる。

「旦那…本当に成功すんのか?こんな作戦で?」

「正直百パー成功するとは言えないが…何もやらないで逃げるよりはマシだろ。」


そう、ケビンの作戦はこの魚の死骸でジョーズを誘き寄せる事だ。

追加して言うならば目的は死骸の臭い…ではなくそこから流れる血で染まった海水を海に戻し、その血の臭いでジョーズを誘うのが本心だった。

―『鮫って生き物は犬や狼に似て嗅覚が鋭くてな、一万倍に薄めた血の臭いにすらも反応して泳いでくるんだ。だからコイツを利用して奴を誘って見せる。』

と、漁師達に説明して処分する間際だった魚をかき集め、こうして血の混じった海水を作っていたのだ。

ただ他の三人は早く処分してと言うばかりに口と鼻を押さえて明後日の方向を向いている。

「お~い兄ちゃん、着いたぞ。」

船がスピードを緩めて徐々に遅くなり、ケビンはバケツを両手でしっかり持つ。

「ここは小魚一匹も泳いでねぇけどよ…本当に大丈夫なのか?」

「ザーザー流せば食い付いてくるさ。そのまま停めてくれ。」


やがて船はウキを見通せる地点で停止した。

ケビンはバケツの中身を押さえながら海水を半分排出させる。

微かに血が混じった海水は海に溶け込んで流れていき、一ヶ所だけが不自然に赤く染まったポイントが生まれる。

水が減ったのでさっきと比べると収まったがやはりまだ干物みたいな臭いが漂う。

「兄ちゃんよ、臭いが取れてもそれは料理するな。帰ったら処分してくれ。」

「分かってるさ。食ったら腹壊すってレベルじゃ無いしな。」


バケツの上にビニール袋を蓋の代わりにして被せて船の隅に置く。

ドスンと音を立てて中の魚がバウンドした。

「ぷはぁ…死ぬかと思った…!」

「もういい加減にしてよね…。」

「俺様も当分寿司も干物も御免だ…。」

三人は船室から出ると一気に甲板に倒れ込んだ。

雲一つ無い青空ではカモメが優雅に飛び、波の音が静かに聞こえるばかり。

もうこのまま釣りでもしたい気分だ。

波は穏やかで正直怪しげな生き物の気配は感じられない。

「旦那…ハズレじゃねぇかこの展開って。」

「確かに何にも来ないし…もう別のエリアに逃げたんじゃない?」


しかしケビンは船底を見つめるように海面を凝視している。

「他の生き物の影が見当たらないんだ…嫌な予感がする。」

「おいおいそんな映画みたいに突然襲ってくるなんざ…」

―ドクンッ。

―「「「「……!!!」」」」

不穏なオーラを感じて四人の心臓が一斉に大きく鼓動した。

冬でもないのに背筋がゾクゾクして…冷や汗が止まらなくなってきた。

「なんなの…この胸騒ぎは?」

「分からねぇ。でも俺の中でフェニクロウが妙に怯えてるんだ。“何か来る”って」

「ドラグーンもそんな事言ってるぞ…。」

「嘘でしょ…ペガクロスが怖がってる…。」


唯一自分のビーストがいないマナは仲間の変化に目をパチクリさせるのみだ。

それでも不気味な空気を感じてエルザの二の腕を掴む。

エルザもそれを気遣い、自分も怖いのに必死にマナを慰めていた。

ケビンは二人の様子を見ながら甲板で仁王立ちの姿勢を取った。

その視線は海面…まさに船に迫る黒い影を捉えた。

「…奴だ。」


【9】


スーッと穏やかな水面に鋭い背ビレが姿を見せた。

そこで一同は驚愕した。

自分らに存在をアピールさせるように突き出した背ビレは…三本もあったからだ。

普通の鮫なら背ビレは一本の筈。

それならばもう…人工的に作り出された生物なのが丸分かりだった。

その影は血が混じった海水の溜まる箇所へ接近してくる。

背ビレから飛び散る水飛沫の大きさがそのスピードを物語っていた。

「なんだいありゃあ…!」

「出せ!沈められるぞ!」


ケビンの声に船長は慌てて船首を港の方角へ向けて舵を切った。

次の瞬間、ザバーッと噴水が巻き起こるように生き物が飛び跳ねた。

三本の背ビレ、ノコギリ状の牙、なにより普通の鮫を遥かに超えるその巨体。

まさに生物を超えた生物…怪物だ。

「あれがジョーズ…まさに海の化け物って訳か。」

ケビンは感心しながら残りの海水を船の甲板から流していく。

船に引っ張られる血の臭いを嗅ぎ取った怪物は速度を落とさずに船のスクリュー目掛けて勢い良く泳いでくる。

「兄ちゃん!本当に港へ奴を誘うのか!?下手したら皆餌にされちまうぞ!」


涙声の船長の訴えにケビンは自信ありげに答える。

「いくら改造生物とは言え鮫は鮫だ。一度陸に丘上げすれば動けなくなる、そこを仕留めるって寸法だ。」

「でもそんな真似したら兄ちゃん…手足もがれるぞ!」

だがケビンは決めていた。

自分の体を犠牲にしてでも…一般人は巻き込みたくないと。

なので命を捨てる覚悟は持っていた。

「つべこべ言う暇あるならスピード上げろ!そこまで来てるぞ!」

そう怒鳴ると同時に船体がガクっと前のめりに揺れた。

怪物の鼻先が船底を擦ったのだ。

「ケビン駄目だって!絶対に沈むよ~!」

「泣き言喚くなら生きようって唱えてろ!」

「そうだぞ姫!希望を捨てるな!(ガタガタガタガタガタガタ…。)」

「いや滅茶苦茶ビビッてる奴に説教されても意味ないでしょ!」

「しょうがないだろ~!俺様絶叫マシンの類は苦手なんだってばぁ~!」


ヒィヒィ喚く船長を他所に漫才なのか本気なのか分からないやり取りを繰り広げる客人。

そんなのもお構い無しにお目当てのジョーズは何度も船底にタックルを咬ましてくる。

このままではいつ沈められても可笑しくない。

だが幸運にも船長は港が近付いたのを確認して船を進めていく。

「コッチに来るぞ!」

若い男の指差す先には常識を覆すサイズの怪物鮫が大口開けて泳いでくる。

「あれがジョーズ…!」

「お、思ったより滅茶苦茶デケェ~!」

「皆離れろ!食べられるぞ!」


港の人々は我先にと船着き場から立ち去る。

ケビンは今だと心の中で叫ぶとバケツごと死骸を放り投げた。

思惑通りにバケツは怪物の口にスポーンと収まって硬質な咀嚼音が響く。

この隙に船は一気に船着き場の近くまで爆走した。

怪物はこの量では足りないと思ったのか、新たな餌を求めて直ぐに追い付いてくる。

やむを得ずとケビンは救命胴衣を脱ぎ捨てて船長に手を伸ばした。

「掴まれ!飛び降りるぞ!」

「えぇ!お、俺もか!」

今の状況で飛び降りるのは船を見捨てる事を意味していた。

一瞬迷うも船長は頑なに表情を変えてその手を握る。


―このタイミングで船は一気にバランスを崩し始めた。

ジョーズが遂に甲板に食らい付いてきたのだ。

「ジャッキー!」

「あぁもう分かったよ!出番だぜドラグーン!」

ジャッキーが揺れる船の床に右手を置くと青い羅針盤みたいな模様が浮かんで天井が破れた。

直ぐ様空を一周しながら青い龍が船めがけて落ちてくる。

「飛び乗れぇぇ!」

その掛け声に反応した全員が着地した龍にしがみつく。

そして胴体が離れるのと一緒に船体の後ろ半分が沈んだ。

消えた船の残骸はジョーズの口の中に収まってみるみる原型が崩れていく。


―バキンバキン…ガシャガシャ…。

生き物の咀嚼とはとても言い難い音が海面に広がる。

無機物すら平然と食べるその姿は最早自然界の生物すらで無かった。

ドラグーンは命からがら船着き場まで辿り着くと主人達を降ろしてまた海まで戻っていく。

「タナーさん大丈夫か!?」

同年代らしき仲間が腰が抜けた船長を抱き起こす。

「船は?船はどうしたんだ?」

「乗り捨てて来たさ…あの兄ちゃんに誘われてな。」

ケビンはずぶ濡れになりながら濡れた上着を絞っている。

詳細を聞いた数人が前に出てきた。

「やい!よくも巻き込んでくれたな!」

「それもタナーさんの船を囮にしたって!?」

「なんて事しやがるんだ!船が無いと俺達は暮らしていけないんだぞ!」


命を救った英雄から一変し、激しいバッシングを受けるケビン。

すると当人が何か勘違いしてると知って出てきた。

「待ってくれ皆!兄ちゃんは命の恩人なんだ!なんでそんなに悪者扱いするんだ!」

ハァハァ息切れしながらタナーと呼ばれた船長は仲間を見返す。

「確かに俺の船はジョーズの餌になっちまった。でもな、船なんていくらでも買い替えが付く物だ。対して人の命は動物と同じで一つしかない、一度失ったらどんなに借金しても買えないんだぞ?」

若い仲間があっ、と気付いて一斉に俯き、ベテラン達も頭を下げていく。

「兄ちゃんも気にしないでくれ。実はあの船…かなり老朽化してたから新しく新調する予定だったんだ。最後の最後に海に帰してくれて…ありがとな。」

「おっさん…。」


【10】


ケビンも思わず圧巻して近寄ろうとした瞬間だった。

グバァッという擬音が聞こえてきそうな勢いで怪物が雄叫びを上げた。

振り向くとジョーズが船を押さえるロープの杭の横から頭を出して陸に上がろうとしていた。

「や、奴だ!」

「逃げろ~!」

這いつくばるように丘上げしてきた怪物はドスンドスンとバウンドするように跳ねて移動してくる。

三本の背ビレと分厚い胸ビレが存在感を圧倒させ、ノコギリ状の牙は付着した水滴が太陽光に反射してキラキラ光っている。

「シャアアアアア…!」


ゆっくりゆっくり跳ねながら接近してくる怪物。

思ったより襲ってはこないがそれでも恐怖を覗かせるのは変わらない。

ケビンの予想通り、やはり陸地では身動きが取れなくなるのが致命的なようだ。

「ウワァ…ジンベイザメに背ビレと牙くっ付けたような見た目だな。」

「それだと可愛くもなんとも無いわね…。」

ベッタリと胸ビレを地面に張り付けてとにかく大口を開けて威嚇してくる怪物。

つぶらな瞳にも赤い光が走ってもう“怖い”ってレベルを通り越している。

「…旦那?どうしたの?なんか泣きそうな顔して…。」


ケビンはこの時点で既に弓を握っている。

いつもならどんな敵も前触れ仕留めるのだが…様子が可笑しい。

彼の目は怪物を睨むと言うより…憐れむように見つめていた。

「いや、コイツもさ、こんな姿になる前は自由にこの海を泳いでいたのにって…ふと考えてたんだ。」

「…。」

ミステシアにどんな改造をされたかは分からないが…とにかく可哀想の一言では済まされない悲しみが怪物から伝わってくる。

「自分が誰なのかも分からなくなって…何を口にしているかってのも忘れて…ただ恐怖を与える為に生かされるって…そう思うと辛くてさ。」


ケビンは淡々と呟きながら自分の手が震えてるのを悟る。

―目の前の獲物と過去の自分を重ねて…怯えていると。

―どうすればこの苦しみから解放させてやれるのかと。

「マナ、コッチおいで。」

エルザの背後に隠れていたマナがケビンの横に並ぶ。

シャアシャア吠える鮫の悲鳴にビクッとしながらも足にしがみついて耐えていた。

「お前から見て…アイツはただの怖い怪物か?それとも可哀想だと思うか?」

難しい二者択一を言われてマナは震えながら口を開く。

「ねぇケビン…。」

「なんだ?」

「海に帰してあげるって…出来ないのかな?」


一気に周りの空気がざわついた。

この時点で何を言ってるんだと、頭が可笑しいんじゃないかと聞こえなそうで聞こえてくる。

「姐さんほっときなって。あんな連中。」

思わず蹴り飛ばそうと足を引いたエルザをジャッキーが制止させる。

そしてケビンは―

「…それは無理な話だ。また海に帰せばそこの生態系のバランスが崩れる…魚達が絶滅する可能性が出てくるんだ。」

必死の懇願を打ち砕いてマナを説得していた。

マナが号泣寸前だと悟ってケビンは目線を会わせる。

「でもな…お前がアイツを思う気持ちは充分受け取ったからな。その分まで…俺が奴を看取ってやるよ。」


柔らかな両手を自分の手で包み、目と鼻の先にある額に唇を当てる。

すると包まれた四つの手の中からピンクのオーラが溢れてきた。

マナがハッとして手を開くと知らない間に茶色い種が握られていた。

ケビンはその種を取るとジャッキー達の元に持っていった。

「…やってくれるよな?」

「…承知。」

「…素直じゃ無いんだから。」

種を握る黒いグローブを包むように二人の手が乗せられる。

すると三色のオーラを吸収した種が白い光を発して一本の矢に変化した。


漁師達がおぉぉと感激するのを他所にケビンは矢を弓の弦に引っ掻けた。

狙う先はジョーズの…体内だ。

「待ってろよ…今、楽にしてやるからな…。」

―正直、この獲物は外側から傷付けたくは無かった。

改造に改造を重ねた体に新たな傷跡を残すなんて理不尽過ぎると。

それなら内側から動きを止めるしかない…そう考えていた。

ギリギリと弦が切れそうに悲鳴を上げる。

限界まで引き絞ると徐に瞳を細めて背後を確認する。

真後ろでは自分の仲間が…揃って無言で頷いてくれた。

自分等も…怪物の最後を見届けてやると。


その真意を受け取った彼の指先から力が抜けて弦が緩んでいく。

矢の先端の先には叫びまくって息切れをするジョーズがいる。

躊躇う気持ちを疼きながら彼は…その瞳を赤く染めて弦から指を離した。


【11】


放たれた矢はピンク色の不死鳥に変わり、ストライクゾーンど真ん中にジョーズの体内に侵入した。

バクンッと口を閉じて誰もが目を疑った。

どうかこのまま倒れてくれと…心の中で祈る人間もいた。

不死鳥は怪物の体内に侵入すると太い血管に覆われた心臓に辿り着く。

その僅かな血管の隙間に入り込み…そして…。

「ギシャアアアア!」


今までに無い雄叫びを上げながらジョーズが暴れ始めた。

バタンバタンと泳ぐように地面に何度も体を叩き付け、苦しみ回る。

その内部では心臓が蒸気のような白い煙を上げてバクバクと大きく鼓動していた。

心臓が焼け落ちそうな激痛が波となってジョーズを蝕んでいたのだ。

暴れる振動で周囲に置かれた木箱やバケツが引っ繰り返り、人々は息を飲んで見守る。

やがて怪物の体は俯せから仰向きになり雪色の腹部を見せる格好になる。

ケビンの目はその腹部に注目した。

白い腹の中央には異様な青い血管が浮き出ていたのだ。

自然界の鮫なら絶対に無い異質な模様…改造生物である証拠だ。

麻薬中毒者の腕が注射痕まみれなのを連想させる風に何度も薬を投与され、変わり果てた姿になった怪物。

「シャアアア…。」


怪物の悲鳴が途切れた。

それまでブルブル痙攣していた舌が、胸ビレがガクンッと垂れていく。

顎が剥き出しの舌を挟んで閉じられ、動きが完全に止まった。

暴れた衝撃で舞う砂煙が落ち着いた所で一人が口を開いた。

「し、死んだのか?」

恐る恐る触れてみるが怪物は起きる処か悲鳴すら上げない。

完全に絶命した様子だ。

なんとも静かで…哀しい決着の付け方だろうと誰もがそう思った。

「なんか…喜んで良いのか分からないな。」

「そうだな。やるせないって言うか…可哀そうって言うか…。」

「でもひとまずは安心だな。これでもう仕事が脅かされる心配もないし。」


完全に葬式ムード真っ只中の空気が流れる中、怪物を看取った男は近寄って再度ジョーズを腹這いの姿勢に戻した。

ズシィィンと大きな音がして命の消えた肉体が転がされる。

ケビンの手はジョーズの目元に触れてきた。

幅広のエラの近くにあるつぶらな瞳は見開かれたまま、その瞼の下には色白の薄い一筋の跡がクッキリと残されている。

ジョーズは命の炎が途絶える寸前に…涙を流していた。

海を荒らした謝罪を、無関係な人間に牙を向けた罪深さを、そして怪物から生き物へと戻してくれた感謝を伝えるように…。

けれどその瞳はもう…自分達を映す事は出来なかった。

最後の思いを受け取ると小さな瞳は男の手で静かに閉じられた。


荒くれ者が去った海はざまぁみやがれと言わんばかりに大波を立てている。

船着き場に波飛沫が打たれ、太陽の光が雫を照らす。

その雫はジョーズが海に流してきた報いの涙なら…もう弔うのは充分だ。

「ん…?」

若い男がパタパタという足音に気付いた。

見ると波が打ち付けられる船着き場の端に一人の子供が立っていたのだ。

何をするんだと見守っていたらマナは胸の前に両手を組み、瞳を閉じた。

すると組まれた手の中でピンクのオーラが溢れてゆっくりと何かが生まれた。

スローモーション映像で再生されるようなスピードで開いたのは…純白の百合の花だ。

それをマナは海へ向かって放り投げた。


海面に浮かんだ百合の花はプカプカと漂いながら潮の流れに乗って沖へと流されていく。

時間が掛からない内にあの花は波に飲まれて海の底に沈んでしまうだろう。

それでも食い荒らされた魚達、そして生き物としての命を奪われたジョーズが眠る海の底でも新しい花を咲かせ、流れに負けずにこれからも生きていくだろう。

マナは百合が波に飲まれて消えてからもずっと海を見続けていた。

丸い水晶の瞳は水平線の向こうを凝視して潤んでいた。

それを見守る男性はこの時点でもう涙ぐんでいた。

小さいのに立派だなぁと心の中で呟いていたら少女の背後に銀髪の美女が立ってそっと頭を撫で始めた。

マナは耐えられなくなったのか、エルザの腰回りに抱き着いて顔を埋めた姿勢になった。

柔らかな潮風が悲しい雰囲気の港町を包み、そこの人達の涙を乗せて遠くへと流れていった…。


【12】


あれから数日が経った。

夜の海を照らす灯台の手すりに止まったカモメの群れが下の様子を伺っている。

怪物の被害に悩まされていた港町には久し振りに賑わいを見せている。

営業が再開された市場には大漁とは言えないが傷のない新鮮な魚介が並んでいる。

数が少なくて値段もまだ高いが漁師らにとってはこれは大きな一歩だ。

これから数が増えれば以前の客足も戻ってくると信じて自分の仕事に励んでいるのだ。

買い物客は市場を一巡りすると必ず港の奥にも足を運んでいた。

「こいつが新聞に載っていたジョーズって怪物か。」

「うわぁ、デッカい口だなぁ。」

「ハハッ、フカヒレにしたら高く売れそうかもな。」


船着き場の直ぐ脇、鳥居の形に組まれた丸太に大きな怪物が吊るされている。

三本の背ビレに鋭い牙、何より目を見張るその巨体に多くの人が群がって記念写真を残している。

大口を開けたその顔は今にも飛び掛かりそうで迫力がある。

「はいチ~ズ。」

家族や友人連れの客の中にはジョーズと一緒に写真に写す者もいた。

でも彼らはこの鮫が本当に海を荒らしていた事実を真剣に受け止めていないだろう。

仮に受け入れても自分が被害に会ってないとばかりに比喩する事も考えられる。

だがそれに難癖を付けても何も起こらない。

ただ…海の加害者であり被害者である事を伝えようとするのが漁師達の決めた答えであった。

纏め役の人間が思い伏せていたら港の入り口の方から急ブレーキを掛ける音が聞こえた。

客が振り向くと入り口にパトカーが数十台停車し、紺色の制服の人間が一斉に車から降りていた。

「すいません、道開けてください。」


先頭を歩くのは鼠色のスーツを着こなす若い女性。

大勢の人は一斉に横によけて大通りに仕上がる。

馴染みの客から警察が来たと伝えられた商人数名が代表して前に出てきた。

「お忙しい所すいません、国際警察ですが…。」

丁寧に警察手帳を見せて女性の支部長は咳払いする。

「この写真の女性を見かけませんでしたか?」

言うのと同時に若い警官が胸ポケットから取り出した写真を提示してきた。

エメラルドグリーンの瞳と煌めく銀色の髪の毛の女性。

数人の商人や客がざわついてくる。

「あれって…エルザ・フィーニー?」

「嘘!?本当に!?」

「え?でも噂じゃもう死んだって言われてるけど…。」


漁師達も反応せざるを得なかった。

エルザ・フィーニーと言えば誰もが知る有名人…いやそれ以前にジョーズを仕留めた男と一緒にいたあの美女だと。

まさかと誰もが思った。

あの女性が本物のエルザだとしたら…思わぬ事が起きていると。

「あの~、この人が何か?」

「まだ正式ではございませんが…先日サンサシティで発生したデモ騒動の関連人物、及び誘拐未遂の容疑で現在行方を追っているのです。」

えぇっ!?と周囲に波紋が広がる。

「エ、エルザが誘拐犯!?どういう事だよ!?」

「詳しい事はここではお話出来ません。何かご存知ありませんか?」

女性に詰め寄られて商人は何も返答出来ない。

有名人が見知らぬ子供を誘拐してるだなんて考えたくないからだ。


沈黙の空気が流れる中、一人の男性が待ってくれと自分から出てきた。

「確かに四日前、この写真と同じ銀髪の女の人が来ましたよ。何を隠そう、彼女の連れの男性がジョーズを仕留めてくれたんです。」

それはケビンの頼みで船を出してくれたタナーという男性だ。

タナーはジョーズ捕獲の経緯に付いて警察側に全部伝えた。

「では彼らはもういないのですね?」

「そうです。次の日の朝早くにここを離れたんです。直ぐに警察かマスコミが押し寄せてパニックになるからと。ですけどもしその女性がフィーニーさんでも私は身柄を渡そうなんて反対致しますぞ。」

後ろで見守るだけだった仲間もその勢いに反応して集まってくる。

「そのグループの中に小さな女の子がいたんですが…彼女はまるで保護者のようにその子を優しく扱ってたんです。そんな優しい人が誘拐犯だなんて私は認めません。速やかに立ち去って貰えませんか?」


漁師仲間は皆唖然としていた。

タナーは自分の立場を犠牲にして必死に彼らを守ろうとしているのだ。

海の平和を、港の活気を取り戻してくれた彼らは純粋な悪い人間ではないと信じて。

「ではその言葉が虚偽だとすれば…貴方にも詐欺の容疑で逮捕状を請求致しますが?」

「請求したいならご自由にしてください。私は船を失った漁師…廃業する覚悟は出来てますから。」

この言葉に同期の仲間は目をウルウルさせていた。

こんなにも腹を括れる人間は中々いないと感動して。

「…分かりました。では最後にもう一つ、フィーニー氏と一緒にいた子供はどんな子ですか?何でもいいですから教えてください。」

タナーは腕組みをしてウ~ンと唸る。

「目が大きくて可愛い女の子でね、真っ黒い髪の毛をツインテールに結んでたよ。それから…あ、なんか左手に指輪をしていたな。ピンクっぽい宝石の付いた指輪だ。」


支部長は愛用のメモ帳に素早く特徴を書き写していく。

―大きな瞳。

―黒のツインテール。

―ピンクの宝石の指輪。

自分らが捜している子供と同じ特徴だ。

「そうですか。では失礼させていただきます。ご協力ありがとうございました。」

手帳を仕舞ってお辞儀するとクルリと後ろを向いて歩き出す。

部下もそれに続いてパトカーへと戻り始めた。

「刑事さん。」

タナーは溜め息混じりに支部長を睨み付ける。

「何考えてるかは知らないけどさ、善良な人間を捕まえるなんて警察の恥になるだけだから止めときな。今にバチが当たるよ。」


【13】


女性は足を止めず、何も返さずに市場から立ち去っていく。

姿が見えなくなるとハァ~ッと安心してその場に座り込んだ。

「やれやれ、人騒がせな連中だな。」

気分を変えようとベストのポケットから煙草とライターを取り出す。

シュボッと火を付けると白くて細い煙が澄んだ青空に吸い込まれていく。

この空の下の何処かで…彼らは今も逃げているのだろう。

それを思うと胸が張り裂けそうだ。

《兄ちゃん、何があっても負けんじゃねぇぞ。ずっと応援してるからな。》

心の叫びは紫煙と混ざって空へと消えていった。


一列でパトカーに戻った警官はそれぞれ運転した車両に乗り込む。

支部長は一番先頭の車両に乗ると無線で本部の指令室に報告していた。

「間違いありません。あのお方はフィーニーと一緒にいます。捜索出来ますか?」

指令室では男性の本部長が無線を受け取っていた。

『今から探しても直ぐに見失いますよ。それでも宜しいと?』

「どっちでも構わないわ。何が起こるか分からないから様子を探りたいの。」

本部長はクククっと笑いながら答える。

『では引き受けましょう。貴方も直ぐに引き上げてくださいね。』


では、と呟いて相手の男は無線を切った。

女性はホッとして車の助手席に座る。

「あの~、支部長?」

運転役の警官がしどろもどろに尋ねる。

「本気でフィーニー氏を逮捕…するとか考えてないですよね?」

「あら、何か問題でも?」

「俺考えてたんです。善良な人間を捕まえるのは警察の恥だっていうあの言葉聞いて…俺ら何の為に悪者捕まえてるんだって。」

両手でハンドルを握りながらその奥のメーターを見つめる。

「あのお方に危害が加えられていないなら…逮捕するなんて確かに酷いですよ。それにそんな真似したら…総監がどんなに悲しまれるか…。」


女性は何故か薄く笑いながら座席にもたれ掛かる。

「心配ないわ。逮捕と言っても内情は一時的な身辺保護よ。詳しく話が聞けたら釈放するつもりだから。」

「は、はぁ~、そうですか…。」

「それより早く出しなさい。本部長が時間にうるさいの分かってるでしょ。」

ハイと答えて運転手はパトカーを発進させると数十分前に通った道を再度走る。

支部長は窓辺に左肘を付いて外の景色を眺めていた。

ふと、頭の片隅に本部でのあるやり取りをしていた記憶が蘇ってくる。

場所は本部の最上階にある自分達のトップ、警視総監の部屋での出来事だ。

―『…キミが専任者になる?』

―『はい。私は本来…あのお方の養育係を務める義務がありましたし、適任と判断した次第であります。』


豪華な黒の革張り椅子に腰掛け、背後の大きなガラス窓から外を眺める上司。

決してこちらに顔を向けずに口だけ動かしてくる。

―『総監のお気持ちは分かります。しかし我々警察は上からの命令で動く組織、貴方にもしもの事があっては組織として動けなくなります。ですから残っていただきたい算段と。』

左手に持った葉巻の煙がゆっくりと天井のシーリングファンへ昇っていく。

―『そこまでおっしゃるのなら…私も一切口は出しませんよ。自分の思うがままに事を進めるのも大事な役目ですからね。』

そこでやっと許可を頂き、今回の捜索作戦の指揮を取っている訳である。

これだけ手掛かりがあるのに見つけられない事実に苛立ちを覚えつつ、深い溜め息を吐く。

「フィーニーも今一体何処におるんだか。彼女の手掛かりが無いと探すのも一苦労ですよ。」


捜査に進展が無いので何処かで死んでるんじゃないかと呟いた部下の頬を支部長はギリギリと引っ張る。

「あででで!し、しぶちょ…!」

「馬鹿な事言わないの。次言ったらクビじゃ済ませないから。」

クビ以上に酷い事などあるのかと考えつつパトカーは目的地へとひたすら走る。

彼らの任務が達成するのはまだまだ遠い話の先になるのであった…。

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