08 九尾と烏天狗の案件、その発端と後始末
月が煌々と輝いていた。その光の下、大金魯山の頂上に、東東雲とその異形はいた。
三本足で、巨大な鳥。羽毛は黒く、月光がその闇の深さを強調する。異形とは無論、八咫烏であった。
「さて、八咫烏」東東雲は冷淡そうにいう。「遠いところをわざわざありがとう。しかも夜分遅くに、すまないね」
「いい、いい、気にすんなって。俺とお前の仲だろ」
「あぁそうだな。わたしとお前の仲だ。ゆえに率直に訊こう。きみはどうやら九尾を唆したようだね」
八咫烏、絶句する。東東雲は一切表情を変えない。月光がぬるい。
数秒間があいた。すると八咫烏、「誰から聞いたんすか」としょげたような声を出す。
「ちょっとしたスクープ写真を見せてもらってね。きみと九尾が牙銀魯山で密会していたっていう、大スクープの写真だよ。提供者はいえないけどね」
「あー、いや、なんちゅーか、その、ね」しどろもどろである。「え? マジで? 写真があんの? うわ……やべぇじゃん……」
どうやら落ち着かないらしく、少しだけ羽をばたつかせて、八咫烏はぼそぼそ何かいっている。それに向かって、東東雲、
「どうして唆したんだい?」と訊く。
「あ、いや、まぁ、その」
「おいおい、どうしたんだよ。まさか、なにかいえないことでもあるってのか? わたしとお前の仲じゃねぇか、隠し事なんてねぇはずだよな?」
「……」八咫烏、めちゃくちゃ息を吐く。「そうっ……すねぇ……」
暫く待つ。やがて観念したのか、八咫烏は供述をはじめる。
「まぁ、なんちゅーかですね。もとはといえば、烏天狗の自業自得なんすよ。あいつら、まだ九尾のお嬢ちゃんが小っちゃいころに、牙銀魯山を無理やり追い出しててですね。まぁ九尾ってやべーあやかしですし、正しいっちゃ正しいんすけど、ほら。最近になって、あの九尾のお嬢ちゃん、結構ガチなホームレスになっちゃってて。そこでまぁ、俺、良心が働いちゃったっていうか? そもそも生まれた住処を覚えてなかったお嬢ちゃんに、教えちゃったんすよねぇ、烏天狗の仕打ち」
「なるほどね。それで、生まれ故郷に帰ろうと、あの九尾が烏天狗に殴り込みにいったと」
「ま、そういうことっすねぇ」
東東雲、いちおう納得するそぶりを見せる。
が、これだけで追及をやめるわけもなく、
「じゃ、どうしてホームレスになってたかは、知ってるか?」と訊いた。
八咫烏、言葉に詰まる。またも沈黙が流れる。で、結局、
「もう洗いざらい話してやろう」と、弱々しくいった。「ことの発端は千年前だ。ここら一帯にあった村々は、だいたいが九尾――つまりあのお嬢ちゃんの前世の姿だが――による疫病に苦しんでおった。もちろん、それくらいは知っておろう。九尾討伐のためにやってきた銀瑯魯臣のこともな。この平安を代表する退魔師のひとり、銀瑯魯臣は、九尾とそれはもう壮絶な戦いを繰り広げた。その戦いは三日に渡り、山は焼け、風は死んだ。しかし戦いの果てに、銀瑯魯臣は脚を一本失いながらも、ついぞ九尾を封じる。そして九尾は千年の眠りに就いたわけだ。
が、現代、九尾が目覚めた。童の姿であったがな。しかし、明らかに異様な妖魔の気を放つ童だった。いつそれが湧いたのかは知らん。ただ気付いたときには、牙銀魯山の頂、一帯の加護を与える銀社に、その童は住み着いておった。それを烏天狗どもが追い出したのは、無理もないじゃろうて。得体も知れぬ童を、自らの縄張りの内に留めておきたくはないだろう。そう、無理もないのだが、結果としては、あのお嬢ちゃんは路頭に迷うことになる。
そこからは、苦労の連続だったようさな。人間社会に溶け込むためには、いろいろなものが必要だった。家族、住処、戸籍、友人、情報……それらのすべてを、扱い方のわからぬ力をどうにか利用して、揃えた。素晴らしい。なんと立派なことか。あれほど逞しいやつなど、あやかしといえど、そうそういまの時代にはおらんな。
だが、平穏は続かない。誰であろうとそのようなことはわかるさ。あの九尾は慎ましやかに生きていたが、正体はあやかしだ。厄介なものに目を付けられることもある。その結果が、あのざまだ。住処を失くし、またも路頭に迷った」
東東雲は首を傾げる。
「要領を得ないな。厄介なものって、なんだ」
「『百鬼夜行』だ」と、八咫烏は苦々しそうに答えた。「まさか東東雲、彼奴らの動きを察しておらんわけではなかろう。やつらはまたも『天災』を目論んでおる。そのために、新たなあやかしを取り込もうとしておるのだ。九尾はそれを拒んだが、よい見せしめになったのではないかな。やつらを拒絶すれば、痛い目を見るのは……」
八咫烏は羽をばたつかせる。月を見上げて、少し目を細めた。
やがて東東雲が口を開く。
「なるほど。よくわかったよ。ありがとう、八咫烏。だいたいは想像通りだが、きみの口から聞けてよかった。さらに詳しいことは本人から聞くとするよ」
「そうか」八咫烏はしきりに頷く。「あ、じゃあ、俺もう帰っていいっすかね? 用は済んだっしょ?」
「だがひとつ気にかかるな」気にせず東東雲は続ける。「たしかに発端は『百鬼夜行』にあるようだが、現実に、混乱を招いたのはお前じゃないか、八咫烏?」
「えぇ……マジっすかぁ……痛いのは勘弁なんすけど……え、でもほら。いったじゃないすか。良心が痛んだからだって! 信じてくださいよ! ねぇ!」
「あぁ、そうだな」と、東東雲は朗らかに笑う。「それにきみのおかげで、こちらは九尾の保護もできたし、閏にとってもよい修行になったろうから、いまとなっては結果オーライだ」
「でしょ? もう帰っていい?」
「あぁ、いいよ。わざわざすまなかったね」
安堵の息を漏らして、八咫烏は翼を広げる。数メートル上空へ飛び立つと、真下を見て、
「じゃ、失礼しまーす」
と、大空を滑空していく。
東東雲、どこからともなく大弓と矢を取り出し、番える。一度、八咫烏を正確に狙い定め、若干照準をずらして射る。
矢は凄まじい勢いで八咫烏へと飛んでいき、その右翼にぎりぎり当たらないところを突っ切った。
勢いよく振り返った八咫烏が、
「てめぇ! マジでふざけんなよ!」
と、怒鳴る。東東雲は腹を抱えて笑いながら、
「すまないね。気を付けて帰りたまえ」
と、声を張り上げていうのだった。