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真打参上ッ!  作者: 維酉
第一話【九尾と烏天狗の微妙にややこしい案件、その発端と過程、そして後始末】
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06 東東雲

 右の太腿に激痛が走った。鋭利な槍状の武具が突き刺さっている。どこから飛んできたのかもわからない。頭がホワイトアウトする。もう一本の槍が飛んでくる。それは閏の脇腹を穿った。悲鳴を上げる間もなく、続々とさらなる槍の猛襲。まず四肢の感覚がなくなった。身体中が血だらけになったのが、皮膚で直に感じる温度でわかる。痛みという感覚は超越し、死ぬんだ、と驚くほど冷静に思考した。瞬間的に「嫌だッ」と叫ぶが、口腔、槍が一突きし、視界が暗転した。


   ◆


 気付くと、閏は竹藪の中、立ち竦んでいた。ふと頭上を見れば、九尾の尾に叩き潰される。頭蓋骨が砕ける感じがしたが、不思議とまだ生きていた。後頭部が燃えるように熱い、マグマのように。意識が朦朧とする中で、何度も尾が身体を叩きつける。何度も攻撃が重ねられるにつれて、痛みと思考が乖離していく。痛みはあったが、恐ろしく微かなものに感じ始めた。そして完全になにも感じなくなったとき、閏は既に意識を手放していた。


   ◆


 息苦しさに襲われた。七那々奈々菜が閏を押し倒し、首を絞めていた。鬼の形相だった。閏は必死に抵抗するが、無駄だった。化け物の腕を払うことはできず、呼吸は不可能、視界がぼやける。やがて首に加わる力が強くなる。七那々奈々菜の爪が首に食い込み、血が流れていくのを、やけに鮮明に感じた。耳の奥で骨の折れる音が聞こえる。そしてすぐ、閏は虚しく息絶えた。


   ◆


「ね、閏ちゃん。この瑠奈月渚ちゃんに任せなよ。大丈夫、安心して。楽に終わらせてあげるから。じゃあ、やるね。そんな泣きそうな顔しないでよ。愉しくなっちゃうから……はい、切るよ……泣かないで、暴れないでって、手元が狂っちゃう。すぐ終わるから、ね……ごめん、持ってきた刃物が悪いのは謝るけど。だって、そんな。わたしの家、べつに裕福でもなんでもないし、安物の包丁かのこぎりくらいなものでしょ。ふふ、切りやすそうなのは、のこぎりじゃない? もう暴れないでね。暴れなかったらすぐ終わるから。大丈夫、この瑠奈月渚ちゃんに任せて。……しょ、しょ、っと。まだ意識ある? あー、聞こえてないかな。ふふ、そんなに痛い? やっぱり古いのこぎりじゃダメだった? 大丈夫だよぉ、大丈夫。痛くない、痛くない……はい、切れた。よし、じゃあ次は左脚……あれ、もう意識ないのかな? じゃあ、待ってあげようかなぁ、目が覚めるの」


   ◆


 右腕がありえない方向に曲がっている。痛みを感じてのけぞる。山の斜面を転がり落ちると、その斜面は途中でとぎれ、閏は空中に投げ飛ばされた。崖だった。頭から真っ逆さまに落ちていく。空が真っ赤に染まっていた。崖上、覗き込む七那々奈々菜の顔が見え、次の瞬間には、閏の頭は潰れていた。あっけなく死んだ。


   ◆


 最初に切り飛ばされたのは左脚だった。バランスが取れなくなり、閏は手をついて転ぶ。するとどこから現れたのかわからない巨大な手に、残っている右脚を掴まれ、宙ぶらりんにされる。必死で逃げ出そうと腕を振り回そうとしたが、そのとき、両腕がないことに気づいた。徐々に巨大な手は、閏の右脚に圧力を加えていく。骨が軋む音がはっきりとして、痛みが脳を焼き切らんばかりだった。絶叫するが、虚しく響いただけである。巨大な手がもうひとつ現れる。首根っこを掴まれ、上下に引っ張られると、簡単に閏は、腹のあたりで真っ二つになった。


   ◆


 血をだらだらと吐きながら、閏は空を見つめている。どこかからか、「何回目?」と訊かれる。「わからない」と答える。いつまで続くのだろうと思った。ゆっくりと意識が遠のいていく。また死ぬのだと感じる。わけもわからずもう一度死ぬ。


   ◆


 天井から吊るしたロープに、ちょうど首をかける場面だった。思いとどまろうとしたが、遅かった。椅子から足を離す。自重が自らを殺そうとしている。息苦しさに首のあたりを掻き毟るが、それで解放されるわけでもない。首に加わる痛みを、死ぬまで感じる。もう何度死んだのかもわからないが、この苦しみにはやはり耐えられない。酸素が足りない。血が巡らない。もっと生きていたい。もっと生きていたい。頬から涙が幾粒も流れ落ちる。無情にも意識が途絶える。


   ◆


 竹藪が燃えていた。政發の死体が、炎に包まれていく。閏は動けないでいた。足が折れてしまっていたのである。炎は着実に閏のもとまで手を伸ばす。ここで燃えて死ぬのだとわかる。肉が焼け焦げるにおいがして、非常に不快感がある。どこにも救いはないのだと知ると、ついに正気を手放しそうになった。それでも必死に耐えている。いつか終わる。この地獄はいつか終わる。炎に身体を包み込まれながら、閏はそう信じていた。全身が焼かれる痛みに声を抑えられない。泣き叫び、そこらじゅうを転がりまわるが、希望を捨てているわけではない。絶対に、この地獄は、いつか終わるのだ。


 ◆


 そして何度も死んだ。もう正気の沙汰ではいられなくなりそうだった。学校の教室、夕暮れの頃に、ほとんど廃人のような目で、閏は教壇に立つ七那々奈々菜を見上げた。かくいう七那々奈々菜は、哀しそうな目をしていた。「あと何回、死にますか」と閏は訊いた。気が触れて、笑いがこみ上げてきそうなのを、僅かな理性で押しとどめる。わからない、と七那々奈々菜はいった。


「きみが死を受け入れるまで、この『無間地獄』は続く。それまできみは何度だって死を経験することになるし、この地獄から抜け出したいがために死を受け入れたのなら、きみの命は本当に絶える。唯一助かる方法は、狂気に染まることだけ。わたしは狂気を始めた(、、、、、、、、、、)。もう抑えられない狂気をね。きみはきっとわたしの狂気に呑み込まれるだろうね。そして意思を喪い、自我を手放す。大丈夫、そのあとの面倒はわたしが見てあげるよ。新しい『お人形』がちょうど欲しかったんだ」


 七那々奈々菜は歪な笑みを浮かべた。哀しみと喜びがないまぜになった、道化のような表情だった。


 そして暫くの時が流れた。閏は教室の窓の外を見やる。夕焼けが赤みを帯び、空が燃えていた。それにふと、なつかしい感じを覚える。風が吹いている。外ではない。教室の中だ。なぜ教室の中、風が吹くのだろう。閏は目を閉じる。感じる。確かに感じている。目を開く。


 そしてすこし息を吐き、閏は呟いた。


東東雲清律ひがししののめせいりつ


 聞いて、七那々奈々菜は黙ったままである。

 閏、


「あちきの師匠でやがります」と続ける。「現世随一の退魔師であり、わっちの親のようなもんでもあります。放浪癖があって、ふだんは家にいやがりませんが、三日も帰ってこねーってことはありません。どうしようもねー人ですが、そこらへんは、まあ、きっちりしてやがるんですよ」


 依然、七那々奈々菜は言葉を発さない。しかしなにかを予期している顔であった。これから起こることに、緊張しているのが見てとれる。


「今日で、師匠が家を留守にして、三日目になりやがります」閏は静かにいう。「もう、わしはあの人を待つことしかできねーでやがりますよ。だけんどね、七那々先輩、きっと待つ必要もねぇんです。わかるでやがりますね」


 にやりとする。気が触れたのではない。なにかを確信した笑みである。



 ――そして一瞬、光が走った。



 気付けばそこは、竹藪だった。夕陽がさんざめいており、気温がすこし低下している。地獄ではなく現実だ、と七那々奈々菜が理解するよりほんのすこし先に、突風が吹いた。


 突風である。


 木の葉を舞わせ、土を抉り、怒涛の勢いで山の斜面を駆け上がるように吹く。それは七那々奈々菜を目掛けて吹きすさび、若干の退魔の気を察知して、あやかしは後ろに跳んだ。風は止むが九尾は五感を研ぎ澄まし、意識を四方八方、上下左右、全方向に集中し、臨戦態勢をとる。


 そう、待つ必要はもうない。


 七那々奈々菜と対照的に、閏は感じ慣れた退魔の気に安堵し、やがて目を閉じる。もう存分に疲れた。そんな彼女の頬にあたたかい掌が触れる。それがますます閏を穏やかな眠りに落とす。


「よく頑張ったね。ゆっくりお休み」


 彼女はそう告げた。強く、芯の通った声だった。



 長い黒髪が、夕空に靡く。


 本命であり真打――東東雲清律、堂々参上であった。



 さて、彼女は意外にもラフな格好で現れた。白のシャツに黒いジャケットを合わせて、デニムのパンツを履いている。足元はスニーカー。端麗な容姿は見たところ、歳を二十代半ばではないかと思わせ、その若さもあいまって、『真打』として登場するにはいささか拍子抜けな姿ではある。


 とはいえ、得物として等身ほどの大弓を携えており、服装と武器のミスマッチさはいかにも奇妙である。さらに加えれば、現世随一の退魔師と謳われるその女、やはり明らかに雰囲気が異質。相当な距離をとっているはずの七那々奈々菜は、しかし指先の痺れを感じていた。すなわち尋常でない威圧感と、圧倒的な質量の『気』にあてられたのである。


 それほどの力を持った人間なのである。七那々奈々菜の本能的な直感は危険信号をこれでもかと発していた。九尾ともあろうあやかしが、恐怖している。このような人間に敵うわけがない、と。


「うちの弟子が、さんざん世話になったみたいじゃない」


 口を開いたのは東東雲であった。かくいう七那々奈々菜、答えることなく、身体を緊張させて緩めない。


 それを見て、東東雲は嘲笑う。


「『力み過ぎだよ。もっと肩の力を抜かないと』」

「……ッ」


 つい数分前、七那々奈々菜が、対峙した政發に放った言葉である。いったいいつから、どこから見ていたのか、と思考を巡らせるが、意味はないこととすぐに悟り、振り払う。


「弟子が痛めつけられてんのなら」できる限り声を震わさず、返す。「もっと早くに出てきてやればよかったじゃない。あともうすこしで、殺してたよ」

「殺すわけがない」


 東東雲はすべてを見透かしたようにそういった。七那々奈々菜は若干、目を見開く。


「きみは閏を殺せない。それほど非道ではないからね。現にきみは『無間地獄』なんていう回りくどい手を使っている。本当に閏を殺すつもりなら、そんな高位術を組むまでもなく、ご自慢の尾で即刻叩き潰すはずだろう」


 そういうと、東東雲は大弓を構えた。身構える、九尾。しかし矢はどこだろう。いくら七那々奈々菜が観察しても、東東雲が矢を装備している気配はない。


「矢のことは心配しないで」またも見透かしたような言葉。「きちんと痛いから」


 そして、東東雲、矢を番えずに射る。


 七那々奈々菜を襲ったのは、先ほどのような突風だった。しかし、すこし違う。その風には実体があった。


 風の塊が、矢のように飛んで向かってくるのである。尾の一本で受けようとするが、想像以上に風の威力は強い。吹き飛ばされてしまう。


 間髪入れず、東東雲はまたも射る。無論、矢は番えていないが、やはり風の塊が七那々奈々菜を襲った。どうにか九本の尾で凌ぐが、風の矢を受けた部位が痺れて動かない。それほどの威力である。


「もっとうまく防ぎなよ」


 幾本もの風の矢が九尾を襲う。その威力、絶大、尾での防御に早くも限界がきて、為すすべもなく撃たれ続ける。痛みに叫び、地面を転げまわる。風の矢は容赦なく続き、身体の動きを鈍らせていく。このままでは簡単にやられてしまう。奥歯を噛む。


 ひとまず体勢を立て直そうと、両手を地面に突き、しっかりと二本の足で土を踏みしめた。何本も向かってくる風の矢、それをどうにか、もう一度尾で防ぐ。防戦一方、このままでは埒が明かない。限界もすぐにくる。


 だが――と七那々奈々菜はかえって冷静に思考した。やっこの得物は大弓、一度近づいてしまえば強みを失う。いまのところ、距離をとってしまってはいるが、これを詰めることができれば。


 神経を研ぎ澄ます。おそらくは一瞬の勝負だろう。


 東東雲がまたも弓を構える。即時、七那々奈々菜は駆けだした。

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