04 九尾と烏天狗の微妙にややこしい案件④
「政發、すこしでも動いてみるでやがります。痛い目見るでやがりますよ」
と、閏は伸びた烏天狗の前にしゃがみこんで、棒手裏剣を一本、天狗の喉元にあてた。やつは動かないが、意識だけある。脅してみるにはちょうどいい。
なんだかこういうことをすると、ヤのつく怖いお兄さんみたいだが、仕方ない。そうでもしないと、烏天狗なんて話をしてくれやしないのだ。この際だ、と閏は割り切って、なるべくドスのきいた声でいってみる。
たいして怖くもないが。
「わっちが知りたいのは、八咫烏のことでやがります。最近、この山に、八咫烏のやろーが来たでやがりますね。ひとり、中学生くらいの娘を連れて」
「……」
「だんまりでやがりますか」
ぐい、と棒手裏剣を押し付ける。尖ったほうではなく持ち手のほうだが、よく見えてないだろうし、恐怖であることには違いない。たぶん。
「ちょっと教えてくれるだけでいいでやがりますよー。あいつら、なにしてたんでやがりますかー? あちきが知りてーのはそれだけでやがります」
「……」
「ほれほれー」
「……我らもよく知らん」
「ほい?」
「ただ、我らの住処を荒らしたことは事実だ。実に不快な匂いがいまも感じられる。八咫の蛮鳥め……あのような奇怪な娘を連れてきよってからに」
「その娘、何者でやがりますか?」
「九尾だ」
「……」
足音が聞こえた。瑠奈月渚だろうか。いや、違う。聞きなじみのある足運びではあるが、彼女ではない。
烏天狗のことは、もう放っておいていいだろう。すっくと立ち上がる。スカートの裏から三本、棒手裏剣を補充して、いま、右手に四本。意識をそれらに集中させる。
緑色の炎をまとった得物。どこだ――閏から見て、右斜め前。気配を察して、空を穿つように放った。
棒手裏剣はまさしくいま飛び掛かってきたあやかしへ向かう、銃弾の如く。そのうちの三本、巨大な尾に弾かれ、残りの一本は手で捕らえられた。やつは棒手裏剣を『掴んで』いる。手で止めたのである。
それは明らかにやつの不覚だ。
閏は放った棒手裏剣が――正確には緑色の炎が――より正確には炎となって具現した八百万の神の思念が、やつを飲み込むようイメージした。というよりも、それは祈りだった。祈りこそが力であり、なおかつ力を操る最大の源であった。
炎、燃え盛り棒手裏剣を呑む。そして、さらに火は盛り、ついにやつを飲み込んだ。絶叫が耳を劈く。やつは枯れ葉の上を転げまわり、やがて動きをぴたりと止めた。
――閏はさらに数本の棒手裏剣を用意する。その数、六本。
やつは動くようすを一向に見せない。火は既に消えている。閏はまたも六本のそれらに意識を集め、深呼吸をした。肺に送られる空気が、いつにも増して冷たい気がする。
そうして、多少の刻が流れた。やつは動きを見せないが、だからといって、安心するわけにもいかない。政發はこいつを『九尾だ』といった。もしそうであるなら、いまの炎獄のみで制することができたはずはない。明らかにまだ意識はあるし、そもそも、かすり傷程度のものでしかないはずだ。
九尾とは上位種だ。たいてい、九尾といえば、尾を九つもった狐の姿で描かれる。まずもって九尾の狐、元来、神獣とされており、この世が安泰であるときのみその姿をあらわすと伝えられている。
けれども、哀しき哉、それは結局のところ『言い伝え』でしかなく、代々、人間たちが勝手に語り継いできたお話である。たしかに九尾、神獣と呼ばれるに差し支えないほどの力をもつあやかしであることに変わりない。しかしながら、特段、善いあやかしというほどでもない。
九尾はもとより中国の出で、古くに、いまの九尾たちの祖先のいくつかが日本に渡来し、陰で栄えた。あやかしの世でかなりはばかり、一時は人々の世にあらわれたこともあった。代表的なもので、玉藻御前があるが、彼女が存在した平安末期のころが全盛期であり、幅を利かせ、悪行をなした。要するに、それらは流行病であり、また金品の強奪であり、もしくは火事であった。
が、次第に勢力は弱まり、やがて九尾の頭数はすくなくなる。そして全国各地にそれぞれ散らばり、ひっそりと山奥で暮らすようになった。
そういった九尾だが、いまも個々の力は衰えず、他のあやかしの追随を許さない。それこそ、八咫烏とともに行動していたことで自明である。八咫烏は導きの神、また太陽の化身ともいわれるほどのあやかしであり、こちらも別格の存在である。まあ、頭はあれだが。
とはいえ。
ここまでぴくりとも動かないと、さすがに不安になってくる。まさか、本当にやられたわけではあるまい。ほぼ確信をもってそう考えていたが、その自信も揺らぐ。ちょっと近づいてみてもいいかな、なんて思ってしまう。
あと一分。あと一分して動かなかったら、ちょっと近づいてみよう。閏はそう決めた。そのあいだに、やつを観察する。
それは髪の長い女子中学生の姿をしていた。もちろん、閏のよく知っている囲碁将棋部の部長、また、瑠奈月渚の写真に撮られていた、七那々奈々菜である。しかしながら、腰のあたりから逞しい尾が幾本も飛び出ていて、一、二、三、四……やはり九本ある。
個人的には人間だと信じたかったが、実際に見てみると、落胆である。まさか本当にあやかしだったとは。しかも、九尾である。そんなやつが、烏天狗とごたごたを起こそうとしているなんて、勘弁してほしい。そうなったら、天変地異で済めばいいが、はてさて。
なにかしら事が起こる前に、つまりは、人間に被害が及ぶ前に、こいつはなんとかせねばならん。それこそが退魔師の役目である。見習いとはいえ、そのくらい自覚しているし、立ち向かうつもりもある。
しかし、一分経ってしまった。
「せ、政發のやろー」
「……なんだ」
横になったままの烏天狗に話しかけると、慇懃無礼な声が帰ってきた。
「ちょっと、見にいってこいでやがりますよ。ほら、ちゃんと倒せてるかどうか……」
「なぜ我が行かねばならぬ。お前がいけ、東東雲の弟子」
「嫌でやがりますよ……あ、そうでやがります。負けた罰ゲームみたいな……」
「罰ゲームとは。片腹痛い」
「わたしゃ全身が痛いでやがります。おめーのせいで」
「それはこちらとて同じであろう。というか、なんだ。気になるのなら、その手の棒手裏剣、一本放ってみてはどうだ」
「あ、その手があったでやがります」
すぐさま一本、棒手裏剣を放つ。それはやつの肩に当たったが、反応はない。
「……起きないでやがります」
「そうか。ならば倒れたのだろう」
「そんなわけねーでやがりますでしょう! 政發、やっぱ見にいってこいでやがります」
「断る。我は貴様のいいなりにはならん、東東雲の弟子。気になるのなら貴様がいけ」
「……はあ」
仕方ない。なるべく緊張を切らさないで歩きはじめる。一歩、二歩、三歩。次第に近づいていく。向こうはずっと土に突っ伏したままだ。もしや、本当に気を失っているのではあるまいか。そんな望みも薄っすら湧いてくる。
ついに目の前まで来た。まったく動く気配がない。屈んで間近に観察するが、それでも動かない。ぴくりともしない。触ってみるか。さすがにそれは躊躇したが、しかし、結局は肌に触れた。
その肌は恐ろしいほど冷たかった。陶器のように冷たい。そして、陶器のように、固かった。そう、強く叩けば割れそうな、本当に陶器の感触に似ている。
どういうことだ、と閏は疑問に思う。いきものに触れた感覚がまったくない、むしろこれは無機物だ。
顎に手を当て、考える。
一瞬の油断だ。
背後、先ほどと似た殺気、だが今度は質量が違う。もっと圧し掛かってくるような殺意、狂気。閏は左に転がった。そのすぐあと、巨大な尾が閏の頬を掠めて、また倒れたままの『偽物』を巻き添えにして、地面を叩きつけた。閏はすぐさま棒手裏剣を放つ。全弾、五本。しかし簡単に弾かれてしまった。
「いい反応だね」と『本物』の七那々奈々菜はいった。「鈍足烏の三人衆とはわけが違うや。若いっていいね。わたしも若いけどさ。ね、閏ちゃん。奇遇だね、こんなところでさ。ばったり会うなんて」
「ほんとーでやがります。こんな偶然、なかなかねーですよ」
「うんうん、そうだね」
七那々奈々菜は九本の尾を揺らしながら、閏に一歩にじり寄る。閏、それに合わせて一歩下がる。
「逃げないでよ、傷つくなぁ」
「それは、なんでやがりますか」
「あぁ、人形?」
「人形?」
「そう。よくできてるでしょ」
ケタケタ笑って、七那々奈々菜は自らの尾で叩き潰した『人形』の髪を掴む。それからぐいっと引っ張り上げて、またもケタケタ笑った。
「ちょっとした特技だよ。怨恨の念をうまい具合に捏ねてね、成形して整形して、自作してみたの。わたしの思念でできてるから、思い通りに動かすこともできる。たとえば」
『こんなふうに喋らすこともできるよ』
と、人形の口が動いた。本物の七那々奈々菜は口を閉じたままである。まるで腹話術だが、それと違うのは、人形が実際に喋っているという点だった。
「面白いでしょ? 笑っていいよ。わたしが許そう」
「……」
「昔っからね、『お人形遊び』が大好きでさぁ。こういうお人形をたくさん作って、一緒に暮らしてたの。ママ、パパ、お兄ちゃんに、妹。あとはペットの犬とか。モケ太っていうんだけどね。あ、でも、最近は動くかどうか怪しいなぁ。もう古いし」
「いくつなんでやがりますか、先輩」
「十五だよ? これは本当、見た目の通り。若づくりしてるわけでも、なんでもないよ。ちょーっとお年を召したおばさまたちは、ふふ、そういうことやってるけどね。わたしは十五歳。これだけは信じてほしいね」
「信じるわけねーでやがります。自由に操れる人形をつくる……? そんな技、若いあやかしには無理でやがりましょう。たとえ、あんたが九尾だったとしても」
「そうかな? できると思うけど……簡単な話だよ。たといあやかしといえども、輪廻転生の環を逸脱することなんてできやしないってことだね」
「『転生』したっていいたいでやがりますか」
「どうだろうね。まあそういうことじゃないの。だれかがわたしの魂を縛ってしまったんでしょう。遥か昔にね。それで、十五年前が時効だったんだよ。残念ながらね。昔の記憶はひとつもないけど」
そういって、七那々奈々菜は不敵に笑う。閏は静かに棒手裏剣を五本、右手に持つ。
「……もうひとつ、訊いていいでやがりますか」
「なんだろう?」
「どうしてここを荒らしにきたでやがりますか」
「うーん、荒らしにきたっていうより、ここに棲みたいだけなんだよね」
「棲みたい……? つっても、ここは烏天狗の住処でやがります」
「愚鈍な烏のことなんてどうでもいいよ」
「そうはいわせねーです。先輩がどうでもよくても、烏天狗どもが騒ぐでやがります。てめーらがへたに喧嘩したら、人間にどんな被害が出るか、わかんねーですよ」
「たしかにね。でも、わたしはここに棲むよ。だって、ここが好きなんだもの。居心地がいい」
こりゃ話してもダメだ、埒が明かない。閏はそう悟って、棒手裏剣を構えた。
「じゃあ、力づくでやがります」