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第三話 気のせいじゃないかな?

 注射剤(アンプル)の中で開いた目の出現に、良人は息を飲み込んだ。


「ッ!」


 良人が声をあげる前にその『目』は紫に溶け込んだ。紫の混ざり合いは気味が悪いまま、その闇の瞳を覗かせることは無かった。


 ――なんだなんだなんだなんだアレ!


 良人の頭は脱線した暴走機関車のように石を蹴り上げ彷徨い始めた。口はだらしなく開いたまま呼吸も忘れてしまっていた。


 ――目? 目だよね、アレ! でも形ががおかしいよ! 蛇とか、そんな感じの形してたよ! しかもあの色というか、奥行きの無い黒い闇みたいなのは、何?


 昔話の鶴の恩返しの見てはいけない場面を見てしまったかのような「見なきゃよかった」という後悔の念が良人を駆け巡る。

 頭から発した「やべぇ」という信号はシナプスを駆け巡り、足先からの「お前バカだしな」という返信が届いたところで良人はようやく我に返れた。

 ここで帰って来なければ思考の沼にはまり込んでサヨウナラだったかもしれない。良人は無意識に腕で額の汗を拭っていた。ドっと噴き出た汗がシャツを密着させる。

 

 ――シャツが張り付いて気持ち悪いけど、あの目に比べれば……


「ん? 良人君どうかした?」


 屈託のない笑顔で出迎えた源蔵の顔が、どうしようもなく恐怖を掻き立てて、良人は拳を握りしめていた。


「先生、その注射剤(アンプル)に!」

「ん? 私の特製の注射剤(アンプル)がどうかしたかね?」


 源蔵はきょとんとしながら注射剤(アンプル)をパキリと割った。


 ウヘァハハハァ


 良人の耳に掠れた男の声がのっそりと忍び込んできた。聞きなれない声に良人の肩がビクリと跳ねる。良人は源蔵と紅葉を見た。

 二人とも注射剤(アンプル)に注視しているだけで、その表情には特に変化はない。


 ――あれ、僕だけに聞こえたのかな?


「あの、変な声が聞こえませんでした?」

「いやぁ、気のせいじゃないかな?」

「何も聞こえなかったけど」


 源蔵と紅葉が揃って首を傾げ、ユニゾンで答えてくる。


「そ、そうですか」


 良人が首を捻っている間に、源蔵が注射剤(アンプル)に注射器をブッさし、紫色の液体を吸い上げていた。だが注射器の中の液体には色などついておらず、向こうの本棚が透けて見えている。


 ――色、ついてたよねぇ……なんだかおかしいな、アレ。


 良人はその疑問を声にする。


「先生、その注射剤(アンプル)って」

「あぁ、これかい?」


 源蔵は空になった注射剤(アンプル)を持ち上げた。


「ちょっと企業秘密でね。一子相伝の秘術が込められているんだ」

「一子……相伝」


 ニッコリと微笑む源蔵に、良人はポカーンと口を開ける。


「先生!」


 それ言っちゃだめぇとの思惑を透けさせ声を荒げる紅葉を手で制止した源蔵は、良人に満面の笑みでゆっくり振り向いてきた。


「私はね、この地に数百年続く、由緒正しい狂化学者(マッドケミスト)なんだよ」


 良人の顔はポカーンから不可解な笑みへ、そして左の頬を引きつらせるに至った。

 




 部屋の空気は乾燥していて、頬はややかさついていた。良人のその頬がピクリと跳ねたまま、動かない。


「えっと、その、狂化学者(マッドケミスト)とか聞こえましたけど」

「あぁ、そうだろうね。そう言ったから」


 源蔵の童顔は「何を言っているのかね君」という顔に見えた。もしくは「まさか知らなかったとか、言わないよな?」との顔にも見えた。


「あれ良人君、知らなかった?」


 紅葉がその委員長属性たる眼鏡を輝かせた。

 思わぬ脇からの迎撃に良人は心の中でたじろいだ。まさかの憧れの紅葉からの眼鏡キラリンの一撃は良人のウブでシャイめなハートに突き刺さった。


 ――あぁ、紅葉先輩。スゴイ…… 


 思わず胸を押さえたたらを踏む良人に、はにかむ紅葉が「言うの忘れたかも」と追撃してくる。

 良人、撃沈の巻である。


「ゴ、ゴチソウサマデス」

「え?」


 眼鏡の奥で瞳を広げた紅葉に、良人は「い、いえサイコウです」と意味不明の言葉を口走った。

 良人の頬は湯上りの如く熱くなる。実際、紅葉は最高だった。


「まぁ、今知ったからいいとして」


 源蔵がそういいつつ、注射器をプリンの蓋に突き刺した。無情で残虐な光景に良人は我に返る。

 ギャァァァとプリンから断末魔が聞こえてきそうな勢いでスブっと刺した注射器から、透明な液体が無慈悲に送り込まれる。

 ドクン、ドクンと脈打つように怪しい液体がプリンを侵していた。


 ――プリンを大事にしてるのに、先生はなんて酷い事をするんだ。


 源蔵の顔が暗黒に染まり、瞳孔が限界まで開いた瞳でプリンを見つめていた。


「ふふ、よく頑張ったな」


 それは正しく狂化学者(マッドケミスト)の姿だった。


 ――あれって、プリンに声をかけてるんだろうか?


 良人の疑問などそっちのけで源蔵によるプリンへの注射(拷問)は終わった。

 シュカっとフラッシュがたかれたかのような部屋が光り、良人はプリンから目を離してしまう。


「うん、成功だね」


 源蔵と紅葉が何事もなかったようにプリンを見つめている。

 

「流石先生!」

「はは、当然さ」


 紅葉が頬が名前の用に赤く染まり、源蔵を憧れのアイドルを崇める眼つきで見つめていた。源蔵もそれに答えるように童顔の頬を緩める。

 閃光にやられた視力が回復した良人が見たその光景は、地獄と同等だった。

 ショックで立ち直れないかと思われた良人だが、意外にも思考回路は直ぐに回復した。


 ――まさか、まさか紅葉先輩はッ!


 乙女回路全開の紅葉を、良人は驚愕の眼差しでみていた。


 確かに、おかしいとは思ってた。部員だって幽霊部員ばっかりで紅葉先輩と僕しかいないようなもんだ。僕がいなかった去年なんかは先生と紅葉先輩二人っきりだったはずだ。

 きっと、きっと、青春漫画みたいに教師と生徒の危険な関係を楽しんでいたに違いない! お互いの立場に苦悩しながら、目が合えばすぐ顔を背けてしまうような、初々しい展開を楽しんでいたんだ!

 僕は、何でこんな簡単な事に気が付かなかったんだ! 僕の目は節穴も良いところだ! 何も映さないガラス玉が嵌っているだけじゃないか!

 愚かだ! 僕はなんて愚かだったんだ!

 あぁ僕は、僕は!……


「良人君、大丈夫かな?」

「彼の得意は妄想と現実逃避です」

「あぁ、通常営業ってことだね」


 生暖かい会話が交わされている源蔵と紅葉に凝視されていることに気が付いたのは、懺悔めいた独白に夢中の良人がもうこれ以上は自らを追い詰めるネタがないところまで行きついた、五分後だった。

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