パン屋のリス耳娘
「さて」
良くわからない肉、良くわからない果実でとりあえず腹を満たした俺とセンパイはお代を払って家路につくことにした。
「あ、せっかくだから明日の朝ごはん買っていこうか」
「朝ごはん?」
結局あれからジョッキを都合三杯空けて千鳥足になった姫君様に肩を貸しながら俺は尋ねた。
「お城でご飯出るでしょうセンパイ」
「たまには市井のものを食べて住民の暮らしを見つめなおすのも王様として大事な仕事なのよー」
酔っ払いがそれっぽい事を言っても説得力に欠ける事を俺はこの時知った。と、サブストリートの端に小さなパン屋を見つけた。小ぶりで木造の小屋のような建物だが、作りはしっかりしていて年季を感じる。
飲み屋ですらもう店じまいをしかけている所があるというのに、ここはまだ店先に小さな明かりがついている。その明かりに照らされてパンが山盛りになっていた。
「センパイ、ここのパン屋は夜に店を開くんですか」
「どこの世界に夜開くパン屋があるのよぉー」
ほら、と指差す先の店を眠そうな目で見てから、センパイはふらふらとそちらの方へ向かっていった。
「本当だ、山盛り」
るるセンパイが割と無神経な発言をするその先に、センパイと同じくらい眠そうな若い、下手したら中学生か小学生かというような女の子が立っていた。大きい栗色の眼に桃色の髪を二本のお下げにしてるのが余計に幼さを助長している。
ただ桃色の髪以上にファンタジーの住人らしい特徴がその娘にはあった。
(耳……尻尾もある)
まるでリスのような丸い耳と、ふさふさの立派な尻尾。コスプレかとも思ったがこの世界にそんな文化があるとは思えなかった。
「い、いらっしゃいませ!」
ぴょこんとやってきた女の子にるるセンパイが問いかける。
「アナタ、『エステル』なの?」
「はい、両親もそうです。この街には10年位前にやってきました」
女の子がセンパイの問いに少し肩身狭そうに答える。俺はセンパイの耳に口を寄せた。
「『エステル』って何ですか」
「見ての通り、ちょっと動物っぽい人たちの事よ」
詳しい事は後で、というニュアンスでるるセンパイが俺から離れる。
「このお店、夕方から開けてるの?」
「い、いえ!朝からやってます!」
「「朝から……」」
俺とセンパイの声がハモり、売り子と思しき女の子は恥ずかしそうに肩身を狭くした。
棚のパンは多少は……ほんの2、3個は無くなった形跡はあるが他のものは朝からそのままの形跡がある。
「焼き過ぎじゃないのかしら?」
センパイが気を使って優しげな声で聞いてみた。
「でも、これくらい売らないと……ウチ、借金もあるから……」
ションボリとした声でうつむいて答える女の子の声はもう泣きそうだった。気の毒になって俺も自然にうなだれてしまう。
「よし、今夜は大盤振る舞いよ。漣太郎くん、お金はワタシが出すからこのパン全部買って明日工房のみんなで食べちゃって!」
「「ええ!?」」
今度は俺と女の子の声が被った。
「そんな、悪いですよこんな売れ残りのパン……」
「いいのいいの、どうせ味なんかわからない連中なんだから」
多方面にめちゃくちゃ失礼な事を言う姫様だ。少し傷ついた女の子に気付かずに金貨を出しながらパンをさっそく一つ取って齧り出す。この人の胃袋どうなっているんだ。
「うーん、そんなにおいしくないわけじゃないけどねぇ」
「やっぱり、メイン通りのデルテラさんのお店の方にお客さん行っちゃうみたいで……」
暗い店内で縮こまる女の子はとても可哀想に見えた。なんとかしてあげたいが、毎日るるセンパイに全部買わせるわけにもいかないだろう。俺も毎日三食パンは耐えられない。
「漣太郎くんも食べてみなよ」
「じゃあこっちのを……このハチミツ入りのパンは結構いけそうですけどね。ちょっと硬いけど」
俺が手に取ったパンはロールパン大の大きさで、食感はフランスパンに似てボソボソしていたが中に入れてあるハチミツがいいアクセントになっていた。
「どれどれ……たしかに。ハチミツは美味しいわね」
俺とセンパイの言葉に女の子がパアッと顔を明るくした。
「ハチミツは親戚の人が新鮮なのを送ってくれるんです。ウチの一番オススメです!……パンじゃなくてハチミツですけど」
「なるほど……ホットケーキとかにつけたいわねぇ。あー思い出したらホットケーキ食べたくなってきちゃった」
「ほっとけぇきってなんですか?」
小首をかしげる女の子。こっちの世界にはホットケーキが無いのか。
「そういえばこっちでは聞いた事ないわね。このお店でホットケーキ作れたら売り上げ上がるかも」
「……ホットケーキミックスはどこで買えばいいんですか」
俺の質問にしばし目を閉じて悩むルル姫。
「ちょっと待って……たしかあれ小麦粉と……なんだっけ、重曹?があればいいんじゃなかったかな」
「ジュウソウもわからないです……」
また泣きそうになる女の子。こちらには重曹も無いのか。炭酸水素ナトリウムだもんな、確か。
「なんとかならない?漣太郎くん」
「俺は便利屋じゃないんですよ!……待てよ」
文句を言いながら、その時俺の頭に何か引っかかるものがあった。
「どしたの?」
「るるセンパイ、確か温泉に入ったって言ってましたよね」
「うん、地下にあるわよ。天然のが」
胸をえっへんと反らせるセンパイ。自分の城じゃないだろうに。
「それって色は付いてます?あと飲める奴ですか?」
「ほぼ無色で臭いもないかな。口を切った時に飲む人はいるみたいね。沁みるけど」
無色透明で飲める温泉か。
「それなら温泉の質次第ですけど、ワンチャンなんとかなるかもしれないですね……」