漣太郎、異世界に行く
うら若き姫君は、その麗しさに似合わぬ戦場にいた。
立ち上る黒煙。漂う血と死の臭い。
長時間の戦闘で体力も気力も底を尽き、声嗄らして檄を飛ばしていた部下たちもみなあの強大な影の前に倒れてしまった。
そして今まさに姫君も疲労の限界に倒れようとしていた。
(どうか……ああ、どうか)
長雨でぬかるんだ泥に伏しながら姫君は涙ながらに祈った。
(神よ。どうかリラバティを、我が身我が命は尽きようとも、かの愛する故郷だけは御守り下さい。どうか……)
「うぉぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁああああ!!」
空手部員顔負けの叫びと共に、“彼女”が跳躍した。
た、しかし
雲一つない青空に舞う“彼女”が纏うのは、精緻な宝飾の施された、しかしビキニかと思うほどの面積の少ない鎧。
そして身長ほどもあろうかと言う長い槍を構え、一気に真下に飛び降りてくる。
美しい“彼女”の真下で待ち構えるのは、太い腕に棍棒を持ち緑色の肌に獣の皮のような腰布を巻いただけの筋肉質の巨人。
ギラリ!と細身の槍が陽光に煌めく。
ズゥァアアアアアアアッ!!
その巨体が無慈悲な一撃だけで真っ二つに引き裂かれ、噴水のように血と体液を噴き出しながら左右に別れ地に伏した。
その真ん中で勢いのまま地面に突き刺さっていた槍を抜き、“彼女”は俺を振り返ってニッコリと笑いながら駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?漣太郎くん」
大丈夫と言うのが、怪我が無いという事であればその答えはイエスだが、精神状態を含めたメンタル的な事も含めるのであれば。
「だ、大丈夫じゃ、無いです」
ガクガク震える膝が折れないようにそう答えるのながら俺、御厨漣太郎はなんでこんなことになったのかを思い出そうとしていた。
遡る事、1時間ほど前。
11月の半ばの日曜日、午前9時28分、G県某市。
やや曇天だがそれなりに寒くもなくそれなりに小鳥も囀っている。
出かけるにはそれなりにいい天気だ。特に彼女とハイキングに行くという日には。
(……彼女と言っても付き合ってまだ一週間だけど)
それでも自分達が彼氏彼女の関係であることは間違いないのだ。なにせ彼女の方から方から付き合って欲しいと言われたのだから誰に臆することもなく全世界に公言してもいい。
実は自分にとって初めての彼女なのでデートやエスコートの作法など全然分からないのがとても不安であるが、ハイキングであればそんな難しい事は要求されないだろう。もしかしたらそこを慮ってのハイキングと言うチョイスだったのかもしれない。彼女の優しさが身に染みる。
待ち合わせの公園に着くと、もうその“彼女”が待っていて、こちらを見つけるなりぴょんぴょんと跳ねながら笑顔で呼びかけてきた。
「おーい、漣太郎くーん」
彼女が我が人生初の“彼女”であるところの留萌留美センパイ。2つ上の女子大生。背は高いが人懐っこくてこの天気よりも陽気な人だ。大きめの丸い瞳。小さいが艶のある桃色の唇。ニコニコと笑うその表情は真夏の太陽のように、もしくはマグネシウム燃焼のように眩しい。胸元に輝く薔薇のペンダントもよく似合っている。19歳なのにポニーテールはどうかと思ったりもするが、可愛いので大した問題ではない、はずだ。
「遅れてすいません、るるセンパイ!」
「ううん時間通りだよ、流石漣太郎くんだね!」
全身から放射しまくっているラブリーなオーラにクラクラする。本当にこの可愛い人(年上だが)が俺の彼女でいいのだろうか。
留萌留美、略してるるセンパイとは中学時代の部活の先輩後輩の間柄だった。センパイが3年の時に自分が入学したのでたった1年しか一緒ではなかったが今と変わらない明るさと可愛らしさで俺達男子部員の心はもう有頂天ハッピー、幸せの極みというやつだった。ゲーム好きで放課後は良くみんなとRPGの話なんかで時間を潰していたのが懐かしい。
中学卒業後、東京の高校に入学したセンパイを追うわけにもいかず地元の工科高校(ほぼ男子)に入学した俺はセンパイの思い出だけを胸に灰色の青春を過ごしていたのだが、つい先日学校の帰り道に駅前で偶然の再会を果たした。
話を聞くと高校卒業後都内に戻り大学に通いながら一人暮らしをしているということだった。それだけでも俺にとっては幸せな事なのにあろうことか夕暮れの公園でセンパイは俺の手を取りながら。
「久しぶりに会ったら、漣太郎くん男らしくなっててびっくりしちゃった。私、こっちに帰ってきても知り合いがみんないなくなっちゃってて寂しいんだ。漣太郎くん、よかったら……ワタシと付き合って、くれないカナ?」
その日は首を縦に30回ほど振った以外に記憶がない。とにかく深い事情を考えないまま浮かれたまま即オーケーの返事をし浮かれたままメアドを交換し浮かれたまま家に帰って飯を食い風呂に入り布団の中で悶々とした。
以来日に何回かのメールのやりとりをして今日のデートに至ったわけである。寂しがり屋のるるセンパイの心を癒すため、俺は自分のすべてを賭ける覚悟で推参したのだった。
だから今日、彼女が首の下にすっぽりとポンチョのような布をまとっている事に気付くのに少し遅れてもそれは仕方のない事だろう。
「センパイ、何でポンチョ?なんか着てるんですか?」
確かに空に雲は多いが雨が降るようには見えないし、そもそもこれからバスに乗って山に行くはずだ。それに妙に肩のあたりのシルエットがゴツイ。まるで肩パッドでも入っているかのように見える。
「いやー、雨でも降ったら大変と思ってさっき買って着てみたんだけど、ちょっと大きすぎたかなって。あ、コレ今日の記念のプレゼント」
センパイはささっと俺の首にネックレスをかけてくれた。少し引っかかるものはあったが、じゃあ行こうか、と言うるるセンパイの可愛い声と俺の手を握るやわらかい手の温もりの前に、俺の疑問はその辺の枯れ葉のように吹き飛んで行った。
幸せにのぼせている俺の前で、るるセンパイは歩き出しもせずにスッ、と一瞬神妙な面持ちになるとその両目を閉じた。
「……センパイ?」
「開け」
俺の呼びかけには答えずにセンパイの小さな口から短く言葉が漏れた。直後、二人の足元のタイルに青い光の線が何本も奔り始めた。
(!?)
それが何なのか理解するよりも早く、光の線は複雑な幾何学模様を描き……いわゆる魔法陣のような円を作り上げた。
目の前では足元からの光に照らされたるるセンパイが穏やかな顔で微笑んでいる。
「行くよ、漣太郎くん」
「え?」
何が何だか分からないまま俺とセンパイの体はゆっくりと宙に浮いて、激しい光の中に溶けて行った。