バッドエンド
ある小さな町で殺人事件が発生した。
被害者はまだ小学五年生だった男の子で、死因は胸部を拳銃で撃ち抜かれたことによる失血死だった。凶器となった拳銃は未だ見つかっておらず、犯人が誰なのか、そしてどこへ逃亡したのかもわからないまま、数日が経過していた。
ちょうどその頃、僕は運悪くその町に滞在していた。
仕事の用事があって、数日前にこの町にやってきたのだ。犯人がまだ捕まっていないというニュースを聞いて、僕は一刻も早くその町から出ていきたかったのだが、そういうわけにもいかない。まだ仕事が残っていたのだ。
僕は荷物を持って、仕事先へと出向いた。その途中の道で、突然、何か大きな音が聞こえてきた。僕は驚いて、足を止める。
立ち止まって耳を澄ましてみると、少し離れた場所から子どもの泣き叫ぶような声が聞こえてきた。
僕はたった今、歩いてきた道を振り返った。
振り返った先には神社があった。僕が立っている場所から数メートル離れたところにあって、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきたのはその方向からだった。
何だか嫌な予感がして、僕は歩いてきたばかりの道を引き返した。そして神社へと向かう。
神社の鳥居の前に立ち、僕は恐る恐る境内の様子を窺ってみた。
すると、そこには一人の大人の男と、一人の小さな男の子がいるのが見えた。
僕の嫌な予感は的中した。やはり、さっき聞こえてきたのは、子どもの悲鳴だったのだ。
境内にいた大人の男は、上下黒の洋服に身を包み、頭には上着のフードをかぶっていた。そのためどんな表情をしていたのか僕からは見えない。けれど、その男の印象は明らかに悪かった。
フードをかぶっていた男は、そばに立っていた男の子の手首を強引に掴んで、どこかへ連れていこうとしている最中だった。
子どもはその男の腕力に負けないようにと、必死に抵抗している。
その様子を見た僕は、脳裏に、数日前に起きた殺人事件のことがよぎった。
その殺人事件の被害者は、確か小学五年生くらいの男の子だったはずだ。
たった今、境内で泣き叫んでいる子どもも、数日前の被害者と同じくらいの年代に見える。
僕は、背中に悪寒が走った。今、僕が見ている状況は、新たな殺人事件のはじまりなのかもしれない。
僕は仕事のことを忘れて、急いで境内へ向かって走り出していた。
「おい! 何してるんだ、やめろ!」
僕がそう叫ぶと、フードをかぶった男はこちらを振り向いた。その間にも、僕の耳には子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
フードをかぶった男は、睨むような目で僕を見た。それでも、その顔にはまだ幼さが残っていた。おそらく十代後半から二十代前半の若者なのだろう。ということは、僕と比べて十歳以上、年下ということになる。
僕は咄嗟に、持っていた荷物を男の方へと投げていた。
それは男の気をそらす作戦だった。僕の予想通り、フードをかぶった男は、自分の方に荷物が飛んできたことに驚いていた。荷物をよけようと、男は身体をそらす。その拍子に、男の掴んでいた手が、子どもの手首から離れた。
僕はその瞬間を見逃さなかった。男が油断した隙をねらって、その場を離れようとした。泣いていた男の子の安全を守るために、僕はその子の手を握って、一緒に走って逃げ出した。
境内を出て、細い道を駆け抜ける。できるだけ遠くへ逃げようと全力で走った。
隣を見ると、男の子が泣きながらも僕と一緒に走っていた。男の子は、僕のことを安全な大人だと認識したようだ。抵抗することなく必死に後をついてきてくれる。
しばらく走って、僕は後ろを振り返ってみた。
すると、僕たちの後ろをフードをかぶった男が追いかけてくるのが見えた。
僕はもう追っ手を撒いたかと思ったけれど、相手はしぶとい奴だった。その男は、まっすぐ僕たちの方を見ながら後を追いかけてくる。
逃げている途中、僕の隣を懸命に走っていた男の子が何かに躓いて転んでしまった。
その間にも、僕たちを追いかけてくる男との距離がどんどん縮まっていく。
僕は、男の子の身体を持ち上げると、そのまま抱っこした形で走り出していた。
今はとにかく逃げることだけを考えなくてはならない。
逃げている最中に、僕は、この辺の近くに空き家があったことを思い出した。急いで、そこへと駆け込むことにする。
空き家のドアは鍵がかかっていなかった。
僕は男の子を抱っこしたまま、中に入った。追ってくる男が入ってこないように、慌ててドアを閉め、しっかりと鍵をかけた。
僕たちが安堵した瞬間、乱暴に外からドアが叩かれた。きっと、さっきのフードをかぶった男だろう。僕たちがいる空き家へ入ってこようと、ドアノブをまわしながら男は何かを叫んでいた。
僕たちは身体を震わせながら、ひたすら静かになるのを待った。僕は電話で警察に助けを呼ぼうとしたのだが、運悪くそのとき携帯電話を持っていなかったことに気づく。さっき、神社の境内で咄嗟に投げた僕の荷物の中に、携帯電話も入っていたのだ。だから僕は今、自分の持ち物を何一つ持っていない。
しばらくすると、外が静かになった。ドアが叩かれる気配はない。
どうやら男は、あきらめてどこかへ去っていったようだ。
僕は深くため息を吐いた。とりあえず安心だ。もうこれで、男に襲われる心配はないだろう。
僕は、子どもの無事を確かめるため、後ろを振り返った。
僕の後ろに立っていた男の子は、気づけば泣き止んでいた。
そして、その男の子の小さな手には、一丁の拳銃が握られていた。その銃口は、迷わず僕の胸へと向けられている。
拳銃を持っていた男の子の顔には、さっきまでの弱々しい面影はどこにもなかった。
予想外のことに唖然とした僕の顔を見て、男の子が急に笑い出した。そして、必死に笑いをこらえようとしながら、こう言った。
「大人って、簡単に騙されるよね。さっきの、フードをかぶった男の人は、数日前に起きた殺人事件の犯人の正体に気づいて、僕を捕まえようとしていた良い人だったのにさ。おじさんは、それを邪魔したんだよ。馬鹿なことをしたね」
子どもの不気味な笑顔を見ながら、僕は悟った。
さっき、神社の境内で子どもを誘拐しようとしていたように見えた男は、殺人犯なんかじゃなかったのだ。あれはただの僕の勘違いで、本当は、今、僕の目の前に立っている男の子こそが数日前に起きた殺人事件の犯人だったのだ。
つまり僕は、今まで殺人犯を守っていたことになる。
しかも今は、その殺人犯と一緒に、密室空間に閉じ込められているのだった。
驚きのあまり、僕は言葉を発することができなかった。
それを見た男の子は、また愉快そうに笑っていた。
そして静かに、男の子の人差し指が、拳銃の引き金へと動いていた。
数秒後、僕の耳に最後に聞こえてきたのは、一発の銃声音だった――。