96 大地に呑み込まれる
鳩尾を狙っての連続蹴り。後方に下がり躱そうとすれば、背後の壁より一斉に水晶の槍が無数に生える。
数本の先端が身体に掠り、慌てて横へ逃れれば雷撃を纏った回し蹴りが眼前へと迫る。頭を屈めて避けるが、額と頬を紫電に焼かれる。
ヘリオドールはシャルロットの動きや状況に合わせて完璧に魔法でサポートをしてみせた。
「くっそ、ラチが開かねぇ! 何だこいつ……!!」
ペインレスは今まで相手をした事のないタイプの敵の出現に焦燥しきっていた。
次々と繰り出される蹴撃。それに添うように繰り出される魔法。
先程まで三属性の魔法の使い手だと思っていたが、どうにも違うようである。
ジェイドと対峙した時に彼はいくつもの属性を扱っていた。
子供の時は三属性しか扱えていなかった彼が、それ以上の属性を携えて帰ってきた事に驚きはしたが、それでも原因はまだ何となく分かっていた。
けれど、目の前の少女は違う。理由も分からないが次々と魔法を連発してみせるのだ、スピード自慢のペインレスと言えども反撃する隙もない。
一人だけだから手詰まりになるのだ、一度謁見の間に戻ろう。
まだ兵士達が残っているかもしれない。中には魔法を得意とする者もいた筈だ。
少女に手数が多いなら、こちらは数で制圧してしまえばいい。
ここはグランヘレネ皇国の陣地だ、敵一人がいた所で慌てる必要はない。
そうと決まればペインレスは床を蹴り方向転換をして元来た道を再び駆け出した。
「あっ、お待ち下さい!」
「待てって言われて待つ奴がいるかバーカ!」
風のように素早いペインレスを追い掛けるシャルロットの脚もまた、風に乗る速さであった。
然しペインレスは痛みこそ感じてはいないが、既にかなりの怪我を身体に負い出血も多い。
本来ならばいつ倒れても可笑しくない状態で全力疾走し、廊下の真っ白な壁や床に血の珠を散らしていた。
ペインレスの行先を知らないヘリオドールは、彼の進む道の途中曲がり角を曲がったりなどせぬように通路を茨で塞ぐ。
ヘリオドールは謁見の間に近付きたいのだ。あそこから土のヘリオドールの気配が強く漂っていたのは確かであるのだから。
ジェイドの復活が最優先ではあるものの、本来の目的も忘れてはいない。今夜必ず、土のヘリオドールを破壊してみせる。
目的地を最初から自分の意志で謁見の間へと決めているペインレスは、追手に誘導されている事にすら気付けないでいた。
謁見の間には未だに沢山の兵士で溢れ返っていた。逃げたシャルロットを追って出ていった兵も多数いるが、余りの速さに直ぐに見失ってしまった兵が大半であるのと、彼女に気絶させられた兵を治療する手配なども進められていた為である。
そこに、先程出ていった筈のペインレスが飛び込んで来たのだから皆が一同に驚くのも無理はない。
「なっ……如何されました、ペインレス様!」
「オイ何なんだよあの女、ヤベェぞ! 総員武器構えろ!! 今度こそ引っ捕らえろよ!」
ペインレスはそのように指示するのが精一杯だ。シャルロットの脚はそれ以上の指示をさせる時間を与えなかった。
どれだけこの石が欲しいんだか。現れた少女は黄緑色の瞳を輝かせ、沢山のシュルクで溢れ返る謁見の間の中でペインレスのみを注視する。
「……そんな穴が開く程見つめるなよ、流石の俺でも照れちまう」
冗談でも言って平常心を取り戻そうとするが、その声は僅かに震えている事に気付く。
周囲の兵もシャルロットも彼の声の震えには気付かないようだが、己の中に芽生えている恐怖心をペインレス自身が嫌という程に感じ取ってしまった。
痛みを感じなくなった事で怖いものなどこの世になくなったと思っていたのに、まさかこんな年端も行かぬ少女相手に恐怖心を抱くなどと。あってはならない事だ。
人海戦術でこの場を切り抜けようとは思ったが、この場で一番能力の高いのはペインレスだ。そのペインレスが抑えられない少女を、果たして人数にものを言わせて抑え込むなんて事が可能であるのか。
そもそも彼らグランヘレネ兵は、先程だってシャルロットたった一人相手に完全に遅れを取っていたではないか。
それに、少女は魔法の力を借りて先程よりも数倍強化されている。
つまりこの場に逃げ込んだところで、結果は考えるまでもない。
「ぐぁっ!」
「う、うわああ!!」
数刻もすれば元より謁見の間の隅に山積みになっていたグランヘレネ兵達が、更に重なり合い高さを出すだけの結果となってしまっている。
傷付いたペインレスは一旦兵達の壁に護られるようにして部屋の奥へ奥へと退るが、人壁は徐々に薄くなってしまっている。
成人男性の亡骸を抱き締めたまま脚と魔法でこれだけ動き回る少女だ。
両腕も自由であるならば、既にグランヘレネ兵などとっくに皆地に伏しているのではないかと思える程である。
もう後がない。ペインレス達は既に、奥に安置してある玉座付近へと追い詰められていた。
ペインレスは咄嗟に風の魔法を展開し、防御体制を取る。普段移動用にしか使わない風の魔力だ。防御として展開するのは少々心許ないが、ないよりマシだろう。
少女は空高く跳躍する。まるで空中に脚の踏み場でもあるような動きであるが、よくよく目を凝らして見てみれば実際踏み場は存在していた。
闇夜に射し込む月の光に照らされてキラキラと透き通る氷の塊が、いくつも空中に浮いていた。それを踏んでシャルロットは天井高い謁見の間の上空へと飛び上がり────
「えーいっ!!」
そこは敢えて蹴りではないのかと突っ込みたくなるような姿勢。
最早傍から見れば頭から落下して来ているようにしか見えないが、風の魔法で勢いを付けた頭突きは物凄い勢いと風力を纏って真っ直ぐにペインレス目掛けて落ちてくる。
彼が展開した風の壁など少女の額を前にすれば塵に等しいと言わんばかりに霧散し、まるで隕石のような勢いで落ちてきたシャルロットの頭部と風の魔法は周囲にいた兵士達を四方に軽く弾き飛ばし、思い切りペインレスの腹部へとめり込んだ。
「ぐっ……あ!?」
何度も言うが痛みはない。
痛みはない中で息が詰まる感覚というのは、非常に気持ちが悪いものだ。
ペインレスは両手で己の身体を勝手に谷折りにしてしまう少女の頭を抱えるが、その勢いが止まる訳ではない。
彼の身体は斜め上から落ちてきた攻撃の重さを直に受け、その衝撃に耐え切れず足元の床に両の脚がめり込んだ。
めり込んだだけならまだ良い。否、良くはないが。
彼の身体を突き抜けて脚から周囲にその衝撃を伝えるシャルロットの攻撃は、足元の床から玉座の背後の壁をもヒビを入れて破損させていく。
結果、壁や床が諸共崩れてその向こうに道を示した。壁の向こうに階段が見える。
ヘリオドールは即座に見抜いた。本来隠し階段であっただろうこの先に、探し求めて止まない女神が安置されているのだろうと。
階段が見えたからといって階段をそのままの用途の意味合いで扱えるかと言われれば、それは大きな間違いだと認識させられる。
ペインレスを巻き込んだシャルロットは、美しく渦を巻く螺旋階段を斜め上方向から貫いて破壊していく。
「やあああああっ!」
轟音鳴り響く大聖堂内。
広い建物全体を揺るがす程の衝撃は、まるで地震のようであった。
階段を造る為の空間の存在する地下は玉座周辺の壁や床と比べて更に脆く、焼き菓子のように崩れていく。
いち早く地下に行きたいヘリオドールは落ちるシャルロットとジェイドの周囲に強風を呼び出して、落下角度を矯正しながら保護をする。
保護をされているシャルロット達と比べて、ペインレスは最早何も出来ない。
身体に強い衝撃を何度も浴びながら、自分はどうなるのだろうとぼんやりと思考するだけだ。
もう指先の感覚もなくどこかで落としてしまったとしても不思議ではないというのに、ジェイドから奪い取った石は未だに手の中に握られていた。
やがてペインレスの身体は地下にある空間の入口付近へと、瓦礫諸共叩き付けられる事になる。
土の魔石、ヘリオドールを安置している間だ。突然の揺れに轟音、崩れた階段に落下してきた人々など目まぐるしく起こる事象に対して、その場にいた研究者や護衛を驚かせてしまったようだ。
彼らの姿、驚愕の表情が視界の隅に映るがペインレスは指先一つ動かせないでいた。
「ぺ、ペインレス……様!?」
「痛く、ねーのに……痛くねぇのに、っ…………動けよぉ……俺の、身体ッ!」
もがいてみせるがそれは無駄だ。
もう彼の身体は骨も筋肉もボロボロで、自力で立つ事すら出来ない。
この場にいる研究者は北の地ケフェイド大陸、オリクトの総本山アル・マナクの創立者、アウグスト・クラトール氏だ。
彼の護衛を請け負っていた数人のグランヘレネ兵が驚きを隠さずにひたすらペインレスの周辺でオロオロするが、すぐに事は重大であると思い至り二人程で応援を呼ぼうと部屋の入口へと駆けていく。
然し、その考えは無駄である事を思い知らされる。階段は完全に崩れ落ちてしまっているのだ。上の階へは戻れない。
当の重篤な怪我を負っているペインレス自身は、客人にみっともない所を見せてしまったな、などと場違いな事に思考を巡らせ現実逃避をしていた。
「うう……」
そんな中で、瓦礫の下より姿を現した者がいた。ジェイドを抱えたシャルロットだ。
ヘリオドールの魔法に護られ、彼女達は大きな怪我を追う事もなかったが勢いが付きすぎて瓦礫の影へと潜り込んでしまっていたようだった。
現状を鑑みるにペインレスをここまで追い詰め、螺旋階段すら破壊したのがこの少女である事は誰の目から見ても明らかである。
教皇の影の右腕とすら呼ばれるペインレスがここまでやられる相手だ。この場にいる少数の兵士達は、得物すら構えはすれど少女相手に臆して一歩すら踏み出せないでいた。