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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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94 あなたは赦してくれるだろうか



 シャルロットの見たものは、まず第一に愕然とした表情のペインレスであった。

 月明かりの瞳には混乱と失望が映る。

 その視線の先、つまり自分の背後へと目を向けるが黒い髪が邪魔をして視界が遮られている。

 黒檀のような髪を見て思い出すのは勿論彼女にとっての師匠、ジェイドである。

 何故彼が自分の背中に密着しているのか、そして何故それを見つめるペインレスの表情が哀しみに染まっているのか。

 彼は自分に何かを仕掛けようとしてここまで近付いてきたのだろう、なのに何故そんな顔をする。


 その理由を知るのは、鮮血が床に零れ広がっているのを目視出来てからだった。


「────っ!!」


 シャルロットは悲鳴を上げたいのを必死に噛み殺して耐える。

 グランヘレネ皇国の法衣は白が基調だ。赤は余りにも目立つ。

 じわじわと侵食していく鮮血の色は、食い潰されていく白の布地は。まるで喪われていく命をそのまま見ているかのようだった。


「う、そ……、…………先生ッ!」


 果たしてシャルロットの声は届いているのだろうか。


 終わりというものはいつだって唐突に訪れる。

 彼女の背に凭れるジェイドの胸は、ペインレスの右手に貫かれていた。

 彼の姿は嘗ての旧友とほぼ変わらず、重たく血液を吸った衣服によりまるで元より赤い衣であったかのような装いであった。

 重たく伸し掛るような命の赤さは、無遠慮に弟子の纏う衣をも穢していく。

 支えようと振り返り受け止めるべく腕を広げるシャルロットは、未だに現状を認識も、広げた腕の形のように受け入れる事も出来てはいない。

 そんな彼女の胸の中に、脚に力の入らないジェイドの身体は倒れ込んでは来ない。

 その胸の中心をペインレスの右腕に貫かれ、その場に吊り上げられるように固定されてしまっているからだ。

 ペインレスの手首までをも胸の奥底に受け入れて飲み込んだ人物から、そう簡単に返事や呼吸音がありありと聴こえる方がどうかしている。

 今では不穏にすら見える黒髪の隙間から覗く横顔が、どうしたって物語っている。彼の瞳に光が灯ってはいない事を。否が応でも彼の魂の在り処が、ここではない事を知らせている。

 鮮やかな夜明けの紫と深緑の色を広げた瞳は、夜の帳の腹の中へと落ちていくかのように濁り死んでいく。


 どうしても受け入れられない現実に叫びそうになるシャルロットを遮るかのように、先に慟哭したのはペインレスだった。


「……な、ンッでだよジェイド! 何でそんな奴庇うんだよ、そいつと俺の何が違ったんだよ! なァ、答えろよ!!」


 このような事態を招いた当事者本人とは思えぬ焦燥っぷりである。

 答えを問うて返答が返ってくる訳がない。

 最初こそジェイドをも殺すつもりだったのだから、ペインレスにとっては現状こそが望んだ結末と言えよう。

 結果はこの際どうでもいい。過程に納得がいかないといった様子だ。

 シャルロットを狙うペインレスのスピードを上回るように、素早く動く彼を更に越えようと雷、光、風属性の魔法──使えるものは総て使ってまで、己の身体を盾にしたジェイド。

 少女は身を呈して護る価値があるけれど過去のお前にはないと、物言わぬ男に言われているような気分が更にペインレスを苛んだ。


 ペインレスの胸の内の事など、この二人の過去に何があったかなんてシャルロットには分からない。彼とジェイド、その二人にしか分からない事である。

 そしてそれを説明出来る人物の内一人は、もういない。


 ジェイドの死を噛み締めて理解するだけの時間がシャルロットにはあった。

 不思議な事に、背後にいるであろうグランヘレネ皇国の兵士達は誰一人としてこの時間、隙だらけの少女の背中へと襲い掛かって来る事がなかったからだ。

 儀式を乗り越えたペインレスは、彼らとは比べ物にならない程の権力と地位を手に入れた。そんな彼が取り乱しているこんな時にまで、それを無視して戦闘が出来る勇気など無いのだ。


「…………」


 今後自分がどうなってしまうかなど、今のシャルロットには考える事は出来ないし、考えても些細な事であった。

 そんな事よりも両目から零れ落ちる熱い滴りの止め方が分からなくて、胸が苦しい。


 まだ教えて欲しい事も沢山あったし、話したい事も沢山あったのだ。

 それがこんなにも、呆気なく。

 最期の言葉すらなかった。

 危険がない仕事だと思っていた訳でもない。

 けれど、ジェイドならばどんな事が起こっても大丈夫だと思っていたのは事実だ。

 彼の事は信頼していた。だから背中を預けていた。

 信頼した事を後悔なんてしたくないけれど、ならばこの形容し難い感情とやり場のない激情はどうしたら良いのだろう。



 暫くの間、この場にいる誰しもが沈黙していた。やがて一番に動き始めたのはペインレスであった。

 ゆっくりと、ジェイドの胸の中心に埋まっていた右手を引いたのだ。

 肉と臓器と血液をこねくり回し引き摺り出すような、聞くに耐え難い妙な音が裂かれた胸元より響く。

 兵の中にはこのような場面に慣れていない新人もいるのだろう、そっとその場に蹲る者もいた。


「…………これは。返してもらうからな……」


 そう言い、血塗れて紅い別の生き物のようになった生々しい右腕を引くペインレスの指の間から、何か光が漏れていた。

 何かを掴んで引っ張り出したようだが、あんな場所にあるものなど心臓くらいしかない筈。

 現実的に考えてジェイドが着ていた服の胸ポケット辺りにオリクトでも入れていたとしか思えないが、オリクトと比べると随分大きさも光り方も違うようだ。

 シャルロットはぼんやりとした意識の中、何となく気になり注視する。

 緋色の隙間から溢れ出る光は、七色にも見える無色透明の煌めき。Aランクのオリクトよりも一回り程大きいように見える。


「それ、は…………」


 シャルロットには何が何だか分からない。問いに対してマトモに返事を返してくれる者もいない。

 それでも一応返ってきた返答は、まるでシャルロットの望む答えではなかった。


「……じゃ、俺やる事やったしその女の子捕まえといてな。俺が今この場で殺しても良いけど一応尋問も必要だろ……つーかシラけた。後始末宜しく……」

「……、…………ハッ!」


 一部始終を見ていた兵達へとそう言えば、ペインレスはその場を後にしようとシャルロットを無視して出入り口へと向かう。手にはジェイドから奪い取った“何か”を握り締めたまま。

 彼が通り易いようにと二つに別れた人垣は、目的の人物を通すと直ぐにシャルロットを再び室内に捕らえるように人と人とで混じり合い壁となる。


「……」


 残されたシャルロットは茫然としてジェイドの亡骸の頭を膝に乗せた状態で、その場に座り込んでしまっていた。去っていくペインレスを見送るように振り返る事すら、なかった。

 こんな状態ならば捕まえる事など容易だろう。但し、彼女の戦闘力をその身でしっかりと体感していたグランヘレネ兵達は勿論得物の切っ先を下ろすような事はしない。

 油断させておき、この後に及んで暴れる算段かもしれないと念には念を入れながらジリジリと少女に対してゆっくりと包囲網を狭めていく。


 手を伸ばせば直ぐにでもシャルロットの茶混じりの金髪を掴む事が出来る。皆が皆、そこまで接近したその時だった。


『気安く触らないで頂けますか』


 どこからともなく声が響くと同時に、シャルロットを中心に巻き上がる爆炎。

 炎の魔法の遣い手が起こしたと言われても納得の出来る熱量。

 それらが瞬時に床より噴き上がるように、シャルロットとジェイドという二匹の獲物を大切に庇い護る蛇の蜷局のように、グランヘレネ兵達へと襲い掛かる。


「うわっ……!?」

「退避! 総員退避だ!」


 慌てふためいてシャルロットから距離を取る男達の中心で、何が起こったのか分からないでいたのはシャルロット自身だ。


「え……?」


 服の内側が光っている。

 紫色に、翠色にと見た事のある色合いの光の奔流が胸元から溢れている。

 シャルロットは慌てて法衣の襟元を弄り光の出処を引っ張り出す。

 それは、サエス王国を発った時に馬車の中でヘリオドールから渡されたチョーカーに下がった石だった。

 服から出すとそれは更に煌めきを増した。薄暗い夜の大聖堂内で、一際輝き夜闇を切り裂く星のように。


 更にそこから聞き覚えのある声がする。ヘリオドールだ。

 声はジェイドのものと酷似しているが、言葉遣いや発声の仕方で何となく違いが分かる。

 ざわめく周囲の兵達の声と燃え上がる炎の爆ぜる音が交じる中、シャルロットはかの声を取りこぼさんとじっと耳を澄ませる。

 彼はジェイドの別人格である筈。死したジェイドの身体からその声が聞こえるというのならば、色々と無理はあるものの未だ理解は出来る。

 然し、何だってこんな硝子玉から声がすると言うのか。石はチカチカと星のように瞬き、それが呼吸音であるかのようにヘリオドールの声が零れる。


『シャルロット、しっかりして下さい。ここからは僕がサポート致します……僕と、ジェイドを取り戻しに行きましょう』

「ヘリオドール様……ですよね!? と、取り戻すってどういう……」

『ジェイドは未だ死んではおりません、急げば間に合います……! けれど時間がない。詳しい説明をする暇もありません、どうか急いで……!!』


 生きている。自分の膝の上で虚ろな目を伏せぐったりと力を抜き、呼吸音の一つすら漏らさなくなった人形のような彼が、まだ。

 何がどうなって未だにジェイドの命を繋ぎ止めているのか全く理解出来ないがその言葉は確かに、シャルロットの瞳に希望の光を灯したのだった。

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