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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
93/192

93 あなたにとって大切なひと



 与えられたものは祖国の紋章。

 胸の下の傷。

 たった二つのそれだけが、「ヘレネ様の祝福」だという。


 二つは神の国への通行証。

 これらを与えられ生きてきた者は限りなく少なく、儀式を乗り越え生き長らえたとしてもたった数年で命を落としてしまっていた。

 生きていられた者は殊更特別であり、自らが受けた儀式の加護を名として名乗る事が許される。


 “painless”“medicine”“conductor”は最たる成功例である。

 “conductor”に関しては他の儀式と比べて比較的被験者に負担の少ない施術内容だった為に、生きている者こそ多いがその力を最大限に振るえるのは未だに一名のみである為、その名はその者が名乗る事となっている。


 痛苦を感じず、女神と教皇を護る為の優秀な兵として働けるようにと作り出された“painless”。

 儀式と称した人体実験を繰り返すグランヘレネ皇国では魔法の他に薬品も重要である。上辺は「医療機関と国民の為に」と開発される薬の為の礎となる“medicine”。

 それらの儀式により生み出される数多の死者を、敢えて有効活用出来ないかと作り出された“conductor”。


 他国の女神の力を持った者や闇の魔力を持った者は、この国では人ではないのだ。

 それは儀式を執り行う側にも、そして受ける側にも共通認識である。

 だから“実験動物達”は非常に扱い易い。全ては女神の思し召しである。


 さて、齢十にて儀式を受けた少年ジェイドはどのような儀式を受け、何故生きているのか。

 本人ですら知りもしない話だ。





「なあ、ジェイド。痛いってどんな感じ? 今痛いんだろ? 俺もう何にも痛くないんだよ。痛みってさ、どんなんだったかもうこれっぽっちも思い出せないんだよ。だから教えてくれよ……なあ。なあなあなあなあ!!」


 親に棄てられた事で癇癪を起こし上空で泣いていたような少年が、繰り返される激痛に耐えられる訳はなかったのだ。

 彼の精神は子供の時のまま。彼はジェイドと同い歳の筈だけれど、とてもではないが立ち振る舞いが二十四歳には見えない。


「……君に教えられるものなんてない。その様子だと、どうせ教えた所ですぐ忘れてしまいそうだしな」


 肩の傷は回復魔法で応急処置をするが、完全回復に至らせるような隙をペインレスが与える訳はない。


「じゃあいーや。死ね」


 踏み込んで跳躍。

 “medicine”の儀式の結果で生み出された薬品を投与されている彼は光魔法で身体強化をしているシュルク並、否、それ以上の力を手に入れている。

 更に本人の扱う風魔法。この組み合わせが彼の爆速の正体である。

 しなやかな筋肉から生み出される鞭のような蹴りがジェイドを狙い──それをシャルロットが両腕で抑える。


「ぐっ、……うぅ!」

「シャルロット、無理するな! 下がれッ」

「出来ませんっ!」


 重たい衝撃に腕が痺れるシャルロットは、ペインレスが離れた瞬間に自分の身体を抱き締めるように両腕を庇う。

 相当強い身体強化魔法を無意識に扱えるシャルロットであっても、薬物と魔法で無理矢理強化されてるペインレスの一撃は受け止めるには重すぎる。

 こんなものをジェイドが受けてしまったらと考えると、身を呈して盾となる道を自然と身体が選んでしまうのだ。


 そうこうしている内に沢山の足音と声、金属同士がぶつかり合うような音が、謁見の間の前の廊下から聞こえてくるようになる。

 時間を掛けすぎてしまったのだ。最悪だ。

 争う音を聞きつけた、武装したグランヘレネ兵が何人もこの場へと雪崩込んでくる。


「待たれよ侵入し…………ヒッ!」

「何と悍ましい……見てみろ、法衣を着ているぞ!」

「重刑だ! あの二人には重刑を与えるのが相応しい!!」


 ジェイドとシャルロットの姿をその目に収めた瞬間の彼らの間からは、怒りよりも明らかな動揺が見て取れる。

 神聖な大聖堂に真夜中に侵入し、謁見の間で暴れる侵入者の姿が聖職者である事が恐ろしいのだ。

 彼らと一緒にシャルロットも見つかってしまった事に動揺するが、ジェイドは特に問題がなさそうに落ち着き払っている。

 弱者が何人も集まったところで問題はないのだ。どいつもこいつも一般兵の装いであり、出世出来なかったからその他大勢の中へと埋もれているだけに過ぎないのがその装いから見て取れる。

 ただ、そちらに気を取られる事があってペインレスから視線を外す事だけはあってはならない。

 外したが最後シャルロットに大事があったらと思うと、嫌な汗が頬を伝うのが分かった。


「シャルロット、……雑魚を頼む。俺はスカーフェイスの相手で忙しいからな」


 考えながら口を突いて出てくる指示などこんなものだ。考えても最良の答えを得られるだけの時間なんてない。

 思えば、今回は敵地の情報もほぼ得られないままでの作戦である為に、毎度行き当たりばったりで行動している気がする。頼りになるのは過去の記憶ばかりだった。

 リーンフェルトとの衝突という、イレギュラーな事にまで見舞われてしまった。

 ここまでの選択が正しいものであったかなんて、ジェイドにだって分からないのだ。

 それでも明るく返事をして、数多の兵士達に進んで向き直ってくれるシャルロットの声には心から励まされる。


「畏まりました……!」


 彼女なら大丈夫だ。破壊力は折り紙付き、あの力に何度振り回された事か。

 是非ともこのグランヘレネ皇国を、右から左からと激しく派手に振り回してやればいい。その為の布石は揃えてやろう。

 ジェイドはペインレスと改めて真っ直ぐに対面する。


「お喋りは終わったのかァ?」

「ああ、……待たせたな!」


 余裕の笑みを浮かべる彼に、一時すらも反撃させる時間を与えるような真似はしてはならない。

 素早い動きを得意とする男への攻撃は、その行動力を上回るスピードでなければ。ジェイドが応え終わると同時に背後に展開されるのは紫色の魔法陣。雷電帯びるそれから放たれる雷槍は、ペインレス目掛けて空気を切り裂き疾る。

 彼へと突き刺さる前に逃げ場も喪わせるべく、矢継ぎ早に魔法を行使する。

 シャルロットをこの場から距離を取ってもらって良かった。もし傍にいたままなら巻き込んでしまう可能性もある。

 次に雷の奔流とペインレス目掛けて、高い荘厳な天井を飾り付けるが如く光り輝くのは金色の魔法陣。そこから堕ちるのは雨のように降り注ぐ細長い水晶柱。

 更にそれらを囲むように茨の蔦も密集させて呼び出し、上にも左右にも逃げ場がない状態にしてから右手を突き出す。

 放つのは高熱、迸る焔の渦。

 思い出と共に焼き尽くしてしまえと言わんばかりに攻撃を仕掛けるその姿に、迷いはなかった筈だ。


 姿に迷いはなくても心は誰にも分からないものだ。だから、ジェイドの背後からは聞こえてはならない声がするのだろう。


「ひえ~……流石の俺もそんなん全弾直撃したら不味いってぇ………………で、それで終わりで良いんだよな?」

「……っ!?」


 驚愕に目を見開き振り返るジェイドの双眼に映ったのは最悪の光景。ペインレスはこちらを見てすらいなかった。

 彼が見ているのは、沢山の甲冑の兵を相手取りながらも軽やかに戦闘するシャルロットの背中。ただそれだけだった。

 その瞬間、彼が何を考えているのかジェイドには嫌という程分かってしまった。



 ペインレスも全弾躱せた訳ではない。特に雷撃傷は右肩から左側の腰にかけてくっきりと遺ってしまっている。

 痛みを感じないだけだ。ダメージをダメージとして、身体が認識出来ていないだけだ。

 そんな痛みも感じない自分の身体の事よりも、もっと面白くて面白くない事柄が目の前に広がっている。


 十四年前に苦しみ、のたうち回って助けを乞うた自分を見捨てて手を取らなかったジェイドが、たかが一人の少女を庇い気に掛けながら戦闘しているのが殊更面白くないのである。

 シャルロットと呼んでいたあの娘を殺してしまえば、きっと“面白い”に違いない。

 そうと決まれば殺さなくては。

 右手を虎爪に構えて床を蹴る。

 貫かれ絶命する少女の姿を見て、ジェイドはどんな顔をするだろう。

 絶望するのも良し、泣き叫ぶのもまた愉快だろう。自分と同じように壊れてしまえば尚の事。

 ペインレスは愉悦に零れる笑みを抑えられなかった。



 シャルロットは己の身に迫り来る厄災に気付く事もなく、ひたすらに迫り来る武装した兵隊を相手取っていた。


「せいっ!」


 踵を剣の腹に当て蹴りで叩き折り、拳でヘルムを凹ませる。

 もう何人もの成人男性を昏倒させ、山のように積み上げていた。

 兵達の動きはジェイドやシャルロットが知るところではないが、実は普段の訓練よりも随分と鈍い。

 原因はシャルロットの格好にある。シスター服を着ている娘など、どうやって斬りつけろというのか。

 敬虔なるグランヘレネの民であれば、一兵士の手に余る案件なのだ。せめて聖職者や聖騎士がいればまた違っただろうが、彼らは現在戦争の為に動いていて大聖堂の警備はほぼ一般兵の仕事となっている。

 侵入者としか情報を得られなかった為、服装の事まで考慮して準備が出来なかったのが大きな敗因だ。

 まさかこのグランヘレネ皇国で、聖職者の格好をした犯罪者が湧くだなんてこの国では誰もが普通は考えない事だから。


 人数は多いが、武器を壊して無力化させてしまえば勝機がある事を確信したシャルロットは油断しきっていた。

 そんな折り不意に、己の背中にぶつかった何かの衝撃に目を見開く。


「……え?」


 一体何が。

 敵を目前にしている状況で良くないとは分かっていても振り返って確認せずにはいられない。恐る恐る、首を廻らせて衝撃の正体を確認するのだった。

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