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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
89/192

89 “painless”



 礼拝堂の中を音もなく足音を忍ばせて歩く。国章の刻まれた巨大な扉は、沢山の人をこの部屋の中へと収容するべく巨大であるのだ。

 神への祈りの言葉を内包した逆十字に、縦棒には蜂を模した紋様が組み込まれている。

 繊細なレリーフを持つ扉をそうっと開き、二人は廊下に顔を出してキョロキョロと辺りを見渡した。

 幸い誰もいないようだ。見張りに兵は巡回しているのだろうけれど、誰もいない筈の礼拝堂の前にずっと張り付いて見張っている訳でもないという事なのだろう。

 物音も殆ど立てていないのだから、侵入についてはバレてもいないのだろう。

 尤も二人共聖職者の格好をしているとはいえ、流石にこの大聖堂内では見知らぬ顔だとバレてしまう可能性が非常に高い。

 神官になる為には教皇の元で洗礼を受けなければならないのだから、洗礼を受けていないのに神官の格好をしている者がいれば、誰が見ても可笑しいと思うものだ。


「…………ぁ」


 ジェイドが小さく声を上げる。

 シャルロットはその声を聞いて、人影でも見えたのかと思い咄嗟に身を屈める。


「どうかしましたか? ……だ、誰か来ました……?」


 明らかに怯えた、震える声音で問い掛ける少女にジェイドはゆっくりと首を左右に振り、静かに告げる。


「違う……俺、ヘリオドールの場所が……分かる、かもしれない」

「え……?」

「こっちだ」


 少女の手首を握り、足早に移動を始める。身を屈め、息を殺し、廊下を疾走する。

 何故場所が分かるのかなんて、そんな理由ジェイドにすら分からない。

 けれど、呼ばれている気がするのだ。この大聖堂のずっと地下から、女神ヘレネが呼んでいる。

 何故だか分からないけれど、そう思うのだ。

 それは自分に都合の良い妄想かもしれない。でも、妄想と言って片付けてしまうと、このはっきりと感じる魔石の気配に対して説明がつけられない。

 シャルロットも、ジェイドの言葉を疑い否定する事はしなかった。心の底から彼を信じて、共に廊下を進んでいく。


 壁を背につけ息を殺し、息を整え、周囲の気配を探って、何もいなければ再び走り出す。それを繰り返して、少しずつ進む。


「……ん?」


 一人の見張り中の兵士が気配に気付いて振り返っても、既にそこは侵入者二人が通り抜けていった後だ。

 まず戦争中で入国規制の厳しいこの国で、聖堂にまで足を踏み入れる者達がいるとも思えない。

 統率されたこの国で、神聖視されたこの建物の中に入ってくる泥棒すらもいない毎日。

 侵入者の存在を「気の所為」で片付けてしまった兵士は、暇で退屈な任務を朝まで遂行すべく再び前に向き直るのだった。



 コソコソと身を潜めつつ進む事暫くの後。彼らの足は謁見の間が僅かに見える廊下の角にて止まった。


「あそこって……」


 シャルロットがジェイドの顔と扉を交互に見やる。どう考えてもその扉の大きさ、豪奢さから他の部屋とは一線を画す場所である事が容易に伺えた。

 ここにこの国の王がいる。そう、扉全体が示し威圧してくるのだ。

 とはいえ、流石にこの時間帯に王が玉座に鎮座しているという事はないだろう。こんな時間にわざわざ謁見を求める国民などおるまい。

 ジェイドの足がここで止まるという事は、この先に土のヘリオドールがある。何となく、本能的に彼には分かるのだ。

 そしてそれを示すかのように、扉の前には兵が二名配備されていた。王がいる筈ないのに兵が巡回もせずその場に佇んでいるのを見る限り、その奥には誰も寄せ付けたくはないのだろう。

 魔石に近付いた可能性はかなり濃厚であるが、これでは近付けない。


「先生、どうしましょう……」

「……また気絶させるか。今度は俺がやる」


 目を閉じ魔力を練っていくと、燭台の灯しかない薄暗い廊下に少しずつ、少しずつ黒い霧が広がっていく。

 視界の悪い廊下を満たす霧は、やがて二人の獲物の背後へと集まるように回り込み、その姿を露にしていく。

 土の魔法が得意なジェイドお馴染みの黒蔦だ。

 しなやかな鞭のように。静かに音もなく食らいつく野生の獣のように。

 彼らの口と目元に巻き付き、悲鳴を上げる間もなく気絶をさせる。

 太い蔦を流れたのは例によって光と雷の魔法だ。今ジェイドとシャルロットが纏っている衣類を手に入れる時に使った時と同じ手口である。

 手加減はしたので死んではいないと思うが、確認している暇もない。

 ジェイドは蔦をそのまま操り二人を拘束し、廊下の隅へと寄せておいた。


 漸く謁見の間へと足を踏み入れる事が叶う。

 夜なのにも関わらず安置されている女神像の為にと光のオリクトが使われ、暖かい灯に包まれた部屋。大理石の潔癖さに彩られたその場が眩しい。


「……多分……もうこの辺に……」


 魔石の強い魔力を感じるのに、目には見えない。ジェイドは周囲を注意深く見渡しながらも、奥に鎮座する教皇が腰掛ける為の玉座へと一歩ずつ近付いていく。

 静かに、注意深く行動しなくてはならないこの時間に、大声を上げたのは後ろに控えていたシャルロットだ。


「先生、危ないっ!」

「ぐ……っふ!!」


 突如猪のように突進してきたシャルロットに突き飛ばされ、前のめりに転がるジェイド。思い切り打ち身をした上に、勢い良く突っ込んできたシャルロットの下敷きにまでされた。


「いっ…………」


 予想だにしなかったダメージが身体に響く。ジェイドは何とかシャルロットの下から這い出て悪態をついた。


「ったく、何なんだいった……い」


 痛む身体に鞭打ち立ち上がって顔を上げるジェイドは瞠目する。

 目の前には旧知の者がいた。

 藤色とも形容すべき優しい色合いの髪に、月の光を凝縮したかのような銀の瞳が良く映える。悪戯っ子のその笑みは、過去に何度ジェイドを困らせたか。

 不意に、遠い過去の記憶を瞬時に呼び起こされる。


『よおジェイド、こんなところで何してるんだ? あっちで皆と遊ぼうぜ!』


 懐かしいその声は、


「────よおジェイド。こんなところで何してるんだ? 久し振りに遊ぼうぜ」


 多少低くはなっていても、ほぼ変わってはいなくて。


「……生きていたのか、スヴィア」


 スヴィア。

 同じ施設で過ごした腐れ縁である。

 同年代であり、室内で本を読んだり勉強ばかりしていたジェイドを良く外遊びに連れ出してくれた子供の内の一人だった。

 同性の子供達の中では一番仲良かった、俗に言う親友、だったと思う。

 その親友は死んだものだと思っていたのだ。自分より先に受けた、儀式によって。

 だからずっと、思い出さないようにしていた。彼の事を思い出すと自分が如何に浅ましい裏切り者であるかまで、思い出してしまうから。


 格好から見るに、彼の儀式は成功したのだろう。グランヘレネ皇国の聖職者しか着る事の許されない白地の法衣を、改造して着こなしている。

 然しあの人懐っこい太陽のように明るかった少年の様相は、見るも無惨に変えられてしまっていた。

 顔も、服から露出する指先も傷だらけ。左目はどうなってしまったというのか、眼帯で覆われている。想像する事すら恐ろしい。


 はた、と自分達のいた地点を見つめるとそこは大理石の床だったというのに抉れ、白い破片が周囲に飛び散り抉れた箇所からは摩擦か、煙が上がっていた。

 これを彼がやったというのか。


「その名前はもう棄てたんだ。俺はもう儀式成功体として、“painless”を名乗る事を許されてる。……ああ、でも呼ばなくてもいいし、何ならこの名前は忘れていいぞ。お前らはすぐ死ぬから」


 美しい白と紫の彩色が靡く。

 地を蹴る音すら聞こえなかった。

 大理石を粉砕する暴力が二人に牙を剥く。

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