87 蜂蜜ジュレ掛けアイスクリーム
翌日からジェイドとシャルロットは再度聖職者の衣に身を包み、宿の周辺の住民達の相談を聞いていた。
自分達の部屋が街の教会に準備されるまでの数日をここで過ごすという話を朝から宿屋の主人に説明はしたものの、だからと言って何もしないというのは逆に怪しまれる。
多少なりとも聖職者らしい事はしなくてはならないと思ってはいた。
宿屋から借りた椅子を外に出して、そこに腰掛けるだけだ。それだけで人々は恐る恐るといった様子ながらも少しずつ集まってくるし、やがてそれは人集りになっていく。
かなり目立つ事になるのは最初から分かっていたので、なるべく教会から遠い場所の宿を選択したのだ。
「最近夜に寝付けなくて……」
「ヘレネ様の加護が薄まっているのかも知れませんね、寝る前に白湯を一杯飲んでからお祈りを捧げる事をお勧めします」
「エクレール様、最近お付き合いしている彼氏が冷たいんです……」
「そうですか……今宵ヘレネ様に貴女達二人の行先をお尋ねしてみますね。きっと、素晴らしい未来を示される事でしょう」
幼少期に過ごしていた施設を管理していた神官達も、たまにこのように教会に来た客人の相談に乗ったり、相談事を聞く為にわざわざ街に繰り出すのを見てはいたからやり方は知ってはいるが、如何に適当な事を言っていたのか大人となった今では良く分かる。
女神の名を出せばどんな滅茶苦茶でも彼らは面白いように納得してくれる。
本当に怪我や病気で苦しんでいる者が来た場合は怪しまれない程度の回復魔法を掛けてやったりもしたが、ジェイドを苦しめる程の魔力放出量にはなり得なかった。
お陰で一日、陽の光を浴びながら服の下でこっそりと右腕の怪我を治す事に専念出来た。
この作戦は泊まっていた宿にも恩恵を齎したようである。
宿前に椅子を出して、そこに人を集めてしまっているものだからついでに食事をして行こうという者が増えたのだ。
人の回転が落ち着く昼過ぎに休憩しようと一旦席を立ったジェイドとシャルロットを、宿屋の主人はにこやかに出迎えてテーブルへと案内してくれた。
「お疲れさんですお二人共……ささ、お疲れになりましたでしょう、ウチで出せる精一杯の食事をご用意させて頂きました。どうぞどうぞ」
案内された席に着くが、そこには既に食事がこれでもかという程に並べられていた。
籠には大量のパンが詰められ、シチューにスモークチキン、蜂蜜に漬けて煮込んだスペアリブ、チーズニョッキにミートソースパスタ、ピザに蜂蜜酒と、テーブルに所狭しと敷き詰められている。
「デザートには蜂蜜ジュレがけのアイスをご用意させて頂いてます、声掛けて頂ければ持ってきますんで!」
「…………有難うございます」
魔力と怪我の回復には食べねばならないし、金もオリクトもサエス王国を出た時に返してもらっているので、払えなくはない。
金に関してはサエス・ウルからヘレネ・ウルに換金する暇がなかったし、今この格好でギルドに換金しに行くとなると他国の者だとバレてしまいそうなので、この国での基本的な支払いはオリクトになりそうではあるが。
宿屋の主人はジェイド達から金を毟り取るべく、注文もしていない料理を勝手にテーブルに運んだ訳ではない。
純粋に奢りのつもりで準備したのだろう。彼の目に一点の曇りも見受けられない。
ジェイド達が来た事により店の売上が跳ね上がったといえども、こんなにも高級食材料理ばかりを出せる程儲かったとはとてもではないが考え難い。
グランヘレネの民は女神と、その神に仕える者達の犠牲になる事が何よりの喜びなのだ。
グランヘレネのシュルクではないシャルロットと、既にグランヘレネを離れて大分経つジェイドはその心意気に辟易してしまう。
彼らの、聖職者に対する絶対的な信頼と隷属の心を利用しようと思ってとった作戦ではあるが、ここまでされると気分の良いものではない。
宿屋の主人は従業員をもっと大切にするべきだし、料理を作るシェフも権威の前に己の料理の品位を貶めてはならない。
ジェイドには物の価値が分かる。伊達に生まれてからこの方ずっと己の価値を品定めし、常に周囲の需要と供給のバランスを考えて受け取る報酬を決定してきたジェイドだからこそ、この宿屋の従業員の行動を良しとはしなかった。
「あの」
「……はい? 何でしょう」
下がろうとする宿屋の店主を呼び止めて、机の上に深紅に染まって美しく煌めく、Aランクの炎のオリクトを置く。
「これを代金代わりにお渡しします」
「っ……!? 何言ってんですか、受け取れないですよこんな高級品!」
「数日お世話になりますし、我々は魔力を補給する為に沢山食べます。前払いだと思って頂ければ」
彼の謙虚さはサエスの酒場の女達に見習って欲しいと思った。謙虚なポーズも、今ジェイドが神官の振りをしているからなのだろうけれど。
炎のオリクト一つ、彼の過剰なサービスと信仰心が等価交換となる。ジェイドにとっては普通の買い物だ。
聖職者になる為にはある程度の魔力量が必要になる為、食事量については特に疑われてはいないようだ。けれど、主人は頑なに首を左右に振る。
「そんな、神官様方の懐を傷めつけるような真似、我々一信徒にどうして出来やしょうか……!」
成程、こうなってくるとまさか宿代すらも取るつもりのなかった可能性が出てくる。宗教に陶酔し染まりきるのは結構だが、ここまで重症だとは。
この国にはこのような者がゴロゴロいる事を考えると、十歳の頃に出られて良かったのかもしれないとすら思えてくる。
ジェイドは、やはりあの名に頼る事にした。
「……ヘレネ様がそれを望んでいるのです」
「なっ……ヘレネ様が!?」
「ええ。我々の手助けをしてくれる者を、我々もまた助けよとの神託です。……どうか僕達の為に、そして女神の為に……受け取っては下さらないでしょうか」
そう言うと漸く店主は、まるで棘のある花を摘むかのような恐る恐るとした動作でテーブルの上のオリクトを手に取った。
そして当たり前のように何度も頭を下げる。
「あ、有難うございます……有難うございます……!」
礼を言われる事など何一つすらしていない。人として最低限の事をしたまでだ。
なのに、食事を前に何度も頭を下げられても気分が滅入る。食事が不味くなる。
ジェイドはもう何も答えずに笑顔だけを浮かべていた。その表情はさぞかし慈悲深く見えた事だろう。内心は「もう食事をしたいので下がってくれ」だったのだが。
例え聖職者だとしても空腹には抗えないのだ。ジェイド達は“モドキ”ではあるのだが。
宿屋の主人は何も言わないジェイドの笑顔を見ると、漸く下がる気になったのか大切そうに両手にオリクトを包みそそくさとキッチンの方へと引っ込んでいった。
今や店内から人が引いた時間帯なので、昼時はとっくに過ぎているのだ。流石に腹が減って、ジェイドなどジリジリと魔力すら目減りしていくような感覚すらしていた程である。
そんな中で食べる料理は、どこぞの国が兵糧として持たせてくれた食べ物の何倍も美味であった。
ジェイド達は彼らのサービス精神を尊重し、勿論デザートの蜂蜜ジュレアイスクリームまで堪能するのだった。