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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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86 神の名の元に吐く嘘は神託なり



 暫く蹲っていると漸く落ち着いたのか、ジェイドは壁に手を付きながらゆっくりと立ち上がった。

 シャルロットは未だにオロオロと不安そうな目を向ける。


「大丈夫ですか先生……!?」

「そう呼ぶのは止めなさい、…………エクレール、と」

「あっ、……す、すいません……エクレール……様」


 考えてはいけない。考えるだけ時間の無駄だ。

 サエス王国から与えられた仕事に感情は不必要だ。ジェイド自身がシャルロットにそう伝えたではないか。

 なるべく冷静に、ストイックに。

 自分はもう女神から見放された身ではないか。ここには神も天使もいない。

 自分を不必要だと口を揃えて囁く者達を害する事の何が恐ろしいのか。

 ────なんて、恐ろしい事か。


 今はこの場を離れる事だけを考えよう。

 そうして歩を進めて大通りへと出る。

 辻馬車に乗り込めば行先を御者に告げる。ブロッゲンの街より更に東へ。

 皇都レネ・デュ・ミディから見て北東の街、ジュームへ。

 国の東へと行けば行く程、兵の数は多少なりとも減っていく。今サエスと戦争をしているグランヘレネは、兵隊をかの水の国へと送り込む為にほぼ国内の西側へと寄せている為だ。

 まずは右腕の怪我と魔力を完璧に回復させる事が最優先であり、その為にする努力や準備期間は惜しんではならない。

 妥協が命取りとなり、下手をすれば取られる命はシャルロットのものも含まれている。

 自分一人だけの責任では死ねないのだ。そもそも、死ぬ気など更々ないのだけれど。ジェイドは己を律してはジュームへの道程を、静かに馬車の中で過ごすのだった。



 ジュームの街は半日程で辿り着いた。着いた頃には夜中であるが、寂れた街である為宿も空いているだろうと踏んでいた。

 この街には教会が一軒しかない。一つの街に教会が一軒さえあれば充分なのではと、他国の者ならば思うかもしれないが、この国は全国民がヘレネの信者である為礼拝の日などになるとすぐさま教会内は満員となってしまう。

 ジュームは小さな街なので隣接する街にも行き易く皆そちらの教会なども利用する為余り苦労はしていないようだが、教会で働ける人員に限りがある為常に聖職者の人手が不足している街だ。

 そこに“神官が二人”、王都から派遣されてきたとなったらどうだろうか。


 問題は教会が一軒しかない、という情報が十四年前のものであるという事だ。

 あれから教会が増えたりしていたらこの作戦は通用しなくなる恐れがある。一軒、二軒の増加ならばまだ良いとしてそれ以上増えていたら新たな嘘を構築しなければならなくなる。

 尤も、ジュームの街は周囲の街と比べてかなり小さい。教会を建てられる土地自体が少ない事を考えると、そんなに乱立出来るとは思えない。


 少し歩けば街の地図があったが、やはりそうだった。教会は昔の記憶と変わらない場所に一軒のまま。

 そしてジェイド達の現在位置は、教会まで歩くには少々遠い。勿論わざと遠い場所を選んで馬車を降りたのだ。

 ジェイドは周囲を見渡し、宿屋の看板を掲げている建物の扉を開いて入っていく。


「いらっしゃい……ああ、司祭様方! こんな夜更けにどうされたんで? この街の方じゃありません……よねぇ?」


 もう店じまいをしようとしていた所だったのだろう。受付のカウンターに座り帳簿のチェックをしていた男が、扉の開く音に気付いて顔を上げる。

 顔を上げた途端に、二人の客人の身に付けている衣服が如何に神聖で高尚なものかを理解し明るく表情を綻ばせるのだった。

 神に認められた素晴らしいシュルク二人が、わざわざ自分の経営する宿屋に足を運んで下さったのだ。きっと暫く良い事があるに違いないと、彼は心の底からそう信じきっている。


「今晩は、貴方がこの宿の主人でしょうか」

「ええ、ええ。左様で」


 ジェイドににこやかに声を掛けられる男は陽気な声音で答える。


「僕はエクレール。……彼女はシスター・シャーリー。皇都レネ・デュ・ミディよりこの街へと派遣された神官です」

「へえ! わざわざ派遣ですか、何でまた!」

「今、この国がサエス王国と戦争をしているのは知っていますね?」

「ええ、そりゃあもう! 国中大盛り上がりでさあ……ウチも普段は閑古鳥が鳴いてるっつうのに、ここ最近は昼間に食事に来てくれるお客さんが増えまして……これも女神様のご加護ってやつですかねぇ」


 多分違うと思うが、神官の振りをしている今否定する訳にもいかない為に適当に頷いておく。


「ヘレネ様は我々をいつでも見守って下さっております。……貴方が今恩恵を得られているのも、今日までの祈りが通じたからでしょう」

「ははあ……有難え事です。ああ、話の腰を折っちまって申し訳ございません! それで、何でまたこの街に……?」


 嗚呼、やはりそこには食い付いてくるのか。まあいい、とジェイドは一旦咳払いをする。


「サエス王国と戦争をしている今、どうしてもヘレネ様のご加護と国全体の防衛力は皇都、強いてはサエス王国へと続く国の北西へと偏りつつあります。けれどもこの国総ての国民の事を愛し、憂いておられる教皇様は皇都外の他の街の事も気に掛けられておいでです。そこで、教皇様は城遣えの我々神官達に、人手の足りていない周辺地区への派遣を命ぜられました。…………この街の担当は我々となります。どうぞ、お見知り置きを」


 無理矢理過ぎる嘘か。

 神官を派遣したところで加護云々は兎も角、街の防衛力など上がる訳ない。

 流石にバレるのでは、と背後に控えて聞いていたシャルロットは内心焦っていた。

 勿論バレていた事だろう。ここがグランヘレネ皇国でさえなければ。


「うう……っ、俺達の事まで考えて下さるなんて……何て慈悲深い…………」


 宿屋の主人は完全に陥落してしまった。

 彼にとっては街の防衛は二の次で、女神からの寵愛が唯一である。この国では他の者に彼の反応を見せたところで、恐らく何の疑問も抱かせないだろう。

 飼い慣らされた犬は自らを置かれた環境を不思議に思う事はない。嘗てのジェイドがそうだったように。

 ぐずぐずと泣き啜り顔を伏す宿屋の主人であったが、ふと思い出したように袖口をずぶ濡れにしながらも涙を拭って顔を上げる。


「然し……こんな宿屋に何のご用で……? この街の教会でしたら、ここから結構歩きますけども……」

「ああ、それが……余りに急な要請でしたので、教会側も我々の部屋の準備が出来なかったようなのです。女神に遣えシュルク達を導く我々が、怪我人や病人用のベッドを使う訳にもいきませんからね。ですので、部屋を準備頂けるまでの間は宿にお世話になりたいのですが…………ここは満室でしょうか?」


 敢えて困ったように──ジェイドは普段から眉の角度が困ってもいないのに若干下がり気味ではあるのだが──語り掛けると、目の前の男は面白いくらいに顔を青くして首を左右に振りたくる。


「い、いえいえ滅相も御座いません! こんな寂れた宿屋がどうして満室になどなりましょうか! 気が利かずに申し訳ありません、ささ……こちらへ!」


 首がもげるのではないかと思う程に好き放題に首を振るだけ振った男は、椅子から勢い良く立ち上がる。

 倒れそうになった椅子を慌てて受け止めた男は、曖昧な笑みを浮かべてテーブルの下に今まで座っていた椅子を押し込めた。大きな音でも立てて、少ない他の泊まり客の迷惑になったら大変だ。



 案内されたのは極々一般的な客室であった。皇都でもあるまいしこんなところだろう。身体を休められれば良いのだから、暖かなベッドがあるだけで上々である。

 隣にはシャルロットの部屋も用意してもらった。昼に食事に訪れる者は増えたと言えども、宿泊客は少ないようだ。

 それもそうだろう、今はグランヘレネ皇国は戦争中。普通のシュルク相手ならば、旅行するにも規制が厳しいに違いない。


「こんな部屋しかねぇモンで……すいませんねぇ」

「充分です。清掃が行き届いて綺麗ですし……いい部屋ですね」

「有難えお言葉です! ……それじゃ、これ以上お邪魔するのも忍びねぇですから……どうぞごゆっくり」


 宿屋の主人はペコペコと、こっちが何か悪い事をしてしまったのではないかと不安になる程に頭を下げながら、そそくさと去っていった。

 勿論、騙している時点でとてつもなく悪い事をしている自覚はジェイドにはあるのだけれど。


 扉が閉まると、ジェイドは眼鏡を外すとベッド脇のサイドテーブルへと置いた。

 そんなに度はキツくないとは言え、ジェイドは視力が悪い訳ではない。そこに無理矢理度入りの眼鏡を掛けているものだから、かなり目が疲れてしまった。

 目頭を押さえ揉みほぐすが、ベッドに腰掛けた瞬間から目以外の部位からもありとあらゆるタイプの疲れがドッと出て来てしまい、目頭をどうこうしたところでどうにもなりそうにない。回復魔法を使う事すらも億劫だ。


 兎に角今日は早く寝てしまうに限る。

 腕の怪我を完治させ、土のヘリオドールを割る為の魔力を補給するまでに何日掛かるだろう。考えるのも面倒になる程に、身体は疲れ切り悲鳴を上げていた。

 その悲鳴一つ一つに対応出来る程、今のジェイドには余裕がない。後ろに倒れ込むようにしてベッドに横になれば、本人にも全く分からない内にストンと眠りへと落ちてしまっていた。


 そうして彼は翌朝に気付くのかもしれないし、気付かないのかもしれない。

 ジェイドの意識が眠りの奥底へと転落していった後に、折角の法衣が皺にならないように脱いで畳み、シャワーを浴び包帯を巻き直して寝巻きに着替えて髪を乾かすところまで総てやってくれたのが、ヘリオドールだという事を。

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