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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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85 不敬虔なる信徒



 別に顔見知りの営んでいる教会だという訳ではない。否、一応顔見知りではあるがもう十四年も昔の事だ。

 神官やシスターはもうジェイドの事など覚えてはいないだろう。目の色の関係で覚えているかもしれないが、こちらとしては覚えられている方が些か不都合である。

 と、言うよりもジェイドとしては別に彼らを頼りに来た訳ではない。

 彼らの信仰する女神を害するべくこの国に来ておいて、簡単に素性を晒して保護して貰おうだなんて馬鹿な事は全く考えてはいない。

 逆に二人は侵入に備えてフードの縁を引っ張り、顔はなるべく隠そうと試みる。

 ジェイドが頼りたいのは人よりも物。

 その為に人に逢う事はやぶさかではないけれど。


 期待と不安の入り混じる胸中でゆっくりと回したドアノブは、小さく音を立てて開く事を拒んだ。

 想定内だ。そしてこの程度の障害は障害にすらならない。

 魔力を封じるような仕掛けが為されていないのならば、こんな状況ジェイドにとっては鍵などないのと一緒だ。

 黒くて細い触手のような蔦を手首に巻き付けるような形で出すと、それを鍵穴へと滑り込ませる事僅か数秒。

 何かが噛み合うような音が響き、固く閉ざされていた筈の扉は簡単に口を開いた。


 今は昼間だ。侵入した物音に反応する者がいても不思議ではない。


「……? 何方ですか?」


 タイミングが良くなかった。

 いや、考えようによっては良かったとも言うべきか。

 ジェイドが扉を開けるその瞬間、裏口に空いた蜂蜜酒の瓶を置きに来たシスターのおっとりとした声が耳に響く。

 まだ扉を全開にしていなくて良かった。こちらの姿を見られないまま、まずは“一人目”だ。


 扉の隙間から躍り出るように入り込むのは無数の蔦。

 それらが意志を持ったようにのたくりながら──実際ジェイドの魔力と意志により操作されている為、事実そうである事には変わりない──女性へと一斉に襲い掛かる。


「きゃ……、むぐっ!」


 悲鳴を上げようとした口の隙間を見計らったかのように、太い蔦が彼女の顔に絡まる。喉も鼻も塞がれてしまえば悲鳴どころではなくなり、女性は一心不乱に暴れる。

 彼女の掛けていた眼鏡が床に落ちる。

 きっと自分は魔物の襲撃に合っているのだと思い込んでいる事だろう。それでいい。不要な思考はするだけ無駄だ。

 何も、殺すつもりはない。殺すつもりはないけれど、彼女が激しく抵抗するなら魔力が乱れて力の加減を誤ってしまっても不思議ではない。

 そんな事の起こらないように、ジェイドは次の段階へと魔法を進める。

 彼女を包む蔦に雷と光属性の魔法を流す。強い光での刺激でほんの少し頭の中を、神経を撫でてやれば踠くその身体からは簡単に力が抜けていく。

 蔦に抱かれ脱力する女性の身体は音もなく床へと横たえられた。


「それじゃ、シャルロット……手筈通りに」

「はい……」


 シャルロットもこれが悪い事だとは分かっている。この“悪い事”をやらなければもっと悪い事がサエス国民を苦しめ続ける事も。

 悪を挫く為に悪になる。聞こえはいいが、ただのエゴだ。少女の脆い心はエゴに縋らなければ黒には染まり切れないのだから、仕方がないのだ。



 裏口の扉には下着姿の女性が蔦に拘束された状態で眠っていた。風邪をひかせてしまったら申し訳ないが、掛けてやれるものも彼らは持ち合わせていなかった。


 白地に金色で装飾された軍服のようなグランヘレネ皇国の法衣に身を包んだシャルロットは、髪を二つに分け緩く三つ編みにし完璧にヘレネを信仰する信徒の一人に変装してみせる。

 一つだけ彼女の不格好なところを挙げるとしたら、胸元が少々キツそうに見える辺りか。

 ヘリオドールに貰ったチョーカー以外の着ていたものはリュックサックに詰めて片付けた。


 ここまで来れば後はもうやる事はただの一つ。ジェイド用に神官の服を手に入れるのだ。

 シャルロットはリュックサックをジェイドへと預けて、裏口を通り教会内へ進んでいく。


 こじんまりとしているが小綺麗な教会だ。視界の隅に花を掌に乗せて微睡むように微笑むヘレネの女神像が見える。

 先程シスターが裏口に下げに来ていた蜂蜜酒の瓶は、礼拝の時間に信者達に配られたものだ。

 今は昼も近く礼拝直後の為に教会内に人は多いが、今のシャルロットは服装から見てもこの教会に従事する者にしか見えず、ちょっと他のシュルクに擦れ違うくらいでは何も言われない。

 擦れ違うどころか、利用しなくてはならない。それも神官を見つける前にだ。手近にいたシュルクを捕まえてシャルロットは声を掛ける。


「すいません、そこの方」

「ああ、これはどうもシスター……どうかなさいましたか?」


 声を掛けられた男性は和やかにシャルロットに対応する。これはいける、と思った少女はそのまま言葉を続けた。


「裏口の方でちょっと問題が出てしまいまして……司祭様を見掛けたら来て頂けるようにお伝えして下さらないでしょうか。私はすぐに戻らなくてはならないので……」

「ああ、そんな事でしたらお安い御用です。他の者にも伝えておきますね」

「有難うございます」


 たったこれだけの種蒔きで目が出る。シャルロットは下手にボロが出ないように、再び裏口へとそそくさと戻っていく。

 裏口は関係者以外立ち入り禁止である。忠実な信徒達はシスター・シャルロットを手伝おうとして裏口を覗こうという無粋な真似はしない。


 見た事のないシスターだなと思われた事だろう。けれど、この国では聖職者は教皇の次に地位を持つ。

 疑う事自体が罪に問われる事すらもあり、グランヘレネ皇国の民であるならばもし盗人であったとしても、まさか法衣を盗み出すだなんて事はしない。しようとも思えないように教育が施されるものだ。

 聖職者の衣を盗み出す事は、グランヘレネ皇国の者にとっては親殺しと同じくらいの大罪だ。普通に生きていたらまずする事が思い付かない。

 なので、シャルロットに声を掛けられた男性も素直に彼女の言葉を信じてしまった。聖職者の言葉は女神の言葉にも等しいのだから、当たり前だ。

 この街に誰一人として顔見知りがいなくても、一般国民には隣町から応援に来てくれたシスターなのだろうとしか思われない。そういったこの国に蔓延る“当たり前”

を利用する事にしたのだった。



 信者に声を掛けられのこのこと現れた神官の男性も、先程のシスターと全く同じ手口で身包みを剥がされた。

 ジェイドも丈の長い軍服のような法衣に身を包み髪を下ろして目元を隠すように結い直し、シスターを捕らえる時に彼女が落とした眼鏡を拝借する事にした。これである程度瞳の色は誤魔化せるだろう。

 幼少の頃のジェイドを知る者と鉢合わせない可能性はゼロではないのだから、打てる手は総て打つ。


 ジェイドとシャルロットの足元には、二人の男女がいる。シスターの隣に下着姿で蔦に縛られた神官の男性が気絶して寄り添っているのだ。

 二人が目覚めれば追い剥ぎにあったという事で大問題となるだろう。けれど彼らに自分達の姿は見られてもいないし、まさかその衣服を着ているだなんて夢にも思われないだろうから、犯人の捜索は困難を極めるに違いない。

 神聖な法衣を盗み出す事を親殺しに形容するならば、盗んだ挙句に着るという行為は、この国では殺した親の肉を更に貪り食うような悍ましい行為に近しい。

 神に選ばれた者しか着られない服を、神にも選ばれていない者が着る不敬虔。

 ある意味闇の魔力を持っている者ですら霞むような、口にするのも憚られる大問題だ。


 二人は裏口から出ると、今度は逆に怪しまれないように走る事はせずにゆっくりと裏通りを歩いていく。


「せん……エクレール様。次はどちらへ参りましょう」


 シャルロットは二人分の衣類の詰まったリュックサックを両腕に抱えてはジェイドを見上げて尋ねる。エクレールとはここでの仮名だ。

 二人共聖職者の振りをしているのに先生、と呼ばせるのも些か他人に違和感を持たせかねないし、先と同じ理由でジェイドの名を呼ばせそれを周囲に聞かせる訳にはいかないからだ。

 エクレールとは緑色の薔薇の名だ。

 ジェイドはシャルロットの仮名を呼び、なるべく定着させようと目論みながら応える。一応聖職者らしく、口調はまろやかなものを選びながら。


「そうですねシャーリー……取り敢えずは辻馬車、を」


 不意にジェイドがその場に膝を折り蹲る。幸い人通りの少ない路地裏であったから良かったものの、こんな所で神官が蹲っているのを誰かに見られでもしたら大事になってしまう。

 シャルロットは周囲を気にしつつ、小声でジェイドを気遣う。


「だ、大丈夫ですか……!? やはりまだ傷が痛むのでしょうか……」

「や、……そうではなくて……」


 ジェイドの身体が小刻みに震えている。寒いのだろうか、と少女は心配しながら必死に師の背を摩る。

 けれどそんなシャルロットの必死な行為も今のジェイドにとっては何の効果も現さない。この震えは身体の内側から、強いては心の奥底から湧き上がってくるものなのだから。

 彼も腐ってもグランヘレネ皇国の民だったという事だ。あんなにも憧れ手に入れたかった法衣を、全く望まぬ形で身に付けている現状に震えが止まらない。

 自分が如何に罪深い事をしているか、手に取るように分かる。水のヘリオドールをこの手で破壊したと知った時以上に心が乱れている。

 この作戦を提案したのはジェイドだ。大丈夫だと思ったのだ。幼少期から叩き込まれ、植え付けられた信仰心は薄れたものだと思っていた。

 サエス王国に暮らすようになって女神リーヴェへの無意味な憎悪もいつの間にか消えていったし、ヘレネに対しての心も消えたものだと思っていたのだ。

 甘かった。けれどもう、引き返せない。

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