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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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84 ブロッゲンの街



 終わりというものはいつだって唐突に訪れる。


 何かの終わりを待っている時に、それを認識出来る時間というのはほんの僅かである。

 言うなれば野菜炒めを調理している時には肉の焼き加減、全体の炒め具合などを見て調理師側の「これくらいで良いだろう」という判断が目安になるが、その目安自体が本当に正しいものかどうかは分からないのだ。

 それを正しいという人もいれば、もう少し野菜をしんなりとさせたいと言う者もいるし、逆に野菜は最後の最後に投入し表面を軽く炙るのみで構わないという者もいる。

 正解はない。料理で言うならば製作者の匙加減が正解と言えるし、もっと適当に言うならば美味しければ、はたまた腹を壊さぬ程度にきちんと火が通っていればそれが「正解」と言える。


 慣れ親しんだ料理を作るならば自分の中にやがて自分なりの「正解」が生まれてくるのだろうが、生憎今回はいつが「正解」であるのかは分からなかった。

 ジェイド・アイスフォーゲルは生まれてこの方腕を切り落とした試しがなかったのだから。


 シャルロットが鹿を狩って来た二日後の朝、右半身を覆う水晶が砕ける音でジェイドは目が覚めた。

 卵から雛鳥が孵化するような、不思議な音が聴こえたのは確かだった。

 それを特に重要視もせずに、眠気に身を委ねている自分自身にとっては逆に鬱陶しいものだと勝手に決め付けてしまい、起きなかったのはジェイドの不手際である。

 昨夜はまだ傷も赤黒く血がこびり付いているような状況だったのだ、再生にはまだまだ掛かると思い込んでいたって仕方がなかった。

 ジェイドにとっては前触れも予兆も、何もないような終わり方だった。

 ここ暫く寝食を共にしていた水晶は、別れの挨拶をする間もなく内側からゆっくりと空気を入れられたかのように徐々に膨らみ、彼の腕から剥離していった。

 氷を岩で叩き割ったかのような音と、右腕が突然軽くなったかのような感覚に流石のジェイドも目を見開いた。

 音はシャルロットの耳にも届いていたようで、ハッキリと目覚めた二人で切り離された腕を眺める。

 切り離された腕は、“切り離されていた筈の腕”に変化していた。

 今の今まで痛み以外全く感覚のなかった右腕は、もう当たり前のように神経や筋肉が繋がってそこに存在している。指先まで残っていた魔力を先に繋げて、細胞などが壊死してしまわないように保存するという荒業は漸く功を奏したようだ。

 まだまだ時間がかかると思っていただけに、実に呆気ない終わりであった。


 ジェイドは右腕をゆっくりと動かしてみる。

 まずは掌を自分の眼前へと近付ける。

 血を拭わないまま修復作業に入った為だろう、掌は赤茶けて乾いた血液がべっとりとこびり付いていた。

 それに顔を顰めながらもきちんと動かせるか確認をする。腕全体は今まで血流が滞っていた為かだる重く、接合部はまだじくじくと痛む。けれど動かしてみて動かせない訳ではないところを見る限り、骨もきちんと繋がっている事に間違いはない。

 次に指先を動かしてみる。暫く動いていなかった指の関節は油の切れた蝶番のように軋むが、こちらもやはり動かせない訳ではない事が分かった。

 左手で右手に触れると、自分のものではないかのように冷えていた。


 繋がるだけ繋がりはしたが、まだ以前のように動かすには時間がかかりそうだ。

 右の服の袖は腕と共に切断されてしまい尚且つ血塗れで茶色く汚れてしまった為、鬱陶しいだけだったので捨ててしまう事にしたが、腕をそのまま晒すのも不快だし何よりこれ以上冷やしてはいけないような気もするので、包帯で隠す事になった。

 包帯を巻く事により更に動きの悪くなった右腕を引っ提げて、果たして土のヘリオドールを破壊する事など出来るのだろうか。

 焦っては仕損じる恐れがあり、仕損じるという事は恐らく死を意味する。

 一度どこかで体制を立て直す事を視野に入れて、ジェイドは思案する。


 ふと、思い出す。

 ここはグランヘレネ皇国。今は敵地であるが、同時に祖国でもある。

 自分にしか出来ないやり方があるではないか。敵の目を掻い潜り、ゆっくりと身体を休められる方法が。


「よし、……」


 成功する確率は────極めて高い。

 最初のハードルさえ超えてしまえば問題ない。何故ならここはグランヘレネ皇国だから。





 朝食に残りの鹿肉と木の実を食べた二人は、遂に皇国付近まで足を運んだ。

 ヴィオール大陸北西に位置するグランヘレネ皇国、皇都レネ・デュ・ミディはジェイド達がいた林から極めて近い場所だ。

 近いからこそ危険も多い。

 リスクを乗り越えて得るものは多い。


 国境には見張りのグランヘレネ兵が二名配備されていた。わざわざ草むらに身を隠して暫く観察していたが、やがて交代の兵がやって来る。時間的に昼休憩の為の交代だろうか。

 交代制ならば尚更都合がいい。何時間制のシフトなのか知らないが、今交代してくれれば次の交代は数時間後である事は間違いない。

 充分過ぎる。ジェイドとシャルロットは同時に笑みを浮かべた。



 警邏の目を光らせる二人の衛兵は物音のした方へと同時に振り返る。


「誰だッ!」


 今は優勢とはいえサエス王国と戦争中。斥候などの侵入は絶対に許されない。

 旅人や勿論、グランヘレネ皇国傘下であろうとも国外の村民の入国でさえも現在は厳しく取り締まられている。


 然し、目の前に現れた者がか弱い姿をした怪我人であるならばどうだろうか。


「た、助けて……下さい……」


 血の臭いを纏った少女が覚束無い足取りで二人の前へと現れる。華奢な身体はケープに包まれているが、そのケープですらも血だらけである。

 旅人か近隣の村の者が魔物にでも襲われたのだろうか。そう思った一人は少女へと駆け寄る。


「君、大丈夫か!」


 汚れ具合から相当酷い怪我を負っているのだろうと彼は思っていた。それが普通の反応だろう。

 彼の人を想う善意は少女の暴力により、無情にも散る。


「──フッ!」


 先程までフラついていた両足などなかったかのように、少女──シャルロットは巧みな足捌きですかさず一歩踏み込み、兵の顎先に下から拳を思い切り叩き込む。

 悲鳴らしい悲鳴を上げる事もなく、彼は背中から地面へと倒れ伏す。

 白いものが彼の唇からいくつか零れ落ちるのが見えた。歯がいくつか衝撃で折れたようだ。


 見ていた同僚の兵士は何が起こったのか全く理解出来ない。少女の動きに呆気に取られ、ただ眺める事しかしなかった。

 我に返ったのは、目の前で顎を打ち抜かれた兵の背中が地面に付いた、その瞬間からだった。

 余りにも遅すぎる。

 襲撃者シャルロットに背後を取ってくれと言っているようなものであり、事実背後を取られた男は大振りな蹴りをその背に受け、鎧越しの激しい衝撃が激痛となり全身に伝わり、ゆっくりと膝を折る。


 たった数分で重装備をした二人の成人男性を沈めたシャルロットを草陰にて見物していたジェイドは、静かに身震いをした。

 自分を担いだ時に汚れた血液を利用して怪我人の振りをし油断をさせろと演技する事を命じたのは紛れもなくジェイドであるが、ここまで上手くいくとは思わなかった。女優になれるのではないかとすら思えた。

 彼女も伊達に家出をした後に冒険者として生きてきた訳ではなかったという事だ。

 ジェイドが本調子でない為に任せた事ではあったが、シャルロットで駄目なら自分が影ながら援護射撃を行う手筈であった。然し、それも杞憂に終わった。

 それにしても乾いて黒くなった血を見て不審に思われなかったのが幸いである。血と思われないのではないかとも考えたが、誤魔化せない程の匂いが役に立ったと言うべきか。


 かくして二人は遂に皇国内へと侵入する事が出来た。けれどまだ侵入出来ただけである。

 入ってすぐに皇都ではなく、まずは最南端の街ブロッゲンがある。

 皇都程栄えている訳でもなく、皇都程警備兵が配置されている訳でもない。但し、国境の街の為か商人は多い。

 建物の影に隠れながら人目を避けて、二人は街中を移動していく。

 グランヘレネ皇国は滅多な事では教会が閉鎖になる事はない。そこを任されていた神官などが、余りにも神職に相応しくない行いをしたとなれば別だが、それでもすぐに建物は新たな神官に任される事になる。

 皇国という女神の居城の中でも特に神聖な教会を取り壊せる者など、グランヘレネ皇国にはいない。補修がせいぜいだ。

 なので、ジェイドの記憶が間違ってなければ教会はこの先にある筈。


 子供の頃は皇都の施設で暮らしていたが、自由まで制限されていた訳ではない。

 勉強、神官達の手伝い、礼拝の時間さえきちんと守り申請すれば休みの日も貰えたので、そういう時は同じ施設の子供を連れ立って隣町まで遊びに来る事などしょっちゅうであった。

 この街も例外ではなく、幼少期に遊び尽くしていた。多少店の並びなどの違いはあれど、大きく変わらない町並みにジェイドは懐かしさを覚えながらも走り続ける。

 国境の街なので入口に見張りは立てられるものの、裏路地に余り警備の目は向けられないようだ。これも読み通り、十四年前と変わらない。


 やがて一つの背の高い建物が見えてきた。他の建物と同じ、国中に飾った花の色を際立たせる為の白亜の壁。

 それに深緑の蔦が絡み付く教会の、裏口が見えてきた。路地裏を抜けてきたのだから当たり前といえば当たり前だ。

 壁を飾る柔らかそうな蔦や花々が、まるで女神の加護を一身に受けているかのような佇まいである。

 ここが、ジェイド達のいた林から一番近い教会となる。

 ジェイドは意を決してドアノブを握るのだった。

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