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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
81/192

81 ルクマデス



「ぴーくん。ただいま」


 メディは背後から声を掛ける男へと振り返る。

 彼の身体は余りの痛々しさに他国に行けば目を背けられる可能性がある程に、顔も腕も襟から覗く首筋までも傷だらけである。

 然しここグランヘレネでは彼の身体は女神を護る盾であるとされて、一般の民の目に触れれば涙を流し感謝と祈りの言葉を捧げられるのが常である。


 信者達の羨望の眼差しを一身に受けるその男は、顔の左側は火傷によるケロイドが広がり左眼は眼帯で隠している。

 それ以外にも全身大小様々な傷や縫い痕を持つ身体を、神官の着る白地に金の装飾を施された祭服を改造し、動き易くしたかのような服で覆っている。

 通常ならば動き回るだけでも痛みそうな身体を持ちながら、彼は平然と行動する。

 フードの下から紫色の髪が零れ、銀色の右眼は楽しげに細められる。


「おしごとはもう終わり?」

「仕事って言っても別に、皇都まで敵兵は来ねーだろ? 今日もジジイの周り見張るだけで終わっちゃったよ、つまんねェの」


 彼は教皇の事を言っている。

 こんな事を一信者が言えば不敬罪となり瞬く間に処刑台送りになるが、彼は神に選ばれた唯一の男である。

 教皇ゼルザール・ソル・グランヘレネは女神に愛された彼を喪う事を恐れている為に、彼の言動だけは例外的にどのような言動であろうとも大体は許してくれている。


「イイなぁ、コンダクターは戦線まで行けてるんだろ? 俺だってアンデッド兵に負けないくらい動けるってのに」

「……教皇さまのお決めになられたことなんだから……ね? 我慢よ、ぴーくん」

「分かってるけどさぁ……」


 男は言動こそ幼いが、体格は良い。

 十代後半から二十代前半程の見た目である。幼い口調から年齢を察するにそんなところだ。

 そんな彼が、自分よりも大分幼いメディに諭されて唇を尖らせる。まるで大きな子供だ。


「お前はどこ行ってたの。また花摘み?」

「うん、海の近くじゃないと生えないおはなとか薬草をとりに……」


 少女はバスケットを両手で持ち上げ、沢山の赤い花を男の眼前へと突き付ける。

 メディの態度はジェイドに見せたそれとは真逆だ。彼の前では自分の事を質問されても答えやしなかったが、今は違う。

 二人は仲間であり、似たような境遇であり、心を許し合える者同士である事が彼女をそうさせていた。


 けれど、林の中で出会ったジェイドやシャルロットの事は伏せた。別に言う必要もない事だと少女が判断したからだ。

 彼女が夜中に花や薬草を摘みに行くのは最早日常茶飯事であり、薬なんか全く興味のない男はバスケットの中を見るなり一瞥する。


「あーあ、何か楽しい事……あ、そうだ! 何だっけ……あの、オリクトの……あのアレ……アリ……アマ…………何だっけ……」

「アル・マナク?」

「そうそれ! あいつらも結構腕立つんだろ? 頼んだら俺と遊んでくれねーかなぁ」


 メディはそれを聞いて、マスクの下で明らかに溜息を吐いた。


「ぴーくん。教皇さまのお客さまなんだから、流石にだめ。怒られちゃう」

「…………だよなー」


 少女に静かに叱られて、男は悪い事を咎められた犬のように目に見えて落ち込んで俯く。

 彼らはこの国では生ける天使のようなものだ。大地の精霊と揶揄する者すらいる。彼らがいるからこの国は安泰であり、更なる発展をして国土を豊かにしていく。

 彼らを傷付けるくらいならば死んだ方がマシだと皆が口を揃えて言うこの国で、彼らに戦闘訓練を施してくれるのはもう同じように女神に選抜された者か魔物くらいしかいない。

 それに、彼らは余り人前に触れないように行動していた。男も教皇の護衛を影ながらしているが、文字通り本当に影から行っている。

 気配を殺し、息をも殺し、己の存在そのものを殺して教皇の傍に付き従っていた。

 こうして自由な時間ともなると、どこからともなく現れて聖堂中をうろつくのだけれど。


 彼の戦闘訓練は、いつもならば現在サエス王国にてアンデッド兵を操る者達を率いる、通称“コンダクター”なる女性が受け持ってくれているのだが、彼女は現在グランヘレネ皇国内にはいない。

 戦地ですらない皇国内で、敵兵の危険に晒されてもいない教皇の護衛の仕事のつまらない事。そもそも教皇の周囲など兵士や聖騎士が固めているのだから、自分などいなくても良いのではないのだろうかとすら思う。

 彼が教皇の傍にいるのは単なるパフォーマンスだ。そうする事で信者達の心は更に教皇に囚われ、国は固く強く結束していく。


「メディシン様、ペインレス様! こんな所におられましたか……!!」


 廊下に立ち尽くす二人の前に一人の城侍従が駆け寄る。


「こんなところ……ってここ、めでぃの部屋の前、なんだけど」


 扉にはグランヘレネの国章である逆十字が描かれているが、その縦棒のデザイン少しだけ違う。

 カクリと首を傾げて静かに抗議をする少女メディ──もとい、メディシンの指摘を聞いた侍従は喉を引き攣らせたかのような短い悲鳴を上げた。


「ヒッ……も、申し訳ございません! メディシン様のお部屋に対して何という無礼な事を……この命を以て贖わせて下さい!」

「え、気にしなくていいよ……?」


 謝罪を受けた少女は指摘こそ呟いたものの、謝罪を求めていた訳ではない。けれどもメディシンの言葉はこういう時ばかり、他人には届かないものなのだ。

 侍従は懐から小さなナイフを取り出すと、二人の前で何の迷いもなく喉元へと突き立てるべく振り上げる。

 薄暗い中でやけに煌めいて主張する鋭利な刃は、男の喉を裂く前にペインレスと呼ばれた天啓の子の手の中へと吸い込まれる。

 刃を掌で握り締め、目の前で簡単かつ簡潔に済まされようとする自殺を食い止めたのだ。


「ペ、ペインレス様……! お手が……!!」


 たった今まさに死のうとしていた城侍従は、この国で教皇の次に尊ぶべき存在と言っても過言ではない御子の手を傷付けた事に顔を蒼白にする。

 けれどもペインレスは全く動じない。

 土神に愛されし者の血が流され、床に零れナイフを濡らし、やがてそのナイフを振り上げて凶行に及ばんとした男の手まで濡らし始める。

 最早彼の頭は自殺の事など全く考えられない。余りの罪深さに、その場に卒倒しそうな勢いである。


「別にいーよ、“painless”だし。ってか今の聞いてても、細かい事に一々ツッコむメディシンが悪くね?」

「し、然し元はと言えば私めが……」

「いやいや、今の絶対メディシンが悪いだろ! んでさ、こんな状況でアンタに死なれると……コイツと、止める事が出来なかった俺が教皇のジジイに叱られちゃう訳。……ここはさ、なかった事にしてくんないかな? 頼むっ! この通り!!」


 ナイフから手を離したかと思えば彼はパックリと口を開ける深い傷の掌と、血に汚れてはいない掌をパンッと叩き合わせる。拍子に、血の珠がいくつか舞った。


「とはいえ信徒のアンタに気にすんなっつっても気にするだろ? じゃあさ、俺らあんまり日中出歩けねェし……そーだなあ……今度表通りのドーナツ屋でドーナツ買って来てよ。俺ルクマデスが食いたいなァ」

「か、必ずや……! 店ごと買い占めて参ります……!!」

「いや買い占められても食いきれないからいいよ……メディシンは? ついでに頼んじゃえよ」

「…………あんドーナツ。アシュタリア輸入のあずき、使ったやつがいい」

「畏まりました……! 何と慈悲深くお優しい……! 有難うございます、有難うございますっ……!!」


 男一人の死がドーナツで免れた。

 日中は大聖堂の中で仕事をする二人にとって、開店時間中に買える出来立てのドーナツは貴重なものだ。

 たかがドーナツと侮る事なかれ、皇都の有名ドーナツ店「ミエル・ベニェ」の蜂蜜ドーナツルクマデスは絶品なのだ。


 信徒はその場で泣き崩れ、慟哭と嗚咽を交えつつ二人に延々と祈りの言葉を捧げ続ける。

 暫くした後に、一つ水滴が何かを叩いたかのような音が鼓膜を掠めて男は顔を上げた。ペインレスの手からの血が未だに流れ続けているのだ。

 視界の中に剥落する深紅を認識して、彼は再び声を荒げる。信徒一人一人に教育が行き届いているのは見事なものではあるが、こういう時には皆一様に情緒不安定さを垣間見せる。


「ペインレス様……! 申し訳ございません! ま、まずは手当てをさせて下さいませ!」

「え? ……あー、忘れてた。メディシンに絆創膏貰うからダイジョーブ」


 絆創膏どころか縫わなければどうにもならないような怪我だ。鮮やかに花開く肉の隙間から白い骨が覗く程に切れているのだから。

 傍から見れば全く大丈夫ではないのだが、彼は全く気にしない様子でメディシンの部屋のドアノブを握る。金色に輝くドアノブが紅く染められてしまった。


「あ、……ってかアンタ、何か用があるんじゃなかったっけ?」


 ペインレスは部屋に入ろうとする直前に思い出したように、未だに床に這いつくばり蹲る男へと視線を落とす。

 そもそも彼は自分達を呼びに来た筈なのだ。話がどんどんとズレていき、それをそのまま放置するところであった。

 呟いた疑問に、メディシンが補足する。


「多分、……夜の礼拝の時間、だから」

「あ、そういやもうそんな時間だっけ?」

「……そのために着替えようと思ったのに、ぴーくんに邪魔された」

「ははは! 悪い悪い!」


 マスクの下でメディシンがどのような顔をしているのか声だけ聞くと全く分かりはしないが、ペインレスには何となく分かっている。


「じゃあすぐ行くわ。お前はもう下がっていいよ、ドーナツ忘れんなよ~」

「は、はいっ!」


 しっかりと念を押してから、二人はドアの向こうへと去っていく。扉がきちんと閉まるまで、侍従は頭を深々と下げていた。


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