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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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80 ほろ苦い猛毒



 少女は未だに口を開く事はしない。

 無機質な鳥頭のままで、その仮面を外す事もなくじっと深淵よりも仄暗い真黒な双眼でジェイドとシャルロットを見据えているだけだ。

 例えば迷子で困っているというのならそう言えば良いし、敵意があるというのならばそのような素振りでも見せればいい。

 全く何をするでもなく、ただそこに佇んでいるだけの何と気味の悪い事か。


「君、もしかして口がきけないのか? だったら紙とペンくらいは……貸してやるけれど」


 あと考えられる無言の原因を思い付いたジェイドは提案するが、すると漸く少女から反応があった。緩慢な動きで首を左右に振るのだ。

 否定的かつ、では何故何も話しはしないのだという新たな疑問が湧いてくるにせよ、彼女から動きが見えたのは大きな収穫である。


「だったら何か喋ってくれないかな……」


 こちらは痛みと熱で辛い身体に鞭打って会話に挑んでいるのだ。暖簾に腕押す現状を快くは思えない。ジェイドは深く溜息を吐いて、視線を少女から逸らした。


「…………怪我、してるの?」


 ふと耳に声が届く。

 声は彼女が被る鳥型のマスクの向こうから聞こえてきた。少女らしい、濁りのない柔らかな声だが曇って聞こえるのは仮面のせいだろう。

 シェルターの中の二人が何かを言うよりも早く、少女は言葉を続ける。


「お熱はあるの?」

「あ、あのっ! さっきまでお話されなかったのに……どうして……」


 シャルロットの疑問も尤もだ。

 どういう心境、心変わりで喋る気になったというのか全く検討もつかない。

 その場にしゃがみ込み、手に持っていたバスケットの中に飾られる赤い花を掻き分けて奥底を探る少女は顔を上げる事もなく、事も無げに言う。


「めでぃが誰かとか、興味ないから……でもめでぃはあなた達と、あなたの怪我には興味がある」


 中にいる人物に興味を惹かれたから、あんなにもしつこくノックを繰り返していたというのか。

 子供の興味とは時として恐ろしいものである。彼女がいくつなのかは知らないけれど。


「君は……グランヘレネ皇国の子か? 親は……」

「さっき言った。めでぃはめでぃの事に興味がない。どうでもいい。何でもいい」


 少女は小さな器をバスケットから取り出すと、その中に何か草花を数種類入れ擂粉木で磨り潰し始めた。

 薬草を煎じているようだ。オリクトが出回る前ではよく見た民間療法である。

 オリクトが買えない程の貧乏人やスラム街の人々の間では未だにこの方法はメジャーであるとは思うが、目の前の子供の身なりから見るにそのような者であるとはとてもではないが思えない。

 二人はメディと名乗る子供にこれ以上何と言ったら良いのか分からずに口を噤み、辺りにはすり鉢と擂粉木が触れ合う音だけが響く。


「…………できた」


 暫くして出来上がったのはどろりとした濃い緑色の液体。それを少女は小瓶へと流し込み、詰めていく。


「おにいさん、冬なのに汗もすごいから熱はあると思う……解熱できる、お薬。あげる」

「いや、……遠慮するよ」

「え」

「えええっ!?」


 少女メディの努力の証を、ジェイドはやんわりと断る。それを聞いてメディ以上に驚き声を張り上げたのはシャルロットだった。


「どうしてです先生、折角メディ様が作って下さったと言うのに……」

「だって……あからさまに怪しいだろ。毒だったらどうするんだ」

「毒、じゃないのに」


 ジェイドの心配は当然であるが、メディは納得出来ないとでも言いたげな困惑したような声音で首を傾げる。

 それで信用してもらえると思っているのだから、やはり彼女は子供であるらしい。


「あのな……何を聞いても答えない、素性も分からない奴の作った薬なんて飲めると思っているのか……?」

「……」


 子供とはいえ素性も顔も隠している目の前の娘の、何を信用しろと言うのか。

 それを聞いたメディは首を傾げ数秒思考した後、その場に小瓶を置いた。


「? おい、そんな所に置いたって……」

「飲むか飲まないかは、先生の自由。めでぃはもう時間。行かなきゃならない。ばいばい」


 最早会話する気はないとでも言いたげにくるりと踵を返す少女の背に、ジェイドは疑問を口にする。


「……何で俺が先生って……」

「さっき、しゃるちゃんが言ってた。先生もしゃるちゃんをシャルロットって呼んでた。しゃるちゃんも、ばいばい」

「ば……バイバイです!」


 確かに彼女と対面する前にお互いを呼び合った気がする。あれすらも耳で拾っていた少女は、最後に再度振り返ってシャルロットへと手を振る。

 それに答えるようにシャルロットも全力で手を振る。初対面でちゃん付けは少し驚いたが、悪い気はしなかった。

 少女は雑木林の隙間を縫って二人の前から姿を消した。


「……」


 水晶の壁の向こう側にぽつんと置かれた小瓶。天井から注ぐ光球の優しい光に照らされても尚、その中身の色はおどろおどろしい濃緑を変える事はない。

 ジェイドは溜息を吐くと魔力を行使し、かまくらの一部の壁を歪ませて穴を開けた。


「シャルロット、悪いがあの薬取ってきてくれ」

「……の、飲むんですか?」

「毒なら魔法で解毒するから大丈夫だ。……誰か来たら困るから早く。取ったらまたすぐ閉めるぞ」


 自分が飲むのだから取りに行ければ良いのだが、水晶と樹で身体を固定されているジェイドは動く事が出来ない。

 早く、と急かされシャルロットは慌てて穴から手を伸ばし小瓶をその手に握り締める。手を引っ込めたのを見計らったかのように、かまくらの穴は水の膜が満ちていくかのように塞がっていき、ついでに再び床や壁を植物で覆い尽くして中にいる二人の存在を夜闇に隠していく。


「蓋開けてくれ」

「ほ、本当に飲むんですか……?」

「要らないって言った時には否定的だった癖に何を今更……」


 確かにそうなのだけれど。

 毒かもしれない可能性を聞けば、簡単に渡してしまうのもどうかと思ってしまう。シャルロットは小瓶の蓋は言われた通りに開けたものの、躊躇してしまいその瓶を師へとは差し出さずに手の中に握っていた。

 それをジェイドの左腕がさっさと掻っ攫っていくのに時間はかからない。


「あっ」

「モタモタするな、さっさと渡してくれよ……全く」


 見れば見るほど飲む気の失せる色をしている。ほうれん草のポタージュのようなとろみがあるが、あの可愛らしいパステルカラーの緑色とは似ても似つかない。

 沼地の魔物を煮詰めて溶かしたかのような色味から草の青臭さが鼻につく。

 これ以上観察を続けると棄てたくなってしまうので、ジェイドは観察を切り上げ意を決して小瓶の中身を嚥下した。


「ぅ、ぶッ」

「先生!? やっぱり毒だったんですか!?」


 目を見開き震えながら、今口の中にあるものを吐き出そうか否か葛藤するまでに僅か二秒。毒か毒でないか見極める前から既に毒のような味がする。

 然しシャルロットの前で吐いてしまうという事は、人としても男としても死を意味する気もする。


 嗚呼、自分はここで死んでしまうのだろうか。

 まさかリーンフェルトに殺されるでも、ヘリオドールを破壊する罪人として斬首されるでもなく、訳の分からない小娘の置いていった毒だか薬だかも検討つかない謎の液体により命を落とす事になろうとは。

 否、薬だと思ったのだ。彼女の事を信じた結果がこれだ。

 知らない人から貰った菓子は安易に口にしてはいけない。子供が大人に言い聞かされる事だ。あの約束事は一体いつまで守らなければいけないものなのだろうか────


 涙ぐむシャルロットの顔が間近に見える。

 そんな顔をしないでくれ、そう言いたいのに口の中に死ぬ程不味い液体が満たされていて声が出ない。


「先生……っ! いや、嫌です……! 死なないで……!!」


 瓶を握る左手を、シャルロットが全力で握る。ミシミシと音を立てるが、右腕が切断されている為そちらと比べたら大した痛みでもない。

 右腕と左手の痛み、口の中に広がる煉獄のハーモニー、そして高熱。それらによりジェイドは意識を保ってはいられず、その場に昏倒した。彼の意志はあっという間に暗闇の中へと放り込まれる事になる。





 グランヘレネ皇国皇都レネ・デュ・ミディ。一年を通して温暖な気候のこの国は、街のそこかしこに色とりどりの花を飾られ華やかな雰囲気があった。

 花は土の女神ヘレネの齎す恩恵の象徴であり、それを街中に飾って女神へと感謝の気持ちを現すのはこの国とっては当たり前の事。

 花が際立つようにと総ての建物の壁は真白に統一され、街全体、国全体が自分達が無垢で清らかな存在である事を一心不乱に主張しているかのようである。

 信心深い人々の間では教会務めは憧れの職業であるが、花屋も女性人気の非常に高い仕事である。


 この国は祭壇だ。

 総ての花も動物も、歌も夢も空に瞬く星の一つも、そして人々も。

 女神の為に存在する。それ以外の物は存在を許されない国なのだ。


 祭壇の中央に存在するのは教皇の住まう大聖堂。女神に選ばれし者が玉座へと君臨す、グランヘレネ皇国のどの建物よりも美しく偉大なる建造物である。


 その中へと少女メディはさも当然であるかのように、足を踏み入れ歩いていく。

 洗練された大聖堂の中に、不気味な鳥型の仮面を被った子供など場違いも甚だしいが、擦れ違った憲兵は彼女を追い出そうとするどころか、姿勢を正して敬礼をする。

 それに軽く会釈を返しながら、少女は真っ直ぐに廊下を突き進み一つの部屋の前に辿り着く。そのドアノブに手を掛けようとした瞬間、後ろから声を掛けられる。


「おー、おっ帰りィ!」


 明るく軽快な男の声は静寂さすら神聖であるこの場に、やけに響いた。

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