78 これもまた貴方自身
「……どういうつもりだ」
「どうもこうも。この状況、そのままの意味で取って頂ければ」
花と樹ときのこに囲まれて妖精でも出てきそうな広い穏やかな空間の中で、場に似つかわしくないピリピリとした空気が二人の間に流れる。
何とか両脚で立ち上がるジェイドに、全く同じ見た目をしたヘリオドールが笑いかける。彼らに一つ違う所があるとすれば、ジェイドには右腕がない事だ。
「貴方があの程度で折れてしまうようならば、この身体の主人格の権利は大人しく譲って頂きたいのです」
何の事でもないかのように、当たり前の事を話すかのように、ヘリオドールは宣戦布告する。
「別に譲った所で今までと大して変わる事は何もありませんから、どうぞご安心下さいな。シャルロットは僕が立派な魔女に仕立て上げてみせますし、土のヘリオドールも難なく壊してみせましょう。この場は貴方にお譲り致しますし、出たくなれば時には表に出てきたって構わない。……悪い条件ではないと思いますが、如何でしょう」
彼は譲歩しているつもりでいる。けれど、譲歩とは言いながらもこれは脅迫に近い。
戦闘して負けたなら、今までジェイドが生きてきた二十四年の歳月をそっくりそのまま自分に寄越せ。そう言っているのだ。
そもそもシャルロットを立派な魔女にする方法などあるものか。彼女の魔力の厄介さと特異さは、第三者が外からどうこう出来るものでもない。
それは彼だって分かっている筈だ。
「…………それは……飲めない条件だな」
「どうして。貴方は無価値、なのでしょう? ならば貴方には貴方の役は任せられない。僕ならもっと上手くやれます」
「君に……俺以上に価値がある、とでも言うのか? ヘリオドール。俺と同じ身体に生まれてしまった存在の癖に」
睨み合う度に停滞する空気。それをヘリオドールはつまらないとでも言いたげに息を吐く。
「僕の価値は貴方に掛かってるんですよ、ジェイド。貴方が自分を低く見るならば、僕も低く見られてしまう。けれど、僕ならば貴方の価値を高めて差し上げられます」
「何だ……結局自分の為じゃないか。君自身が、価値を貶められるのが耐えられなくなったんだろう?」
「僕に価値があるかどうか尋ねてきたのは貴方でしょう? 僕はあくまで、“貴方”の価値の話をしています。ジェイド・アイスフォーゲル。そして、“ジェイド・アイスフォーゲル”の役割はこの際どちらでも構わない、と言っているのです」
ジェイドの皮肉にヘリオドールはマトモに取り合わない。
否、取り合ってはいるのだ。けれどこれはあくまで副人格目線での話である。
彼はジェイドと違って慌てる事はない。何故ならジェイドの座る椅子を奪う立場だから。
「もうこれ以上は止めましょう。力でぶつかり合い、語り合えば済む事です。僕は早く貴方と“お喋り”がしたい」
言うが早いか、ヘリオドールの姿が目の前から消えた。次に彼の姿を認識出来たのは真横から、脚を振るうその瞬間である。
「この……!」
ジェイドは水晶で壁を構築し、暴虐の限りを奮う蹴りを阻もうとする。
精神世界なのに、魔法がいつもと同じように使えるのは驚きだ。精神世界だからこそ、なのかもしれないが。
けれども分厚く作った筈の壁が、硝子の窓でもあるかのように簡単に割られてしまう。ジェイドはもろに直撃を受けて、再びボールのように蹴り飛ばされる。
けれど再び背中を打つような無様な姿は晒さまいと、背後に巨大な赤い花をクッション代わりに生み出しそこへと埋まった。
「っ……怪我人に無茶苦茶しやがって……」
「え、無茶苦茶でしたか? 加減はしてるんですけれど。それに言ったじゃないですか、望めば腕は治るって。望まない方が悪い、…………そうですよね?」
花の中心から呻けば、ヘリオドールののんびりとした声音が耳に届く。これで手加減されているのか。だったら全力での蹴りを受けてしまった場合、一体どうなってしまうのか。
然し、自分と同じ姿をしておきながら魔法ではなく肉弾戦をけしかけてくる辺り、確かに手加減はされているのかもしれない。
「大体、君は俺なんだろ……どこで学んできたんだ、その体術……」
「どこでしたっけ……たまに公園とかで格闘家の方々が練習に励んでらっしゃいましたよね。あれを見よう見まねで、ですけれど」
ジェイドが全く覚えていない事を、彼は目だけで見て吸収したという。
勉強熱心というか、暇人というか。
「僕、光属性が一番得意なんです。……シャルロットと同じで」
だから、身体強化魔法での蹴技を使用するとでも言うのか。というか、先程からちょくちょくシャルロットの名を出してくるのは何だというのだ。
先程の会話然り、嫉妬させたいという気持ちが見え見えでジェイドはふと真顔になる。彼の思い通りになるのは癪だ。
それに、もう準備は整っている。
「君は……確かに強いが、少しお喋りが過ぎる。どうせここは精神世界だし、俺と同じくらい強いだろうから簡単には死なないだろう? もう蹴られるのは御免だからな……手加減はしない」
この空間の床総てを埋め尽くすかのような、黄金の魔法陣。
金色の光が地面から上空へと舞い上がり、空──きのこの傘から周囲の木々から、地上というステージへと舞い降りる。
「……おや……この陣は…………そうですか、もうこんなにも使いこなせるまでに至りましたか」
どこか懐かしそうな目で、ヘリオドールは周囲を見渡し小さく呟く。この空間にある総ての植物の主導権を、ジェイドが握る土属性の魔法陣だ。
周囲は木々ときのこばかりの森の中。こういう場で、この魔法陣は真価を発揮する。
空へと舞い上がる光はジェイドが内容を書き換えたきのこの胞子。無害だったものを、麻痺性の毒を持つ胞子へと変化させる。
勿論ジェイドは光魔法を応用し、体内に既に抗体を作っている。
ヘリオドールはどうだろうか。己を包む分厚い赤い花弁を少し押し上げてそこからひょっこり顔を出し外の世界を確認すれば、ヘリオドールは苔の上に膝をついていた。
「……木の枝で突き刺してくるかと思って、いたのですが。無力化を狙うとは……なんて、お優しい…………」
その声はもう眠ってしまいそうである。ジェイドは花から這い出てくると、ヘリオドールの傍らまで歩みしゃがむ。
「もう良いだろう、俺の勝ちだ」
「…………それはどうでしょうか」
風を切る音がする。
危うく、ジェイドの喉は切り裂かれるところだった。怪我をしなかったのは音に気付いた時点で立ち上がり、後ろへと飛んだからだ。
「……惜しかった、ですね」
ヘリオドールは舌打ちする。
その右手には短剣のような形状の水晶が逆手で握られていた。油断も隙もあったものではない。
「……胞子は、効いたんじゃないのか?」
「ええ、効いておりますとも。けれど言ったでしょう? 光属性が一番得意だと」
成程。
その一言だけで納得してしまえる説得力がそこにはあった。彼は自分だから。
仮に光魔法での治療が出来なくとも、ここは何度も言うが精神の世界。夢の狭間。思った事が思い通りになる。
彼はこの世界の恩恵を、余す事なく自分に有利になるように利用しているだけだ。
「まだまだ、話したい事が沢山あるんです。…………貴方にはもっと、自分の事も僕の事も知って頂きたい」
ヘリオドールの目はあくまで冷静である。その奥に揺らぐ熱情には、例えジェイドであろうとも気付く事はないだろう。
響く金属音、のような音。
この場に剣はなく、言わば鉄すらもない。二人の魔術師が魔術を行使しているだけだ。
一人は身体強化の魔法を用い、魔法で作られた美しい透明な宝玉のナイフを巧みに操る。ナイフを魔法で無数に生み出し、風魔法に乗せて投擲する。
一人はこの戦闘区域総てを掌握している。周囲に存在する植物は彼の剣であり、盾となる。
投げ付けられるナイフを防ぎ払う木の根はしなやかだが鉄よりも硬度を与えられ地中を食い荒らしては地表を突き破り、触手のように命令主の周りを這いずる。
美しい苔庭は内側からの衝撃に耐えられず無残に崩れていた。
ジェイドはナイフを防ぐ間に、ヘリオドールを貫かんと彼の背後から木の根を勢い良く生やす。
が、彼は背中に目でも付いているのだろうか。地面を蹴り宙返りで木の槍の猛攻を回避してしまう。
「もう……諦めてくれないかな」
攻防は一進一退。なかなか決着はつかない為、ジェイドは少しばかり疲れてきた。
夢の中なのに疲労を感じる事に、些か感心する程だ。
「こんなもので僕を越えた気にならないで下さいよ」
「……別に越えた気になんかなってないよ。君だって充分に強い」
「なら、主人格の権利は剥奪しても構いませんか?」
「……」
そう言われるとジェイドは目を逸らし、忽ち無言になってしまう。もう一押しかとヘリオドールは確信する。
ヘリオドールはジェイドの座に居座る気など更々ないのだ。彼は最初に告げた。
“自分を乗り越えろ”と。その言葉を忘れて、色々な言葉に誤魔化され感化され、雰囲気だけに呑まれてしまったのはジェイドの落ち度だ。
愛しき者が自信をつける手伝いとなるのなら、暴力でも何でも喜んで振るおう。
殴り付け痛む拳は隠し、愛しき者から向けられる敵意には心の奥底で涙を流せばいい。
何で自分が主人格などにならなければいけないのだ。ジェイドの身体は過去も未来もその先も、ジェイドの物である。
彼が何不自由なく己という存在を愛す事が出来る日が来るならば、自分はいくらでも嫌われ役を買って出ようではないか。