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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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76 殺意の宣告



 もう陽も落ちてしまった暗い林の中、少女は背中に師を抱え、身体の前に革のリュックサックを抱えて息を切らせ目に涙を溜めながら、視界が不安定な中がむしゃらに疾走していた。

 勿論、姉であるリーンフェルトから逃れる為だ。

 距離を稼ぎたい所ではあるものの、如何せん視界が良くない。それは落ちる夜の帳のせいか、目の前の道無き道を歪ませる涙のせいか。恐らく両方が原因だ。


 結果、彼女は突き出た木の根に脚を取られて転びそうになる。林とはいえ彼女の脚力で、光属性の魔力による身体強化の魔法で、何かにぶつからない程度の限界の速さで走っていたのだ。

 物凄い勢いで前につんのめるが、それすらも右脚を前に出し地面を踏み付ける事により大事には至らないようにと制御する。

 頭を空っぽにして走る時間はお終いだ。リーンフェルトが追ってくる気配もない。シャルロットは呼吸を整え、現状の把握をしなければならない。ジェイドが気絶している今、たった一人でだ。


 ここがどこだか、どれだけ走ったかも分からないが、まだこの林が海岸沿いに続いているならば、よりグランヘレネ皇国に近い位置ににはいると思う。

 ヘリオドールが皇国の傍を目指して飛び、ジェイドがその進路を改めなかったのだ。離れるよりは、近付いた方が良いだろうと咄嗟に判断して走った結果である。

 とはいえ、細かい位置などは分からない。もしかしたら走り過ぎて見当違いの場所にいる可能性も否めない。

 こんな夜更けにこんな場所まで、わざわざグランヘレネの兵がやって来るなんて事はないだろうが気は引き締めねばなるまい。


 兎に角今はジェイドの手当てだ。

 シャルロットはジェイドを降ろすと樹に寄り掛からせるようにして座らせた。その膝の上に彼の二の腕から先の右腕をも置く。

 あの時は頭が真っ白になってしまって何も考えずに拾い上げてしまったが、冷静になった今では人の身体の一部が切り離されて動きもしないという状況が目の前に存在している事に、徐々に足元から這い上がってくるかのような恐ろしさが込み上げてくる。血の気もなく、まるで人形のパーツのようだ。

 これを姉がやったのだ。あの、優しかった姉が。


 再び涙が彼女の黄緑色の瞳に滲むが、泣いている場合ではない。

 自分の服も彼の服も、血液がべったりと付着し赤黒い汚れが目立つ。女王から頂いたケープももう既に血塗れだ。

 そんな事など二の次三の次。シャルロットは背負っていた皮袋のリュックを漁り、包帯を取り出す。

 こんなもので千切れた腕がくっ付くなんて思ってはいない。彼の身体、腕の断面から未だに滴る血を止めなければその内失血で死なせてしまう。それだけは何としても防がなければならない。


 腕がある筈の場所に何もなくなってしまっている事に手が震えて、上手く包帯が巻けない。服の切れ端を捲り上げて覗く肉の色が生々しい。

 先に水か何かで傷口を洗ってやりたいけれど、周りには川の音なども聞こえない。ここから一番近くで手に入る水は海水しかない。

 回復魔法が得意であれば、水の魔法が扱えたなら、もっと上手く手当てをしてあげられた筈なのに。

 何が光属性の魔力だ。持ってても、使いたいように使えないならばそんなのやっぱり無いのと一緒じゃないか。

 シャルロットはこの時程、魔法の才能がない自分自身を憎んだ事はなかった。

 彼女に出来る事は健気に包帯を巻き、誰かが来ないように一晩中寝ずの番をする事だけだ。

 悔しさと虚しさと不甲斐なさに唇を噛み締めながら手当てを続ける少女の唇に、ふと指先が触れた。


「……いけません、そんな風に……したら、唇が切れてしまいます」


 ヘリオドールが目覚めた。顔色は悪いがいつものように皮肉っぽい笑みを浮かべているのは、シャルロットを不安にさせない為だろうか。

 残る左腕を重々しく上げて、彼女の唇を人差し指で労わるように撫でる。


「ヘリオドール様! だ、大丈夫ですか……先生はどうなさったんですか!? こ、この怪我もどうやって手当てすれば良いのか……わたしっ、……わか、分からなくて……」


 普段こそ彼にツンケンした態度を取ってしまうシャルロットも、この時ばかりは人格さえ違えどジェイドの身体が目覚めた事により緊張の糸が切れてしまった。

 瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


「そんなに泣く程……心配して下さっていたんですか。あはは…………愛されてますねぇ」


 ヘリオドールはシャルロットの唇に触れていた指先を、今度は頬へと滑らせて涙の雫を掬い取る。

 それから膝の上に転がっていた自らの腕を拾い上げ、その断面を二の腕へと合わせた。


「な、治せるんですか……?」

「…………こんなに損傷したのは初めてですけれど……やってやれない事は、ありません。ただ魔力をかなり使うのと……数日は動けなくなります、ねぇ」


 それでは土のヘリオドールを破壊するのが更に遅くなってしまう。自分のルート取りが仇になってしまった事に、ヘリオドールは珍しくも、少なからず罪悪感を感じていた。

 今回イレギュラーであったのは、前よりも更に強くなっていたリーンフェルトの存在である。彼女さえいなければ上手くいっていただろう。

 リーンフェルトの傍らにいた竜の存在を認知した時点で、ヘリオドールはジェイドと無理矢理交代するべきだった。けれど、彼は柄にもなく畏れた。

 交代する事により、更にシャルロットを悲しませる結果になったかもしれない未来にだ。

 結局このように泣かせてしまうのならば、その気遣いは無意味だったのかもしれないが。


 ヘリオドールは目を閉じ魔力を集中させる。魔力といっても、これは光属性の回復魔法などではない。

 回復魔法などでは切断された人体の縫合などは不可能である。どんなに強い光属性の魔力の持ち主と言えども、切断や臓器の破裂、死などを回避する事は出来ない。


 リーンフェルトの身に付けていた能力は、言わば「魔力の吸収」と言えよう。それでジェイドの魔法は突破されてしまった。

 言わば、どのシュルクよりも「魔力の放出」に優れているジェイドとは相性が悪いように思える。

 それでも、今回はそのほぼ無尽蔵の魔力放出により助けられる事となる。切れてしまった筋肉や血管よりも先に、魔力を繋げて縫合するのだ。

 ジェイドは有り余る魔力を体内で保ち、不要な量が溜まれば髪から放出されるようになっている。その為にこの黒髪はとても長い。

 他のシュルクは魔力を使う時は使うし、止める時は止めるとコントロールが出来るだろう。

 ジェイドも出来てはいるのだが、完全には止めきれない。魔力不足でもない何もしていない時には、魔力は他人には検知出来ない程度に零れっぱなしなのである。

 魔力放出用としても魔力貯蓄用としても、彼の髪はとても優秀だ。

 本人は今まで髪を切れば体調を崩すという事を繰り返していた為に、もういつからかは整える以外で無用な断髪をする事を避けてしまっていた。


 髪から放出しなければならない程の魔力量だ。それは、例え切り落とされた腕であっても僅かな時間の間ならば指先までも溜まる程の濃い魔力であった。

 髪と一緒だ、切られた事により突然大量に魔力が失われれば身体は弱る。けれど、自分の魔力が残っている物がすぐ側に存在しているのならば身体は自然とそれを求める。

 ジェイドだからこその自己回復力に頼ろうと言うのだ。

 魔力の繋がりが出来てから回復魔法をかけ続け、失われた筋肉や皮膚組織を再生させる。

 安定させる為に、左腕で右腕を支え続けなくとも良いようにと右腕の傷周辺は土魔法で生み出した水晶で覆われていく。空気中から光の粒子が腕へと集まり、皮膚に、衣類に触れた先から光が結晶化する。

 右上半身が半透明な水晶で保護されていくヘリオドールの姿を見て、シャルロットは息を呑んだ。これが彼の扱う魔法なのかと、改めて目を見張る。


「そうそう、…………ジェイドは……」


 ぽつり、と苦しげな呼吸の合間にヘリオドールが唇を開いた。腕を安定させた事により多少の余裕が出てきた。


「そうだ、先生はどのような状態なんですか!? 痛がったり苦しんだりとかは……」


 忘れていた訳ではないのだが、目の前で繰り広げられる幻想的な魔法に呆気に取られてしまっていた。

 シャルロットは途端に食いつく。


「いえ……痛がったり、している訳では……ないのですけれど」


 ヘリオドールにしてはやけに歯切れの悪い回答である。それよりももっと良くない状態という事だろうか。

 まさか、ジェイドの精神が死んでしまったからヘリオドールが出てきたとでも言うつもりか。シャルロットは次々と妄想を膨らませ、勝手に脳内で師を殺害しては悲痛に顔を歪ませる。


「そうですね……、……とんでもなく落ち込んでおります」


 そんなシャルロットの妄想は、続くヘリオドールの言葉により一旦の落ち着きを見せる。


「えっ、落ち込んで……」

「ええ」


 それならばまだいい方──でもない状況ではある。実際腕は切断されてしまったのだし。姉に敗北したのが余程ショックだったのだろうか。


「……お、お姉ちゃんに敗けても……先生はお強い、ですよ」

「いえ、問題はそこではないのですよねぇ……」


 シャルロットは必死にフォローの言葉を考えて紡ぐが、それとこれとは話が別である事はヘリオドールが良く知っていた。


「勝ち負けは兎も角、……魔力を吸い、魔法を打ち消してしまうという力が宜しくなかった。あれはシュルクとしては異端ですねぇ……彼女を異端せしめた存在が何者であるか、僕には分かりますけれど」


 目を閉じ、瞼の裏に思い描くのは彼女の傍にいたふざけた見た目の黒い竜。


 次に目を開いた時には、彼の表情は“無”であった。

 いつもの笑みも、人を小馬鹿にしたような視線もない。いつぞや見たジェイドのように、無機質そのものであった。

 身体が傷付いて尚、狂気と正気の狭間に眠る彼の残虐性を見出してシャルロットは数度後退る。


「申し訳ありませんが、次は御座いません。貴女の姉君である事は重々承知の上で、次に彼女がまた我々にぶつかって来るようでしたら消させて頂きます」


 淡々と、殺意の宣告。

 我々の害となるならば消さなければなるまい。ヘリオドールはジェイドの一部であり、言わば彼自身である。

 己を護る為の必要な犠牲だと判断した。

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