73 彼らの常識は我らの非常識
「じゅ、十歳の頃に何があったんですか!? 差し支えなければ教えて頂きたく……!」
物凄い勢いで食いついてくるシャルロットの勢いに、少々引くジェイド。
そして引き気味になりつつも、どう説明したら良いものかと考えて視線を巡らせる。
「何が…………と、言われても。割と特殊な境遇だったと思う。絶対にシャルロットには真似出来ないが……それでも構わなければ聞くか?」
一応聞くに値する情報ではないとだけは伝えるが、やはり彼女は食い下がらない。僅かにでも魔女になれる可能性があるのならば、それに縋ってみたいのだろう。まさに、藁にも縋るとはこの事である。
激しく縦に首を振るものだから、もげてしまいそうだ。仕方なくジェイドは彼女を落ち着かせる為にも話を続ける事にした。
とはいえその内容はシャルロットの為にも、毒にも薬にもならないもの。至極簡潔に、彼女の興味を削いでしまえるようにと、言葉は敢えて選ばない。
「俺は女神ヘレネの為の贄だった。……俺だけが特別でなく、教会にいる子供は最終的にヘレネの為の尖兵となるべく、様々な儀式を受ける。他国を侵略し、ヘレネの叡智をその土地に根付かせる為の手足だ。女神の為に儀式を受けるのは誉れであり、例え風や水の属性しか持っていない子供であってもその儀式を乗り越えれば賞賛され、司祭様の右腕となれる可能性すらある。落ちこぼれからエリート街道へまっしぐら、だ」
自分の知らない世界はどこまでも広い。シャルロットには到底理解出来ない話だ、兵を作る為に子供を利用するなどと。
改めて異教の文化の恐ろしさを認識すると同時に、一つ気付いた。
「あれ、待って下さい。兵って……子供が贄って……あの、…………アンデッド兵の出処は……」
その答えを聞きたくはない。そんな思いが表情に出ていたし、それをジェイドが読み取るのは造作もなかった。
「さあ?」
ただその一声だけで、総てを誤魔化せてしまえる。
「アンデッド兵がどうやって生まれたのかは知らないな……少なくとも、俺がグランヘレネにいた十四年前にはあんな風に操る技術はなかったと思う。まあ、ただの子供の耳にそんな情報が届かなかっただけの可能性も勿論あるけれど……」
ジェイドは膝辺りに掛けていた外套を再び胸元へと手繰り寄せるようにして、横になり暖かい夕暮れと夜の隙間色に染まる天井を見上げる。
「俺は儀式に失敗したんだと、思う。儀式の結果を教えてくれる人は当時、誰もいなかった。失敗したからか、成功したからか分からないけれど……気付いた時には俺は総ての属性を扱えるようになって、サエスにいた」
当時を思い出せば身体が所々痛む気がして、静かに目を閉じる。
その時の事がショックのあまり睡眠障害、ひいては人格障害を引き起こしたのだろうと、今ではそう思える。
別人格の出現まで起きたのは驚いたが、睡眠障害は十歳の頃からなのでそう思うのが妥当だ。
「…………どうして、サエスに」
「さあな。失敗したから遺棄したか……サエス王国に送り込んだ事自体が儀式なのか……今でも儀式が続いているのか、もう分からない。けど、最初から風の魔力を持ってるんだからマディナムント帝国に送るのが妥当だと思うけどなぁ」
何でもない事のように笑ってはみせるけれど、その笑い声が乾いているのを聞いてシャルロットもそっと横になった。
これ以上彼の過去を聞き出しても自分が魔女になれる手掛かりは掴めそうになかったし、今更だが自分の欲の為に渋るジェイドの口を半ば強引に割った事を恥ずかしく思った。
「……まあ、そんな訳だから」
「はい……」
「君の為になるような話が出来なくて申し訳ない」
「そんな事はないです!」
寝床を埋め尽くす白い花を散らして少女は勢い良く起き上がる。謝罪するのはそもそもこちらであるのに、彼に謝らせてしまう事は更なる恥だ。
「こちらこそ……貴重なお話を有難うございました。そして、ごめんなさい」
「何で謝るんだ。…………今の話が俺にとって、惨めで可哀想な話にでも思えたのか?」
ジェイドは天井を向くその身体を、シャルロットの方へと向けて左腕を枕代わりにし目を開けて笑った。
一瞬否定しそうになる弟子を見据えての、意地の悪そうな笑顔だ。
「別に俺が可哀想なんじゃない。持ってる属性如きでシュルクに優劣を付けてランク分けし、女神の名を借りて神にも等しい行為を繰り返すグランヘレネ皇国の教皇と、それに疑問を持たずに受け入れてしまうグランヘレネの民が可哀想なんだ。あいつらさえ存在しなければ、俺は今頃一般家庭で普通の子供として育てられ、若い嫁の一人や二人貰っていただろう」
「二人はどうかと思いますが……」
「兎に角、最初に言っただろ? あいつらは魔物にも劣るって。自分達の為に平気で他国に戦争を吹っかける、悪魔のような連中だぞ」
彼の表情を見ている限り、その言葉に偽りがあるとも思えない。本心ではあるのだろう。
言葉の真意を考えていたシャルロットの耳に、ジェイドが最後に小さく囁いた言葉が届く事はなかった。
「つまり、今まで先生がグランヘレネに帰らなかったのは……単に嫌だった、からですか?」
「そうなるな」
「グランヘレネ皇国では今、先生の扱いはどのようになっているのでしょうね……誰か、昔のお知り合いとかに見付かったら任務に支障が出たりしないでしょうか」
先程の話を思い出す。彼にグランヘレネの知り合いがいない訳ではないという事は分かった。
親代わりに育ててくれた司祭様や、教会で共に育った子供達が現在も存命している可能性は充分にある。何せまだ十四年しか経っていないのだ。
彼らに対して、ジェイド自身が情を持ってはいない事も。持っていたとしても、余り考えないようにしている事も何となく汲み取れてしまった。
「んー……俺の扱いは死亡、か行方不明辺りが妥当だと思うが……なるべく見付からないようには行きたいよな。その辺はまた明日以降にでも考えてみるか……フードもあるし、最悪作戦が思い付かなくてもこれ被ってれば早々バレる事もないだろ」
ジェイドは正直な話、既に眠かった。
別人格ヘリオドールとシャルロットが交わした約束により、夜は充分な睡眠が取れるようになった為惰眠を貪る事がここ最近の趣味になりつつある。何せ十歳の時から、独りだとマトモに寝るのもままならなかったのだ。
そもそも今日はずっとシャルロットを抱えて飛行していたし、かまくらを作るのにも魔力を使った。早めに眠り、明日に備えて魔力回復をしたいと思うのは自然な事だ。
シャルロットとしては、戦争中に知らない者が国内にいればフードがあろうがなかろうがそれだけで怪しまれるだろうと思ったのだが、その言葉はぐっと飲み込む事にした。
もう夜も遅い。既に背を向け寝る体勢に入っているジェイドの背中に、更に声を掛けるのは気が引けた。
「お休みなさい……」
「ん、お休み」
挨拶を交わし、暫くすればどちらともなくすぐに寝息は聞こえてきた。
翌日。
これからヘレネ側よりやって来る増兵に、良いように使われない為にと水晶のかまくらは破壊してから、昨日と同じように飛ぶ。
朝早い時間から飛行し、氷山を超えてサエス南端を目指す。
やはりこの氷山が津波の最終到達地点だったようで、氷の塊の標高を乗り越えた先はなだらかな氷の坂が続いていた。降り積もる雪に化粧され、透明でも汚濁した氷でもなく、ただただ延々と真っ白い道が続いていた。気温も下がってきた為、纏う熱の魔法を更に強める。
この真下にあったであろう、平原や森、点在する小さな村々が蘇るのは一体どれだけ先の事になるだろう。
「……懐かしい」
ぽつり、と腕の中のシャルロットがそう呟く。極寒の地ケフェイドでは、分厚く雪が降り積もるのが当たり前だ。
サエス王国でも雪は降るが、積もってもすぐに溶けてしまったり地面の土と混じって汚くなってしまったものが道の脇に避けられる、という事が常である。
「グランヘレネ皇国は雪なんか滅多に降らないからな……今の内に景色を噛み締めておきなさい。次いつサエスに来られるかも分からないし」
皇国は真冬でもケフェイドの春や初夏程の気温である。故に、雪が降る事など世界的に気温が低下する日などくらいにしか有り得ない。次に雪に触れられる日はいつになるだろうか。
チラチラと雪が降ったり、止んだりを繰り返す真っ白な下り坂を延々と突き進むと、漸く夕暮れ頃にはサエス南端に辿り着いた。やはり村などは一つ残らず潰されてしまったようで、船は疎か木材の切れ端すらも見付からない。
さてどうしたものか。通常ならば船で行くのが当たり前だが、勿論ジェイドは船が残っているとは微塵も期待せずにここへ来た。
昼間の内はヘレネのアンデッド達は動けない為、太陽のある時間帯を狙って移動しているが、例えば海上に昨夜作ったかまくらのような物を浮かべて夜を過ごそうとすれば流石にバレてしまうだろう。
やはりここはもう少し魔力を使い、一気に海上を突っ切ってしまうのが良いかもしれない。
その為にも早めに休むのが得策という事で、今夜は海が見える場所でサエス最後の夜を過ごす事にした。
ジェイドは昨夜と同じかまくらの中、悩んでいた。
光魔法を少し鍛えるか、身体を鍛えるかである。
陽の出ている時間帯はほぼシャルロットを抱えて過ごしているのだ。身体強化魔法に頼り、筋肉痛は回復魔法で少しずつ癒しているとはいえ、正直魔力よりも先に身体にガタが来そうだった。
然し相手は女性。こんな悩みなど口が裂けても言えないし、察させる事すら憚られる。
「先生、どうかされましたか?」
「……な、何でもないぞ!」
もやもやと考えて、昨日と変わり映えのしないつまらない食事の手が止まっている事を目敏く見付けられ、ジェイドは慌てて応えるのだった。