7 魔導協会ベリオス
「とはいえ、……別にヘルハウンドを助けに行く訳でもないんだけどな」
店を出てヴェルディに戻る。
シャルロットはヴェルディにあるギルドで、例の二人組に声を掛けられたという。
まずはそっちを当たってみて、いなければ周辺の街で聞き込みする事にした。
「そうなんですか? では何故……」
手を繋ぐ事を拒否されたシャルロットは歩幅的な意味でジェイドと距離が広がってしまわないように、小走りで着いていく。
低身長にはジェイドの歩幅はなかなか辛いものがあるだろうが、身体能力が尋常ではないシャルロットは苦もなく着いて歩く。
「ヘルハウンドはとっくに売られているかもしれないし、……そもそも誘拐されてないかもしれないだろう? だから目的は魔犬ではないよ。
あの二人は助けてやったのだから、礼の言葉の一つでも聞きたいものだと思ってな」
隣町とはいえ、移動するのにもそこそこ時間がかかるというのに、わざわざ礼の言葉を聞きに街に戻るというのだ。
シャルロットはピンと来た。
「本当はヘルハウンドが気になるのではないですか?」
「は?」
したり顔で聞いてくるシャルロットを振り返って、ジェイドは溜息を吐いた。
「……そう思うならそれでいいぞ。その方が俺も楽だ。
君の中で俺は、“魔物の子供を助けたいのだけど素直に言えないお人好し”ということになってるんだろう? 但し忘れるなよ、俺はオリクトを使って女を買うし、邪魔だと思えばヘルハウンドの大群も皆殺しにするぞ。どう取るかは君の自由だけれど」
そうしてまた前を向いて歩き出す。
シャルロットは困惑したように首を傾げてしまった。
「では本当にお礼を聞く為だけに探すんですか……?」
「暇潰しにもなるだろう?」
「先生って暇なんです? 魔術師としてのお仕事とかしないんですか?」
ぴたり。
ジェイドの歩みが止まった。
その背中にシャルロットは鼻先をぶつけてしまう。
「あ痛っ! ……す、すいませ……せんせ…………?」
鼻先を抑えながらシャルロットはジェイドの後頭部を見上げ……ようとして数歩後ずさった。
いつの間にかジェイドは振り返っていたのだ。距離が近い。
そして彼の唇を滑る言葉はまさに爆弾発言だった。
「俺は魔術師ではないぞ?」
シャルロットにとってはまさに頭を殴られたかのような衝撃的な発言だった。
「…………へ?」
「だから、魔術師ではないぞと言ってるんだ」
「何でです……?」
「何でと言われてもな……」
この世界は五つの大陸からなっているが中央に位置する大陸、風のヘリオドールを所持するマディナムント帝国の管轄に魔導協会ベリオスという組織がある。
そこに連絡をすると世界各地どこにでもベリオス所属の魔術師が来てくれて、魔力量を測定する試験を受けさせてくれる。
そしてベリオスの派遣魔術師に認められる程の魔力量を保有していた場合、魔導協会の意匠に飾られた緑色の石が貰えるのだ。それがこの世界で魔術師や魔女を名乗れる証となる。
その石はブローチに加工してもネックレスとして首に下げても構わないのだが、その石がないと魔術師として認められないのだ。
認められないと、例えば分かり易いところではギルドなどで仕事を受けても石を提示できた人と比べて報酬が大きく変わってくる。
シャルロットはその石が欲しいのだ。
セラフィス家では子供が十二歳になるとベリオスの者を家に招き、魔力量を測定してもらう事になっていた。
姉のリーンフェルトは魔法の才に恵まれていたのだろう。一発合格だった。
そんな姉に憧れて、当時九歳だったシャルロットもいずれはあの緑色の石を手に入れる事を夢見ていたものだ。
然し現実は残酷で、十二歳になったシャルロットはベリオスの試験に落ちてしまった。姉が才能溢れていたからといって自分にも同じように才あるだろうと傲慢でいた訳でもなく、寧ろシャルロットの場合は逆だった。
姉のような魔力量があった場合、魔女として恥ずかしくないようにと家庭教師の合間を縫って魔法について本などを読み漁り沢山勉強した。
ポシェットに入っているメモ帳はその時の名残であり、もう長い付き合いとなる。
それだけ努力したのに実らなかった。
普通貴族の子ならば平民よりも魔力量があるというのに、その平民すらも下回る魔力量だとも言われた。
流石にそれから一週間程、シャルロットはショックで寝込んでしまった。
そんなシャルロットだから、ジェイドの言い分が全く理解出来ないでいた。
あれだけの魔力量を有しておきながら魔術師でないなんて、シャルロットの中では有り得てはならない事だったのだ。
──と、いう事の概要がショックの余り立ち尽くすシャルロットの口からデロデロと漏れ続けていたし、聞いているジェイドも流石に引いていた。
「…………そうは言われても、なぁ。別にあんな石なくても困らないし……」
「ギルドでお仕事する時とかどうなさってるんですか!? 額が違うから困りませんか? 私は困ってるんですっ!!」
切実な問題だった。
生きるのに金がいるから魔物退治をしているというのに、危険度の高いバジリスクを倒しても魔術師がスライム十匹倒すのと額がそんなに変わらないのだ。
「まあ確かに額は違うが……」
「ですよね!?」
「オーク三百匹殺すのと竜を一匹屠るのだったら後者の方が楽じゃないか?」
「楽じゃありませんっ!!」
シャルロットからすればレベルの違い過ぎる討伐対象の名が出てきて目から鱗だが、ジェイドにとってはどっちも変わらないのだから仕方がない。
竜一匹で当分は遊んで暮らせるだけの金が手に入るのも要因としては大きい。
稼いだ金でオリクトを買い、魔力を込めて女を買う。その女はオリクトを売り払って金にしてもいいし、自分で使ってもいい。
経済をきちんと回しているのだから、魔術師を名乗る必要性も感じないのだ。
「じゃあ……先生って魔術師でなければ何なんですか」
恨めしそうな目をして見つめてくるシャルロットの目が見れなくて、視線を逸らしながらジェイドは呟く。
「……遊び人?」
「良いんですかそれで」
「良いんです! 俺はあの石は嫌いなんだ!!」
「だから何でですかっ」
「何ででも!」
道行く人が二人をチラチラと見てはいるが、彼らは全く気にしない。
「大体な! あんな石ころ一つで他人の力量を測ったつもりでいるなんて何様のつもりだって言うんだ!」
「その石ころが欲しくて頑張ってた私に謝って下さいーっ!!今すぐにっ!」
シャルロットは遂に怒りだした。ジェイドの肩を掴んでガックンガックン前後に激しく揺さぶる。
謝ろうにも揺れが激し過ぎてマトモに口も利けなくなった。
シャルロットがいつまでも喋らないジェイドに気付いて手を離す頃には、彼は揺れに酔って真っ青になっている頃だった。
「ご、ごめんなさい……!」
「…………き、君こそ謝るくらいだったら……ちゃんと反省したらどうだ……」
道の端によろめきながら移動してしゃがみ込む。多少冷たい風に当たりたいものだが、気持ち悪くて魔法が上手く扱えない。
暫くそうして縮こまっている他なくなってしまった。
酔いも多少引いたので風魔法を使い、二人で涼んでいた。建物の壁際から道行く人々の群れを目で追う。
先に口を開いたのはジェイドだった。
「……つまり君の弟子入りというのは、ベリオスの石を手に入れるまでという事だろうか」
「私の目標はそうです」
「うーん…………」
ジェイドは頭を抱える他なかった。だってシャルロットは試験を一度落ちているのだ。
魔力量というのは努力などで何とかなるものではない。生まれた時に魔力総量というのは決まるのだ。それを測られ、尚且つ「才能がない」と結果が出ているのならそれを覆す事などまず出来ない。
ジェイドはシャルロットの弟子入りを許可はしたものの、それは本当に「魔法を教える」程度に留めるものなのだろうとぼんやり予想していた。
魔力がある事前提で、魔力の使い方を教えて欲しいと言われるならある程度は教えてやれる。然し、ない袖は振れないのだ。
「でも魔力がベリオスの規定値分すらないなら、無理じゃないか?」
「その無理を何とかするのが先生のお仕事ですよ。定職に就いてらっしゃらないんですから“先生”としてたくさん働いて頂きますからね」
「あのなぁ……」
定職に就いてない、と面と向かって言われると若干傷つく。別にいいじゃないか、暇な時に適度に魔物狩るなり何なりする程度で。
ギルドも、報酬金が魔術師相手にするより安上がりになって願ったり叶ったりではないだろうか。
誰にも迷惑かけてないのに、どちらかというと社会に貢献してる方なのにも関わらず無職扱い。
何故この世界は石ころ持たざる無職にはこんなにも厳しいのか。やってる事は魔術師と一緒だというのに、石を持ってるかどうかで評価が大分変わってくる。それがジェイドは気に入らず、ベリオスの試験は受けないと決めているのだ。
「先生は、先生をご職業として名乗ると良いですよ。私の先生になるんですから!」
「……随分ゴリ押しだな」
確かにシャルロットの言う通り、ジェイドは現在シャルロットにほぼ勝手に決められ「先生」になっている。
それは職としてアリなのか無しなのか。多分無しだ。だってジェイドは魔術師ではないのだから。
然しチラリと見やるシャルロットの横顔がこれ以上ない程に嬉しそうにしているのだから、何か言うのも無粋な気がした。
「俺を先生だとするのなら、月謝くらい欲しいところだな?」
「胸触りますか? 月イチで」
「……」
シャルロットは一度“こう”だと決めたら強いのだろうな、とジェイドは感じていた。
だからこそ、答えが簡単に出せない殺しの仕事や命の在り方について苦しむのだろうなとも思った。
そう考えると実に分かり易い娘だ。
シャルロットはけろりと笑う。
「お胸はお貸しする事はなくっても、身の回りのお世話はお任せ下さい。宿で厨房が借りられたらお食事くらいは作りますよ!
私、家にいた頃から料理が好きでして! お料理は色んな食材に触れるからとっても好きです!」
「……得意料理は?」
「色々作れますが……あ、猪の丸焼きも作れますよ! ケフェイドではなかなかお目にかかれない高級料理で……私、猪を仕留めた事あるんですっ」
「…………へぇ」
何を聞いても驚かない強靭な精神力が欲しいとジェイドは切実に願っていた。
シャルロットとしては命に感謝して食すからこそ己の手で生き物を殺めて罪悪感を抱き、解体し、調理して頂くのだが、流石にそこまで食物に熱意を抱いてはいないジェイドにそれは理解されなかった。
猪を仕留められる腕があるのならベリオスとか石とかどうでもいいじゃないか。その言葉は必死に飲み込む事にした。
そんな風に他愛ない話をしている二人を覗いている目が四つ。
ジェイドもシャルロットも、気付く事はなかった。