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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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68 女王の命令



「見えるか? あの魔物の群れが、あれはグランヘレネ皇国から来ている敵兵だ。我が国へと攻め入ろうとしている」

「……」


 急に呼び付けられたジェイドは窓から外へとはみ出る望遠鏡を覗き込み、固まる。

 雪と星が煌めく空の下で自分の故郷、グランヘレネ皇国の方角から千にも万にも届く程の数のアンデッドが犇めき合いぞろぞろと歩いて来る状況を見て、ジェイドは押し黙ってしまった。


「アンデッドは動きこそ愚鈍だ、昼間もろくに動けん。サエス国内に入り込むまでまだ数日、数週間の猶予はあるだろう。然しそれでもこちらは迎え撃つ為の兵も、彼らの為の兵糧も充分な用意が出来ぬ」


 部屋の隅にはジェイドにくっ付いて共にやって来たシャルロットが、固唾を飲んで見守っていた。

 二人共、マリーナの言いたい事が何となく理解出来ているが敢えてこちらからは口を出さず、口を閉ざす事で彼女の言葉の続きを促した。


「水のヘリオドールさえあれば我が国はここまで攻め入られる事もなかっただろうなぁ、……ジェイドよ」

「脅迫でもなさっているおつもりですか、陛下」

「何?」


 余りにも遠回しなマリーナの物言いにジェイドは望遠鏡から手を離すと、苦笑混じりに振り返る。

 その笑みが余りにも腹立たしい物に見えて、女王は明らかに表情に怒気を含ませた。

 ジェイドは肩を竦めて穏やかな口調で続ける。


「陛下、お忘れですか。俺は前に申し上げた筈です。俺は陛下がもう良いと仰るまでお傍にお仕え致しますし、宮廷魔導師などではなくオリクト製造用のシュルクと思って下さって構わないと。分かり難かったのならば、今この場で少し訂正させて頂きましょう」


 そう言い、流麗な動作で女王の御前へと跪く。

 まるで水のヘリオドールを破壊した事を自首しに来た、あの日を繰り返すかのように膝を床につけた。


「────ジェイド・アイスフォーゲルはサエスの女王、マリーナ・ヴァスィリサ・サエス陛下の手足となりましょう。何も脅迫する必要などないのです。貴女は王として毅然とした態度で俺にただ一言、命を下すだけで宜しい」


 恭しく傅き、床にその長い黒髪が触れようとも気にしない男の旋毛をマリーナは見下ろし思案する。

 この喰えぬ男を顎で使ってやろうと思っていたが、使われている振りをして他人を使役するのが得意なのはきっと彼の方だ。

 昨夜の地震の時と同じく、苛立ちに任せて人を扱き使う所ばかりを女王自身から部下へと易々と見せてしまっては、余りにも王としては矮小に感じてしまう。

 彼女の王としての器を護る為ならば、ジェイドは己の価値をどこまでも下げられる。そうして、「マリーナの器を護った自分」という価値を得て自分の中の均衡を保つ。

 そこまでの意図をマリーナもシャルロットも知る由もないだろうけれど。ジェイド自身が理解出来る己の価値がこの場にあるのならば、どれだけでも頭を下げられるのだ。


「ならば……妾が命じただけで、あのアンデッド兵共も貴様にどうにか出来るとでも言うのか? あれだけの数だぞ? 魔力だって足らんだろう」


 昨夜は氷の魔法で津波を抑えつけたジェイドだが、あれは冬という天候と相手が水の塊であったという事も起因して成功したものなのだろうと、ジェイド以外のこの場にいる誰もが思っていた。

 今度は津波相手ではない。纏めて凍らそうとするにしても、昨夜の何倍の魔力が必要になるのか。

 それに、昨日の今日だ。昼までゆっくりと寝たとはいえ、また昨夜に等しいだけの魔力放出が可能なのかと、室内にいるジェイド以外の者達は女王を筆頭にジェイドへと疑ってかかる。


「陛下はご自身で仰った事をお忘れでございましょうか? まだ、数日の猶予ならばあると。そうお伺いしたばかりでございます」


 確かにそう言った。流石に今日の今日で何とかしろと言うのは性急すぎたか。

 ジェイドが多量の魔力を保有しているものだからつい、どのような事が対象でもすぐに動けるものだと思ってしまう。

 が、流石にやはり多少の回復や、それに当てる為の日数は必要か。

 他のシュルクと比べてどれだけの機動力を持っているのか、未知数の魔力を誇る相手を前にすると目測を誤ってしまう。

 ジェイドは僅かに目線を女王へと上げる。深い紫色と翠色が入り混じる不可思議な色彩が笑った。


「まずは魔力の回復をさせて下さいませ。そうですね、……三日程。その間に陛下も、サエス国内に残っているエストリアル外の街の駐屯兵や冒険者達に招集を募ってみては如何でしょう。戦闘の心得のある民間人にも募集を掛けてみても良いかと。そうして表向きはグランヘレネ皇国の思惑に乗って、サエス王国とアンデッド兵で戦争をするのです」

「成程……ん? 表向き?」

「ええ」


 顎先に触れて何度か頷き、納得しかける女王ではあるがうっかり流されてしまう所だった。

 表向き、とはどういう事なのか。

 ジェイドはすかさず追加で説明をする。


「それだけでは解決になりません。向こうにはいつでも地震を起こせる切り札が御座います」


 いつでも地震を起こせる切り札。

 土のヘリオドール。

 あれが皇国にある限りどれだけ強固な戦線を作り、そこでアンデッド達と衝突して抑え込もうとしても、大陸を地盤ごと揺らされてしまえば一溜りもない。

 またあれだけの被害を二度も三度も受け続けられる余力は、最早サエス王国には残ってはいない。


「……ふむ」


 マリーナはジェイドを海色の瞳で見下ろす。

 これが出来るのは、恐らくサエス王国の中でも彼だけだ。

 彼の言葉の真意を察し、女王は意を決したように口を開いた。


「ジェイド・アイスフォーゲル。グランヘレネ皇国へ潜伏し、土のヘリオドールを破壊せよ」

「……仰せのままに、女王陛下」


 それを聞いたジェイドは当たり前のように目を伏せて、深々と頭を下げた。



 塔にいた者達は全員一度執務室へと移動する事にした。サエスの地図を広げての作戦会議をする為だ。

 主にどの辺りを戦場とするか、物資の補給ラインはどうするかなど細やかな話が為される。

 ジェイドが魔力回復に当てる為の三日の内に、サエス王国は付け焼き刃のような戦争準備に取り掛からねばならない。

 人員も資材も全く足りてない中で行う戦争だ。勝てる見込みは全くないし、ジェイドが土のヘリオドールを破壊した時にはどれだけのサエス国民が生き残っていられるかも不明である。

 三日後、ジェイドとシャルロットを含めた先発隊が戦地へと向かう。その時点ではまだ国中に徴兵の触れ込みが届いてはいないだろうから、後続から少しずつ増援が来る手筈となっている。

 敵は南から攻めてきているので、サエス王国最南端の地アンダインが補給ラインの要になるであろう。

 津波の時と同じだ。戦線が突破されれば南部からアンデッド兵に喰われていく。来るのが津波かアンデッドかの違いである。


 シャルロットがグランヘレネ皇国行きに着いていく事になったのは、彼女自身が望んだ事だった。


「私もグランヘレネへと参ります」


 マリーナとジェイドが上記の事を細々と話し、内容を詰めている時の事だった。

 少女は不意にか細い声で、だけれどしっかりと声を上げた。


「いや、シャルロットは城に残って……」

「嫌です」


 ジェイドが宥めようとしても少女はその目を師に向けようともしない。

 じっと頑なに自分の靴の爪先に視線を落としたまま、何やら不貞腐れてでもいるかのように静かに反抗の意を示す。


「良いではないか、連れて行ってやれば」


 そんな少女の様子に小さく笑ったのは意外にもマリーナであった。


「正直この城に置いてやっても、エストリアルが戦火に包まれぬ保証などない。ケフェイドに一人、送り届けてやる間にまた地震が来ないという保証もない。心配なのも分からなくはないが……今のサエス王国ではそなたの傍が一番安全だと思うぞ、ジェイド?」


 そう言って女王は執務室の壁を見た。

 血管のように張り巡らされた植物の蔦が城を固定してくれているのは、紛れもないジェイドの魔法の力である。

 これがあるから城は崩れないようなもの。宮廷魔導師や騎士団がひっきりなしの休みなしに城の修復作業を延々としているが、作業が終わるのが先かその前に城が瓦解するのが先か、正直分からない。

 また来る可能性のある地震に備えて、ジェイドをこの場に残す事が一番の安全策だろうが、そうすると誰もが土のヘリオドールには届かない。

 グランヘレネの教皇に一泡吹かせるならば、かの国もサエス王国と同じ目に合わせるのが妥当だ。


 と言うよりも、サエスの女王として心はもう決まっていた。


 マリーナは総てのヘリオドールの崩壊を望んでいる。自国だけがヘリオドールを失っている事が不安でならない。

 アルガス共和国やマディナムント帝国は災害に見舞われたサエスに物資を送ってはくれているが、それはそれである。

 もしヘリオドールが壊れてしまったと隣国にバレたなら、掌を返して来るに決まっている。


 マリーナの言葉を聞いたジェイドは少し悩む素振りを見せてから、小さく頷いた。


「分かりました。……元はと言えば俺が連れて来た子ですし、責任持って回収させて頂きます」


 こうして案外あっさりと、シャルロットもグランヘレネ皇国行きが決定したのだった。





 作戦会議が終わった後は三日間の睡眠に入るべく、ジェイドは城の廊下を歩いていた。

 その背後からシャルロットが着いて来る。隣の部屋に寝泊まりしているのだから着いてくるのは当たり前だと特に気にする事もなかったが、少女は徐ろに口を開いた。


「いつから貴方なんですか、……ヘリオドール様」


 声を掛けられた男──ヘリオドールは歩みを止めて笑顔で振り返る。

 先程マリーナに見せていた笑みの数々よりも、随分と冷たさを湛えた笑みで。


「気付かれてたんですか。そうですね、いつでしょうねぇ…………ええ、途中からですよ」


 そうして、あっけらかんと笑ってしまうのだった。

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