表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
66/192

66 水の女神



 ジェイドは意味が分からないでいた。

 頭上で輝く魔法陣はジェイドの指示や魔力総量を無視して、俄然やる気を出したかのように今までみたこともないエネルギーを射出している。然し、ジェイド自身はその為に必要になるであろう魔力を吸われているような感覚が全くない。

 寧ろ、魔力を身体の中に次から次へと詰め込まれていくかのような感覚である。数ヶ月振りに満たされていくような感覚は非常に心地が良い事は確かなのだけれど、出処が不明な魔力程気持ちが悪い事もない。

 魔力は寝食で回復させるものだ。ナイフとフォークも落としてしまった今では、自分で認識出来る程に体内に濃い魔力が充填されていく感覚が今まで感じた事もないものである為、心情的には受け入れ難い。


 ジェイドの心情とは裏腹に勝手に溜められ勝手に使われていく出処不明の魔力により、このままでは余りに強い光に眼球が晒され続けて失明してしまう事も有り得ない話ではない。

 取り敢えずジェイドは再び目を瞑り、両手で瞼を隠してこの光が落ち着くのを待つしかない。

 自分で出した魔法陣の光で視力が低下するなんて、笑い話にもならない。



 光芒はかなりの時間続いた。ゆうに三十分程だろうか。徐々に収まる蒼白い光により、目も少しずつ慣れて開けられるようになってくる。

 それはジェイドだけではなく、傍にいたシャルロットやマリーナ、サエス城の兵達なども同様であった。

 マリーナはジェイドの隣へと移動してくる。強い光に晒され続けた為に目眩がするようで、足元が覚束無いのを騎士に支えてもらいながら移動してきた。

 そうして窓の外へと視線を凝らす。あの光は一体何だったのか、その答えを探し出す為に。


 一同は視線の先におかしな光景を見た。

 第二波の津波が来るであろう──否、もう来た後なのかもしれない。南の方角、平原の向こうに白い塊が存在していた。無視するには余りにも存在感がありすぎる、巨大な塊だ。

 先程の、津波を凍らせて作っただけの壁よりも更に高い、カルトス大陸のどの山々よりも高い、切り立った崖のような形状の鋭い氷山の連なりが南へと続く土地を封鎖していた。

 先程の魔法陣があれを築き上げたというのか。たかが三十分かそこらで。


 ジェイドは頭上を見上げるが魔法陣はつい先程停止し、ジェイドがそうしようとした訳でもないにも関わらず、徐々に空気に溶け込むかのように勝手に薄くなっていく最中だった。

 最早ジェイドはそれを止めようともしない。突然の事続きで流石に疲れてしまったし頭がついていけずにぼんやりしてしまい、勝手に消えていく魔法陣を見送る事しかしなかった。

 そうして、魔法陣が消える瞬間。先刻傍に存在していた他人の気配をまた僅かに感じて、ジェイドは周囲を見渡す。誰かがこの場をそうっと離れて行くかのような、そんな気配が確かにあったのだ。


「…………リーヴェ……?」


 ぽつりと唇をついて漏れたのが、この国を護る女神の名である理由なんてジェイドには分からない。

 ただ何となく無意識に零した囁きは、誰かに聞かれるような事もなかった。



 それからマリーナが定めた一時間、ジェイドとシャルロットは物見の塔で待機していたが、遂に津波は姿を見せる事はなかった。アンダインを含むサエス王国は津波に触れる事すらなかった。

 その事実に深い溜息を吐き安心しきったような表情を見せたのは、他でもないジェイドだった。

 他の兵や従者達はある程度の身の安全が確認出来るとマリーナを護衛する必要最低限の人数のみを残して、地震で荒らされた他の部屋の片付けに向かったり、他の場所を見回りしていた者達の安否確認へと走っていった。


 窓の外に広がるあの氷山が抑え込んでくれたのか、それとも津波が氷山に変えられてしまったのか。

 あの光の中にいた者達はずっと目を閉じていた為、もうろくに確認のしようもないのだけれど、地震も津波も今のところはもう来ない。危機は乗り越えたようで、皆表情に喜色を浮かべるがどうしても彼らの顔に存在するのは疲労感の方が濃かった。

 シャルロットもジェイドへの料理を運ぶ為に尽力したのだ。如何に彼女が光属性の魔力で身体強化出来るといっても、疲れ知らずかと言われれば決してそうではない。


 この中で尤も魔力を絞り出していたのはジェイドだけれど、今では軟禁生活をしていた頃よりも調子が良いくらいだ。だからこの疲労も身体から来る体調不良という訳ではない。どちらかと言うとただの心労だ。

 酷い緊張、不安、責任感に晒され続けていたのだから無理もないだろう。


「よし、それでは……貴様らは部屋に戻れ。部屋は従者達が片付けておるであろ、もう休んで良いぞ」


 まだ夜は明けそうにない為、マリーナはジェイドとシャルロットへ一時解散を告げる。最後の地震で室内の荒れ具合は如何程か心配にはなるが、最悪ベッドさえ使えれば後はもう何でも良かった。

 兎に角泥のように眠りたい。その願いはジェイドもシャルロットも胸中にて一致していたが、よもや女王の御前でそのような言葉を口に出す事もなく、倦怠感のある身体に鞭を打ちそれぞれ部屋へと帰っていくのであった。



 ジェイドが部屋に戻っても、もうその扉に封印を施される事はなかった。誰しもがそこまで気を回す事が出来ない程に忙しく動き回った事と、何よりマリーナが再びの封鎖を指示する事がなかったからなのだが。

 そんな扉の状況を一々確認する間もなくジェイドも、隣の部屋のシャルロットもベッドへと転がるように潜り込み深夜に駆け回った身体を休めるのだった。

 部屋の中は硝子片などが散らばってはいたし、棚の中の食器類も硝子片へと変貌しているのか数が減ってはいたが、ベッドには特に問題がなかった為最早それらを気にする余裕もなくころりと眠りに落ちるのだった。


 ゆっくりと惰眠を貪り昼過ぎにジェイドはのそのそと起きてきて、マリーナに遅めの昼食に誘われシャルロットと共に同席し、気まずい雰囲気ながらも貴族の仮面を被って昨夜の事象について話した。


「卿よ。またあの規模の地震は起こると思うか?」

「さぁ、どうでしょう……自然災害ですので何とも。ただ、来たとしても流石にあの氷山を超える津波は来るとは思えませんけれど」


 あの氷山を超える津波が来るとなれば、サエス王国と言わずカルトス大陸全土が海の底へ沈むだろう。

 考えれば恐ろしい事ではある。然し、そんな地震が来れば隣のセリノア大陸も無事では済まないのではないか。あそこは風のヘリオドールがあるから何とか出来てしまうのだろうか。

 どちらにせよ、もうあの規模の地震が来ない事を祈るしかない。

 議題のせいでどう足掻いても明るくはならない食卓で、食器同士が触れる音が虚しく響く。


「あれって氷魔法で出来た山なんですよね? 春になっても残るものなのでしょうか……」


 シャルロットが不安そうに呟く。春の訪れという、どうする事も出来ない悩みに差し掛かると女王も思わず閉口してしまった。

 流石にあの山のような大きさの防波堤を今から春先までの間に、代わりに建設するというのは非常に難しい。

 そもそもサエスの南側にも荒れ果ててはしまったが土地はあるのだ。そう易々と壁を築いて封鎖してしまっても良いものなのだろうかと、女王は頭を悩ませる。


 ジェイドは折角このように対面で会話をしてくれる女王にこの期に及んで隠し事をするのは心苦しく思えたが、氷山が出現する直前に何かの気配がした事は伏せておく事にした。

 それを何故水の女神リーヴェであると認識したのか自分でも分からないし、リーヴェであるのかどうかも怪しい。

 そもそも一晩経ってしまった今となっては、そんな気配が本当にしたのかも怪しいものだ。余りの疲労感と高揚感で一種の混乱状態に陥り、幻覚でも見たような気すらしてきた。

 ならほぼ魔力の枯渇したあの状態からどうやってあの氷山を生み出したのかと言われれば、反応に困ってしまうのだが。魔力が切れかかっていた事については周囲にバレてはいなかったようで、突っ込まれるような事もない。

 凄まじい魔力量を持つジェイドが、まさか魔力切れになるだなんて誰も思わないのだ。


 津波をその力を以て抑え込んだ者だと思われているジェイドへの、サエスの城従者達の風当たりは大分緩和された。

 食後に城内をウロウロと散歩していても、何も言われる事はない。ただ女王が特に何も言わない手前、他の者達もジェイドに対してどう接したら良いのか分からず対応に戸惑っている、といった感じも見受けられるが。

 ジェイド自身は緊急事態だったとはいえ一度部屋から出してもらい、それから自由を得た事を女王に咎められるような事もないのであれば、ある程度は好きにさせてもらう事にした。贖罪の為に部屋へと戻っても良かったのだが、今更また引き篭るのも女王に対して当てつけか嫌味のように思えてしまう。


 城の中は広く、書籍や美術品も多くて見ているだけでも退屈はしない。

 けれども女王の使う最低限の部屋以外のどの部屋も、棚が倒れたり割れ物の破片が散らばっていたりと片付けが追い付いていない状況である。そこでシャルロットが片付けに参加しているのを見かけた。

 ジェイドが声を掛けると、しゃがんで塵取りでゴミを掻き集めていた少女は顔を上げた。


「……掃除か」

「あっ、先生お疲れ様です! ええ、人手が足りないみたいで……私も暇ですから、お手伝いしようかなって」

「ふーん。なら俺もやろうかな」


 そう言うと倒れていた棚の下から影のような植物の蔦が現れて、それらが触手のように動き棚を押し上げて元の位置へと戻す。周囲の従者や女中は感嘆の声を上げて小さく拍手する。

 けれど、シャルロットだけは少し心配そうに眉尻を下げてジェイドを見上げる。


「先生はお休みになられてても……昨夜、あんなにも頑張ったんですから」

「暇なんだ、君と一緒でな」


 今までのジェイドならばこんな、金にも得にもならないような事はしなかっただろう。それでもシャルロットがやっているなら、手を貸しても良いと思えた。


 サエス城の大掃除は日が沈む頃まで行われるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ