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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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64 護る為の魔法



 ジェイドはマリーナの肩越しに、遠くから不気味に迫り来る大津波の壁を眺める。サエスの国はカルトス大陸の内陸にある。王都エストリアルまでには、流石に津波は届かないかもしれない。

 けれど山をも飲み込むあの水量だ。水路や川の多いこの大陸では、それらに入り込まれてしまうとあっという間に逆流し、国内も無事では済まないだろう。無事では済まない事は分かるが、実際どれだけの被害を被るかなど考えられない。考えたくない。

 何より、あの津波は国の南側から迫って来ている。


「…………」


 サエス王国の南方はアイスフォーゲル領、アンダインのある土地だ。

 もし津波がエストリアルまでは来なくても、サエス王国の端に到達したならそこから水の中へと沈んでいくのは時間の問題だった。

 マリーナに掴まれていたスカーフを解放されたジェイドは姿勢を正し、目を閉じて深呼吸する。思い出すのは、血すらも繋がらない忌々しい家族の事だ。

 母親面した少年趣味の穢らわしい女と、彼女に陶酔していつまでも親離れ出来ないままになってしまった、兄代わりの男達。

 それでも、今にも崩れそうな危うさを孕みながら、明るい家庭を演じ切ろうとする小さなピエロ達。


 ジェイドは瞼を開けると、懐から飴玉の小瓶を取り出して、一つ口の中に放る。目も覚めるような甘酸っぱいレモン味だ。


「城内の食料を掻き集めてシェフ達に調理させて下さい。適当でいい、オリクトの為に減った魔力を補うにはそれしかありません」


 そう女王へと告げる。マリーナはそれに反論する事なく頷くと、手を叩いて周りの者へと指示を出す。


「皆の者、今の話を聞いていたな! すぐにシェフへ連絡を! 料理の心得のあるものは料理人達を手伝ってやれ!!」

「なるべく高カロリーな物や栄養価の高い物を優先的に出して下さい。肉類は勿論、沢山の野菜が一度に摂れるスムージーなどは魔力の補給効率が良いですね。俺はここにいるので、ここまで運んで下さい」

「注文の多い奴だな……まあ良い、ではそのようにしてやろう。皆、時間がないぞ! 早急に取り掛かれ!!」

「ハッ!」


 ジェイドの追加注文に呆れ返りそうになるマリーナだったが、今は脱力している場合ではない。

 気を取り直した女王の声に兵や従者達は一斉に塔の階段を駆け下りていく。


 ジェイドはマリーナと数名の護衛騎士の見守る中、南側の窓の縁に腰掛けると蒼く輝く魔法陣を生成し始めた。複雑に組み込まれた古代文字の羅列と式により、それは真冬の空に描き足されていくようにして膨れ上がっていく。


 身を切るような冬の空気の中に、未だに雨がしとしとと啜り泣くように降るものだから、上空から地上へ落ちてくる頃には本当に小さな雪の粒となってしまっている事にジェイドは今更気が付いた。

 暖かな南の国生まれのジェイドはこの国に来るまで、雪を余り見た事がなかった。サエス王国がなくなってしまっても、この雪は毎年変わらず降り続ける事だろう。


 けれど、それでは駄目なのだ。

 寒さにより凍った水路の上で滑って遊ぶ子供の姿だとか、寒さに耐えようと糖度を高めて実を結ぶ冬の野菜だとか、それを収穫する者だとか。それを温かい料理に変えて、食卓に出す者だとか。そういったもの達が、今までこの国を培ってきた。

 滅びた国の何が良い。

 そこに人の営みがあるから美しいのに。

 人がいるから、それは国と呼べるのだ。


 ジェイドは今日まで約三ヶ月、贖罪の為にオリクトを創り続けていたつもりでいた。勿論それも確かなのだけれど、それより何より、恐らくはサエス王国を自分自身の手で駄目にしたくなかったのだ。短くはない時を過ごした国が、自らの手で死んでいく事に耐えられなかった。

 今なら自分の、教会に逃げ込んだ時の気持ちが手に取るように分かるのだ。

 あの時は混乱こそしきっていて感情の紐がグチャグチャに絡まってはいたけれど、もしこの考えが違うというのならばあの教会にて、進むべき道が見えなくなった事に恐怖する事もなかったのだ。

 違うと否定し切れると言うのなら、面倒になってしまったから城に戻って処刑を甘んじて受けようなどという安易な考えに、一瞬たりとも至る事もなかっただろう。

 けれどもその考えに至った所で、結局の所やはり死ぬのは怖かった。強い動物的本能はしっかりと心の奥底に楔を打って備わっていた。

 だから何もかも投げ出して、いつもそうしているように気軽に逃げ出してしまえば良かった。それを選択する為の脚は、枷を掛けられたかのように重く動かなかった。


 国を手助け出来る可能性を示してくれたのはシャルロットだった。だから彼女の手を取って、ここまで来たのだ。彼女がそう望んだから。ぼやけたジェイドの輪郭を鮮明にしてくれたのはシャルロットだ。

 自分の手で、泥水の中に沈みかけた一つの国を救い出したいという願いがぼやけた輪郭の正体だった。それが余りにも傲慢である事は勿論知っている。

 償うついでに救おうだなんて、本当に償う気があるのか。第三者から見れば余りにも滑稽な事だろう。


 然し、それでもだ。

 折角ここまで来たのだ。

 償う為の三ヶ月。

 国民として過ごした十四年。

 情がないと言えば嘘になる。

 あんな津波如きにこの国を喰わせてなるものか。


 背後からシャルロットが声を掛けてくる。


「先生、私キッチンのお手伝いに行って参ります。魔力量にだけはお気を付けて無理はなさらずに……頑張って下さいね」


 ジェイドはそれに振り返る事なく応える。軽口を叩く余裕くらいはまだあった。


「誰に言ってるんだ、先生に対して偉そうな口を聞くものじゃない。……行っておいで、待ってるから」


 また階段を駆け下りる靴音が一人分、耳に届いた。



 頭上の水の魔法陣はジェイドの魔力を吸うだけ吸って、今にも弾けそうな程に膨れ上がっていた。夜の月光よりも強く、王城よりも遥か頭上から蒼い光がエストリアルを照らす。

 その光に視界を掻き乱されている気がしたが、どうやらそうではないらしい。オリクトを創り続け酷使し続けた身体で、更にこれだけの規模の魔法を撃とうとしているのだ。

 意外にも無いと思われていた魔力は、掻き集めるだけ掻き集めればどうにかなるものなのだな、とジェイドは現状に対して苦笑する。

 風魔法で空へと飛ばずに窓辺に座り込んでいるのは勿論、その分に使う魔力があるならば蒼の魔法陣へと与えてしまいたいからだ。

 正直今も気を抜けば気絶しそうだ。だから、気は抜かない。逆に、こんなにも気を抜けない状況でどう気を抜けと言うのだ。

 目の前の危機を乗り越えられたなら、いくらでも気を抜けば良い。


 正直、自信はないけれど。


 自信がないからといって何もしないままだと、この国はやがてあの津波に殺されてしまう。自分達だって無事でいられるかは分からない。

 だったらこちらがサエスを飲み込もうとするあの化物を殺してしまえばいい。

 いつも魔物達に対してそうしているように。指名手配された姦賊を殺めている時のように。

 難しく考えるな。自分でも持て余す程の魔力の塊を、ぶつけて止めるだけだ。


 ジェイドは右手を挙げ、遠くに迫る津波の影の向かって左側へと腕を振り下ろす。

 頭上の魔法陣が起動する。蒼い閃光がエストリアルの空を覆う魔法陣の淵から徐々に中心へと、引き寄せられるように集まっていき集束する。そして一気に津波の、向かって左側の縁へと放射される。

 先程の夢の中で見た巨木を総て集めて束ねたかのような太さの光線はエストリアルの空も、ヴェルディ上空も、アンダインの空気も一気に切り裂いてうねり蛇のように、襲い来る水の壁へと喰らいつく。夜の凍てついた空はまるで澄み渡る昼空のように、蒼く染まった。

 水の魔力を冷やしに冷やし氷の魔法へと転換したものだ。今日が真冬で良かった。空に広がる雪も冷気も、魔法陣へと手を貸してくれる。


 閃光が触れた所から、津波は上空から大地へと覆い被さろうとするその形を保った状態で真白く氷結していく。氷結した氷の膜が、その後ろから押し寄せる津波の圧倒的な水量により凍った端から砕かれていき、何千何万もの硝子を一気に叩き割るかのような甲高い音が夜空へ響き、件の場所から未だ離れている筈のサエスの王城までも届いてくる。

 不気味な魔物の咆哮にも聞こえるそれらを厭い、見守るマリーナや彼女を護衛する騎士達は僅かに顔を伏せる。

 けれどジェイドは、今から殺すべき巨大な獣の息の根をこのまま一切の抵抗を許す間もなく止めんとせんばかりに、端を凍らされ僅かに歪む津波を見据え続ける。


 このままあの水の流れを止めなければ。そう思い、ゆっくりと右腕を左側から右側へと少しずつ薙ぐような形で動かしていく。

 すると、頭上で標的を狙い撃つ魔法陣はジェイドの手の動きに合わせて角度を変えていく。左から右へと、今見えている津波の端から逆側の端へと氷漬けにして止めるべく、氷結の魔法は徐々に照準をずらしていく。

 凍らせる獲物を端から端まで魔法陣に指示すると、ジェイドは腕を下ろして自身の魔法の挙動を見つめる。

 彼の言う事を忠実に聞いて遂行する魔法陣は、光線の先端をゆっくりと左右に動かして大津波の一部分を凍らせ、水圧に完全に割られる前にまた別の一部分を凍らせるという作業を繰り返し、少しずつ氷の層を厚くしていく。

 氷の層が砕かれ薄くなってしまったところには、再び光の掃射が加えられる。


 後は完全に津波の勢いが止まるまで、魔法陣でこのように足止めして不必要にサエスへと近付かないように抑え込み、津波の勢いが止んだら残った氷の層を更に厚い物にすればいい。

 余震に備えて、一応の防波堤のつもりである。もうこの大陸の南側には悲しい事に何も残ってはいないだろうから、巨大な氷の壁が一枚建てられても大して困らないだろう。

 また、こんな規模の津波が起こった時には役に立つ筈である。氷なので冬の間だけの物だが、地震はもう来ないとは言い切れないのだから。


 それらの仕事をこなす為にも、頭上の魔法陣に送る魔力は充分備わってなくてはいけないのだが、今のジェイドは無理矢理魔法を使役している。

 急激に減った魔力が引き起こした魔力不足の気持ち悪さを誤魔化す為に、飴の瓶を再び開けるのだった。


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