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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
63/192

63 更なる災害



 ジェイドとシャルロットはそれぞれ、寝間着などではなく元々の自分達の服に袖を通してマリーナの元へと向かっていた。

 あれだけ扉に封印を施し部屋から出す事を恐れていたと言うのに、意外とこんな時にはあっさりと許可を出すものなのだな、とジェイドは思っていた。魔封具の一つすらも身体に付けられる事はなく、部屋から出してもらえたのだ。シャルロットに聞けば必要ないと首を振ったのだから、そういう事なのだろう。

 余りにもジェイドが大人しく日々を過ごしていた為に、こういった緊急時には四の五の言わず出てもいいというルールが本人の知らない所で途中から追加されただけだ。


 シャルロットの話では普段マリーナ女王は執務室にいるようだが、流石にこのような夜更けに地震で起こされたとなっては女王も執務室にはいなかった。

 けれど彼女の寝室に行くのも憚られるし何よりその場所も分からない為、どうしたら良いのかと二人で途方に暮れていた。

 すると、廊下の向こうから侍従が慌てた様子でやってきた。


「御二方、そのまま執務室の中でお待ち下さい。女王陛下も直に参ります……!」


 それだけ告げると彼は慌ただしく去っていく。女王の支度の手伝いにでも向かったのかもしれない。ジェイドとシャルロットは顔を見合わせて、執務室の扉を開けた。

 中は酷い有様だった。執務机の上に重ねてあった書類は床に散らばり、壁際の本棚、特に入って右手側に並ぶものは軒並み倒れてしまっていた。倒れていない物もあったが本が飛び出て、床に散乱している。

 ジェイドは魔法で蔦を出して直そうとするが、シャルロットに止められる。曰く、国に関わる大切な本に触ったとなっては良くないかもしれないという事である。確かに、ジェイドは今ここにいる事自体がイレギュラーなのだから、本棚を直す事は諦めて床に散らばる書類も申し訳ないがそのまま放置する事にした。


 すると、程なくして執務室の扉が開かれた。女王が兵士や従者を引き連れてやって来たのだ。一部の兵達は執務室にジェイドの姿がある事に少し怯んだようだったが、女王が全く意に介していない為自分達も気にしない事にしたようだった。


「何だあの地震は! また復興が遅れるではないか……!!」


 眠りを妨げられた事も相まって、マリーナは忌々しげに吐き捨てる。今の地震で半壊した塔が全壊してしまった事は、見回りの兵から女王の耳に届いている。

 半壊していたとはいえ、塔を突き崩すような地震だ。サエス国内の家屋が崩れてしまっても不思議ではない。その下敷きになる者もいる可能性がある。


「兵はすぐに集まり隊を組み、街に出て警邏せよ! 震災に託けて盗人や暴徒が現れる事も念頭に入れておけ! 周辺の街の駐屯兵との連絡も忘れるな!!」

「ハッ!」

「侍従長、侍従長はおるか!」

「ここに、陛下」

「従者共と城の中の戸締りを入念にしろ、但し正面門は解放せよ! 怪我人はすぐに運び込めるように手配し、エントランスにオリクトや薬草を用意しておけ!!」

「仰せのままに」


 マリーナは声を張り上げ次々と指示を出していく。兵はキレのある敬礼をし、侍従長は深々と頭を下げてそれに応える。

 それを隅で聞いているだけのジェイドとシャルロットだったが、ふと少女がハッとして口を開いた。


「あの、陛下……」

「何だ、貴様らへの仕事もちゃんと割り振る! 今暫く大人しく……」

「いえ、そうではなくて……っ!」


 マリーナの声よりもシャルロットの声量の方が上回った事により、女王は閉口した。静まり返った部屋の中で、少女の声はやけに響いたような気がした。


「……今の地震、本震でしたか? 前震、来てましたっけ……よ、余震も気を付けないと……」


 その言葉を待っていたかのようなタイミングで、床が大きく揺れ始めた。揺れた、と形容するのも正しくないと思えてしまうような揺れだ。まるで城全体、執務室全体が船となり大時化の海の上に乱暴に放り出されたかのような、地に足を付けていられない揺れ方だった。

 先程の比ではないその揺れ方に、重たい執務机はひとりでに移動を始め、倒れていなかった本棚達も一斉に、室内にいる者達を叩き潰そうと暴れ始める。


 余りに突然の事で悲鳴が響く室内で、女王は怪我を観念して目を閉じ頭を抱えていたが、いつまでも己の身に降り掛かるべき衝撃を受けず不思議に思い、恐る恐る片目を開いて周囲を見渡した。

 太い植物の蔦が本棚やその他の家具をなるべくその場に留めようと押し返していた。それどころか、無数の蔦が城の崩壊を防ぐかのようその白壁に内側からも外側からもびっしりと張り巡らされている。

 ジェイドの魔法だ。当の本人はゼリーのように震える足場を嫌って、シャルロットのみを抱え風魔法でふわふわとその場を漂うように浮いていた。


「大事御座いませんか、陛下」

「あ、ああ……」


 しれっと尋ねてくるジェイドに、マリーナは蹲りながら答える。いつの間にか揺れは収まったようだ。

 兵も従者も皆その場に崩れ落ちていたが、やがて一人ずつ安全を確認しながらその場に立ち上がる。

 然しそうしているのも束の間、今度は慌ただしく他の兵士が執務室の扉を大きく開いた。


「し、失礼します……っ! あの、その……!!」


 彼は随分焦っているようで、何か伝える事があってこの場へと走って来たらしいのだが、焦りと息切れによりなかなか言葉が出て来ない。マリーナなそんな兵の様子に苛立ち、早々に怒鳴りつける。


「何だ!? しっかり喋れ!」

「は、……ハッ! 私は本日、物見の塔よりエストリアル周辺の見張りを不寝番で担当しているのですが、……その、サエス王国南方より、な、……謎の壁が! 壁が迫ってきておりますッ!!」

「壁……?」


 女王の一喝で兵は姿勢を正し、自分の見て来たものを説明する。然し、ざっくばらんに“壁”と言われてもいまいちピンと来ない。

 然もご丁寧に謎と言っている辺り、本当に壁なのかどうかも疑わしい。まさか魔物の大軍が押し寄せているのではなかろうか。兵士の説明で逆に不安感を覚えた女王は、部下達と共に廊下へと飛び出した。


「貴様らもそこに突っ立ってないで着いて参れ!」


 マリーナは背後を振り返りジェイドとシャルロットへも呼び掛ける。そんな乱暴な物言いをしなくても良いだろうに、女王は水のヘリオドールが割れてからと言うもの、その欠片の一枚すらも未だに回収が出来なくてかなり気が立っている。

 ジェイドは城の内部外部を支える蔦はそのままに、やれやれと言わんばかりの様子でシャルロットの手を取りマリーナの背を追った。



 着いた場所は物見の塔になっている、この城の中で現在一番高い塔だ。元々一番高かった塔は先日半壊し、先程全壊した。

 室内は塔の構造上円形になっていて、通常の観測用の窓の他に狭間窓がいくつもあり少々寒い。つい先刻まで暖かい室内に三ヶ月近く引き篭もっていたジェイドは、すかさずこっそりと温熱の魔法を使い人知れず暖を取る。

 椅子に毛布などもあるが、ここに先程までいた兵士は急いでマリーナの元へと知らせに来たのだろう、毛布は床に放り捨ててあった。

 マリーナは狭いその部屋の南側に位置する窓を開け放ち、身を乗り出して外を伺う。侍従長に危ないと窘められても気に留める事はなかった。

 外は暗いが冬の澄んだ空気の中の月明かりで、夜だというのに先程の地震のせいで外に出ては、混乱にざわつく国民達がよく見下ろせた。


 “それ”は視線を上げればすぐに視界に入り込んだ。

 兵が言っていた事は本当だった。

 壁だ。灰色の、大きな、大きな壁が。

 不気味に、サエス王国より更に更に遠くの南方から、どろどろと少しずつこちらへ向かってくるようだった。

 サエス王国は、王国内に指定されている範囲以外の土地もまた広大だ。平原や森に囲まれてはいるものの山がない訳ではない。遠くにはサエスの大地に裾を広げた山々の影が、大きさこそ他の大陸の山々に比べると奥ゆかしいものではあるが、悠然と月光の下で静かに佇んでいた。


 それを、灰色の壁は上から覆い被さるように丸呑みにした。


 視界から山が一瞬で消えた。目の前の光景に、全員が暫しそれに魅入っていた。


「あれは……津波では…………」


 誰かが不安に掻き消えそうな声で、ポツリと呟いた。あれだけ大きな地震があったのだ。前震でさえ、かなりの揺れだった。本震もジェイドが魔法ですぐに城ごと押さえ付けてしまったから体感こそ大した事ではなかったが、もしジェイドがいなければ城すらも全て崩れていてもおかしくなかったのではなかろうか。

 そんな地震が起きたのだ。津波がない方が不自然とも言える。

 けれど、あんなにも酷い津波が来るなんて。今まで水の女神の庇護下にあった国民達は、多少湾岸の街が被害に合う程度の津波の経験こそあれど、山を呑み込む程の、内陸まで押し寄せて来る規模のものは初めてだった。


 気付いた途端に、その場にいる兵や従者達は恐慌状態へと陥る。


「南側の港町はどうなったんだ!?」

「あの津波も直にここへ……!」

「馬鹿! どんなにデカくたってここまで来る訳ないだろ!!」

「この国は水路が多いんだぞ! 上から被らなくたって、下からあんな量の水が水路に入り込まれたら……!!」


「喧しいッ!!」


 女王の怒鳴り声で場は収束する。

 躾の行き届いた犬達はしん、と気味が悪い程に静まり返った。

 マリーナは傍らに立つジェイドへと無表情で振り返り、彼の胸元を飾る白いスカーフを掴んでは頭を下げさせて顔を近付ける。


「ヘリオドールがあったならあのような津波どうとでも出来たが、もうその手も使えん。こうなったのも貴様のせいだろう、何か策はないのか」


 女王の言い分は尤もだが、ジェイドは流石に責任転嫁し過ぎではなかろうかとも感じた。それでも、彼女は自身と、自身の国民達を護りたいが為に、ジェイドへと詰め寄るしか道は残されていないのだということもまた、ひしひしと感じるのだった。

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