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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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62 異変の序章



 ジェイドはここに来てから疑問に思っていた事がある。赤褐色が乳白色に溶け込んだ色の液体を湛えるカップを眺めながら小さく呟いた。


「どうしてこの夢の中だと、俺は子供の姿なんだろうか」


 君は大人の姿なのに。そう言おうとして顔を上げれば、そこには先程までのヘリオドールの姿はなかった。

 茸の上に座っていた筈の彼は自分と同じ、子供の姿に変貌していた。ブラブラと脚を揺らしているその姿には瞬きする間に変わってしまったものだが、例に漏れず夢の中の事なのでジェイドは大して驚かない。


「寝ている間くらい、過去に帰っても良いからではありませんか?」


 目の前の見覚えあり過ぎる容姿をした童は、少しだけ高い声でそう言うとにこりと人懐っこく笑った。

 こうやって顔を突き合わせて会話すれば、子供の秘密の作戦会議と大差ない。


「過去ってどのくらい前の事だ?」

「それは、貴方が一番幸せだった頃の過去の姿に決まっています」


 そう言われると、ジェイドは改めて自分の姿を見下ろす。

 着ている服はイザベラの屋敷で寝巻きにしていたローブ型の衣服。深層心理ではイザベラに可愛がられていた頃が一番幸せだったと、自分はそう思っているとでも言うのだろうか。吐き気がする。

 あの女は、自分好みであれば誰でも良いのだ。自由に出来る人形が欲しいだけだった。その事に気付いた後は、家を出るまでいつも苛々していた。

 それでも膨大な魔力に固執しないでいてくれた事は有難いと思っていたのに、あろう事か彼女は家督を、長男扱いのイアンではなくジェイドに渡そうとした。それがまるで、衰退していく家の、アイスフォーゲルの血をジェイドの魔力で何とか立て直そうとしたようにしか取れず、結果として彼の逆鱗に触れた。

 どうせ自分には魔力しか価値がないのだと、一度は愛した母代わりの女にそう言われたような気がしたのだ。


 あからさまに眉根を寄せてまで怒りの表情を浮かべるジェイドに、ヘリオドールは苦笑する。


「……何も、服がそうだからって貴方の幸せはあの時だけではなかった筈。ほら、髪の長さとか身長は、イザベラの元にいた頃よりも短いくらいですよ」

「そんな事……自分じゃ良く分からない」


 腕を伸ばして髪を一房摘まれても、実感なんて湧きやしない。自分と同じような姿をしているヘリオドールを見ても、やはり同様の感想しか湧いて来なかった。


「サエス王国に来る前だって、幸せな事はあったでしょう? ほら、蜂蜜クッキーを食べている時とか」

「……俺の幸せは随分安いな」

「幸福など得てしてそういうものではないでしょうか。僕も、貴方とこのようにお話出来て幸せですよ」


 どうやらヘリオドールは別人格の癖に、随分口が達者のようだ。

 少しだけ、グランヘレネ皇国にいた頃を思い出した。土のヘリオドールの女神、ヘレネの熱狂的な信者である民達が築き上げた巨大な宗教国家。

 優しい神父様に、共に教会で賛美歌を歌った友人達。彼らは今、どうしているのだろう。


 ふと、胸の奥がズキリと痛んだ気がした。その痛みを無視するように目を瞑っていると、不意にヘリオドールが口を開く。


「幸福と言えば、ここで朗報が一つ」

「……朗報?」

「恐らくですが、そろそろ貴方は閉じ込められているお部屋から解放されますよ。三ヶ月以上には及ばなくて安心しました。そろそろ年明けですしね。いやはや、有限であるシュルクの寿命から考えればなかなか長かったですねぇ」

「何でそんな事が分かるんだ」


 ヘリオドールの言葉を聞いている内に痛みが引いたジェイドはぶっきらぼうに尋ねる。別にこの生活に不満はない。潤いもないけれど。

 こんな生活がもう既に三ヶ月近く経ったのか。シャルロットに日にちを聞いても日記に付けても、実感など湧かなかった。どうでも良かったから記憶に根付かなかったとも言える。

 窓の外は水も疎らに降る程度には収まったが、土砂や泥の片付けで復興作業が遅れ、延々と変わり映えのない薄暗く寂しい景色の日が続き、部屋の中は部屋の中で常に暖炉があるものだから寒さなど余り感じなかったが、もうサエス王国も真冬であるらしい。住処を追われた国民達は、どこか暖かいところへ避難出来ているのだろうか。


「だって、時間が来たみたいですから」


 茸テーブルの上のミルクピッチャーが、ジェイドの疑問に答えるべく囁いたヘリオドールの言葉に呼応するように、小さくカタカタと揺れている。


「僕達にはこんな所でオリクトを造るよりも、ずっとずっと大切な仕事がありますしね。頑張りましょうね、ジェイド」


 彼の言葉を皮切りに、ドン、と下から突き上げる大きな揺れが起きた。


「!?」


 何が起こったのか分からずに、突然の事すぎて身構える事すらままならなかったジェイドは驚いてカップを取り落とし、それは柔らかな苔の上に落ちた為割れる事はなかったけれど、中身の液体が地面に零れた瞬間に後ろから襟首を引っ張られるような錯覚を覚えた。

 その勢いのまま後ろに転がってしまう。後ろに転がれば背中から苔の上に仰向けに寝転がる形になる筈だった。けれど気付けばジェイドは、真っ暗な視界の中にいた。恐らく自分の身体は体勢としては予想通り、仰向けの筈である。然しそれどころではなかった。


 周囲は何も見えない。何も見えないだけならばまだ良い。けれど事態はどうやらそれだけではないらしい。自分の身体が大きく震えているようだ。

 そう錯覚した理由は、地震が来ていたからである。もうここは夢の世界ではない。


 サエス城全体が左右に激しく揺さぶられミシミシと音を立て、窓硝子にすらヒビが入っていく。

 ジェイドは寝起きの為自分の身に何が起きているか分からず、ひたすらベッドの上にしがみつくようにして目を閉じていたが、遂には掛け時計が落ちて砕けるのと棚類が倒れて轟音が鳴る頃にはいつまでも収まらない揺れに耐えかねて、光の魔法で辺りを照らす。

 そうして視界に入る室内の惨状にジェイドが絶句するのと、水のヘリオドールが破壊された時に半壊した城の塔の一部が、資材が足りない為修復されず放置されていたというのに、果ては揺れに耐えられずヒビが広がり瓦礫を大量に城の周囲の堀に落としては土埃と水飛沫を盛大に上げ、この世のものとは思えないような音をエストリアル中に響かせるのは同時であった。


「シャルロットは……」


 まだ現状を理解していない寝惚けた頭ではあるが、行かなければ、と思った。身体は既にベッドから降りていた。

 流石にもう夢の世界ではない事くらいは理解している。すぐ隣の部屋にいる筈だ。

 今までこの部屋から出る気が起きないまま三ヶ月近くを過ごしていた癖に、今では出る事に身体を突き動かされていた。

 揺れは徐々に収まりつつあったが、不安定な足場を進む程ならと風魔法も使い数センチ床から浮く。

 そうしてドアノブに触れれば、案の定魔封具の力で指先を叩き落とされるように弾かれてしまう。

 今日程この仕掛けを煩わしいと思った事はなく、思わず舌打ちが漏れる。

 別に扉から出ずとも、その横の壁辺りに魔法で大穴を開けてしまおうか。扉が駄目なのに、果たして壁に魔法は有効であるのか。水のヘリオドールを破壊した時の侵入方法を知らないジェイドは疑問に思いつつも、そのつもりで構える。

 然しジェイドが魔法を放つより早く、ドアノブが突如として忙しなくガチャガチャと外側から捻られたかと思えば、扉が勢いよく開いた。

 もし扉の側に居続けていたらぶつかっていた事だろう。然し今はそのような事は重要ではない。

 扉を開けた者は今ジェイドが一番逢いたいと思っていた人物、シャルロットだった。


「先生、大丈夫ですか!? 何だか良く分かんないんですけど、突然凄い地震が……」


 ジェイドの姿を見るなり捲し立てる少女の言葉は、彼の耳には何故だか届かない。そんな事を無視して、ジェイドはシャルロットの身体を抱き寄せたからだ。


「無事で良かった」

「……!」


 大分揺れの収まった室内での突然の師の行動に、シャルロットは目を見開く。顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かる。

 こういう時はどういう行動に出るのが正しいのだろう。突き放せばいいのか、されるがままでいるべきなのか、抱き締め返せば良いのか。兎に角彼もまた不安だったという事なのだろう。シャルロットはそう、自分の中で自分なりに結論付けるとジェイドの背中をポンポン、とあやすように軽く撫で叩いた。

 細くは見えるけれど、触れればきちんと男性の身体なのだと再確認させられる。彼の骨張った手を、抱かれる肩や腰で感じ取る。シャルロットは何とか裏返りそうな声を抑えて、必死に言葉を紡いだ。


「ぶ、無事に決まってるじゃないですか……私は先生の弟子ですからねっ!」


 言える軽口はこれが精一杯。バクバクと音が鳴る心臓は今の所どこかへ放ってしまいたかった。

 ジェイドの傍らに浮かぶ光の塊は彼の魔法で生み出された光源だろう。今だけは真っ赤な表情を知られたくなくて、消えて欲しいと心から願った。


 一通り少女の無事な姿を堪能したジェイドは、その腕を開いてシャルロットを手放す。少女は余り目線を目の前の男へ向けなくなってしまった。勿論気まずさからだ。


「……あの、先生。もしお洋服などが無事でしたらパジャマから着替えて、女王様のところへ一緒に参りましょう」

「この部屋を出ても良いのか……?」

「緊急事態、例えば大型の魔物の襲来などがあった時にはお呼びするようにと言われておりますので……」


 シャルロットもまだ寝巻きだ。これから部屋に戻って着替えるのだろう。

 深夜に起こった地震だ、まだ女王や兵士達も混乱状態でなかなか行動出来ていないかもしれない。

 城の中も外も湿気や水だらけのサエスの城では、地震からの二次被害で火災が発生する可能性も高くはないし、もし火が上がったとしてもそれは魔法やオリクトで各自対処出来るだろう。

 ただ、倒れた家具などで怪我人が出てないとは言い切れないし、この地震が魔物由来である可能性も無きにしも非ずである。今この城で一番の戦力になるジェイドを手元に、すぐ指示の届く範囲に置いておきたいと思う女王の気持ちも分からなくはなかった。だからこそ、ジェイドは感心してしまった。


「…………あいつの言った通りになって、るのかな」

「何がです?」

「いや、こっちの話だ」


 シャルロットが首を傾げるがジェイドは軽く躱してしまう。

 夢の中でヘリオドールから聞いた言葉。そろそろ解放される、という話。一時的なものかもしれないが、部屋から出られる事には変わりない。

 こうなって来ると、別れ際に呟いていた言葉も気になる。オリクトを造るよりも大切な仕事とは、一体何を指すのだろうか。


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