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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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60 あなたに逢う為の夢



 それから、日記帳の中でだけの会話は密やかに続いていった。


『ずっとここに居続けるつもりですか?』


 日記帳の“彼”が問う。男か女か分からないので、便宜上“彼”と呼ぶ。


『どうだろう。考えてないな』


 事実その通りなので、そのように答える。


『今日貴方が読んだ本、続編があるみたいですけれど。前に本屋で見かけたの覚えてますか?』

『そうなのか、覚えてないな……今度シャルロットに用意してもらおう』


『最近弟子に魔法を教えて差し上げましたか?』

『教えようとは思うんだが、オリクトばかりに魔力を回してしまって……』


『先程の食事、デザート付きなんて豪華でしたね』

『罪人の食事など税金で賄われているというのにわざわざ豪勢なものにしたなんて、民が知ったら怒ってしまうだろうにな』


 起きた時には日記帳に一文が書き足されているから、それに返事をするかのようにコメントを残すだけ。

 たったそれだけのコミュニケーションだが、ジェイドは内心それを楽しみにし始めていた。

 そして、紙の上での対話が数日も続く頃には、彼が自分の中の別人格とやらの存在である事に、何となく気付いてしまっていた。

 一つに、自分しか知り得ないような話題も出してくる事。もう一つに、この部屋にはシャルロット以外は出入りなど一切していない事が理由だ。


 自分にこのような生活をさせる事になった原因との対話を心待ちにし始めているだなんて、ジェイドは己の心境に苦笑を漏らすしかない。然しそれは覆す事の出来ない事実である。雨季のような暗鬱とした空気の中、“彼”との会話はほんの僅かであってもジェイドには刺激となった。

 異様な状況下で精神が参り始めているからだろうか。怒りの感情は不思議と湧かない。何故か感謝の気持ちがふつふつと湧き上がる。


 すぐに、怒っても仕方のない事だからだと気付く。“彼”は自分なのだから。“彼”の罪を被り、“彼”の代わりに償う事を選択したのは他でもない自分、なのだから。

 今更になって怒るのは筋違いだ。


『君は俺か?』


 短く一言。


『ええ』


 短くとも意図を察してくれたらしい。

 目覚めた時に記されている返答は簡素なものだった。


『名前は何て呼べばいい?』


 シャルロットに別人格の存在の話を聞いた時、名を聞くのを忘れてしまっていた事を思い出したので書いておく。

 多重人格者の別人格に名前なんてないのかもしれないけれど。当事者であるというのにまるで他人事のように考える。

 そんなジェイドの予想を“彼”は裏切る。“彼”にはきちんと名前があった。


『ヘリオドール、と』

『魔石と同じ名前なんだな』

『貴方と同じ名前を名乗るとややこしいでしょう?』


 魔石と同じ名前も充分にややこしい、とは書かないでおこう。

 彼、ヘリオドールは自分と同じ名前を名乗っても構わない筈だ。寧ろ同じ身体なのだから、同じ名前でないとおかしい。そんな風にジェイドは思ってしまっていた。

 ややこしいなんて言い方をするヘリオドールから察するに、ジェイドや周りに気を使っているのだろうかと推測する。


『有難う』


 この言葉には名前の事も含めて、色々な意味を込めた。


『お礼を言われる程の事ではありませんよ、シャルロットも僕がジェイドの名を騙るのは嫌がってましたから』

『名前の事もあるけれど、俺が拉致されて身動きが取れなくなった時に助けてくれたのは君じゃないか?』


 思い返すのは暴漢二人組にシャルロットと間違われて連れて行かれた時に、身動きが取れないというのに事故で発動してしまった自身の闇魔法に取り殺されかけた時の事だ。

 自分の意識はあの時、ぷつりと途切れてしまった。次に記憶が戻ってきた時には、拘束は外されてベッドの上だった。シャルロットの話を聞くに、自分は血塗れの姿で街頭に佇んでいたという。

 そうなるまでの時間、自分の身体は誰が動かしてくれたのだろう。

 

 きっと、ヘリオドールだ。そうに違いないと思った。


『貴方の身体に傷が付くと僕も困りますから』


 同じ身体を共有している存在がいるというのは、何だか面白い。確かに彼の言う通りだ。彼は結果として自分自身の為にジェイドを救ったという事になる。

 だからと言って、一度抱いた感謝を引っ込めるような事は流石にジェイドもしない。

 上記のヘリオドールからの返事の下に、さり気なく追加で文章が書かれていた。もうこの日記のやり取りが、二冊目に差し掛かる頃であった。


『今夜、ゆっくりお話しましょう』


 どうやって。

 ジェイドはアシュタリアに伝わる伝説上の暗殺者、忍者なる者ではない。彼らは分身の術という奇妙な魔法を扱えるそうだが、ジェイドはそのような魔法を使った試しがない。一つの身体が二人に別れるなんて、流石に無理だろうと思う。

 因みに蛇足だが、最近の研究結果から忍者の術は光魔法で行う高速移動が見せる残像だった、という見解が濃厚である。


 ヘリオドールの言う「ゆっくりお話」とはどのような手法を取るつもりなのだろうか。

 夜まで時間は長くはない。今夜、と言っているのだから時間が来れば自ずと疑問は解決するだろうと、ジェイドは深く考える事を放棄した。





 ジェイドの世話をしていない間のシャルロットは、城の中に幽閉されているようなものと言えど扱いとしては賓客と同等であった。

 入浴も着替えも城抱えの女中に手伝われ、まるで姫君のような扱いをされる。そんな賓客に罪人の世話を任せるなど、冗談にしては余りにも酷い事。けれどシャルロットはそんな事気にも止めずに、自分に課せられた役割を果たしていくだけだ。

 そして今のシャルロットの役割は、女王マリーナとの会食である。


 流石王族の食卓。

 街はまだまだ復興の途中で、勿論雨は止まないままだと言うのにその食材には品位を欠かさない。彼女はこの国の象徴でもある。胃の腑に入れるものすら一流のものでなくてはいけない。

 それに付き合うシャルロットもまた豪華絢爛な食事を口に運ぶ。初日こそ、城の外では衣食住に困っている民草がいるというのに自分達だけこんなにも贅を凝らした食事をする事に抵抗感があったが、女王の機嫌を損ねてはならないと口に運んでいく内に少しだけ慣れ、底知れぬ嫌悪感が僅かに和らいだ。

 オードヴルからデザートまで、きっちりと全てがテーブルに運ばれる。その殆どが魚料理だったし、今日のランチのデザートはアイスクリームが添えられたベニエらしい。

 魚の出処をやんわりと尋ねてみれば、城の中に専用の生簀があるのだそう。流石水の王国サエスである。その水は、今王族にも制御出来てはいない訳だけれど。


「お前はジェイドに惚れておるのか?」

「……んぐっ!?」


 会食中、優雅にナイフを動かしながら唐突に尋ねてくるマリーナの言葉に、シャルロットは一瞬意味が理解出来ずに数秒の間を置いたが、意味を理解してからハクラウオのマカダミアナッツ揚げを喉に詰まらせた。

 胸をトントンと叩き、林檎の果実水で無理矢理流して気道を確保してからシャルロットは顔を真っ赤に染めて、不躾にも声を荒らげてしまう。


「へ、陛下……! お言葉ですが、私と卿はそのような関係ではっ!!」

「……わっかり易くてつまらん奴だ」


 はあ、と仰々しいマリーナの溜息を見て、シャルロットは落ち着きを取り戻す。焦りよりも羞恥心が勝ってきたのだ。

 最近国の為民の為に朝から晩まで働き詰めだった女王は、食事の時間くらい多少の息抜きに面白い話の一つでも聞きたくなっただけだ。

 その矛先がシャルロットに向けられただけの話。少女としてはたまったものではないのだが。


「あんな男のどこが良いのやら……」

「……や、優しい所も御座います」


 シャルロットは俯き、モソモソと食事を再開しながら小さく抵抗するかのように反論する。


「第一に優しさを見出している時点で貴様もまだまだ小物よ、娘。男なぞ女を手篭めにしようと思えばいくらでも優しさを振りまけるものだぞ。……のう?」

「……ハッ!」


 近くにいた見張りの兵に話を振れば、彼は易々と敬礼してしまう。

 兵は無論男性である。女王の嫌味に気付いているのか。気付いていたとしても、女王の犬である彼に否定する言葉は許されない。

 マリーナはそれを鼻で笑い、シャルロットへと向き直る。


「ジェイドは貴様に対して優しいかも知れんがな、奴の中の獣はどうだろうな?」


 彼女が言う獣とは、きっとヘリオドールの事を指しているのだろうとシャルロットは予測する。

 どうだろう、と言われてもシャルロットには分からない事だ。ただ、彼に対しては「分からない」事が当たり前である。優しさを優しさと、素直に受け取れない。受け取っていいのか分からない。シャルロットは未だに、ヘリオドールに対しては扱いを迷っていた。

 彼の真意がもう少しだけでも分かれば良いのに。そう願うしか、彼女には出来ない。





 真夜中のベッドの中。

 慢性的な魔力不足を補うべくもう何時間も前から、というか夕方くらいからジェイドはシーツに包まって寝息を立てていた。

 ヘリオドールは今夜、と言っていたが待てずに眠ってしまった事を許して欲しい。

 この部屋に来てから、ずっと夢など視てはいない。普段も余り見ない方ではあるけれど。


 けれど、今日は違った。

 時たま視る、覚えのある夢の中に再び堕ちる。

 霧がかる夜の、寒々しい森の中。星も月も死んでしまったかのように真っ暗な筈なのに、何故か自分の周りだけぼんやりと見える。深く息を吸い込むと肺いっぱいに雪崩込む緑の香りが、夢だというのに何だかリアリティがある。

 子供の時の姿の、裸足の自分。服はイザベラの屋敷に住んでいた頃に着せられていた、質の良い寝間着。

 足元の柔らかな冷たい草を踏み締めて、また目覚めるその時間まで長いような短いような時間を、変わり映えしない景色の中延々と歩かされると思うと、普段ならばうんざりする。

 けれど、今のジェイドは軟禁部屋と窓から見下ろす灰色の景色以外は暫く見ていない。こんなに緑豊かな場所など久し振りの事で、夢の中だと言うのに探索する事に僅かに胸を躍らせる自分がいる。


 今日はどちらへ歩いてみようか。キョロキョロと辺りを見渡してみると、いつも視る夢とは一つだけ違う点を見つけた。


 星だ。否、蛍か。それとも妖精の類か。

 キラキラと光る白い光の塊が、木々の隙間に浮かんでいた。

 それに手を伸ばすと、少年の指先を嫌がるように光は逃げていく。逃げた先でふわふわと静止する光の玉を、ジェイドは追い掛ける。すると、光は再び逃げて行ってしまう。

 まるで森の奥へと誘われているようだ。いくら歩いても裸足の足は、この夢の中では傷まない。ならば追い掛けられる所まで追い掛けてみようと、ジェイドは緑の奥底へと一人進んで行くのだった。

 

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