6 偽善と善意と罪悪感
ぱちくり。
シャルロットの黄緑色の目は不思議そうに瞬きを繰り返す。
自分の罪。その言葉が彼女の胸の奥底にじりじりとのしかかり、罪悪感という重しとなって彼女を苛むのに、認識するのに時間を要した。
「で、も……」
「でもじゃない。知らなかったから許されると思ったら大間違いだぞ? 無知は罪だ。
君の無知さが沢山のヘルハウンドを殺めたのは事実だし、俺は余計な仕事をさせられたし、ついでにオリクト一個を無駄にしたんだ」
思い出すだけで腹が立ってくるとでも言いたげにジェイドは捲し立てる。
正直魔物が何匹死のうがどうでもいいことではあったが、こういうタイプの少女には「命」を盾に話を進めてしまうのが手っ取り早いと思った。
ついでに内心ジェイドが一番憤慨した理由も混ぜ込んでやる。そう、オリクトだ。結局酒場の女に無償で渡す事になってしまったAランクのオリクト。
目の前の少女によって台無しにされた、迎える筈だった楽しい夜の事を思い出すと苛々してくる。
「……オリクト?」
そんな苛々しているジェイドに対してシャルロットは、きょとんと首を傾げる。罪悪感は往々にしてあるにはあるのだが、それよりも何故今オリクトという単語が出てくるのか不思議でならなかった。
ジェイドは、そんな様子の少女を怒りに任せて鼻で笑う。
「そうだよ。オリクトを渡して女を買うんだ。それで夜の相手をさせる。……お子様には刺激が強すぎる話じゃないか?」
「……っ」
目が合うと、案の定シャルロットは恥ずかしそうに俯いてしまった。そんな少女に構うこともなく、ジェイドは続ける。
「君は彼らに利用されたんだよ。
大体あの荷車は何だ? ただの魔物狩りなら必要ないじゃないか。何で疑問に思わない? 何に使うか、聞かなかったのは君の怠慢だぞ」
シャルロットの反応も聞かずに、更に捲し立てる。
「貴族のお嬢様が魔物退治だとか家出だとか、身の丈に合わない事ばかりしているからそうなる。
昨日の男達と一緒だよ。自分でどうにも出来ないくせにヘルハウンド達を怒らせて、その尻拭いは他人任せ。全く冗談じゃ…………って、……」
シャルロットは俯きながらボロボロと泣いていた。ぽたぽたと、水滴がテーブルに落ちて音を立てる。
「……」
まさか泣かれるとは思わなかったジェイドは深く溜息を吐いてから椅子に身体を預ける。
二人の間には啜り泣く声だけしか残ってはいなかった。居心地の悪さにジェイドも口を噤む他ない、筈なのに。
「…………泣けばいいと思いやがって」
黙ってればいいのに、彼も空気に耐えられなかったのだろう。
寧ろ何故このような空気に晒されなければならないのかとでも言いたげな、怒りを含んだ声音でボソリと吐き捨てた。
シャルロットの啜り泣く声は一際大きくなる。
普段のジェイドならこのような場でも、こんな風に感情を顕にせずに寧ろ甘言で慰めるくらいだ。
それは勿論、女性と二人きりで食事をする時にはその後に“お楽しみ”が待っているから。
シャルロットとの間には、ジェイドに一切の利益がないのだ。寧ろ弟子なんぞにしなければならないという不利益すら被っている。
だから感情が剥き出しになる。普段通りの自分でいられなかった。
子供相手に大人げない事も、自分自身がおかしくなっている事にもジェイドは気付けない。
周りからの視線が痛い。
これではまるで少女を泣かせた男そのものだ。その通りではあるのが、また一層居心地の悪さを増幅させている。
そうして暫くしたら、シャルロットは顔を上げた。顔を手の甲で必死に拭う。
「……失礼、しました」
「…………立ち直りのお早い事で?」
ジェイドの暴言にも負けずに自力で泣き止んだ事に、彼は内心驚く。
シャルロットは無理矢理笑顔を作る。
「確かに荷車の事も、どこから斡旋されてる仕事かも聞かなかったのは私の責任です。
でも、泣いても……喪った命は戻ってきません。それに所詮は魔物ですから。早めに討伐出来て、寧ろ良かったくらいです。先生にはお手数をかけてしまいましたが……」
最後の言葉は十六の小娘とは思えないような淡々としたものだった。彼女の黄緑色の瞳は酷く陰ったように見えた。
ジェイドはそれがどうにも面白く愉快な物に感じてしまう。この娘は人の業を本当は理解しているようにさえ感じた。だからこそ泣くのだろうと。
綺麗事を宣い美しく穢れのない生き物でいようとする傍らで、生きる為人の為と理由をつけて他の生き物を殺める。その罪を面と向かって指摘され、己の中で相反する感情が生まれる不条理さに苦しんで泣く。
生き物を殺める罪悪感は己が引金となるのだろう。食う為の生き物を殺める事に、嫌悪するか慣れてしまった人はいても、肉を食う事自体に一々嘆く人はいないのだ。祈る人はいるかもしれないが。
そして人は感情というものの造詣が深い。狼が兎を喰う為に嘆く事もまた、ないのだ。
人故に人らしく悩むシャルロットは、とても“それ”らしく見えてジェイドは安心した。
「魔物だから討伐出来て良かった」だなんて、どの口が言うのか。なら何故泣いた。
何故「喪った命は戻ってこない」なんて分かり切った事を、わざわざ口に出すのか。まるで自分に言い聞かせているようだ。
怒られたから泣いたのか?
騙され、利用されたから泣いたのか?
とんでもない。そんな事で泣くような少女が家出なんてするものか。
貴族の娘など利用される為に生まれるようなものではないか。その血は家の為に、家名の為に流れているようなものなのだ。
それを当の本人が十六年間も理解出来ずに生きていただなんて思えない。
彼女はきっと、本当は色んな事を理解しているのだろう。それから目を背け続けているだけだ。
沢山のシュルクと接して生きてきたジェイドには少なくともそう見えたし、まるで口振りとは裏腹に未だに罪悪感に揺れているシャルロットの目を見れば、それが恐らく正解だと分かってしまった。
彼女の薄皮を一枚剥いてその咎を無理矢理表面に浮き彫りにさせた事によって、ジェイドは漸く彼女に歩み寄る事が出来る。彼もまた臆病だからだ。
理想だけでは生きてはいけず、失敗をするから成長もする。彼女の胸の痛みはいわば成長痛のようなものなのだ。
ジェイドはそんな彼女への成長祝いとして、もう二杯パフェを頼むことにした。生クリーム特盛りでだ。
一つは彼女へプレゼントしよう。
さて、“所詮は魔物”と切り捨てた生き物に対して彼女は再び手を差し伸べるのだろうか。
「で?」
「で? とは」
「ヘルハウンドの子供だよ。彼ら、連れてってしまったんだろう?」
パフェを二人で頬張って落ち着きを取り戻すと同時に、再び会話と空気は流れ出した。
ジェイドの質問に、シャルロットは首を傾げる。
「ええ、……と、私よく分からないんですよね。退治って聞いていたから、まさか子供を誘拐するなんて思わなくて。夢中でヘルハウンド達の気を引いたりしていたから、あの人達の動きはよく見てなかったんですが……、……言われてみれば、見慣れない袋が荷車に増えていた、ような……?」
ヘルハウンドの縄張りに入った後から、街に帰るまでの間シャルロットは全力だった。
あんなに数がいるとも聞いていなかったから、魔物達を引き付けて襲いかかってくるそれらをいなすのに精一杯で同行していた二人の行動を見る余地などなかった。結局どうにも数で勝てそうになく、撤退になった後は“あの”平原大爆走である。
然し、その間に増えていた気がする袋が、ジェイドに助けられ彼をおぶって街まで帰る頃にはなくなっていた。言われて思い出す程度の袋なのだから、なかったような気もする。
でも、あったような気もしてきた。
自分の曖昧な記憶にシャルロットはもやもやとしていた。
首を傾げてしまったシャルロットを見つめながら、ジェイドはパフェを空にする。
「もし、……ヘルハウンドの子供がまだ売り払われてなく、助けられるとしたら君はどうする?」
「!」
「何であからさまに喜ぶんだ。魔物だぞ?」
一瞬輝いたシャルロットの黄緑色の瞳を見逃さず、ジェイドは苦笑する。
やっぱり彼女、強がっているが内面はとても優しいのだろう。この場合、偽善的とも言うが。
出来れば殺したくはない、けれど生きる為金を得る為には致し方ない。一年かけて彼女はそれを学んだのだろう。そして学び切れてないからこうなる。
「魔物でも助けるのか? 何故。子供だからか? それとも君の贖罪の為?
デメリットは色々ある。例えば助けたヘルハウンドは人の匂いがついてしまっているだろうからな、森に返して生きていけるとは限らないぞ」
ジェイドは空っぽのパフェ用の器を見つめながら呟く。シャルロットはそれを聞いて目を閉じ、やがて──
「……そういうのは、後から考えます」
目を開けた。
「人の匂いがついてしまったのなら、ヘルハウンドの死骸を探しに行きます。その毛皮で子供を包み人の匂いを消します。
もしくは、私が仲介人になります。お金や欲でヘルハウンドを欲しがる人じゃなく、心優しく最後まで面倒を見てくれそうな方を探してお譲りします。お金は要りません」
「…………へぇ」
偽善、というものに括るのは些か早計だったようだ。少なくとも彼女は彼女の中の正義の為に生き物の死骸を漁るし、売人の真似事すらするという。
ただの甘ったれた貴族の令嬢かと思ってはいたが、どうにも違うようだ。
「不思議な子だなぁ、君は」
ジェイドは笑うしかなかった。
これが今後の自分の弟子かと思うと、悪くはない気がして来たのだ。
立ち上がり、シャルロットの手を引いて席から立たせる。
「行こうか」
「…? どちらへ……」
「昨日の二人組を探すぞ、きっとまだ近くにいるからな」
「本当ですか!?」
ジェイドの言葉を聞いてシャルロットは一気に元気を取り戻したようだ。ギュッと一気に握る手に力が篭る。
「いたたたたた! 痛い痛い痛い手ェ痛い!! いーたーいー!!」
「あっ、あっ、す、すいません……!」
パッと手を離すがジェイドは痛みに唸りながらしゃがみ込んでしまった。握り潰されるかと思った。
「……もう君とは……金輪際手は繋がない…………」
余りの激痛にそう呟くのが精一杯だった。