表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
58/192

58 お互いの枷となる事



 次にジェイドが自分の意識を取り戻したのは、柔らかなベッドの上だった。


「……」


 寝台の上から視線のみ彷徨わせる。ぐるりと一巡すると美しい貴婦人の描かれた絵画が飾られる白い壁や、平民ならば生涯掛かっても目にする事の出来ないような類まれなる品位を醸し出す調度品が視界に映り込む。

 銀の刺繍糸で線密な紋様が施された蒼碧の絨毯に、天鵞絨のカーテン。目に付くものの総てが一流品のそれであり、一寸たりとも隙がない。

 牢獄などではない事に一先ず安心した。


 己の置かれている状況が把握出来たなら次に、自分は何故ここで寝ているのか考える。意識が途切れる前に、最後に見た景色を、記憶を思い起こそうと思考を働かせた。


 水のヘリオドールを破壊した事で、サエス王国を統治する女王陛下の前で自白していたのだ。両腕を魔封具で拘束された状態で。

 ふと、自分の両の手首を掛け布団から出して目の前へと持ち上げた。後ろ手に縛られていたのだ、ここまで行動出来る時点で腕の拘束はとっくに外されている事は分かっていた。

 腕の自由があるならば、行動する事も容易である。ジェイドは自分の身が置かれた状況の詳細を確認する為に、寝台から立ち上がった。


 髪も服も乾いている。

 誰かが魔法かオリクトで乾かしてくれたのだろうか。


 室内を散策する。

 一人で過ごすには充分すぎる広さだ。

 窓から見える景色は未だ水流に蹂躙されるエストリアルの町並み。という事は、ここは王城の一室なのだろう。

 いつの間にか陽が落ちてしまいかけている夕暮れの町並みは、太陽と共に水の中へと沈んでしまいそうだった。


 ベッド脇の机と椅子にはクロッシュが用意され、開ければ中にはワッフルとチーズ、カリカリに焼かれたベーコンと葡萄酒が在った。

 どれも冷めてしまっているようで、湯気の一つすら立ち上りはしない。一体自分はどれだけ寝ていたのだろうと首を傾げるものの、食べる時には炎の魔法で温めてしまえば良いか、などと気楽に考える。

 置いてあるという事は食べても良いという事なのだろう。後で食べようと、ジェイドはクロッシュを元に戻した。


 壁際の書架に詰められた本の数々は暇潰しの為のものだろうか。

 マントルピースの暖炉には煌々と赤が燃え盛る。街の住人達は寒空の下に放り出されてしまっているだろうに、彼らをそのようにさせた当の本人がこうして暖を取れる事に少しばかり胸が痛む。

 何となく予想はしていたが、扉は開かない──というより、ドアノブに触れられなかった。


「……っ」


 弾ける音を立てドアノブはジェイドを酷く拒絶する。強い鞭に指先を払われたかのような衝撃を受けたのだ。

 未だ痺れるような痛みを覚える右手を左手で撫でる。扉にもドアノブにも何か仕掛けがあるようには見えないが、外側に何か仕掛けでも施されているのだろうか。


 家具などから察するに貴賓室のようにも見えるが、自分が賓客として扱われているなど到底思えない。

 ふと、暖炉の前のソファと背の低いテーブルに目をやる。テーブルの上にはこんもりと、空のAランクのオリクトが置かれていた。その横に紙切れが一枚見えたので、手に取って目を通す。

 内容は実に完結で火属性が二十個、風属性十個など、それぞれの属性のオリクトを指示通りの数だけ作れという内容だった。

 随分横暴な数だ。普通のシュルクならば干からびてしまうだろう。

 けれどジェイドにとっては、今はまだ魔力が全快している訳ではないので多少骨が折れる数ではあるが、普段ならば造作もない個数の指示だ。

 片手にオリクトを持ち、ボールでも扱うかのように軽く投げては掌で受け止める事を繰り返しながら部屋の散策を続ける。


 先程、触れただけで痛い目を見た扉は窓の向かい側にあった。部屋の構造上、その扉が部屋から出る為の扉という事は考えなくても何となく分かる。

 その扉を正面に見た時に、どうにも気付かなかったが右手側にも扉があった。ドアノブに触れる。今度は痛くない。この時点で、この扉はジェイドが触れる事を許可されている扉という事になる。開ける事にも一切の期待を抱かないまま開けられた。

 まるで隣の部屋と続いているかのように佇む、チョコレート色の扉の向こうには風呂場や洗面台などの水周りが一通り揃っている事が確認出来た。


 そこまで目にして漸く、頭の中にあったもやもやと霞がかった単語が胸の内にストンと落ちる。

 自分はこの部屋に軟禁されたのだと。


 悲観はしない。する訳ない。

 妥当な対応だとすら思ったくらいだ。

 否、冷たい地下牢の中にずぶ濡れのまま放り込まれていないだけ、やけに対応が良い。やはりオリクトを無尽蔵に精製出来る存在を無碍には扱えはしないか。風邪でもひかれてポックリ逝かれたら、サエスの復興は難航してしまうだろう。

 あの後どのような話があったのか知る由もないが、取り敢えずは狙い通りの結果になったという事だ。


 部屋の中を一通り見て回る頃には手の中のオリクトは煌々と紅く煌めいていた。まずは一つ。

 魔力を充填するのに、いつもより時間が掛かってしまった。やはりまだまだ身体に魔力が戻って来てはいないのだ。ならば無理に次々とオリクトを造るよりも先に、まずは食事でもしようとベッドに腰掛け先程の軽食の器を机の上で手繰り寄せる。



 料理を温める時に葡萄酒も一緒に温めてしまった。ホットワインも悪くはない。

 寝起きの頭でぼんやりとしていたが、食事を口にすると先程よりも幾分か思考がハッキリとしてきた。

 そういえばシャルロットは無事なのだろうか。どこにいて、何をしているのだろうか。彼女は主犯ではないのだから、自分より酷い待遇にはなってはいないと思うけれど。

 常に傍にいた少女が急にいなくなったこの感覚は、さも不思議なものだ。心の奥底を自分でも知らない内に勝手に冷たくさせ、明かりも射さない薄暗い部屋の中で呼吸を潜めて蹲るかのような、そういう感覚。


 気分の悪い感覚だ。

 不愉快を振り払うかのようにチーズを口の中に押し込んでいると、腰掛けるベッドの後ろの壁から物音がした。

 明らかにこちらの部屋にジェイドの存在を知覚した上で、更に物音を立てる自分自身の存在を知らしめるかのようなノックにも似た叩き方。

 それから数秒後に、今度は別の音がした。ガタガタと扉か窓が揺れるかのような音。その後に、微かに聞こえた声。聞き慣れた、聞き間違える筈のない声。


「──先生」


 シャルロットの声だ。

 外は土砂降りだけれど、外から聞こえる。ジェイドは皿を机に戻すと立ち上がり、慌てて窓を開ける。

 窓はご丁寧に格子付き内倒しの窓だった。窓硝子に触れる事は出来ても、僅かにしか開かないそこから格子には触れられない。仕方ない、とばかりに隙間からでも届くように祈りながら声を掛ける。


「シャルロット! そこにいるのか……!?」

「ええ、おります。隣の部屋に御座いますよ」


 水の音に掻き消されてしまうかと思い声を張り上げたのだが、隣の窓との距離は近いようで余りその必要もなさそうだ。

 少女の声は落ち着いていて、ジェイドはその声音を聞くだけでこんなにも安心出来た。


「何かされたりしてないよな? 君も部屋から出られないのか?」


 息付く間もなく聞きたい事から尋ねていく。返って来たのは思いも寄らない返事だった。


「今、そちらに行きますね」


 シャルロットはジェイドと違って自由に動けるという事だろうか。呆気に取られて暫く待っていると程なくして、数度のノックが部屋に響き──扉が開いた。

 扉の隙間から現れた少女は女王から与えられたのだろうか、若草色のドレスに身を包みいつもより“貴族の令嬢”という言葉が似合う、そんな装いである。


「……どうしたんだ、その服。馬子にも衣装だな」

「えへ、……有難うございます。女王様に頂いたものです」


 久し振りに少女の顔を見た気がして、嬉しい筈なのに何故か照れ隠しで悪態をついてしまう。

 それでも少女は褒められた事を素直に受け止めたようで、嬉しそうに表情を綻ばせた。その表情がいつもより暗いものである事くらい、ジェイドすら分かってしまった。心配になり、再三尋ねてしまう。


「どうした、……やっぱり何かされたのか?」

「い、いいえ何も……!」


 余りにも自分が不安げな表情をしている事に、言われて漸くこの娘も気付いたのだ。ジェイドに無駄な心配はかけまいと、健気にも明るく振る舞い始める。もう遅いというのに。


「私、結構自由に動けるんですよ! 先生のお世話係も任命されましたので、先程のようにお呼び頂ければいつでもお傍に参りますっ! 出来たオリクトの運び出しも致しますよ!!」


 女王は馬鹿ではなかった。

 ジェイドとヘリオドールの保証の為されない誠意を一応受け取りつつも、シャルロットを使い防衛線を引いた。

 裏切らないだなんて目に見えない口約束よりも、人質を取ってしまえばそれはより確固たる約束になり得る。この場合、人質とはジェイドとヘリオドールに対してはシャルロットの事だし、シャルロットにとってはジェイドの事だ。


 ヘリオドールはあの後自分勝手に伝える事だけ伝えてしまうと、本当に余裕がなかったのだろう、その場に崩れるように気を失ってしまった。

 そのままジェイドの意識が浮上してくる事もなかった為必然的に、女王はシャルロットに対峙する事となった。

 その時に、女王マリーナはシャルロットが散々ジェイドの事を庇っていた事を思い返してこう言ったのだ。


「のう、娘。先程のジェイドを見ただろう? やはりあれは危険な男よ。野放しにはしておけぬ。魔力量を考えれば喪うのはこの国にとっても損失にはなるが、これ以上の災害が起こる可能性は見過ごせぬ。早急に処刑台送りにしてしまうのがこの国の為とも思うのだが……妾も鬼ではない。

そこで、こやつにチャンスをやる事にしようと思うてな。……こやつは随分と貴様を気に入っているようだ。貴様がこやつを乗りこなしてみせよ。この国に更なる不義を働かせぬよう見張っておれ。貴様が逃げればジェイドは死ぬぞ。

貴様がどれだけ魔力を持ってるかは知らぬが、Aのオリクトを即時創る事の出来ぬ穀潰しは要らぬ。そんな穀潰しにも出来る仕事を与えてやるのだから、有難く思うが良い」


 そうして少女に綺麗な服と、仮初の自由を与える。ジェイドよりかは行動に制限がない、ように見える。これがマリーナにとっての折半案だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ