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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
56/192

56 三者三様



 耳に触れる水音が心地好い。外は暴風雨と呼ぶには余りにも生温い地獄が在るというのに、心地好いなどと思ってしまうのはどうしようもなく愚かな事だ。

 男は女王の足元にて、彼女の顔を真っ直ぐに見上げる。この対談の結果では文字通り首を落とす可能性だってあるというのに、ジェイドの目には畏怖という感情が映らない。それどころか諦めたような表情すらないのだ。


 一体どういうつもりでこの場に舞い戻って来たというのか。自供では彼こそが水のヘリオドールを破壊した、と宣っているのだ。罪を犯したならば逃げる筈。それが犯罪者の道理である。

 犯罪者であると同時に、彼はこの国一番とも言える魔法の使い手だ。アイスフォーゲル男爵家で育ちながら冒険者をして、女王の手の内には収まらないよう逃げ続けた男。

 国のトップに君臨する女王の考えも及ばない、何かとんでもない面白い回答が聞けるのではないか。マリーナは好奇心と忌々しさ、それらを半分ずつ抱いた目でジェイドを睨み付けている。


 静かに、男は口を開いた。


「俺は確かに、ヘリオドールを破壊した…………ようです。それは認めます。今日はその償いをしに来たのです」

「ようです、だと? 随分他人事だな」


 ジェイドの言葉は女王にとって引っ掛かる言い回しであった。破壊したならば破壊したと、そうはっきり言えばいい。

 それをこんなにも濁して発言する意図を、やはり臆したのだと取るのは自然な事。他人事にして逃げてしまいたくなったのか。

 そう思うのは簡単だがそれは些か早計であり、彼の表情は未だに落ち着き払っている。目付きが悪い為、無表情を貫こうとする男の顔はただひたすらに冷酷であるだけにも見える。


「そのお話については私がします」


 マリーナの疑問に答えるのは傍らの少女。女王の許可なく口を開いたと思えば、ジェイドの言葉を引き継ぐと言う。

 彼女の名は知らない。本来ならばこのような状況なら、冒険者ギルドの情報登録内容と照らし合わせたいところではあるのだが、生憎そこまで手が回らなかった。故に、ジェイドにくっ付いてきた仲間という事で拘束させてもらっている。


「そういや、貴様は何者だ」

「申し遅れました、私はケフェイド大陸旧アルガス王国公爵家次女、シャルロット・セラフィスと申します……女王陛下へこのような格好でご挨拶させて頂きます事を……」

「ああ、ああ、もう良い」


 貴族の娘の挨拶はこんな状況であるというのに、国は違えど王族と公爵家の身分差を弁えているようでやたらと丁寧だ。

 けれどそれが笑いを誘っているのかと思える程に滑稽なのである。

 二人並んでずぶ濡れ、手は後ろで拘束されているにも関わらず心乱す事もなく貴族として振る舞うだなんて、そんな者の挨拶などいちいちマトモに聞く気にもなれない。

 もっと欲に忠実でプライドだけは無駄に高いエストリアルの民のように、このような場なら床に転がって駄々を捏ねる子供のように、命乞いの一つでもしてみれば良いものを。実につまらない。

 女王は手を顔の前で左右に振って彼女の挨拶を嫌った。


「そのような御託は良い。……して、貴様の話とやらは?」

「せんせ……ジェイド・アイスフォーゲル卿の、意識についてのお話です」

「……意識?」


 意識、とは何のことやら。ヘリオドールの話をしに来たのではないのか。女王は胸中にて首を傾げるが、それはなるべくなら顔には出さないでおきたいと思い表情を引き締めた。

 彼女の疑問はすぐに解けていく。回答は簡単に与えられる物だった。少女が吐き出した言葉は殊更陳腐で──興味深いものであった。


「卿の中にはもう一人、人格がおります。彼は病を抱えておりまして、今回の事件もその人格が引き起こしたものです」

「ほう……? だから、許せと。我が国のヘリオドールを破壊しておきながら、大目に見ろと。そういう事か」


 信じ難い話ではあるし、それが本当であるかどうかはこの際置いておく。

 そして、そんな夢物語のような話を引っ提げておめおめとやって来たのだ。この話をネタに許しを乞いに来たと思われても仕方あるまい。

 けれど、少女はすかさず首を振り否定するのだ。


「……いいえ、陛下。彼のやった事は許されない事ですし、それを言い訳にするつもりはないのです。ただ、私は彼の別人格と当時行動を共にしておりました。彼の行動を止められなかった私にも責任が御座います」

「成程……?」

「ですので、二人で罪を贖いに来たのです」


 罪を贖いに。

 その言葉の真意について女王は考える。一人分の罪を二人に分配し、片方に掛かる処分を軽くしようという算段だろうか。罪人に、自分達の行く末を選択する権利などないというのにか。


 ジェイドはギルドの登録情報によると、かなり昔にグランヘレネからこの国に移民してきたシュルクであるから良いとして、他国の貴族の娘を罰すると少々面倒な事にはならないだろうか。

 公爵家の娘だ、サエス王家の元で何も考えずに処刑でもしてみろ。アルガスに対しての宣戦布告と取られても可笑しくはない。

 そう考えると、彼女一人国に送り返しアルガス王国の法に則り処分を決めるのが正しい判断だろう。


 そう、アルガス王国がまだ健在であったなら。


 シャルロットは最早無関係な他国の公爵令嬢ではない、水のヘリオドール破壊の共犯者だ。否、「犯罪者にしてしまえる」のだ。

 直接破壊したのがジェイド一人であっても、その中の別人格であっても。罪は罪に、“出来てしまう”。

 シャルロットがジェイドの肩を持っているのは明白であり、そんな彼女が「水のヘリオドールに一切触れていない」と証明出来るのはヘリオドールを破壊したジェイドのみ。そのジェイドは当時己の意識が不明瞭で、別人格に身体を乗っ取られている状態であったという。

 でっち上げてしまえる。

 そしてその不確定な罪は、このサエス王国で断罪出来る。かの北の大国は二年前に内乱で亡んだのだから。


「貴様らはどのように罪を贖うつもりでいるのだ?」


 よもや謝罪一つで済ますつもりではあるまい。回答次第では──国内がゴタついている為すぐ様処刑などは出来ないにせよ──地下牢へ押し込むつもりでいた。

 答えを待っていれば、口を開くのはジェイドの方だ。彼の髪から滴る水滴が、大理石の床へと零れ落ちる。


「……オリクトを。Aランクのオリクトを、どの属性の物でも造りましょう。それを当面は壊れたヘリオドールの代わりにして頂きたい」


 女王は顎に手を当てて少し考え込む。



 彼女が、ジェイドの言葉をどう捉えたのか分からない。返答を待つ二人は平静を取り繕いながらも内心は心臓がけたたましく跳ねて暴れるのを、両腕が塞がっている為に押さえ付ける事すらままならないでいた。

 これで運命が決まる。ジェイドはシャルロットの今後の人生を心配していたし、シャルロットはジェイドをどうしても処刑台送りにはしたくなかった。

 二人は目的は違えど、終着点は一緒なのだ。


「当面の間、と言ったな。それはいつまでの事を指す」


 マリーナから放たれる、予想していた質問。ジェイドはそれに対して静かに切り返す。


「陛下は俺を手元に置こうと、何度か使者を送られましたね。もう使者は必要ありません、陛下が良いと言うまでいつまでもお傍に御座います。

この期に及んで宮廷魔導師に、などとは申しません。オリクト精製用のシュルクとして置いて頂ければ。俺が言うのもおかしな話ですが、ヘリオドールが消滅した今、それの代替品に高ランクのオリクトが必要となる筈。俺ならば、それを無尽蔵にご用意出来ます」


 用意されていたような台詞が、やけにスルスルと閊える事もなく流れ出てきた事に女王は失笑する。


「貴様にプライドはないのか。そこまでして……国中総ての者に恨まれて尚、生きたいと?」

「俺は今まで沢山の生き物を殺めては来ましたが、死にたいと言って殺されるような間抜けは御座いませんでした。俺もまた、彼らと同じ生き物で在るだけです」

「……化け物が、戯言を」


 化け物。それが耳に届いた瞬間、シャルロットは無意識にジェイドの横顔を見る。彼は無表情のまま、淡々とした態度でまるで気にしてもいないようだ。

 提案を申し立てたジェイドから話す事はもう何もない。女王の裁定を待つのみである。


 女王は未だに考え込んでいた。

 現在城中のオリクトを掻き集めさせてはいるが、何れは足りなくなるだろう。このような状況では猫の手も借りたい程に、いくらあっても人手と物資は足りないものである。

 そこに、ジェイドが協力すると言っているのだ。彼──正確には彼の別人格──のやった事に対する罪滅ぼしの為の申し出なので、見返りもなくただオリクトを精製し続けると言っている。

 罪に対して責任を取るのは当たり前だ。けれど、その罪人がジェイドであるならばそれはマリーナに取っても大きな博打となる。


 彼が膨大な魔力を持っている事は分かっている。その魔力をオリクトに詰めて国中に配れたら、サエス王国の復興に大いに役立つ事だろう。

 然し端的に、裏切ったらどうする。

 ジェイド自身が裏切る可能性もあるし、彼の別人格とやらにはまだ相見えていない為、そちらの意見も未知数だ。

 オリクトへ魔力を詰めさせるという事は、その間魔封具も装着させないという事だ。隙を見て魔法で攻撃でもしてきたら、堪ったものではない。

 もう少し探りを入れる必要があった。


「……お前が協力する気があっても、別人格とやらはどうだろうか。ジェイドがそやつを制御出来ぬから、今回このような事になったのではないのか?」

「それは……」


 ジェイドが言葉に詰まるのを見て、シャルロットは声を上げた。何故この娘はこのような者を、こんなにも必死になって庇うのだろう。


「違います陛下……! 確かに、彼は自分の中のもう一人を制御出来ていませんが、その人格を押し止められる立ち位置にいたのに止められなかったのは私の責任です……!! ですから……」

「娘。そなたには聞いておらぬ。妾はジェイドに尋ねておる。……して、卿。如何考える」


 長い沈黙。

 答えられない。

 答えられる訳がないのだ。

 ジェイド本人が未だマトモに認知していない別人格の考えている事、心の内など。

 けれどマリーナはジェイドの口から、その答えが発せられる事を求めている。シャルロットの横槍など一切許さないとでも言いたげな、冷ややかな視線を落としていた。その深い蒼の瞳から注がれる冷たさは、外の天候そのもののようだ。


 答えのない質問を問われるジェイド。

 彼への助け舟を封じられるシャルロット。

 ジェイドを使うか、否か。危険な賭けを綱渡りのような状況でさせられるマリーナ。


 この時間は、誰に対してもまるで悪夢のようだった。

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