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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
51/192

51 シーツの中身は臆病者



 サエス王国の兵に捕まれば確実に死刑となるだろう。だったらこんな事。闇の魔力を持っているという程度の事、今更隠していて何になる。自暴自棄になったジェイドは半ば投げやりだ。

 けれど、シャルロットの反応が恐ろしくて目を合わせられない程の臆病者が、よくもここまで勇気を出したものである。


 もう顔も見られたくない。今自分がどんな顔をしているかは分からないが、兎に角さっさと頭まですっぽりとシーツの中に隠れてしまった。裾から長い黒髪だけが零れて覗いている。

 そんな男の前で、シャルロットは言葉を選ぶ。選んだ割には、その質問は特に直接的なものだ。

 少女も、もうこの段階まで来てしまうと言葉を飾る事の無意味さを、肌で感じていたからだ。


「先生は……死にたいんですか?」


 死んでおくべきだった、と吐き捨てるならばそう捉えられても仕方がない。

 けれど、再三言うが彼は存外に臆病なのである。それも、自分自身が情けなく思えてくるレベルでだ。


「……だったらもっと早くに死んでいる」


 早口で、けれどもはっきりとシーツの中から零れる意思表示。

 闇の魔力を使用しなくとも、人を殺めるという事は悪い事だ。良くて投獄、悪くて死刑が関の山。

 そのように定めているのは国であり、ジェイドは自分自身の運命を「生きる」と定めている。だから、ここにいる。


 どれだけ血を吐こうが泥水を啜ろうが、しぶとく生き残ってやるとあの時決めたのだ。

 あの時の罪が、今こうして己の足先に忍び寄ってくる気持ち悪さ。──当然の報いだとすら思える。


 ジェイドが物思いに耽るのと同じように、シャルロットもまた質問の為に頭を働かせる。


「先生の闇の魔力って、どういう感じなんですか? 人を死なせてしまったと仰ってましたが、それだけ誰かを恨んでらっしゃったという事でしょうか?」


 白い布の下でジェイドは一言、んん、と否定するように小さく呻く。


「…………俺に制御出来ない力が、俺を無視して勝手に暴れ回るんだ。擬似的に、一時的に魔物を生み出しているような感じで。その魔物は、“それを認識したシュルク”の罪から生まれる。対象の者の為に死んだ生き物を形作り、恨んで、憎んで、呪って…………殺す」

「それじゃ、先生のせいじゃありませんよ」


 ジェイドのくぐもるような、自罰するような声をシャルロットはやんわりと諌める。

 それは彼の決意とは余りにも対象、対極をひた走るようなあっさりとしたもので、ジェイドは無意識にガバリとベッドから起き上がる。けれど、支える腕に力が入らず再び柔らかなマットレスに身体を沈める事となった。


 ジェイドはシャルロットに拒絶される覚悟で話したのだ。人を殺めた経験がある男が傍にいるなんて、普通の女性ならば今すぐにでもこの建物から逃げ出しても不思議ではない。

 そう、普通の女性ならば。

 残念ながら、シャルロットはジェイドの思っているような“普通さ”とは少しばかり外れている。

 彼女はかの極貧大陸ケフェイド出身なのだ。飢餓や飢饉で餓えて死ぬ民など、幼い頃は日常茶飯事だった。

 更にあの大陸はつい最近まで内乱状態にあった。毎日のように、自分の立つ地の地続きのどこかで人が人に殺され死んでいた。それに畏怖する事も忘れてしまう程に、戦死を上回る程に餓えて亡くなる者が多い国だった。

 オリクトが普及した今では、ケフェイド大陸の年間死亡率は大きく減った事だろうが、シャルロットは実家の周辺がオリクトの力により立て直したところは見てはいない。そうなる前に、家出してしまったのだから。


 加えて、姉のリーンフェルトは今こそアル・マナクに所属しているが、かつてはアルガス王国軍に兵役していた事がある。彼女も法が護ってくれるだけで、正義の名の元に必要とあれば人を殺める職業であった。妹であるシャルロットはそれを否定する事はない。


 シャルロットにとって、死は身近なものなのだ。悲しむ事も後悔も、する日はある。ジェイドと出逢うきっかけとなったヘルハウンドの件などがいい例だ。

 ただ、好き好んで殺す事は良しとはしないが、仕方のない事だって世の中沢山ある。仕方ないの一言で済ませてしまえる程、諦めてしまえる程にケフェイドの飢餓は酷いものだった。

 ジェイドの前でヘルハウンドに対する行いを悔いて泣いた時もすぐに切り替える事が出来たのは、悪く言えば己の無知さも含めて諦めたようなものだったし、良く言えば前を向いたからだ。


 食べる為に家畜を殺す事に対して人は祈りを捧げ日々の糧に感謝をするが、食べる為でもない人の死に対して酷く感情が希薄になるところもまた、人の罪なのかもしれない。

 己の主張の為に争い、殺戮する人と比べれば、制御出来ない力などというどうしようもない事で手を汚し胸を痛めるジェイドの姿の、痛ましい事。

 まだ己の手が綺麗なままのシャルロットには、その痛みを軽々しく理解したような顔をする事は許されてはいないだろう。けれど、受け入れる事は出来る。


 世界の法律は彼を許さないのだろう。禁じられている力で人を殺める。どう考えてもアウトだ。

 彼はそのようにして、ずっと許されては来なかった。自分が許しを乞う事が出来る立場だと思えなかった。


 なら、今ここでだけでもたった一人のシュルクが許してやる事くらい、良いではないか。

 ここは教会だ。女神がいる。


 シャルロットはジェイドがさり気なく再び潜り込んだ毛布の中へと、片手を捩じ込んだ。中身は見えていない為、目測を誤った中指がジェイドの頭部に勢い良く突き刺さる。


「痛ッ!?」

「あっ! すいません……」


 突き指し兼ねない勢いで当たったというのに、シャルロットはノーダメージだ。真剣に考えていたから無意識に魔力を使ってしまったのかもしれない。

 対してジェイドは、何故自分がこんな仕打ちに合うのか分からないまま、唐突に指で突かれた頭部を摩る。


「……お、俺が闇の魔力を持っているからって刺し殺そうとしたのか……? 死刑にするくらいなら今この場で自分の手で始末しようと……?」

「えっ!? 違いますよ! 頭を撫でようと思ったんです!!」

「嘘だ……絶対そんな雰囲気のヤツじゃなかった…………」


 シャルロットの顔色を伺いつつもシーツに包まり完全に怯えたような目をするジェイドを見て、少女は必死に首を振り否定する。何故慰めようとしただけなのに、こうも上手くいかないのか。

 困惑するのはお互い様で、張り詰めた空気が緩むのも仕方のない事だった。


「ねぇ、先生。先生はどうなさりたいですか? 私は先生の決定に従いますよ」


 撫でようと、彼へと近付こうと浮かしかけていた腰を再びベッドへ落ち着けるシャルロットの言葉に、ジェイドは馬鹿にしたように鼻で笑う。


「処刑は受けたくないから逃げると言ったら?」

「逃げましょう」

「……逃げるのも生きるのも疲れてしまったから、甘んじて罰を受ける為に城に戻ろうと言ったら?」

「止めませんよ?」


 シャルロットにしては冷たい言葉に、ジェイドは諦めたような笑顔を浮かべて溜息を吐く。

 彼女は正しい判断をしている。と、言うよりも予想通りの言葉である。ジェイドが彼女の立場なら自分だってそうする。怒るなんて筋違いだ。

 こんな犯罪者と共にいる事自体が苦痛だろう。離れる事が正解なのだ。

 感情論でどうこう出来る話ではない。これ以上一緒にい続ければ、彼女までお尋ね者になってしまう。それは本意ではない。

 ただ、自分を突き放す言葉を、他でもないシャルロットの口から聞く事になった事だけが、少しばかり胸の奥に痛みとして広がっただけで。


 そう思っていたのに。

 そう、思おうとしていたのに。


「一緒に城に戻って、私も先生を匿っていた事を告白します」

「…………は……?」


 ジェイドの感情はこの「は?」に総て濃縮されていた。シャルロットが一緒に戻る意味が分からない。そんな事をしても彼女にメリットがない。

 少女は言葉を続ける。


「私が先生の二重人格の説明などをして、なるべく刑罰が軽くなるようにします」


 脳天気な回答に、心も身体も脳味噌も何もかも溶けそうである。何を言っているのかが分からない。否、この場合分からないというよりかは、分かろうとしていないともいう。これは分かっては駄目なヤツだと、ジェイドは本能的に感じていた。


「君は……何事もなく、…………ケフェイドに帰りなさい」


 驚愕により表情筋が驚きの表情のまま固まってしまった為、顔と台詞がイマイチ一致していないが、ジェイドは何とか必死に言葉を紡ぎ出す事に成功した。

 その言葉にシャルロットは不思議そうな顔をして小首を傾げる。


「何故です?」

「いや何故ですってこっちの台詞だからそれ……」


 全く、彼女の両親はどのような教育をしてきたのだ。親の顔が見てみたい。

 どこの世界に犯罪者を匿い、肩を持った事を直訴しに行く者がいるというのだ。それが目の前にいるのだから目眩がする。

 そんな事をしてみろ。手を貸した者としてシャルロットも良くて前科者、悪くて投獄くらいにはなるのではないか。

 頭を抱えるジェイドに、シャルロットは自分なりの説明を施すのだった。


「だって先生、きっと死刑にはなりませんよ」

「……?」


 どういう事だ。自分はこの国の中でもトップクラスの重罪を背負った罪人の筈だ。

 それが死刑にならないのなら、一体何なら死刑となるのだ。

 どうやら、少女は少女なりの考えがあるらしい。ならばそれを大人しく聞こうと、ジェイドは何とかベッドの上に起き上がり、彼女と向かい合うようにして腰を据えるのだった。

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