50 咎人の総て
暗がりの中手探りで探すピアスは思いの外近くに転がっていたようだ。髪を床に垂らして捜索に当たるジェイドの後ろで、シャルロットが黒い石を摘み上げる。
「あっ、……これ……?」
「寄越せ!!」
確認する間もなくシャルロットの手の中のピアスはジェイドにひったくられる。彼は目視でそれが探していたものだと分かるや否や、すぐに右耳のホールへと挿し込む。
ピアスが捩じ込まれた瞬間に、部屋の隅に蹲る魔性の存在が溶けるように消えた事により、ジェイドは安心感から震えるような溜息を吐く。
然しシャルロットが見付けたのはピアスの本体、石の部分だけである。キャッチが見当たらない。
あれが無ければピアスを右耳に留める事は難しい。現に今、ジェイドの右手は右耳に添えられたままだ。
ピアスよりも更に小さいパーツが飛んでしまったのだ、見付けるのは至難の業である。
然し、闇の魔力を抑え込むのはあくまでこのピアスに付いている黒い石であって、キャッチはいわば附属品である。今までもキャッチを紛失する事は何回かあったし、このような事に備えて予備も用意はしてあった。
白のボトムスの右側にあるポケットに目当ての物はある。ピアスを支える右手は左手に変えられ、空いた右手の人差し指と中指をポケットへと差し入れまさぐる。
小さな皮袋を指先に挟み込み引きずり出すと、指先にそれをぶら下げながらシャルロットへと差し出す。片手が塞がっていると、硬く閉じられた袋の口は開く事が出来ない。
「そこから……一個出してくれないかな」
「は、はいっ」
皮袋を受け取ったシャルロットは言われた通りにそこからピアスのキャッチを取り出すと、ジェイドへと手渡した。
こうしてピアスを固定させる事に成功したジェイドは、緊張の糸が切れたかその場に倒れ込むようにして仰向けに寝転がった。
「大丈夫ですか!?」
慌てて傍に来てくれるところ悪いが、今現在シャルロットに構ってやれる程の気力は、ジェイドにはない。
自分の知らない間に、自分の身体の中に流れている筈の魔力がほぼ感じられなくなっていた。身体が怠くて重たい。指先一つすら動かす事が億劫だというのに、目覚めてすぐにピアス探しに興じた自分を褒めてやりたい。
然しこの怠さが、魔力の枯渇が。この場でピアスを外されても尚、大惨事を引き起こさなかった原因だ。
傍にはシャルロットの姿くらいしか見えない。今この状態で闇の魔力がジェイドの意志に反して勝手に暴れたのなら、それらの牙と爪の矛先はいの一番にシャルロットだろう。そう考えると背筋が凍る思いだった。
そもそもジェイドは現状、自分が置かれている状況が全く把握出来ない。
何故全身がずぶ濡れであるのか。
何故外れてはいけないピアスが外されているのか。
何故、服の前が肌蹴ているのか。
自分の膨大な魔力はどこへ行ってしまったのだ。カインローズと呑んでいた筈なのに、彼はどこへ行ってしまったのだ。ここはどこなのか。
体調はすこぶる悪いが、闇の魔力が勝手に発動していた恐怖から何故か妙に頭は冴えてしまったようだ。
次から次へと疑問が沸き立って来るものの、勿論答えなんか出る筈ない。
顔というか、頭が熱く火照り重たくも感じる。これも魔力切れの弊害だろうか。そもそも魔力切れなどいつ振りか。子供の頃より忘れていた感覚に苛まされ、身体も頭もついていけない。
それでも、もう子供ではない。あの時よりは体力も気力もある、と思いたい。濡れて肌に貼り付く服を脱いでしまいたい一心で、ジェイドは自力で起き上がった。
するとそこで漸く、心配そうな瞳でこちらを覗き込んでくるシャルロットの顔を見据える事が出来た。
「先生、大丈夫ですか……?」
大丈夫かと聞かれて大丈夫と頷ける程、今の彼には余裕がない。
「いや……大丈夫では、ないな。聞きたい事は山程あるんだが……まずは着替えても良いかな」
緩やかに首を否定するように振りつつも着替えを申し出れば、シャルロットも了承し病衣とタオルを差し出してくる。元よりシャルロットも彼を着替えさせるつもりだったのだから、断る理由がない。
少女は彼が独りで着替えられるか、それが気掛かりでならなかった。
然し、彼が意識を取り戻した今となっては先程まで抱いていた、自分の手で着替えさせようという決意が薄れ気恥ずかしさだけが胸の内を焦がす。
よもや起きているジェイドに対して着替えを手伝おうかなど、申し出られる訳がなかった。
「それでは私も隣の部屋で着替えて参りますので、……失礼しますね」
シャルロットも濡れているのだから、そうするのが一番自然だった。少女は自分の分の荷物を抱えて、そそくさと部屋を出る。そうする事が精一杯だった。
どうか、彼の服を乱した罪深い者が自分だとバレませんように。少女は心の底からそう願った。
お互い着替えが済み、ベッドのある部屋にて再び合流する。ジェイドも時間はかかったようだが何とかなったようである。長い髪は解いて毛先だけ緩く結んでいた。
室内に備え付けられた棚の引き出しにあったガーゼと消毒液を拝借し、見える範囲のジェイドの傷を手当てしてからそれぞれ一台ずつベッドを丸ごと占領する。
シャルロットはベッドの淵に腰掛け、ジェイドは怠そうに俯せに寝転がり顔だけシャルロットに向けるような姿勢だ。
相当しんどいのだろう、ジェイドの目は今にも閉じてしまいそうだ。けれど彼は、現状何が起こっているのかを聞かずには眠れないと思っていた。
「…………シャルロット。正直に答えて欲しいんだが、ここは……どこだ。俺は今まで……何をしていた」
そう聞かれて、すぐにでも簡単に総てを正直に答えられたのならどんなに良いか。シャルロットは目を閉じて一度深呼吸をする。
ヘリオドールには、自分の事はジェイドには伝えない方が良いと念を押されてはいた。けれど、それももう潮時だ。
彼の事を語らずに、現在ジェイドが置かれている状況を語る事は出来ない。
隠し立てしていたのが自分の罪だとシャルロットは思っていた。ヘリオドールが自我を持った時点で、ジェイドに相談していたらまた違った結果だったのだろうか。こんな事になってはいなかったのだろうか。
過ぎた事を後悔しても、もう遅いのだ。
少女は総てを語る事にした。
ジェイドが意識を喪いオリクトを破壊していたのは、彼の別人格が行っていた事である事。
その別人格がサエス王国を支えていた魔石を、延いては国自体を破壊してしまった事。
シャルロットは彼の目論見を知らなかったとはいえ、引き留める事が──国の崩壊を食い止める事が出来なかった事。
総てを、話した。
「……謝っても許されるとは思っていませんが……私も、先生を騙していたようなものです。申し訳ありません」
「…………」
ジェイドからの反応はまるでない。
驚き過ぎて瞬きをする事すら忘れていた。
嘘だと否定してしまいたかった。シャルロットの作り話なのだろうと、笑ってしまいたかった。
きっと否定も、口で言うのは簡単なのだ。けれど否定するよりも、納得してしまう方が存外楽なもので。
延々と止まない、窓の外に広がる冗談じみた土砂降りも。自分自身の魔力が馬鹿みたいに減っているのも。夜には意識を喪って、オリクトを壊してしまう悪癖も。最近夜だけではなく、日中にすら意識を喪ってしまう事も。
「別人格」とやらの仕業と言われれば、辻褄が合うような気がした。
自分が大罪人となってしまった事はさて置けるものでもないがさて置いておき、魔石の名を名乗る男が自分の中に巣食っていると言うのなら、今まで午前二時から行われていた破壊の“理不尽さ”も、胸の中にすとんと落ちる。
「は、……あは、……っはははは!」
こんなのもう、腹を抱えて笑うしかないじゃないか。力の入らない身体に鞭を打ち、出来るだけ肺の中の重たい空気を吐き出してしまいたかった。
自分がどれだけ、オリクトを壊さないようにと策を弄しても自分の感知出来ない赤の他人の仕業というのなら、もうお手上げだ。何も出来ない。
まるでここ二年の苦労を踏み躙られた気分にもなる。考えるだけ馬鹿馬鹿しい。
もうオリクトを壊さないようにだとか、ふざけた考えに取り憑かれずとも良いのだと思うといっそ清々しい。
だってそうだろう。オリクトなんか目じゃない、もっともっと大切な物を壊したのだから。
人々の根付く土地を、生活を、街を破壊したのだから。
こんなにも、滅茶苦茶にしたのだから。
存分に笑い転げる師を、シャルロットは固唾を呑んで見守るしかない。
自分がとんでもなく残酷な仕打ちをしている事は理解している。自分が知らなかった赤の他人の罪を被った上で、暗に言葉にはしないものの最終的には「どうするか」と問うているのだ。
再び城に戻り処罰を受けるか、このまま逃亡し逃げ延びるか。決定権を与えられる事は、今のジェイドには苦痛以外の何物でもないだろう。
自分の意志で行って来た事なら未だしも、何故他人の尻拭いをしなければならない。それも、国家レベルの大罪だ。
ふと、ジェイドが笑うのを止めた。
唐突にしん、と静まり返る室内に雨の音だけが響く。
「そう言えば、さっき一緒にピアス探してもらっただろう?」
「え、あ……はい」
急に話題がピアスの話になり、シャルロットは多少驚く。何故ピアスの話題なんか振り始めたのか理解出来ない、と言いたげな少女の表情を無視してジェイドは続ける。
「あれは闇の魔力を封じる物なんだ。人を呪い殺してしまう、世界中で使用を禁止されている属性だ。俺はそれで、人を殺した事がある」
静かに、本当に静かに告げられる突然の告白に、少女は何と言っていいのか分からない。驚いて閉口するばかりだ。
続く声音は、更に痛ましい。けれど、少女はそれを黙って聞くしかない。彼女もまた、咎人なのだから。
「……処刑なんて、今更なんだ。俺はもっと早くに…………死んでおくべきだった」