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暁闇のヘリオドール  作者: 沙華
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48 美しき、花束を



 オリクトとは、アル・マナクの設立者アウグスト・クラトールが開発した人工の魔石である。オリクトは魔力を篭めて使う物であるが、例えば既に火属性の魔力が溜められている物に他の属性の魔力を篭めると割れてしまい使い物にならなくなってしまう。

 また、各ランクの大きさのオリクトに、それを超過するような量の魔力を入れても破損してしまう。Cランクのオリクトに、Aランクのオリクトにしか入らないような魔力を詰め込む事は不可能なのだ。


 その前提を考慮した上でもう一つ説明するならば、アウグスト・クラトール氏は元々魔石ヘリオドールについて調査する研究員であったらしい。

 そんな彼の生み出したオリクトは、ヘリオドールの構造とよく似ていた。



 サエス王国を永きに渡り繁栄させてきた水のヘリオドールは、一人の男の魔力を限界を超えて詰め込まれた果てに、大破したのだ。


 国一つを支え続けていた膨大な魔力が弾けたのだ。ヘリオドールという、卵の殻から溢れた魔力は制御を喪い暴れ始める事は当然と言えよう。

 水の女神を讃えていた民衆は、その女神の力により無慈悲に制圧されるのだ。空から降り注ぐ水流は水路を溢れさせ、水の国としての機能を崩壊させる。

 許容量を超えた水に美しく街々を飾る噴水は内側から水圧で破壊され、冷える秋の空に際限なく水をばら撒き更に空気を寒々としたものへと変える。

 エストリアルから更に外の街へ。外の街から更に更に、遠くの街へ。水のヘリオドールを中心に据えて発展していった国は、繁栄していった時と同じように中心地から壊滅していくのもまた、早かった。


 普通に立てばもう足首まで水に浸かってしまうであろう、城の目の前の道端にて魔石と同じ名を語る男は必死に両腕で身体を支え、起き上がろうとしていた。重たい身体を包む服も、水を吸って更に枷を増していく。

 然し、かの魔石を破壊させるだけの魔力を注ぎ込んだのだ。流石の彼であろうとも、殆ど魔力を使い切ってしまい魔力切れを起こしていた。

 身体に力が入らない。破裂した瞬間に飛んできた魔石の破片で身体中に傷を作ったのだが、それすら治す魔力がない。先程墜落時に衝撃を和らげる為の風魔法を使ったのが、最後の魔力だったのだ。もしもの事を思ってほんの少し、ギリギリだけの魔力を残していたのが幸をなした。


 身体が冷えるのは魔力が足りないせいか、それとも降り注ぐ水のせいか。はたまた秋の夜だからか。いずれも原因となるのだろう。そのいずれもが、彼の身体を苛んでいく。

 別れ際にシャルロットに掛けた火の魔法は、注ぐ圧倒的な水量の前にとっくのとうに掻き消えてしまった。少女が傍に来たからといって、彼の身体を温めるものは何もない。


 そんな彼を、シャルロットは支えて起こそうとしゃがみ込む。少女の瞳は迷いに曇っていた。


「これは、……貴方がやったんですか? ヘリオドール様」

「……そうだと、言ったら。僕を国に突き出しますか」


 サエス国民だとしたら、きっとそれが正しい行動なのだろう。けれどシャルロットはこの国の住民ではない。


 確かにシャルロットは、彼に協力するとは言った。けれどそれが国を、街を崩壊させるような所業だと最初から知っていたら手など貸していただろうか。やはり城へと向かう時に、無理矢理にでも引き止めていれば良かったのだろうか。

 手を貸す条件として、今後彼は夜間にオリクトを破壊しないと約束してくれた。この世界にとって、最早なくてはならないものとなったオリクトを護る事は大切な事だが、その代償はこの大きすぎる水害である。

 今となっては、引き止められたタイミングでどのような行動を取るのが最もベストだったのか分からない。

 何をしてこのような事になったのか。シャルロットは聞くのも恐ろしく思えた。


「水のヘリオドールを…………破壊致しました」


 勇気のない少女の心を読み取ったかのように、地に伏しながらも男は呟いた。シャルロットはその言葉に目を見開くものの、今更声を荒らげる事はしない。こんな大災害が起きたのだ。彼が魔石に何かをした事は察しがついていた。

 流石に破壊してしまったとまでは思わなかった為、瞳の焦燥の色は更に濃いものとなるのだが。


「どうして……」


 尋ねる声音にも焦りが滲む。

 オリクトは素晴らしいものだが、この世界を支え続けていた魔石、ヘリオドールもまた説明など不要な程に大切なのだ。どの国にとっても最早「在る」事が当たり前であり、盗まれたりだとか安置している城が賊に乗っ取られる事は想像がついても、なくなる事なんて、破壊するだなんて事は普通のシュルクならば想像すら出来ない。そもそもどのようにして壊したのか。壊す方法があるという事なのか。

 少女には理解が及ばないが、かの魔石が人々の生活に根付き国に息吹を与え、世界を支えていたのは事実である。


 それを壊してしまったのが事実なら。否、例え破壊という話がタチの悪い冗談であったとしても、サエスをこれだけ滅茶苦茶にしてしまった彼はこの国にとって大罪人となってしまったのだろう。

 今現在、意識が眠りに就いているであろうジェイドの意識は、現状起こっている事の何一つすらも把握していない。目覚めた彼にその時、どう説明しろと言うのだ。


 シャルロットが焦るのも無理はない。けれど、焦りはするが彼の話が余りにも非現実的過ぎて、頭が処理に追い付かない。

 平たく言うなら、何も考えられないのである。思考は放棄して動く身体を無意識に動かす。その結果が、崩れ伏せる男を支えて立ち上がる事であった。

 ヘリオドールはふらつく足元に視線を落としながら呟く。濡れた長い髪に絡んで落ちる水の雫が、彼の表情を隠してしまう。


「……僕は、育てている花に……虫が付いていたなら、駆除をしてしまうのです、よ。僕はずっと、……花が欲しかった」


 水の音が彼の言葉を搔き消してしまいそうで。

 それは、初めて言葉を交わした日の夜にも聞いたものだった。それは、オリクトを壊す原因を問うた時の回答だった筈だ。


『貴女は、育てている大切な花に虫がついていたら駆除をしますか?』

『虫に情を持ってしまったが為に花を喰わせて、花ではなく虫を育てますか? この場合選択肢は二つであり、僕はその内の一つを選んでいます』


 良く考えれば当たり前の事だろう。花を愛でようと育てているのに、虫が付いていたなら駆除をするのは当たり前の事だ。折角育てた花を、虫の為に餌にしてしまおうだなんて者はほんの一部しかいないだろう。

 それが魔石ヘリオドールやオリクトを壊す話に直結する理由が、シャルロットには分からない。


 分からないなりに、一つだけ分かる事がある。彼が行く前に頼んだ「一走り」のタイミングとは、正しく今の事だ。この場から逃げなければならない事だ。彼は自分の身が「こう」なる事を知っていて、シャルロットに頼んだのだろう。

 何があったかは知らないが、自力ではもう動けそうにない彼を、だんだんと水位が上がってきたこの場に放置する訳にはいかない。

 シャルロットも冷えている。思考能力の低下した頭と身体は、それでも当然のようにヘリオドールを両腕に、王子が女性にそうするように抱えた。普通は逆だろうが、四の五の言ってはいられないしシャルロットにとってはもう慣れたものである。


「……嗚呼、これ……なかなか恥ずかしいですね。けれど、………………幸せ、だ」


 彼はジェイドのように抵抗も抗議もしなかった。いつものように口元に笑みを浮かべて、いつ落ちてもおかしくなかった瞼を閉じて、シャルロットの肩に凭れるように額を押し付ける。

 身体強化の魔法で成人男性一人くらい軽々と抱えられるようになったシャルロットの両腕に、更にほんの少しだけ負荷が掛かる。どうやら彼は気を喪ったらしい。


 このまま走り去り、彼を半壊してしまった城へ引き渡さずに王宮から離してしまえば、シャルロットもめでたく共犯者となるだろう。逃亡の手助けをしたのだから。


 そんな事は分かっている。

 間違っている事も分かっている。

 けれど、投獄された後ジェイドはどうなる。何も知らずに犯罪者となり、何も知らないまま処刑されるのか。自分の知らない「誰か」が起こした罪を被り、訳の分からないままに最期を迎えるのか。


 そんなの、ジェイド本人は納得出来ないだろう。彼の一番弟子もまた、納得いかない。

 ならばせめて、説明をしなくてはと思ったのだ。

 彼を無知なままで死なせてはならない。

 逃げられるだけ遠くへ。

 稼げるだけの時間を稼がなくては。

 少女の脚は水飛沫を上げて前へと走り出す。

 その瞳にはもう、迷いはなかった。





 どれだけ走っただろう。途中、沢山のシュルクが城から離れるようにして逃げていくのを見た。ジェイドを抱くシャルロットも周りから見れば、ただの避難民として見られた事だろう。

 王都から抜けたとは思う。周囲のテナントの看板がエストリアルよりも敷居の低い、シャルロットにとっては馴染み深い名前のものに見えるからだ。けれど、王都に近い分避難も早かったのだろう。人っ子一人いないゴーストタウンと化していた。


 かなりの距離を一気に駆け抜けた為、流石のシャルロットも少々息が上がる。ここは城周辺と水没の具合は変わらないが、それも当然かもしれない。

 サエスの城は水を効率良く流す為か、丘の上にあるのだ。国自体が緩やかな坂のようになり水を周辺地域へと流すような作りのサエスでは、その造りが仇となった。国中に水が溢れるのが速すぎる。

 水から離れようとしても国全体から見れば端的に言うと丘を下るような形になる為、国民は国を出るという形で避難した方が堅実だ。

 余りにも大量過ぎる水を周辺地域へと撒き散らし続ける現在のサエス王国では、どこへ行っても靴が水に沈み込んでしまう。それを厭う者は出国するしかない。


 シャルロットにとっては、今は避難よりも身を隠せれば良いのだ。

 罪人となった彼を抱えて、避難で人がより多く集まっているサエスの僻地へと向かって移動するのは得策ではないと考えた。

 ヘリオドールはフードを被って城の中へと入っていったが、誰かに顔を見られていないとは限らない。

 危険地帯と化し人の減った王都の傍にいた方が、まだジェイドにとっては安全なのである。


 避難の時に開け放たれたままなのだろう、教会の扉の影から中を伺えば人の気配はなかった。教会の床も水が薄らと張ってしまって浸水している。この状態だと、避難所として人が集まる事もなかったに違いない。

 然し、教会とは塔の形の建造物である事が殆どだ。階段を登り上の階層へといけば、早々水没する事はない。


「……休める所までもう少しですからね、先生」


 少女は腕の中の師に小さく囁くと、木の板で出来た教会の階段を踏み締めて登り始めた。

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